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「衰退途上国日本」で萎縮していく高等教育機関,大学・大学院の疲弊ぶり(後編)

【断わり】 「本稿(後編)」は前編を受けての記述となっているので,できればこちらをさきに読んでもらえることを希望しておきたい。


※-1「国立大学3割『授業料見直し』を」『毎日新聞』2025年1月20日朝刊について

この記事はつぎの本文にも引用するかたちとなるが
以下では本ブログ筆者の寸評を挿入する構成で記述される

    ▼ 国立大3割「授業料見直しを」 
           毎日新聞アンケート 国の値上げ期待 ▼

      =『毎日新聞』2025年1月20日朝刊 =

 国立大学の授業料について国が定めた標準額を見直すべきかどうか,毎日新聞が全国の国立大学に聞きとったところ,全体の約3割にあたる大学が「見直すべき」だと回答した。

 授業料は大学の判断で標準額から引き上げられるが,値上げを検討している大学は1割に満たなかった。一定数の大学が国による値上げを期待している状況が浮き彫りになり,文部科学省内で標準額引き上げの可否についての議論が加速しそうだ。

 国立大授業料の標準額は現在,国が年額53万5800円と規定している。国立大学法人化を受けて2005年にこの金額になって以降,20年間据え置かれている。各大学は標準額を基準に最大2割の範囲で裁量によって上乗せできる。

 物価高騰や国が配分する運営費交付金の減額などで経営に苦しむ大学もあり,これまで7大学が値上げに踏み切った。さらに東京大は2024年9月,2025年度の学部入学者から値上げすることを発表した。

 補注)国立大学授業料は20年間据え置き状態にあったということだが,その間における日本の実質賃金を観ると,つぎのように経過(目減り)してきた。これは過去10年間の統計資料である。その間,2022年2月24日に「ロシアのプーチン」が始めたウクライナ侵略戦争が世界経済に与えた影響は,第一次産品を主な懸念材料に,日本の消費者物価を一気に上昇させてきた。

これは2024年1~3月までの統計である 


 この表にはまだ反映されていないが,2024年にかけての日本の消費者物価の値上がり傾向は,とくに貧困層の人びとにとってみれば,相当にきつい効果をもたらしてきた。つぎの記事に出ていた関連の経済統計も参照しておきたい。

われわれとくに貧しい消費者は昨年(2024年)8月ごろから
お米を求めにくく買いにくくなった記憶があるが
その趨勢はこらからも続くというのが専門筋の分析・指摘であり
米価(消費者のところでの価格)は高止まりした

 本ブログ筆者が購読する『毎日新聞』には,昨年2024年4月25日の記事に「『初任給アップ』の企業 81% 5万円以上の大幅増額,副業容認も」という見出しの記事が報道されていた。その後もこの種の報道がつづいて多く出てきた。

 関連する最新のニュースのひとつが,たとえば『NHK』のこの報道であった。この種の実例,大幅になる初任給の賃上げ事例は,かなりの数がすでに出現している。

      ★ 大和ハウス工業 平均10%賃上げへ
             新卒初任給は10万円引き上げ ★

  =『NHK』2025年1月20日 18時15分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250120/k10014698221000.html

 大手住宅メーカーの大和ハウス工業は,4月から新卒の初任給を10万円引き上げるとともに,社員の賃金を年収ベースで平均10%引き上げることを決めました。

 発表によりますと,会社はことし4月から入社する新卒の正社員の初任給を一律10万円引き上げます。大卒の場合,いまの25万円から,35万円となります。

 また,正社員およそ1万6000人を対象に,年収ベースで平均10%の賃上げを実施します。

 賃上げにあたっては,業績に左右されないベースアップ相当分として,いずれも平均で,月額9万2945円,率にして23.5%引き上げる一方で,賞与は引き下げるといった給与体系の見直しもおこないます。

 会社としては,人材獲得競争が激しくなるなか,初任給の引き上げやベースアップによって若手や中堅世代を中心に安定的な収入が確保できる環境を整備することで,人材獲得につなげるねらいがあります。

