菅 義偉首相(2020年当時)が学術会議新会員6名を拒否した問題(7・完)
※-0「本稿」の前編各稿のうち「本稿(1)」のみを,ここではそのリンク先住所を掲示しておきたい。また,この「本稿(7)」をもって,この話題の記述全体を終えることになった。
「本稿(1)」はこちら( ↓ )
⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/na072735b08ff
※-1 菅 義偉による学術会議新会員6名拒否は,さきに安倍晋三がその模範を垂示してきたが,科学や学問の理論や実践などなにも判らぬ愚かな政治屋たちが「学術研究の世界をぶち壊して」「いまや後進国に還帰した日本」の哀れな姿を,はしなくも露呈させる出来事を起こしていた。
菅 義偉が首相であった期間は,2020年9月16日から2021年10月4日までであったが,10月に早速「辣腕的(?)な采配」を下してみるその対象になったのが,「学術会議新会員の6名を拒否する」という判断であった。
その采配は,すでに前首相であった安倍晋三が,自国の軍隊(自衛隊3軍)を,アメリカインド太平洋軍向けに実質,提供した無給傭兵であるかのごとき位置づけをした,それも進んで(喜んで受け入れたがごとき)下僕精神をもって,あたかも無条件に差し出した屈従的だとみなすほかない「自国軍隊のあつかい」を,あからさまに表現していた。
2016年に首相が安倍晋三であったときから,つまり,学術会議「第23期の補充人事」任命の件にさいしては,当時の「学術会議が候補として挙げていた複数人」が,すでに官邸側から拒否される出来事が意図して起こされていた。
2020年にその「第25期の新会員6人」が任命されなかったときの首相は菅 義偉に代わったばかりであったが,当然のように安倍晋三の方針:やり方を受けついでいた。
この2人の政治屋は,第2次安倍政権のときから「悪代官と悪庄屋」の仲良し的なゾンビ・コンビであって,しかも菅 義偉が首相になってからは,いよいよ「両悪の散華」がはじまることになった。
学術(科学研究)の大切さなどろくに理解できていない,この2代の首相のせいで,日本の学問展開はさらに落ちこんでいく趨勢をみせてきた。その事実はどの学問分野に属する学究や研究者であっても,身近な様子として手に取るように,しかも切実に認識させられるところになっていた。
毎年10月はノーベル各賞が発表されている時期となるが,今年2024年,日本から受賞者は出るのか,出ないのか? もしも受賞者なしだとなれば,日本はここ3年連続してノーベル賞受賞者なしという,いささか寂しい事態を向かえるかもしれない。
※-2 ここで,本記述の要点をつぎのように,あらためて箇条書きにして明示しておきたい。
要点・1 本当の事実(真実)は研究してほしくない一国の最高指導者こそが,その国にとってみれば最大の有害人物であり,ごく分かりやすくいえば国賊そのものであった
要点・2 戦時中(敗戦前)の旧大日本帝国時代,とくに社会・人文科学の分野に対する弾圧の記録は,なにを意味していたか?
要点・3 というよりは,ともに「いまだけ・自分だけ・カネだけ」だった安倍晋三の元政権から菅 義偉の前政権になったところで,日本政治の一大特性である「ウソの,ウソによる,ウソのための政治」体制に,なんら変化なし。つまり,彼らには国民たちの安寧と幸福を願う気持など,頭の片隅にさえない。
その後の2021年10月4日,岸田文雄が日本の首相となって登場したが,この「世襲3代目の政治屋」がまた,煮ても焼いても食えない御仁。国家や国民のためよりも「自分がこの国の首相である立場」を,いかにしたら長持ちさせるかにしか関心のない小さい人物であった。
世襲政治の弊害を全面的に開花(?)させた個性そのものにこそ,この岸田文雄の「世襲政治屋」としての面目があったともいえ,しかも,本末転倒の権化みたいに,いわば完璧なる勘違いの意識を抱いたまま総理大臣職に就いていたのだから,
この国が安倍晋三以来,早くは森 喜朗や小泉純一郎などが首相になってからというもの,「失われた10年」を無為に反復していくだけの,換言すると,21世紀をダラダラと歩むだけの政治過程を記録してきたからには,20世紀最後の10年間からして,すでに「落ち目に向けて拍車がかかってしまった」ごとき「時代の流れ」に抗して制動がかかるわけなどありえなかった。
要点・4 菅 義偉が安倍晋三よりももっと剥き出しに発露させた専制的・独裁主義志向の為政は,民主主義の根本理念を当てて合理的に説明しうる余地など,わずかもありえなかった。これは古今東西の普遍的な真理といえる。
要点・5 無教養人が政治を司ると一国の為政がどれほどに歪んでしまうなまうか,好例・見本的にその無残さをみごとに体現させたのが,前首相の菅 義偉。いまさらそう批判したところで,どうなるというものでもないが,彼の為政にまつわる精神度の低迷さ,政治としての経営品質の劣悪さは,覆い隠しようがなかった。
要点・6 菅 義偉前政権は,自身が抱いていた〈本命の狙い〉を隠したまま,アレコレほかのいいわけばかりしながらでも,きわめて陰険な策謀しかなしえなかった。
その点は,菅 義偉という政治屋自身が「首相の器」にはとうていふさわしくなかった事実,いいかえれば,人間としての度量すらがもともと欠品状態であったがごとき事実,あるいはすなわち「知・情・意」の各域すべてにおいて「形成不全の諸事項」がめだつ政治屋であった事実は,いまさら強調するまでもなかった。
※-3 前言としてさらに言及しておきたい点
