畑村洋太郎『失敗学』の失敗は原発までその対象に入れて構想したためで,原発の問題に「失敗の観点」は適用不可なり
※-1 山本義隆『福島の原発事故をめぐって-いくつから学び考えたこと-』2011年と青木美希『なぜ原発を止められないのか?』2023年
本ブログ筆者は最近,地方に出かけている合間をぬって,つぎの2冊の原発に反対する著作を読んでみた。
その1冊は,山本義隆『福島の原発事故をめぐって-いくつから学び考えたこと-』みすず書房,2011年8月,もう1冊は青木美希『なぜ原発を止められないのか?』文藝春秋(新書)2023年11月20日,であった。
青木美希の本は最新刊といっていい。この本の表紙カバーには「『安全神話』に加担した政・完・業・学 そして,マスコミの大罪!」と宣伝の文句が謳われている。とくに太文字にした題字は,この本の主題の文字よりも何ポイントも大きい,しかも赤字で強調されている。
2011年3月11日午後2時46分,三陸沖に発生した大地震は,マグニチュード9.0という人類史上で想定しうる最大規模の超巨大地震であった。しかし,この程度になる地震は西暦年の9世紀になって,日本の古文書に記録されてきた。貞観地震(貞観11年5月26日,ユリウス暦869年7月9日、グレゴリオ暦7月13日)が,その記述の対象になっていた。
「超巨大地震」とは,マグニチュード9クラスの超巨大なプレート間地震を指す。東北地方の太平洋沿岸に発生した巨大津波を伴う「超巨大地震(東北地方太平洋沖型)」が,この記述においては「真正面に据えて考えるべき問題」となる。
いったいなんのためにそうするのかといったら,この地震国である日本の国土に,50基以上もの原発を立地させ利用してきた「異様な電力生産・供給体制」が存在するゆえあった。
そもそも,原発の立地に関しては,地震など考慮にいれないで済むアメリカで設計・製造・実用化されたのが,この原発という発電装置・機械であった。ところが,世界中でも有数の地震国である日本に,この原発がもちこまれたのだから,最初から問題にならないわけがなかった。
原発が事故を発生したさい起こりうる「全交流電源喪失」,すなわち「外部電源,非常用ディーゼル発電機の機能が失われ,発電所が完全に停電する」ことになれば,間もなく原子炉が溶融するという段階にまで進むほかなくなり,これが大事故を発生させる原因になる。
実際,東日本大震災が発生した「3・11」当日中には,東電福島第1原発の1号機が最初に炉心溶融を起こしていたとされ,その後もつづいて2号機・3号機も,炉心溶融に至る事態になっていた。
いずれの事故の発生も,東日本大震災が発生したのち襲ってきた大津波によって冠水しために「非常用ディーゼル発電機の機能」が喪失したことが,直接の原因になっていた。
日本の原発は,アメリカの原発を〈ターンキー方式〉で調達し建造されていたため,とくにその「非常用ディーゼル発電機」が地下の位置に設置されており,これが致命的に事故を発生させる原因になっていても,これを見過ごしてきた。
補注)【断わり】
本ブログがとりあげた「畑村洋太郎の失敗学」関連の記述は,以下の連続もの3編であった。また,今回は直接には言及しないが,畑村が公刊してきた著作は,つぎの「以下(#)のもの」である。前もって紹介することにした。興味ある人は面倒でもこちらのなかから,どれか1編あるいは1冊でも参照してもらえれば幸いである。
▲-1「畑村洋太郎『失敗学』の視座から原発事故を分析する問題(1)」2023年2月27日,https://note.com/brainy_turntable/n/n3da4bc0cb3c2
▲-2「畑村洋太郎『失敗学』の視座から原発事故を分析する問題(2)」2023年3月1日,https://note.com/brainy_turntable/n/n34ca31724aeb
▲-3「畑村洋太郎『失敗学』の視座から原発事故を分析する問題(3)」2023年月2日,https://note.com/brainy_turntable/n/n1719e6983bf9
畑村洋太郎がこれまで公刊してきた失敗学関連の著作(#)は,以下を紹介しておきたい。多作である。まだこれでも畑村の全作品ではないので,念のため。
※-2 古代日本から発生しつづけてきた超巨大地震の記録を無視した東京電力の幹部たち
「津波堆積物調査」によると,超巨大地震(東北地方太平洋沖型)は,過去3000年間に5回発生していた。これを新しい順に挙げると,こうなっていた。
2011年の東北地方太平洋沖地震,
1611年の慶長三陸地震または1454年の享徳地震,
869年の貞観地震,
4~5世紀ころの地震,
紀元前4~3世紀ころの地震
などが記録されている。
その平均発生間隔は約550~600年となり,今後30年以内の地震発生確率はほぼ0%とされている。ただし,東日本地域においては,この超巨大地震と同等以上の危険性は,これから時間が経過するとともに,再び徐々に増していくことになることに変わりはない。だいぶ先の話としてでも,である。
