いまごろする批評,小笠原英司・藤沼 司共編著『原子力発電企業と事業経営』文眞堂,2016年は鼎の軽重が問われた「専門研究書」
※-1 小笠原英司・藤沼 司共編著『原子力発電企業と事業経営』文眞堂,2016年
最近になってだが2024年7月16日,ある古本をみつけ,これに興味が湧いてきたので,すぐ発注し入手することにした。この本が自宅に配達されたのは,その後少し日数が経ったあとで7月23日になった。
それはともかく,青森公立大学研究叢書第22巻として,いまから8年前になるわけだが,2016年7月20日に発刊されていたその本の題名は,小笠原英司・藤沼 司共編著『原子力発電企業と事業経営』文眞堂である。
アマゾンの通販でかなり安価に入手できた。もとの定価は税抜きで3200円,本文が196頁であるから,専門書に付けられた価格としては発行部数の関連もあるが,それなりに妥当な定価かもしれない。
この本は今回たまたま安価で入手できなければ,読む機会はえられなかったとも,入手後の感想を抱いた。
それはともかく,出版元の前宣伝によれば,本書『原子力発電企業と事業経営』が制作・公表された意図は,つぎのように説明されていた。以下にこの文面は行替えを入れ,2つに分割にして紹介する。
このうち a) の「東京電力(現在の東電ホールディングス)」の「マネジメントの失敗」といった要因に関しては,例の畑村洋太郎『失敗学』という学問・理論の構想がすでに公表されていた。
けれども,この畑村流の失敗学は,いわば構想倒れとでも形容したらよい,そもそものその発想じたいが蹉跌していた事実は,本ブログ筆者がくわしく解説しつつ批判してきた。それというのも,原発に事故が発生するという重大な問題に関した話題であった。
本ブログ内では,つぎの連続ものの記述3稿が前段の話題をとりあげていた。 それぞれ,2023年2月27日,2023年3月1日,3月2日に記述されていた。
※-2『アラセブ1944の雑感・随想』2017年7月19日が畑村洋太郎に言及
前項に触れてみた問題,畑村洋太郎「失敗学」のその失敗性についてはたとえば,『アラセブ1944の雑感・随想』というブログが,2017年7月19日の記述であったが,「畑村洋太郎氏は信用できないタイプ」なる標題をかかげてつぎのように,畑村の学者「性」を批判していた。
なお,同上ブログのリンク先住所は ⇒ https://reed4491.hatenadiary.org/entry/20170719/1500473697 である。この文章は短めの記述なので,以下に全体を引用しておく。
【参考記事】-『東京新聞』から-
※-3「失敗学の失敗」という事態・出来事は原発問題に関してのみは絶対に許容されえない
ところで,そのブログ『アラセブ1944の雑感・随想』が参照したというブログ『社会科学者の随想』は,すでにだいぶ以前に閉鎖(削除)されていた。だが,この『note』における blog としての記述が,つぎに3部の記述として分割された形式で,また内容を更新・改訂したうえで,収めてある。
前段※-2の補注でその氏名が挙がった旧東電幹部3名に関する裁判は,控訴審の判決を待つ段階にある事実も申しそえておく。つぎの『東京新聞』の記事を参照しておきたい。
以上,畑村洋太郎の関連を記述してみたところで,この元東大工学部教授は,原発の事故問題にも当然かかわる事項であったが,つぎのごときトンデモ発言をしていた。断わっておくが,これらの発言は,あえて原発問題にあてはめて厳密に考えるまでもなく,完全に最初からアウト(これ,ダメ!)であったものばかり……。
▼-1「〈それでも親子〉両親,先回りせず失敗に寛容」『日本経済新聞』2022年9月27日夕刊。
原発問題に関して,もしもこの「先回りせず失敗に寛容」などといったら,まずは完全も完全にパーフェクトに没収試合。原発の利用状況はもはや子どもの時期(試行段階)にあらず。
▼-2「〈教育岩盤 突破口を開く『良い失敗』した人ほめよ」『日本経済新聞』2023年8月16日朝刊。
原発問題にこの方針=「良い失敗」を適用するとしたら,原発事故が起きたところで,仮にこの「良い失敗」がありうればの仮定話となるが,「これをほめよ」ということになるのか?
冗談ではない。原発の事故などいっさいないほうがいいに決まっている。良いも悪いもあるものか。
▼-3「 原発の安全や安心は,一足飛びには進化しない。私たちは福島からそう学んだ。現実から目を背けずに『危険の存在を認め,危険に正対して議論できる文化をつくる』。失敗学の提唱者で政府の原発事故調トップを務めた畑村洋太郎さんの戒めである。夢や革新といったうわべだけの言葉は原発の前進に邪魔になるだけだ」『日本経済新聞』2022年9月26日朝刊「春秋」。
この▼-3に関して畑村洋太郎が説きたかったらしい要点は,原発の安全性問題を確実にしていくためには,その進化の過程(対策の進展)に俟ちたいというのか?
