1985年8月12日,日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)墜落事件の真相をめぐる「米日服属国家関係のナゾ」は,いまだに解明されていない
※-1 最初はウィキペディア的な事件の簡単な説明
1985年(昭和60年)8月12日(月曜日),日本航空の123便「羽田空港発・伊丹空港行き」「ボーイング747SR-100型機」が墜落事故を起こした。同機は,羽田空港を飛び立ってから間もなく操縦不能に陥り,群馬県多野郡上野村の高天原山山中ヘ墜落した。
日航ジャンボ機墜落事故ともいわれるこの大惨事は,支障を発生させたその機体には重大な「謎」が残されたまま,いまだにその真相が全面的に解明されたとはいえない。その事情には,われわれが探りえないなにか深刻な背景があったと推理されており,いまもなおその真相を探るための努力をしている人たちがいる。
要は520人もの死者を出し,日本の民間航空史上最悪の事故であるとともに,単独機としては世界最悪の航空事故となっている(2機以上が絡む事故も含めるとテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故につぎ史上2番目の被害)。くわえていえば,2024年に羽田空港地上衝突事故が発生するまでは,日本航空が起こした最後の機体全損事故であった。
その事故の原因は,機体尾部修理不良と設計上の欠陥であり,とくに機体修理中に使用されたリベットの留め方が不適切だった,という調査結果になっている。この事故がきっかけで安全啓発センターが設置されるなど,航空安全および事故対策強化を求める動きを引き起こした。現在でも本事故は航空安全対策の重要な教訓とされている。(引照終わり)
以上の説明が,はたして「日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)墜落事件」の真相を,総合的・有機的に的確に記述しえていたかといえば,事故後40年近くが経った現在になっても,まだ特定の疑問をかかえている。その疑問を抱くべき点は,この事件にこだわりつづけ,いまもなお究明を諦めないごく少数人たちによっても,明確に教えられてきた。
要するに,依然,この旅客機が墜落して5百名以上もの人びとが落命させられた重大事件について,まだ不審な諸点が残されたままなのである。
本ブログ筆者は昨日晩であったが,青山透子(あおやま・とうこ)『日航123便墜落事件 隠された遺体』河出書房新社,2024年8月13日を,以前から興味もあって,注文した。しかし,この本が配達されて読むことができるのは,明日(8月31日)以降になるので,本日は参照しえないかたちで,この記述にとりかかってみた。
「日本航空123便墜落事件」は,真相の解明が完全にできたとは確信をもっていえない段階だとはいえ,より事実に即して正確に表現したいのであれば,「日本航空123便撃墜事件」と表記されるべき重大事件であったと判断されたほうが,自然な理解でありうる。
その意味では,青山透子の身の回りには危険性がないとはいえないはずだが,青山自身がそれなりにこの事件にかかわっては有名な人物であるだけに,そうたやすくは手出しができない現状にあると理解して,なにもおかしいことはない。
以下にはいつもだと末尾に一覧してかかげている参考文献(参考文献の紹介に転用しているアマゾン通販)を,本日分は途中になるがさきに,少し多めにかかげておきたい。
青山透子のこの航空機事故「真相解明」に賭けてきた努力の傾注は,なみたいていのものではなく,その原因にはなにか「みえないが大きなモノ」が隠蔽されていると疑う立場だったからこそ,長年にわたり執念深く追究しつづけている。
※-2 投稿者・赤かぶ「日本侵略の罠にかけられた政治家〈日航123便 アメリカの命令で日本政府が墜落させた〉(CYACYA)」『阿修羅 掲示版』2024年8月24日 05:30:07,http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/363.html の言及
