見出し画像

職場いじめを乗り切ったお話~退職決意から踏みとどまるまで~

 みなさんこんにちは、けーたです。

 私が体験した職場いじめのお話をしていきます。

 これは何か状況が好転したわけでもなく、乗り越えたというより乗り切ったお話です。

 もし今同じようなことで悩んでいる方がいましたら、どうぞ参考にしてみてください。


1.当時の状況
 ・小学校高学年担任(単学級)
 ・通常学級7クラス+支援学級2クラスの小規模校
 ・体育主任
 ・特別活動副主任
 ・20代

2.相手の情報
 ・お局様(女性・40代・高学年担任・特別活動主任・勤務校7年目)
 ・講師(女性・40代・副担任・勤務校9年目)
 ・職場内で一番仲の良い二人
 ・前年は30代前半の女性教諭を標的にしていた

3.いじめの内容

<エピソード1>「職員室で悪口を言う」

 毎年誰かひとりを標的にしていじめをする二人でした。

 いつもその標的の悪口を他の人が聞いていようが関係なく普通の声量で話していました。

 この年、私が標的になりました。

 初めのうちは2人でコソコソしながら聞こえるか聞こえないかくらいで悪口を言っていましたが、時が経つにつれて周りに聞こえる声で悪口を言うように。

 いつしか私の悪口は言っていいものという最低な空気が職員室に流れていました。

 在籍年数も長く、発言権のあるお局様には管理職も含めて誰も何も言うことができません。

 職員室では、私の悪口=共通の話題というところまでエスカレートしていきました。

 最終的には私がいても悪口を言ってましたからね。

 もう最低ですよ。

 悪口の内容としては、私の仕事の仕方、行動、発言、とにかく何から何まで悪口のネタになっていました。

 今考えると、私が若いのに役職がついたり、校長の評価が高かったり、帰りが早かったり、のびのびやっているのが気に入らなかったのだと思います。

 しかし、いじめですから、いじめていい理由にはなりませんし、人として最低ですよね。

 そもそもいじめていい理由なんてこの世に存在しないです。

 先に言っておきますが、私はもうこの人たちのことは眼中になく、人としての価値観のレベルに差がありすぎて理解できないのだろうと思っています。

 本能が求める魅力的な教師理論を手にした私にはこんな人達と価値観が交わることはないです。

 当時私もまだ若く、そんなに堂々と人から悪口を言われるなんて思ってもいなかったので、本当につらかったです。

 毎日仕事に行くのもつらく、何度途中で帰ろうとしたかわかりません。

 何をしても批判される日々、本当につらかったです。

 もちろん至らぬ点があったのかもしれませんが、それがいじめになるのは違いますよね。

 こんな人間にになりたくないと強く思いましたね。

<エピソード2>「教室で担任の悪口を言う」

 これは副担任にされた嫌がらせです。

 副担任は色々な教室で特定の授業の手伝いに入っていました。

 もちろん私のクラスにも。

 当時その学校には3年前に行った研究発表の独特なやり方が残っていました。

 私はその年にいたわけではないので、そのやり方を知りませんでした。

 だからと言ってそのやり方でやるよう研修があったわけでもなかったのです。

 それなので、前年度は私の今までのやり方でやり、その年も同じようにやっていました。

 しかし、副担任は3年前のやり方をやりたいらしく、授業でそれを押し通そうとしてきました。

 違和感を持ったのは授業中の副担任の行動です。

 最初の違和感は、私の指示の上書きです。私が指示を出した後、必ず副担任が新たに指示を出していました。

 そうすると、私が意図したものとは変わってしまうし、何より子どもが指示を聞かなくなりますよね。

 そして授業後、その副担任からダメ出しをされる。

 この時、私は教諭で相手は講師。立場で言えば私の方が上のはず。これもおかしいですよね。

 そもそも子どもがいる前でのダメ出しは最低の行為だと思います。

 私は絶対にしません。

 次の違和感は、私の板書を消すです。

 私が書いたものを「みんなこれじゃちょっとわかりづらいよねー」とか言って消して書き直すんです。

 これ、絶対おかしいですよね。

 じゃああなたが授業やれば?と思ってしまいました。

