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崇教真光 肯定も否定もしない

なんでも信じやすいわたしは隙がいっぱいあっていろんな人を呼び寄せるようだ。新しい宗教団体ふたつからお誘いがあってどちらももうちょっとで入信するところであった。危なかった。
勧誘してきた人は温厚で人当たりが良く人格もできた人。わたしは人格を高めていくことが生きる目的だからそんな人になりたいと思うのだが一旦入信はやめておく。

だけど、それらの宗教について否定しているわけではなくいいところがない訳ではない。

先日、付近の大道場へ何らかの式典に行くのでついて来てみますか?って誘われ、深く考えもせず講義に参加した。

まず、礼拝の手順というか順序というか、一連の動作が分からない。わからないまま何もしないでいると職員さんが来てあなたは組み手さんではありませんね。とか何とか。
講義1時間ほどしてから、そのあと周りのみず知らずの人とペアを組んでお互いに手かざしをしてお清めをしましょう。って。わたしは信者ではないのでただ突っ立っているだけであった。

そんなこんなで無事に終わってホッとした。もうやめておこうと思う。こんな気持ちで参加するのは他の信者さんにも失礼だからだ。

この宗教は、近い将来の世界滅亡、破局を救うのは手かざしであり、信じ続けることで救われると。

日常においてもたとえば食品の添加物。醤油ひとつにも手をかざし添加物とかの毒素などを取り去り味も変わるという。

わたしのパートナーはその宗教の熱心な信者であって飛騨高山に遊びに行った際、崇教真光の本部の神殿に参拝に行く。この建物めっちゃお金かかっている。そこで御神酒をいただいて来た。ありがたい気持ちになり心から落ち着いたのであった。

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