菅 義偉首相(2020年当時)が学術会議新会員6名を拒否した問題(4)
※-0 断わりなど
この記述は,つぎの前3稿を受けての展開,連続ものである。できればこちらをさきに読んでもらえると好都合に思う。
21世紀も第1・四半期を終えようとする本年の2024年であるが,あいもかわらず,19世紀末に走りはじめた日本の憲政,つまり,憲法にもとづいておこなわれるはずの「近代的議会制度による政治:立憲政治」が,
20世紀においてどころか,その成立初期から1歩も前で踏み出せていない体たらくのまま,半ば死に体同然のかっこうで,いつまでもダラダラ,ヨタヨタと,まるで牛歩の歩みに似た「遅々たる進展」しか記録しえていなかった。
安倍晋三の第2次政権期(2012年12月26日-2020年9月16日)が終える以前に,このボンボンの甘ちゃん「世襲3代目の政治屋」のせいで,日本の政治はすっかりダメだらけになった。
この程度のデキソコナイ的な政治屋に乗っ取られてきたかのような日本の民主政そのものが,出立の当初からあまりにも出来合いが過ぎていた借り物的な中身であったためか,なんといっても,中途半端な天皇・天皇制に依拠したあの神権的国家体制を,すなわち「封建遺制」の旧套的な権威主義を被ったかっこうで推進させてきた。
結局,21世紀の現段階になってもいまだに,いわゆる「米欧型の民主主義みたいな政治体制」に負けない,日本なりの独自の体制構築にまではとうてい至りえないでいる。
世襲政治屋は,いまではその3代目までごくふつうの存在になった。もうすでに一部ではその4代目が,「ボクや私は政治家(ホントウは政治屋だが)」の国会議員になって赤ジュウタンを踏むのは「当然でしょ!」という表情を剥き出しにした連中が,登場している。
こうした国の運営状況にあたかぎり,つまりは,議員職の地位がまるで家業みたく私物化(死物化)させられてきたこの国の世襲政治は,21世紀中においては,「まともな国:日本」の国家運営を民主主義的にまっとうに確立させえないまま,このままズルズルとだらしなくつづけいくほかないのか,という心配をせざるをえない。
21世紀になって登場したとくに自民党系の首相は,小泉純一郎⇒安倍晋三(第1次)⇒福田康夫⇒麻生太郎⇒〔ここから民主党政権に移行し〕,鳩山由紀夫⇒菅 直人⇒野田佳彦⇒〔ここから自民党政権に移行し〕,安倍晋三(第2次)⇒菅 義偉⇒岸田文雄となっていたが,
民主党政権でも鳩山由紀夫は「世襲3代目の政治屋」であって,一方の自民党の政治屋のうちでは,菅 義偉をのぞいて,前段に氏名のあがっていた首相全員が「世襲3代目の政治屋」。
しかも,このように世襲がまるで当然であるかのように進行してきた日本の政界は,世襲の議員でないと首相になれないがごとき,「エセ民主主義国家体制にあるのか」とみなすほかなくなる。
※-1 世襲政治がはびこることによって,国力じたいまで弱化させてきた日本の政治,これからの21世紀においても「政治が失われた10年」単位を,さらになんどでも反復させていくのか
世界中で先進国だともくされている国々のなかで,日本はただ1国,突出して世襲の国会議員たちがメチャクチャに多い。この国に対する「政治4流,経済3流」だといわれるほかない評価=格づけは,おそらく,これら世襲になる政治屋たちの存在が大きく貢献してきた。
もっとも,日本国憲法の最初の造り方からしてだいたいというか,そもそもが奇妙であった。この点を説明するために「マッカーサー3原則」という指示があった。この「敗戦後政治史」的な事実・背景に,少し触れておきたい。
敗戦した旧大日本帝国を占領・統治したGHQの総大将=元帥マッカーサーは,この国に新しい憲法を制定させようとするさい,急遽「マッカーサー3原則」という方針を据え,これを原則として作成するように関連するGHQの関係人士たちには指令していた。
その中身は,こういうものであった。これは,衆議院憲法審査会事務局『日本国憲法の制定過程」に関する資料』(衆憲資第90号)平成28〔2016〕年11月,https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi090.pdf/$File/shukenshi090.pdf,30頁 から引用している。
