見出し画像

【第41話】 知里幸恵を知っていますか

岩永さんが中学生に英語を教えている間,真弓さんが「しずく」の名の由来を教えてくれた。
真弓さんは書棚から『アイヌ神謡集』※1という本を取り出して言った。
「奈緒子さんのおじいちゃんがね,アイヌの方だったらしいのね。奈緒子さんは東京生まれで小さい頃何度か北海道に行ったくらいしか記憶がないらしいんだけど,この本に出てくる“金の滴ふるふるまわりに,銀の滴ふるふるまわりに”というフレーズがずっと好きで,そこから名付けたって言っていたわ。水野君はアイヌについては知っている?」
「日本の先住民族ってことくらいしか知りません。あとはシャクシャインの戦い※2とか。」
「そうか。そうよね。東京にいるとアイヌの文化に触れることってまずないものね。」
 
以前,中島先生が言っていた。
――日本人は「国民全員が同じ言語を話す」という大前提の下で暮らしている珍しい国民だ。
これを「日本は島国だからだ」と簡単に理由付けする人がいるけれどそれは間違っている。
同じ島国であっても,フィリピン,インドネシア,イギリス,ニュージーランド,マダガスカル※3などでは,母語や人種,宗教が異なる人々が多く暮らしている。
日本では,方言の違いはあっても初対面の人に対して「この人は何語を話すのだろう」と一瞬戸惑う瞬間といったものはまず存在しない。
これはとても希有なことなんだ,と。
 
世界にある言語の総数は6000を超えるらしい。
話者数が最も多い言語は北京語※4で,上位10言語※5で世界総人口の28%を占めている。
所得番付の上位10人※6が世界中の富の多くを独占しているのとどこか似ている。
 
6000もの言語があるということは,同じ言葉を話す人々が数百人しかいないような,僕らが一生その存在さえ知ることのない言語も世界にはたくさんあるということだ。
そして,野生動物が年々絶滅していくのと同じように言語も絶滅が進んでいる。
グローバリゼーションが進んでインターネットの世界で英語が猛威を奮い,話者の少ない言語の生息範囲がどんどん侵食されているのだ。
 
「アイヌの言葉ってね,もともと文字が無いの。」と真弓さんは言った。
文字を持たない民族は,情報伝達が難しく生き残り戦略を立てにくい。
教科書や会議の議事録や伝言メモというものが存在しないからだ(その点,インカ帝国※7に文字が無かったというのは驚異的なことだと思う)。
文字が無いと,「その言語を話せる人」がいなくなったとたんに地上から1つの民族が消滅してしまう。
楽譜も録音機もなかったら,演奏者の死によってメロディーは永遠に失われてしまうのだ。
 
それに加えて,いわゆる未開の地と呼ばれる地域の言語には,多くの先進国で使われている語彙がそもそも存在しない。
大草原で暮らす遊牧民の言語に,「高層ビル」とか「デフレ」とか「待機児童」などという語は必要ない。
さらに,現在形と過去形の区別が無かったりする言語も多数ある。
物事のあらましを正確に記録し伝達するための正書法※8のルールが確立されていない言語は,現代社会の複雑さを記録するには不都合なのだ。
 
「私が,アイヌの物語で面白いなと思うのはカムイという存在なの。聞いたことある?」
「マンガの『カムイ伝』で初めて知りました。たしか神という意味ですよね。」
「うん,一般的にはそう思っている人が多いみたいだけど,ちょっと違うの。カムイは全知全能で何でもコントロールする存在というのではなくて,時々自分も間違いを犯してしまう存在なの。人間と対等な関係なのね。そういう,自分より上の存在が全てを決めているんじゃないところがすごく面白いなあと思うのよね。」
「確かにそうですね。」
神が人間より上に位置していたら,神は何てひどい仕打ちを私に与えるのか,とか,仕方ない受け入れよう,とか思考するのだろうけど,対等な関係ならば,不幸な状況は自分で変えるしかないじゃないかという気持ちが強くなるかもしれない,と僕は思った。
 
