日本の産業社会・労働経済の世界において同一労働同一賃金が成立しえない事情・背景など(後編の2)
※-0 断わり
本稿の「前編」および「後編その1」は,以下のリンク先住所に記述されている。できれば,こちらをさきに読んでもらえると好都合である。
本日のこの「続編の2」を記述するに当たってはまず,新しくつぎの参考資料をさきに参照しておきたい。
※-1「同一労働同一賃金制度は絶対に無理だという意見」『海外投資データバンク別館(コラム集)』日付不詳,http://column.world401.com/keizai/douitu_tingin.html
☆ 同一労働同一賃金など絶対に成立不可能である ☆
日本では,正社員と非正規雇用(派遣社員・パート・アルバイト)との賃金格差が激しいことは,皆さんご存知のとおりです。ヨーロッパでは同一労働・同一賃金という考え方が普及しており,日本でもこれを見習うべきだという論調も根強くあります。
たしかに気持は理解できますが,この考え方〔を日本の労働経済に適用すること〕は経済学的には成立しません。なぜなら,日本でもし同一労働同一賃金が実現するとすれば,それは非正規雇用の給料が上がるのではなく,正社員の給料が非正規の人並みに下がることになるからです。
付記)ここに引照する文章の原文は,現在は削除されており不在(参照不可⇒検索不可)である。日付についてはこの記述を読んで適宜に判断しておく。
2013年春にユニクロが「世界同一賃金の導入」を発表しました。ユニクロのいい分によると,グローバル市場で商売する企業なのだから,給料もグローバル基準で考えるというものです。これに対して各所で,日本人の給料が中国や東南アジア並に〔まで〕下がることに繋がる(!)との懸念が広がりましたよね。
同一労働同一賃金を求めれば,基本的にこのユニクロと同じことが起こります。経営者からみれば,同一賃金にするなら,必らず「下」に合わせようとして,パートやアルバイトの待遇が正社員並に上がることなど,まずありえません。
補注)ここでの議論は,同一労働同一賃金制度が本来有する趣旨とは,まったく逆方向において,当該の論点を考えねばならなかった「日本側の背景」が語られている。
同一労働同一賃金は最低賃金制度の問題である。ところがここでは,それとは逆転(!)の発想をあえて試みたうえで,議論がなされるほかなくなっていた。
すなわち,その制度が普及も確立もしていないために,日本でも「給料もグローバル基準で考えると」,より低賃金になってしまうし,発展途上国並みに引き下げられるのだといったふうに,その議論がなにゆえか,さかさま〔の方向から〕にとりあげられるかたちで,なされるほかなくなっていた。
〔記事に戻る→〕 経営者が,労働者の賃金を下げようとするバイアスがかかる理由は,そもそも経営者と労働者の利害は相反する(対立する)からです。経営者というのは,少しでも会社の利益を多く上げようと考えます。これは創業者が社長であれ,雇われ社長であれ,基本的には同じです。
一方で労働者は,少しでも賃金が多いことを望みます。したがって,経営者と労働者では,会社を発展させていくという意味では運命共同体ですが,利益を分配しようという段階では,完全に利害が対立するのです。マルクス経済学でいう「ブルジョア(〔資本家〕・支配者層)」と「プロレタリアート(労働者〔・被雇用〕層)」の違いですね。
ですから,同一労働同一賃金を叫べば,経営者は必らず,低賃金の非正規雇用者の水準に合わせようとするのです。ユニクロの柳井社長が鬼畜というのではなく,誰が経営者でもそう考えるのです。
というか,株主の側からすれば,少しでも利益を増やしたいわけですから,労働者の賃金は低い方が良いと考えます。柳井社長は,正社員からみれば鬼畜かもしれませんが,ユニクロの株主からみれば,優秀な経営者なのです。
補注)つまり,この種の意見は,われわれもいったんは『経営者(資本家:株主)の立場』から,同一労働同一賃金制度を再考してみたらどうかと反問している。国家主体側における社会政策の観点は,ここではいっさい考慮されていない。この点でみると,やや極端な意見である。
