国会議員としての杉田水脈の生産性(=人事考課)に問題があっても,自民党チルドレン議員の無識ぶりは「安倍晋三の配下」ゆえ,つまりその子分であったから許された発言か(後編)
※-0「前言」-前編から後編への移動にさいして-
「本稿の前・後編」は最初,1回分の記述に収めるつもりであったが,最近の関連する話題がいろいろあって,そちらに目移りをしつつ書いていくうちに,その分量がだいぶ増えてきた。
そのため,本論に据える予定であった「2018年7月24日に初出」であった論題とその中身は,あらためてこの「後編」に復活・再掲するという構成に変更することになった。
補注1)なお本稿の主題にかかげ書いてあった文言は,一部事実からズレた表現があったので,本日になってその点を修正した。
補注2)「本稿(前編)」リンク先住所はこれ( ↓ )である。
さて,この本稿・前編における話題はもともと,およそつぎのような「問題性」をとりあげるための「主題を名乗っていた」。
国会議員杉田水脈〔現在は前国会議員〕の活動ぶりは,生産性(=人事考課)の面に関して,問題が大ありであった。
当時において,自民党安倍派にぶら下がっていた,いわゆる大勢のチルドレン(アベ連)議員が共有していたはずの,非常に程度の悪かった無識さかげんは,そのもてる馬力(馬鹿力?)を最大限に活せる方途が開けていた。
すなわち,まさに「安倍晋三」の子分であった連中の仕草だったからこそ,彼ら・彼女らによるその恣意的な言動が許されていた。
しかし,その2010年代に仇花を咲かせてきたアベの為政下,その猥雑さと児童性とを謳歌してきた「自民党の極右的単細胞たち」による「この国の為政」は,いわゆる「失われた10年」をいたずらに,いってみれば,ただ重層的に延長させることしかできなかった。
2020年代の半ばにある現在において,人びとが日常生活のなかで実感している国民経済の枠組は,ますます生きづらさを深めただけでなく,生きることじたいから希望を喪失させる生活環境まで招来させていた。
日本国憲法には確かに保障されているはずの,とくに以下の条項はほとんど骨抜きに等しい現況のなかで生きていくほかないわれわれ庶民,なかでも貧困層である生活実態を余儀なくされている人びとを,単に確実に増やしていくことしか能がなかった為政が,
21世紀に入ってからとくに自民党〔と福祉と平和の党だと偽称する創価学会公明党との野合〕政権によって,さらにダラダラと持続させられてきた。
それがゆえに,この国土に生きているひとびとの生活実態をみると,その経済水準は貧困化,窮乏化の傾向を全体的には深めていくばかりで,課税の実質水準(その比率)だけはヨーロッパのどこかの国々並みに高くはなったもの,その見返りとしての反対給付は,からっきし些少のままである。
現在,日本の政治経済体制のなかで潤っている組織集団や個人たちといえば,それは特定の「大企業・群」であり,そして,天下りしたかあるいは自分たちであらかじめ組織化しておいた独立行政法人,ここの幹部の椅子に滑りこんでは,高給を食む「元・国家官僚たち」であった。
とりわけ,後者の一群は「国家の特別会計をたくみに原資に悪用しつつ食い散らかす」かっこうで,退官後になっても,のうのうと高給だけを食む連中たちになりはてている。例の「いまだけ,金だけ,自分だけ」の,国家官僚版がきわだつ風景を提供してきた。
「本稿(後編)」が前編から通して論じたい対象は,2024年11月現在に至ったところからだと,より鮮明になった問題といえるが,以前の2010年代からすでに顕著であった現象,すなわち「日本をここまでひどく破壊しつくし,完全にダメにしてしまった,あの「安倍晋三政治の惨禍」をめぐって考えるに当たり,
その「典型例となった国会議員:見本」を提供した「悪的な人間類型」,換言するとその「代弁者の一例」になっていた人物,いいかえると,国家議員としての「自分の無知蒙昧ぶり」を,わざわざみずから進んで露出狂的に開陳させて告白することになった人物が,「自民党三下・陣笠議員」の1人としての杉田水脈(みお)であった。