本日〔ここでは2020年10月13日〕の『朝日新聞』朝刊は,学術会議新会員任命が菅 義偉によって拒否された問題を,さらにつづけて大々的にとりあげる紙面構成になっていた。
この記述ではそれを論及する議論をしたいところであったが,それ以前にあれこれまだ吟味したい材料が多く残っていたので,そのなかから今回のこの問題に関しては,批判的な立場から報道している朝日新聞社系のネット記事に言及してみたい。
ところで,菅野 完が官邸前でハンガーストライキを2020年10月2日からしていたが,大手マスコミ・メディアは,ほとんど報道しようともしなかった。しかし,ネット記事であるならば,いろいろ読むことはできた。
なかでも『ゴミ売り新聞』や『惨軽新聞』のように,国家体制側にべったりと張りついた「世界観・価値感」しかもてない新聞紙は,みずからが自国政治を腐敗・劣化・反動化させるための大政翼賛的な体制をもって,熱心に報道する本性を隠すことはしない。いってみれば「亡国のための究極の真黄色(マッキイロの)新聞」。
※-4 須藤 靖・東京大学教授(宇宙物理学)「『法律論』『学問の自由』をはるかに超える大問題 学術会議の会員任命拒否には誠実な説明が必要だ」『論座』2020年10月05日,https://webronza.asahi.com/science/articles/2020100400001.html
〔2020年〕10月1日,日本学術会議が推薦した会員候補のうち6名を菅総理が任命拒否したことが明らかとなった。いいようのない閉塞感と無力感を感じてしまう。各社の新聞,そしてこの論座においても,ただちに多くの論評がなされている。
私は2011年10月から2017年9月までの6年間,日本学術会議第三部(理工系)の会員であり,現在は連携会員を務めている(学術会議は210名の会員にくわえて,約2000名の連携会員からなる。6年間の任期を終えた会員は,つぎの6年間は辞任しないかぎ限り自動的に連携会員となる)。
ここでは自分の学術会議の経験を踏まえたうえで,意見を述べさせていただきたい。
まず,学術会議に関して寄せられているいくつかの疑問に答えておこう。
1. 学術会議はそもそもどのような活動をしているのか
日本の学術全般に関して数多くの意見発信をおこなっている。とくに政府からの依頼への答申や回答,さらにはそれにとどまらず政府や社会に対する提言など多岐に渡っている。これらは,特定の学協会だけに限られた意見の寄せ集めではなく,多様な学術分野を俯瞰した広い見地から日本社会の現状解析と将来展望にもとづいたものである。
学術会議は3年間を一期としており,たとえば2020年の場合,第24期の最後である9月末までに,約70の提言が公表されている。それらはすべて学術会議のサイトから入手でき,その一覧,さらには具体的な内容を読んでいただければ学術会議の活動をよりよく理解していただけることと思う。
補注)今回における学術会議新会員候補拒否の問題にかかわっては,この学術会議が,このところ長期間「答申」を出していないなどといって,実質「冬眠機関」であるかのように非難・攻撃をする,それも無知にもとづいた批判(非難)があった。
以下の画像資料は参考用である。
だが,その答申を引き出すためには,政府の側から諮問がさきに提示されている必要には一言も触れずに,そのように口撃していた。すなわち,「諮問⇒答申」の関係すら分からずにモノをいっていた。噴飯モノもので見当違いの批判を,デタラメを承知でばらまくやり方,まさに「反学問」および「非論理」の立場そのものであった。
学術会議は諮問に対する答申以外にも,この会議体なりに多くの意見表明をしてきており,それなりに提言をおこなっているが,こちらについてもなんら知識をもちあわせないまま,闇雲に非難・攻撃だけを投じた「単細胞的な政権寄り応援団」に人たちに共通する特徴は,当該問題に関した「基本認識での無知の共有ぶり」であった。
安倍晋三や菅 義偉という「専制的・独裁主義志向の国家体制」が大好きな政治屋首相たちの感性にとってみれば,前段のごときに加勢をしてくれる「ネトウヨ的単細胞軍団」(いわゆるマスゴミ報道各社)の存在は,まことに心強い味方でありうる。
しかしながら,いうなれば「フェイク(ウソ・いつわり)の世論形成」に必死になって努力する特定集団,それも執権党側に属した当事者たちの存在は,要は「社会悪」そのものを意味した。
現状におけるこの国の為政にはすでに末期的症状が多くみられた。それでも無意識的になのかどうか不詳のまま,その「悪」が平然と前面に丸出しにされた状態の,つまり,恥も外聞もない言説が大通りを闊歩できている。
今回の学術会議をめぐる菅 義偉の,きわめて恣意的で独裁的な国家最高指導者の行動方式をとらえては,スガ・ヨシヒデの姓をもじって「スガーリン」だという呼称を与えた人もいた。
旧ソ連の独裁者であったスターリンがどのような人物:政治家であったか,ここでは説明しない。それにしても,『スターリン=スガーリン』などと比称されて,仮にでも内心でひそかに喜べるのが菅 義偉だとしたら,日本の政治はもはや最期を迎えたというほかない。
21世紀になってから,2010年代に安倍晋三の第2次政権が7年と8ヵ月も続くうちに,この日本国は前世紀の末期に迎えていた経済最盛期から,こんどは,ひたすらデフレ経済的に(実質的な隠れインフレも含みつつ)衰退する時期が続いてきた。
その経済過程は,「プーチンのロシア」がウクライナ侵略戦争を開始するころまで,つまり2022年2月段階までは確かにそうなっていくほかない自民党政治の方向づけになっていた。
ところがそのあとは,デフレを解決するためであったはずの「リフレ政策」が,なんら効果が上がらないで,つぎはインフレが高潮する経済過程がいま現在(2024年7月下旬の話となるが)は,進行中である。
