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やさしくなりたい
私は冷たい人になりたかったわけではない。本当はやさしくなりたかった。ボタンのかけ違いのようなこと。不器用だったあの頃の私をぎゅっと抱きしめてあげたいと思うことがある。
私は7人家族の中で育った。父母、祖父母、姉2人と私だ。上の2人の姉は2つ違いで年が近い。私は少し離れて生まれた末っ子だ。私が中学生の頃だったと思う。祖父ががんになって入院をしたことがあった。両親は、姉2人にはその事実を伝えたようだ。私には具体的な病名は伝えられなかった。「ちょっと大腸にできものがあるから、入院して手術して取るだけよ。」と伝えられた。まだ子どもの私に対して、両親の配慮であったと思う。けれど、家族の雰囲気や話で、私は祖父の病気ががんであることを悟った。
両親も姉たちも私に隠しているのなら、気が付かないふりをしておくのがいちばん良いのだろうと、当時の私は判断した。祖父の病気で少し重苦しい雰囲気の家庭内で、私はしっかりしなきゃ、と思っていた。今思えば、見当違いの責任感だ。「がん」という言葉の重さに、不安もたくさんあったのだが、祖父のことで沈んだ家庭の中、これ以上家族に心配させないように、悲しいそぶりは見せないようにした。
そんな時に聞いた、母の一言がどうしても頭から離れない。私に直接向けた言葉ではない。姉との会話が聞こえたのだ。祖父の病気でみんな少し沈んでいるところに、私だけ心配していないように見えたのだと思う。
「cotyledonは、あれやからね。少し冷たいところがあるからね。」
祖父のことは、とても心配していたのだ、私なりに。でも、家族は私に病名を隠しているし、私は沈んだ家族のことも心配だったのだ。みんなに元気を出してもらいたかったけれど、私のやり方が間違っていたんだと思った。みんなと一緒に悲しさを表現していたらよかったのに。結局、その当時の私は、誤解を解くことはしなかった。私は聞いていないふりをして、自分の気持ちに蓋をした。あの頃は、周囲に自分の気持ちを理解されないことの悲しさがあったのだが、今思えば私自身、わかってもらう努力をしていなかった。自分をさらけ出すことができず(家族にさえ)、自分の中だけに閉じこもっていたようなものだ。母が私のことを「少し冷たいところがある」と言ったのも仕方のなかったことだと思う。あの頃の私は、周囲からみると、醒めたところのある子どもだったと思う。それでも、家族なのだから、何も言わなくても分かって欲しいと言う気持ちは拭えなかった。
でも私は家族が好きで、大切に思っていた。このままではいけないと思った。少しずつ、かけ違えたボタンを修正しようと思って、今に至る。誰にも気づかれず、こっそりかけ直せたのではないかと思っている。心配している時は、口に出すようにして、できるだけ自分の気持ちを伝えられるように努力してきたつもりだ。母も姉もあの時の一言は覚えていないだろう。それでいい。その方がいい。誤解されたことは悲しかったけれど、この一言があったから、今の私になっているのだと思う。この一言がなければ、私は周りに自分を理解してもらおうと努力していたかどうかわからない。今の私が、母にとってやさしい娘であれたら、それでいい。
私は小さい頃から家族内でのこと、知らないふりをしてきたことも多い。言わないのなら、気づかれたくないのだろうと思っていた。気が付かないふりをしていた方が、立ち回りがしやすいとも思っていた。およそ子どもらしくない。それが「冷たい」との評価になってしまったのかもしれない。あまり、感情を出すのが得意でなかったこともあるし、それも一因なのだろうと思う。大人になり、2番目の姉と家族のことについて話すことがあった。私たちは家族7人で暮らしてきた。仲の良いだけではいかない。ましてや、嫁としての母の立場は辛いものもあったのだろうと想像する。家族と言えども、お互いぶつかったり、嫌な感情というものも、確かにあった。家族内の微妙な食い違いや、それぞれの感情の揺れについて、私は気が付かないふりをしていたことを話した。姉はとても驚いて、今までずっとcotyledonは何も気づかない鈍感な子なのだと思っていた、と言った。
今の私の家庭においては、子どもの頃の失敗から学んで、できるだけ私の感情を家族に伝えるように心がけている。子どもたちにも、「理解されない」という気持ちは持ってほしくない。そうは言っても、思春期特有の考え方もあるだろうし、仕方のないところもあるのかなとは思う。それでも、家が居心地の良い、安心できる場所になっていればいいなと思っている。
「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「寂しい」…その時感じた色々な感情を、すなおに表現して、受け入れることができる家庭でありたいなと思う。やっぱり私は、やさしい人になりたい。