「戦後レジームからの脱却」を唱えた故安倍晋三は本当のところ反「教育勅語」主義者,彼の第2次政権は『女性の敵』である「女性」議員5名をファッショ政治の閣僚として登用し,「反動の時代精神」を昂揚させ,だから戦前についても戦後についても,その観念は「世襲3代目の政治屋」の暗愚ぶりを満開
※-1 本日の話題は,10年ほど前の2014年9月23日に書いていた「上記標題」の復活となるのだが,当時の「安倍晋三の第2次政権」においては,間違いなく『女性の敵だ』とみなすほかなかった自民党の女性議員4名が閣僚に任命されていた
こういう問題があったのである。
▼-1 その安倍晋三「改造内閣」においては,5名の女性閣僚(大臣)が任命されたが,これがまた,札付きの『女性の敵」でしかない議員が大部分であった。
▼-2 冗談にもなりえなったこれら女性大臣たちの時代錯誤的な政治感覚は,徹底的に批判されておく必要があった。
ここでいったん,話題を現在(2024年3月初旬)に移して記述する。
このところ,国会のなかで大騒ぎしている様相になっていた政治資金規正法(ザル法)をめぐる裏金問題は,自民党議員たちに政治倫理や社会道徳を期待することじたい,無理難題であった事実を確実に教えてきた。
この記述の全体は,2014年9月段階で記述された文章であったが,本日,2024年3月4日に補訂作業として,しばらくつぎの記述を,この※-1の途中に,挿入しておくかたちでおこなってみる。
さて,今朝(2024年3月4日),当方あてにメールで配信された「裏金事件 少数の『カネ持ち支配』の構造」『毎日新聞』2024年2月27日,https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20240226/pol/00m/010/008000c と題した野口雅弘・成蹊大法学部教授の寄稿を,つぎに適宜に紹介することになる。
a) 今回の事件では,特定の人や企業にわかりやすく便宜を図った構図はみえず,この点で,ロッキード事件やリクルート事件とは明らかに違う。
私はカネもち支配,プルートクラシーといっている。これは,マックス・ウェーバーが使っていた言葉で,プルートスはギリシャ神話の富と収穫の神を指す。
おカネをもっている人が政治に影響力を行使しやすくなり,政治家になればおカネが入ってきやすくなる。一部の人たちのなかで支配が完結する傾向が強まっている。
岸田文雄首相はある時,子どもたちに首相になった理由を聞かれ,『日本の社会のなかで一番,権限の大きい人なのでめざした」と答えていた。
なぜやりたいことをいわなかったのか。今回の事件で,なんのためにおカネを集めていたのかわからないことと符合する,その答えであった。
権力をもつことが自己目的化し,そのなかにいる人もそこから降りられなくなっている。おカネはあふれていますが,なんのためにやっているのか,本人にもわからなくなっているのではないか。
「被害者は誰か」? それはおカネをもっていない人である。金銭力を持たない人は,政治家に自分の意見を届けることも,政治にアクセスすることもできなくなっている。
岸田首相は「聞く力」といっていが,すべての人から要望を聞くことはできない。岸田首相には,おカネをもっている人からしか意見が入ってこなくなっているのではないか。
b)「カースト化」しているのであり,一部の人たちのための政治になっている。
カネもち支配は少数の人たちの支配であるから,構造が固定化され,強化されつづけている。これが問題となる。政治家の世襲が問題なのは,利害関係者とおカネが集まりやすい構造が固定化するからであった。
一般の人が政治の世界に参入することがむずかしくなった。政治の土俵に上がれる人たちだけが,すでに特権階級になっている。「カースト化」しているといっていい。
いまの日本は,どこで生まれたか,どんな親から生まれたか,どのような経済的・社会的条件のもとで生きているかで,かなりのところまで決まってしまう社会になりつつある。それがもっとも強く出ているのが政界。
補注)この段落で指摘されている日本の社会状況・教育環境のことは「ガチャ」と呼称されていることは,周知に属する。
〔記事に戻る→〕 生まれた時から同じカーストにいて,自分たちにカネが入ってくるのは当たりまえだと思うようになれば,それだけ自制心は失われる。
昔の自民党の政治家には,マックス・ウェーバーの「職業としての政治」を熱心に読んで,権力への畏れや自制心を説く人がいた。それと関係するかどうかはわからないが,カースト化が進めば,カネや権力への自制心は薄くならざるをえない。
c) 政治が遠くなっている弊害は大きい。
プルートクラシーのもとでは支持してくれる少数の人だけを相手に政治をすることになる。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)のような少数の人たちが影響力をもってしまえるのは,政治にかかわる人の範囲が狭くなっているからで,そのなかでおカネがまわり,政治家との距離が近くなれば,旧統一協会のような,一般の世論とはかけ離れた主張も通るようになる。
政治が遠く感じられるのも無理はなく,一部の人たちだけでゲームをやっているとしかみえなくなったら,「なんのために投票するのか」と感じるようになる。
〔以上に語った野口雅弘先生さらにいわく〕 昨年〔2023年〕までドイツにいたが,デモなどの抗議行動がある程度大きくなると,政権も仕切りなおす。国民に,自分たちの行動が有効だという感覚がある。
しかし日本の場合は,国民の不安が表明されて争点になり,政治家が考えなおすコミュニケーションがうまくつながっていない。おまけに,閉塞したカーストのなかでおカネがまわっていて,そのなかの人はまったくおかしいと思っていない。
だから,外からみると違和感が強いのだが,それを届けるルートがない。だからよけいに「カースト化,特権化,カネもち支配が進む」
補注)結果,日本の世襲政治に関しては,その「世襲3代目の政治屋」の「いまだけ,カネだけ,自分だけ」という私欲・利己的な立場を指摘した迷文句が,いつの間にか登場していた。
d) いま,このプルートクラシーの構造が露骨に形成されていることを,はっきりと指摘しなければならない。
そして,世襲も含めて,政治家の閉鎖的なリクルートを続ける政党には,明確に否定的な態度を示す必要がある。
私たちが民主主義の当事者であるために,カースト化の傾向には真剣にあらがうべきである。(引用終わり)
