焦げた運動靴

1970年代に産まれた私だが、家には掘り炬燵があった。
ただの掘り炬燵ではない。
寒い日に家族の足をあたためるのは電気ではなく炭だった。

毎晩、1日が終わると、母がもぞもぞと頭を炬燵に入れ、赤々とした炭に灰をかぶせる。
朝になっても灰をかけた炭はまだ熱をしっかりもっている。
新しい炭の上に赤い炭を乗せておくとじわじわと熱が広がる。

子供の頃、親戚の家にある掘ってない炬燵に入ると違和感だらけだった。たいして暖まらないし、なんか平らで他の人の足とぶつかったりして気まずくなる。

小学校の頃、真冬のお日様が少ししか顔を出してくれない週末。
洗った靴はまだ濡れていた。
そんな時は母が炬燵の中で乾かしてくれた。

校庭に並んで体育座りをして先生の話を聞いていた時。
クスクスと笑う声が聞こえてきた。
あぁ、また自分か。
そんなことを思いながら足元を見ると靴の先が少し焦げていた。
それを見て笑っていたらしい。

当時、私は恥ずかしくて消えてしまいたかった。
でも靴を焦がした母や炬燵を恨む気持ちは不思議となかった。

笑う彼らはきっと、平らな炬燵で足をぶつけ合ってるんだ。炭のあたたかさを知らないんだ。
そう思った。

今日も帰ればおじいちゃんが炬燵に入ってるだろう。
そして寒かっただろう〜入れ〜と優しく言ってくれる。
大丈夫。泣くもんか。


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