4ヵ月前の『日本経済新聞』の報道によれば,岸田文雄「首相『来年以降,物価超す賃上げ定着』 2024年度予算成立」2024年3月28日 23:23,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA27CN30X20C24A3000000/ などと
脳天気もはなはだしく,きわめて的外れの「異次元の日本経済認識」を披露していた。この首相が来年をことをいうのは,「鬼が笑う」のたぐいでしかありえない。
【参考記事】-本ブログ内の記述,2024年5月から-
その2024年5月時点の関係記事をひとつ紹介しておく。岸田文雄はこの実質賃金の不振(その未達成)が,来年になったら必らず逆転しうるかのように,いとも簡単に(軽々しく)発言していた。
日本に対するかつての経済面に関した評価は,「Japan as ナンバーワン」とまで賞賛された。確かにそのように,この国がたいそう褒められた一時期が「なかったわけではない」
しかし,その後に関してとなるとその種の好業績は,だいぶ昔の思い出としてでしかなくなった。思い出だといっても,その日本経済の好業績(グッド・パフォーマンス)期間を,確かな記憶として実感できた年齢層は,50歳以上であった。
21世紀になってからの日本の経済は,成長をかつてのように上向きに持続しえなかっただけでなく,いまでは「3流ないし4流の政治・経済」の程度にしか国家全体を運営・維持できないような,「統治能力の質的水準」にまで落ちこんでいる。
とりわけ,安倍晋三の政治屋として為政は「世襲3代目のお▼カ政治屋」に特有であなった,まさに「子どもの〈裸の王様〉」そのものの実践(?)になっていた。しかも,この首相の右腕(右脚)となって,つまり官房長官となってその政権を支えてきたのがスガーリンであった。その官邸:官房的な政治手法とみれば,封建時代風の絶対王朝における宮廷政治を想像させるに十分であった。
ところが,その官房長官が安倍晋三のあとを継いで首相になっていた。この首相菅 義偉は,官房長官時代の政治のやり方に重心を置いていた,というかその流儀にしか自信がもてない政治屋であった。
すなわち,一国の最高指導者としての自覚よりも,内閣情報調査室(内閣官房に属する情報機関)を手先に駆使しつつ,暗黒政治をこの国に浸透させる謀略的な努力に熱心な精神の具有者としてならば,いちおう,曲がりなりでも「国家最高指導者」のまねごとができなくはなかった。
いわば,その政治手法は安倍政権時代,菅 義偉が官房長官であった立場において長期間慣れ親しんできたそれであったゆえ,自身が首相になれたその後になってみれば,お手のものでありえたかもしれない。だが,やることなすことのすべてが粗暴かつ未熟のうえ,不勉強ぶりもめだっていた。
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2. 会員選出の方法は適切なのか
かつては,それぞれの学協会の直接選挙で選ばれていた時期もあったが,その結果,狭い意味での学会代表の集まりとなる弊害が顕在化してきた。現在の規定では,学術会議内に選考委員会をつくり,そこでさまざまな議論を積み重ねて次期の会員および連携会員候補を推薦することになっている。
また,会員は2期6年の任期で再選不可かつ70歳定年,さらに学術会議の多様性を担保するために地域およびジェンダーバランスに厳しい制約条件を課している。これらの条件を直接選挙だけで実現することはむずかしい。
とはいえ,この選考方法がベストかどうかは自明ではない。しかし,そのやり方だけをみて,権威主義的あるいは非民主的だと批判するならば短絡である。
実際,私が所属する物理学委員会天文学・宇宙物理学分科会では,上記の多様性を満たすように現会員・連携会員がさまざまな観点から議論を尽くして次期候補を挙げ,その結果を,異なる分野からの推薦を集約した上述の選考委員会でのさらなる議論に託している。
このように少なくとも私のしる範囲では,きわめて適切な選考がなされているものと確信する。
3. 学術会議はなぜ内閣府のもとの組織なのか
これはある程度歴史的なものであろう。政府が,学術会議の独立性と中立性を尊重するかぎり,内閣府内からの勧告や提言であればそれなりの重みをもつ。そして,政府がなんらかの判断を下すさいに,学術的な観点からのフィードバックは不可欠である。過去の政府と学術会議の間では,たがいいの尊重と緊張関係は最低限守られてきた。
逆にいえば,現在のシステムは,政府が学術界の独立した意見に誠実に耳を傾けたうえどのように政治的判断を加味するか,という見識の信頼関係を前提としている。今回を契機にそれが揺らいでしまうような事態になれば,学術会議を内閣府内におくという関係性を再考する必要があるかもしれない。
ちなみに,学術会議に約10億円程度の税金が使われていることを問題視する意見が散見されるが,これは世界的にみてけっして多い金額ではない。たとえば全米アカデミーズは約230億円だとのことである。それ以外の各国との比較も参照のこと。
補注)この学術会議の予算10億円に注目して四の五の,それもわめきたてるように議論する粗野な人びともいた。しかも,そのわめき方と来たら,その10億円がどのように予算として組まれ,費消され,活かされているのか,実際にはなにもしらないで,まさしく無知蒙昧な発言を無責任に放っていた。
ましてや,外国(もちろん主な先進国)において,類似の機関がどのような規模の予算でどのように活動しているかについても,なんら予備知識もない状態で,いきなり学術会議の10億円の予算〔の絶対額そのもの〕がどうだ・こうだとわめき出したとなれば,それでは初めからまともな議論などできるわけもなかった。