アイヌの神話も興味深かったけれど,僕はこれを編纂した知里幸恵※9という女性のことが気になった。
知里幸恵は1903年北海道登別市に生まれ,アイヌ物語の優れた伝承者であった伯母と祖母とともに旭川で暮らしていた15歳の時,アイヌの口承文芸を採録するために道内各地を回っていた金田一京助※10と知り合う。
金田一の勧めで5月に上京,『アイヌ神謡集』の編集に携わったが,印刷用原稿の校正を完了させた当日の夜心臓発作により19歳という若さで急逝した。
まるでこの本を生み出すために天が地上に送り込んだ使者であったかのように。
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1『アイヌ神謡集』
知里幸恵が編纂・翻訳したアイヌの神謡(カムイユカラ)集。1923年発行。アイヌ民族自身がアイヌの精神・文化を世に伝えたるために初めて著わした書物である。言語学者の金田一京助の勧めで,知里幸恵は祖母や叔母より聞き覚えてきた「カムイユカラ」をノートにアイヌ語で記し始める。この時期の数冊のノートには『アイヌ神謡集』の作品13篇の基礎となった自筆が記され「知里幸恵ノート」として北海道立図書館北方資料室に現存する。
「その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました。」という書き出しで始まる「序」には、アイヌが制約を受けることなく活動できた北海道の大地が、明治以降、急速に開発され、近代化したことが記される。それは「狩猟・採集生活」をしていたアイヌの人々にとっては、自然の破壊ばかりでなく、同時に生活を追われることでもあり、平和な日々をも壊すものであった。その変動によるアイヌの精神的な動揺と日本社会に置かれた地位をこう綴る。  
「僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。」 
 
※2 シャクシャインの戦い 
1669年にアイヌの一部族の首長シャクシャインを中心とする松前藩に対する蜂起。アイヌの部族間の対立もあり,全てのアイヌ民族の部族が一丸となって戦ったわけではない。シャクシャインは和睦の酒宴の席で殺され,蜂起軍の勢力は衰え,これ以降松前藩は蝦夷地(北海道)においてアイヌとの交易に絶対的な主導権を持つようになった。
 
※3 島国の言語
フィリピン(タガログ語を基礎としたフィリピノ語と英語が公用語,他に8つの主要方言がある),インドネシア(マレー系のインドネシア語が公用語だが700以上の民族語がある),イギリス(英語の他にケルト系のスコットランド語,ウェールズ語,ゲール語などがある),ニュージーランド(英語の他にポリネシア系先住民のマオリ語も公用語となっている),マダガスカル(旧宗主国のフランス語の他にマダガスカル語が公用語である)。
 
※4 北京語
話者数は約9億人。中国の総人口14億人より少ないことに注意。日本人は「中国では中国語を話している」と簡単に考えてしまいがちだが,厳密にいうと中国語という言語は存在しない。日本で「中国語を勉強する」というのはこの北京語を学習することに等しい。中国国内には他に広東語・上海語などが存在し,意思疎通が上手くいかない場面もある。中央集権的な中国では,北京語は「普通語」と呼ばれ学校の授業では北京語を使用することが義務づけられている。  
 
※5 上位10言語 
母語として話す人数の多い順では,①北京語(約9億人)②スペイン語(4.4億)③英語(3.7億)④アラビア語(3億)⑤ヒンディー語(2.6億)⑥ベンガル語(2.4億)⑦ポルトガル語(2.2億)⑧ロシア語(1.5億)⑨日本語(1.2億)⑩パンジャビ-語(1.2億)で,10言語合わせると約22.2億人となり,世界の総人口(80億人)の約28%を占める。 
 
