鯰少年と心閉じ少年
夜の九時三十分に授業が終わる。今日は金曜。土日は休み。サッサと来週の授業準備を終えて、十時には帰りたいなぁと思ってファイルなどを片づけていたら、
「せんせーって鯰食べたことあります?」
「鯰は食べたことないなー」
「俺、鯰さばけるんっすよ。めちゃくちゃ美味いっすよ。」
「鯰ってどっかに売ってるの?」
「釣るんっすよ。俺明日、霞ヶ浦に鯰釣りに行くんです。」
ここは、世田谷区の隣の狛江市にあるちいさな塾である。そこで私は教室長をしている。といっても、チェーン店のうちの一店舗で、従業員は私一人である。生徒が全員帰れば私も帰れる。それなのにいつも誰かが授業が終わると、おしゃべりをし出す。早く帰りたいのは山々だが、実は、自意識過剰で多感な時期の中学生とのおしゃべりは面白い。
東京の子どもは世の中を割とよく知っていて、自意識過剰のレベルが現実離れしていないから呆れることもあまりない。
私は岐阜市出身で、中学生当時など東京に遊びに行ったら、芸能事務所の人にスカウトされて芸能人になってしまうかもしれない、などと思うレベルの自意識過剰ぶりだったから呆れるを通り越して阿保くさい。
塾を選んでいる保護者が、面談にくる。少子化が進む社会で塾業界は生徒の奪い合いになっている。塾周辺の地域は漁場で、そこに何社もの塾の教室が釣り糸を垂らし、引きを虎視眈々と待っている。引きがあった後、釣れるかどうかの面談の機会は、勝負どころとなる。
「先生はどこの大学のご出身ですか?主人が聞いて来いと言うもので。」この手の質問をされることは近年は稀なのだが…学歴主義が今も根強く残っているのは確かだ。でも、講師がどこの出身だからって、それで塾を選ぶということの浅はかさよ。生徒が伸びるには様々要因がある。その中で外せないものは講師と生徒の相性だ。(この親の子とは絶対合わない。この子を私は釣らない。逃げてくれて全然いい。)しかし、その生徒の家からこの塾が最寄りだったらしく、入塾決定。
この生徒は、どんよりと濁った沼の魚の鱗のような眼をしており、全く心を開いてはくれなかった。いつも無言でこちらの講義も聞いているのか聞いていないのか…。多分聞いていない。問題を解いてもらっても、間違えた問題を隠される始末。間違えても全然いいんだよ!むしろ何を間違えているのかが重要なんだよ!プライドなのか?それとも叱られることに怯えているのか?もういいよ、心は閉じてればいいよ、ただ講義くらいは聞いてほしい。
終業後、なんともやるせない心持で多摩川の堤防沿いを自転車を走らせて帰ると、風が絹のような滑らかさで、纏わり、そして、去っていき、少しずつ心が凪いで落ち着いていく。
「せんせー!鯰沢山釣れたっすよ!」
「沢山って、沢山釣れるもんなの?」
「最初五匹釣って、二匹逃げられて、また三匹釣って全部さばいて食った。まじで美味かったっすよ。」
「せんせーも小さい頃泥鰌は川入って捕まえて食べてたよ。唐揚げとかにしてた。」
私もプチ自慢したりする。
「あ~、泥鰌は卵とじとかうまいっすよ。俺も野川でよく捕まえますよ。」
すかさず中学生特技、自慢返し。
心閉じ少年がその場にいて、会話は聞いていない様子だったけど、問題を出してみた。
「さばいて食った鯰は何匹だったでしょうか?」
「はっ?・・・・ろっ・・ぴき」
「せーかいー!やるじゃん。」
やっぱり聞いていた。でも、すぐ、どんよりと濁った沼の魚の鱗のような眼に戻る。本当は自慢したいことがいっぱいあるんだろうに。その眼から光を発する瞬間が見たい。