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中山道さんぽ02(板橋宿〜蕨宿)
さんぽ概要
区間:01板橋宿〜02蕨宿
タイム:3時間30分+蕨宿をうろうろ2時間くらい
距離:14.8km(累計28.3km)
歩数:21,582歩(累計41,615歩)
パン屋の数:1店(累計13店)
費用:688円(累計2,785円)
ファミマのツナマヨおにぎり 138円
カヌレとわらび餅 550円
※ 距離は、寄り道やら蕨宿内をぐるぐるしたりしているので、全く最短距離ではありません。
今回は01板橋宿から02蕨宿まで。
実は2回に分けて歩いたため、天気が途中で変わります。
板橋からスタートです。
今回からYAMAPアプリで通ったルートを記録します。
YAMAPアプリとは登山アプリです。登山はしないのですが、「地図なし活動」という機能があり、ウォーキング時の歩いた軌跡、時間、標高差、休憩時間を記録してくれます。
この機能を使うと何より嬉しいことは、歩いた軌跡が日本地図上でまとめて表示されることです。京都まで歩けば最終的に一本の中山道をたどった線が表示されるはずです。
ただ、日本橋〜板橋間は起動していなかったので、そこは最後まで色が塗られないんですよね。残念。
もう一回、地図を塗るためだけに歩きなおしてもいいぐらいです。
さて、前回の終着地「板橋」をスタートしてすぐに、右手に交番がある本町にぎわい広場が現れ、上宿の説明看板があります。
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そしてすぐ近くに縁切榎がありました。
縁切榎
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縁切榎は、男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時に、この榎の皮を削ぎ取り煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされ、霊験あらたかな神木として庶民の信仰を集めました。
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幕末に皇女和宮(かずのみや)が徳川家茂に嫁ぐ際は中山道を通って、江戸に向かいました。
結婚する和宮にとって、縁切り榎は縁起が悪いことから、榎のそばを通らないよう迂回しています。
ただ、近代以降は難病との縁切りや良縁を結ぶという信仰も広がっているそうです。
ちなみに、和宮の降嫁とその生涯については、この説明が分かりやすいです。
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環状7号線とぶつかるあたりで板橋宿は終わりです。
パン屋ではありませんが、細い旧中山道が国道17号(新中山道)と合流するころに、かわいい菓子屋が現れます。
2024年2月にオープンしたばかり。菓子店 アンとピッコリーノです。
菓子店 アンとピッコリーノ
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カヌレとわらび餅をいただきました。
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カヌレたちももちろん美味しいですが、何よりデザインが可愛いです。
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店の先では、旧中山道が国道17号線(拡幅された中山道)と再び合流し、幹線道路の歩道をまっすぐ歩き続けます。
都営三田線「本蓮沼」駅を過ぎたところで、右手に氷川神社、南蔵院があります。
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南蔵院は八代将軍徳川吉宗による戸田・志村原の鷹狩りに際して御膳所となりました。
・鷹狩り 飼いならした鷹を山野に放って鶴、白鳥や雁などを捕える狩猟方法のひとつ。古墳時代には日本へ入っており、中世以降武士の間で普及、近世で盛んに行われました。江戸時代に鷹狩りを行えるのは将軍や大名に限られており、徳川家康は鷹狩りを好み、冬季はほとんど鷹狩りにでていました。
・御膳所 将軍が鷹狩りの際に昼食を取ったり休息する場所。
氷川神社は蓮沼村の鎮守、南蔵院は蓮沼村の名主(なぬし)を開基とします。
元々、蓮沼村は坂下の低地にありましたが、荒川の洪水に悩まされ、坂上にある蓮沼駅付近に1600年代には移転していたようです。
今や立派な堤防があるため、川沿いまでびっしり建物が建ち並んでいますが、「志村坂上」駅を過ぎると、一気に坂を下り、低地ゾーンへと変わります。
「志村坂上」駅付近には、志村一里塚があります。対で2基とも残っているのは非常に珍しく、特別史跡(遺跡の国宝)に指定されています。
志村一里塚
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一里塚とは、徳川家康が街道整備にあたって、江戸日本橋を基点として一里 (4km弱)ごとに、道を挟んで2基ずつ塚を設置させたものです。
残念ながら、明治になると1876(明治9)年に一里塚の破壊を命じた法(内務省令乙第120号)が定められ、多くの一里塚が姿を消しました。
これは、測量法の不統一により一里がそもそも不正確であったこと、場所をとること、1873(明治6)年から一里塚の代わりとなる里程標の設置を始めていたこと、廃棄と道路整備の請願が出されていたことなどの理由がありました。
にも関わらず、志村一里塚は中山道の工事にあたって石積みをされ、保護されました。謎ですね。
また、一里塚のそばには原木商として創業した齋藤商店があり、現存する1933年築の建物は登録文化財に指定されています。
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駅近接なので、絶対にマンション適地