大和ハウス工業の事例

 この大和ハウス工業の事例以外にも似たような,自社賃金水準の,それも一気に5万円,10万円単位での賃上げを実施する企業が結構な数,登場している。しかし,こうした賃上げを労働組合の有無との力関係とはひとまず別個に会社側が進んでおこなうという状況は,そもそも,それだけの内部蓄積(社内留保)を十分に貯めこんでいる企業経営だからこそ,おこなえている事実をみのがしてはいけない。

 また,少子高齢社会という経済社会の実情のなかで,とくに若手・新卒の人材集めのためにも,初任給そのものを大幅に上昇させる措置を講じておかないことには,まさに「企業は人なり」である経営基盤の維持・強化に支障を来しかねないという心配は,当然に理解されている。

 しかし,内部留保を一定水準にまで余裕をもって確保できていない会社や中小・零細の企業では,大和ハウス工業の事例のようにそう簡単には,初任給などの賃金水準を上げられる経営実態にないところも多くある。

 そのあたりの背景に鑑みるとき,今後における企業の生き残り戦略の一環として,労働者の待遇面としてもっとも基本である賃金水準「上昇」は,日本の会社「全体」の次元で考える場合,さらなるなんらかの難題をもたらしているといえなくはない。

 つぎの記事は『しんぶん赤旗』から紹介する。労働者「階級」への分配は最後になってからで,それもチョボチョボの,渋ちんぶりばかりが目立っていた。

日本共産党がいうというまいとこの事実は事実
つぎの『時事通信』の図解(図表)も参考になる
きわめて順調な内部留保の上昇ぶりだが
庶民の経済事情は悪化の一途

 その他方ではまた,エンゲル係数は30%をうかがうような調子,大学は営利の企業体ではないゆえ自助努力には限界がある。ところが,優勢な支配的な大企業は自社の「コーポレート・レピュテーション」などなんのその,ひたすら営利追求の本分だけは熱心。

 「貯めこむのは上手だが,その使途を社内投資だけでなく,賢く社会一般に還元するために必要な思慮や理念,方針,気持ちなどは完全に希薄ないしは不在」

〔記事に戻る→〕 毎日新聞は2024年6月,統合前の東京工業大,東京医科歯科大を含む全86国立大学に値上げの意向や標準額のあり方についてアンケートを実施。12月までに78大学から回答をえた。

 アンケートで標準額を見直すべきだと回答したのは27大学あった。一方,標準額を維持すべきだと回答したのは35大学。「その他・無回答」は16大学だった。

 一方,授業料の引き上げを検討していると回答したのは,発表前の東大を含む5大学。検討していないと明言したのは72大学だった。1大学は「その他・無回答」だった。

 競争力の強化や質の高い教育を進めるために必要な対策(複数回答)としては,「国による運営費交付金の増額」を挙げた大学が70大学で最多。次いで「国や自治体による給付型奨学金の拡充」が55大学,「民間からの寄付の募集」が39大学と続いた。

 「大学が研究や教育の内容・規模・態勢を精選する」とした大学も15あり,財政難が教育や研究の先細りに影響する懸念も浮き彫りになった

 補注)日本の大学問題のひとつとして,社会の側(各種奨学・育英機関)からの,さらには企業の立場からの,あるいは個人の篤志家による,そしてなによりも国家による奨学金制度が不備であった。

 というよりも,大学に学生たちが納入する学費の問題が,いったいどのように国家の立場で認識されているのかというと,そのもっとも基本となる,換言すると「国家百年の大計」にかかる「人間教育,人材育成」の問題に関して,政治家(政治屋)たちの「頭の中」では,なにも考えがなかったかようにしか映らない「この国の教育哲学の非貧困ぶり」が目立つのである。