いまの首相,この岸田文雄というこれまた「世襲3代目の政治屋」は,つぎの『産経新聞』の記事に言及されたごとき「日本社会の閉塞状況」など,おそらくまったく理解できていない。というよりは,これを「理解しようにも全然できないこの自分」にすら気づいていない。
要は,単なる「政治屋」であった特定の一群,これをくわしく換言すると「政治家として完全に失格・失当」だった,つまり落第相当の「世襲3代目の政治屋」たちの一群が,日本の政治の世界ではたいそう大きな顔をしながら徘徊している。つまり,世襲的に手にしていたに過ぎない彼ら自身の立場から,ただ〈政治家ズラ〉して生きてきた。
そうした「日本政治の惨状:後進国的な反封建制」は,現状として,とうてい救いようがないとみなすほかない。
「世襲3代目の政治屋」自身,自分たちの体内にかかえこんでいる「宿痾」に対する〈自覚症状〉が皆無であったからには,「病膏肓に入っている」「日本政治の世襲制度」は,彼ら以外のわれわれの立場から「親の仇」である以上に,「民主主義の基本理念」を全面的に否定する日本特殊的にいびつな政治次元の「欠陥としての特徴」であった。
ところで,隣国・韓国の2023年における出生率は0.72にまで急減したが,この日本とてその年の出生率は推測値でいうが 1.20くらいにまで低下している。日本は,その点でいえば,韓国の背中をすぐ前にみながら走っているような現状である。
「世襲3代目の政治屋」たちの生活感覚だと,日本も出生率がそこまで落ちているのか,どうして理解の及ばない現実になっている。もっとも,彼らに向かい,この現実を理解せよといっても,そもそも理解するための原始的な感性からしてもちあわせていなかった。
なかんずく,岸田文雄の「異次元の鈍感力」というものの特徴,自分の息子翔太郎をかわいがる骨肉の愛情は除外できた,例外視するその鈍感さであった。ただし,この▼カ息子を一時期首相秘書官に任用していた,文雄の親バ▲ぶりにかぎっては,異次元の鈍感「突破力」を発動していたが……。
※-2「『女性活躍担当相』有村氏はどんな人? 『夫婦別姓』に反対の立場,中絶にも慎重」『JCAST ニュース』2014年9月4日,http://www.j-cast.com/2014/09/04215092.html
2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では女性5人が入閣した。第1次小泉内閣(2001年)と並ぶ過去最多とあり,女性の社会進出を内閣がみずから推し進めたという意味では一定の評価をえているようだ。
しかし一方で人選に疑問の声も出てきている。なかでも注目されているのが新設の「女性活躍担当相」に就いた有村治子氏(43歳)だ。「夫婦別姓制度」に反対の立場をとっていたことなどが指摘されている。
◆「夫婦別姓に反対する国民大会」に参加 有村氏は日本マクドナルドの勤務などを経て,2001年の参院選(比例)に自民党から公認を受け立候補,初当選を果たした。
現在〔当時〕は参院3期目で,「マタニティマーク」を全国に広げたことや,女性の再就職を後押しする政策にとり組んできたことなどが女性関連の実績として報じられている。
プライベートでは2女の母であり,在職中の出産という珍しさから議員と子育ての両立に奮闘する姿が新聞で紹介されたこともあった。
第2次安倍改造内閣〔2014年9月3日〕では「女性活躍担当相」だけでなく,男女共同参画,少子化対策,規制改革といった関係分野を含む7つの所管を兼務する。現時点では担当相が具体的にどのようなことをするのか分からないが,安倍首相は9月3日の会見でこういって,有村氏に熱いメッセージを贈っていた。いた。
「すべての女性がその生き方に自信と誇りをもち,活躍できる社会をつくるため,総合的かつ大胆な政策を進めてもらいたいと期待しています」
女性閣僚5人のなかでも「女性活躍担当相」という成長戦略の看板的なポジションに起用された有村氏だが,しかし,過去の活動や所属団体をたどると違った顔もみえてくる。
実は有村氏は,男女共同参画などに反対する保守系政治団体「日本会議」の議員懇談会のメンバーだ。2010年には日本会議が主催した「夫婦別姓に反対する国民大会」に拉致担当相になった山谷えり子氏とともに参加していた。(引用終わり)
この『JCAST ニュース』の記事を読んで感じたのは,安倍晋三君よ,「なにかを誤解したうえで,愚かな期待を,この有村治子にかけていた」という点であった。
というのは,まるで「女性の敵」的な政治価値観しかもちあわせないこの女性議員を,「女性活躍担当相」に任命していたからである。論理矛盾? 自家撞着? 聞いたほうとしては,なにがなんだかわからず,ただ混乱させられるだけのその任命であった。
要するに,この人物(女性)はまさに「女性の社会的権益」に対してはブレーキ機能しか果たしえない観念構造の持ち主であることは,以上の説明からだけでもはっきり理解できた。
2014年9月3日になされた第2次安倍改造内閣に記録された内閣改造人事は,車のアクセルを踏むところで,わざわざ「ブレーキを踏みこんだ」ような閣僚の人選になっていた。それも女性議員を5名登場させて,そうなっていた。となれば,この閣僚人事は不可解だったというか,むしろ珍妙だった受けとめられてよかった。
安倍晋三は当時,内閣改造にさいしてやたら新しい〈大臣の地位〉を増やしていたが,女性の地位向上のために大臣ポスト「女性活躍担当相」を用意しないまでも,ほかにいくらでも,関連する施策を展開するための方途がありえたはずである。
たいした意味もない大臣職をつぎつぎ創って,自民党議員(公明党も?)を喜ばすのもいい。だが,国家にとって肝心な政策の展開にとって,必ずしも不可欠とも思えない大臣職をあれこれ造りだし,とりそろえておくことだけが,首相の本務ではあるまい。
結局,「勘違いも甚だしい」一国の最高責任者によるその演技となっていた。大臣ポストの新設は,政権内における単なる人気とりのパフォーマンスである様相を呈していた。
しかも,その女性大臣たちの人選は,日本国の女性関係政策の推進にとって,むしろ完全に「逆機能を発揮させるための妨害因子」の提供を意味した。
※-3「女性閣僚最多内閣とは言うけど」-いまどき19世紀の時代感覚しかもたない女性大臣さんたちの〈迷言・珍説〉オンパレード-
上記の「表題:女性閣僚最多内閣とは言うけど」は『週刊朝日』2014年9月26日号記事(64頁見出し)の文句であった。
この記事を引用しようかと思っていたときに,インターネット上に同じような意見がないか調べてみたところ,〈あるは,あるは・・・〉の様子になっていたので,さきに,こちらから引用する形式で以下の記述を構成していくことにした。
