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【第46話】真夜中のバンジージャンプ

自動車が誕生してからすでに100年以上が経過した※1
トヨタが初めて自動車の生産を行った1935年(昭和10年),生産台数はわずか20台だった。
その後徐々に生産は増えていくが,その多くは軍用車やトラックだった。
第二次大戦後,先進国を中心にモータリゼーションが一気に進んだ。
モータリゼーションとは,社会全体における自動車への依存度が高まっていく現象のことである。
当初,自動車は大都市の富裕層が持つ贅沢品だったが,大量生産による規模の理論で価格が下がり,トヨタのジャストインタイム方式(JIT)※2でその流れが加速した。 
どんな素晴らしい発明でも,普及するかしないかは価格で決まる。 
1960年代のエネルギー革命※3によってガソリンの価格が下がり,流れは決定的なものとなる。
1966年にはトヨタの乗用車の生産台数が初めてトラック・バスの数を上回った。
 
中島先生が小学生の時,教室の暖房が石炭ストーブから石油ストーブに変わったと言っていた。
当時は各クラスに「ストーブ当番」というものがあり,毎日男の子と女の子が2人でバケツを持って校舎の隅にある燃料庫へ石炭をもらいに行く,というのが日課になっていたそうだ。
拳くらいの大きさの真っ黒い塊を使ってキャッチボールをして担任の先生に大目玉を食らった,という話は僕らには非現実的なエピソードに聞こえた。
 
〇  〇  〇 
 
久留間はその日、ぽつんと呟いた。
「クルマってさ,どこにでも行けるのに,どこにも行けないよな――。」
土曜深夜,僕らは山梨県内を走行していた。  
不思議な言い方だったが,運転免許を持たない僕でもその感覚はすんなり理解できた。
彼の言葉は後部座席で僕がずっと感じていたことを端的に表していたからだ。
 
一晩眠り続けたあと,朝の見知らぬ街で感じる違和感。
数百㌔移動したことはまぎれもない事実であるはずなのに,僕自身は実は一歩も動いてはいなかった。
僕は常にクルマの中だった。
埼玉県でも山梨県でもなく「クルマの中」にいた。  
僕の身体は後部座席に固定され,窓枠のフレームの中の映像が変わっているにすぎなかった。
 
ドラえもんの『どこでもドア』があったらどんなに良いだろう,と思ったことのない子供はおそらく皆無だ。
けれど,不完全な形ではあるかもしれないが,既に僕らはその魔法のドアを手にしているのだ。
 

久留間は険しい顔で前方を見て言った。
「なあ,この景色が作りモノじゃないってことをどうやったら証明できると思う?」
「クルマに乗ったまま?」
「うん。」
それは確かに難しそうだ。
目の前の風景がバーチャルでないことは,車を降りてガードレールや木の枝に直に触れれば分かる。
車外に出れば風や湿気を直に感じるし,秋には金木犀の匂いが鼻の奥へ侵入してくる。
間違いなく自分は東京ではない別のどこかへ移動したことを五感で感じることができる。
けれども,その感覚すら怪しい時代がすぐ目の前まで来ている。
ⅤRやMRの技術※4が進化していけば,そのうち,握った土の手触りや潮の香りまで人工的にコントロールできる世界がやってくる。
マウントクックロード※5をドライブしていると思いきや,実は港区のビルの一室で五感を全てコントロールされているだけに過ぎず,3泊4日の旅の間,部屋から一歩も出ていなかった――。
そんな未来は決して来ない,と誰が言い切れるというのだろう? 
巧妙かつ精巧に作られたマシーンの上でハムスターのようにグルグルと同じ所を回っているのではない,ということを“自動車に乗ったまま”証明できるのだろうか。
 
あのガードレールの向こうは崖ではなく,ただのスクリーンかもしれないぜ———。
そんな悪魔の囁きを耳にしたドライバーは久留間の他にもきっといるんじゃないだろうか。
 
でも。頭は分かっている。
それは錯覚だ。あの向こう側は切り立った崖だ。
突っ込んだら間違いなく死ぬ。
だからきっちりハンドルを切れ。両腕を動かせ。
そう命令を送る。それが普通だ。それでいい。だから僕らは生きている。
 
