将吾

'03(21) / 大学生 / 等身大の自分で生きる。

将吾

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等身大の自分で生きる。

初めてnoteに投稿します。 小学生から高校生にかけて新しいノートの使い始めは「今回こそは綺麗にまとめよう!」と最初の数ページは息巻いたものですが、その調子が続くことはなく、毎回途中で諦めていました。 そんなことを12年間も凝りもせず続けていた訳ですが、最近になってようやく「まぁいっか」と思えるようになってきました。 「最初は大事だから」と新しいノートの1ページ目のように気負うことはなく、ありのままの自分が今感じたことを好きなように書き連ねていく、そんな記録を残したいと思

    • 自由と責任、我慢と諦め

      自由と責任、我慢と諦め 対義的に見えるが、「自由には責任が伴い」「我慢には諦めが伴う」。 現代社会はかつての社会のような厳格な社会規範や制約が無くなり、人生の選択を比較的自由に行えるようになった。一見いい事のように思えるが、その自由な選択には責任が伴う。 「その道を選んだのはあなたでしょう?」 「頑張れなかった自分が悪いんだ」 つまり、自分の人生は誰かによって決定されるのではなく、自己責任で自分次第だということ。よって人はより良い人生を歩んでいくため、最良の選択をしよ

      • 直感に従って生きてみよう

        この2ヶ月間たくさんの人と出会いました。 そして、たくさんの価値観に触れました。 自分には考えつかなかった視点や価値観を知れてとても面白かったけれど、多種多様な意見に触れたことで何が正しいのかワケがわからなくなりました。 きっとどれも正しくて、どれも間違っているのだと思います。 自分はどうしたいのか?どうなりたいのか? 答えはシンプルで「楽しく生きたい」 ただそれだけ。 そりゃ誰だってそうだろって話なのですが、案外簡単で、案外難しいことのように思います。 正直に言

        • 「好き」と「愛してる」

          「好き」と「愛してる」がどう違うのか今まで理解できなかった。 この2つは延長線にあり、 「好き」<「愛してる」 なんだろうとなんとなく思っていた。 それも間違ってはいないのだけど、それだけでは無いと最近思った。 この違いは“1番に考えるのが自分なのか相手なのか”ではないか。 以前の記事で人が好きになるのは 「そのモノや人が自分を満たしてくれるから」ではないかと書いた。その人が自分を幸せにしてくれるから一緒に居たいし、相手にもそう思われていたい。デフォルメされた言葉ではあ

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        等身大の自分で生きる。

          次を感じる瞬間

          旅行先で行きたかったお店が臨時休業だったとき、落ち込んでいた自分に対して友人が 「また今度来た時に行こ!」 と言ってくれた。 それが妙に嬉しかった。 次があるんだと思った。 もし仮にその友人と同じ旅行先に行くことになったとしても、きっと数年かしばらく経ってからだろう。 この人は、そんな先の未来でも自分と旅行に行きたいと思ってくれている。 ただのフォローでそんなつもりは無かったかもれしないけれど、そう感じるような言葉だった。 この事があってから、 旅行などで出来なかったこ

          次を感じる瞬間

          加点方式の人生

          自分はもともと完璧主義者で、常に理想を追いかけていました。でも現実はそうも上手くいかず、理想と現実とのギャップに苦しみ、自己嫌悪に陥っていました。 この完璧主義は度合いの問題で、きっと多くの人が持っているのではないかと思います。 というのも日本は世界幸福度ランキング2024年で51位。決して上位とは言えない順位にいます。これについてテレビ番組か何かで行われていた討論が印象的でした。 コメンテーター曰く、 「日本人が不幸せを感じるのは日本が満ち足りているから。衣食住に困る