ここでは,『リテラ』(⇒「本と雑誌の知を再発見」,「政治・政治家に関する話題……本と雑誌のニュースサイト」というネット新聞)の2014年9月8日の記述に,本記述の核心に関連する批判を聞いてみたい。
以下,長い参照となるが,論旨はよく尽くされているので,十分に拝聴する価値ありであった。「反女性」ということばも表題に出ていた。
題名は「母乳強制,DV擁護,中絶禁止……安倍内閣・女性閣僚の『反女性』発言集」である。この記事のキーワードには「ネトウヨ, 安倍晋三, 政治家, 水井多賀子」が指定されていた。
1) その1:山谷えり子
先日発表された,第2次安倍改造内閣。安倍首相はみずからがかかげた「女性の活用」をアピールするために,過去最多となる5名の女性閣僚を誕生させた。党三役の政調会長をくわえれば,6名。
新聞・テレビはさっそく「女性閣僚過去最多」「内閣も女性活用へ」と大はしゃぎを繰り広げている。しかし,マスコミはこの女性閣僚たちの顔ぶれをちゃんとみてそんなことをいっているのだろうのか。
6名のうち,高市早苗総務相,山谷えり子拉致問題担当相,有村治子女性活躍担当相,そして稲田朋美自民党政調会長は,自民党のなかでも保守派中の保守派,ネトウヨの間で “アイドル” 扱いされている極右4人組ではないか。
いや,極右といっても改憲や軍備増強,国民の人権制限を主張し,先の戦争や従軍慰安婦を肯定しているというだけなら,彼女たちだけでなく,安倍政権全体の傾向なので,ここであらためて詳述するつもりはない(それじたいも大きな問題ではあるが)。
この人選がとんでもないのは,彼女たちが「女性の活用」の象徴として登用されたにもかかわらず,逆に4人とも女性の権利や自立,社会進出を阻む思想の持ち主だということだ。彼女たちが過去にどんな「反女性」的トンデモ発言をしてきたか,ざっと紹介しよう。
★「性教育は結婚後に!」★ 山谷えり子の頭のなかには,チョウチョだけでなく,トンボやバッタ,スズメバチ,ブヨ,ハエ,蚊なども飛んでいる?
まず真っ先にあげなければならないのが,拉致問題担当相に就任した山谷えり子だ。
山谷は2007年,教育再生担当として内閣総理大臣補佐官を務めていたさい,「親学に関する緊急提言」を出そうとしたことが有名だが,これは「子守歌を聞かせ,母乳で育児」「授乳中はテレビをつけない」という,「教育再生でどうしてそれ?」と多くの人が首を傾げるシロモノだった。
「親学」というのは,「児童の2次障害は幼児期の愛着の形成に起因する」という教育理論。平たくいうと,母親に “子どもを産んだら傍にいて育てないと発達障害になる。だから仕事をせずに家にいろ” と強要するトンデモ理論で,科学的にはなんの根拠もなく,障害者団体などから「差別」との批判まで受けている。
ところが,山谷はこれに入れこみ,母親を家に縛りつけるような教育提言を内閣名で出そうとしたのだ。結局,この動きには自民党内からも疑問の声が挙がり,提言は正式採用されなかったが,山谷はいまも「親学推進議員連盟」のメンバーとなっている。
親学へのシンパシーからもわかるように,山谷のベースとなっているのは “母親の神聖化” “女らしさ” だ。なにかというと「女性は女性らしく」「女性は母親という神聖な役割をになっている」ということを繰りかえし主張している。だが,その “女らしい” という基準は,結局,明治から昭和初期の一時期に形成された恣意的な価値観にもとづくものだ。
たとえば,『正論』産業経済新聞社,2004年10月号で長谷川三千子と対談したさいには,酒井順子の「負け犬」という言葉を曲解して,お見合いでもいいから女性は結婚すべきだ,ということを得々と語る長谷川に同意して,山谷は「それ(結婚)が女性の生き方として生物学的に理にかなっている」といいきっている。
どうやら山谷にいわせると,結婚しない女は “生物学的” に欠陥があるということらしい。とんでもない差別主義者だが,もっとすごいのは,性教育に関する言動だ。
補注)それでは,「結婚しない男」はどういわれるのか興味がある。きっと〈大欠陥〉があると決めつけられそうである。
2005年,山谷は安倍が座長である「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の事務局長を務め,当時,一部の公立学校でおこなわれていたオープンな性教育を徹底批判。
教育現場はすっかり萎縮し,性教育を封印。その結果,現在は若年層の無知からくる望まない妊娠や性感染症が増加の一途をたどるという悲惨な状況におちいっている。
註記)以上まで,http://lite-ra.com/2014/09/post-444.html
だが,それでも山谷に迷いはない。昨〔2013〕年放送された『ニッポンの性教育』(中京テレビ制作,第51回ギャラクシー賞優秀賞受賞作)の取材で,山谷は “性教育のあり方” について,このような持論を展開しているのだ。
「ほんとうに子ども時代はですねえ,ちょうちょが飛んでいる姿,お花がキレイに咲く姿,昆虫が一生懸命歩いている姿,それで命の尊さというのは私達はじゅうぶん学んできたんですよね」
--昆虫や植物を見て性を学べ。思わず呆然としてしまう回答だが,ディレクターが「具体的なことは教える必要はないということですか?」と質問。すると山谷は「ほんとうは結婚してからだと思いますね,はい」と答えたのだ。
性教育は結婚してから……この珍回答には「チョウチョが飛んでるのは議員の頭のなかであることに異論はあまりないいと思われる」と,ネット上でも失笑を買う事態となった。
2) その2:有村治子
★「子どもができた」という言葉は禁止!★ 有村治子のオカルト的中絶反対論
山谷ほどではないが,有村治子も相当だ。与えられた肩書きは,安倍内閣の方針を体現した「女性活躍担当相」なのに,関心は女性の社会進出・活躍よりも “国家の強靱化”。女性の社会進出や家庭との両立のための環境整備などについてこれまで語ったことがほとんどない。子育て問題についても,こんな発言があるくらいだ。
「子育て中の女性議員が,国防の重要性,あるいは私たちの未来の安全保障を考える,そういうことをみずからの活動の原点にして発信していくことも大事だと思っています」(「誇りある日本の再生」2009年2月号)
子育ての話題がいつのまにか,国防の重要性。要するに国民はみんな「皇軍兵士の母」になれ,ということなのか。
女性問題に無関心な一方で有村は,夫婦別姓や人工中絶に大反対している。彼女は以前, “祖国の英霊及び戦後中絶された胎児に心からの謝罪・鎮魂を” という,意味不明な主張をする人工中絶反対運動の団体:「天使のほほえみ」主催の講演会に参加したことがあるのだが,そこでこんなことを語っているのだ。