ところがその夜,山あいの大きな右カーブに差し掛かった時,久留間は脳の指令を無視し,一切ハンドルを切ることなくコーナーに突進するという狂気の選択をすることになる。
 
後部座席でぐっすり眠っていた僕は,老朽化したガードレールが破壊される激しい衝撃に目を覚まし,ほぼ同時に平衡感覚を失い,窓越しにうっすら見える杉のシルエットがくるりと回転する奇妙な浮遊感を数秒間味わったあと再び大きな衝撃を受け,窓の隙間から入り込んだ針葉樹の枝が僕の喉元でゆさゆさと揺れているのに気付く。
かなりの破壊音が深い森に響いたはずだが,驚いて飛び立つ鳥たちの鳴き声は全く聞こえず,すぐにまた深い静寂に包まれる。
10mほどの崖から転落した割に擦り傷だけで済んだのは常緑樹の森が生んだ奇跡だった。
ブラックフット族のように僕らを待ち構える屈強な男たちの姿もそこにはなかった。
 
別世界の暗い森に放り出された僕らは,壊れたドアの隙間からやっとのことで外へ出た。
自力で急斜面を登り,破損したガードレールの間から県道へ出た。
身体のあちこちがチクチクと痛んだが、幸運にも骨折や内臓破裂は起きていなかった。
久留間は律儀に119と110に電話を入れた。
僕らは病院で検査と治療を受けてからパトカーに乗り警察署で調書をとって一晩過ごしてから,レッカー代とガードレール修理費用の返済方法に頭を悩ませながら最寄りのJRの駅までぼとぼと歩いた。  
 
朝日が久留間の背中を照らしていた。
僕はますますこの男が分からなくなっていた。
「なあ、一つ聞くけど,もし自分だけ生き残っていたらどうするつもりだったんだよ?」
久留間は立ち止まり振り返った。
間が抜けたように口を開けて遠くを眺めながら
「そうか。その可能性もあったわけだ。」と言った。
「当り前だろ。」
「言われてみればそうだな。」
そう言うと,そんな質問に大した意味は無いといわんばかりに,再び歩き出した。
結局こうやって2人とも死なずに歩いているのだから文句を言うな,と後ろ姿は言っていた。
「なあ,E=mc2って聞いたことあるだろ。」と突然久留間は切り出した。
「は? 何だよ急に?」  
「相対性理論。アインシュタイン。詳しくは知らんけど,これって要するに物質mが1gでも光速cの2乗だからとんでもなくデカいエネルギーEになるってことだろ?たった1gでもそれが全部エネルギーに変換されたら途轍もないパワーが生まれるってことだよな。」
それは確かにその通りだろう。
その理論があったからこそ原子爆弾が作られたのだし,核融合※6という究極のエコエネルギーの研究も続けられている。
でも,だから何だというのか。
それとクルマで崖からダイブすることと何の関係があるっていうんだ。
「あのさ,訳分からんこと言ってごまかすなよ。こっちは死にかけたんだよ。」
僕は数年ぶりにすごく腹が立ってきた。けれども,
「確かキャラメル1個でプロ野球のナイター1試合を開催できるくらいのエネルギーになるってっ聞いたぞ。体重60kg分だったらどうなるんだろうな?」と興奮気味に話す久留間を見て怒るのを諦めた。
 
町役場の電光掲示版が目の前にあり,日付を見てハッとした。
4月4日だった。
僕がマークⅡに撥ねられた日からぴったり2年が経過していた。
「なあ。もし崖下で水野が死んでたらさっきの質問の答えを聞くことはできないよな。現にこうして生きているんだから“死んでいたかもしれない”という疑問はあくまで仮の質問に過ぎない。架空の話には答えられない。」
僕は呆れて何も言い返せなかった。
 
閑散とした田舎駅のホームで缶コーヒーを飲みながら久留間は言った。
「なあ。たぶん俺たちは新しいステージに入ったんだ。毎日何百人もの人間が事故で亡くなる※7この時代に,これほどラッキーな人間がいるか?大丈夫だ。また新しいクルマで旅を続けよう。」と。
 
