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内なるスコアカードを大切にすることの意味

今日は内なるスコアカードと外のスコアカードの違いについて書きます。
内なるスコアカードと外のスコアカードの違いを見分け、活用することは、この現代社会を生きる上で、持っておくと何かと助かる思考の道具です。
この言葉を私がはじめて知ったのは、ロルフ・ドべリ著『Think Clearly』(サンマーク出版)においてでした。
内なるスコアカードとは、自分自身の内側の基準です。
それに対して、外のスコアカードとは、世間の基準です。
つまり、「自分の内側にある自分自身の基準が大事か、それとも周りの人の基準が大事か」(ロルフ・ドべリ著『Think Clearly』サンマーク出版より)ということです。
石器時代において、周りの人とは、自分が暮らす村や少数の集団でした。
だから、比較する対象の幅がいまよりも、ずっと狭かった。
一方で、現代社会では、電子メディアが発達していることもあり、周りの人・世間(の基準)とは、自分の家族や親戚、地域のコミュニティから、世界全体へと広がっています。グローバル化が進み、貧富の差が広がった現代では、比較しようとしてしまうと、きりがないのです。
外のスコアカードは、いまや世界サイズになりました。
一方で、内なるスコアカードの意義は忘れられがちです。
内なるスコアカードを大切にすると、他人の評価から自由になれます。
心の平静を得られるし、人生における重要な判断にも、役立つのです。
具体例を用いて説明します。
【A】先ほど、お邪魔した親戚の家にあるテレビをつけたら、大金持ちの誰かの家をお披露目するという内容の番組がありました。くだらない番組です(すぐにチャンネルを変えました)。
もう一つ補助的な例を。
 【B】SNSで、豪勢な家や車や豪華な服を着た裕福な他人が写真をあげているとします。
内なるスコアカードを使ってみましょう。
自分が大切にする内なるスコアカードは富や外見といった外のスコアカードではなく、知性や精神性である。
知性や精神性とは、情緒や教養、倫理的なバランス感覚を含めた人間としての総合的な判断力や賢明さ、人間的な豊かさのことを指します。
言い換えると、自分が尊敬するのは、そのような知性や精神性を兼ね備えた、偉大な哲学者、エピクテトスやマルクス・アウレリウスのようなストア派哲学者、インド独立の父、ガンジーやブッダ(仏陀)である。
おわかりのように、この例の場合、外のスコアカードは、テレビやSNSといった自分の暮らしているコミュニティの外から運ばれてきました。
けれど、自分は何を大事にするかという、内なるスコアカードを守ったため、カウンターできたのです。
外のスコアカードとは、この例の場合は富や外見でしたが、具体例はいくらでも考えられます。
読者のみなさんも、自分の日常生活に即して考えてみてください。

内なるスコアカードは、「尊厳の輪」とも関りがあります。
尊厳の輪とは、いかなる条件でも、いかなる事情でも、いかなる論理でも、絶対に譲れない自分の優先事項、主義、信念、マイルールのことです。
一例では、100億円を手にする代わりに、自分や家族が慢性的な不眠症になってくれないか、と頼まれたとする。
尊厳の輪に、当然ながら、健康や生命が含まれるので、私の回答は全面的なノー(拒絶・防御)です。
しかし、この例のように、尊厳の輪への攻撃が、決してわかりやすいものではなく、気づきにくいことが往々にしてあることを忘れてはなりません。
それは社会的であったり、文化的な潮流、時代的な潮流である場合もあります。
慢性的な不眠症となってくれないか、と誰か特定の人物が直接伝えてくるかたちでは必ずしもないかもしれない。
例えば、スマートフォンに依存状態になり、不眠症になっているとする。
この場合、尊厳の輪へ攻撃しているのは、スマートフォンを普及させることによる利権かもしれないけど、そこまではっきりとはわからない(一考を求む)。
あるいは、異常な長時間労働が当たり前になっている会社があるとしたら、尊厳の輪への攻撃を防ぐには、最初からその会社で働くのを避けるか、辞職するかを選ぶことができるかもしれない。
このように、例を考えてみると、この限りではもちろんない。
最初からははっきりとはわからないので、尊厳の輪とそれへの攻撃を、じっくりと考えてみる機会があったほうがいいと思うのです。
私自身も、これから時折、もっと深く考えてみようと思います。

話を戻します。
内なるスコアカードとは、自分自身の内側の基準です。
言い換えると、自分が大切にする基準のことです。
それがないと、この不安定な世界では、誰かに不本意に利用されてしまったり、意識的・無意識的を問わず、よくない影響に対して、防御することが難しいと考えます。
では、内なるスコアカードをどのように確立するのか。
最も適しているのは、やはり読書です。
書店に通って、くまなく見るのを習慣にするといいと考えます。
古典を扱った岩波文庫を読むのもいいです。
哲学者の本を読むのもいいと考えています。
SNSだとエコーチェンバーやフィルターバブルがあって、自分の嗜好に合うコンテンツしか表示されないという問題があるそうです。
かなり偏ってしまうんですね。
テレビもだいたい同じだと思います。
というよりも、内なるスコアカードを見失ってしまう原因は、SNSやテレビ番組の影響が大きいと思います。
最後に。Noteの書き方についても内なるスコアカードを大事にすることはできます。スキがたくさんついて、閲覧数が大きいかどうかよりも、自分らしい自分自身が満足する作品を書けるかどうか(内なるスコアカード)。

内なるスコアカードについては、もっと書けることがある気がしますが、今日はこのへんで。終。
















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