この※-2の記述は,動画サイト(視聴可能)から切りとったいくつかの静止画を利用した説明になってもいる。ここではそのうちから,つぎのごときに「端的に論点を明示した」画像を紹介しておきたい。
これらの画像に具体的に描かれている人物や物体に関しては,かなり違和感がある筆致(タッチ)であったが,これにはひとまず我慢してみてもらえたものとしておきたい。
議論のあらすじは,画像のなかに記入されている文章をもって,そのすべてが提示されている。多分,あまりに現実的に人物像などを描くとまずい点があると考慮したのか,その付近は配慮がなされ「変形(デフォルメ)」もくわえられていたと推察する。
以上の指摘はともかく,「日本航空123便墜落(撃墜)事故」の主旨は,その筋書きをもって,だいたいの姿が教示されていたと受けとめてもいい。もっとも,こうした説明になる説が完全に正しいとまでは断言しえない。ただ,ほぼ間違いのない推理(考察による詰め)がなされていると考えてもよい。
ここでは,それら連続した画像のなかに記入されていた文章だけを,あらためて以下に,文字だけとして抜き出して並べておく。このように記述された内容については,部分的には,ほぼ完全に裏づけられる事実もあった(♠印を付しておく)(なお,この画像⇒もとの動画は,https://www.tiktok.com/ 製である)。
補注)なお,事件当時の日本国首相は中曽根康弘であった。在任期間は,1982年11月27日から1987年11月6日まで。
また前段の引用枠内に紹介した文章に関係しては,この事件(事故)のそうした始末に,もちろん命令にしたがい,かかわらされた自衛隊員たちのうちからその後,何人もの自死者が出たという情報が,彼らの◉体が「首◉り状態でぶら下がった,それもその何人もの◉体」を撮した写真を,本ブログ筆者は閲覧したことがある。
その証拠となる画像を資料として提供できないのは残念であるが,それを観たときの記憶は,きわめて衝撃的なそれであっただけに,いまも明晰に脳裡には残っている。
ここではまず,森永卓郎の関連する意見をさきに挿入し,聞いておきたい。なお,つぎの a) からは,参照している「原文」に戻っての引用,紹介となっている。
a) 日本侵略の罠にかけられた政治家
以上の画像(動画)は,この ◆ book man Ⅱ @chizumio136333 から借りたものであるが,文字そのものは事後,この動画資料そのものが削除されるかもしれない可能性に備えて,以下につづけて,活字で再度,紹介しておく(以下でも同じ具合に措置する)。
中曽根が墓場まで持って行った真実!
もし本当の事が分かれば 自民だけでは済まない
ましてや今の時代であれば!
天 ●〔皇〕・政治家全て・官僚全てに影響が及ぶだろう!
国民の恨みを!
トロン技術者全員搭乗-17名全員が死亡
日航123便墜落事件から始まった日本の凋落を解りやすく説明されています。この動画では 黒幕説を疑っているようですね。あれから39年,本当に日本国民は貧しくなったよな……
トロン技術者全員搭乗-17名全員が死亡 😨
中曽根の罪は過大だ! 許せない! 当時の ㈱ 日本政府(中曽根,竹下 登財務大臣 etc)
自衛隊誤爆説でもなく米軍爆撃説でもない,米国が日本政府を脅して自衛隊に爆撃させ説を展開。
でも,そこまでして日本政府は米国の言いなりになるかな? 米軍が撃ち落としたと考える方が納得がいく。
いずれにしてもフライトレコーダーを全て開示すべき。
補注)その〔事件の謎を解くために必須である〕フライトレコーダーがいままで,絶対に「情報公開されていなかった事実」は,この「日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)墜落事件」に関心のある人であれば,皆よくしっている。
なぜ,そうなっていたのか? すでに世間に出まわっている関連の情報以外は,けっして直接にわれわれにしらされることがなく,当然また,間接であっても伝わってくることがない状態のままである。