註記)「超巨大地震(東北地方太平洋沖型)の発生確率」
『仙台市』更新日:2023年1月16日, https://www.city.sendai.jp/kekaku/kurashi/anzen/saigaitaisaku/kanren/kakuritsu.html 参照。
補注)以上の記述が指示した地域・海域はつぎのとおりである。
しかし,気象庁が発表する日本国内に関する「別のつぎの予測」は,こう説明されている。
気象庁地震火山部が2023年年11月08日に公表した「南海トラフ地震関連解説情報」のなかには,こういう段落が記載されている。
前段に,「東北地方の太平洋沿岸に巨大津波」を伴う超巨大地震は,それも「宮城県沖地震等の発生確率」は「今後30年以内の地震発生確率はほぼ0%とされている」と,一方で解説されてはいるものの,
他方で,南海トラフ巨大地震による,つまり「南海トラフ沿いの大規模地震(M8からM9クラス)は,『平常時』」においても今後30年以内に発生する確率が70から80%であ」ると予測されている。
考えてみるまでもなく,2011年の東日本地方に起きた超巨大地震は「さておき」,今後において,関東地方以西から九州地方にかけての「南海トラフ」の海底に発生する,もしかしたら,2011年に東日本沿岸を襲った大津波を発生させたその超巨大地震のときよりも,さらに恐ろしい災害をもたらす超々巨大地震が発生することは,近々に予想される「回避できない〈未来の事態〉だ」と確実視されている。
なにせ,その発生じたいは自然現象であって,これを阻止する人間側の対抗策に決定的なものはありえず,ただその被害を最少化するための努力あるのみである。
※-3 それでも今後に原発を増やすと表明した岸田文雄首相の「狂気の沙汰」
ところが,いまの日本国の首相岸田文雄は,原子力村に飼われたオウムではあるまいに,しかも教えこまれた以上にの優等生にでもなったかのように発言していた。2022年8月下旬のことであったが,「原発の再稼働」どころか「その新増設」まで正式に発言した。
この発言は,ありていにいて気違い沙汰であり,まったくに狂気の沙汰そのものであった。
原発を新増設する・しないにかかわらず,南海トラフに原因するその巨大地震に日本列島の関東地方の以西全域が「大地震と大津波」に襲われたら,それこそ,2011年「3・11」に発生した東日本大震災とこれによって起きた大津波の規模を,はるかにうわまわる大地震と大津波の発生が確実視されている。
つぎにそうした被害が予想される諸事象をめぐっては,いくつかの図解をもって説明を補充する材料に代えておきたい。
「ふたつ上」の図解(のなかで日本列島の関東から九州まで)を観てまず気づくのは,中部電力の浜岡原発が静岡県御前崎市に立地する事実である。
この浜岡原子力発電所は中部電力唯一の原子力発電所であり,1号機から5号機まで5つの発電設備がある。すでに,1号機と2号機は2009年1月に運転を終了している。
また3号機は2010年11月29日から定期検査中,4号機と5号機は 2011年5月14日から運転停止中である。さらに6号機が建設画中とのことである。
中部電力の浜岡原発が立地した場所は地質学的に問題がある点は,ここでは直接触れないが,南海トラフ巨大地震が発生したときは,またもや大津波の襲来が予測されていることから,この浜岡原発は海抜22メートルもの高さになる防護壁を建設した。ビルでいえば,その高さはほぼ7階に相当する。
中部電力のこの浜岡原発が現在再稼働できない事情は,「浜岡原発の防波壁,4mかさ上げへ 中部電が追加対策」『朝日新聞』『朝日新聞』2012年12月20日という記事が,つぎの図解などを添えて,こう説明していた。
「(静岡県御前崎市)の海岸沿いに建設中の防波壁(総延長1.6キロ)の高さを18メートルから22メートルにかさ上げすると発表した。南海トラフ沿いで巨大地震が起きれば,防波壁で津波は最大21.4メートルに達し,敷地が浸水するという試算結果が出たため。津波対策を万全にすることで,住民や自治体の原発再稼働への理解をうる狙いもある」
つぎの図解は,もしも浜岡原発が事故を起こした場合に想定できる,この場合では「単純に半径の範囲」を引いて描いた「放射性物質」の悪影響を示している。
だが,実際にはこのような真円に向かいで均等に拡散することはなく,すでにチェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故で分かっているように,風向きとその強さによって不確定の方向と範囲に不均等かつ不確定に分散していく。
瀬尾 健『原発事故…その時,あなたは!』風媒社,1995年は,「最悪の災害があなたの街を襲うとき!」という現実性のあった予測を,当時存在して原発ごとに机上計算(シミュレーション)してまとめた本である。
