貧困問題へ切り込む 「護られなかった者たちへ」
2018年に刊行された中山七里氏の書籍「護られなかった者たちへ」を読みました。2021年に映画化されています。感想を一言で表すと「とても切ない」。本作では、読者に対してスケールが大きな社会問題が提示されます。なんとかできないだろうか、と考えさせられるとともに、なんともできない虚しさを感じる話でした。
主人公は宮城県警捜査一課の刑事。仙台市の保健福祉事務所課長が空き家にて死体で発見されるシーンから始まります。手足はガムテープで何重にも巻かれ、口も塞がれています。身体全体の筋肉が異常に萎縮している状態。死因は餓死。拘束された状態のまま、2週間ほどかけて餓死したとの見立て。被害者は長い時間、絶望しながらじわじわ苦しんで死んでいった様が窺えます。強い憎悪が感じられる殺し方から、思い浮かぶ動機は怨恨。しかし職場や家族へ聞き込みしても、声を揃えて「彼は人から恨まれるような人間じゃない」。現場には犯人の遺留品も見つからず、捜査は暗礁に乗り上げる。被害者は、なぜこんな無惨な殺され方をされなければいけなかったのか。タイトルの「護られなかった者たち」とは誰なのか。
事件の舞台は震災から復興途上の宮城県。保健福祉事務所は、生活保護を取り扱う組織です。厚労省HPによると、全国の生活保護受給数は約164万世帯。仙台市は被災の影響もあり近年は生活保護の申請が増加しており、特に高齢者世帯の割合が増加。さらに県内の生活困窮者が仙台市へ流入してくる状況もあるとの事。しかし市の予算は逼迫しており、案件の取捨選択をする必要がある一方で、認可されなかった案件に対するセーフティネットはない。
冒頭の殺人事件の背景として、貧困・生活保護の問題が併せて描かれていきます。犯人の姿を追うにつれてその動機も垣間見え、「護られなかった者たち」には様々な意味がある事に気付きます。ネタバレ回避のため詳細は書きませんが、「護られなかった」と過去形で書かれている通り、起こった事はもはや取り返しがつかない。今後そのような事が起こらないように改善しましょう、という提案は出来るかもしれませんが、すでに悲劇が起こってしまった個人に対しては慰めにならない。失ったものは取り戻せない。そう言った意味で、切なさと虚しさを感じる話でした。一番心に残った言葉…
護られなかった人たちの辛さを知るとともに、大事な人を護る事ができなかった人たちがそれをどのように乗り越えるか、も大事なテーマと感じました。タイトルの「護られる」は、受け身と可能のダブルミーニングなのかもしれません。なお映画では阿部寛さんが刑事役。うん、目に浮かびます。興味ある方はどうぞ!