「本稿(後編)」においてはとくに,杉田水脈が平然と放ってきた差別発言を俎上に上らせるが,その事実を材料に使い,なかでも,つぎのような要点として表現された「昨今における日本の政治と経済の難点」をとりあげ,批判するだけでなく,今後におけるこの国のありようを再考するための議論にできれば,と考えてもみた。
※-1 保守論客の重鎮(!?)「西尾幹二」がかつて「ペテン総理と私人〔⇒遊び人〕の嫁」(安倍晋三夫婦)を激烈に批判したうえで,なんと晋三の配偶者のことを「白痴」だ(!)とまで罵っていた
ここではまず,つぎの記述を参照するとよい。
その西尾幹二は,『チャンネル桜』( http://www.ch-sakura.jp/ )が2018年4月28日に放送した「春の特別対談『世界は現在(いま)』」のなかで,安倍総理がこき下ろしたあげく,「戦後最悪の総理」「膿を出すといったが自分が膿の中心じゃないか」「昭恵夫人はピュアというより白痴」 だとまで論壇していた。
西尾幹二は,日本会議系の人脈とも深い交流をもつ思想家であったが,この人物が安倍晋三と昭恵夫人を痛烈に批判したのだから,これが話題にならないわけがなかった。西尾がその放送のなかで放った発言を,あえて繰り返して紹介しておく。
西尾幹二は,安倍晋三は「戦後最悪の総理」であり,即刻辞任する必要があると強調したうえで,「安倍総理は膿を出すといったが,自分が膿の中心である」こと,さらに昭恵夫人については「ピュアというより白痴のKYだ」と徹底的にこき下ろした。あげくに「安倍総理以外であれば誰がやってもマシ」と切り捨てたのである。
つぎに以上の記述内容に関連する画像を参考にまでかかげておく。
※-2 どうしたら杉田水脈のようにまで愚かな発言ができたのか,安倍晋三あっての自民党チルドレン議員,その「おつむの程度」はしれていた
1)「子供作らない同性カップル『生産性ない』 自民・杉田議員,寄稿 LGBT当事者ら批判」『朝日新聞』2018年7月24日朝刊30面「社会」
昨日〔2018年7月23日〕夜のニュースでも聴いていた出来事であったが,今日の朝刊には以下の記事となって報道されていた。
自民党の杉田水脈(みお)衆院議員(比例中国ブロック,右側画像)が月刊誌への寄稿で,同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない,つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と行政による支援を疑問視した。人権意識を欠いた記述だと批判が上がっている。
寄稿は〔2018年7月〕18日発売の月刊『新潮45』〔8月号〕が掲載した。
同誌の「特集 日本を不幸にする『朝日新聞』」の「〈第一部〉[現地取材 徹底検証]」のなかに「『LGBT』支援の度が過ぎる / 杉田水脈」の寄稿が掲載されていた。
SNSで「優生思想だ」といった批判が広がると杉田氏は〔7月〕22日,自身のツイッターで,先輩議員から「間違ったこといってないんだから,胸張ってればいいよ」などと声をかけられたとし,「自民党の懐の深さを感じます」と投稿した。
補注)「自民党の懐の深さ」? これには笑わされるが,安倍晋三の「傲慢で幼稚」「暗愚と無知」「欺瞞と粗暴」路線から外れないかぎりでの自慢話にしかなりえなかった。そのように決められていたらしい「定義(?)」を,これまたおおまじめに垂訓できる自民党先輩議員も議員であった。
安倍晋三という「世襲3代目の政治屋首相」に引率された自民党一党議員たちの素性に関する話題であったから,いまさらあえて説明するまでもないとも感じるが,杉田水脈も,よりによって,ずいぶんと愚昧な発言を放ったものである。
