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私がまだ、ピアノを練習する理由
幼稚園年長くらいの頃からピアノを習っていた。
兄が習っていたので、私もやりたくなって、自然に。
小学5年生・6年生に卒業式の伴奏、
6年生に音楽発表会(授業参観)で伴奏、
中学校1年生の合唱コンクールで伴奏、
2年生の時には最優秀伴奏者賞ももらった。
そんなピアノをやめたのは、中2の冬。
もうそろそろやめないと受験勉強に支障が出るかもしれないと思い始めた頃。
兄が大学受験生になるから家でピアノが弾けないという理由を伝えて、私は約9年習っていたピアノ教室を後にした。
工夫すると何とでもなったのに、そんな理由で、ピアノから逃げてしまった。
今まで何度かやめたいと思ったとはいえ、最後のレッスンはやはり悲しかった。寂しかった。
すっきりした終わり方ができなかったのか、高校の音楽の授業や吹奏楽曲などでピアノを演奏することはあっても、心のもやもやが消えることはなかった。
家でショパンのノクターンを弾くといつも思い浮かぶ、あの光景。
その曲を弾いたのは、中1の1月にあったピアノの発表会だった。
日頃から相当な努力をするわけではない私。
上手く弾けなくておもしろくなくなったら、もういいやとやめてしまう私。
結果、あまり上手く弾けなかった。
今思えば、もっと堂々と弾けば良かったのに、去年同じ曲を弾いていたあの先輩、1つ下なのに自分よりも上手いあの子、それに、今まで指導してくれたピアノの先生にすごくすごく、みられている気がして、気が引っ込んでしまった(この表現しかない)。
練習量もあまり多くなかったから自信がないのも仕方がない。
終わった後、半泣きでトイレに駆け込もうとしたが、あの先輩とその家族とすれ違った。
気まずかった。
挨拶もできず、会釈もできず、どんな言葉をかけてもらったとしても、ごめんなさいしか喉から出ないと思った。
だから、気づかないふりをした。
自分より4つほど下の妹さんもいるのに、とてもいたたまれなかった。苦しかった。
これが、私の最後のピアノの発表会。
今思えば、私のピアノ人生、それほど努力できてなかったのでは、と思う。
たまに家で弾いたりするが、いつもこのことを思い出して辛かった。
もっと努力をしていれば良かったな、もっといろんな音を聞いて勉強すれば良かったな、できないところはもっと繰り返して練習すれば良かったな、もっと堂々と自分を表現できたら良かったな。
こんな感情ばかり、蘇ってくる。
やめた理由も理由だから、自分の気持ちに正直になれなかったのが悔しい。
そのような逃げ方しかできなかった。
これからの人生でこの感情を共に生きていくのかな、苦しいな。
いつかこの気持ちが晴れる出来事が、私に降りかかってくるといいな。
でも、待つだけではいけないことは、十分わかっている。
だから私は、いつかの日のために、まだこの曲を練習する。
あの日よりも、心を込めて。