〔記事に戻る→〕 日航ジャンボ機が墜落して16時間という殺人的〔のための〕時間を確保したのは,そのアリを殺す為だったのではないかと疑われている。
※-3 投稿者・TORA「日航ジャンボ機が墜落して16時間という殺人的〔のための〕時間を確保したのはそのアリを殺す為だったのではないかと疑われている」『阿修羅 掲示版』2005年12月26日 13:56:16,http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/490.html
この※-3にその全文を紹介する文章は,「日航機墜落の親の原因〔2005年〕9月2日 神聖にして不可侵」 http://kawakamikeiko.cocolog-nifty.com/keiko/cat4342816/index.html という文章である。この元のリンク先住所は,クリックしても現在は削除されており,閲覧不可である。
そこで,本日参照した『阿修羅 掲示版』に転載されていた当該の文章(長文である)を,以下に引用することにした。※-1のなかで画像資料で紹介してあった論点を,さらにくわしく議論している。
以下に紹介する文章は「2005年12月26日 月曜日」に書かれ,公表されていた。「日本航空123便墜落事件」の真相は「撃墜事件」であったのであり,それがゆえに日本政府の立場としては,完璧に秘密化しておく必要がどうしてもあった。
しかも,在日アメリカ大使館(その実態は「日本総督府」)を介して日本政府に伝えられた「アメリカ政府側の意向」は,「絶対にこの秘密は守れよ!」といった厳命となって提示されていた。
それゆえ,大事件の様相を展開させていたこの「日本航空123便墜落事件」であったけれども,搭乗していた日本人たち旅客の生命などなんとも思われていなかった。いってみれば,そのまま未来永劫にお蔵入りさせておくべき案件として処理・始末されることになった。
先日のある記述のなかでも触れてみた事実は,日本の外務省官僚のなかでの「最高位の職位」は次官ではなく,駐米日本大使であるという奇妙な「実質的な格づけ」からも,そうした「日本国の対米服属関係」の意味あいが理解できる。
さて以下に,この※-3の中心となる文章を引用する。
◆-1 日航機墜落の原因として圧力隔壁の破壊が発生し垂直尾翼が破壊されたとされている。しかしその後の各種検証や生存者の証言によって急減圧がなかった疑いが強く,決定打に欠け,数多くある「仮説」のひとつであるのが実情である。
この事故の原因調査については,各種書籍やメディアで論じられているので細かくは触れないが,要約すると事故調査委員会としては,下記2条件に合致する事故原因が望ましいということだろう。
条件1: この機のみの特殊要因である。
条件2: 米軍や自衛隊の関与は認めない。
条件1は,ボーイング社の構造的欠陥は許されないという意味でもある。そうでなければ,世界的航空ビジネスにおいてボーイング社は大打撃を被る。米国の国益上許されないのである。
条件2はいうまでもないが,あったとしても隠匿できるなら,それに越したことはない。
この条件1と2を満足させる事故原因としてならば,この事故においてもっとも都合がよいのが「修理ミスによる圧力隔壁破壊説」であった。
まず結論がある。そして,その結論に都合がよいように,さまざまな推論や理屈があとから付いてくるのである。
そして不思議なことに,事故の本格的調査をしていない段階で「圧力隔壁が破壊され‥‥」と事故原因が,新聞トップを飾る〔飾った〕という報道になっていたではないか。
いつものことであるが,そえほど驚く話でもない。実は,世の中とはこういうものなのだ。
イラクで日本人大使館員2名が射殺された事件も,状況からして米軍による誤射の疑いが強かった。弾丸を調べればわかるはずだが,最後の最後で,結局うやむやにされ闇に葬られた。
いわゆる「政治的決着」である。
世の中の本質をしろうとすれば,マスメディアが流す情報をただ鵜呑みにするだけでは,まず不可能だ。
結局,自分自身の洞察力が問われるのである。
◆-2 ミサイル誤射説 〔2005年〕10月14日