 こんな否定的なことを毎日されていたら私もどんどん自信をなくしていき、副担任が授業に入る前は本当に気持ちが沈んでいました。

 そして、ついに最低なことをされてしまったのです。

 ずっと副担任として働いていたので、子どもたちとの人間関係もできています。

 その中のお気に入りの子たちに私の悪口を言っていたんです。

 「授業わかりにくい」

 「面白くない」

 「あのやり方は違う」等

 それ、一番やっちゃだめですよね。

 これ、担任の不満の相談を聞いたとかではなく、副担任から率先して言っていたんですね。

 はめられてますよね。

 そういえばと、前年度も標的にされた先生がやられていたことを思い出しました。

 そうやって人を落として自分の立場を守りたい最低なタイプの人種だということです。

 これが4月から行われていて、新年度早々精神的にかなり追い込まれてしまいました。

<エピソード3>「職員会議でやりたくないと言い放つ」

 当時体育主任をしていましたので、毎月のように起案、運営委員会、職員会議と全体を動かさなければいけない場面がたくさんありました。

 これは職員会議でのエピソードで

 4月の体育主任として一発目の会議です。

 前年度から引き継いだものを今年度も提案したのですが、

 そこで副担任が

「私聞いてません!やりたくありません!」・・・

 「は?」(私の心の声)・・・

 これ、会議中私が話している時ですよ。

 やばくないですか。

 会議は一時中断、教頭が間に入り、とりあえず後で相談しましょうということでその場は収まりました。

 私が提案したものは前年度と同じ役割のものです。

 それでも私聞いてませんと声高らかに上げるんですから、頭おかしいですよね。

 あなたが聞いてなくても起案通ってますよ。

 運営委員会でも通ってますよ。

 管理職の判が押されてますよ。

 本当に4月から憂鬱なスタートを切りました。


<エピソード4>「管理職に相談後、状況が悪化」

 上記のような状況が続いたため、私は意を決して校長先生に相談しました。

「私の指示を超えて指示されるのがやりづらい」

「板書を書き直しされるのが困る」等

具体的に困っていることを相談しました。

 しかし、それが逆効果に。

 校長がどう伝えたのかわかりませんが、私が相談した直後に副担任も校長室で面談をしたようです。

 そのあと副担任から私に直接謝罪があったのですが、そこから一気に状況が悪化しました。

 後から聞いてわかったことですが、私が副担任の悪口を校長に言ったということになっていたようです。

 事実と全く違いますよね。

 もちろんそれを職員室中に広めていました。

 副担任とお局様は大の仲良しだったため、悪口がエスカレート。

 今まで二人でコソコソやっていたものを、周りの人を巻き込んで私に悪口を言っていじめるという行為に発展していきました。

 帰ろうとすると仕事を振られたり、

 自分の仕事を私におしつけて、その出来がダメだと批判して、結局自分で作ったもので仕事を進めたり、

 子どもに私の悪口を言ったりと、ありとあらゆる方法で嫌がらせをしてきました。

 これも4月です。

 本当にひどいと思ったのは、この年私の祖母が亡くなった時の話です。

 同じ敷地内に住んでいた祖母でしたので、本当にショックでした。

 祖母の葬式が終わり、翌日に出勤した時、私の机上に一枚の手紙が置いてありました。

 内容は、組合で土日一泊で出張という手紙でした。

 出勤したのは金曜日です。

 翌日に宿泊しろと。

 それを決めたのは分会長でもあったお局様です。

 さらにひどいことに、この宿泊は希望制でした。

 つまり、宿泊しなくてもいいし、なんなら私じゃなくてもよかったんですよね。

 ですが私に確認もせずに宿泊となっていたのです。

 身内の死ですらないがしろにしやがったこの最低な人間に心から憎悪の感情が湧いたのを忘れられません。

 発言権があり、みんなが恐れていた二人でしたので、誰にも助けてもらえず、毎日一人で耐えていました。

 小さい学校のため、男性教員で一番年齢が近い人でも20歳以上の教務主任ということもあって、相談相手もおらず、本当に孤独な闘いでした。