そうなのであれば,「危険の存在」そのものや,「失敗」の可能性,つまり,前項▼-2に即していうとしたら,その「良い失敗」は認めよ,甘んじて許容せよという主張になる。しかし,そうだとしたらこれは議論以前の禁句。
だが,今後において再び,チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)や東電福島第1原発事故(2011年3月11日)に相当するごとき最大級の大事故が,起きていいはずなどはありえない。それでいいなどと許容することは絶対にできない。
それゆえ,畑村洋太郎がこの▼-3の原発問題にかかわらせて提唱した安全性の問題「理解」は,「一足飛びには進化しない性質のもの」ゆえ,「私たちは福島からそう学んだ。現実から目を背けずに『危険の存在を認め,危険に正対して議論できる文化をつくる』」などいってのけ主張は,それこそ一刀両断に,バッサリと切り捨てられ,全面的に否定されるべき夢想的な推論であった。
まさかであり,冗談ではあるまいや。
旧ソ連やわれわれの生きて暮らすこの日本でも起きた,もっとも深刻かつ重大な水準になっていた原発事故に関して考えるに,いったいどのように踏まえたら,それもまたもやそのような事故は起きるかもしれないといった憂慮となるわけだが,
原発事故という失敗もまた「人間社会に失敗はつきものなのだ」からといってのけたあげく,これをよく踏まえて対策を考え予防しいければいいのだ,とでもいいたげだった「畑村洋太郎の工学的な技術観」は実は,原発問題に対してのみは絶対に通用しえない定言であった。
チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故のような超大事故が起きていても,失敗学の材料に生かしうるゆえ許容範囲内たりうるのだといったも同然の発想(学問的?構想)は,その出立点からして完全に破綻していた。
畑村洋太郎流「失敗学」は,無理を承知のうえでというよりも,とてもなく破滅的な,原発の技術経済的特性や国民社会的な考慮を思いっきり軽んじる意見であった。
※-4 畑村洋太郎の秘密主義ないしは権威主義の陥穽
本ブログ筆者の手元にはまず,2011年8月24日『朝日新聞』朝刊に出ていた小さな記事の切り抜きがある。この記事の見出しには「聴き取り内容詳細明かさず 畑村・事故調副委員長」と書かれていた。
この方式になる「秘密主義的な畑村洋太郎の発言」だと,原発事故の解明に当たるべき立場に居た専門家として,そのような権威主義的な秘密主義を好ましいと決めたらしい彼の立場が,堂々と公言されていたことになる。
また,「〈大機小機〉失敗から学ぶことの大切さ」という『日本経済新聞』2023年6月2日朝刊のコラム題名は,この失敗を学に仕上げてきたつもりであった,畑村洋太郎自身が「失敗学の提唱者として」だったとしても,「この失敗という問題じたいのあつかい方」を取り間違えていたとしか理解できなかった。
原発事故の失敗から学ぶとしたら,「昔風」の「原発安全神話」がすでに完全に通用しない事実は,いまとなっては原子力ムラの関係者でもしぶしぶでありながらも受忍せざるをえない基本前提になっているのだから,
つまり,原発の事故は世界中でその基数全体が増えていけばいくほど,数十年に1回は最高度に深刻かつ重大な事故をより起こしやすくなっていくことは,否定しようもない確率論的な予測である。
いまとなってみれば,原発にかぎった「安全神話」などは,「鰯の頭も信心から」に比較したところで,さらに数段も劣るいいぐさになりはてたのである。
原発は「事故を起こすはずなどない」のだといった,工学的な根拠など皆無であった虚説をばらまいてきた原子力ムラの組織風土は,いまではまったく通用しない事実として,一般社会の側でも理解されている。
それでも,執拗にそのようにいいつづけてきた日本の原発史のなかであっても,事実,そもそもその深刻度の深浅や大小規模を問わず,原発の故障や事故は多発してきた。
原子力工学を専攻した学者・研究者なのであれば,原発から事故が,とくに大事故がこれからも絶対に発生しないと請け負える人など,1人もいないはずである。
※-5 小笠原英司・藤沼 司共編著『原子力発電企業と事業経営』文眞堂,2016年の陳腐
本書は2011年3月11日に発生した東日本大震災とこれによって発生した大津波によって,東電福島第1原発事故が発生した大事件をめぐり,経営学者たちが分析し,考察した内容をとりまとめて公表した著作であった。
同書の編成内容をつぎに紹介しておく。
しかし,編者の1人となっていた小笠原英司の経営学「論」については,前段で紹介した本ブログの記述3編が詳細に議論し,根幹に潜む理論的難点を指摘・批判してあった。
ここではその詳細については面倒でも前記のそれら記述を参照してもらうことにしておき,つぎに,ここでは批判されるべき要点のみ言及することにしたい。