なぜ,自衛隊や防衛庁は,墜落場所を意図的なまでに二転三転させたのか? 墜落原因になんらかの自衛隊もしくは米軍の関与があった可能性を考えてみる。そう仮定すれば,すべて一本の線となりつながり謎は氷解する。
補注)その墜落現場についての情報は,墜落した現地の人びとから,なかでも実際に目撃した子供たちの証言もあったが,いっさい無視されつづけてきた。
〔記事に戻る→〕 ミサイルが当たれば空中分解するはずと米田憲司氏は述べている。しかし,訓練用のミサイルであれば模擬弾であっても不思議はない。対空ミサイルであれば赤外線を感知し,後方から接近する。垂直尾翼の後方部分のみが破壊されているところをみると後方からなにかが当たったからとも考えられる。
補注)参考文献の紹介としてのアマゾン通販からとなるが,米田憲司の著書の本を,文庫版もいっしょに併せて紹介しておく。
123便は米空軍専用空域「横田エリア」に近い相模湾上空で垂直尾翼をなくした。慌てふためいた上層部は,墜落したあと後も意図的な誤報を流し,墜落場所を混乱させ時間を稼ぎ,先行空挺部隊に現場を確認させた。
補注)この「上層部」とは,どの組織のどの上層部を指すのか不明瞭である。自衛隊であることは確かであったが,それ以上はしらべれば分かるとだけいっておく。ともかく自衛隊内の話になっていた。
日本・日本国民たちの生命と財産を守るのが,その基本的な任務だとされる自衛隊の「当時に関した記録」としては,ずいぶん情けない,つまりひどくしまりのない,要は軍隊組織らしくないとして行動・対応ぶりを記録していた。
そこにはなんらかの作意,虚偽,計略があった,介在していたのだと勘ぐられて当然の不明瞭さ,曖昧さが残されていた。
〔記事に戻る→〕 証拠隠滅は不可能であったとしても,現場を確認したかったのだろう。
10年後の証言で米軍ヘリが現場にすぐに到着しレンジャーが降下し,人命救助に当たろうとしたところ,基地から要請で引き返すように命令されたのも。これで合点がいく。
あの〔その〕時点で川上慶子さんや落合由美さんの証言によると他の多くの乗客と「これで助かるね」と話しあっていたそうである。なにしろ自分の真上にヘリはホバリングしていたのだ。
しかし,その後ヘリは去っていった。人命救助よりも優先される「なにか」があったと考えるのが自然だ。
事故の決定的証拠になるはずの相模湾の垂直尾翼の回収作業は3日〔間〕で終了し〔させ〕,結局回収されなかった。ここも怪しい。
もっとも重要な証拠物件の捜索をたった3日で終えるのはあまりに不自然である。
だがそれも,ミサイル誤射説であれば納得がいく。垂直尾翼が回収されれば外部からなにかがぶつ〔か〕ったことが判明するであろう。そうなれば必然的に米軍や自衛隊の関与の話が出てくる。
〔しかし〕なんとしてでも,そのシナリオは避けたかった。やはり垂直尾翼は海の底で眠ってもらうしかないのだろう〔という推理にならざるをえない〕。
ここまで話が綺麗につながってしまうから,ミサイル誤射説が語られるようになる。それ〔前段のごときに説明された嘘の説明〕を否定するのは簡単だ。相模湾に眠っている垂直尾翼を回収することだ。そして外部からの衝撃ではないことを証明すれば済む話である。〔だが,けっしてその努力はしようともしなかった〕
◆-3 ミサイル誤射の実例 〔2005年〕10月27日
墜落場所を特定したあとも防衛庁が(前代未聞の〔ことであったが〕)わざわざ,マスコミにみずから電話して御座山に墜落したと誤報を流した事実がある。
補注)地図をみれば判るように,その御座山は,実際に日航機が墜落した場所よりもほぼ西側にかなりズレた位置にある。
〔記事に戻る→〕 事故後早い段階で地元の消防団や猟友会を事故現場であるスゲノ沢へ入らせないようにした〔妨害していた〕自衛隊の存在。
数多くある不可解な自衛隊や県警機動隊の行動に隠された意味は,なんなのであろうか。
この話をするときに,ある反論がよく出る。
♥「現場の自衛隊はよくがんばった。彼らの気持ちになってみろ」
これは論理のすり替えという。だれも現場で必死に救助活動をおこなった自衛隊員を責めてはいない。問題は上層部である。