この「マッカーサー3原則」に目を通してすぐ気づくのは,「3 日本の封建制度は廃止される」と断わっていながら,「1 天皇は,国家の元首の地位にある」し,「皇位の継承は,世襲である。天皇の義務および権能は,憲法に基づき・・・」というふうに,日本国憲法のもっとも基本的な土台部分を,骨抜き同然にも語っていた点である。
ところがである,日本の天皇・天皇制が「封建制度」だからといっても,あるいはそうだったから,なぜか「廃止される」という事態にはならなかった。そして最後に,「予算の型は,英国制度にならうこと」まで触れていたけれども,しかし,日英の皇室・王室の制度にそれぞれに関していえば,現状におけるその財政的な基盤,これには雲泥の差がある。
明治以来から敗戦前まであれば,日本の皇室はたいそうな大金持ちであった事実は,1947年4月に公刊されていた戸田愼太郎『天皇制の経済的基礎分析』三一書房に分析・解説されてもいたとおりである。
だが,イギリス王室の現状と日本皇室の現状における財政的基盤にあり方には,顕著な相違があって,現在における問題としては,両国間において比較されていいような同一性は,いちおうほとんどない。
戦前の日本皇室は日本一の大金持ちであったけれども,現在にあってはその面影はない。もっとも,天皇家の敗戦後事情として隠し財産が海外のどこかの金融機関に預けられているといったたぐいの,裏事情的な問題は,ここでは詮索する余裕はない。
日本の天皇家一族が,大昔の過去,その古代史から連綿とつづいてきたとする万世一系的な皇統論については(もっとも人間だれしも皆,万世一系的に実在してきたのだが),現在に至ってそれは「封建遺制」の残滓だとみなされており,これにまともに反論できる者は,狂信的な皇室信奉者以外いない。
要は,マッカーサー3原則は,GHQ(アメリカ国務省)が敗戦後史において日本を都合よく支配・統治できるようにと意図し,「日本国憲法」を制作させたさい,天皇裕仁をどのように位置づけ生かしておくかという狙いとしては,アメリカ側の利益をもちろん第1に置き,その基本的な枠組が用意された。
というような敗戦後事情に鑑みたとき,マッカーサーが日本国を占領地として統治・経営するために,もっとも好ましい憲法を提供した構成基盤が,天皇制の「護持」であった。すなわち,『ビンのフタ』として天皇・天皇制が,まことに上手に設営されたことになる。
当時の天皇裕仁も,自分自身が戦敗国となった元大元帥の立場をめぐっては,なかでもとくに戦争責任に関した「絞首刑の件」が,東條英機などのA級戦犯に身代わりになっていたがゆえ,そのさいまた同時に,日本国憲法第1条から第8条までも与えられていたゆえもあって,残る人生はともかく安堵して生きていくことができた。
靖国神社に1978年10月7日,東條英機などA級戦犯は靖国神社に合祀された。このなりゆきは昭和天皇の立場にとってみれば,敗戦前は自家用の戦争督戦神社であったはずのこの靖国神社が,事後,半永久的に自家(皇室の自分の手のよく届く範囲)から離れてしまった事実を,思いしらされたことになる。
かといって天皇家やその一族が靖国神社と完全に縁切りしていたかといったら,けっして,まったく違う。天皇位に対して直系の血筋にある家族以外は,あくまで戦前体制のままに靖国神社との国家神道的な関係を保ち,強い絆がある。
以上,昭和天皇の存在史,とくに彼の敗戦後史にかかわらしめての話にもなっていたが,日本の政治社会における天皇・天皇制の問題となれば,そのもっとも代表的で典型的,いいかえれば模範的で標準的な「世襲」のあり方が,天皇家の家督者である天皇自身の立場をもって,そもそもが代々にわたる「持続可能な制度」として,しかも日本国憲法をもって制定されていた。
そうなっているのだから,国会議員たちの世襲「制度」があっても,いったい,なんの疑問,そしてなんの批判があるのかと平然と開きなおる,現段階における「世襲3代目の政治屋」たちの正直な気持ちがあって,これまた当然といえよう。