〔記事に戻る→〕 しかし,党内からも批判が相次ぐ。武井俊輔・前外務政務官は〔7月〕19日,「劣情を煽(あお)るのは政治ではなくて単なるヘイト」とツイッターで指摘。橋本 岳・同党厚生労働部会長は朝日新聞の取材に「福祉行政全般を否定していると受け止められかねない」とした。
杉田氏は23日,「ゲイだと名乗る人間」から殺害予告のメールが届いたとして赤坂署に被害届を提出し,関連するツイートを削除。朝日新聞の取材には「コメントできない」と語った。
♠「大きな危機感」♠
杉田氏の寄稿に対し,LGBTの当事者や識者からも批判の声が上がる。レズビアンを公表し,企業や団体向けに講演や研修をする増原裕子さんは,「相模原の障害者殺傷事件や同性愛者を虐殺したナチスの優生思想とリンクする」と話す。
ヘイトスピーチ問題に詳しいジャーナリストの安田浩一さんも「『生産性』の有無で人びとを区分けするのは,残念ながら一部の保守層のなかにある考え方ではないか」と指摘。
「『弱者らしく』していれば守られるべき存在として扱うが,ものいうマイノリティーが現われた途端に『保護されすぎている』とたたくのが今の社会。大きな危機感を抱かざるをえない」と話した。(『朝日新聞』引用終わり)
ここまで記事を読んだだけですぐに想起させられるのが,例の「在日特権」論という「与太者的な駄論の主張」であった。まず実際の根拠をまったく欠いたうえで,つぎに自分たちだけが空想しえた〈排外の観念〉をその相手側に押しつける「精神的な暴力性」の発揮は,日本社会のなかに差別(ヘイト)のための原動力を提供する役目をはたしていた。
「生産性」ということばにはいろいろな含意(意味や定義)があるが,杉田水脈はごく単純素朴に,その議論以前ないしはそれ以外のところで使っている。杉田は自分自身が,いったいなにをいいたかったのか,実は「自分でもよく分かっていない」とまで疑わせる。
話題は少しずれるが,公益財団法人日本生産性本部が定義する「生産性」ということばの意味は,こう説明されている。
日本生産性本部が「生産性」に与えた定義は,社会経済における財貨・用役の効率的な,いいかえれば,作業労働や事務執務,販売業務,研究活動などに関する能率性が十分に機能している生産「性」を念頭に置いてなされている。
そのかぎりでまたさらには,「経済活動における人間尊重を基本理念」に据える立場も明快に定義されている。だが,かといって「生物としての人間再生産じたいに関する生産性」という意味を,真正面より認識したうえで,当該の問題をとりあげた定義ではない。
さて,大熊信行『生命再生産の理論-人間中心の思想 上・下巻-』東洋経済新報社,1974年という分厚い専門書がある。ここでは,この本に関してくわしい議論はできないが,関連させてつぎの指摘を聞いておきたい。
その大熊信行の見解(20世紀前半の発想)は,21世紀の現在においてどのように再解釈されればよいのか。この理論的な可能性についていえば,LGBTは「頭からいけない存在だ」と決めつける「短絡思考」(もっとも杉田水脈においては「この思考の幼稚な段階の次元」にすらありえなかったのだが)などは,もとより論外の放言もどきであった。
人間・人類たちの各種・多様な生き方をたがいに許容しあう政治思想が不在である「時代遅れで完璧にお▲カに近い,無教養な政治家たち」が,この日本の政界,それも自民党のなかにはまだ雲霞のごとく実在している。
※-3「共産・小池氏『自民党,基本的人権語る資格ない政党に』」『しんぶん赤旗』2018年7月24日 05時06分など
この『しんぶん赤旗』の意見から聞いてみる。つぎのように杉田水脈の発言を批判していた。しごくまともな反論であった。
--(自民党の杉田水脈〈みお〉衆院議員が,同性カップルを念頭に「子どもを作らない,『生産性がない』」と行政支援を疑問視した寄稿をしたことについて)無知・無理解・悪意に満ちた偏見で,あまりに悪質な発言。生産性がないというのは,個人の尊厳を根本から否定する妄言だ。議員の資質にかかわる重大な発言だ。