「日本はいつから,『子供ができた・できない,作った・作らない,堕す・堕さない』などの言葉を使う国になってしまったのか。そのころから,子が親を殺し,親が子を殺す世相になってしまったのではないか。これからは,『神様から,仏様から,天から,ご先祖から,子供が授かった』という言葉を使いたい」
補注)明治以前の「間引き」という事象をしってのこの有村治子の発言か? いったいなにをいいたいのか? その頭のなかをのぞき,脳みその組成を精密に検査してみたくなった発言である。
かつての戦争中の「産めや,殖やせ」の標語でもあるまいに,時代錯誤もいいところである。それにしても,その錯誤の程度はとうてい並のものとは思えないくらいひどく悪い。
途中だが,こういう指摘を挿入しておく。
いまから5年前にこう批判をする意見があった。これも長いが,全文引用しておく。
★ 産めや増やせや / 戦争中か! ★(2009年7月30日木曜日)
自民も民主もマニフェストを公表した。そのなかで目立つのは少子化対策である。これらの政策はまるで国民に「産めや増やせや」と子どもの増産を迫っている感がある。この言葉,どこかで聞いた覚えはないか? そう,戦争中に唱えられたスローガンだ。
戦争中は国民は武器,弾に等しく,戦死者が増えて兵力が劣るとみるや,国を挙げての大合唱となった。若く逞しい青年が戦地へ赴いており,残されていたのは子どもと老人ばかり。(いや権力者の子息は意識的に兵役不適格となって残っていた)
老人や子どもを相手に「産めや増やせや」と号令をかけて,セックスを強要したのだから,これは拷問に等しい。戦地に赴いていた若者は食料不足の中進軍を強要されていたのだから,国内に残された老人や子どもに,拷問に近い行為を強要したとしても「前線に比べれば」との逃げ口上があったのかも知れない。
補注)なお,老人や子どもに人間そのものを再生産するための性的能力があるかどうか疑問があるが,このまま引用してみた。
〔記事に戻る→〕 さて,……戦争中は兵器の一部として人間の増産があったが,21世紀の平和な(一見)日本において,なぜいま「産めや増やせや」と国が音頭をとっているのか。それは少子化によって税収等国民負担が減るためである。端的にいえば,「税金を徴収する頭数を増やせ,さもないとお前たちに負担をかぶせて増税するぞ」と脅しているのだ。
なぜ税収が減ると困るのか。それは現状が維持できなくなるからである。実はこの考えに,いま社会が陥っている不況による不安の骨幹があるのだ。それは「現状を保ちたい」との欲によって悩みが大きくなっている。「現状」それはいまの収入であり,生活,車,仕事などが保てなくなると思って不安に陥っているのである。
国家はその不安を解消するために「増税」という一番手っとり早い手法をとる。
このままでは日本の総人口が8千万人前後になる危険があり,そうなれば国体を維持できないと政府は考えている。なんとも不思議な発想だ! というよりも,この言葉で国民をごまかそうとしている。
過去日本の歴史を振り返ってみよう。日本の総人口が8千万人しかいなかった時代がなかったのか? あった,いやそれよりもずっと少ない時代があった。ではそのときに日本という国は存在できなかったのか? いやいや立派に国家は存在した。
ならば,なぜ少子化すると国体が保てなくなるというのか? それはいまの状況「無駄な道路建設」「無駄な官僚の渡り」「無駄な箱もの」など,国を弱体化させている官僚や政治屋の「無駄遣い」ができなくなるからだ。戦争中を例に出すまでもなく,国民は国家に利用されてきた。いままた利用されようとしている。
余計な予算を組むことはすなわち,将来へ借金を残すことになる。子どもたちの出産,成長にお金をばらまくことは,彼らに「生まれながらの借金」を背負わすことになる。目先の損得だけで動かされるのは,そろそろ卒業して欲しい。
少子化の結果国民が減ったら,その国民の数にあった政治をやればよいだけのこと。おたおた,あたかも危機を迎えるがごとき言動は,考慮・配慮のない馬鹿の振るまいに等しい。
中国嵩山少林寺に籠っていたとき,方丈に教えられた。人が苦しみ悩むのは欲をもつからである。欲をなくすと悩みから救われる。私が話している欲とは,性欲,食欲,物欲ではない。これらの欲は人間が進化していくために必要なもの。
なくすべき欲は,「いまを保とうとする」ことである。もともとゼロから生まれてゼロに還る。なくてもともと,流れに逆らっては苦しむだけである。事業の経営者が苦しんでいるのも,不況が続けば「いまが保てない(倒産・廃業)」と思うからであって,「なくなればない」生き方をすれば,なにも苦しむことはない。
国家たるもの,自然の摂理に逆らってはいけない。自然の摂理に法って国家を経営してこそ,国民は幸せになれるのである。
註記)以上,ブログ『一滴の水』2009年7月30日木曜日「産めや増やせや/戦争中か!」,http://ittekinomizu.blogspot.jp/2009/07/blog-post_30.html
〔ここで再度『リテラ』の本文に戻る〕 さすがは神社本庁が支持基盤の政治家である。“言霊” が「人工中絶を阻止すると信じているらしい」
有村は,本音では女性の社会進出に反対ではないのか。その証拠に『諸君!』(文藝春秋)2003年8月号で,父権論者・林 道義との鼎談をしたなかで,しきりに林の発言に賛同をしている。
林は極端な専業主婦推進論者で,片親家庭を “欠落家族” と呼び,子どもが重大な犯罪に走る確率が高いなどと主張している。こんな学者と意気投合する議員に「女性活躍担当相」をやらせるとは,安倍内閣はいったいどこにむかっているのだろうか。
補注)昔は,片親の学生が就職戦線で不利にあつかわれた〔差別された〕ことが歴然として記録されている。いまの時代,母子・父子世帯で養育され成長し,1人前になる子どもの数は,非常に多くなっている(考えてもみよ,最近の離婚率はおよそ35%で,3組に1組である)。
有村のような戦前的な時代感覚は,まるで祖先還りをしたかのように,その亡霊的価値観を正々堂々と開陳している。まったくの不埒というか,21世紀に生きる人間(女性)の発言としても,完全に「狂っている」としかいいようがない。
註記)以上まで『リテラ』の本文は,http://lite-ra.com/2014/09/post-444_2.html
3) その3:高市早苗
★婚外子の権利に「悔しい」発言 ★ 高市早苗は自分の権利を守りたいだけ?