つぎの画像資料は現在,衆議院議員になっている岸信千代が,議員になる前の時期に,当時のツイッターに投稿した中身。これは,世襲4代目のボクがオヤジ信夫の後継者となるのは,当然かつ必然だといいたい系譜上の根拠を教えている(再確認している)つもりであった。
もちろん,その時の選挙で信千代はみごとに当選していたが……。彼の場合も,地盤・看板・カバンは,それぞれが「広く,りっぱで,重かった」ものだったと拝察する。
つぎに【アマゾン通販】を借りて紹介する久米地英人のこの本『世襲銀という巨大な差別』は,こういうふうに論じた本だと説明されている。
※-2『CIGS キャノングローバル戦略研究所』2023年6月23日(初掲は『PRESIDENT Online』2023年6月15日),https://cigs.canon/article/20230623_7529.html に掲載されていた関連の記事
「有権者が当選させているのだから仕方ない」は本当か… 政治家が劣化した世襲議員ばかりになった根本原因 いまこそ選挙制度を見直すべき」(山下一仁・研究主幹)が寄稿したこの記事は,まず冒頭でこういう主旨だとする説明がなされていた。
--なぜ日本は世襲議員ばかりになったのか。山下一仁研究主幹は「小選挙区になってから現職優先のもとで地盤,看板を引きつげる世襲議員以外の新人が党の公認を受けるのは困難になった」
「一度公認になると党内で政策論を戦わせる機会もなく,政治家の劣化を生んでいる。有権者は,いまこそ選挙制度改革について声を上げていくべきではないか」という。
山下一仁のこの寄稿全文すべてを紹介すると長くなるので,見出し項目と最低限の内容紹介にとどめるが,後半の段落は重要な指摘になっているので,全文を紹介する。
a) 政治家が小粒になった
(前略) 近年,国政選挙の投票率は右肩下がりだ。1980年代には70%以上あった投票率が前回の衆議院選挙(2021年10月)では55.9%まで下がっている。これは有権者の政治への失望を表しているのではあるまいか。
(前略) 今の政治家について総体としての印象を言うと,「小粒になったな」ということだ。
(中略)
ひるがえって現在はどうだろう。
どこをみても世襲議員だらけだ。しかも政治家としての能力が高いとは思えない。なかには,就職活動は大変なので,手っとり早く家業の政治家を継いだとしか思えない人もいる。ごく限られた人を除いて,私には,いまの世襲議員が欧米の政治リーダーに伍してディベートする姿を想像できない。
b) 政治家が劣化した原因は選挙制度にある
岸田総理の長男で総理秘書官のポストにあった翔太郎氏が,公邸内で忘年会をおこなう不祥事で更迭されたことをきっかけに,世襲政治への批判は高まっている。岸田総理が長男を総理秘書官に任継したのは,いずれ政治家として跡を継がせようとする意図が明白だったからである。2世議員どころか4世議員となるそうだ。
(中略)
政治家が世襲議員ばかりになってしまう原因は,世襲議員を当選させてしまう有権者にあるという意見もある。しかし,有権者には選択肢が与えられていないのだ。問題は選挙制度そのものにあり,ここにメスを入れなくては政治の劣化は止まらないだろう。
c) 中選挙区時代の世襲議員は優秀だった
実際,世襲議員だからといって全員が無能だったわけではない。
総理大臣になった橋本龍太郎は2世議員だった……。小泉純一郎(中略)〔ら〕が政治家となったとき,選挙制度は中選挙区制だった。
当時の中選挙区制は……(中略),……自民党内の議員同士が2~3の議席をめぐり当落をかけた競争相手になる。野党候補の票が伸びなくても,他の自民党議員が票を取り過ぎれば,落選する可能性がある。
(中略)
d) 中選挙区時代の問題は金権政治と利益誘導
(中略)「数は力」だった。
(中略) 選挙制度が既得権者に有利に働いていたというのだ。
e) 小選挙区でも利益誘導の問題は残った
小選挙区制であれば,同じ自民党候補同士の争いは起きず,派閥本位ではなく,政策本位,政党本位の選挙がおこなわれ,金権政治ではなくなるはずだとされた。