杉田議員個人の問題ではない。比例代表として公認し,国会議員にした自民党の責任が問われる。杉田議員は,(ツイッターの)ツイートで,大臣クラスの自民党議員からも「間違ったことをいっていない」といわれたと。誰なのか明らかにする必要がある。発言の全面的な撤回と謝罪を求めたい。こういうことを放置していたら,自民党は基本的人権,LGBTの尊厳について語る資格のない政党だとなる。(日本共産党の記者会見で)
本ブログ筆者もLGBTの立場である人をしっているが,しかもその人と実際に付きあいがをする立場になってみれば,この人のその生き方:価値観は “そっくりそのまま認める必要性” を痛感させられた。
しかも,杉田水脈の発言は,関連してよく吐かれる「お決まりの文句」も添えていた。「彼ら彼女らは子供を作らない,つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」などと,見当違いもひどすぎる〈愚かな発言〉を放っていた。
どだい「生産性」ということば:用語の意味からして,事前にどういう概念なのかを,少しでもいい考えてから使っているかといえば,そうした様子が全然うかがえない。無知に近い用法が,いきなり披露されていた。それでも,自身のいいたいことが確実に伝えられるとでも思いこんでいたのか。
仮に1歩譲って,LGBTの人びと=「彼ら彼女らが子どもを儲けない」としても(養子を迎えて育てる手もあるのだからこの非難からして,いちがいに妥当しない),この人たちも同じに世の中で働き,税金を支払い,社会生活をしている。そうだとすれば,なにも文句のつけようはない。
他者の生き方にいちいち文句・注文をつけることはできない。個人・人格の自然なあり方:嗜好の問題でもある。とりわけ他人に迷惑をかけるのでもない,それらの「事情:生活様式」であるゆえ,どこまでも人びとの自由に属することがらである。
さらにくわえていえば,「心身に障害をもった人びと」であっても,そしてこの人びとが働けず・稼げずであっても,人間として無条件に生きていく権利はもっている。LGBTの人びとは「自身の心身の両面において変化を体験し,これに正直にしたがい生きている」人間であるに過ぎない。
だが,杉田にいわせればLGBTの人たちでなくても,たとえば身体になんらかの障害をかかえる者たちは「生産性」がない(もしくは低いから問題だ)というつもりか。そういう論理の領域にまで突進する用意ならば,確実に備えている屁理屈であるとみなされる。
最近,大問題になっていたのが,旧優生保護法の下で実施された障害者の強制不妊手術であった。ここまで事情をからめていくと議論は複雑になる。ここでは,分かりやすい話のほうに話題を移そう。
故・安倍晋三は妻の昭恵とのあいだには,子どもがいなかった。かつて,田中真紀子に “安倍晋三は種なしカボチャだ” と揶揄されたこともあったが,杉田水脈は自分の親分であるこの総理大臣が「生産性がない」と,同じように批判し,そして非難もくわえるのか? そうでなければ一貫しないいいぶんとなる。
真紀子の発言も受けとめ方によっては,重大な差別発言になってよい性質のものであったが,なぜか,こちらはほとんど問題視されないで済んだ。
このごろは,夫婦のあいだで子どもができない確率は7組に1組になっている(2024年時点になればこの比率はもっと少なくなっていると思われる)。子どものいないこの1組のことを非難・攻撃することはできない。するとしたら間違った行為になる。
はじめから子どもを儲けない夫婦もいる。これに文句をつけることもできない。そもそも結婚しにくくなっているのが,昨今における日本社会内での結婚事情である。
婚姻数そのものがドンドン減っているのだから,こどもの数が減っていくのも当たりまえであって,さらにいえば,結婚した夫婦間で生まれる子ども数そのものが現象している。