2週間後,彼は本当に新しいクルマで僕の前に現れた。
くすんだ色の117クーペ※7だった。
「心配するな,ちゃんと走る」と久留間は言った。
 
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※1 自動車が誕生して100年以上 
現在主流となっているガソリン車が誕生したのは1880年代,ドイツのゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツが相次いでエンジンを載せた車両を開発した。ただし,1900年ころはまだ蒸気機関で動く自動車の方が主流だった(電気自動車!もあった)。自動車の大量生産が始まったのは1908年に米国でT型フォード(アイルランド系アメリカ人のヘンリーフォードによる開発。シンプルな構造とバナジウム鋼の使用,ベルトコンベアーによる流れ作業の導入等により量産化に成功。1927年の生産終了までに1500万台が生産された)が作られるようになってからである。
 
※2 ジャストインタイム方式
作りすぎや在庫の無駄を徹底的に省いて部品を供給するシステム。工場における各工程で必要なモノを必要な時に必要な分だけ供給する。在庫を持たず,組立ラインでは各工程において部品を少量ずつ取り揃えておき利用した分だけ部品を補充する。必要な部品に関する工程間の情報伝達には「かんばん」と呼ばれる板が使われた。生産コストの削減が期待できる一方で,下請け工場からの部品の納入が遅れると生産ラインがストップしてしまうというリスクがあり,また部品を少量ずつ何度も輸送する必要があるため,物流会社や環境への負担が大きくなるなどのデメリットも指摘されている。
 
※3 1960年代のエネルギー革命 
エネルギー供給の主役が固体燃料(石炭)から液体燃料(石油)に変わったこと。日本のエネルギー供給源を見ると,1960年では石炭41%,石油37%だったが,1970年には石油の比率が71%を占めるようになった。石油はエネルギー効率が良く,かつ輸送に便利で石炭より用途が広いことに加え,この時期に世界各地で油田の開発が進み供給量が増加したことで石油の価格が下がったことが大きく影響した。
 
※4 VRやMR
VR(Virtual Reality/仮想現実)とは,コンピューターによって創り出された仮想的な空間などを現実であるかのように疑似体験できる仕組みのこと。MR(Mixed Reality)は現実世界と仮想世界を融合し,それぞれに影響を与えあう環境を作り出す技術。VR技術に加え,センサーを利用した位置情報を活用することでさらに臨場感を増すことができる。
 
※5 マウントクックロード
ニュージーランド最高峰(3754m)のアオラキ山(クック山)周辺の4つの自然公園をめぐるドライブコース。サザンアルプス山脈(新期造山帯)の原生林,コバルトブルーの氷河湖,澄んだ青空等,雄大な自然景観を堪能できる。
 
※6 核融合
水素などの軽い原子核どうしがくっついてヘリウムなどの重い原子核に変わること。その際に非常に大きなエネルギーが発生するが,火力発電などと違い二酸化炭素も窒素酸化物もほとんど排出しない。放射能がわずかに発生するが,原子力発電に比べれば微々たるものにすぎない。太陽の内部でも同じ現象が起こっていることから「地上の太陽」と呼ばれる。海水などに含まれる水素を使用するため,燃料が地球上に満遍なくかつ無尽蔵に存在することになり,資源を巡る戦争リスクの軽減も期待できる。現在,国際協力によって核融合実験炉ITER(イーター)の建設がフランスで進んでいる。 完成予定は2020年代後半で2035年には50万キロワットの熱出力を計画している。
 
※7 毎日何百人もの人間が事故で亡くなる
日本国勢図会(2024/25年度版)によれば,2022年に日本国内で「不慮の事故」によって死亡した人数は43420人となっている。1日平均119人である。死因別最多はがん(1057人/日),次いで心疾患(638人/日),老衰(492人/日)である。
 
※8 117クーペ
いすず自動車が1968年から1981年まで生産していた小型乗用車。1970年代の日本車を代表する傑作の一つと呼ばれている。車名は開発コード番号に由来する。
 
 

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