また,投票者の半数近くの票を得なければ当選できないので,特定の利益団体の支持だけなく,組織されていない有権者からの支持も必要になる。このため,特定の利益団体より市民全体の利益が優先されるようになると考えられた。
しかし,激しい金権政治はなくなったが,それ以外の点では失敗した。
(以下,しばらく,後略)
f) 非世襲候補の受け皿が野党にしかないことの問題
現職優先のもとで,新人が党の公認を受けるのはむずかしい。ところが,世襲候補の場合,現職である親などから地盤を引き継ぐので,新人でも党の公認を受けられる。
しかも,世襲候補は,地盤,看板,カバン(金)の三バンを引き継ぐので,当選の確率はさらに高まる。しかも,世襲議員となれば,新人候補であっても当選する確率は6割以上に跳ね上がる。
こうして自民党は世襲議員だらけとなった。そもそも親が国会議員だというわけで能力や適性があるか分からない人が国会議員となり,またその後も選挙区に競争者がいないので真面目に政策などを勉強することもない。
これはきわめて不幸なことである。本来国民全体のなかから候補者や国会議員は選出されるべきなのに,現職議員の家族の中からしか,リクルートできないことになってしまうからである。
自民党に世襲候補が多くなるなかで,非世襲候補は野党からの立候補を模索することになる。野党は非世襲候補の受け皿になるが,与党と主義主張が異なる人が野党候補になるわけではなくなる。野党は第2自民党となる。
g) 解決策は予備選導入
いまの政治では,個々の政治家が素質や能力を磨かなくても済むシステムになっている。この問題を解決するためには,与野党の公認候補選びに,アメリカの政党の候補者選びのような予備選挙を導入すべきである。党員の投票で決まるので,いまの公募制と異なり,候補者選びの透明性は格段に高まる。地方政治のボスの力は弱まる。
現職であっても,支持を失えば,つぎの国政選挙のさいの予備選挙で敗れ,党の公認候補となれない。ボーッとしていては議席を維持できないとすれば,必死で政策の勉強などをおこなうだろう。非世襲候補であっても,能力,魅力があれば,現職に代わり,公認候補となれる。
h) 選挙制度改革を求めて声を上げていこう
もうひとつの方法は,党議拘束を緩めることである。
アメリカの政党では,党議拘束はない。与党議員でも大統領が望む法案に反対する。各議員へのロビー活動は活発になるが,議員の政策への理解度は高まる。日本と同じ議院内閣制をとるイギリスでも,はっきりと党議拘束をかけるのは予算案だけで,ブレグジット法案の採決にみられるように,党議拘束は緩やかである。
いまの自民党議員は,党が決めた方針とおりに投票する。党議拘束がなければ,各議員は議会での投票行動を選挙民に説明しなければならない。「党が決めたから」といういいわけは通じない。支持者を説得できるだけの説明能力が求められることになる。議員の質の向上につながる。
このような改革をおこなううえでの最大の障害は,世襲議員を含め現在公認をえている人たちから,改革の声が上がらないことである。彼らが既得権者なのだ。結局,政治を動かすのは世論である。いまこそ有権者は選挙制度改革について,声を上げていくべきではないだろうか。
以上,世襲議員の問題性をいくらか集中的にとりあげ議論してみた。まともな先進国のなかには,日本みたいな「世襲議員が登場しないように」選挙制度のなかに,関連する制限事項を設けている国もある。
だが,この日本において世襲議員は野放し状態である。今後においても世襲議員は世代をさらに重ねていくかもしれない。しかし,それと同時並行的に日本の政治は間違いなくますます,劣化・衰退を余儀なくされることになる。
以下には,関連する図表や記事を添えておく。以上の記述を理解する助けになるものである。
※-3 高野 孟「〈永田町の裏を読む〉人事をいじくり回す権力誇示でアカデミズムを敵に回すのか」『日刊ゲンダイ』2020/10/08 06:00,更新日:2020/10/08 06:00 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279671