「先の戦争は侵略戦争ではなかった」「国会デモを取締まれ」「福島原発で誰も死んでいない」などのウルトラタカ派発言でしられる高市早苗総務相だが,女性問題については,上記の2人ほど保守的ではない。
夫婦別姓には反対の立場だが,以前,『AERA』(朝日新聞出版)でその理由を聞かれたさいは,「(選択的別姓にすると)結婚した知りあいに年賀状を出すとき,この人が別姓か同姓かわからなくて面倒」というような,どうでもいい根拠しか語ることができなかった。
本人自身,結婚後も旧姓を名乗っており,たいした信念はなさそうだ。もしかすると,高市の場合は保守オヤジに気に入られようと「別姓反対」といっているだけなのかもしれない。
だが,ゴリゴリでないからといって,「女性の敵」でないとはかぎらない。高市は女性の社会進出については,一貫して “女性だからという理由で優遇されるのはおかしい” “男と同じ条件で競争すべき” と主張している。
安倍首相が打ち出した「2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする」という目標についても,数値目標をたてるのは,女性というだけでゲタを履かせる結果平等だと反対している。
こうした意見はネットなどでも多くみられる主張だが,国際機関である経済協力開発機構(OECD)の調査結果にもあるように,日本は男女の賃金格差はOECD加盟国のなかでワースト2位。
昨〔2013〕年,世界経済フォーラムが発表した男女格差は,対象国136カ国中日本は105位と過去のワースト記録を更新し,圧倒的な男性優遇社会であることが証明されている。そもそも男と同じ土俵にさえ立てていないという現状認識が,総務大臣サマにはないらしい。
補注)世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)が2023年6月21日に「Global Gender Gap Reprt 2023」を発表していた。そのなかで,各国における男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)を発表していたが,日本の順位は,146か国中125位(昨年は156か国中116位)であった。
なお,その2013年における日本の136カ国中115位とは,ドンケツから何%の位置かというと15.45%,10年経った2023年のそれは14.39%と,かつては経済大国であった日本がこのありさま(ザマ)である。
わかりやすく形容するとしたら,100カ国中でドンケツから15番あたりの順番を占めるという劣悪ぶりである。先頭からの15番ではなく,その逆さま最後からの順番である。しかも,これは現在での評価・順位づけである。
なお,この「男女格差」を表現した指数は,経済・教育・医療・政治の4分野のデーターから作成され,0が完全不平等,1が完全平等を示す。前後して参照しつつ教えてもらっている関連の記事は,日本において「女性の最大の敵はオンナである」し,それも自民党の女性国会議員たちである事実を問題にとりあげていた。
〔記事に戻る→〕 高市はインタビューなどでも,自分がいかに男社会のなかでセクハラまがいのことをされながら,いかにがんばって生き抜いてきたかというような話を滔々と語っている。
だが,後進の女性がそういう目にあわないように環境を整備しようという発想はまったくない。その言動を聞いていると,むしろ,他の女性が自分が乗り越えたような障害に遭遇することなく社会進出してくるのが,我慢ならないという感じなのだ。
そういえば,高市が感情を剥き出しにしたのが,昨〔2013〕年,最高裁で婚外子の遺産相続分を嫡出子の半分とする民法規定が違憲とされた判決。このとき,高市は「ものすごく悔しい」と大臣とは思えない発言をして,
ネット上で「高市早苗『妾の子を差別できなくて悔しい!』発言」と揶揄されたが,これも,妻としての既得権益をおびやかされるということへの憤りだったと考えれば,納得がいく。
要するに,高市が守りたいと考えているのは,女性の権利でなく,自分の既得権益ということだろうか。
4) その4:稲田朋美
★「家族を崩壊させるからDVとかいうな!」 ★ 稲田朋美の狙いは家父長制復活
その高市にかわって政調会長に就任した稲田朋美。安倍首相のイチのお気に入りといわれているが,その思想はほとんどカルトとしか思えない。
まず,稲田は男女共同参画社会基本法に対し,「おいおい気は確かなの? と問いたくなる」と反対を表明。「女性の割合を上げるために能力が劣っていても登用するなどというのはクレージー以外の何ものでもない」(健全な男女共同参画社会をめざす会『なでしこ通信』2007年9月1日)と,ウーマノミクスを “クレイジー” 呼ばわり。
また,「働いているお母さんのほうが,家で家事をしたり子育てしているお母さんより『偉い』という風潮はおかしいですね」(『諸君!』2006年2月号)と,社会進出する女性の足を引っ張るような発言も。……とはいえ,ここまでは前述した女性閣僚たちと変わらない論調。稲田の発言で驚愕するのは,男性によるDVを擁護していることだ。
稲田はこういっていた。「いまや『DV』といえばすべてが正当化される。DV=被害者=救済とインプットされて,それに少しでも疑いを挟むようなものは,無慈悲で人権感覚に乏しい人非人といわんばかりである。まさに,そこのけそこのけDV様のお通りだ,お犬さまのごとしである」「DVという言葉が不当に独り歩きすれば,家族の崩壊を招きかねない」(『別冊正論』第7号/2007年)。
補注)稲田朋美に限らないが,いまどきの女性が全般的にたどっていく人生経路(ライフ・サイクル)が,代表的にはどのようなかたちになっているのかしらないらしい。子どもを産み育てることじたい,最近ではようやくなんとかでも,「女性が働きながらでもできる」になっている。
先進的な経営意識のある日本の企業のなかには,女性従業員をそうした観点から大事にしており,「子どもを産んで・育てて」いきながらも会社を辞めないで継続的にキャリアを蓄積できるように事業を管理しているところは,徐々に増えてきている。
ところが,この稲田朋美は,そうした企業経営側の動向を支持,促進しなければいけない為政者側の立場=大臣職にいながら,これを抑制し,反対する産業社会思想をもっている。また,本当に「男性によるDVを擁護している」としたら,この女性大臣,言語道断の〈人間としての女〉ないしは〈オンナとして人間〉である。
安倍晋三という政治家の価値観を正直に反映させている女性政治家たちが閣僚に指名され,ここまでの記述のなかに「目白押し」という感じで,いうなればつぎつぎと,彼女らに固有である問題性を槍玉に上げていた。まさに『女性の敵』の一群でしかないこれら女性大臣〔トンデモ女性閣僚〕たちが,2014年当時の安倍晋三政権においては,乱舞していた。
