サルバトーレ・アダモは引退の時期を逸したのか,ヨレヨレの歌唱でも「日本のファン」は暖かく拍手を送るから,いつもゴッチャンでした
本日,2023年11月24日はいうまでもないが,「勤労感謝の日」であった23日の翌日である。ところで,ごく最近における日本政治社会は,もっぱら岸田文雄政権の「丸出だめ夫」風な為政ぶりがいよいよ高じてきて,庶民の側からも不満・不平の嵐が舞っているなか,この「世襲3代目の政治屋」の退陣がいつになるかにしか,いまでは関心がもてない国内の政治情勢である。
【追記】 題字の「日本のファン」の「フ」がぬけているのに翌日(2023年11月25日)気づいて訂正,これを腑抜けといえばいいのか「!?」
※-1 2023年11月大手紙の世論調査は国民たちが岸田文雄政権を否定
この11月に大手各紙が実施した世論調査は,例の「青木の法則」--内閣支持率と政党支持率の合計が50%未満では当該政権は沈没寸前だといったふうにそれなりにかなり説得力のあう仮説を提示--が,岸田文雄が首相になってからというもの,自身の政治家として「カラッポ」的な駄目さかげんをいいかげん晒しつづけてきたせいか,軒並みに「ダメを押したごとき結果」を報じていた。
11月に実施されていた世論調査は,「内閣支持率は読売新聞が前回10月調査から10ポイント低下の24%となったほか,毎日が21%,朝日が25%だった。毎日は調査方法が異なるため単純比較はできないとしたうえで,旧民主党・菅 直人政権末期の2011年8月に記録した15%以来の低い水準という」顛末となっていた。
註記)「内閣支持率,20%台で自民政権復帰後で最低-朝日,読売,毎日調査」『Bloomberg』2023年11月20日 9:48 JST,更新 11月20日 11:57 JST,https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-11-20/S4EAK3T1UM0W01
なお,11月の『読売新聞』による世論調査は「内閣支持率24%,政党:自民党支持率28%」という結果を出していた。ここで「青木の法則」をあてはめるうえで,『朝日新聞』および『読売新聞』の「内閣支持率と政党支持率,その合計」の各数値もとりだして並べてみる。
3社の値はこうなっていた。
『毎日新聞』は21%と24%で,合計45%
『朝日新聞』は25%と25%で,合計50%
『読売新聞』は24%と28%で,合計53%
『日本経済新聞』(財界を代弁する経済紙)の11月世論調査は,ここでは出さない計算になるが,以上3社の世論調査の数値をあえて単純平均すると,49.33%である。いずれにせよ岸田文雄政権の評判はすこぶる悪い。
ここでさらに,11月実施された通信社『時事通信』による世論調査に聞いてみると,「内閣支持21.3%,最低更新=自民も下落19%」2023年11月16日 15:09,https://sp.m.jiji.com/article/show/3099818 と,各社の世論調査のなかで,もっとも低い支持率を報じていた。しかも,自民党に対する政党支持率は19%と最低の数値となっており,「青木の法則」のそれは40%と,完全にアウトという結果である。
ともかく岸田文雄というこの「世襲3代目の政治屋」は,自分がいったいなにをやりたくて首相になっていたのかが,そもそも投書から疑問が浮上していた問題点であったわけだが,いまだにその返事をおぼろげにでも国民たち側に対して示しえていない。われわれが聴けたそれへの返事は,自分はなんといっても「総理大臣として国家・政府の人事をイジクリたい」のだという点だけであった。
ところがその人事ときたら下手くそもいいところで,内閣の改造人事をやるたびに,たとえば「『政治とカネ』問題浮上…『政務三役相次ぐ辞任』『「減税策不評』三重苦抱える岸田政権」『khb』2023/11/22 (水) 16:34 https://www.khb-tv.co.jp/news/15064112 と報道されるお粗末。