以前にも皮肉をこめていわせてもらったが,「無知は力(馬鹿力?)」になってしまっていたのである。しかも,この範疇に属する人びとは「自分たちが無知」である点についてさえ「完全に無知」だったとなれば,議論など最初から噛み合わなかった。という以前に,なにも始まらなかった。
ところが,その手の特定集団に属するひとたちにかぎって,今回のような問題に向かってであっても,盛んに “無知・無恥な発言” を放っていた。
安倍晋三がまだ首相だったとき,前世紀中にはなんとか歴代の首相たちが保持してきた「日本はバカの振りで〔アメリカからの軍事的要求を〕やり過ごす」(佐藤 優)術をすっかり忘れてしまい,まさに売国の国家最高指導者である立場を亡国的に露呈させた。この首相の右腕として活躍してきたのが,官房長官を長く務めてきた菅 義偉であったのだから,なにをかいわんやである。
『AERA』最新号(当時)の2020年10月19日号(12日発売)は,「学術会議『任命拒否』 政府の狙いは異論封じと軍事研究」だと解説する記事を掲載していた。その副題には「伏線は『安全保障と学術に関する検討委員会』/ 会員手当は 210人で4500万円」と書かれている。
それにしても,この学術会議まで政治の意のままになる学究たちの組織・団体になったら,日本は地球の上にはまだたくさん存在する後進国群のほうに戻って,仲間入りさせてもらうほかない。
〔記事に戻る→〕 実際,学術会議の予算は,組織を運営するために必要な経費に限られている。会員・連携会員は給料をもらっているわけではなく,実際に出席した会議に対する旅費と会議費の規定額を受けとっているに過ぎない。
つまり,出席した会議以外に膨大な時間を必要とする会員の作業・活動は実質的に手弁当でおこなわれているのだ。この点は一部の誤解を解いておきたいと思う。そのうえで,独立性をより高めるために学術会議の予算の一部を外部資金でカバーするべきであるとの意見も検討する余地はあるかもしれない。
ただし,学術会議を完全に政府と独立な組織にすることには同意しない。その結果,学術界からの意見が適切に政府に届かなくなり,一部の都合の良い意見だけを学術界の総意であるかのように操作されてしまう危険性が懸念されるからだ。そして,今回の問題はまさにそれが政府の意向として起こりつつあることを示している。
以上をまとめれば,学術会議の活動が社会にあまり認知されていなかった点については,広報活動を含めて改善が必要である。また,組織の体制についても検討すべき余地は残っている。
しかしながら,学術会議が社会的に実際に重要な役割を果たしていることは確かであるし,そこでえられた結論のみならずそれに至る過程での議論を含めてホームページ上で丁寧な文書として公開されていることは強調させていただきたい。
◆ 学術会議だけの問題でなく ◆
さて,今回の学術会議会員任命拒否問題の本質を,どのように位置づけるかについてはさまざまな解釈がありえる。またすでに論座においても優れた論評がなされているので,それらの観点の繰り返しは避けることにする。
実際私は,これは学術会議と政府,あるいは学問の自由と政府,という観点よりもはるかに大きな問題を提起していると考えている。学術会議法の規定にある「任命」という行為が,法的にどのように解釈されるのか私には分からない。
しかしそれとは無関係に,当然の疑問に対して誠実に回答しないという強硬な姿勢は,民主的な社会のルールから考えて承認できるものではない。
補注)この「当然の疑問に対して誠実に回答しないという強硬な姿勢は,民主的な社会のルールから考えて承認できるものではない」という批判は,安倍晋三の自民党政権のときからつづいていた「菅 義偉政権時のきわめつけの傲慢・独断・専横」になる政治姿勢を指して提示されていた。
およそ,民主主義的な価値観からかけ離れた為政の態度は,安倍晋三や菅 義偉といった首相の場合,当然のごとく維持してきた。また,デジタル化のためにデジタル庁を創設するというが,政治の目的と手段をとりちがえた為政の方法は,単にオーウェル流『1984年』の構築を狙っている本心を,表面的に糊塗していたに過ぎない。
〔記事に戻る→〕 仮に,任命しないという行為が法的に正当化されるという論理を展開するとしても,ではなぜ任命しなかったかを納得できるように説明しなくてよい,という理屈にはならない。これは法律以前にもっと基本的な社会のルールである。
そしてこの不可解な姿勢こそ,前政権で顕在化し,店晒しのままとなっている諸問題と同じく,国民に真実をしらせることなくみずからの決定をゴリ押しするという悪例の発展形にほかならない。
いまや小学校では道徳の授業が科目化されている。しかしながら,多様かつ自由な意見の交換,反対意見であろうとその立場を理解しようとする態度,といった社会生活においてもっとも大切な原則が政府から失われつつある現状を,小学生たちにどのように教えることができるのだろう。
都合の悪いことにはけっして答えない,さらには小学生が聞いても呆れてしまうような意味不明の答弁を官僚トップが繰り返す国会中継は,計りしれない負のインパクトをもたらす。優秀な大学生ほど,国家公務員や官僚のキャリアに見切りをつけているという現状は,今回の問題を学術会議とか学問の自由といった観点だけに矮小化してはいけないことを如実に物語る。
反対意見を排除して多様性を隠して突き進む体制は,長期的な社会の安定性をいちじるしく損なう,進化論的にもマイナスの選択だ。世論を二分して,どちらかが絶対悪,どちらかが絶対善,といった議論を助長することは絶対避けるべきだ。