木造の齋藤商店は、一里塚と合わせて昔の雰囲気を伝えています。
残念なのは、江戸側から向かって左側の一里塚の裏側が喫煙所になっていたことでしょうか。特別史跡のすぐそばが喫煙所ってどうなんですかね。
志村坂上交差点付近で、一度細い旧中山道に分岐します。
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ふと、足下を見ると
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ここには富士・大山道への道標があります。
富士・大山道とは、霊山である富士山や神奈川の大山に通じる道で、この場所で中山道から分岐していました。
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江戸時代は富士山を信仰する民間信仰である富士講が江戸では盛んでした。
さらに進むと大きく曲がる急な下り坂が現れます。
清水坂と呼ばれ、武蔵野台地上から荒川低地へ下っていく急坂で、江戸から京都に向かう旧中山道における最初の難所とされています。
清水坂
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ここに休憩所が置かれていました。宿と宿との間に休憩所があれば、それは間の宿(あいのしゅく)と呼ばれます。
・間の宿 宿場と宿場の間にある休憩所。正規の宿場でないため、宿泊する場所はない。宿場間の距離が長い、難所の手前であるといった理由で発展していることが多い。
宿泊不可なのは、間の宿で宿泊できてしまうと正式な宿の経営が成り立たなくなるため。
坂を下って国道に戻り、再度旧中山道に入って、また国道に戻りました。新河岸川(しんがしがわ)を超えたらパチンコ屋の手前を右折し細い道を歩きます。
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左手にあるのは、舟渡の板碑です。
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板碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて親や自身の死後の供養のために造立された石製の供養塔です。
荒川上流で産出する岩を板状に加工し、上部を山形に成形、二条線を施した武蔵型という特徴があります。
・条線 鉱物の結晶面に発達して見られる、多数の並行な筋(線模様)
1477年ごろに作られた板碑もあるようですが、囲われていてよく見えません。
まっすぐ進むと、荒川の土手です。迂回しながら堤防を登ると、戸田の渡し場です。
ここまで歩いてきて薄々感じてましたが、やっぱり車で旧中山道をたどる場合、行けない場所が多く、歩道にある看板の説明も読めないので、(今のところ、都会では)徒歩じゃないと旧中山道さんぽは厳しいですね。
戸田の渡し場
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江戸防衛のため、荒川に橋はかけられず、常に対岸に渡るための舟と人馬がいました。
「舟渡」は、「船」ではなく、「舟」なんですよね。何が違うのか調べてみたら以下の解説がありました。
ふねをあらわす漢字には舟、艇、船、舶などたくさんありますが、どの漢字も意味は同じです。現在は船の大きさによって漢字をつかいわけています。舟はごく小さく人の力で動かすふねです。艇は小型のふねで短艇、艦艇などとつかわれます。船は小型から大型のものまでもっとも広くつかわれています。舶は大型のふねを意味します。ですから船舶というと、小型から大型まですべてのふねをさします。
「舟渡」って打とうとすると、毎回「船」がでてくるので気になりました。ちなみに「船」と「舟」、どちらも「くり抜いた丸木舟」が由来であることには変わりないです。
荒川を渡ります。この橋は自転車が多くてやや怖いです。
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土手が広すぎて荒川自体は見えない
ここから埼玉に入ります。
旧中山道の道筋(約200m)がかろうじて残っている戸田渡舟場付近には川岸ミニパークという公園があり、木造の案内板があります。地図が木彫りで色がついているのが可愛いです。
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右手には戸田市内最古の木造建築物、地蔵堂があります。詳細はよくわかりません。
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黒猫が旧中山道を横切ります。黒猫好きです。魔女の宅急便のジジが好きです。
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菖蒲川を渡ります。
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ムクドリが電線の上で食事をしていました。夕方に群れになって公園などに集まり、喧しく鳴いたりします。
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この後も国道17号線と一本隣の細い道を交互に歩く感じになります。再び国道17号線に復帰すると、歩道の柵に「戸田の渡し」の風景が描かれています。
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本町交差点で右折し、一本内側の「下前公団通り」を歩くと大規模な緑地のあるUR戸田団地、グランシンフォニアを横切ります。
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下前公団通りの終わりに、旧中山道の道筋(約80m)がちょっとだけ復活します。
