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『ひっくり返す人類学』 を読んで 自分の見てきた世界の小ささを実感する。

ご覧いただきありがとうございます😊
常葉大学造形学部2年の白取陽茉里です。
夏に読んだ本から得た気づきを残しておこうと思います。



はじめに

人類学の知見はデザイン活動を行う中で必要な態度の一つとして挙げられます。例えばリサーチをする際の態度としてインタビューや観察を通して人のナラティブ(生き様など)を集めていくなど。今年の7月には合同会社メッシュワークと株式会社日本総合研究所が共同で人類学の知見を取り入れたコンサルティングを開始するなど新たなものの見方を作っていく人類学のアプローチを多様な分野で活用されることに注目が集まっています。

デザイン活動におけるリサーチを強めたいと思い様々なサイトやnoteなどを調べるなかで人類学というものを知りました。私の所属する未来デザイン研究会ではデザイン活動の中で「ナラティブアプローチ」を用いて当事者へのサービスを物語の視点から捉え直すことを実践しています。その実践の中で人類学の態度がナラティブアプローチにおいて重要になることを知りました。

なんとなくの解像度でいた私はしっかりと人類学というものを知るために「ひっくり返す人類学」という本を読みました。ここでは第1章「学校や教育とはそもそも何なのか」を読んで感じたこと・考えたことを自分の記録としても残しておこうと思います。前置きが長くなりましたが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

ひっくり返す人類学 

読んだ本




※記事の中には本の内容の引用があります。




第1章 学校や教育とはそもそも何なのか

私は幼稚園から現在大学という教育機関に行くのが当たり前であって、勉強を教わる立場にあると位置づけられると今は思っています。一方で広い目で見ると学校に行けないのではなく、行かない人もいることも知っています。
学ぶとはなんなのか?この本では「学ぶ」ことを次にように述べています。

色んなことをやりながら、考え方を身につけたり、やり方を覚えたりしながら、自分がやりたいことを発見していくプロセスそのもの

だとしたら学ぶってなんだろう??私の中にはハテナマークがいくつも浮かびました。学校で“教わる身”でいてはダメなのか。教わりながら知識を身につけるだけではいけないのか?私はこの考えも後々ひっくり返されるとは思わずそんなことを考えていました。

今までの大学の授業を振り返ると確かに教室内でグループワークをしたり動画を見て学んだり、教授の話すことを必死に覚えることをしていて(それが当たり前だと思っていて)自分がやりたいことを発見するなんて考えたこともなかった。。。

「師弟関係」のない世界

カナダ北西部に存在している狩猟採集民族である「ヘヤー・インディアン」の人たちの暮らしには「誰かから教えてもらう」「誰かから習う」という言葉が存在しないそうです。やり方は自分で覚えるものとしてヘヤー・インディアンの社会は成り立っているということを知って驚きを隠せませんでした。私が当たり前と思っているやり方とは違う社会が存在していることがわかりました。

ヘヤー方式の「覚える」は 自分で観察し、やってみて、自分で修正することで何かを覚える ということだと記されていた。

ここでは須永先生のデザインする=やってみてわかる 考えと共通部分があると感じました。(創作するとは何度も作り直すこと)

「学び」とは何か

マレーシアの狩猟民プナンの暮らしも同様「教えてあげる」「教えてもらう」概念が存在しない事例として紹介されていました。“子供たちは四六時中家族と一緒にいる中で教えなくとも長い時間をかけて大抵のことを学んでしまう”とあります。30代・40代になれば狩猟できるようになっているそうです。狩猟の技術や知識は共同体の中でゆるやかに共有されているものだということを知りました。

「学校」には行かなければならないのか

子供達にとって動物の捌き方を見たり、仕事を手伝ったり、魚釣りをしたりすることのほうが現実に役立つし楽しいし将来のためになるため、親も学校を強要することは一切無いマレーシアの狩猟民プナンの暮らしでは森の中が学校とも言えると思いました。プナンは森の中で暮らすことが普通であり、そもそも学校の存在意義を感じていないという私からしたら想像もつかない社会が広い目で見ると存在していました。

日本ではいじめや不登校など教育面での課題が大きな社会問題となっています。現状日本の教育機関は社会問題を生み出してしまう場とも言えてしまう。だからと言ってプナンのように森の中で暮らせばいいというわけでもありません。それでも何かぽっかりと空いた穴のような気持ちとおんなじものを著者も感じていたのでは無いかと思います。

知識と共に知恵を重んじる

イギリスの人類学者インゴルドはフィールドワークを通して

動くことによって知るのではなく、動くことこそが知ることなのだ。
言われた通りに指示の表面だけをなぞることではなく、知ることは、今起きている出来事について自ら能動的に後を追うことなのだ。自ら経験することを通して知ることだ。

ということが気づいたこととして記してありました。
私たちも学校で教えられる身としているだけでなく、学校外などで自ら経験する能動的な態度が必要になると思いました。

さらにインゴルドは知恵と知識に関してこう述べていました。

「知識」とは教えられることによって蓄積されていくものです。他方、「知恵」とは進行中の状況の真っ只中で、能動的に自らが本当の意味で知ることです。

イギリスの人類学者インゴルドの言葉

学校や教えてくれる人などから学ぶことで身につく「知識」と自ら経験する能動的な態度から得られる「知恵」この二つの調和こそが大事なことであると感じました。

最後に

様々な人類学者のフィールドワークを通して自分の価値観や視野の狭さを痛感しました。地球という広い目で見ると師弟関係がない人たちがいたり、森の中でゆっくりと時間をかけて親から狩猟を自然と身につける人がいたりと私が大学に通う裏ではそんな世界も広がっていることを知りました。今回「ひっくり返す人類学」という本を通して学校教育という観点で自分とはまったく違う環境の人の生活や人生・世界のまったく違った場所で起こっていることに触れることができました。そして自分の見てきた・見ている世界の小ささを実感しました。

これからも本からの気づきなどを記し、言語化(note)に書き留めることで少しずつ自分の世界を広げていきたいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙌

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