”当たり前・普通・常識”に「???」となる人と共有したい!ー温泉施設での刺青禁止ー
はじめに:温泉で感じた違和感
先日、私はとある温泉施設に行きました。夏休みということもあって、多くの人が訪れていました。
私もその地域外からの訪問者の一人です。温泉はヨウ素含有の源泉掛け流しで、とても心地よいひとときを過ごしました。
ところが、ひとつ気になったことがありました。
それは、刺青を入れた方々が施設にいたことです。
多くの公衆浴場や温泉施設では、入り口に「刺青・タトゥーのある方、お断り」といった貼り紙が見られるのが一般的ですよね。しかし、この温泉ではそのような制約がなく、少し驚きました。私は、これまでその「刺青禁止」をなんとなく当たり前と考えていましたが、改めて考えてみると、なぜ刺青がダメなのか、深く考える機会となりました。
刺青と日本文化の歴史的背景
日本において刺青は、長い歴史を持っています。実は、刺青はかつてファッションの一部として受け入れられていた時代もありました。特に、江戸時代には庶民の間で刺青が流行し、身体を彩る文化が発展していたようです。
しかし、同時に、罪を犯した者の身体に罰として刺青を施す「入墨刑」という制度も存在しました。
このような背景から、刺青は次第に社会的なステータスを表すものや、罰としての印という二面性を持つようになりました。江戸幕府は18世紀に入ると刺青刑を禁止し、明治新政府になると、刺青そのものも厳しく規制されるようになりました。
この時期から、表に刺青が見られることは減り、刺青は次第に「良くないもの」としてのイメージが定着していったのです。
温泉施設での刺青禁止の理由
では、なぜ温泉施設で刺青が禁止されることが多いのでしょうか?その理由の一つは、刺青が罪人の印であったという歴史的背景にあります。加えて、明治時代以降、刺青は欧米から野蛮であるという印象を持たれ、禁止されてきたという経緯があります。これにより、刺青に対するネガティブな印象が根強く残っているのです。
温泉施設は肌を見せる場所であり、そのため、刺青が他の利用者に与える影響を考慮して、入場を制限するケースが多いようです。しかし、これが本当に「当たり前」なのか、立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
刺青と現代社会の認識
最近では、オリンピック選手が日本語のタトゥーを入れていることが話題になるなど、刺青に対する社会的認識も変わりつつあります。LGBTQの問題と同じように、刺青に対する偏見や誤解も、時代と共に変化していくべきものかもしれません。
「なんとなく良くないもの」とされているものが、本当にそうなのかを考えることは大切です。刺青に対する社会的な認識も、今後はより柔軟に見直されるべきではないでしょうか。
おわりに:当たり前を見直すということ
今回、温泉施設で刺青のある方々を見かけたことで、「当たり前」を見直す機会を得ました。社会の中で「当たり前」とされることが、本当に正しいのか、自分自身で問い直し考えてみることが大切だと感じます。刺青に対する認識もその一つです。
皆さんも、日常の中で当たり前とされていることについて、一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。