感覚で生きてもいいんじゃない?
なにかを綴りたくて綴りたくて、仕方のない夜。
テスト期間真っ最中の大学生。
文の構成も、論理的な筋道も、何も考えずに綴ること。
それこそが自分をそのまま映し出しているようでいいと思っているから、いつも通り、拙いわたしの文章、本音とともに綴ります。
私がしたいことに突き進めないのには、理由がある、と思う。
ちゃんと調べきれていないことも理由の一つだけど、なにかもっと大きなこと。
それは、「進んでしまって変わっちゃったらどうしよう」という気持ちがあること。
夢はいつでも変わっていい。
誰かがそう言っていた。
私はその言葉を信じているけれど、やっぱり怖くて進めないし、どう進めばいいのかもわからない。
高校生になっていろいろな学問分野、職業を知るたびに、将来の夢が変わった。
ひとつ前の投稿でもあったように、今まで、
獣医師になって殺処分の現状を変えたかったり、新薬の効果を動物実験ではなくコンピュータシュミレーションを使って調べてみたかったり、癌の研究者になって新たな治療法を開発したいと思った。
それを親に言うたび、変わったことに対して、また?前は○○って言ってたじゃん、と、言われる。ころころ変わるとばかにもされる。
多分きっとこれが原因で、変わるのが怖い。
頭では、変わることはダメなことじゃないし、新しいことを知ること・興味を持つことは素晴らしいことだと、わかっているのだけれど。
また、少し前に法科大学院について考える機会があった。
法科大学院で学んでいて、何らかの理由でやめた人は一般に、世間から「諦めた人」と認識されること。
それは、他に違う自分のしたいことを見つけてそっちに進もうとしたとしても。
悔しいなと思った。自分の問題だから、他人にはどう思われるとか関係ないし、他人に評価される筋合いも何もないのに、次の職場で履歴書を出したら、そう思われる。
なんて悲しい世界。さみしい世界。
これがどうも、わたしの生きる世界らしい。
法科大学院をやめるその間に自分に何が起こって、何に出会って、どういう気持ちになって、どういう気持ちの変化で進む道を変えたのか、すべて説明できたらいいんだろうけど、そんなことはできるはずがなくて。
だから私も、夢が変わっても親には言わない。
言ったとしても○○とかしてみたいな~と、つぶやく程度。
人に話すのって労力がいるし、わかってくれない人ならなおさらだから、自分の気持ちは、自分だけが知って、肯定できていたらいいかな。
ちゃんと説得しないといけない場合を除いて。
そう思っていた。
「自分の行動に対して、説明できるようになりなさい」
大学に入ってから、そう言われる機会が一気に増えた。
実際私も少人数グループのゼミの授業で、なぜこの大学・学部・学科を選んだのか説明を求められた。
ちゃんと説明すると長くなるから、「遺伝子の勉強がしたかったから」と答えた。
自分の一部始終を話せなかったし、話すつもりもなかった。
自分だけが知っていればいい、自分だけが肯定していればいい、そう思うことが多いから。
受験期の秋くらいまで私は癌の治療法についての研究をしたいと思っていた。
でも他に興味のあることがたくさん増えて、癌の研究というのはただの憧れだったのでは、というのが今の現状だ。
受験勉強も終盤の2月、考えても今更変わらないのに考えすぎて、結局出した結論は、「大学生活でいろいろなものに触れて、したいことに出会うことを目標とする」ことだった。
なのに、ゼミの授業では、大学生活の4年間の計画を立てろと言われたり発表させられたりした。
社会では普通のことなのかな?
私には、荷が重すぎたし、人にわざわざ言うことでもないと思った。
しかも、受験が終わってすぐに次の4年間のことなんて、書けるわけなくない?
しかも、その発表の一番怖いところは、「評価」にある。
4年間の計画を書かされた後、そのゼミの講義の評価基準が書かれた用紙を渡された。
大学生活の計画、評価5、、、、
「計画通りの大学生活を送れている」
?!?!!!
目を疑った。
どうやら、大学に入った時に決めた4年間の計画を、計画通り実行出来たら、高評価をもらえるらしい。
なにこれ。
私の大学、「いい大学」じゃなかったのかも。
私が思う「いい大学」は、学生がなににでもなれて、夢を抱き、羽ばたける大学。
それがいつになったとしても、自分の本当の夢を見つけた時、それを後押ししてくれる仲間や先生方がいる大学。
もう信じれないから、この大学で2人しかいない信じれる先生と、自分だけを信じてこれから学び過ごしていこうと思った。
結局、ちゃんとしたことを発表した者が褒められ、「すごい」というレッテルが張られた。
別に、褒められたかったわけでもすごいと思われたかったわけでもないけど、夢が変わってもいいと思っている私にとって、大きく否定されたようで苦しかった。
別に、その先生に肯定されたからって嬉しくないけどね!
夢はいつでも変わっていいと、知ってる。
私は何にでもなれると、知ってる。
誰に何と言われても、これだけは、自分を信じている要素の最も大きい部分。
(でも今、その可能性をつぶさないようにするべきことがたくさんあることに気づいた、がんばろう。。)
そんなわたしには、夢がたくさんある。
いいことだ。
心からそう思うし、夢をいっぱい抱えられるひとになれてよかった。
直近の夢は、大好きな夏をしっかり楽しむこと、夏休みにオンライン英会話を始めること、本をちゃんと読む大学生になること、語彙力を上げること、一日一日を大切にすること。
大学生でしたいことは、短期留学に行くこと(多分2年終わりの春休み)、親友と韓国旅行に行くこと、来年から毎年ちゃんと計画立てて祭りに浴衣を着ていくこと、自分の部屋を家の中で一番居心地のいい場所にすること、、、など。
将来の夢はいっぱいあって、大学生にもなってこんなにもいろんな夢があっていいのかって思うけど、
人工臓器の研究をしてドナーを待っている患者さんを助けたいし、旅行者の旅行をよりよくする人にもなりたいし、こどもたちに勉強の楽しさを教えれる人にもなりたいし、高校生くらいの生徒の進路選択の手助けもしたい。
海外で英語や日本語を教えるのも憧れる。
でもやっぱり結論は、これから大学でいろいろなものをみて、じっくり考えよう、に尽きる。
大学生を思いっきり楽しむことと将来についてじっくり考えること。
私の大学生活ももう4か月が経過して、両立するのはとても難しいことだとわかっている。
予習に復習にレポート課題。
大学生って、思ったより忙しい。
でも、人生で一番時間があるときなのではないかともひそかに思ってるから、大事にしたい。
いつも話の着地点がピンとこないけど、まあそれも味かな。夜だし、思いのまま綴ってるし。
以上で、大学1年生、夜のひと綴りを締めくくらせていただきます。
ここまでみてくださった心の広いみなさん、ありがとうございました。
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