その種の諸問題を,なにを得心がいったのかしらぬが,「生産性」という用語をもちだしてウンヌンした杉田水脈は,この生産性ということばを,ただ常識次元で口にしただけだったという事実以外,なにも参考になる中身のない,本当のところは身のない発言をした。
それこそある意味,結婚した夫婦などが子どもを儲けるか否か,儲けるとしたら何人欲しいかなどの問題は,当事者たちだけの関心事である。その、では,それこそ「カラスの勝手でしょ」である。なにせ事実としては,コウノトリが飛んできてお節介する余地すらない話題でもあった。
ということで,子どもをもたない夫婦もこの杉田水脈の狙撃対象に入るはずだったと推測できるが,しょせん八つ当たりのイチャモンにしかなりえなかったのは,理の必然であった。
杉田水脈は, “自分の発言のもつ意味あい” についてもともと,おそらく「なにも理解しないで,もちろん知識もないままで」,しかもいい気になって放言するかのように発声していた。要は大向こうに受ける発言を放っていたつもりなのである。
フランスにおける「子どもの出生」では,婚外子のほうが婚姻子よりも多く,およそ6対4にまで高まってきた。つぎに引用するのはいまから8年前の記事があるが,「欧米で急上昇する『婚外子』の割合 出産はもはや『結婚した女性の特権』ではない?」『キャリコネニュース』2014年11月30日,https://news.careerconnection.jp/?p=4785)は,こう報告していた。
つぎの図表「世界各国の婚外子割合」http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1520.html は「アメリカと日本」については,年次ごとにくわしく記録している。
ところが日本では,「家族の絆」が自民党極右政治家集団の立場から強調され,父母がいっしょに子どもが暮らしていないと,それが「欠陥家族」の「家:構成」であるかのように,難詰されてきた。
だが,少子高齢社会にすでに昔から突入しており,人口統計の減少におびえるようにもなっていたこの国であるが,みずからこの趨勢に拍車をかけるような「家および家族に関する旧来型」の,
つまり明治民法的な観念だけが,現実の様相を無視したまま,まだ幅を利かせているのだから,ありのままの「家・家族」に対する認識が逆立ちしていたか,あるいはもともと不在であった。
要するに,故・安倍晋三的な自民党極右政権の「人口全体におけるる ♀ と ♂ とのあいだにおける〈生産性〉問題」の理解は,もともと支離滅裂であった。国家による社会政策だとしても,いったいそのなにを・どのようにおこないたいのか意味不明であった。
とりわけ,夫婦が別姓にしたら「家族の絆」が希薄になるなどといったごとき,唯一,日本「国内にしか通用しない紋切り型」の,実証力ゼロでしかない〈愚昧なる観念〉が,いまだにまかり通っている。
中国や韓国では夫婦別姓である。この事実が「家族の絆」のある・なしの判断基準,それも絶対的かつ相対的なその基準にはなっていないのと同じにまた逆に,夫婦同姓であればその絆が深く,太い,尊いというわけでもなかった。ここまで話を進めてくると,いつまで「ナニヲ,バカナコトヲ イッテイルノカ」と感じる。
ところで,日本相撲協会の2018年7月場所では御嶽海(関脇)が優勝したが,この力士のママはフィリピン人である。高安という力士のママもフィリピン人である。最近はテレビでも見目形が混血とすぐに分かる,それも日本生まれの育ちである芸能人が大勢出演している。それに比べて,在日韓国・朝鮮人の芸能人のなかには,いまだに出自を隠して(日本国籍を取得したとしても),活躍している者も多くいる。なにかマズいことでもあるのか。
※-4「生産性」ということば:用語の詮議