瀬尾 健のこの本は東電関係では「福島第一 6号炉」のシミュレーションをおこなっていたが,なんとこの原発では1号炉,2号炉,3号炉が「3・11」では炉心溶融を起こすというなんとも形容しがたい恐ろしい大事故を発生させていた。
瀬尾 健は中部電力の浜岡原発については3号機をとりあげ,同上の机上計算を報告していた。
要は,瀬尾 健の原発に対する警告としての予測は的中したという以上に,こういってはなんだがみごとに的中してしまった。
関連していうと,東電福島第1原発事故の場合,稼働していなかった4号炉の核燃料が一時的に保管されていた「使用済み核燃料プール」に関する出来事に触れておく必要がある。
その出来事は,東電福島原発事故に関して「奇跡」的に起きていた諸事象のうち,つぎの説明をもって指摘されている。
a) まず,4号機(炉)の使用済み核燃料プールが過熱・崩壊しなかった理由についてである。
たまたま,工期の延期で4号機・原子炉ウェルの水が抜かれていなかったために,次段に説明するような幸運が生まれていた。しかし本当は,震災直前の工事の不手際と,意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあってそこの水が使用済み核燃料プールに流れこみ,救われたのである。
どういうことかというと,4号機の燃料の冷却用の水の相当量は,東日本大震災発生4日前の3月7日に外部に抜き取られる予定だった。ところが,改修工事の不手際で工程が遅れ,その結果として燃料貯蔵プールのそばに大量の水が存在していた。
燃料貯蔵プールのそばにあったその原子炉ウェルは,原子炉圧力容器の上蓋の真上にある縦穴で,使用済燃料プールと隣り合っていて,この原子炉ウェルの水抜きが本来,3月11日の4日前に水抜きされる予定があったけれども,この水が意図せざる仕切り壁のずれでできた隙間を通ってプールに流れこむという,予想外の事態が生じていた。
偶発的にもそうなったおかげであったが,4号炉の使用済み核燃料が熱崩壊しなかったのは,まさにこの奇跡が起きていたからであった。
b) つぎに,2号機の内部圧力急低下したことの原因は不明だが,もしこの2号機の格納容器が爆発していたら,現在の規模の汚染・避難範囲では済まず,東京を含む関東以北,青森以南の地域は数十年にわたって立ち入り禁止区域になり,3500万人の避難が必要だった。
この事態に至ったとしたら,東日本は北海道をのぞいて壊滅状態になる危険性にもろに襲われていたはずであるが,本当に不幸中の幸いというべき以上のごとき事象が連続的に発生していて,日本は救われていた。
註記)以上は,【狛江の放射能を測る会】M.S「2011年3月11日の福島原発事故に関連する11の奇跡」http://hakarukai.clean.to/Fukushima-11-miracles.pdf を参照。
この b) の緊急事態がもしも発生していたら,末恐ろしい東日本のその後における様子が発生していたと思われる。
当時,民主党の首相であった菅 直人は,自著『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』幻冬舎,2012年10月のなかでこう回顧している。
そうしたものすごい事態に追いこまれたとすれば,この日本国はほぼ半分は沈没したも同然の結末になっていたかもしれない。しかし,幸いにも最悪の事態だけは逃れることができていた。
※-4 畑村洋太郎『失敗学』の失敗は「原発をその対象にふくめた」がゆえ
東日本大震災によって惹起された東電福島第1原発事故をみせつけられてだと思うが,畑村洋太郎という元東京大学工学部教授(のちに工学院大学教授など)が『失敗学』を提唱したさい,原発もこの失敗学という学問構想のなかに組み入れた方途を示した構想に接したとき,本ブログ筆者ははっきりいって驚愕した。
本ブログ筆者はそうした「失敗学」の提唱に接して,なんというか,度肝を抜かれた思いがした。なぜなら,「学問の形態」としては「ありえない構想」を,その失敗学が披露したからであった。簡明に表現すると,「それをいっちゃあ,おしまいよ」ということであった。
どういうことかといったら,その失敗学の研究対象のなかに「原発の事故」を入れたら,含めたら,くわえたら「もうダメだ」,失敗学という方途全体が根幹からダメになってしまうという意味であった。
失敗という問題要因を基礎に置いた「失敗学」は,「原発問題」に関するかぎり,最初から不可能事を語ろうとしていた。チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故が再度起きては困る。絶対に発生させてはいけない。
でも「ものごと」に失敗はつきものであり,完全に排除できないことがらになっているゆえ,失敗学は失敗という問題をとりあげる学問の構想として成立しうるとされる。
だが,原発の問題に対してはそうした発想の基本は,完全に間違えた方途を最初から採っていた。どういうことか?