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国道17号に戻り少し歩くと、蕨宿の入口です。
蕨宿の入口
舗装の色も変わり、側溝も「わらび宿」バージョン、古い木造住宅も何軒か見かけます。
店舗の看板なども統一されており、蕨宿の景観を守ろうとしている感じが好印象です。
蕨駅から遠く離れていたことが逆に旧来の街並みを残すことになったのかもしれません。
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普通に街道沿いを歩いていると見つけにくいのですが、街道脇の看板を覗くと「子供のころの思い出マップ」がありました。
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蕨宿には何個もこういったマップがあるのですが、特にこのマップに描かれている絵がめっちゃかわいいんです。表紙のカエルさんもここからです。
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この人が描いた絵葉書とか欲しい。
他のマップもそれぞれ個性があります。
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そういえば、蕨の地名の由来は、植物の「蕨」に由来する説、藁が燃える様の「藁火」に由来する説があるそうです。
朝早くに家を出たのですが、このあたりで、もうお腹が減りすぎて倒れそうだったので、ファミマでツナマヨおにぎりを買って食べました。
江戸時代だったら、お茶屋で食べるか、宿でお弁当におにぎりを詰めてもらっていたようで、下記リンクで江戸時代の携帯食について書いてあります。
蕨宿の中ほどには、蕨本陣跡(蕨市指定文化財)及び蕨市立歴史民族資料館があります。蕨本陣跡は修復工事がなされ、立派です。
蕨本陣跡
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蕨本陣の名主は岡田家が務めました。
蕨市立歴史民俗資料館
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歴史民俗資料館の前がなぜかゴミ置き場になっており、カラスがゴミ袋の中から鶏肉の皮を見つけて食べていました。
カラスはゴミを漁るのとダミ声で鳴くのでみんなから嫌われていますが、歩き方がペンギンみたいにトコトコ歩くので、静かにしていれば可愛いです。
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魔女の宅急便に出てくる絵描きのお姉さん「ウルスラ」もカラスを愛でていました。ウルスラ役の声優を務めた高山みなみさんは、キキ役も務めていますし、なんといってもコナンくんをやっています。言われてみればコナンくんぽい声かも。
歴史民俗資料館は9時開館。入館料は無料です。お客さんは他にいませんでした。
常設展は蕨宿についての説明で、勉強になります。
道沿いにたくさんある庚申塔についても、説明がありました。
60日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日に、長寿を願って徹夜して過ごす行事を庚申待(こうしんまち)といいます。これは江戸時代以降庶民の間で盛んに行われ、結成された庚申請の講中により建てられた庚申塔は、全国各地に見られます。
道教(どうきょう)の教えに基けば、庚申の日には体内に住む三尸(さんし)という虫が人間の睡眠中に脱け出し、天帝(閻魔大王)にその人の罪過を報告し、寿命を短くされたりすると信じられていました。
このため、この虫が天に昇れないようにするために、人々は集まって一晩寝ずに酒盛りなどをして過ごしました。
庚申待については、今期の大河ドラマ「光る君へ」でも描かれたらしいですね。
なんだか一晩、酒盛りするための口実のような気がしますが、イスラム教のラマダンでも日没後には豪華な食事をするらしいので、コミュニティを結束させる儀式兼お祭りという感じでしょうか。
また、資料館には旅籠屋や大名が泊まる上段の間、商家が展示されているのですが、面白いのは食事です。
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普通の旅籠での庶民の食事と大名の食事が展示されています。大名の食事の品数が多いのは当然ですが、何より米の量がすごい。大名の米は大盛りです。
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確かに江戸時代は本当に米を食べまくっていたと聞きますが、庶民と大名のこの米の量の差は正しいんですかね。他の場所の展示も見てみたいです。
さて、蕨宿の説明が遅くなりました。蕨宿には1843年時点で本陣2つ、脇本陣1つ、旅籠が23軒ありました。
(再掲+α)
・本陣 大名や公家の宿泊所。空いてても庶民の利用は不可。門に玄関と書院、上段の間を設けているのが特徴。普通の家は門を作れません。
・脇本陣 本陣の予備。大名が本陣に泊まる時、家臣や従者は脇本地に泊まる。また大名より偉い勅使などが到着したら、大名は本陣から脇本陣に移る。空いてれば庶民も宿泊可。
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そして、カッコ良すぎる名前の資料に出会いました。
「和宮様御下向御道筋 御休泊所御名前附」
自分の旅のしおりにも
「蜻蛉様御上洛御道筋 御宿泊所及御休憩所御名前附」
と、タイトルをつけたいぐらいです。
この資料は和宮様の宿泊、休憩、昼食場の予定表ですが、例えば、桶川の次の宿泊所が板橋で結構歩きます。
江戸時代の旅人は1日30kmから40kmぐらいは歩いていたみたいですが、自分は25kmくらいが今のところ限界です。何も写真を撮らず、立ち寄らず、黙々と歩けばもっといけるかも知れません。