※6 世界の所得番付の上位10人
フォーブス誌が毎年発表しているランキング(2024年版)によると,上位はベルナールアルノー(ルイ・ヴィトンなどを扱うLVMHグループの会長兼CEO) ②イーロンマスク(電気自動車テスラのCEO,ツイッターを買収したXでも話題) ③ジェフべソス(アマゾン創業者) ④マークザッカーバーグ(facebook創始者)⑤ラリーエリソン(オラクルの元CEO) ⑥ウォーレンバフェット(投資家) ⑦ビルゲイツ(マイクロソフト創業者) ⑧スティーブパルマー(マイクロソフト元最高経営責任者) ⑨ムケシュアンバニ(インド3大財閥の一つリライアンスグループ創業者の長男) ⑩ラリーペイジ(googleの共同創業者/元CEO)となっている。日本人最高位は「ユニクロ」を持つファーストリテイリング会長兼社長の柳井正で29位,ソフトバンク社長の孫正義が51位である。保有資産が10億ドル(約1500億円)以上の人数は2781人で,国別ではアメリカ合衆国が1位(813人),2位中国(473人),3位インド(200人)である。
 
※7 インカ帝国   
南米大陸のペルー,ボリビア,エクアドルを中心にケチュア族が築いた帝国。首都はクスコ。13世紀に成立したクスコ王国が発展し,1533年にスペイン人に滅ぼされるまで約200年間続いた。最盛期には80以上の民族と約1600万人の人口をかかえ,現在のチリ・アルゼンチン・コロンビアの一部まで勢力範囲が広がっていたことが遺跡から判明している。文字のないインカ帝国では,キープと呼ばれる色や太さの異なる紐によって数を表し,農産物・家畜・人口・納税記録などの情報をキープによって記録し専門の官僚によって管理されていたと考えられている。
 
※8 正書法 
言語を文字で記述する際の決まりごとのこと。発音と単語の綴りの関係のルールや句読点の打ち方,大文字と小文字の使い分けなども含む。 
 
※9 知里幸恵
ちりゆきえ1903年(明治36年)6月8日~1922年(大正11年)9月18日。北海道幌別郡登別村(現:登別市登別本町)出身のアイヌ女性。6歳で伯母・金成マツのもとに引き取られ尋常小学校に通学。のちアイヌの尋常小学校を卒業。旭川の女子職業学校に進学。祖母・モナシノウク(和名:金成茂奈之)はアイヌの口承の叙事詩“カムイユカラ”の謡い手であり,幸恵はカムイユカラを身近に聞く環境で育った。カムイユカラを文字にして後世に残そうという金田一京助からの要請を受け,重度の心臓病を抱えながら東京・本郷の金田一宅にて翻訳作業を続ける。『アイヌ神謡集』が完成した1922年9月18日の夜,心臓発作のため金田一宅で死去。『アイヌ神謡集』は翌1923年8月10日に,柳田國男の編集による『炉辺叢書』の一冊として郷土研究社から出版された。子供にも理解できるように平易な文章でつづられた13編からなる物語である。2010年(平成22年)9月,登別市に「知里幸恵銀のしずく記念館」開館。言語学者でアイヌ初の北海道大学教授となった知里真志保は実弟。
 
※10 金田一京助 
きんだいちきょうすけ。1882年岩手県盛岡市生まれの言語学者・民俗学者。アイヌ語研究の本格的創始者。生涯に渡り貧しい生活に耐えながらアイヌ語研究に一生を捧げた。文化勲章受章受賞。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友でもあった。1904年東京帝国大学入学。1906年初めて北海道に渡りアイヌ語の採集を行う。1907年サハリンでアイヌの子供たちを通じて樺太アイヌ語を教わる。1922年それまで十分理解できていなかったアイヌ語の文法を知里幸恵に教えられ彼女を「語学の天才」と絶賛した。戦後,三省堂の依頼を受け新しい国語教科書を息子の春彦とともに執筆。『中等国語 金田一京助編』は発刊後から十数年にわたり採択数1位となり国語教科書の古典となった。1971年没。

いいなと思ったら応援しよう!