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売買春はなくせるのか
私はこれまで、2009年に出版された
『性の“幸せ”ガイドー若者たちのリアルストーリー』 著者:関口久志 (エイデル研究所)
という本の内容を引用して、日本の結婚やジェンダー観の略史を述べてきました。内容の時系列で並べると・・・
<飛鳥時代・奈良時代>
<鎌倉時代・戦国時代>
<江戸時代>
<明治〜現代(戦後)>
<戦後〜現在(2000年代)>
なんか、だんだんヤバくなってるのですが、
それはさておき。
同じ本で「売買春の略史」という内容があり、
おおむね、こんな感じで始まります。
売買春は古くからあったとされますが、それも人間社会が創出した文化ということはまちがいないでしょう。
ですから、「売春は人間の歴史とともに誕生した」という俗説にも懐疑的であるべきでしょう。
文字が発明された社会ではすでに男女の対等性が崩れ、売買春の不在を示す文献はまれですから「売買春自然発生」のように思われてきたのでしょう。
ところが、売買春不在の文字資料が残る地域があるという説があり、それも他ならぬ日本だと。
その証拠は8世紀(大和時代後期から奈良時代)の「奴隷売買文書」で、奴隷の売買で男性の方が高価であったというもの。
これによって売買春の不在がわかるのは、性を売買の対象にする社会では女奴隷のほうが高価とされるので、男性が高価な場合は単純労働目的の奴隷のみということになるから。
当時の遊行女婦(うかれめ)も高貴な男性との正式な結婚相手とされている点から、後の売春婦(高貴な男性の結婚相手となりにくい)とは違って、売春をもっぱらとするようなことはなかったと言われている。
この流れは9世紀を移行期として10世紀(平安時代中期)において、性を売ることだけをもっぱらとする「夜発(やはち)」が現れ、はっきり変化しています。
その背景にあるのは男女対等な社会から、男性中心の家父長制社会への移行でした。
8世紀まであった女性の自由財産が制限され、経済的に男性の下位に従属したため、売買春が発生するだけでなく、女性は結婚の決定権、求婚権、離婚権も失っていき、女性の意向を無視した強姦もこの時期から発生したとされている。
青木書店 関口裕子論文より
このように、富と権力の偏在は、性の商品化や暴力にも大きな影響を与えています。
しかし、富に縁遠い庶民の間では、前近代まで売春はなかったことが、次の説でもわかります。
性交するだけで、すぐ結婚しようなどというバカはいない。昔は、性交は、いわば日常茶飯事で、それほど大騒ぎすることではなかった。
しかし、結婚となると家とか村の関係が大きくなり、それほど簡単ではない。
これを強いて上からの権力で統制しようとするから、いろいろな歪みが生じ、表向きのキレイゴトの陰に売春産業や売色企業が繁昌することになる。
このように日常的に性に不自由せず、現金収入が少なく市場経済が未発達の前近代の農村部では、売春そのものが成り立つ基盤がなかったのです。
筆者はこう続けます。
「これらの説だけでは…?」という人も、人間も動物の一種でサルから進化した事実からすると、サルと同じような生活のときから、現在のような売買春が存在したと考えるのは無理があるでしょう。
よく「売買春はなくせない(安価で存在し続ける)・いやなくせる」で議論がされますが、売買春も文化ですから、すべての人間相互の対等な経済的地位や平等なつきあい(当然、同性愛含む)が保障される自由な社会では、「なくせる」のではなく「なくなる」文化と捉えてはどうでしょう。
もとより人間の性行動は本能というより文化ですから、この議論の帰結は売買春そのものより、そのような社会を実現させられるかどうかということになりますね。
ですから「なくならない」とすると「そんな平等対等な人間社会など実現しない」ということになります。
そうだとすると、人間個人や社会の発展の可能性を信じられないのですから寂しい気もしますね。