「生産性」ということばは,常識的な用法のほかにももちろん,専門的な立場でいろいろと議論されている。生産性会計という題目もあった。この用語を付した会計学の文献もけっこうある。
たとえば, 木村和三郎編『生産性向上と企業会計』森山書店,1958年という専門書があるが,この本は1955年3月に設立された日本生産性本部を意識した著作であった。
生産性という用語は付加価値(性)という経営・会計用語にいいかえられる場合もある。ここからは労働分配率という用語も引き出せる。労働生産性という用語もあった。
ところが,杉田水脈はこうした生産性に関する各種多様な意味や定義とは無関係に,「LGBTの人びと」は「男女で構成する夫婦」間でのように子どもを儲けないから問題だ,「生産性がない」などと唐突にも非難し,攻撃した。
別にLGBTでなくとも安倍晋三夫婦のように「子どもの生産(性)」が完全にゼロである者たちも,世の中にはいくらでもいる。本ブログ筆者の大学院時代の指導教授も子どもがいなかった。だからといって,これら夫婦を闇雲に非難するのは不当も不当,観方によっては人権侵害そのもの……。
前段で触れてみたが,田中真紀子は安倍晋三のことを「種なしカボチャだと揶揄した」したが,この夫婦に子どもができなかったのは,女房のほうの卵巣などに支障があったかもしれない。そのほかにも,他人には分かりえない事情があったのかもしれない。ともかく他者が,それ以上とやかくはいえる問題ではなかった。
ところが,杉田水脈は突如「LGBTである男女たち」をとらえて,俄然にけしからんと難癖をつけ,それも「人間 ♀ と ♂ の再生産」の問題という意味でいわれる「生産性がない」それに向けて,直接にも非難・攻撃したのである。
そもそも,事実において,子どものいない首相(安倍晋三政権時のこと)がとりしきっていた「日本国の時期」もあった。それだけのことであったに過ぎない。ともかくいままの日本,出生率(および合計特殊出生率)があいかわらず低迷したままである。この事実と杉田水脈のその唐突なる発言とは,特別の因果がみいだしにくかった。
ともかくも,その低迷する出生率の現状をなんとかしなければならない政権党の,それも安倍晋三のチルドレン議員が,LGBTの人びとを,いうなれば突如「標的に狙い,非難・攻撃した」。
「生産性」がないといって,口撃した。しかし,これこそお門違いの批難であった。自民党政権の1議員が愚かにも,わざわざ天に唾する言動をおこなった。
補注1)こういうことであった。「杉田水脈議員のLGBT差別発言は自民党公認! 安倍首相は差別発言まき散らす杉田を『素晴らしい!』と絶賛」『リテラ』2018.07.23,http://lite-ra.com/2018/07/post-4144.html 以下( ← リンクあり)。
補注2)杉田水脈は配偶者がいて,子どもは娘の杉田美玲光は杉田光澪(みれい)という氏名。この事実に即してあえて評価すると,水脈は子どもを1人しか儲けておらず,生産性ゼロではないものの,事実として低い。なにせ,「生産性・本舗」のお姉さんの立場だから,私とは無関係とはいえないはずの「低・生産性」……。
※-5 敗戦後,過疎地:農村部で「生産性(人間の再生産)を維持できた」のは,外国人の助っ人「嫁」が来てくれたから
前段で御嶽海や高安という日比混血の相撲取りを話題にしたが,この母親に当たる世代の女性たちは,いまから四半世紀以上も前,日本の農村部を中心に『嫁不足の日照り状態』に陥り,困っていた日本人男性たちのところに「外国から嫁いでき〔てくれ〕た者たち」であった。
いま,その子どもたちが日本社会のなかで有為な人士ともなって,数多く輩出され活躍している。
さらにそれ以前の話をする。敗戦直後の日本社会では,日本人男性の多くが大東亜(太平洋)戦争の犠牲となっていて,こちらの場合・状況では「女性にとって配偶者となるべき男性」が日照り状態なっていた。そこで,男女の間柄のことであるから,在日する「韓国(朝鮮)人男性と日本人女性」の婚姻が,昭和20年代にはけっこうな数になっていた。