19世紀後半と21世紀初頭とのあいだに,資本主義制度として共通性はあるもの,まったく同じであるわけではない。「資本の論理」を根柢に踏まえる必要は,ともにおおありであるけれども,極論になったような地点にはまりこむ必要はない。
もっとも,「もしもあなたが「柳井 正」のような経営者の立場に居たら,自社の人事・労務制度としての賃金支払形態を,どのように維持・運営したいかかという論点にもなるはずである。そのように視点を変えて考えてみたら,いくらかは問題が理解しやすくなるかもしれない。
〔記事に戻る→〕 こんなことをいえば「市場原理主義者はけしからん!」という論調を呼びそうです。しかし,倫理的に問題だとしても,現実のグローバル・マーケットは,市場原理主義で動いているのです。現在の世界はマルクスの考えた「共産主義」にはほど遠く,人類がそこに至るのはまだ不可能だということです。(引用終わり)
--マルクスの想像した共産主義・社会主義は,20世紀中において70年間ほどの期間,政治経済の実際・運営をそれなりにおこなってきたものの,結局は自己破綻してしまった。論者によってはチェルノブイリ原発事故(1986年4月)が,実は,それに大きく効いた原因のひとつだという観方もなされている。
いずれにせよ,発展途上国も含めて資本制企業を中心に経済運営をおこなうほかないのが,これからの21世紀における経済体制にかかわる標準仕様である。むろん,資本論に19世紀の視点から書いてあるような様相として,地球上における「資本主義的な政治・経済体制」が,あらゆる国々において,分かりやすくみえやすい風景として,登場するわけではない。
北朝鮮はたとえば,この世界経済のなかでは,そのカスミを喰うかのような全体独裁主義国家体制を,共産主義・社会主義の理念とは無関係に維持している。そもそも,人民全体をまともに喰わせることすらできていない伝統と格式ならばタップリ備えてきただから,マンガにもなりえないくらいひどい国である。
かといって,日本とてこの隣国をバカにできるような現状には,全然ない。正規労働者と非正規労働者間の懸隔は,ますます拡大する趨勢にある。非正規雇用の立場に置かれつづけている労働者層は,いったいどのくらいの比率にまで高まれば,この割合は落ちつくのか?(これは愚問的な問題提起だがあえて口に出してみた)
政府が国家の主体として,そのような労働経済の実態を放置していいという理由はない。しかし,相手はいちおう資本主義=自由主義の経済基盤に立つ私企業・民間会社であるゆえ,これからすぐに解決に至れるような「同一労働同一賃金制度」問題の性質ではなかった。
補注)参考にまでこういう日本の現状,貧困状態を指摘しておく。「金家の3世様が独裁統治するビンボウ王朝」だからといって,まるで日本海をへだてた他国事情としてのみ語るわけにはいかない。こちら側においてはまたこちらなりに,本当に心配しなければいけない話題が現前していた。
ところで,連合のサザエさんこと芳野友子会長は,このような庶民のなかでもとくにシングルマザー世帯が,それこそ「食うや食わずの生活」に近い窮状にある現実を,はたしてしっているのか?
そうではなくて,しってはいるけれども,彼女らの世帯に対して連合のわれわれが手助けする余地などない,などと考えていられるのか?
というよりは,このように指摘した社会の貧困問題じたいについては,連合がそもそも,労働組合上部組織の立場から,なんからの関心を向けてみようとする問題意識じたいが,最初から皆無であったかのようにうかがえる。
シングルマザー世帯においては,「6世帯(もしくは7世帯)当たり1世帯」が食生活に関して不如意を感じている。そうした日本社会に実在する現状に関してだが,連合に所属する各企業のそれぞれの労働者諸君が, “バンコクのろうどうしゃの分肢” として存在する立場から,わずかでも同情心を感じいささかでも支援を送ってみようか,という連帯意識は希薄なのか?
労働組合に団結して自分たちの「生活と権利」のために活動する以前の問題意識として,いくらか少しても,彼女らの経済事情的に孤立した世帯が生活に困窮している状況を,「自分たちの立場」から,それも年に一度(ポッキリ)でもいいから援助してみよう,と感じたことはないのか?