ちなみに,有志により「菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求めます」というサイトが立ち上げられていることも付記しておきたい。これらの声に代表されるように,自分とは異なる意見にも寛容な政府と社会であることを切に望みたい。繰り返すが,今回の問題はけっして学術会議だけの問題ではない。(引用終わり)
この最後の指摘,「今回の問題はけっして学術会議だけの問題ではない」は,これじたい正しい発言に感じられる。が,しかし,まだ表層的な意見・理解に留まっていないか(?)という懸念は,完全に消せるのではない。
安倍晋三から菅 義偉へと移ってきた「自民党」+「下駄の▼ソ:公明党」の野合政権は,とうとう学術会議まで手を突っこんできた。その意味では,「アベ・スガ」自民党政権の極右・反動性は,その仕上げ段階にまで到達したと観るべきであった。
安倍晋三の為政に対して批判をした学究が今回,日本学術会議の新会員に任命されず拒否された事実は,この組織・団体がこれからにおいて,もしも単にスガーリン政権のためにだけ存在を許されるものに変質したときは,すでに一巻の終わり。
そうなったときは,「民主主義国家体制」の枠組のなかでの日本学術会議の存在価値はなきに等しいものになると同時に,政権側の実質的な民主主義精神の自沈現象も併せて示唆することにもなる。
※-5 高橋真理子・朝日新聞科学コーディネーター「学術会議の会員任命拒否の『とんでもなさ 学術界と社会の健全な関係作りをぶち壊す菅政権」『論座』2020年10月03日,https://webronza.asahi.com/science/articles/2020100200004.html
日本学術会議の新会員候補105人のうち6人が菅首相から任命されなかった。その決定過程,理由,いずれも明らかにされていない。こんなルール無視のごり押しが「法律上可能」(加藤〔勝信〕官房長官)として実行されるとは,学術界と社会の健全な関係づくりをぶち壊すとんでもない暴挙である。
補注)安倍晋三政権のときもそうであったが,いまの菅 義偉政権も「オレたちのいうこと・やることが法である」という感覚を,当然の前提で政治をやっている。むろん,民主主義とは無縁のそうした政治の世界がいまの日本にあっては,大手を振っている,つまり,大きな顔してのさばっている。
会員選出法がいまのかたちになったのは,2004年度の法改正を経てからだ。当時の学術会議会長だった黒川 清さんは「びっくりした。まずいね,ものすごく。どうしてこんなことをしたのか分からない。議論をした形跡がないし,そういう権力パターンになっちゃったんだね。これは恐怖政治ですよ」と語った。
1)戦後まもなく設立,会員は選挙で選ばれた
日本学術会議は,「日本学術会議法」という法律によって定められている機関である。法ができたのは1948年,会員が選ばれて発足したのは1949年だ。「学者の国会」という異名があったのは,当初は会員が科学者たちによる選挙で選ばれたからである。
7つの部門に分けられ1部門30人ずつ,計210人。選挙権および被選挙権は,おおざっばにいうと大学卒業後2年以上経た研究活動にかかわっている人のほとんどがもっていた。
基本的には,政府に勧告したり,ときには政府から諮問を受けて答申したりする(だけの)機関だが,創設してしばらくはまさに「学者の国会」として存在感をみせていた。
戦時中の科学のあり方について反省する科学者も多く,「科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて,科学者の総意の下に,わが国の平和的復興,人類社会の福祉に貢献し,世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし,ここに設立される」(法の前文)という組織に率先して貢献したいと考えた科学者も多かったろう。
補注)ところで,しごく簡単なある理屈が(いまは故人だがあの)安倍晋三自身にはあった。いうまでもなく,彼は「戦後レジームからの脱却」を標語にしていて,これを寝言のようにささやいていたこともあった。
だが,戦前・戦中においては,学術会議などという組織・団体が国家側に意見を,それも学術的な体場から具申する組織・団体として存在することじたい,けしからなかったし,もともとおよびではなかった。そういったファシズムの時代があった。
敗戦後の日本国であったからこそ,「科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて,科学者の総意の下に,わが国の平和的復興,人類社会の福祉に貢献し,世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし」て発足した学術会議の存在意義があった。
けれども,現在における国際政治の実際問題としては,とくに日本がアメリアに隷属(服属・従属)する日米間の軍事同盟が形成されている,いいかえれば,米日安保関連法の時代になっている。
それゆえ,この現状に対して少しでも意義を申し立てたり反対したりする人員を含む「国家的な制度・機関の存在」は許さないという理屈しか残されていない。この付近の問題は,なにもいまに始まった学術会議のあり方をめぐるものではなかった。
しかし,1959年に科学技術会議が「科学技術会議設置法」にもとづいて総理府に作られ,ここが国の科学技術政策について政府に答申することになった。研究予算の配分については,1967年に文部省に設置された学術審議会が審議するようになった。こうして,政府は徐々に学術会議を科学技術政策から遠ざけていった。