 世界各国のなかには学費無償の国々がないわけではない。ここでは「スウェーデンでは私立も…無料で大学教育が受けられる7カ国」『LIFE INSIDER』2019年9月27日,https://www.businessinsider.jp/post-199128 が,前文に当たる冒頭の段落でこう言及していた点を紹介しておく。

 スウェーデン,ノルウェー,アイルランドなどの7カ国では,無料で教育が受けられる。スウェーデンでは,公立大学も私立大学も学費がかからない。大学への補助金がもっとも多いのはノルウェーで,1年間のGDPの1.3%を費やしている。

 アメリカでは多くの人が,大学教育を受けたくても費用が捻出できないという危機的状況に直面している。一方,他の先進国では無料で大学にいける国もある。

 補注)日本はその点ではかぎりなくアメリカに近い。けれども,奨学金制度の整備・充実度でみると,日本はアメリカには遠く及ばない。悪いところばかりが日本の大学の制度的なあり方では目立つ。

 奨学金(貸与型)を財団運営する日本学生支援機構は,返済させる奨学金に利子まで付けさせている。まるでサラ金もどきであるが,それというのもその奨学金の貸し出し分は,銀行から資金を調達し充てているとの由。

 だからか,なかには大学院まで貸与型奨学金のお世話(融資?)を受けてきた若者が,めでたく学業を修めて社会に初めて出る段になって,かなりの人数の彼ら・彼女らが,自分の背中には「年収など超える借金」が乗っかっている場合もあったりで,まったく,人生への新しい門出からしてインウツな気分にならざるをえない。それでは「やる気は出ない」,モチベーションが上がらない(よね)。

〔記事に戻る→〕現在,経済協力開発機構(OECD)に加盟している36カ国のうち7カ国は,国が公立大学への学費補助をおこなっている。

 一方,アメリカでは公立大学の学費のほとんどを,学生自身が負担している。OECDが発表した2011年のレポートによると,アメリカの公立大学の平均的な学費は,年間で6000ドル(約65万円)以上。さらに住居費,書籍,その他の支出をくわえると,年間で平均2万5290ドル(約272万円)が必要になる。

 補注)日本の場合はどうであったか? 「本稿(前編)」では,医学部の学費だけが,とくに私立大学で桁違いに高い現状をめぐって議論してみた。このさい,話題はその反極にも向けてみる必要があった。そこで,こういう話題に変えてみたい。『毎日新聞』の記事をとりあげている最中だが,あちこちお散歩しながら寄り道する議論となっているので,悪しからずご了解を乞いたい。

 「スウェーデンでは私立も… 無料で大学教育が受けられる7カ国」『LIFE INSIDER』2019年9月27日,https://www.businessinsider.jp/post-199128 という記述は,前文に当たる冒頭の段落で,とくにこう言及していた。

 スウェーデン,ノルウェー,アイルランドなどの7カ国では,無料で教育が受けられる。スウェーデンでは,公立大学も私立大学も学費がかからない。大学への補助金がもっとも多いのはノルウェーで,1年間のGDPの1.3%を費やしている。

 アメリカでは多くの人が,大学教育を受けたくても費用が捻出できないという危機的状況に直面している。一方,他の先進国では無料で大学にいける国もある。

 補注)日本はその点ではかぎりなくアメリカに近い。けれども,奨学金制度の整備・充実度でみるに,日本はアメリカには遠く及ばない。悪いところばかりが,どうやら,日本の大学の制度的なあり方では目立つ。

 日本で大学への補助金でGDPの1%使っているか? この種の指摘は比率の問題ではなく,教育政策(文教政策)の基本的な方針・考え方の問題になるゆえ,日本の文部科学省もそれなりに学生の保護者・家計に合わて学費の減免措置(国立大学の話)を適用してはいる。ところが,抜本の次元で「大学の学費」を無償にするという発想は皆無である。