この※-3からは,本記述全体(連続ものの記述)において本論部分に回帰する。高野 孟はつぎの著作を書いているが,菅 義偉についてはとくにまとまった著作は公表していない。安倍晋三に比較してこの菅は,やや話題不足の感があった。それはともかく,高野の意見を聞こう。
安倍晋三前首相と菅 義偉首相に共通する趣味,といって悪ければ,「権力の神髄ここにあり」とする信念は,人事のいじくりまわしである。
菅は安倍内閣の官房長官として,
▼-1 2013年3月の黒田東彦の日本銀行総裁任命による「アベノミクス」発動,
▼-2 同年8月の小松一郎の内閣法制局長官任命による「集団的自衛権」容認,
▼-3 2014年の「内閣人事局」設置,
▼-4 そして今〔2020〕年,これは失敗に終わったけれども,黒川弘務元東京高検検事長を無理やり検事総長に押しこもうとする策謀に携わってきた。
それですっかり味をしめ,自分が最高権力の座に就いたら,そのいわば初仕事として,日本学術会議の新会員候補105人のうち6人を任命拒否し,「どうだ,俺はこんなことだってできるんだぞ」とみえを切ってみせたのである。
しかし,日本のアカデミズムを内外で代表する同会議は独立性をもって政府に政策を勧告することを主眼とし,その独立性を担保するために日本学術会議法の第1条で「内閣総理大臣の所轄とする」と定められている。
それはアカデミズムの独立性を政府が尊重するからこそ,文科省などの担当分野とせずに首相みずからがそれを所轄するという趣旨であるというのに,菅は自分の気に入らないやつは任命しないという人事介入の武器として,その条項を悪用した。法の根本趣旨を真逆にまで曲解することなど許されるはずがない。
今回,任命を拒まれた6人は,いずれも特定秘密保護法や共謀罪,集団的自衛権解禁など,安倍政権の剣呑な戦争のめりこみ政策に異議を唱えた人たちで,それに対するいかにも粘着的な性格の菅らしい執念深い意趣返しである。
さらにその背景には,2015年度から始まった防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に対して学術会議が強い懸念を表わす声明を2017年3月に発したことへの怒りがあるのだろう。
この声明は控えめな表現ながら,戦前に科学者が戦争に協力したことへの反省を踏まえて戦後に同会議が創設された歴史をあらためて思い返しつつ,軍学共同研究に安易に手を染めるべきでないことを訴えている。菅は任命拒否の6人だけでなく,日本のアカデミズムそのものを敵に回すつもりのようである。
補注)さて,安倍晋三にしても菅 義偉にしても,自分たちだけは「全能感」に浸ってこられたごとき,いわば,元「首相と官房長官」の「悪代官と悪庄屋」のゾンビ・コンビであった。
だが,こんどはその官房長官が首相になりあがったとなれば,菅1人でもってその「悪代官と悪庄屋」の2役を兼ねて,孤軍で奮励努力する自民党政権となっていた。
佐高 信などはたとえば,出演しているネット番組『デモクラシータイムス』のなかで,「菅 義偉の強烈なコンプレックス(劣等感)」意識を指摘している。だから,学術会議のごとき学究の組織体,それも政府が主管する団体を目の敵にしたいのではないかと示唆する発言をしていた。
註記)「【平野貞夫 × 佐高信 × 早野 透】3ジジ放談 生配信! 菅を許すな! 学術会議と馬毛島疑惑」『デモクラシータイムス』20201006, https://www.youtube.com/watch?v=MeQu5YIsViA
安倍晋三の場合は,例の有名な,秘書官から補佐官になっていた今井尚哉などを重用するかたちで為政に取り組み,数々の失敗:ヘマを犯してきた。
しかも,最期はとうとう仮病的な症状を理由に長かった首相在任期間を終わりにしていた(安倍は当時うつになっていたという指摘もある)。
それに対して菅 義偉は,警察官僚群を使い,非常に陰険かつ粘着質に,安倍の為政を補助してきた段階から,さらに歩を進めるかっこうでもって,このたびは「警察国家監視体制」を,より揚力に敷いた為政をやってきたいくつもりであった。