「絶対に発生させるわけにはいかない」原発のとくに大事故を,失敗学は起きるかもしれないと想定し,前提に置いてうえでないと成立しえない。あらゆる「ほかのあれこれ問題」の失敗例を挙げて比較・検討しようとするならば,これは「原発の問題」にかぎっては,けっして,絶対に成立しえない。というよりは,学問・理論としては《禁句》を発してしまったことを意味する。
どれほど,原発の問題も念頭に並べて失敗学を成立させたかったにせよ,原発は除外するほかなかったのである。もう一度,原発事故が失敗として発生したさい,これをこの失敗学が検討するための材料に使うということならば,当初よりとうてい許されるべき方途ではない。滅相もない着想である。
あるいはせいぜい,いままで起きてしまった原発事故に限定してその討究・研究の材料に使うというのであれば,理解できなくないわけではない。しかし,現実には想定などしてはいけなかった「そうした失敗学のあり方」であるはずだから,その思考はけっして望まれてない学問のあり方にならざるをえない。
※-5 ロシアがはじめたウクライナ侵略戦争のエネルギー問題への悪影響
「プーチンのロシア」がウクライナ侵略戦争を開始してしまった結果,いまこの地球環境の上ではエネルギー問題がより重要化,複雑化したなかで,アメリカがつい最近であったが,こういいだした。
いままでは,自国で1979年3月28日に起こしたスリーマイル島原発事故以来,原発の怖さに縮み上がっていたこのアメリカが突如,つぎのような方針を打ち出したのである。
「COP28 米政府 世界の原発の発電容量3倍へ宣言 日本など賛同」『NHK NEWS WEB』2023年12月2日 19時28分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231202/k10014275921000.html がこう伝えていた。
この『NHK NEWS WEB』のあとには,『毎日新聞』の当該する記事も画像資料でかかげておく。
畑村洋太郎の『失敗学』は,こうしたアメリカがいいだした路線にしたがうとして,2050年時点において原発の基数が世界全体でいまの3倍にまで増えるとした場合,換言すれば,およそ1500基近くもの原発が存在するようになった時期にこそ,もしかしたら,自分の提唱した失敗学がヨリ必要になると,自信をもってあらためて主張できるのか?
【参考記事】
チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故みたいに,深刻かつ重大な事故が再び起きても,これを失敗学の研究対象として活用し,それ以後に対する教訓をえたり対策を立てたりすることができればよい,などと考えているのか?
それとも,もしかしたらそこまで考えていなかったのか?
さらに一度であっても,この地球上で旧ソ連や日本が起こしたごとき「原発の大事故」がまたもや起きると想定し,つまり,原発を利用しつつ失敗する事故が起ればこれを失敗学で解明・究明し,その後に対する「事故防止のために役立たせる」ことが可能になるといういった具合に,まさか考えているのか?
つぎの画像は畑村洋太郎の作図になる説明であり,原発の関連も記入されているものである。原発の「十分な失敗経験」とは,いかなる事象の生起を念頭に置いたそれなのか?