 ここらで日本の大学はまず,大学入学共通テストの成績順で上位の25%とか,一定の得点以上に線引きし,大学受験資格をえさせるための資格テストにしたほうが得策である。

 その場合,私立大学は除外して国立大学だけでもよいから,とりあえずでもそうした学生の入試選抜方法を採らないことには,いつまで経っても,昔風にいえば「天ぷら学生」もどきにさえも劣るような,大学の水準などにはその足下にも及ばないような無教養・半知性の持主が「大学生」となっているようでは,

 いくらなんでも「マス化した大学市場」に応えるためか,現状のごときに多数の大学が存在する状態とはいえ,これからさらに深まる少子化(18歳人口の逓減傾向)の時代のなかでは,将来に備えてますます必要不可欠となる各界での人材需要に,まともに応えることができなくなるのは必至である。

 とりわけ,奨学金(貸与型)事業を財団運営する日本学生支援機構が,返済させている奨学金に “利子まで付けさせる” といったその支給形態は,まるでサラ金同然である。そうした事情が控えているのは,その奨学金用に充てる「予算枠組」の貸し出し分が,「銀行から資金」から調達した資金を充てられているからであった。

 日本学生支援機構は独立行政法人の形態をまとっているものの,まるで銀行業を助けるためであるかのように,その支店機能(?)を遺憾なく果たしている。それは完全に本分から逸脱した事業展開である。

 しかも,最近まで超低金利状態が長らく持続されてきた日本の金融業(銀行経営)にとってみれば,相対的により高い利率で融資し,それでいてより確実に回収できるという顧客,いわば「上得意」になっているのが,この日本学生支援機構であった。

 これはもう,ほとんど「トンデモない部類の金儲けのための商売」のために,独立行政法人日本学生支援機構が存在しているとしか観ようがない。育英のための奨学金事業を担当しているはずの同機構が,サラ金もどきの業務までを,銀行との提携関係のなかでおこなっている。本末転倒。

 だから,なかには大学院の時代まで貸与型奨学金のお世話(融資?)を受けてきた若者は,社会に初めて出るときにはすでに,背中に「年収など超える借金」が乗っかっている場合も生じており,人生への新しい門出からしてインウツな気分にならざるをえないのは,端で観ているわれわれでも同情心がうずく。

〔記事に戻る→〕現在,経済協力開発機構(OECD)に加盟している36カ国のうち7カ国は,国が公立大学への学費補助をおこなっている。

 一方,アメリカでは公立大学の学費のほとんどを,学生自身が負担している。OECDが発表した2011年のレポートによると,アメリカの公立大学の平均的な学費は,年間で6000ドル(約65万円)以上。さらに住居費,書籍,その他の支出を加えると,年間で平均2万5290ドル(約272万円)が必要になる。

 日本の場合はどうであったか? 「本稿(前編)」では,医学部の学費だけが,とくに私立大学では国公立大学に比べて桁違いに高い現状をめぐって議論してみた。

〔記事に戻る→〕 文科省は少子化の進展を見据えた大学のあり方を文科相の諮問機関・中央教育審議会の特別部会で議論。年度内に取りまとめる答申では,今後5~10年かけて授業料の設定や公的支援のあり方について検討する方向性が示される見通しだ。

 国立大学協会の永田恭介会長は毎日新聞の取材に「現在の標準額は教育の対価として十分ではない。高いレベルの教育を保ち,向上させるためにはより多くの教育費が必要となる。おそらくすべての国立大が授業料を上げたいと考えているはずだ」と話した。(ここで『毎日新聞』引用・終わり)

 その「より多くの教育費」は,どこの誰がどのように負担することにしたらよいのか? この付近の問題はいまさらであるが,「百年の大計」たる教育問題,そのとくに高等教育段階における大学・大学院の次元における学費負担の問題は,対米従属国としてアメリカにいわれるがままに防衛費2倍の方針を,安倍晋三第2次政権以来の方針として岸田文雄元首相が決めていたが,