1984年,会員選出方法が選挙から学会推薦制に変わった。当時,有権者約22万人,投票率60%超,という会員選挙が実施されていたが,選挙や組織の在り方に内外から疑問の声が出るようになっていた。
2)中央省庁再編の時期に大幅改革
さらなる改革が進んだのは,中央省庁再編と同時期である。このときは朝日新聞論説委員としてウォッチしていたが,学術会議は内部での自律的な議論によって変革を進めようとしていたと思う。
もちろん,省庁再編という外部からの圧力があってのことだったが,そうした国内事情だけでなく,世界のアカデミアが学問の世界に閉じこもることなく社会に積極的にかかわっていこうと共同歩調を取りつつあった国際事情にも影響を受け,日本の科学者を代表する組織はどうあるべきかが議論された。
自分たちの要求を実現させる圧力団体に堕することなく,「学問全体を俯瞰して社会が必要とする助言を出せる組織」が目標として浮かび上がった。
こうして,学術界と社会の健全な関係作りをめざす現在の学術会議のかたちができあがった。会員選出は,「選挙人も被選挙人も学会推薦」という構造から,「科学者としてもっとも業績をあげた人を選ぶ」構造へ。
そのために,現在の会員がつぎの会員を選ぶ「コ・オプテーション」方式をとる.7つの部門に分けていたのは,「人文・社会科学」「生命科学」「理学・工学」の三部制に変更。会員は従来通り210人,1期3年で半数ずつ改選し,1人の任期は2期6年,70歳定年制をとる。
今回,新会員の候補が105人という中途半端な数字になっていたのは,210人の半数を改選したからである。作業は今年1月から始まり,推薦書を受け付け,選考委員会・分科会による選考を経て幹事会に提出,幹事会が審議して候補者を決め,7月には臨時総会を開いて承認する,という手続を踏んできた。こうして8月31日に推薦する105人の名簿を安倍晋三首相に提出。
ところが,〔2020年〕9月28日に届いた会員名簿には99人しか掲載されていなかった。学術会議事務局が政府に問い合わせたところ「事務ミスではない。任命しない理由は答えられない」と説明されたという。
3)ルールに則って決めた候補を拒否する「非常識」と「みっともなさ」
やり方の横暴さに唖然とする。公的な機関が,法律および組織で決めたルールに則り,時間と人手をかけて決めた候補を,なんの説明もなく拒否する。それだけでも,社会常識としてあるまじき行動である。そのうえ,説明を求めても,説明しない。「適切に対応した結果だ」とだけいいはる。社会人としての基本を身に着けてから出なおしてこいといいたくなる。
補注)このように菅 義偉を批判したところで「カエルの面になんとか」であった。恥も外聞もなにもない現政権〔の本性:お里の現住所〕にとってみれば,「ルールはオレたちが決めている」と妄信できていた。いわばアウトロー的な,徒党集団・一族郎党的な,あえて極端にいうと野良犬集団にも似た政治集団であった以上,そうした姿勢以外にはとりえないでいた。
したがって,そもそも初めから,彼らは他者から寄せられる批判をなんとも思っていなかった。しかも,彼らの側において展開してきた一連の策謀は,以前から仕組まれ実行されてもいたともなれば,いまさらなにをいっても「アベ以後のスガーリン」体制は,けっして聞く耳などもたなかった。
任命されなかった6人は,宗教学,政治思想史,行政法学,憲法学,日本近代史,刑事法学のそうそうたる学者たちである。いずれも,政権にとって都合の悪い意見を表明してきた人たちだ。「理由はいえない」といい張っても,だれの目にも理由はみえてしまう。
気に入らない人,気に入らない組織に対する嫌がらせ。「こっちの方が強いんだ」とみせつけたいためのみせしめ。みっともない。「学問の自由」が学問の発展にどれほど大事か,そうして発展したお陰で社会がどれほど恩恵を得てきたか,そんなことはなにも考えずに決断しているのだろう。もう一度いう。みっともない。
補注)このあたりの指摘・批判については,敗戦前,つまり戦時中の「日本の学問の状態」をあらためて想起してみればよい。「学問の自由」など皆無だった時代と比較しつつ考えてみる必要がある。
戦争中の末期,敗戦の色も濃厚どころか,完全に負け戦の段階であった昭和20〔1945〕年の2月に,経営学の専門書としてつぎの本が出版されていたが,その内容編成たるや惨憺たる中身であった。この本の編者となった増地庸治郎は,「序」を欠いた昭和19年4月の時点で,こう語っていた。
「経営経済学徒の職域方向の一端として,苛烈なる大東亜戦争下の戦力増強に,本性が幾分の貢献をなし得ればと念じている」(序,2頁)。
このように当時,経営学者が念じていた戦争協力が,いかほどその大東亜戦争のために貢献しえていたかと回顧してみるに,実際には皆無であった。実際にはというよりも,本当のところは逆効果であった。
上記に氏名の出た増地庸治郎は,1945年3月10日未明からの東京大空襲のさい,防火活動のなかで命を落としていた。娘もそのときいっしょに命を奪われていたというではないか。
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米日安保関連法のもとに置かれているいまの日本は,もしも,アメリカ主導になる戦争がまたもや始められたとき,こんどは自衛隊3軍も前面的・全面的に戦闘行為に出動できる態勢がととのえられている。イラク戦争(2003年3月20日から2011年12月15日)で,アメリカは,なにを,どのようにやってきたか?
