見出し画像

結婚は人生の墓場?

高校時代の担任の先生が、そう言ってたんです。
飄々とした、面白い男性教員でした。そういうダークなことも、さらっと言ってのけるキャラ。

世界的な格言なのでしょうか。娘ざかりで、まだ結婚の現実なんか知らない、むしろ憧れしかなかった私たちは

えーっ!?(笑)


とか言ってました。担任の先生は「実は女好き」みたいなキャラだったので、自由がなくなる、ぐらいの意味で言ったのだと思います。

でも、日本に限って言えば、現代の結婚は昔と比べると、場合によってはリアルに墓場だと、少し前に思ってしまった私です…

今回は、江戸時代の続き、明治から現代(戦後)にかけての、結婚のありようをみていきましょう。



現代の結婚観は明治以降のもの


私たちが「常識・多数派」と考えてきた「女性が男性の姓を名乗り、男性の家に嫁ぎ、子どもをもうけ、家事育児を全面的に引き受け、一生添い遂げる」というものは、ほぼ明治以降につくられたものです。

ちなみに、男性の姓を名乗る結婚も明治以来で、それ以前、日本の庶民には苗字そのものがありませんでした。

苗字を名乗ることを許されていたのは武士身分以上の者のみで、人口の6%、その婚姻に際しては、夫婦別姓制度でした。

歴史で有名な北条政子も、日野富子も、別姓です。


女性の無権利化がはじまる


日本での夫婦同姓は明治民法(1898年)以来のことで、この民法によって日本の「家」制度と戸籍制度が確立され、

「戸主及ビ家族ハ其家ノ氏ヲ称スル、妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」

という条文が示すように、女性が男性の家に入る嫁入り婚になっていきます。

これに先立つ1889年(М22)には大日本帝国憲法と衆議院議員選挙法が発布され、選挙権は国税15円以上納付する25歳以上男子のみ、被選挙権も30歳以上男子のみなどと、女性の無権利化が始まり、それを追随し補完するたの民法でした。

その主な内容は・・・

<戸主権>
  子女の婚姻の許可、家族員の居住地の決定
<親権> 父親に属す
<家督相続> 男子優先
<財産管理維持>
   女性は準禁治産者扱いで無能力とされる
<本籍地> 現住所と無関係に「家」の所在地

縦型主従システムによる家父長制


この明治民法によって「家」を一つの国家モデルとし、天皇に見立てられる「家長」に絶対的な支配権・命令権が与えられ、天皇を中心とする明治憲法下の中央集権国家の支配と同様に、どのような命令をも絶対視させる縦型主従システムによる家父長制がつくられたのです。

それ以前は女性の家督相続もあり、離婚再婚も頻繁にありました。

人口1000人あたりの離婚率は、明治半ばまで、統計が発表されている諸国の中では日本がトップで、1883年(明治16年)の離婚件数12万7162件、離婚率3.39は、2005年の2.08と比べると、その高さがわかります。

※ 出典が2009年に出版された本なので、
 それまでの情報になっています。

しかし、明治民法が施行された明治31、32年に急激に低下しました。

ちなみに。

この明治時代の前半期は早婚で、14歳以下でも結婚していました。

娘盛りは14〜17歳までで、貧民層においては、婚約なし、仲人なし、挙式なしの同居というのが結婚であり、これは昭和30年代まで続いていたそうです。

戦後の結婚…性別役割分業


戦後は、新憲法の下、明治民法下での「家」制度は廃止され、両性の平等と合意で、自由な結婚が制度的には保障されました。

しかし、戦後の結婚にも戦前的な名残が多くあります。

個人ではなく家族・家庭を主体とする意識と、家族全員を筆頭者中心に記載する家族主義の戸籍制度は残ったままです。

男女の平等も、高度経済成長時からの、新しい「男性は仕事、女性は家庭」という性別役割分業によって、家族のために資金を稼ぐ夫と、家事育児を全面的に受け持つ妻(専業主婦)という形で大きな不平等を抱えました。

働き方や意識も、女性は30歳定年や、結婚・出産で退職する、いわゆる「寿退社」が「普通」とされ、結婚しなければ生涯の安定した生活が保障されず、世間体も悪いという状況でした。

男性は、右肩上がりの年功序列賃金と終身雇用システムで、家族のために残業・深夜業も辞さずに長時間労働をする、いわゆる「企業戦士」とされましたが、そのような男性の働き方も、身のまわりの世話と子どもの世話をする女性がいてこそ可能でした。


メディアなどの大宣伝と「恋愛結婚」


このころに、見合い結婚から恋愛結婚への移行が起こります。1935年には見合い結婚69%、恋愛結婚13.4%だったものが、1960年代には逆転し、2005年には見合い結婚が6.4%、恋愛結婚が87.2%となっています。

江戸時代には「浮気結婚」といわれたものが、メディアなどの大宣伝により「あこがれ」となりました。

本来は束縛が多い結婚ですが、恋愛結婚は「自由な結婚の象徴」ともなり、それぞれ元来個別なものである「恋愛」と「結婚」と「性」の一体化が主流になったのです。

女性に期待される処女性


この時期、恋愛から結婚という一対一の性的関係だけを正当化する「モノガミー規範」が絶対視されたため、とくに女性に対して処女性が期待され、婚外の恋愛・性を認めないで「離婚も恥」とする風潮も強まりました。

その反面、男性にはそれはあくまで建前としてで、いわゆる「お遊び」や「浮気」にも比較的寛容なダブルスタンダードが根強く残りました。


共依存と家庭内離婚


同時期に、日本の離婚率は0.7から0.8前後と、歴史上もっとも低い率になります。

しかし、カップルがみんな円満かというと話は別で、女性は家計収入を全面的に男性にゆだねて、男性は生活面の面倒を全面的に女性にゆだねる共依存的な結婚生活が多く、実質上は「離婚の自由」がないことも低い離婚率の一因でした。

ですから、不仲になり、ほぼ日常会話やふれあいはなくなっても共依存から抜け出せず、いわゆる「家庭内離婚」状態のカップルもありました。

見かけの離婚率の数値と実態は、かなり食い違っていたのです。

もはや墓場ですね…

ガチでダークですみません…



☆出典☆

『性の“幸せ”ガイドー若者たちのリアルストーリー』 著者:関口久志 (エイデル研究所)



いいなと思ったら応援しよう!