仮に,なんらかの意図が上層部にあり,現場の隊員に不可解な行動を起こさせたとしても,末端の隊員や現場の人間はなにもしらされないものだ。彼らは,命令に絶対服従するように訓練された存在だから仕方がないのだ。
そして,真実をしっているのは,上層部のほんの一部である。〔結局,彼らは多分,その事実に記憶を墓場にまでもちこむ〕
また,さまざまな推論を出す過程で,こういう意見も出てくる。
♥「遺族の気持ちになってみろ。」
この事故原因調査のずさんさや隠蔽体質に異議を唱え,真の事故原因を究明すべきだと考えるのである。実際に遺族が望むのは頬かむりではなく,事故およびその後のずさんな対応の真実の究明だ。
ミサイル誤射説といえば,突拍子もない暴論と一笑されそうであるが,旅客機と戦闘機のニアミスやミサイルの訓練中の誤発射事故など,けっして珍しくない。現実に〔有名な事件であるが〕雫石にて,1971年に全日空機を訓練で「敵機と見立てた」自衛隊機と衝突し墜落している。
ここ10年をみても類似事例は存在する。
☆-1 1995年11月,小松基地にて訓練中のF15がミサイルを誤射し,僚機を撃墜。F15イーグルの唯一の撃墜事例となった。
☆-2 1996年6月,自衛隊護衛艦ゆうぎりが,米空軍A-6を誤射し,撃墜。
☆-3 2001年には広島でF4ファントムによるバルカン砲誤射により20ミリ弾丸が188発も発射された。
これら事故に限った話でなく,私は自分の仕事においても原因が分からない問題がある場合,さまざまな仮説をまずは立ててみる。
そしてそれらひとつひとつを検証していく。これは問題解決の基本である。仮説を立てることじたいの否定は,真実の追究の芽を摘んでしまうことにもなりかねない。
◆-3 罪をあがなうべき者たちへ〔2005年〕11月20日
私〔現著者〕は,このブログを通して日航機事故の事故原因と救出活動の遅れへの疑惑を書いてきた。しかし,これで世の中が動くとは思っていない。現実的な話として遺族でもない私1人がこのブログでなにをいおうが世の中は変わらない。
事故調査委員会の出した事故報告書は,エリートが売った肩書きの領収書でしかない。また,事故の救出を意図的に遅らせた動きがあったことも事実である。
つまり,この世には救出できた生存者を見殺しにし,真実を隠蔽する罪人が存在しているということだ。
罪人は裁かれなければならない。しかしわれわれ一般の無力な市民にはなにもできない。これがこの社会の権力構造の現実だ。
20年後〔2005年時点のこと〕のいまごろは,天下り先を引退して悠々自適な勝ち組の暮らしをしているかもしれない。もう時効が成立したこの事件の罪をあがなうべき者たちは,いまごろほっとしていることだろう。
「俺は逃げ切った」と。
なんという無力感。事故の被害者はこの世の中に絶望するしかないのだろうか? そんなことはない。罪をあがなうべき者たちへ〔あらかじめ警告する〕。
逃げ切れたと安心するにはまだ早い。もう若くないあなたはそろそろ考えておいたほうが良いだろう。人はいつか死を迎える。あの世では520名もの御霊があなたを待っている。
どういういいわけをするか,いまから考えておくことだ。
補注)引用中の文章が書かれてからすでに19年が経った。すでに,あの世で「両者たちが邂逅していた」かもしれないが,その実話を聞けないのが残念である。
◆-4 蟻の一穴〔2005年〕12月23日
ある問題は,アリの空けた一穴をきっかけとして発覚する。問題が発覚して困る人は,そのアリを殺そうとする。
日航ジャンボ機が墜落して16時間という殺人的〔になるための〕時間を確保したのは,そのアリを殺すためだったのではないかと疑われている。
補注)つまり,その事故機に搭乗していた乗客のなかには,その事故が発生した瞬間,つまりその事実(真実の原因)を観ていた人も,多分,必らずいるはずだと想定したうえで,旅客機が山肌に墜落したあともまだ生きていた人びとを,この世に居てはまずいものとみなしていたことになる。