そもそも戦火を開いた理由からしてでっち上げであった。フセインは大量殺戮兵器を保有しているというウソ話をさきに創ってから,アメリカ軍がイラク侵略を始めていた。それでは,アメリカ側はABC各種兵器を保有していないかといったら,これもウソになる。
自国にかぎっては,この「A:アトミック,B:バイオ,C:ケミカルの3種の兵器」を,いろいろ豊富に取りそろえてたっぷり保有している。「オレの国は特別で別格だ」というわけ……。いまの大統領であるトランプのあのデカイだけの態度をみれば,一目瞭然のことがらである。
アメリカはイラクを破壊し,中東情勢を決定的に不安定化させただけでなく,自国内にあっては,イラク戦争に参加した兵士たちが生きて帰ってきても,精神障害にとりつかれたり,あうるいは,アメリカ軍が砲弾に劣化ウラン弾を使用してきたために,その放射性物質の被害を受けたり者たちもいた。
ということで,日本の自衛隊員は,今後においてはいつでも,自分たちも「軍事同盟国の彼ら」と同じ目に遭うことを覚悟したうえで,任務に従事していかねばならない。なにせ,日本の軍隊はアメリカの “体のいい傭兵” である(給与は〈戦地手当〉も含めて,もちろん日本国防衛省がもつが)。
なんといっても,集団的自衛権をいつでも発動できる日本になっている。最近では,日本は「敵基地攻撃能力」まで口にしだし,「その」ように先制攻撃もできるように解釈を変えた。しかも,これ,日本国憲法下での話題であった。
自衛隊はいままでは主に,アメリカ軍のお尻の動きを観て,したがい行動するような軍隊であった。けれども,こんどは,彼らがじかに手を動かしてやっていることを,そっくりそのまま真似してやることに,徐々にかえてきた。つまり,「そのこんど」というのは,自衛隊3軍じたいがアメリカ軍にお尻を向けた布陣をととのえ,つまり,尖兵となって軍事行動を率先する覚悟である。
ところで(だからだというべきか),最新の話題としては,少子高齢社会である日本の現状を反映させてだが,自衛隊も要員確保により困難が生じている。次段の『読売新聞』の記事は,関連する最新の情報となるが,その「採用予定の51%」しか確保できていない事実を伝えている。
伝統的に,災害救助隊である性格も色濃くもった自衛隊であるが,このごろはこの軍隊組織に籍を置いていると,下手とすると「戦死する可能性がある場所」に派遣される可能性が,以前に比較したら増えたと解釈せざるをえない。いままで,戦死者を出していない希有の軍隊が自衛隊であるが,近いうちにその伝統は終わりになるかもしれない。
〔記事に戻る→〕 だいたい,学術会議の会員は210人だと法律に書いてあるんですよ。それが現在204人しかいない。法律違反の状態にしたのは菅総理です。
「任命しないのは法律上可能」という見解をおもちですが,その結果法律違反の状態になることは考えなかったのでしょうか。法律は違反をよしとするわけがなく,結果が法律違反になるのなら「法律上不可能」と考えるのが普通ではないですか。
こんな暴挙は許せない。(引用終わり)
--暴挙といったら,安倍晋三の元政権や菅 義偉の前政権そのものが,現行の選挙制度「小選挙区比例代表並立制」の恩恵をこの上なくこうむっており,不当にも,といっていいくらいにまで “過半数の国会議席” をえていた。それがゆえに,
例の,自民党の「下駄の▼ソ」であり,「創価学会の飼い犬」である公明党の議席もくわえてだが,現政権はやりたい放題をしている。この点にこそ,日本の政治に圧政・暴乱がもちこまれつづけている真因があった。
安倍晋三の第2次政権以来だけでも,デタラメとウソに満ち満ちた「あんな政治」が,8年近くつづいてきた。日本国民たちにとってみれば,これ以上に不幸・不運な政治環境はない。その間にこの国のまつりごとは,「堕落と腐敗」一途に突きすすんできた。
以上,本日の記述は『論座』の2編を紹介しつつ議論しただけで,いつもの分量になってきた。これで本日は終わりにするが,本日の『朝日新聞』朝刊においても(これは2020年10月13日のこと),さらに盛んにこの学術会議新会員候補拒否の問題が報道・解説・議論されていたが,後日に利用する材料としたい。
菅 義偉政権のやったこと・なしたことは,安倍晋三政権が「子どもの〈裸の王様〉」だったとすれば,こんどは「おとなの〈裸の王様〉」だと形容するほかなかった。
自分が裸である点は重々承知したがのごとき菅首相の采配ぶりは,一言でいって「姑息」につきる。このところが,安倍晋三よりもさらにタチが悪いと評価されて当然の無茶ぶりであった。
【参考記事】 プチ鹿島「菅首相の ‟ヒーローインタビュー” を容認するメディアたち 海外からもツッコまれた『蜜月』の行方」『文春オンライン』2020年10月13日,https://bunshun.jp/articles/-/40856 から。この参考記事では ?page=3 から,つぎの段落を引用しておく。