註記)以上で補注以外の本文は,
http://lite-ra.com/2014/09/post-444_3.html
最後の段落のみ,
http://lite-ra.com/2014/09/post-444_4.html
さらに,稲田は 以下の理由で “尊属殺人規定を復活せよ!” という主張もしている。
「家族を特別視しない価値観が蔓延すれば,地域共同体,ひいては国家というものも軽んじるようになってしまいます。帰属意識というものが欠如して,バラバラの,自分勝手な個人だけが存在するようになるでしょう」(ケイアンドケイプレス『月刊日本』2008年3月号)
どうやら稲田は,家族の絆というよりも家父長制度の復活を願っているかのようだが,それもそのはず。稲田は父権思想の統一教会との関係もとりざたされており,統一教会の “偽装組織” である世界平和女性連合の集会にも参加している。
この世界平和女性連合は,正体を隠して小中学校などで性教育の講師をつとめ,統一教会の “純潔教育” を布教したり,「つながりをつけた教師や父母を講演会に誘い,入信や霊感商法に誘導」(『しんぶん赤旗』2008年5月5日号)したりしている組織だという。まさに主張も人脈もカルトだらけということだろうか。
ちなみに,稲田は徴兵制にもご執心だ。『正論』2011年3月号に掲載された元空将佐藤 守との対談では,「日本独自の核保有を,単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」と主張。
徴兵制にも高い関心を示し,対談相手の佐藤が現状では必要ないといっているにもかかわらず,「教育体験のようなかたちで,若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」と提案し,「『草食系』といわれるいまの男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」と締めくくっている。
補注)安倍晋三内閣に抜擢されたこれら女性大臣らは「女性の敵」かと思っていたら,「男性の敵」でもあった。もちろん,いまの自衛隊には女性将兵もいるが,ここでは主に,男性向けの稲田の発言である。「女性の敵=男性の敵」ということは,この日本国内に済む人びと全員にとって,まさしく正真正銘の「敵」といってよい。
昔はだいたい,男がそれも支配層の人間たちが,しかも「戦争・戦場」にはいかないで済む立場(安全地帯)にいる者にかぎって,若者(男性)は軍隊にいって身体を鍛えろとか,戦いにはいつでも出向けるようにふだんから鍛錬・訓練をしろとか,好き勝手に一方的に督励していたものである。
ところが,21世紀のいまごろになってこんどは,安倍晋三政権の女性大臣がそういった発言をしだしている。まさしく,安倍晋三あってのこの女性大臣という構図が浮かんでいる。
「女性の活用」を謳い文句に登用されたこの女性閣僚たちの過去の発言を,あらためて振りかえってみたが,出てきたのは《驚愕の発言》だらけであった。もし,彼女たちが主張していることが実現したら,日本はおそらくとんでもないことになってしまうだろう。
徴兵制に姦通罪,女性からの離婚申し立て禁止,尊属殺人罪の復活に保育園の廃止,母乳強制法。そして,シングルマザーやシングルファザーなどの “片親” は差別され,学校では「父親のいうことは絶対」「結婚まで処女を貫け」という教育が施される……。
もちろん,閣僚になればさすがにここまでのことをいい出さないだろうから,これらが本当に実現する可能性は低い。だが,少なくとも,彼女たちが女性にとって子育てしやすい,働きやすい,そして人間らしい権利が守られた社会をつくる方向に向いていないのはたしかだ。
安倍首相はいった。「『すべての女性が輝く社会」を創らねばならないと,このように考えております」と。だが,この人選をみるかぎり,輝けるのはごく一部の裕福な家庭の専業主婦とその子どもだけなのではないだろうか。
註記)以上,本文は,http://lite-ra.com/2014/09/post-444_4.html (水井多賀子)
さて,当時の安倍晋三は,「戦後レジーム」を否定・破壊すべき任務を背負っていたつもりであり,その考えに則して日本国首相の仕事・任務に就いていたはずである。
しかし,この首相が任命した女性閣僚(大臣)たちに限っていえば,すでに,その「戦後レジーム」はどこかに吹き飛ばされたかのような体裁になっていた。
自民党の女性国会議員たち,それも大臣(閣僚)入りした彼女たちは,主観的な気持においてはどこまでも,時代錯誤ではないと確信しているらしく,以上のように批判・非難されるほかない狂想的な発言や行動を平気でしてきていた。
そうした国会の場をめぐる彼女らが披露してくれた光景は,現在の政権・内閣の大臣職『ひな壇』に座っている女性議員たちとしてならば,それこそみごとなまで「完璧に転倒した社会価値観」の持ち主たちである立場を,馬鹿正直にまで告白していた。
以上に聞いてみた水井多賀子(という氏名のこの人が女性であることは当然だが)による,前段の『リテラ』が展開したがごとき,安倍晋三政権女性大臣たちに対する批判は,きわめて妥当な中身であった。
しかし,その女性閣僚たちは,21世紀になっての日本社会の構造・機能じたいが,どのように変遷してきていているのか,そして,現段階においては,いったいどのような実態にまで変容してきたのかなどについて,まともに理解できていた様子はうかがえない。
その意味でいうと,安倍晋三という首相の政治的な資質を,合わせ鏡のようによく反映している女性大臣が,よくもこれだけ揃いにそらって,ずらっと並んだものだと,妙に感心(寒心?)する。
【参考記事:2024年3月2日】 以上のように論じてきた日本国の現状があるにもかかわらず,戦争の時代のように「産めよ,殖やせよ」とでもいいたいかのような,当初から「時代そのものに盲目である」「オバサン的反動の国会議員」が,山谷えり子,有村治子,高市早苗,稲田朋美など,いずれも安倍晋三の「お気に入り」だった女性議員たち。
あなた方のごとき女性の国会議員たちが唱えていた文句,思いめぐらせてきた観念こそが,日本の少子化現象に拍車をかけてきた基本的な要因である事実に気づかねばならなかった。ところが,その点からしてもともと,とんと疎遠,つまり「無理解」と来ていたゆえ,ある意味では処置なし。
※-4 本ブログ,それまでにおける関連の議論「再説」
1) 安倍晋三内閣の問題性