 そのひとまず43兆円を「2023年度から2027年度までの5年間における本計画の実施に必要な防衛力整備の水準に係る金額」だと,即断的に,いとも簡単に決めていたこの国の自民党政権(プラス「平和と福祉の党」だと自称〔偽証〕する創価学会・公明党)は,軍備で国を守る前に教育政策の手抜き・不備で国家そのものを衰弱させてきた。


 ※-2「〈クローズアップ〉物価高 あえぐ大学」『毎日新聞』2025年1月20日朝刊3面(1面から続く紙面)について

 この※-1に連続するかたちで,大学の経営問題を議論する方途に関していうと,いわばガラガラポンするだけの勇断ができないまま,現状の大学制度にまつわって生じてきたあれこれの支障や難問は,いつまで経っても変革できないどころか,その小幅の軌道修正すら不可能ではないかと思わせる。

 この『毎日新聞』の記事については,とくに気になる段落の主張に注目してさらに若干の議論をおこなってみたい。

以下において右上⇒左上⇒左下の順序でこの中身をとりあげる

 1) 上の紙面で右側の記事,「〈クローズアップ〉物価高,あえぐ大学 学生に配慮,授業料上げず」『毎日新聞』2025年1月20日朝刊(1293文字)からは,つぎの文言のみを拾って紹介する。〔なお引用者がとくに同感する文言は太字にした〕

 (前略)

 自由記述欄からは,国立大の本音が透けてみえる。経済的な窮状を訴える大学が目立ち,首都圏の大学は「経済的に困っているのは確か。必要経費が賄えない」と回答。東北地方の大学は「運営費交付金が減額されるなかで教育・研究機能の向上がミッションとなっており,現状維持は不可能だ」と嘆いた。

 (中略) 

 授業料の無償化を求める意見もあった。四国地方の大学は,都市と地方の経済格差を念頭に「若者の可能性の平等を担保するうえで,地方にある国立大の存在はきわめて重要」と強調。その存在意義を,今後の地方の持続可能性を担う人材育成の拠点と位置づけ「現在の国の対応は不十分。求められる施策は無償化の流れだ」と主張した。

 (中略)

 北海道のある大学は標準額引き上げに理解を示したうえで「『大学教育の結果の受益者は誰なのか』という議論が欠かせない。学生だけが受益者か,社会が幅広く受益しているのか。その議論を踏まえて考える必要がある」とした

 2) つぎは,上の紙面で左上のインタビュー記事,「受益者誰か,考え議論を 永田恭介・国立大学協会会長」から拾って紹介する。

(前略)

 率直にいえば,授業料標準額は上げるべきだが,上げてしまった時に所得の差が勉学の不自由さにつながってはいけないと,逡巡しているのではないか。

 「大学の利益は誰が受けているのか」⇒「受益者は誰かということを考えると,本人の能力が高まるという意味では学生本人だが,卒業後にその人がいなければ社会はなりたたない。社会は十分利益を受けているだろうと思う。社会とは,企業,官公庁,政府ともいえるだろうし,1人ひとりの国民ともいえる。そこをどう考えるかという問題だ」

 日本では,大学の費用を個人も国も社会もそれぞれが負担している。3者が支えるというほかの国には意外とないシステムで,ある意味ではよくできているのかもしれないと思う。ただこれには,欠けていることが多くある。

 たとえば,企業や個人から寄付という形でお金があまり集まっていない。現状の寄付税制における税額控除の対象は,限定的。国大協では毎年,概算要求を前に,税額控除の対象を教育・研究活動全般の支援にも拡大するよう要請している。

 「大学の費用を誰が負担すべきか」という点は,こう答えている。

 私立大もそうだが,根本的に大学の学費を誰が負担するのかという議論をしなければならない。個人的には国はもう少し出してもいいのではないかと思う。そして,産業界はやはりもっと負担しなければいけない。個人の負担がゼロになることがいいのかどうかは分からないが,私は払うべきだと思う。そういう大きな議論をする必要がある

 3) さらに,前の紙面の左下のインタビュー記事,「国支援,幅の広さ不可欠」から拾って紹介する。

 「国立大の授業料標準額はどうあるべきか」?