間違いなく,スガは王様を演じていた。ただし,その自分の裸を他者にはみせたくなかった。当然のことであったが……。というふうに解釈しておけばいいのが,実は小物入れみたいなこの前首相であった。
※-6「余 話」
この話題は,自衛隊の軍兵士たちは旧軍とそれほど変わらぬ日常生活を強いられている点について,ほんのつまみ食い的に触れてみる。
★ 元陸上自衛隊の俺が内部の実態について 語ろうと思う 元陸自隊員の体験談 ★
=『togetter』2020年2月23日,https://togetter.com/li/1472350 =
この「住所:リンク」の記述内容から,上方に記入されている項目から適当な段落までを,切り張りしつつ紹介する。もとの日付は,2019年12月28日。
a) 最近中東派遣で話題になっているので,元陸上自衛隊員の俺が内部の実態について語ろうと思う。まず自衛隊についてだが,ぶっちゃけ「軍隊」である。人を助ける「災害救助」が仕事ではなく,人を殺す「戦争」が仕事である。コレは前期教育隊でみっちりと「教育」される。
さらには君たち「国民」を守る為に戦うのではなくて,「国体」を守る為に命を賭ける点も強調される。政治を守るのであって,国民はそのつぎだ。「守りたい人がいる」。アレは広報の大ウソだ。
b) 軍隊なので縦社会。上が「黒」といえば「黒」の世界。年齢ではなく,自衛隊で食ってきたメシの数で序列が決まる。先輩は神,後輩は奴隷。一言でいえば最悪な体育会系のノリだ。
補注)大昔,旧大日本帝国の軍人たちにおいては,とくに下級兵士たちの慣習というかしきたりとして,こういうものがあった。
バッジの星の数が示す階級よりも,メンコ(飯)で食事を重ねた軍隊生活の長さ(年数)が幅を利かせるというそれがあって,上級兵士といえども古参兵には頭が上がらないという意味をもっていた。
当然,パワハラは日常茶飯事。ベテランからいわせると「パワハラ」ではなく「指導」らしい。
殴るのも「指導」
怒鳴りつけるのも「指導」
長時間残業させるのも「指導」
飲み会に強制参加させるのも「指導」
休日に外出禁止にして駐屯地に拘束するのも「指導」
便利な言葉だ,「指導」って。パワハラ相談窓口もあるが,俺のいた部隊の場合,パワハラの「犯人」が「パワハラ相談員」だった。ものすごくタチの悪い冗談だと思った。
c) 衣食住はタダといわれているが,実は違う。衣→官品はもらえるけど,全然足りないので結局PX(売店)で買う。食→実は給料から天引きされてる。住→家賃はかからないが,電気代取られる。
あと,演習の出費が痛い。ベッド,コンテナボックス,リュック,手袋,防寒着,工具などなど…。さらにはジップロックは大量に消費するので大人買い。普通に数万円飛ぶ。前はケツ拭く紙まで有料だった。
d) さらには中隊費,宴会代,旅行費,無理矢理加入させられる保険の出費が毎月ある。はっきりいって「搾取」である。 ちなみに保険に加入させられるが,この保険。戦争と災害は対象外。
なんでそれなのに無理やり加入させるかというと,この保険会社は自衛隊OBの就職先だからだ。大人の事情絡みまくりなので,一般隊員が諦めて加入するまで普通に嫌がらせを受ける。俺も受けた。
e) 陸自隊員の1日
6:00 起床,点呼
↓
7:20 中隊へ出勤し雑用をこなす
↓
7:40 間稽古(筋トレ等の謎の時間)
↓
8:15 国旗掲揚
※ ここ( ↑ )まで無給
掃除,草刈り,整備,訓練など
17:00 国旗降下
※ ここ( ↓ )から給料出ない
17:15 陸曹の仕事の手伝いなどの雑用
↓
19:00 幹部室清掃
↓
19:30 営内へ
↓
23:00 就寝
f) 自衛隊は残業代がつかないので,ぶっちゃけブラック企業みたいなものである。法的にはみなし残業になって払われていることになっているが…。それで総支給20万以下は酷すぎる。国がそれを認めているだけにタチが悪い。
g) 一番厄介なのは演習時。演習時は睡眠時間3時間も取れればいい方。酷い時はそれが2週間続いたりする。居眠り運転続出だし,普通に事故る。演習場で車両や戦車がひっくり返ったりはよくある話。(話題はまだまだ続くが,ここでお終い)
旧大日本帝国の軍人たち(下級兵士たち)がとくに唄ったあるはやり歌には,こういう「1番」の文句があった。もしかすると,21世紀の日本国自衛隊員兵士たちをかこむ実体の核心は,質的にはそれほど進歩していないのか?
♯ ♯ いやじゃありませんか軍隊は
カネのおわんに竹のはし
仏さまでもあるまいに
一ぜん飯とは情なや …… ♭♭
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