#16 散歩ついでに黒谷の竹内栖鳳先生に逢いに行く
2023年11月19日。
真正極楽寺(真如堂)の脇道を南へ、黒谷の金戒光明寺へ抜ける道を行くと、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔うお墓や、京都の著名人が眠る広大な墓地が広がっている。
ひっそりとしていて、観光客は殆ど立ち入らない。
墓地をこのように表現するのは少し憚られるが、真如堂から岡崎へ抜けるこの道は、とっておきの散歩道。
特に黒谷の高台にある文殊塔(三重塔)から真っ直ぐ降りる階段からは京都の街を見渡すことができ、高台を吹き抜ける風に頬を撫でられながら、京都タワーや平安神宮の鳥居の朱色が映える夕焼けを望むのはとりわけ壮観だ。
↑おっさんの荒い息が入っているのはご愛嬌
この地で眠りたい。
かつて京都で過ごした偉人や著名人がそう考えるのも理解できる。
土地や資金が許すなら、私だって此処がいい。
此処なら散歩ついでに墓前に花を手向けに来てくれるような気がするし、彼処になら参ってやってもいいと思わせる眺望がある。
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この墓地に、日本画家の竹内栖鳳先生が眠っていることを知ったのは、11月5日に京都市京セラ美術館の『竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー』を鑑賞しに行き、出口付近の略歴パネルを眺めている時だった。
昭和17年に、いつも散歩させてもらっている金戒光明寺で葬儀が行われ、建墓されていることをはじめて知った。(77歳没)
私にとって竹内栖鳳先生は、憧れの日本画家だ。
「動物を描けばその体臭までも表す」と自身で語られたように、その圧倒的な写生力から生み出される作品はどれも美しく、また伝統を重んじる京都画壇で先頭を切って全く新しい日本画を模索した姿勢も立派だ。
その型破りな画風に対し、「鵺派」と蔑称を与えられる一方で、自身が主宰する画塾「竹丈会」では多くの優秀な門下生を輩出しているなんて格好良すぎです。
竹内栖鳳、西村五雲、山口華揚、竹内浩一、そして私。
師匠の師匠の師匠の師匠ってなんて言うんだろう。
私の中にも脈々と鵺派の血が受け継がれているのだ。
(この師匠の件は冗談です。勝手に先生方を崇拝しているだけなので、鵜呑みにしないで下さいね)
さて、黒谷を上り金戒光明寺を東に行くと、正面に長い階段が見え、その奥の高台に三重塔(文殊塔)が聳えているのが分かる。
太鼓橋を渡り、階段まで行くと右脇に道標が現れる。
『竹内栖鳳先生墓 文殊塔前 左へ七十歩』
額から吹き出す汗を拭いながら、道標に書かれている文殊塔まで登る。
そして左へ折れ、67歩目に栖鳳先生のお墓が現れた。
まるでファミコン版ドラクエ1で、マイラの町の温泉から南へ4つで「ようせいのふえ」を手に入れた時のようなRPG感。
畳6畳分程の広さだろうか、生垣に囲まれた先生のお墓は、静謐な墓地の中で更に一層ひっそりした佇まいだった。
墓前で手を合わせる。
先生が亡くなられて約80年。先生のお描きになった数々の絵は、我々を楽しませてくれています。
先生がいらっしゃた頃と、少し変わってしまいましたが、眼下の京都市美術館で『竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー』が開催されています。大勢詰めかけて大盛況です。
先生の『斑猫』にお目にかかることは叶いませんでしたが、山種美術館でいずれ会える日を楽しみにしております。
今回、散歩ついでの展墓になってしまいましたが、次回はきちんとお花を手向けさせて頂きたいと思いました。