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銀座~有楽町界隈の住所にまつわる話「番外地」とは

日々住所データとにらめっこしていると、深堀せずにはいられない住所に出くわす。例えば、

東京都中央区銀座西2-2先

これは銀座インズ2という商業施設の住所である。銀座と有楽町の間、首都高の下にある商業施設だ。

この住所には奇妙な点が二つある。
まず、東京都中央区に「銀座西」という地域名は現在存在しない。
1968年の区画整理の際に「銀座」に統合されたからだ。半世紀以上前の地名を未だに使用するのはなぜなのか。日本の住所が複雑になっている理由はこういうところにあるのではないか?最後の「先」ってなんだよ

「銀座」地名の歴史

「銀座」の地名の歴史をギュッとすると以下のとおり。
・1930年 現在の銀座1~8丁目は西から銀座西/銀座/木挽町に分かれていた
・1951年 木挽町→銀座東に変更
・1968年 銀座西/(旧)銀座/西五番街通り→銀座に統合
・1969年 銀座東→銀座に統合(現在の銀座1~8丁目が完成)

ざっくり図解するとこんなイメージ?

地名は銀座に統一されたものの、街のブランドとして並木通り界隈を「西銀座」、歌舞伎座・新橋演舞場界隈を「東銀座」と呼ぶ通称名についてはそのまま定着。東銀座が地下鉄の駅名になったのは1963年。定着にもほどがある。しかし、通称名としての「西銀座」と旧地名の「銀座西」とでは意味が全く違ってくる。なぜ存在しない地名を使い続けているか。なぜなんだ、住所を複雑にするのはやめろ!

話は「銀座インズ2」に戻って

商業施設銀座インズ2の具体的な位置こちら

あくまでお手製のざっくり地図

前述のとおり、銀座インズは首都高の下にある。首都高のこの部分は外濠川を埋め立ててできている。川というのは境界線になることが少なくないが、ここも銀座と有楽町、ひいては中央区と千代田区の境界線となっている。
そして運営する東京高速道路は不動産事業としてこの境界線が曖昧な高架下にテナントビルを設置した。境界線未確定なまま。
そのテナントのうちのひとつが銀座インズだ。

1958年、当時は有楽フードセンターという施設名でオープンした。最初は有楽町への帰属意識もあったというところが未確定地域らしくておもしろい。
この未確定地域の住所をどう表現するか。京都通り名風に言うなら、外濠通り有楽橋(交差点)といったところだろうか。
未確定地域ゆえに街区表現では当時の住所名であった「銀座西2丁目2」の先、としか言いようがなかったのだろう。

その後、銀座西は銀座に統合されるが便宜上の通称名とはいえ、いや、通称名であればこそ、西銀座というブランドを含めてせっかく定着したものを改める義理はない。
ただし、これは銀座インズの考えであり、たとえば同じ高架下に店舗を構える西銀座デパートは「東京都中央区銀座4-1(先)」である。店名に西銀座ブランドを掲げているので、住所は現行に寄せているのだろうか。つまりそこは番外地に店を構える側の自由、ということなのだ。

Googleストリートビューで見るとここ

画像は、西銀座デパートを向こうに外堀通りを挟んだところから撮った住居表示板と交差点名称の看板である。手前の住居表示板は「銀座」だが、交差点のそれは「銀座西」だ。交差点名というのは古い地名やシンボルなどの痕跡をそのまま残すことがあり、これはその典型例とも言える。
住所処理を生業とする者としては厄介な話ではあるが、住所雑学としては大変面白い現象だ。