<エピソード5>「保護者への悪口」

 ここまででも十分ひどいと思いますが、さらに私の学級経営を攻撃する行為が行われていたのです。

 当時副担任として働いていましたが、以前複数クラスがあった時代に担任をしていたそうです。

 二人とも在籍年数が長かったため、卒業生に担任をした子が多く、兄弟がいる保護者とは今でもつながっていました。

 それを利用し、私のクラスにいる知り合いの保護者に私の悪口を散々言っていたのです。

 これ、最低ですよね。

 はっきり言って先生向いてないですよ。

 保護者に悪口を言うもんですから、その子どもと信頼関係を築くのが難しくなりました。

 40人学級でしたから、もともと大変な学級だったんですが、日に日に収拾がつかなくなっていくのが目に見えてわかりました。

 生徒間トラブルが多発し、解決しないうちにまた次のトラブルが発生する。

 いじめられていたので誰かが助っ人に入ることもなく、全部ひとりでやるためスピード感も出ずにズルズル長引くことも多くありました。

 この時からですね、辞めようと決意したのは。


4.乗り切った方法

 ここまで読んできて、いかにひどかったかもうおわかりですね。

 本当につらかったですね。今思い返しても嫌いだなって心から思えます。

 では、そんな状況にあっても辞めなかったわけですから、どうして辞めなかったかをお話していきます。


「放課後は教室にこもる」

 職員室にいれば常にいじめの対象でした。

 コソコソやられるのも気分が悪いですし、私に聞こえるように悪口を言うこともあります。

 よく筆談で悪口も言っていたので、私はその証拠を写真でたくさん集めました。

 それくらい悪口が日常でした。

 ですから、職員室にいると気分が落ちます。

 仕事が手につきません。

 ですので、放課後になるとすぐに教室にこもるようになりました。

 体育主任でしたので、早朝やどうしても相談が必要な時だけ職員室に降りて教務主任と相談していました。


「仕事を先に先に済ませる」

 いつどんな仕事を無茶ぶりされるかわかりません。

 私の仕事の状況なんて関係ないですからね。

 しかもいつも急ぎで求められます。

 ですので、私の仕事はなるべく先に済ませるようにして自分の仕事が圧迫されないよう気を付けていました。

 しかし、モチベーションが下がっていた自分にはなかなかうまくいかないことが多かったですね。


「計画的に休む」

 私の心は限界を超えていました。

 涙が出る

 趣味を楽しめない

 動悸がする

 これ、家でのことです。

 子どもの前に立ってもただ時間が過ぎてくれとしか思えず、全く楽しくなかったです。本当に気力がなくなっていました。

 本能の安全欲求というやつですよね。

 限界が近づくと仕事をこなすことよりも自分を守ることが優先になります。

 私は自分を守るために計画的に休みました。

 具体的には、もう無理だと感じたら次の日の填補計画を考えておきます。

 プリントだったり、テストだったり、誰が入ってもいいように教室に準備しておきました。

 助けてくれない人たちにどう思われてもいいやと思っていたので、抵抗感なくできましたね。

 そして翌日、熱が出たので休みますと電話をします。

 一日ゆっくり休むことでかなり回復しましたね。

 これがなければ私はきっと長期で休みに入り、退職していたと思います。

 これは断言できます。



「転職活動を始める」

 もうこの状況から逃げ出したいと思った私は、転職活動を始めました。

 転職サイトに登録し、実際に履歴書を送るところまでいきました。

 この時に転職することはなかったのですが、社会で求められるということが嬉しかったです。

 この転職活動の副産物として、いつ辞めてもいいと思えるようになりました。
 
 それは今でも変わりません。

 いつ辞めてもいいし、どんな状況になっても自分でなんとかしてやるという強い前向きな気持ちを持っています。

 この経験が今のnoteの活動につながってるんだなと思います。


「自分が弱くないと気づく」

 精神的に追い込まれていた日々でしたので、

「自分はなんて弱いんだろう」

「自分が情けない」

 本当にそう思っていました。

 逃げ出すことを毎日考えていましたので、相当つらかったですね。