この政権は2021年10月4日に発足させて以来,いったいなにをやりたい政権であったのか,いままで2年以上の時間を費やしてきたにもかかわらず,確たる成果を挙げることができないままにきた。岸田文雄君のいわば,「生きた幽霊」ぶりは,国民・市民・庶民たちの日常生活に対して,役に立ち益になる施策をなんら打ち出せないで来た。
いまや「岸田文雄は退場あるのみ」という絶対的な情勢になった。すでに自民党内では,あの般若が厚化粧したみたいな高市が12人の国会議員を集めて,これからつぎの首相(まず自民党総裁)になりたいがための旗揚げをしていた。だが,この高市の場合,その立候補に必要な推薦議員数20名の確保には全然足りない勢力しか,まだ動員できていない。
また石破 茂も「小石河」の1人として,昨日(2023年11月23日)の報道によれば,若干,岸田文雄に一定の疑問とささやかな批判を突きつける発言をしていたが,この茂君も総理大臣への意欲をチラホラでも明確にみせていないわけではない。
要は,安倍晋三の第2次政権が発足した2012年12月26日以来,この日本という国はまるで下り坂を転がり落ちるがごとくに衰弱してきている。今日は2023年11月24日であり,すでに一昔分の長さを超えて11年近くも経った自民党的な「腐臭政権」は,政教一致の公明党との野合連立政権をもって,この国をさんざんに痛めつつ,ひたすら自沈させるためであるかのような為政をつづけるしか,能がなかった。
最近は,喰うにもこまる庶民たちが大勢いるこの国になってしまった。この現状は,「経済大国」であったはずのこの国の「往事におけるみかけだおしの豊かさ」が,本当のところでは,確実なるSDGs的な社会経済基盤を最初から欠いていたことや,国家の「恒常的に品格ある政治」や「持続的に余裕ある経済」の発展を成就できていなかった事実を物語っている。
補注)SDGsとは 「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略語。
しかも,この国は,安倍晋三の「アベノポリティックスとアホノミクス(アベノミクス・ウソノミクス・ダメノミクス)」の粗雑な経済運営によって,現在ではすでに完全に疲弊しきった国情になっている。
どちらかというまでもなく実際には,インバウンド景気,つまり訪日する外国人観光客の財布をあてにもする国家財政・経済運営の実際になってしまったこの日本である。観光客たちは日本の物価の安さに大喜びする一方で,肝心の国民・市民・庶民たちの日常生活のなかでは,欠食児童のみならず,成人・大人のなかにも毎日3度の食事に事欠く人びとがいる。
貧国日本に外国人観光客が来て,いろいろとカネを使ってくれたところで,一般の市民,それも貧困層に属する人たちにはなんの関係もない。もしかしたら,そのうち外国人観光客に向かいものごいをする「みすぼらしい自国民」が,まさか登場するのではないかとまで心配する気分にまでさせられる。
それゆえ「衰退登場国」なることばが,いまの日本においては国内事情を全般的に表現する用語として,ごく自然に聞こえる昨今になっている。
次項※-2以下が実は,この記述全体のなかでは「本論」を構成するわけだが,以前までであれば「外タレのオイシイ市場であって,人のよいファンたちが大勢いた〈以前の日本観客〉」のおかげでたっぷり稼がせてもらい,ジャポネ大好きであったはずのフランスの歌手,サルバトーレ・アダモに関する記述に入る前に,つぎの事実に触れておきたい。
2010年のドル円相場は,1ドル=87.7799円であったものが,2019年のそれは109.0097円へと,ほぼ21円も下がっていた。ところがその4年後の今年2023年の11月には150円台までドンと落ちていた。ともかく,2010年から2019年までの円安相場傾向も,ばかにならないほどに,だいたいで2割も下落していた。外国から日本に稼ぎに来て,円でその水揚げをもって返る人や事業は,実質的な貨幣価値ですなわち2割減ということになる。
以上のドル円関係の変動も念頭に置いてもらい,次項の記述に進みたい。
※-2 日本をゴッチャンの対象にしてきたフランスの歌手サルバトーレ・アドモが10年ぶりに来て「最終公演」をしたとかいった話題,これが本日記述の主題となる