菅 義偉が学術会議会員交代の時期を狙って露骨に6名の新会員を排除したのは,そうした態勢でもって,これから構築していこうともくろんでいる「デジタル化国家体制」にとってみれば,まず最初から目障りそのものであった,学者たちが構成する学術会議への介入を始めたに過ぎない。
それゆえ,本日の『読売新聞』(通称『ゴミ売り新聞』)は,「学術会議を行革対象に… 政府勧告10年なく,組織・運営の見直し検討」という見出しの記事を,なにかいくぶんかうれしそうに報道していた。この記事は出だしの段落で,
「年間約10億円の国費で運営されているにもかかわらず,法律にもとづく政府への勧告が2010年8月以来,おこなわれていないことなどから,河野行政・規制改革相の下,妥当性を検証する」と強調していた。
だが,このゴミ売り新聞は,学術会議がその間,実際にどのような活動をしてきたのか,政府側はどのように対応してきたのかといった現実的な内容の展開にまつわる論点は抜きにしたまま,そのように,いくらかであっても確かに扇動的に聞こえる報道姿勢を採っていた。
なかでも,学術会議に付けられている予算の10億円をウンヌンしたのであれれば,安倍晋三政権がたくさん重ねてきたムダ使いのうち,たとえば「アベノマスク」の件はどうであったか?
アベノマスクは2020年4月,安倍晋三首相(当時)が全世帯への配布を表明し,約260億円をかけて1億3千万枚を配った。
最近ようやく明らかになった事実は,このマスク1枚の購入原価(単価)が¥143であったと教えていた。いまの時点での話題となるが,143円で不織布のマスクが何枚買えるか?
楽天市場にはあるとき,「マスク50枚で,¥350」の値段で売られている品物まで出品されている(ここでは2020年10月9日の話)。外税抜きで計算しても1枚の価格7円である。
その後のいまでは,前段のごとき安価な値段で,各種各様なマスクがいくらでも調達可能になっていた。アベノマスクは,ガーゼ布でのみ作られていた製品だったから,よけい評判がよくなかった。
以上,その後になっての計算による比較ではあっても,あのろくでもなくひどい綿製マスクであった「アベノマスク」のために,国家予算が無駄使いされた事実を想いおこすとき,あえて学術会議の予算10億円を比較すると,どうなるか?
補注1)わが家に送られてきたアベノマスク2枚セットは,いまも近くの引き出しのなかに放りこんである。アベノミクス・アベノポリティクスのアホらしさを忘れないためにも,ときたま引き出しを開けて観ることにしている。
補注2)アベノマスクに関連する画像資料。
話題を少し変え手論じる。ところで,安倍晋三は外交面でいったい,いかほど無駄使いしてきたか?
こちらの方面における国家予算の乱雑な費消は,ある意味では犯罪的だとみなす余地すらある。なにせ「費用対効果」がなかったどころか,外交の実際的な効果としてはむしろ,大幅なマイナスになっていたからである。
たとえば安倍晋三は,北方領土の返還交渉をほぼ不可能な線にまで後退させてしまい,ダメにした。
プーチンはまだロシアの大統領に就いているが,安倍晋三は,その交渉を完全に詰まらせられてしまい,今後の交渉継続すら困難にさせてしまった。
ところが,その間,ロシアへの経済協力だけは3千億円の単位で約束させられていた。「外交のアベ」だといいたかったらしいが,冗談にもなりえないような,つまり「子どものお使い」にもなりえかった仕事ぶりであった。
〔マスクの話に戻る→〕 前段の画像資料になかに記載されていたとおり,当初,「アベノマスクの予算:費用」は466億円を計上していたが,そのうち260億円に減らされ,200億円あまりが圧縮されていた。
これについて政府関係者は,「予算額を多めに見積もっていたことや当初のみこみみよりも安くなった」などと,ずいぶんいい加減な(寝ぼけた?)いいわけを繰り出していた。
関連していうと,学術会議の予算10億円,その使途がどうなっているかは,ネット上にも説明が出ているが,100億円単位でデタラメ同然の財務がおこなわれている政府(安倍晋三君の)の為政は,いったいなんであったのか?