たとえば,各種の交通機関に発生する大事故に対した接近方法と同じ要領で「思考をしようとする回路」をもちいて,失敗学が「原発の深刻かつ重大な事故の発生」を「十分な失敗経験」としてさらに「積む」ことが,いったいどのような事態を意味するか,畑村洋太郎でなくともすぐに判る道理である。
畑村洋太郎流の『失敗学』は,今後においても「原発事故という失敗の発生=体験」を,なお許容していくほかない立場であるならば,そこにはなにか根本からボタンのかけ間違いをしていたことになる。
まともな考え方をするならば,チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故ほどの深刻かつ重大な事故は,これからは絶対に起こしてはいけないはずである。それを「十分な失敗経験」として「積む」ことが,失敗学の立場にとって必要条件みたく提唱していたとしたら,これは学問でも理論でもなんでもない。提唱じたいが破綻していた。
※-6 山本義隆『福島の原発事故をめぐって-いくつから学び考えたこと-』2011年,ならびに青木美希『なぜ原発を止められないのか?』2023年に学ぶこと
冒頭で挙げてあったが,東電福島第1原発事故が起きた年に公刊された,山本義隆『福島の原発事故をめぐって-いくつから学び考えたこと-』みすず書房,2011年8月,そしてその12年後に公刊された,青木美希『なぜ原発を止められないのか?』文藝春秋(新書)2023年11月20日は,
以上のごときに,本ブログ筆者が指摘・批判した『失敗学』の構想,そして,以上のように指示してみた基本的なその疑問点に照らしていえば,「原発を無用とする」論理と倫理,「原発不要論」の立場は,あまりにも当然かつ必然の方向性であった。
山本義隆『福島の原発事故をめぐって-いくつから学び考えたこと-』は山本自身が原子力工学を専攻した人間ではなく,物理学を専攻した人間の立場より,ごく常識的な思念を基本に置いたうえで,徹底的に「原発無理論」を説いている。
青木美希『なぜ原発を止められないのか?』は,ジャーナリスト(新聞記者)として,原子力村全体に根を張る「反技術的な没論理性」と「無理・無体さかげん」に向けられた,終始一貫して説得力のある議論を徹底的に詰めている。
山本義隆の本は,カバー表紙の上にさらに巻かれた帯に,こういう宣伝文句を印字していた。
仮に,畑村洋太郎流になる『失敗学』が,原発の容認「は子孫への犯罪であると説」く「この山本義隆のこの考え方」を,いったいどのように裁きうるのか見物である。おそらく回答できまい。
前段でも触れたことを繰り返していう。畑村洋太郎の失敗学は「原発の深刻かつ重大な事故の発生」を「十分な失敗経験」として「積む」ことが,失敗学としての有意義であるという見地を披露していた。
畑村洋太郎は,原発を失敗学から究明するために必要な「十分な失敗経験」を「積む」べき「立場」を公称していた。けれども,前段ですでに断わったとおり,原発問題に対して「失敗学」流の方法論を適用したら,これは,この失敗学の「もう一巻の終わり」を意味した。
本ブログ筆者が,畑村洋太郎仕込みになる「失敗学」を執拗に批判していたのは,その理論志向のなかに「腐ったリンゴ:原発の失敗体験」を混ぜこんだ点が看過しがたいがためであった。それでは,ほかの健全なリンゴの失敗体験まで腐らすことになりかねない。
青木美希『なぜ原発を止められないのか?』は,原発の原初的な技術経済的な無理・無体がなんであったかについて,オーストリアの人びとが原発に反対した理由からその事実5つを挙げていた(286頁参照)。なおオーストリアは原発を建設したものの,国民投票の結果,廃絶していた。
この種の原発批判はまさしく,現実に発生しつづけきたの「原発の害悪」そのものであった。原発の危険性を具体的に指摘するための「反原発」の理屈:根拠は,従来であれば原発の宣伝文句(売り文句)であった,いわゆる「安全・安価・安心」とは正反対に位置する「逆理」性,つまり「危険であり高価であり不安でもある」点からこそ生まれていた。
畑村洋太郎に提唱になる『失敗学』は,原発を除外しないかぎり支持しえない。もとよりそれが学問の発想として成立するとは考えられない。失敗学が相手にしうる《想定外の事象》までも考察の対象に含めた誤りは,救いようがない「失敗学」の「失敗」をみずから呼びこんだ事実を意味する。
「COP28 米政府 世界の原発の発電容量3倍へ宣言 日本など賛同」『NHK NEWS WEB』2023年12月2日 19時28分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231202/k10014275921000.html がこう伝えていた。なお『毎日新聞』が報道していた関連記事は,前段に画像資料として紹介済みであった。