というしだいで国側は,搭乗したジャンボ機が墜落させられてから,乗客たち全員が「生き残っていない」ことを期待していたわけだから,現地にだいぶ遅れて入った自衛隊以外の公的組織であった。
たとえば,われわれの記憶にはっきり残っているが当時,川上慶子さんら生存者を最初に発見して救出したのは,地元消防団であった。自衛隊や警視庁関係の部隊ではなかった。
〔記事に戻る→〕 事故調査委員会からしたら生存者は邪魔で仕方なかったであろう。なにしろ,生存者の証言と事故調査報告書の大半は食い違うからである。
そして16時間の空白の時間の正当性を『文芸春秋』て声高に主張した自衛隊幹部の主張も,10年後在日米軍C130ハーキュリーズ輸送機に乗ったアントヌッチ中尉証言によって,完全に否定されてしまった。
はっきりいおう。この事故の本当の真実をしる者がいるとしたら,彼らは4名の生存者もアントヌッチ中尉も「死んで欲しい」存在だ。彼らが居なければこの事故の疑惑を語られることが激減していたのは,間違いない。
権力者にとって自分の名声や地位,利権に比べれば人の命など虫けら同然だ。
補注)2024年元日に発生した能登半島地震の被災者たちに対した救援・支援の実態は,実にひどく冷酷なものであった。岸田文雄政権および石川県の馳 浩知事が,現実に記録してきた対応のありようからも,その事実は明瞭になっていた。
とくに岸田の首相としての災害発生に対する対応のあり方,その指揮ぶりは,「国家最高指導者」というには,あまりにも力量不足であった以前に,そもそも熱意も真情もなにも感じられなかった。
〔記事に戻る→〕 似たような話がいま〔2005年当時の話だが〕現実に進んでいる。
耐震欠陥マンション問題は予想どおり話が広がってきた。姉歯以外の建築士の関与,そしてシャブコンの話。今後の流れを読むと,どう幕引きをするかだ。500箇所のマンションを無作為に検査するという。
そこで「問題ありませんでした。マンション皆さん買ってください。」という話にもっていけないとしたら,「権力者」としては無能だ〔ということになる〕。
優秀な権力者としての評価は,問題が発覚するプロセスの初期の段階で火消しをする手腕で問われる。〔能登半島地震の場合での岸田文雄は,その手腕が完全に不備だったというよりは,だいたいからして欠落していた〕
いま〔当時においてだが〕,3ヶ月前に戻れるなら告発した設計士や姉歯建築士など4人でも5人でも消すべきだったと,自分の手腕のなさを後悔しているかもしれない。
ボヤで消し止められなかったところをみると,いまの権力者はそれほど優秀ではないらしい。
(私のコメント)〔この記事の元執筆者がいうには……〕
今年〔2005年〕は,日航ジャンボ機が墜落した事故から20年ということで,テレビでも特集番組が放送されたりしましたが,事件の謎には触れることができないもどかしさを感じました。
最近でもNHKで「クライマーズハイ」というドラマを放送していましたが,やはり日航ジャンボ機墜落事故の謎には触れずじまいだった。むしろ,通説である圧力隔壁が破損してしまい,尾翼が壊れた説を強調する結果になっていた。
昨日〔2005年9月1日〕も山形で列車転覆事故で37人の死傷者が出る事故が起きましたが,国土交通省から事故調査委員会の調査員が調べていますが,同じような事故が何度も起きるのは事故の教訓が活かされていないようだ。
列車が鉄橋を渡るときに強風で下から煽られて転覆した事故は前にも起きている。もし昨日の列車が徐行運転していれば脱線しても大事故にはならなかったはずだ。
日航ジャンボ機の墜落事故は,圧力隔壁の修理跡の金属疲労からの破損による尾翼破損説で片付けられましたが,いろいろ謎が多い事故だ。事故の謎を追った本なども出ていますが,その後の関係者の証言などからは通説とは異なるミサイル誤射説なども検証されるべきだと思うのですが,残留物の徹底的な検証は〔その後も〕おこなわれていないようだ。
また生存者が4人いたのですが〔前段で触れた川上慶子はその1人であって,地元の消防団が救出していた〕,もっと早く救出できればもっと多くの人が助かったかもしれませんが,自衛隊のヘリが現場に着いたのは事故が起きた16時間も後のことだった。しかし生存者の1人の落合由美さんは,つぎのように証言していた。
