不要なもの
四五歳を過ぎた頃から水を飲むだけで太っていくとはよく言ったものだ。
由美は、今日もダイエットのため、川原でウォーキング中だ。歩いたところで痩せるどころか日に日に太っている気がして、ふと足並みが遅くなり、川面に目が行く。
一枚の葉っぱが流されている。途中岩にぶつかりながらも流れには逆らえず、どこまでも流されている。
由美が物心ついた頃は高度経済成長期に入っていて、いつも競争させられていた。由美は、一生懸命勉強もして、部活もして、それなりの成績を修めてきたことが誇りである。年頃になると、母がよく言ったものだ。
「女の子は愛するより愛されたほうが幸せになるからね。いいお相手がいるといいねぇ。」
刷り込まれていた。由美は、いいお相手と結ばれて、結婚して子どもを産んで幸せな家庭を作ることが何より幸せなんだと信じて疑わなかった。
公務員の彼が出来たときは、これでいいんだと思った。結婚して子どもが産まれて、子育ては大変だったけど、やっぱり何といっても可愛いし、幸せだった。一人息子の颯太が中学生になり、不登校になるまでは。
「今日は学校行こうよ。カウンセラーさんも待ってるし、先生も保健室でいいって言ってくれてるし。」
「・・・・・・・」
「お母さん、車で学校まで送ってあげるから。」
「・・・・・・・」
颯太は布団を頭からかぶって身動きもしない。(どうしてこんなことになったんだろう?私の育て方の何がいけなかったんだろう?風太は小学校の時はいつも学級委員で、先生にも褒められっぱなしだったのに。)
由美は自問自答しても答えが見つからなかった。だから、夫に相談する。
「こっちは仕事でそれどころじゃないのに、そういうのよしてくれよ。」
「でも、じゃあ、どうすればいいの?」
「颯太呼んで来い。」
「また、怒鳴って叱るのはやめてね。」
「おまえがどうしたらいいかわからないって言うから叱るんだろうが!」
由美は仕方なく颯太を呼んでみるが、夫婦の会話が聞こえていて、来ないのは分かっていた。
そんな颯太の不登校にも終わりが来る。中学校3年生になると学校へ行くようになった。
結局何が原因だったんだろう?風太の将来が闇に閉ざされたと思って、あんなに不安になったのに。通信制の高校を調べて思ったものだ。校庭がある高校に通って高校生らしい暮らしをしてほしい。やっぱり、普通の高校生になってほしい。偏差値の高い高校に通ってほしいとかそういう希望ではない。贅沢な願いなどしていないのに。
今では家を出て、大学生である。ある時、SNSが発達したこの時代にふと颯太から手紙が届いた。
[お父さん、お母さん、僕が不登校になったのは、特に理由はないのです。あの時、お母さんが僕を心配しすぎることも、お父さんが怒鳴るのも嫌でした。お母さんが口癖のように言っていた“高校生らしい”とか”普通”とかって僕にとってはプレッシャーでした。
今思えば、周りの人といつも歩調を合わせているのに疲れたから学校に行けなくなったのかもしれません。中学3年生になったら、学校に行きだしたのは、進学はしたいと思ったからです。
中学生になったときは、お父さんとお母さんが僕に寄せる期待に応えようと頑張りました。でも期待に応えるどころか、頑張っても頑張ってもクラスの平均点さえ採れないんです。次第に頑張れなくなりました。その時のお母さんのかわいそうな子を見る眼差しが今でも目に焼き付いています。
ただ、もう心配しないでください。期待に応えようとしていたのも自分ですし、ここまで育ったのは、お父さん、お母さんのおかげです。
僕は自分が興味がある仕事に就こうと思ってます。それにあたり、就活費用が少し足りません。送ってください。]
なんだ、この手紙。結局金送れとは。オレオレ詐欺か。と思う一方、SNSとかじゃなく手紙だから書けたのかな。と由美は思った。
そして、自分が一生懸命になって必死につかまっていた何かから手を放しても、もういいんだ、と感じた。由美は怖かったのだ。周りと歩調を合わせないと取り残されてしまう。その怯えが息子を頑張らせてしまっていた。そんなに怯えなくても息子は勝手に成長して、心配するなと言ってくる。自分は必死になって無駄なことをしていたのか。
由美は、今では、パートに出るようになった。自分はこの年になって何をしたかったのかが分かっていない。手探りで探し出していくしかない。
この頃また少し太ったが、自分を自分で縛り付けていた何かが外れてきたからかもしれない。