この※-4の記述は,前項までの論及とは多少焦点が移動させた観点から安倍晋三内閣の問題を指摘することになる。たとえば,本ブログ「2014年09月17日」「日本経済に対する政府の甘い見通し-物価が上がるほど賃金は上がらず-」では,こう論じていた
〔2014年9月16日〕に記述していたが,本日〔2014年9月17日〕『日本経済新聞』朝刊「大機小機」は『次元の違う地方創生を』という題名をかかげて,つぎのように論じていた。
第2次安倍改造内閣で地方創生の司令塔が設置された。スタッフも増強されるという。中央の縦割り行政に横串をさすことで,地方みずからのイニシアチブによる再生へのとり組みを支援する体制が整うことを期待したい。
もとより地方が抱えている問題はさまざまであり,その処方箋も地方によって異なる。それでも地方が抱える課題には共通点も多く日本の経済,社会の縮図でもある。その意味で地方再生は日本再生に直結するのである。
地方共通の課題を拾い出してみると,まず人口減少に伴う悪循環に歯止めをかけることである。地方では雇用機会の減少と人手不足の深刻化という矛盾した現象が同時進行している。これに対処するには,地方での雇用基盤の再生,強化が不可欠である。
起業支援や女性の活躍支援,働き方の改革も課題となる。同時に少子化対策として,子育て層の地方居住を促進するため,結婚,出産や育児支援の強化,多子世帯への支援も欠かせない。
補注)安倍晋三改造内閣に入閣した大臣,それも女性大臣たち(総務大臣になった小渕優子は除いて)は,こうした施策に対して,間違いなくブレーキ役を果たしそうな,相当に「時代遅れ」の国会議員として存在していた。
その該当者氏名は既述に登場していた者たち,高市早苗,有村治子,山谷えり子,松島みどり(この松島だけは本日の記述ではとりあげていない),稲田朋美などであった。彼女らは女性自身でありながら,女性の立場・利害を尊重し守護するという姿勢がきわめて弱いだけでなく,むしろ女性の権益に向かっては「時代反動的な意見」の持ち主である。
つまり女性の「仇敵であるのが〈彼女ら〉」であった。
端的にいえば,女性を大事する観点をもちあわせないような「国家思想の持ち主である女性議員たち」が,それも大臣(関係部署の閣僚)になったからといって,つまり,「少子化対策」のために必要である「子育て層の地方居住を促進」「結婚,出産や育児支援の強化」「多子世帯への支援」に対して,まともにとり組める意欲ないしは適性があるとは思えない。その逆の方向性ならば十分にありえたことだけは,たしかではあったが……。
2) 高市早苗-この人はピント外れの第1人者的な大臣さま-
なかでも,高市早苗(現在〔当時の〕総務大臣)は〈札付き〉のボケぶりを発揮していた。2013年6月17日,高市早苗政調会長(当時)は神戸市で講演したさい,原発の再稼働問題についてこう述べた。
「福島第1原発で事故が起きたが,それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」。同時に「原発は廃炉まで考えると莫大なお金がかかるが,稼働しているあいだはコストが比較的安い。エネルギーを安定的に供給できる絵を描けないかぎり,原発を利用しないというのは無責任な気がする」
この女性議員を〈コマッタちゃん〉と揶揄して呼ぶある人が,以下のように彼女を批判していた。これは,以前(2013年6月)にこの高市がそのように失言したというか,無知ゆえに放った無責任の放言(「3・11の原発事故の『死亡者が出ている状況ではない』)を非難したブログの記事である。
その調子でなんでもしゃべるのが,高市早苗の特性であった。当面はこの程度の姿勢で女性問題にも「立ち向かう」のが,この「高市の実力と品性である」とみて大きな間違いにならない。つまり,高市は完全なる「女性の敵」。前段に触れたブログはこうも説明している。
--高市氏が発言を撤回した6月19日,識者からは「政治家としての資質に問題がある」「撤回しても許されない」と厳しく批判する声が上がった。
a) 明治学院大学の川上和久教授(政治心理学)は「与党の政調会長が震災関連死についてしらないはずがないし,しらなかったとしたら問題外だ。どんな文脈であれ,いっていいことと悪いこと事の判断ができておらず,政治家としての資質に問題がある」ときびしい。
さらに「発言は有権者に『自民党は気が緩んでいる』『おごっている』という印象を与えた。支持率が高いのですぐに影響はなくても,今後,ボディーブローのように効いてくるだろう」と指摘した。
b) 原子力資料情報室の沢井正子研究員は,原発に近い病院で救助が遅れて寝たきりの患者が亡くなったり,被災者が自殺したりした例を挙げ,「原発事故の実情をなにも学んでいない。発言を撤回して許される問題ではなく,政治家を辞めるべきだ」と批判した。
c) パフォーマンス心理学が専門の佐藤綾子日本大学教授は「もともとピント外れの発言をする人だが,最近の他の政治家の失言と違って今回は人間にとってもっとも尊重されるべき生命にかかわる問題。認識違いというレベルでは済まされない」と指摘。
「小手先の表現方法で謝られても怒りが増すだけ。いまも苦しみつづけている福島の人たちに『命に対する根本的な姿勢が間違っていました。許してください』と頭を下げなければならない」と述べた。
以上の批判とはまた別に,石原伸晃(2014年9月3日まで環境大臣)も,福島県に向かい,こういう失言を放っていた。こちらは,2014年6月23日にうっかりであったのだが,実際にはホンネそのものとして,あの「慎太郎の▼▼息子」が垂れ流していた一件であった。
それは,東京電力福島第1原発事故で出た汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐって『最後は金目でしょ』と発言した件であった。石原は直後には,建設候補地の福島県大熊町と双葉町の両町長や福島県の佐藤雄平知事に謝罪しなければならない顛末となっていた。
3) 高市早苗,国家社会主義日本労働者党幹部とのツー・ショット
ここでは,本ブログ内ではすでに言及があった事実であるが,再度指摘しておく。「高市早苗ら「国家社会主義日本労働者党』員とツー・ショット」という題目の文章からの紹介する。
高市早苗総務相(現在)ら自民党の国会議員3人が,ナチス・ドイツのシンボル「かぎ十字」に似た旗などをかかげて行動する団体の男性代表と一緒に写真に納まっていた。団体のホームページ(HP)に一時掲載された。欧州を中心とした海外メディアが相次ぎ報じた。
極右団体代表の男性と写真撮影は, “英ガーディアン紙” に記事となって出ていた。日の丸をバックに高市早苗美議員や稲田朋美議員とそれぞれ記念写真に収まる男性は「国家社会主義日本労働者党」と名乗る政治団体代表,山田一成である。これは,2014年9月9日報道の記事であった。