小笠原英司が冒頭の第1章を担当していたが,その「生活者」という概念的な用語に関してはすでに完全に破綻していた事実,つまり,小笠原英司が自説が構成されるべき基盤として挙げていた3点,つまり,山本安次郎学説,バーナード経営学,ゴットル経済科学のうち,
最後のゴットル的観点は,経営学のほかの研究者から根底にまでおよぶ徹底的な批判を受けたがために,実質,原子力発電企業と事業経営』からは消失する論点になっていた。それも,小笠原英司はその点を断わりもなしに,実行していた。研究者としてならば当然,そのの道徳・倫理が問われるべき点になっていた。
換言すると,おそらくこの編著『原子力発電企業と事業経営』を企画した中心人物であった小笠原英司が,第1章「科学技術時代における『専門家』と『生活者』-原発問題に接近するための基礎概念-」を執筆したさい,
この第1章の題名のなかでかかげられた用語,『専門家』と『生活者』というもののうち,後者の「生活者」という概念については,間違いなくゴットル(ゴットル=オットリリエンフェルト,Friedrich von Gottl-Ottlilienfeld,1868年11月13日~1958年10月19日)というドイツの経済学者・経済哲学者の論理に依拠していただけに,
事後,小笠原英司『経営哲学研究序説』文眞堂,2004年を公表したさい,この専門研究書の胆になっていたはずのゴットル経済科学論,いいかえれば,戦時体制期としての基本性格を基調として特徴づけるために大いに活用していたはずのそれが,
2016年の編著書『原子力発電企業と事業経営』においてはみごとなまでと形容してもいいほど抹消されていた,すなわち消滅していた。どこかへ飛んでいってしまったのである。
換骨奪胎されたというより,自説の3本柱のうちの1本が無言のうちに撤回されていたのだから,この事実について大きな疑念をもつ同学の識者がほかにも存在していて当然であった(実際そのように発言・指摘していた経営学者はいた)。
ゴットル経済科学論がどのような社会科学的な含意を有していたかと問われれば,それはナチスの御用理論をよく提供しえ,双方が高度に結合・癒着せしめられた形式と内容で展開されていったという「時代的な特徴:ファシズム」が,よく発揮されたものだとだけ答えておけばよい。
その付近の問題性は,日本におけるドイツ経営経済学の権威者であった1人,中村常次郎が『ドイツ経営経済学』東京大学出版会,1982年などの論著をもってがとくに,完膚なきまでに剔抉していた。
小笠原英司はドイツ経営学全般に関した学識に不足が目立ち,肝心に位置づけられていた論点の実在じたいに,不用意・不注意が学問構想の当初から回避できていなかった。
それゆえ,いまさらとはいえ,以上のような指摘をしてみたところで,詮ないことこのうえななかった。だが,そうだとしても学問研究の見地からいえば,その種の欠落・不用心は,とうてい観過することができない問題として残されたままであった。
※-6 いまどきにこのような勉強不足
最後に一言,本書『原子力発電企業と事業経営』2016年の内容についてはいまどきといってはなんだが,つぎのようにビックリさせられる記述もあった。
それは,第3章「原子力『安全神話』をめぐる考察」(野中洋一担当)にあった。いまから半世紀前ころならばともかく,21世紀の20年代も16年目になっていた当時の段階において,こう述べていた。
「日本人は,単一民族として,日本特有の風土のなかで農耕文化,集団主義を育んできた歴史がある。果たして,確率論的リスク評価という手法は,日本人の性格という壁を乗り越えられるのであろうか」(83頁)。
単一民族「論」といった独断的に教条の用語・用法,そして,日本風土論という問題意識は,いったいどこまで深掘りされていて,またどこまで学問的な抽象化としての濾過作業を済ましてからの発言・主張だったのか?
農耕文化論だけで日本の歴史が割り切れない点は,網野善彦がだいぶ以前から提唱していた。日本人の性格論ウンヌンなどなどと気軽に言及するとなれば,専門外の研究者は不用意に大やけどしかねないから要注意であった。
前段に引用してみた,わずか90字ほど紹介してみた文言だけでも,学問的にさらに訊いてみたい疑問点が,いきなり盛りだくさんに湧き出てきた。あらためて要説明が必須であった文言を,立てつづけに放出したがごとき記述は,感心できなかった。もちろん,非学問的だという意味で,である。
それどころか,学術書のなかであったにもかかわらず,冗舌に聞こえかねない文句や叙述を,あたかも理論的な認識としてすでに文句なしに自明でもあったかのように連続して書かれた文章は,冗句にもなりえなかったジョーク以前の冗語になっていた。
少なくとも専門研究書のなかでの執筆姿勢にあっては,よほどの慎重さが要請されていたのだが,なにやら軽率にも響く,つまり学問以前のノリになったがごとき,連発銃の発射モドキの叙述部分は,けっして好ましいものではなく,断わるまでもなく「否」「要・改善」であった。
【参考記事】-野中洋一関連文章-
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