※-7 経済産業省資源エネルギー庁が意図的にすり替えた「3E+S」の説明
本日(2023年12月3日),経済産業省資源エネルギー庁のホームページをのぞいてみたところ,つぎのように書いてあった。なかでも以前は, “原発のためにこそ充てていた” はずの「3E+S」の説明が,いつの間にか「そうはいわなくなっている」。都合のいいすりかえがなされていた。
経済産業省資源エネルギー庁は以前,原発が一番よいエネルギーだ,ベースロードとして最適なエネルギーだという観点を明述し,大いに主張していた。このエネルギー観にまつわるイデオロギーを高揚,喧伝しつつ,なんといっても「原発がもっとも好ましいエネルギー源だ」とする説明を,自信ををこめて記述していた。
ところが,2023年の段階となってみると,以上のごとき豹変ぶりを披瀝していた。しかも,この説明は本気ではないゆえ(けっして経済産業省資源エネルギー庁の真意にあらず),いってみれば「猫をかぶったいいぶん」としか受けとれない。
以前はともかく,その3E+Sのことについての経済産業省資源エネルギー庁の解説は終始一貫して,原発が最適なエネルギー源だと,異様なまでに執心する説明をつくしていた。
しかし,いまとなった段階では,岸田文雄首相に原発の再稼働どころかその新増設までいわせた「余裕」があってなのか,もう原発に関してならば,明々白々にバレてしまっているその「原発じたいの不都合なその真実」には,経済産業省資源エネルギー庁は,これからは触れずじまいで通そうとしている。
すなわち,もはや「3E+S」の原理充足いかんの件について経済産業省資源エネルギー庁は,原発をはめこんでおく必要がほとんどなくなった,という考えに変更しえたものと推察しておく。
前段『NHK NEWS WEB』2023年12月2日などの報道は,「温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする『ネットゼロ』(net zero)を達成するうえで,原子力エネルギーが重要な役割を果たす」と断わってから,「2050年までに世界全体で原発の発電容量を2020年に比べ3倍に増やすため,協力するなどとしています」と報道していた。
ところが,山本義隆『福島の原発事故をめぐって-いくつから学び考えたこと-』は,そうした志向を明確にかつ完全にこう断罪し,閉め出していたではないか。
山本義隆はこのあとにつづく段落でもさらに,具体的にその根拠を挙げて説明している。このブラックジョークは,いま現在(2023年12月)になってもまだ当然,その「黒冗句」そのものだと批判してされて当然である。
山本義隆またこうもいっていた。
「原子力発電は,たとえ事故を起こさなくとも,非人道的な存在なのである」(44頁)
「自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ,自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは,本来,人間のキャパシティを超えることであり許されるべきではないことを,思いしるべきであろう」(91頁)。
この山本義隆の説明は「失敗学そのもの」の不要性を,実質,以前から述べていたことを意味する。畑村洋太郎は,山本の『福島の原発事故をめぐって-いくつから学び考えたこと-』を読んでいないのか?
山本義隆が述べた原発反対の立場・思想は,原子力工学を専攻したが反原発の基本姿勢を確立した高木仁三郎の路線と重なる。山本はおそらく高木の著作すべてに目を通しているものと感じる。
原子力工学にくわしい識者としては有名な広瀬 隆,そして原子力工学者としては小出裕章が「3・11」以降,反原発の立場からの啓蒙のために尽力している。
高木仁三郎は非常に高額な「現金の授与」を,反原発活動と引き換えにするかのように原子力村の一画から提案(取引)されたという事件(体験)にまで遭遇させられていた。
最後にもう一度,畑村洋太郎作成になるこの図表を紹介しておく。原子力の曲線だけは途中で切れている製図(破線)になっていたが,この欠落部分を接合させる〈なにか〉は,「けっしてみつかることはありえない」といっておくほかない。
「畑村作成の図表」(上図)は結局,「お門違いの曲線の作図」をしていた。この図表のなかに書きこんではいけない「原発」をもち出していた。
つぎの報道は,以前にも発生させられていた類似の事件に関する記事であった。
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