日本橋から桶川まででちょうど40kmです。この距離を一日で歩いてたんですね。
また、ここでも旅道具がいくつか展示されていました。
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一通り見終わったので、実は通り過ぎていた資料館の分館に移動します。
分館は10時オープンなんです。お気をつけください。
蕨市立歴史民俗資料館 分館
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分館は明治時代に織物の買継商を営んだ旧家を公開しています。建物は中山道沿いの建物が明治20(1887)年に作られ、そのほか戦前、戦後に増築されてきました。
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中に入ると、おばちゃんが掃除しています。私に気づいたおばちゃんから大きな声で挨拶をされました。
「おはようございます!!」
「あっちの明治時代の電話ボックスを是非見て!」
「お店の天井が低いの見た? なんでか分かる? クイズです」
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怒涛のラッシュ。そして、突然のクイズ。
「ここは織物商を営んでいて、上を倉庫にしてたから。すごいよね」
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「あと、この天窓も良いのよ。自宅にもあるんだけど。明るくてね」
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たしかに、天窓は明るくて良かったです。
「渋沢栄一直筆の作品、是非見てって。お庭も是非」
「大学生?えっ。社会人?」
「今日はお休み?えーー、若いわぁ」
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渋沢栄一の書には、進徳脩業と書いてあります。
和室ゾーンは立ち入り不可で屋外からしか見ることができなかったのですが、おばちゃんが私のiPhoneで撮ってきてくれました。私が2倍ズームで渡してしまったので、見切れてます。
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進徳脩業とは、中国五経の一つ、易経「君子進徳修業、忠信所以進徳也」に由来し、「君子は徳に進み業を修む、忠信は徳を進める所以なり」と読むようです。
おばちゃんによると「日々頑張って、徳を積む」的な説明でした。
ネット検索すると「生涯を通して豊かな思いやりのある優しい心を持ち、学問に精進し、たゆみなく自己の向上につとめる」と書いてありました。
いい言葉。
本物なのか?渋沢栄一は何か関係あるのか?と尋ねたところ、
「本物じゃなきゃ、要らないわ」
「関係はないの!ここの商人が好きだったんじゃないかしら」
強く、素晴らしい回答。
また、渋沢栄一の書が掲げられている和室はお茶会を開く場でもあったので、石庭で有名な京都龍安寺のつくばい(蹲)を模したものがあります。
つくばいとは、茶道の習わしでお茶会の客人が這いつくばるように手を清めたのが始まりだそうです。
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外側に書いてある文字と真ん中の口を共用して、時計回りに一文字の漢字として読めば、「吾唯足知(われただたるをしる)」となります。これもおばちゃん一押し。
いまや国内では作る人がいない型板ガラスに向こう側が少し歪む昔のガラスなどもおばちゃんの一押し。
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これも今や珍しい
知らないことばかりで、勉強になります。
立派なお庭には菖蒲が咲き、ナミアゲハが飛んでいました。
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パワフルなおばちゃんも含めておすすめの場所です。
次来たら、創業250年の「うなぎ今井」で鰻を食べたい。隣の浦和宿と蕨宿はうなぎが名物でした。
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分館も後にして、旧中山道から右手に新しい蕨市役所があります。
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板橋宿〜蕨宿で見る唯一のパン屋です。
パン屋13号 パン工房いちょう
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これは景観計画的にアウトな色使いではないか
と思ったけど、建物に付属してないからOK?
さらに進もうとすると、遠くに立派な門が見える参道がありました。
蕨宿からなかなか抜け出せません。お寺の三學院です。
三學院
家康より御朱印二十石を受領し、歴代将軍から保護されました。大規模かつ豪勢で立派な社殿がたくさんあり、徳川家から保護されていたのも納得です。
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街道の終わりには、徳丸家はね橋があります。今はコンクリートで塞がれていますが、飯盛女や助郷が逃げ出さないように夜には橋を跳ね上げたそうです。
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というわけで、ようやく蕨宿が終わりました。今回の記事はここまで。
蕨宿には大体2時間近く滞在していたと思います。見たい、立ち寄りたいコンテンツが多く、この記事書くのもけっこう時間がかかりました。
蕨宿は駅から遠くて不便ですが、天気の良い日に資料館や分館の庭を見て、鰻を食べるのが良さそうです。
次回、02蕨宿〜03浦和宿に続きます。
距離が短いので、あっさり記事を書けることを期待します。