昨日のこと,2023年11月23日であったが,ネット上にたまたまこういう宣伝が出ているのをみつけた。4年前の2019年に,フランスの歌手サルバトーレ・アダモが,日本に10年ぶりに来て公演をしていたという情報であった。こういうことであったらしい。
この※-2の記述としては最初に,つぎの事実を記しておきたい。本稿は2010年10月17日の初出,2014年8月22日ならびに2019年12月25日に更新,そして本日の2023年11月24日に再掲・復活させることになった。
その間,なんども未公表の状態であった時期を挟んでいたが,前段のごときニュースに接して,そういえばサルバトーレ・アダモのことをだいぶ以前に書いたことがあって,現在は未公表になっていた思い出した。それでは今日,あらためてアダモについて最近の事情も考慮して再公開するのもいいかというしだいになった。
アダモは1943年11月1日生まれ,今日の2023年11月24日だと年齢80歳。本ブログ筆者が2010年10月16日の公演を聞きにいったときは,66歳であった。いまから思うに,プロとして歌ってカネを取れる年齢ではなくなりつつある時期に入っていた,という印象しかもてない程度に力(馬力:歌唱力全般)が低下していた。
人間だから年をとれば誰でもが,なにに関してでも性能は落ちていく。これはしかたのない事実である。だが,プロがカネをとって人(ファン)に聞かせるには,それだけの力量は保持したうえで舞台に臨むべきであった。残念なことであったが,2010年に日本に来て舞台で歌ったときのアドモは,すでに「老齢」なりに自身の実力:歌唱力を顕著に落とした時期に,間違いなく入っていた。
以上のごとき問題意識「以前」の事実認識を明示したうえで,サルバトーレ・アダモというフランスの歌手が,引退すべき時期を逸していたかのように映った歌手になっていても,まだまだ大歓迎されたかたちで「日本での公演」を強行していた事実をめぐり,以下に論じてみたい。
※-3 アダモ ジャパン・ツアー 2010 を聴いての幻滅
この※-3にあえて〈副題〉を添えるとしたら,「外タレを甘やかす日本のファン:まともな鑑賞力はどこへ? 聴くに堪えない〈老化現象まるだしの歌唱力〉に1万円も出させて聴かす価値があったのか?」というふうに,とりあえず批判しておくのが適切であった。
2010年10月16日「アダモ ジャパン・ツアー 2010」(オーチャードホール)について。
「解 説」 はたして,9500円の切符(S席チケット)にみあうだけの価値があった「歌手の演奏会」といえたか?
本ブログの筆者がまだ保存しているカセット・テープのひとつに,サルバトーレ・アダモが1979年1月25日にNHKホールで,それもNHK交響楽団の伴奏で歌っていた「〈題名〉アダモ 愛を歌う」が録音されていた。数百あったカセット・テープは,テープがへたれてしまったこともあって,そのほとんどを廃棄してあったけれども,このアダモの歌を録音をしたものは,おかしくはなっていなかったゆえ,だいぶあとまで残してあった。
昔は,そのカセット・テープをまわし,アダモの歌をよく聴いていた。それはいまから,31〔35⇒40⇒43〕年以上も前に録音されていた。アダモは1943年生まれであるから,今(2010〔2014⇒2019⇒2013〕)年の誕生日が来ていれば,もう67〔71⇒76⇒80〕歳になる。
補注)ただし2023年11月段階では,そのアダモのカセット・テープはすでに廃棄されていた。ユーチューブ動画サイトにはいくらでも音質のよい動画があり,CD-ROMで音楽を聴いていた時期もはさんでだが,カセット・テープの時代はいまや昔の思い出になった。
さて,2010年10月11日の新聞〔朝刊〕だったと思うが,「アダモ ジャパン・ツアー 2010(オーチャードホール:10月16日・17日)」の広告が出ていた。これをみた筆者は,久しぶりに,コンサートを聴きにいくことを決めた。しかも思い切って奮発し,10月16日午後6時から開演される,それもなんと 9500円のS席を2人分(つまり配偶者の分も)をインターネットで購入し,当日出かけた。
