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『あまやかし』と『配慮』の違い
『あまやかせたから、子供が言うことをきかなくなった』
『みんながやっているのに、やらないのはあまえてるだけ』
『その子のことを思った配慮は必要』
など、
この『あまやかし』と『配慮』を区別することは難しいですよね。
保護者の方と面談をしたり、メッセージをいただいたりする中でも、
「あまやかせている気がして、、」
と、相談を受けることがあります。
それぞれ
『あまやかし』はマイナスなイメージ
『配慮』はプラスなイメージがあるかと思います。
私自身も、正直なところ、あまやかしたら、子供たちはダメになっていって、配慮をしていったら成長していくイメージがありますが、その違いはとても難しいところがあります。
例えば、
計算問題で、分からない問題があったとき、
『分からないなら、やらなくていいよ』
この一言は、果たしてどちらになると思いますか?
おそらく子供たちの状況次第でどちらとも受け取れると思います。
本当はできる力があるのに、計算問題が面倒になって、分からないと嘘をついているのであれば、やめさせるのは、あまえになるかもしれません。
本当に、その子にとって、何段階もハードルが上の問題で自力解決が難しいと判断した場合には、それは配慮になるかもしれません。
つまり、私が考える『あまえ』と『配慮』の違いは、
子供が気持ちよく課題や問題をたっせいできるように、量や内容、環境を工夫することが『配慮』で、
大人の都合(時間がなくて、そのぐらいでいいよとやめさせるなど)や子供自身にとって、その場だけよい思いをするような、成長につながらないことは『あまえ』になるのかと思います。
大人の都合はよくありますよね。
スムーズに事が進むようにある程度大人がコントロールしてしまうこと。
ただコントロールすることがダメというわけではなくて、子供たちが「できた」を経験させるように、時間や内容をコントロールすることは、立派な配慮だと思っています。
日々の生活の中で、『あまやかし』か『配慮』かを瞬時に選択しなければならないことがありますよね。
そのときは、
「このことは、子供のためになるかどうか」頭の中で問いかけてください。
そうなると思ったら、あまやかしにはならないと思います。
また、周りから「あまやかしてるんじゃない?」と言われることもあるかもしれません。
ただ、一度自分で子供のためになると思って決断したことは、人から何を言われようと、正しい選択だと思います。
心の中で「うるさい!」と言ってください。
意識をすると、日々の対応や言葉かけも変わってきますので、自信をもって子供たちの向き合ってみてください。