4) 山谷えり子,在特会元幹部とのツー・ショット
ここでは,本ブログが別途,「『櫻井よしこ』の狂妄『意見広告』,従軍慰安婦問題の針小棒大的な否定・誤説-このごろのさばる極右のトンデモな歴史認識-」と題した文章から復活させる段落となる。
山谷えり子が「在特会元幹部とツー・ショット」ということで,『朝日新聞』2014年9月18日朝刊は,最近なされた安倍晋三改造内閣で入閣した5名の女性議員のうち山谷えり子の動向に関して,つぎのように報道していた。
▼ 山谷氏,在特会元幹部と写真 2009年撮影 「所属,知らなかった」▼
山谷えり子・国家公安委員長が2009年,「在日特権を許さない市民の会(在特会)」幹部(当時)の男性と一緒に写真に納まっていたことがわかった。自身のホームページ(HP)でこの写真を公開していた男性が取材に答えた。山谷氏の事務所は「(男性について)別団体の事務局長として面識はあったが,在特会に所属していることは承知していなかった」と説明している。
男性やHPなどによると,写真は男性が在特会関西支部長だった2009年2月,「竹島の日」にあわせて訪れた松江市のホテルで撮影した。男性のほかに山谷氏と一緒に写真に納まった6人のうち,1人は在特会の元京都支部幹部という。
男性は「山谷氏とは約15年前に教育再生をめぐる活動を通じて知りあった。在特会の活動として会ったわけではない」と話した。週刊文春の取材を受けたこと がきっかけで今月16日,HPから写真を削除したという。
一方,山谷氏の事務所は「多くの方からの写真撮影に応じているが,ご依頼いただいた個々の方の身分については承知していない」とコメントした。
註記)以上『朝日新聞』2014年9月18日朝刊参照。
そうだったからといって問題がないとはいえまい。この種の問題は,政治家であるからこそかえって,ふだんから用心して応接すべき性質のものであり,極力,問題など発生させないように慎重に振まわねばならなかったはずであった。
もっとも,高市早苗といい,この山谷えり子といい,もともと極右勢力が積極的にも近づいてきて当然の,政治的な立場と思想の持ち主であった。それゆえに,この種の問題が発生しやすい事情や環境に日常的に囲まれていた。その関係でいえば,なるべくしてなっていたごときの「それぞれの行為の記録」であったというほかない。
5)「『地方』『女性』会議が乱立 議論拡散を懸念,石破・有村氏の調整カ」『日本経済新聞』2014年9月23日朝刊4「政治」面
この記事は本日〔9月23日〕のものであった。以下のように報じているが,ここまで論じてきた女性閣僚陣では,このさきが思いやられるしだいである。誰もがそう感じるはずである。
安倍晋三首相が重点政策にかかげる「地方創生」や「女性活躍推進」に関する議論が本格化してきた。官邸主導で具体策をとりまとめる考えだが,政府内の多くの会議で同じテーマが議題に上がる。「方向性が定まらないのではないか」との懸念も出ており,石破 茂地方創生相や有村治子女性活躍相ら担当閣僚の調整がカギを握りそうだ。
「地方の創生と女性が輝く社会の実現はこの内閣の最優先課題であり,取り組みを強化する」。首相は講演や会議でこうした発言を繰りかえす。アベノミクスの効果を地方にも波及させるとともに,将来の労働力不足が指摘される日本で女性の社会進出を促す環境整備が不可欠との思いがある。
〔9月〕3日の内閣改造の目玉として地方創生相を新設し,司令塔として「まち・ひと・しごと創生本部」を発足した。女性政策の担当閣僚は前内閣の「女性活力・子育て支援担当」から「女性活躍担当」に名称を改めた。近く女性活躍推進本部も設ける。いずれも首相の意向が強く働いた。
ただ既存の会議でもこうしたテーマを扱うだけに戸惑う声もある。成長戦略づくりを担う産業競争力会議は〔9〕18日に示した今後の検討事項で「地域の経済構造改革を実現するための施策の検討を行う」と定めた。規制改革会議は地域活性化策を検討する作業部会を新たに作り,国家戦略特区諮問会議では地域を絞った規制緩和策を話しあう。いずれも検討内容は「創生本部」と重なりそうだ。
女性政策をめぐっては,女性活躍推進本部を司令塔と位置づけるものの,競争力会議や創生本部も同じテーマで議論するほか,教育再生実行会議でも教育の観点から女性政策の議論を進める。首相は17日の教育再生実行会議で「女性の躍進・活躍支援,地域創生のための教育のあり方などの課題について未来を見据えた議論を期待したい」と述べた。
今後は,石破 茂氏ら関係閣僚間の調整や,各会議の有識者の意見などをどう具体的な政策に落としこむかが焦点となる。首相周辺は「最初からすみ分けを明確にする必要はない。それぞれで競わせて,改革が進みやすい会議を選べばいい」と話すが,議論が拡散して意見集約が難航する可能性もある。来年度予算編成に向け,石破氏らの指導力が試されることになりそうだ。
補注)安倍晋三は「それぞれで競わせて,改革が進みやす」くすることを期待したるそうであるが,女性閣僚(大臣)たちの素性(本性)をしっただけでも,このもくろみはおそらく頓挫する危険性を大きく抱えている。そう観測するしかない。
--最後に前述に触れた『週刊朝日』2014年9月26日号記事「女性閣僚最多内閣とは言うけど」を,当時において以上のようにとりあげた時は,この内閣が前途に困難が〈最多となりそうだ〉という予測だけはつけていたが,実際にこの内閣はその後,6年もの長きにわたり「美しい国」になるはずであったこの日本を,すっかり汚濁まみれだけの「汚い国」に落しこんできた。
以上の長文は,だいたいが2014年9月時点の記述を再生利用していたが,これに,2024年3月上旬という地点から再論しなおしてみた。ともかく,安倍晋三のアベノポリティックスとアホノミクスのせいで,その後の10年間ほどはまさに,
いまのこの国は,森嶋道夫『なぜ日本は没落するか』岩波書店,1999年が心配して予告したとおりになっている。今年は2024年だから,その間,四半世紀もの時間が経過した。2012年12月26日に安倍晋三が第2次政権を発足させて以来のこの日本国は,もはや完全に「衰退途上国」と化した。
その「衰退途上」を邁進するためであるかのように現在,日本の政治運営を担当しているのが,安倍晋三と同じに「世襲3代目の政治屋」である岸田文雄である。
夢も希望もなにもない,この「日出ずる国」ならぬ「日沈む国」かのような「いまの日本国」である。かといって,そうなってしまった責任を,あの「世襲3代目の政治屋」(この▲ホなボンボン世襲)たちにだけ押しつけることはできない。というのは,日本に生きて暮らすわれわれ1人ひとりの責任でもあったから……。
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