 (中略) 国立大の財務状況は大学によって相当異なる。経営が苦しく授業料を引き上げたいのは地方の小規模大学に多いはずだが,地方だと引き上げによる影響が大きいため「上げたくても上げられない」というのが,地方大の現状ではないか。

 それを踏まえれば,国が一律に標準額を引き上げるのではなく,各大学の立地や財務状況を考慮し,最大20%という標準額の増額幅を広げ,各大学の裁量を拡大するという議論をしても良いと思う。

 もちろん,引き上げた場合は給付型奨学金や授業料減免の拡充は,絶対条件だ。

 「高等教育の無償化についてはどう考えるか」?

 無償化は望ましいと考えるが,日本では国民の合意がないかぎり,実現は難しい。税金が上がり,負担が大きくなる可能性もあるからだ。教育は個人のためのものではなく,社会への貢献も大きい。無償化している北欧などは,未来に教育費という形で投資することで国全体が伸びている。

 「日本の教育費負担の特徴は」経済協力開発機構(OECD)のなかでも家計負担が非常に大きい。日本では親が子どもの教育に責任をもつ,という考え方が根強いからだ。教育費は親が負担するのが当たりまえになっている。

 こうした状況では,公費負担を拡大するという考え方は生まれにくい。社会全体で子どもを育てるという発想がないからだ。

 学生本人が負担すべきだという考え方も大きいが,所得が低い人ほどローンは心理的な負担が大きいため回避する。その結果,進学を諦めたり,近くの大学に進んだりする。低所得者層にしわ寄せがいく形だ。給付型奨学金や授業料減免との組み合わせが重要だ。

 「国による大学への支援は十分か」?

 全体的に不十分だ。トップの研究大を選んで支援しているが,セカンドクラスの国立大でも非常に重要な研究をしている例がある。地域貢献に力を入れる大学を含め,広い裾野への支援が不可欠だ。

 国が国立大に配分する運営費交付金は年々減らされ,定年退職した教員の後を埋めない事態が起きている。文部科学省には,小規模大学を含めて幅広く意見を聞き,支援のあり方を検討してもらいたい。

 --以上で引照を終えるが,小林雅之の意見がより多く紹介に値する内実があったと感じた。

 大学教育の無償化をまず第1の理念とし,その具体的な目標を急いで立案し実行しなければ,18歳になったら大学進学となる若者たちの人口統計は,いよいよ急激に減少しだす。

 四の五のいっていたら韓国や台湾などのそれほど後でもなく,人口統計の減少を原因に国家そのものが消滅の危機に瀕しかねない。教育の問題に,その予算の面でまず,いちいちケチっているようでは,必然的にまず亡国の途を志向することになる。

 「本稿(前編)」ではとくに,このところノーベル各賞が取れなくなった日本の学問状況に言及してみたが,今回のこの記述(「前編・後編)を通して痛感するのは,まさしくノーベル賞を取ろう,取りたいという蛮勇でもなんでもいい,

 その種の研究への意欲〔のタネでもいいから〕を生み出し,その種の冒険に挑戦させるような学問研究への助成政策が,いまの日本の大学,それも国立大学では中途半端どころか,消滅させかねない雰囲気を充満させている。

 しかもまずいことに,その反動形成みたいな文教政策が20世紀から21世紀にかけて,長期間にわたり推進(逆噴射)をしてきたとなれば,この国の科学技術研究のみならず,文系領域でも創造的な研究展開のための跳躍台を提供できまい。


 ※-3 補遺・資料-本日 2025年1月22日『日本経済新聞』「経済教室」「私見 卓見に」掲載された関連する意見は,もっぱら所得面を問題にしているが,肝心の受験生の学力や進学後の勉学努力をどう評価するかは関心外であり(「この寄稿」では)であり,私的見解ないしは短見に留まりやすい-

学力面の関連付けなしで論じるのは
全体的な均衡を欠く議論となる可能性が大きい

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