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医療が崩壊しかけてる...だて ①

とうの昔に崩壊してますけど。

病気を治そうと助けを求めて握ったその手は
トンデモない医師の手でした・・・

5年もの間、私のがん再発を隠し通したNO医師。
なぜそんな事をしたのか説明できません。
以前は京都大学にいたそうです。
そのNO医者はR3年3月19日に八重山病院を退職。
それがきっかけで自分が再発している事を知ったわけです。
信じられなかったわ-
何かの間違えなのではって思ったりして。
本当に天地がひっくり返るぐらいの驚きでした。

診察室で会うNO医師の人柄は
人当たりが優しくてにこにこしてて
良い先生だよねって多くの人が思うと思います。
長年にわたり私のがんの経過観察をしてくれたし
信頼していたお医者さんだったのですが
もう来年辞めますからって言った時
辞める前に最後にもう一度観てくださいって何度か頼んだけど
ガンとして断られました。
その時私は何で断るのかな…って思ったのですが
その後、だからか!と思いました。
もう早く定年したい、もう患者を診る気もなかったのだと思います。
NO医師の最後の検診の時点で再発4年目。
NO医師はなぜか私のがん再発を隠してたから
これ以上遅らせたら危ないと思ったのではないでしょうか。
最後の診察で私が退室する前に
記念の写真を2枚一緒に撮ったのを皆さんにお見せしたいです。
どれだけ彼は笑顔を作くっていた事か。
この時私は辞めゆくNO医師に対し感謝の気持ちしかなかったです。

再発を知ってからが大変でした。
1年前のCT検査にがん再発の疑い
2年前のも再発の疑い…
一体自分は何年前から再発してたの?
そう思うと恐ろしくてそれ以上確認できなかったです。

もう死んでしまうのではないか?

とにかく恐ろしかった。
そしてすっごく混乱してました。

一緒にカルテをみてた地域連携センターの人に
私は何年前から再発してたか教えてほしいと頼んところ
5年前からだと教えてくれました。
その後自分の病歴が知りたいから
CT検査結果とNO医師の残したカルテ5年分を医事課に請求しました。

2週間ほど経って受け取ったCT検査結果とNO医師のカルテのコピー。
CT検査結果はそのままだったけど
NO医師の書いたカルテは書き換えられていました。

最初に私とY医師、地域連携センターの人と一緒に読んだものではなかったです。
内容は同じでも文言が全く違うし
フォントの種類が違う、文字の濃さが違う。
ログがPCに残るから改ざん日時とかわかるのになぁ。

NO医師は最後の診察の日の記録をカルテに残しておらず
更に言うとY医師に引き継ぎもしてませんでした。

NO医師から何も聞いてないけど
オレがやるの?っていう感じでした。

ここ(の病院)乳腺科の医者いないから
他の人に回すと迷惑になるから
自分がします、という内容の事を言ってました。
なんか、酷いです。
しかもこの時点でNO医師は乳腺も診れるのだと思っていたので
この発言にも驚かされました。
ネットで調べると乳腺の担当医としてNO医師の名前が名簿に載っているのに。

県立病院とはいえ離島の医者不足がこうゆう事になってしまっているのでしょうね。
 
私を長年診てきた白衣を着て座っていたのは
京都大学からやってきたただのおじいさんでした。

がん患者をほったらかしていたこんな医師はいらないです。

NO医師が辞めた後年1度のCT検査の為に病院に行った時の話をします。
辞める前NO医師は
大丈夫, ちゃんとあとの先生にお願いしとくからと言ってたけど
実際はどの先生にも引き継ぎをしていなかったので
結局あとを引き継いだY先生の発言から
どうやら裏では
外科医同士でお互いあなたがやりなさいよぉーみたいに押し付けあってた?
ようでした。

診察室で会うNO医師はいつもにこやかで
人当たりが良くいい先生という感じだったこともあり
安心感がありました。

なので、今まで接していた感じと
私の受けた生死を分ける最悪な仕打ちが結びつかない。

人の命なんてどうでもいいと思っている医者が存在するだなんて
考えた事なかったし
自分を長年診てくれて信頼してたNO医者が
実はソシオパスとしか言いようがない人格の人間だったと知った
その時の衝撃は凄まじいものでした。

そして、まず自分の置かれた状況を理解するのに何日もかかり
自分は死んでしまうのではないかと恐怖で何日も寝れず
医者が信用できなくなり
ここの病院は狂っているのだと思わざるおえなくなりました。

やがて少しづつ事態が呑み込めるようになり
家族や友人の私を気使う暖かな心や言葉と時間が
私をもとの私にと導いて戻してくれた感じです。

その後この私の身に起きた信じられない事件を
色々な人達に話しました。
そうすると同じ八重山病院で他の医師によって
泣き寝入りをした患者さんやその家族が多数いる事を知りました。

八重山病院で治療を受けている時
主人の友人が私に
なんで八重山病院に通ってるの?
嫌な思いさせられて、どんな病院なのか知ってて何で?
って訊かれました。

その人も八重山病院の別の医者からがんの再発を教えてくれないままだったのです。
どの時点でその友人がCTの検査技師から言われたのかは私にはわかりませんが
数年前からがんが再発してたのを知っていたと聞かされたと言ってました。

最悪なのはその友人が咳が止まらないから琉球大学で精密検査をしたいから
紹介状を書いてほしいと担当医に伝えたのですが
なぜか、紹介状は書けないと断られ
最後は診察室でおかしいじゃないかと大喧嘩になり
やっと書いてもらったと言ってました。
琉球大学での検査結果はがん再発でした。
以来、その友人は毎回飛行機に乗って琉球大学まで化学療法を受けに行ってました。

さて、先のこの友人からの問いの答えですが
一言で言って私には毎回那覇まで飛行機乗って治療を受けれるだけの
経済的余裕がない、に尽きます。

私一人では何かを変えるのは難しいけど
私になにができるか考えています。
ずっと。
それは終わりがないです。
NO医師の名前は一生忘れません。

八重山病院に通っていて
この医者おかしいなって思った事はありませんか?
患者さんに寄り添って適切に治療をしているお医者さんもいますので
変だなって思う医者は患者として治療を受けている本人でないとわからないですよね。
変だな、って思ってるなら石垣から出て
他の病院で一度検査してもらった方がいいです。

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