ただし,こういう連合関係の労組があるという記事が,ネット上にないわけではない。ここではそのひとつの例示を挙げておく。
話がわき道的なところへそれたが,本論に戻ろう。
※-2 同一労働同一賃金制度が日本で実現できそうもない根本的な理由・事情
最後に引用するのは,つぎの文章である。
山口俊一(新経営サービス 常務取締役 人事戦略研究所所長)「『同一労働・同一賃金は実現できない!』」本当の理由 キャリア」(『PRESIDENT Online』2016年6月3日,http://president.jp/articles/-/18165 を参照する。なお,この記事は,ネット公表上の構成として3分割された記述のうち(1)(2)しか読めなかったので,この全文を一面で転載していた「こちら ⇒ http://blogos.com/article/178004/ 」から活字を拾うことにした。
♥ 欧米諸国では当たり前の考え方だが ♥
同一労働・同一賃金に対する議論が活発になってきました。安倍内閣〔当時〕の方針を受け,厚生労働省も大学教授などを中心メンバーとした「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」を発足させ,年内には実現のための具体的な方策案が出てきそうです。
同一労働・同一賃金とは,「同じ価値の仕事内容であれば,同じ賃金にしなさい」という考え方です。主要先進国では当然の考え方として認識されていて,欧米ではこの原則に沿うかたちで,職種別賃金や職務給という考え方が定着しています。
日本でも,男女雇用機会均等法に加え,パートタイム労働法改正で,
(1)職務内容が正社員と同一,
(2)人材活用の仕組み(人事異動等の有無や範囲)が正社員と同一であれば,正社員との差別的とりあつかいが禁止される
ことになりました。徐々にではあるものの,確実に動き出しているといえるでしょう。
しかし,政府が現在このテーマで解決しようとしているのは,あくまで正社員と非正規社員の待遇格差是正に絞られているようにみえます。すでに,働く人の実に40%(女性に限っては50%)が,非正規社員となっています。
バブル崩壊後のデフレ経済下において,小売り・飲食業を中心に,非正規社員比率を高めることで,人件費コストを抑制してきたのです。
♥ 非正規労働者賃金比較 ♥
たとえば,フルタイム社員に対するパートタイマーの時間当たり賃金水準は,ヨーロッパ諸国が70~80%程度であるのに対して,日本では50%台となっています。非正規社員のうちパートタイマーは6割程度を占めていますので,この人たちの待遇を改善すれば,大きなインパクトになるでしょう。
しかし,本来の同一労働・同一賃金を実現しようとするのであれば,正社員と非正規社員の格差是正だけでは不十分です。それ以外にも,この考え方を阻む,日本の長年にわたる雇用習慣が横たわっているからです。
さて,日本の雇用習慣に横たわる給料格差〔は,以下のように説明できる〕。
1. 中高年社員と若年社員。 ある工場で,同じ製造ラインの作業者として25歳と50歳の社員が,働いているとしましょう。しかも,モノを造るのは機械ですので,両者の間に生産性の違いはありません。
この会社が年功序列型の給与制度なら,月給がそれぞれ20万円と40万円であっても,不思議ではありません。25歳の若手社員が「同じ仕事しているのに,年齢が違うだけで,給料が2倍も違うのはおかしい」と訴えたら,どうなるでしょうか?
2. 家族持ちと独身者。 家族手当のように,仕事内容とは関係ない要素によって決定される給与項目は,どうでしょう。結婚しない人が増える世の中,独身者からみれば,明らかな不公平です。
仮に,配偶者2万円,子ども1人につき5000円の会社なら,子ども2人の世帯主には合計3万円の家族手当が支給されることになります。年間の平均昇給額が5000~6000円である昨今,いくら独身者が頑張っても,3万円の差を埋めるのは並大抵のことではありません。
補注)この企業福祉的な賃金付加給付の要因は,国家による社会保障問題の次元に移行させる必要があるわけだが,いつぞや(現在は国会のなかでボンヤリした表情でまだ生きているらしい)あの菅 義偉が首相のとき,こういっていた。
「公助⇔共助⇔自助」の関係でいうと,その優先順位についての基本的な姿勢は,公助ではなく自助で国民たちは自分の生活の基本を立てよと,菅 義偉は,そういってのけたのである。ひどい話である。たがために政府や地方自治体は存在しているのか?