はたして,大枚 9500円もするチケット(切符を購入するための手数料なども入れると,1枚あたり総額1万円超になった。前段にその現物を表示しておいた。個人情報関係は黒塗り〔左部分〕あるいは白色インク〔右部分〕で抹消済みにしてある。
しかし,実際にこのアダモのコンサートに出かけてその歌いっぷりを聴いたところ,はたして,この切符を買って聴くだけの価値のあるコンサートであったか(?)といったごとき,とても大きな疑問が湧いてきた。
本日のこの記述は,そのアダモのコンサートにいった体験を通してとなるが,「外タレでも歌手部門の一事例に関する批評」を試みたい。これが本論となる中身であった。
※-4 67歳(当時の年齢)のシャンソン歌手の真価
1) 時間管理
いま,YouTube の映像でアダモの歌をいろいろ聴きながら,本日のこのブログを書いている。アダモが歌っている画像(動画)は,30歳代〔もっと若いころ?〕から60歳代までいろいろある。それらをたくさん聴いて感じたのは,率直にいって「ムッシュー・アダモ,もう引退の時期ですね」という1点。
だが,それでもまだまだ,アドモはジャポンに来て大いに稼げている。昔からの,いまでは高年齢層になっている〈日本のアダモファン〉の皆さんも,平均的にいってだいぶ耳が遠くなっているはずで,これは自然のなりゆきである。ということで,加齢とももにだいぶ劣化現象を来しているアダモの歌唱力ではあっても,日本のファンのほうでも,それほど気にせずに彼の歌う曲を聞いていられる様子である。
「アダモ ジャパン・ツアー 2010」の会場は,当日の午後5時半に開場であった。まず,館内に入れるまでの段階で会場入口の玄関までを大行列させられた。つぎに,館内に入ってもドアーを開けて指定席に向かうことは許されず,そこにたどりつくまえに廊下に立たされ,しばらく待たされた。
入場・着席までそんなに時間・手間がかかるのであれば,開場をさらに30分早めておいたらよかったのでは,と感じた。というのは,後述のように約1500~1600名も観客が来ていたから,である。
さらに,午後6時開演という〈公開の約束であった〉が,実際に演奏が開始されたのは午後6時15分であった。大昔の大学の講義開始ではあるまいに,15分も遅れて始める(akademische Viertel)とは,ずいぶん聴衆を軽くあつかったものである。
いい加減に客をあしらっているかのように感じられた〈運営のしかた:時間管理〉である。タイム・イズ・マネー。午後6時定刻に演奏を開始できない事由はなんであったのか。くどくなるが重ねて,その15分の遅滞に対して苦情を申したてることを,筆者はとくに強調しておきたい。
本ブログの筆者はなにせ,東京から少しイナカの地域に住んでいるので,帰宅時間を気にしていたかっこうでこのコンサートを聴きにいった。それなのに,断わりなしに勝手に15分も遅れ,おまけにそれに対する謝罪のことばもなし。
それでいて「開始が遅れれば終了も遅れる」と,あとで話を交わすことができた係員がのたもうた。公演時間の長さじたい〔演奏という売り物のそれ〕だけを守ればいいというものではない。新幹線の超特急を3分間隔で走らせているこの国で,だらしない時間管理は止めてほしい。
フランスもTGV(テジェヴェ:仏語,フランス国鉄が運行する高速鉄道の車両)で,列車を走らせており,その時刻表はネットにも出ている。アダモはフランスの歌手である。ここでの話題は,列車運用管理に関連させてあえていうことになるが,前段の記述とのあいだに〈なんらかの相関的な意味〉を汲みとっておくべきか。
前段のごとき話題を出したのは,実はネットに,こういう記述があったからである。「ちなみにフランスが誇る高速鉄道TGVは15分以内の遅れであれば定刻どおりだということです。遅れることがよくある光景のため,海外から来た人は,日本の鉄道時刻の正確さに驚きます」註記)。
しかし,「郷に入っては郷に従え」である。フランス式悪弊を日本のほうでマネしてヘンテコにも,時間の遅延を許容する精神をもちこんではいけない。