「偽造・捏造・安倍晋三」とか「初老の小学生・ペテン総理」とか「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」の安倍晋政権という形容がドンピシャリの為政が,安倍晋三の第2次政権時,そのまままかり通っていた。
菅 義偉から岸田文雄に政権の長は交代しているものの,安倍晋三のまねごと外交しかできなでいた文雄までも入れて,いまだに反省することをしらない自公民政権の所業は許しがたい極悪さに満ちている。
※-4「学術会議問題 説明拒む政府の不誠実」『東京新聞』2020年10月8日「社説」
日本学術会議会員の任命拒否は,学問の自由を脅かすだけでなく国権の最高機関である国会への重大な挑戦だ。臨時国会の開会を待つことなく,菅 義偉首相出席のもと下,徹底的に追及すべきである。
衆院内閣委員会の閉会中審査が昨日,開かれた。新型コロナウイルス対策を審議するために与野党が合意したものだが,臨時国会は〔2020年の〕今〔10〕月26日まで開かれない。
新内閣発足後,首相の所信表明演説が5週間以上もおこなわれないのはきわめて異常な事態だ。まずは政府と与野党に猛省を促したい。
補注)菅 義偉が当時,この「所信表明演説」をおこなえないでいた当時の様子は,どうみても,かなり異様であった。当人じたいはもちろんのこと,周囲でその菅の所信を準備しまとめる立場にあって,その役目を任されている国家官僚たちも,おそらく非常に困っていたのではなかったか?
この「困ったチャン」首相の一番の難点は,すでに川勝平太静岡県が喝破したように,菅自身の限界,つまり,この政治屋自身の「教養のレベルが露見」されていた事実に関係する。
〔記事に戻る→〕 内閣委の審議は,喫緊のコロナ対策にとどまらず,日本学術会議が推薦した候補の会員任命を,菅首相が拒否した問題に多くの時間が費やされた。当然であろう。
野党側は任命を拒否された6人が「なぜ選に漏れたのか」「理由を説明すべきだ」と迫ったが,政府側は「総合的,俯瞰(ふかん)的な観点から日本学術会議法にもとづいて会員の任命をおこなった」(大塚幸寛内閣府官房長)との答弁を繰り返し,任命拒否の理由説明を拒んだ。
同法は,会員は同会議の「推薦に基づいて,内閣総理大臣が任命する」と定め,政府はこれまでの国会答弁で,首相の任命は「形式的」なものと説明してきた。首相に裁量の余地を認めていない。
しかし,政府側は,首相が学術会議の推薦通りに会員を任命する義務はないとする内部文書を2018年に作成していたという。三ツ林裕巳内閣府副大臣は「学術会議法の解釈を変更したものではない」と強調したが,事実上の法解釈の変更である。政府側の説明には無理があり,不誠実だ。
この文書は,国会での議論も経ず,国会に報告もされていない。これまでの国会審議を通じて確立した法解釈を根底から覆すようなことを,政府の一存で,しかも内密に決めていいはずはない。
こうした政府の行為は,唯一の立法府である国会が有する立法権の侵害であり,主権者たる国民の代表で構成する国権の最高機関に対する冒涜(ぼうとく)にほかならない。
内部文書作成は首相官邸の指示で始めたものですらないという。官僚の暴走ではないのか。
菅政権が継承するとした安倍政権下では,集団的自衛権の行使容認や黒川弘務元東京高検検事長の定年延長など,政府による法解釈の一方的変更が相次いだ。
憲法は「法律を誠実に執行」することを内閣に求める。前内閣から続くこうした粗雑な法運用をこれ以上,許してはならない。(記事引用終わり)
以上の『東京新聞』記事については,つぎの資料を挙げておく。
【参考資料】 平成30〔2018〕年11月13日内閣府日本学術会議事務局『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』
⇒ https://static.tokyo-np.co.jp/pdf/article/8231df729f15f597b64fb0789ac8af41.pdf
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【未完】 「本稿(4)」の続編「本稿(5)」は,出来しだい,ここにリンク先・住所を指示するつもりである。
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