補注)その比率,主に韓国(朝鮮)人男性と日本人女性とが結婚した比率に関して正確な統計は,本ブログ筆者は寡聞にしてまだ未知である。だが,いままで意識して調べた範囲内では,敗戦後史のしばらくの期間に限定される推測となるにせよ,15~20%にまでなった年もあったと指摘する識者もいる。
在日韓国・朝鮮人の2世たち(ほぼ1930年代から1950年代までに日本で生まれた)のなかには,そもそも日本人の母親をもつ者が相当数いる。ただし,日本と韓国における旧民法の規定「父系主義の立場」にしたがい,父親(韓国人の韓国籍)をもつことになっていたから,その実態が浮き彫りになることはなかった。
つまり,前段のごとき「韓:夫と妻:日」になる国際結婚は,従来,ほとんど可視化されてこなかった。それだけのことである。ただ,隣国出身の同じ黄色人種で日本生まれの,日本育ちである,その「韓国人と日本人」の夫婦の子どもたちが置かれた状況に即していえば,いまふうに形容すれば,事後は完全に〈純ジャパ〉風の在日2世〔以下も同じ〕を大勢誕生させる当然の事情・理由になっていた。
そんな・こんな事情=歴史的な経緯もしらずに,「在日特権」などと “幻想以前の盲目思想” をかかげて,在日2世以下の人びとをヘイトし,排斥する反社会的な政治集団は,単なる無知・愚昧の典型例としかいいようがなかった。
日本における外国人問題の実際はすでに相当の大昔からでありつづけてきたが,いまの時代に,「外国人労働者受け入れ反対」だとか「移民反対」だとか叫んで反対したがり,その「観念世界」での主張をいいだす以前に,つまり,現実の推移はすでに,単に「どうする・こうするというべき,とくに居住外国人問題の次元」が目前に存在しつづけてきた。
敗戦前後までにおいても,日本の政治社会において大問題であった在日韓国(朝鮮)人の比率が,21世紀の現段階においてはかなり低下してきた現実に即して,在日する外国〔国籍〕人に対峙する必要がある。
※-6 親分に似て無知蒙昧さを丸出しにする自民党極右チルドレン議員の愚かさ
杉田水脈の顔写真は途中の段落にかかげておいたが,この表情から観てとれることはむずかしいにしても,はたしてこの女性議員は「特定のモノゴトに関連する基本的な情報や体系的な知識」を,最低限でもいい,しっかり・テイネイに踏まえたうえで発言しているかと問うてみるに,その根幹からして疑わせるに十分なデタラメな発想を披露していた。
【参考画像】-『X』から-
いまの安倍晋三政権がつづくかぎり(2022年7月8日に銃殺され他界していたが),そして,国会議員としての教養・識見に関していえば,なにかと問題の多かったアベチルド連議員だったからこそ,そのなかからは杉田水脈のように,きわめて低劣で悪質な発言が飛びでてこざるをえなかった。そう受けとめておくほかなかった。
ところで前段にその氏名が登場していたが,西尾幹二はさらに, “似た者夫婦の安倍晋三と昭恵” をとらえていうに, “女房のほうは白痴だ” とまで罵倒し,最低だとこきおろした。とくに,この安倍晋三は首相として「戦後最悪の首相」だと切り捨ててもいた。
妻昭恵のことは,まず「遊び人」と形容していた。つぎに「ピュアー(pure)とバカとは紙一重」であり,しょせん「似た者同士の夫婦」の評価だから,「安倍晋三も白痴」だと断言したことになる。
※-7「非生産的暴論の杉田議員は差別の水脈しか持たない」『小林よしのり『BLOG あのな教えたろか。』2018年7月26日,https://yoshinori-kobayashi.com/16247/ の紹介
この小林よしのりの意見を引用して,この記述をお終いにしたい。
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