          加点方式の人生

          私は今を生きている。

          自分は現在大学3年生。(26卒見込みの就活生) 就活が早期化しているということもあり、既に自己分析や業界分析を進めていますが、先行きの見えない自分の将来に日々不安を募らせるばかりです。 最近、日常の変化や人から貰う刺激で少し疲れてきたので息を整えようと思い、長野県の上高地に行ってきました。 マイナスイオン溢れる自然に包まれて癒されたいという思いもありましたが、もう1つ目的がありました。 それは子供の頃の自分の感覚を思い出すため。 上高地には以前にも訪れたことがありまし

          私は今を生きている。

          ズタボロなプライド

          最近自分の足りないところをよく痛感します。 それはきっと成長の種で前向きに捉えるべきことなんだと思います。 でもさすがに多すぎる。 自分は身の丈程度のプライドを持っていると自負していますが、とっくにオーバーキルでズタボロです。 例えば… 「そんなの無理です!!」と自分が抗議したあとにさらっと解決案を出してくる後輩、 自分が最近得た気付きを「中学の時にはもう考えてましたよ〜」と語る後輩、 自分には無いとっても魅力的なアイデンティティを持つ後輩、 いやはや、後輩たちが

          ズタボロなプライド

          小さな一歩

          通学で利用しているバスでの出来事。 通勤・通学による混雑でなるべく詰めた方がいいと判断し、身障者向けの優先席に座っていた。 しばらくして途中のバス停でクラッチ杖をついたおじさんが乗ってきたので 「座りますか?」 と声を掛けた。それに対しておじさんは 「あぁ、いえ。大丈夫ですよ。」 と返答した。 断られるとは思っていなかったから少し気まずい思いで座っていたら、数個先のバス停でそのおじさんは降りていった。 おそらくおじさん的には 「あぁ、いえ。(あまり長時間乗らないから座らな

          小さな一歩

          無知の知

          自分は未熟だと自覚していることこそが少しは大人になれている証だと思う。 石橋を叩きに叩きまくってから恐る恐る渡っていた自分が大学生になってからは、新しいことに意欲的に挑戦するようになった。 ワークショップや留学など様々な活動を通して思い知ったことは、自分の知らないことが世の中には沢山あるということ。頭では理解出来ていたはずの当たり前のことだが、身に染みて実感した。 今まで積み上げてきた自分の知見を信じることは大切だ。しかし過信には気をつけなくてはならない。「もしかしたら

          無知の知

          好きのワケ

          ある時「サボテンが好きで生活の一部になっている」という同い年の男の子と出会った。 そんな第一印象インパクト抜群の彼と話していて何気なく 「なんでサボテンが好きなの?」 と聞いてみた。よくぞ聞いてくれました!と言わんばかりにサボテンの魅力を語ってくれるかと思ったら予想外の答えが返ってきた。 「サボテンの好きなところは沢山あるけど何故好きかと聞かれたら難しい…」 と彼は考え込んでしまった。 確かに改めて考え直してみたらある人やモノに関して好きな要素は簡単に思い付くけれど「何故

          好きのワケ

          虹は本当に7色か?

          “人は言葉を介さないと物事を認識出来ないのではないか”と自分は考えている。 かつての日本では虹は5色とされていた。これは別に虹の色自体が変化したのではなく、人々の認識に変化があったから。きっかけは英国の物理学者ニュートンによる光の研究。  “ 7 ” という数字はラッキー7などと言われるように縁起のいい数字として今でも定着しているが、当時の西洋においても神聖な数字だった。 ニュートンは虹の色が無限に変化していることを知っていながらもこれに習って “ 7 ” という数字にこ

          虹は本当に7色か?

          自分は恵まれている。

          1週間ほど前、自分にとってとっても辛いことがありました。端的に言えば  “1番信頼していた人を亡くしました”。 実際に亡くなった訳では無いのですが、その人が残してくれたものはちゃんと残っているのに、その人自身にはもう二度と会えないというのであれば、それは自分の世界におけるその人の“死”と同様なものに感じます。 そんな中でも気付けた幸せがありました。 「この別れが悲しい、辛い」というどうしようもない感情を共有したいと思える人がたくさん居ました。 大学の友人やバイトの同僚、高

          自分は恵まれている。