◆-5 生存者の1人,落合由美さんの証言( http://www13.ocn.ne.jp/~autofilm/shougen.html )
突然,男の子の声がしました。「ようし,ぼくはがんばるぞ」と,男の子はいいました。学校へあがったかどうかの男の子の声で,それははっきり聞こえました。しかし,さっき「おかあさーん」といった男の子と同じ少年なのかどうか,判断はつきません。
私はただぐったりしたまま,荒い息遣いや,どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし,血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。
やがて真暗ななかに,ヘリコプターの音が聞こえました。あかりはみえないのですが,音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで,助かる,と私は夢中で右手を伸ばし,振りました。
けれど,ヘリコプターはだんだん遠くへいってしまうんです。帰っちゃいやって,一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と,声も出したと思います。ああ,帰って行く・・・・・。
このときもまだ,何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし,男の子や若い女の人の声は,もう聞こえてはいませんでした。
(私のコメント)〔引用した記事の元執筆者〕 このように墜落現場に救助のヘリコプターは確かに現われていたし,火災で木などが燃えていたから事故現場を認識できなかったことは,ありえない。
しかし,救助ヘリは飛び去っていってしまった。……その時点では生きていた人が大勢いたし助けようと思えば助けられたはずだ。10年後に米軍のレンジャー部隊のヘリだということが分かりましたが,米軍の輸送機のC130が現場を発見したらしい。
しかし,米軍のレンジャー部隊のヘリはなぜ引き返してしまったのだろう。しかも墜落現場が分かったのならなぜ,自衛隊のヘリは出動しなかったのか。これらは正式な情報ではないので,マスコミも記事にはならず裏を取ろうともしないのは,なぜなのだろう。高度な政治的な判断がマスコミに対して報道管制を敷いているのだ。
当時の私の記憶では,自衛隊は生存者は1人もいないという判断を下してしまって,夜で暗いので救助ヘリを出さなかったというニュースを覚えている。
しかし,米軍は事故現場発見して救助ヘリも出ていたのに引き返したのはなぜか。しかも自衛隊が現場を発見して救出するまで16時間もかかったのはなぜか。まさか生存者が死ぬのを待っていたのではないかと言う疑念も出ている。
落合由美さんの証言からも,圧力隔壁が壊れて尾翼を吹き飛ばしたという事故調査委員下の結果とは明らかに異なる〔つまり,なにかの介在は明らかである〕。
尾翼を吹き飛ばすような減圧が起きれば高度1万メートルだから空気は希薄になり氷点下の気温になっていたはずだ。おそらく自衛隊の訓練用の模擬ミサイルが尾翼に命中して吹き飛ばしたのだ。そこから徐々に空気が漏れていったというほうが筋が通る。
しかし,自衛隊はなぜ事故を隠蔽しようとしたのかわからない。あるいは米軍の模擬ミサイルが命中したのかもしれない。
イラクでも,日本の外交官2人を誤って射殺したのも米軍という説もあるから,同じようなことが相模湾上空で起きたと考えれば,米軍が事故を隠蔽しようと,救助ヘリを引き返させたと考えたほうが筋が通る。
それならば,日本政府も自衛隊も口出しはできない,ということも筋が通る。イラクの誤射事件もいまだにうやむやだから,米軍がらみの事故は永久に迷宮入りなのだ。
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【参考記事】
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