このトンデモ同然であった分からず屋で,あの「アベの亡霊的な分身」だった(しかも長期間にわたり官房長官をこなしていた)人物は,この「美しい国」であったはずのニッポンを,安倍晋三の第2次政権とともにさんざんに壊しまくってきた強力な助っ人の,その第一人者であった。
3. 定年前社員と定年再雇用者。 ほとんどの会社では,60歳が定年で,その後に再雇用されると,賃金水準が大幅にダウンします。ところが実際には,59歳と60歳の1年の違いで,急激に能力が低下するわけではありません。
今〔2016〕年5月には,横浜の運送会社で再雇用されたトラック運転手が訴えた裁判で,「定年前と同じ立場,同じ仕事であれば,再雇用後であっても,給与水準を引き下げるのは違法」という判決が,東京地裁で出されました。これまでの常識を覆す,驚くべき判決です。
4. 全国社員と勤務地限定社員。 もうひとつ,政府が進めようとしている雇用政策に「非正規社員の正社員化」がありますが,この切り札として「限定正社員」が位置づけられています。勤務地や職種を限定することで,無限定の正社員よりは一定の待遇差を容認する考え方です。
しかし,同じ職務の場合,勤務地や職種が限定されているという理由だけで,極端な賃金差は許容されるのでしょうか。勤務地限定社員の方が,仕事は優秀かもしれません〔という場合・想定も当然になされていい〕。
5. 出向者とプロパー社員。 大企業では,多くの子会社・関連会社に,社員を出向させています。通常,子会社・関連会社の賃金水準は,親会社よりも低く,出向者には親会社の賃金制度が適用されるため,同じ仕事内容であっても,出向者とプロパー社員の処遇差は厳然と存在します。少なくとも子会社の業務においては,出向者よりプロパー社員の方が,仕事ができるケースも多いでしょう。これは違法にならないのでしょうか。
♥ オジサンの給与を下げるしか方法はない ♥
このように,真に「同一労働同一賃金」を実現しようとすれば,非正規社員の待遇改善だけに留まらず,正社員内に存在している問題に手を付けなければなりません。
まずは,非正規社員の待遇改善だけに着手するにしても,賃金水準を正社員に近づけるには,大幅な人件費増を伴います。国際的に比較して利益率の劣る日本企業が,さらに利益を削って人件費を増やすことは,事業の存続にもかかわるため困難です。
ところで,今回とりあげた,これまで優遇されてきた人たちの共通項はなんでしょう?
「正社員」「中高年社員」「家族持ち」「定年前社員」「全国社員」「出向者」。
いずれも,その多くは中高年の男性社員,すなわちオジサンです。もし政府が,本気で同一労働・同一賃金を実現しようとするのではあれば,「これを実現するためなら,既得権者の賃金は引き下げてもよろしい」という法律をつくるしかないと思います。
しかしながら,冒頭の「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」に提出されている資料のなかでも,「有利なとりあつかいを受けている人の処遇を引き下げて対処することは許されない」旨の記述があります。
すなわち,既得権は守りながら改善しましょう,というスタンスです。国がこのスタンスを変えないかぎり,「結果はみえた」といえるのではないでしょうか。(引用終わり)
--「有利なとりあつかいを受けている人の処遇を引き下げて対処することは許されない」点を,率先して守ったうえで,同一労働同一賃金制度を労働経済の全体に普及・確立させるのが,政府側の任務である。政府当局が経営者・資本家側と同じ見地で,同一労働同一賃金制度の問題を発想する必要は全然ない。
とはいえ,日本の労働経済事情のなかで同一労働同一賃金制度を確立させる試みは,なかなか一筋縄にはいかなかったし,その実現は相当に困難・不可能であるとしか,見通せない。
現状を踏まえていえば,それこそ,この国全体に対する「革命的な事態」でも発生しなければ,当面は無理なのかという印象さえもつ。理想をいえばオジサンの給与水準を下げずに,ほかの人たちすべてのそれを上げればよいはずである。しかし,これは無理もムリである。けれども基本の発想としてはこだわってよい,まっとうな意見でありうる。
結局(だからというべきか),社会政策・社会保障の面から絡めて手で,国家為政者がその気になて,本気も本気で「攻めていく方途」が,いまのところ,一番有効に思える。しかし,その方途が期待されるとかされないとか議論しているかぎり,以上にとりあげてきた諸内容に結論を出すことは,いつまで経っても期待できない。
厚生労働省にしても総務省にしても経済産業省にしても,本物になりうる国民生活全般のための総合的な向上策を打ち立て,これまでの日本の賃金構造を大改革するためになる実行策を提案し,これを実現させる気がない。
というか,それだけの大目標を構想し,これを実行案にまで仕上げていくために本当に働く気がある国家官僚はいるのか? はなはだ心もとない現状にあったとしかいいようがなかった。
いつまで経っても,現状のごとき労働経済次元における賃金の問題が,永遠に〈ぐずぐず感〉を変えないまま,つまり,なんら抜本からの是正・改革は無理な状態を,これからもつづけさせるしかないとしたら,この国のタイタニック号ぶりもいよいよ佳境に入ったといわざるをえないのか。
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