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自由と責任、我慢と諦め

自由と責任、我慢と諦め

対義的に見えるが、「自由には責任が伴い」「我慢には諦めが伴う」

現代社会はかつての社会のような厳格な社会規範や制約が無くなり、人生の選択を比較的自由に行えるようになった。一見いい事のように思えるが、その自由な選択には責任が伴う。

「その道を選んだのはあなたでしょう?」
「頑張れなかった自分が悪いんだ」

つまり、自分の人生は誰かによって決定されるのではなく、自己責任で自分次第だということ。よって人はより良い人生を歩んでいくため、最良の選択をしようとする。だがそれは面倒で苦しいものだ。未来に確証はなく、どれだけ考えても正解は見当たらない。しかもその選択の結果、思い通りでない未来が待っていたとしてもそれは自分の責任だと、自責の念に駆られる。

人間関係や経済的に恵まれた暮らしだとしても、こうした日々の選択の自由による責任が、なんとなくの息苦しさ、不安をもたらしているのではないだろうか。


自分には年の離れた妹がいる。
末っ子ということもあり、甘やかされた結果、わがまま娘に育ってしまった。

妹が生まれてから兄である自分は我慢を強いられるようになった。妹は自分の要望が通らないと直ぐに不機嫌になり、グズり出すものだから自分自身でさえも自分の要望を通すことを諦めていた。

つまり、我慢とは自分の要望を通すことを諦めることである。我慢という言葉には「決して諦めずに耐えて凌ぐ」というイメージがあるだろうが、実は「諦めている」という側面もあるのではないかと思う。

伝えたかったことは、
自分が、あなたが、求めているものは本当にそれで間違いないのか?』ということ。

物事の本質を捉え直してみると案外自分が思い描いていたものとは異なることがある。
今一度捉え直して見たらどうだろうか。


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