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ただそこにいた生活発表会から、大切なことに気付いた

今朝、「上野動物園のシャンシャンが中国に返還される」というニュースを見て、少し寂しい気持ちになった。
シャンシャンに会ったことはない。
けど、娘を産んだ病院のベッドで誕生を祝うニュースを見て以来、ずっと気になる存在だったからだ。

そんなシャンシャンと同期の娘が、はじめて参加した1歳クラスのときの生活発表会の話を思い出した。

保育園に通い始めて1年近くたっても、朝は毎日泣いていた娘は、生活発表会当日も園に着くなり大声で泣いてしまった。

後ろ髪を引かれつつ先生に預け、私たち夫婦は会場へ。
姿が見えると泣いてしまういうことで、後ろの端っこのほうで隠れるようにスタンバイ。

いよいよ子供たちが入場。みんながカエルやヒヨコのかぶりものをしていたが、娘だけ何もつけていない。

「あーやっぱりかぁ」

帽子を被るのも泣いて抵抗する娘に、かぶりものは難しいんじゃないのか?と思っていたが、予想通りだった。

先生はみんなと同じじように、かぶりものをつけようとがんばってくれたんだろう。

さっきまで泣いてた様子の娘の頬には、キラリとひかるものが見える。

胸がキューっとしめつけられた。

そうこうしているうちに、お遊戯がスタート。
みんなが音楽に合わせて、かえるのマネをしてぴょんぴょんと跳ねたり、ピヨピヨとヒヨコのマネをするなか、娘はひとり舞台上を自由に歩き回っていた。

壇上の飾り付けの裏側を見に行ったり、とつぜん舞台の中央にトコトコと歩きだし、先生に連れ戻されたり…
そうかと思えば、「ここはリビングか!」とツッコミを入れたくなるほど、ゴロゴロし始めたり…

「やっぱり、何か他の子と違う」

他の子は、1歳児なりに「お遊戯」に参加し、ママやパパが見に来ているという状況を感じているように見えた。
一方で娘はというと、我関せず。この場の状況をあまり理解していないように見えた。

とにかく「何事もなく終わってくれ」と思っていた。

「どうして、他の子と同じように楽しくお遊戯に参加しないんだろう。」

なんとも言えない悲しさ、焦燥感に襲われた。
背を向けて、気づかないフリをしていた不安に、肩をトントンたたかれたような気がした。

当時、娘に対して「ふつうに」とか「みんなと同じように」という身勝手な理想を押し付けていた私には、カメラを向けるのが辛かった。

お遊戯会が終わると「かわいかったね〜」「楽しかった」と楽しそうに語り合うママ友たちに、笑顔だけふりまき、自分の気持ちにそっとフタをしてその場を後にした。

あの時の娘はどんな気持ちだったのかな?
生活発表会を楽しんでいたのかな?

今ならわかる。

みんな同じスピードで成長するはずがない。
その日の気分だってある。
私たちはロボットを育ててるんじゃないんだ。

5歳になった娘。今では節分で作ったオニの面をつけたまま、スギ薬局に買い物に行けるくらいへっちゃらになった。

苦手なことはたくさんある。
けど、娘のペースで成長していけばいい。
道はひとつじゃないし、寄り道したり、立ち止まって休憩してもいい。

頭ではそう理解しても、定期的に得体の知れない不安が襲ってくる。
そんな時、ニコニコ笑う娘が答えを教えてくれる。

そうか。この笑顔を守るのが私のミッション。

今日は、帰ったらいっしょに何をしようかな。

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