子どものアイデアを「やめた方がいいんじゃない?」の一言で一蹴する先生って
こんにちは。今日も一日お疲れ様、私とこれを読んでくれた人。
今日は
4年生の息子の、学校での出来事を記す。
私の住む地域ではまだ雪がちらつく日もあるが、
季節は春へと足を速めている。
小学校では着々と卒業の日が迫っており、
6年生の娘は卒業式の練習に入るところだ。
さて、4年生の息子のクラスでは、
お世話になった担任の先生にサプライズ会を計画したらしく、その時の出来事についてが今日の本題。
先日唐突に「お母さん、今日仕事帰りに100均で花を一本買ってきてくれん?」と息子に言われた。
詳しいことは聞いていないが、担任の先生に一人一本お花をプレゼントするという計画を、子どもたちだけでで話し合ったらしい。
そういえば、その日の朝見た時間割ノートには、
二時間目:「何かの話し合い」と書かれており、
「これなに?」と聞くと、「N先生のお別れ会の計画だよ」と教えてくれたんだった。
さらに「多分先生にはバレてるだろうけど」とひとこと。
4年生にもなると
”先生も分かってるだろうけど、僕たちのことを察して気付かないふりしてくれてる”という、
相手の状況も分かったうえで物事を進めるという成長ぶりを発揮している。
当たり前だが、低学年の時にはこんな姿はなかった。
相手のことを想って・・・とか、
こんなことをしてあげたら相手が喜ぶんじゃないか・・・とか、
さらにはクラスメイトに提案してお互いに意見を出し合い、
発言力のある子を中心に、期日までに準備を進める。という「計画性」は、4年生になってからだと思う。
「へぇ~!ばれてるとはいえ、先生も嬉しいだろうね!了解、買ってくるよ。なんでもいいの?」
とお遣いを任された。
内心は、
「どこまで本気の話なのかな、もちろん先生からそのことについてのお便りがあるわけじゃないと思うし・・・。でもまあ息子が言ってるんだし、信じて買ってきてみればいいか、言っても100均だしな。」
と、買ってきてみることにした。
するとその翌日。
「お母さん、やっぱり花買ってこなくていいことになった。」と息子。
理由を聞くと、
「Y先生(隣のクラスの先生)が、『お金に関することはやめた方がいい』と言ったから。」
だそう。
私は息子からしか話を聞いていないし、学校でどの程度の話があったのかは分からない。
しかし、学校に対してなんだか違和感は感じ、
その違和感というのが何なのか、考えてみた。
2017年に小中学校学習指導要領が改訂された。
国語算数理科社会などの基礎教科に加え、英語、総合という科目が増やされた。
総合の授業とは、生徒が自主的に課題を見つけ出し、学んだり考えたり判断したりしながら、課題解決のための資質や能力の育成することを目的とした探究学習の授業。とある。
わざわざ授業で探究を教えてるのに、
普段の生活で
知りたい・やってみたいと思ったことはやらせてもらえないんだな、とまず感じた。
何のための探究学習か。
そんな風に頭ごなしに自分のアイデアを撥ねつけられたら、自分の意見を言うのが苦手な日本人のことだ。
今後学年が上がっていったらますます自分の意見なんて言わなくなる。
私が残念に感じたのは、なぜそのことを子供たち主体となって考えさせてくれないのか、ということ。
先生は、お金のことが絡むと保護者から問題視する意見が出る可能性もあるし、事を面倒くさい方向には持っていきたくない気持ちも分かる。
はっきり言って面倒くさいと思う。
私は子どもの言う通りに実行してほしかったのではない。
・なぜ、お金が関係することはダメなのか。
・だとしたら他に方法があるのか。
・一番の目的は何なのか。(先生を喜ばせることなのか、それとも自分たちのやりたいことを通したいだけなのか)
など。
子どもたちのやってみようとしていることを尊重し、建設的に子供たちと考えてほしかった。指導ではなく、一緒に考えてほしかった。
もちろん、学校の先生が忙しいことは重々承知している。
そのY先生ひとりの問題でないことも分かっている。
しかし先生の一蹴のあと、子どもたちの熱意や勇気や気持ちは
一体どこに持っていけばいいのか。
せめて先生の言葉の最後に、
「でも先生はその気持ちが嬉しいと思うよ、ありがとう。」の一言があったなら、それがせめてもの希望。
この体験が失敗体験として子供たちに残らないことを祈る。
そして、自分が感じるこの、
日本の学習環境の違和感というものを、今後も見ぬ振りせずに
言語化していけたら良いなと思う。
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