 そんな中、12月の朝、出勤するために運転している時にふと、

「あれ、おれ辞めてないし、出勤してる。

 弱くないじゃん、強いじゃん」

と思ったわけです。

 こんなにつらい状況でも仕事に通えていることに強さを認識したんです。

 その瞬間大泣きでした。

 ボロボロ涙を流しながら運転していました。

「おれ弱くなかったんだな」

 って本当に思いましたね。

 そこから少しですが気持ちが前向きになりました。

「合格した時に喜んでくれた人を思い出す」

 毎日どう辞めるか、次はどんな仕事をするか考えていた私ですが、つらい時には合格した時に喜んでくれた人たちを思い出して耐えていました。

 講師経験が数年あったので、その時にお世話になった先輩たちが本当に喜んでくれて、お祝いもしてくれました。

 こんな最低な二人のせいで先輩たちをがっかりさせたくないなと思えたのも、私がこの状況を乗り越えられた一つの要因です。


5.乗り切った結果

「異動のタイミングで謝罪された」

 これ、大逆転劇ですよね。

 この年、お局様が異動し、翌年副担任が異動しました。

 そのタイミングで「色々と言ってしまって申し訳なかった」と言われました。

 内心「今更自分のこと守ろうとして取り繕うとしても許さないよ」とは思っていまし、許す気にもなってません。

 まぁ「いつか私がもっとでかい男になった時に後悔させてやる」くらいに今は思っています。


「周りの先生からも謝罪された」

 これもお局様が異動した後の話ですが、

 周りで見ていた先輩たちから

「色々言われてたのわかってたのに助けてあげられねくてごめんね」

と言われました。

 こういうまともな人がいてくれたのも救いですね。

 二度と経験したくはないですが、その時誰にも助けてもらえずに自分で乗り切った経験が今は生きてると思っています。

「信頼できる職員ができた」

 一度私と同じようなことをされていた先生から信頼されるようになりました。

 私がいじめられていた時はお局様が怖くて何もしなかったですが、異動した後は、地獄を経験した者同士、より強い信頼関係で仕事をすることができました。

「自分の体験談を伝えられるようになった」

 このつらい体験を人に伝えられるようになったのは今では財産だと思っています。
 
 どんなにつらくて苦しいかわかるんですよね。

 だからそんな場面に出くわすと我慢ができません。

 しかるべき方法で勝負しに行ってしまいます。

 こんな経験絶対誰にもしてほしくないんです。

 だから私がこの経験を伝えることで、一人でも多くの人に力になりたいと思って今います。

「自分の可能性を広げられた」

 こんな経験をしなかったら本気で転職を考えることはなかったと思います。

 あの時転職活動ができたことで、今はいつ辞めてもいいという気持ちで働けています。

 そうすると気持ちが追い込まれにくくなるんですよね。

 それが仕事の余裕にもつながりますし、こうした執筆や動画撮影にエネルギーを回せるわけです。何があるかわかりませんね。


「教員実践理論を確立できた」

 これがいちばんの財産です。

 様々な経験をした結果、幸せに生きるために本気で考えることができるようになりました。

 そのためには働き方の概念から変えていかなければいかないことに気づきました。

 その集大成が「本能が求める魅力的な教師」です。

 この理論を確立できたことで、劇的に人生が変わりました。

 ぜひみなさんも実践してください。

 有料で販売しています。


 以上が、私が職場いじめ乗り切ったお話になります。

 今職場で似たような状況にある人、似たような状況の人が職場にいる人、そんな人を勇気づけるものとなれば大変うれしく思います。

 今では、この経験を力に変えられるくらい自分は強いんだって思えます。

 だから、みなさんも悩みすぎずに、周りの人をどんどん頼って乗り越えてください。



 最後に、YouTubeでも発信していますので、こちらもご参考にしてください。
けーた@本能が求める魅力的な教師理論 - YouTube



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!