註記)「定刻発車を支える人」『あんな話こんな話 今週の朝礼』2016年04月18日,https://www.nohkai.ne.jp/tyorei/?p=1760
いずれにせよ,日本の大都会:東京の代表的な繁華街に位置する有名なホールでおこなうコンサートの時間管理としては,最低・最悪,無責任・傲岸であった。しかも,高慢ちきな対応まであった。
2) 落ちた歌唱力
ともかく演奏が始まった。実際,この歌手,「寄せる年波」には勝てない。フランス語の歌詞による演奏ではごまかしは効いたかもしれないにせよ,最後のほうで〈サン・トワ・マミー〉を日本語で歌い出したところで,われわれはガマンできず,吹き出してしまった体で,そこで一気に退場した。こんなコンサートを聴きに来たつもりはなかったゆえ,そこで飛び出たのである。
日本語がともかくヘタ〔→アダモはいままで何十年間も,この歌を,日本語の歌詞でも歌ってきたではないか?〕。歌詞の発声もまともに持続できていなかったし,その歌詞も途中で途切れる。これがプロの歌手の発声かと感じるほどひどかった。音程もガタガタ。カラオケで歌っている素人でも,5人集まって歌っていたらそのなかには,これ以上に上手に歌える人がいるのではないかと感じるほど,アダモは下手になっていた。
結局,その度はずれたプロ歌手のヘタさ加減に辟易して会場を出たところで,廊下で顔を合わせた案内係員のオネエサンいわく
「もうお帰りになるのでしょうか?」
冗談じゃない,なんとかここまでガマンして聴いてあげたのである。
--9500円〔再言するが,手数料なども加算すると1万円を超えていた〕の芸術的な鑑賞(娯楽としての反対給付)など全然えられないコンサートとなってしまい,非常にがっかりさせられた。
それにしても,日本国の「アダモファンとおぼしき会場の皆さん」,これでは,芸人をまっとうに育てることはできない。「もっとも,その育てるかどうかの年齢制限などとうの昔に過ぎていた」この歌手のことだから,そうはいっても,詮ないことだといわれるかもしれない。
コンサート会場に多くいたと思われるアダモファンらしき人びとは,無条件に喜んで聴いていた様子に映った。しかし,この程度まで歌唱力に落ちた,また声声の出もだいぶ悪くなった〔もともと特徴のある声質であり,日本でいえば森 進一(1947年生まれ)と似た歌手であるが〕この手の外国の歌手を,わざわざ日本に呼びよせ,聴いてあげ,稼がせてあげるのは,お人好しにもほどがある。
表現をかえていえば,わがほうは,あかたも『ネギを背負ったカモ』連よろしく,この歌手を日本でご歓待申しあげるために公演会に詰めかけてあげた。本ブログの筆者もこのネギ・カモの1匹になりはてた気分であった。
※-5 アダモという歌手の衣装など
1) 舞台衣装
YouTube の動画でみるかぎり,アダモももちろん歌手として舞台に登るさいには,いろいろな衣装を着ていた。しかし,このたびコンサートでの彼の舞台衣装は,日本のサラリーマンがよく着ているようなドブネズミ・ルックの背広上下(薄めの紺色のそれ)であった。この衣装は,どうみても〈紳士服の ◎◎◎◎ 〉の吊るしで売っているあれのような・・・。
しかし,アダモは途中でワイシャツはとりかえていたと,いっしょに聴いていた連れがあとで教えてくれた。しかし,本ブログの筆者はそのワイシャツ交換には気づかなかった。そのくらいしか衣装代のかかっていなかった様子で舞台が進行していたのが,今回の舞台を務めたアダモに関する印象でもあった。
ここの段落にいきなりだが,2023年11月24日(本日)の追補となる関連の情報を挿入しておく。
♠ アダモ 2020年に関する話題 ♠
本日(2023年11月24日)に,この元の記述を復活させるためにこのブログじたいを校訂しつつ書きなおしていたら,つぎのごときアダモに関する情報に接した。
ここでは,コンサートの途中で〈刺身のつま〉のように出演した若い女性歌手〔白人系らしい〕の衣装(ミニのワンピースに同色系の靴)などの,お値段についての関心はさておく。
それにしても,今回公演におけるアダモの〈コスト超節約的な舞台衣装〉らしく映ったスーツ姿は,日本国のサラリーマン・労働者諸氏の平均年収さえ,はるかに上まわる経費をかけたようなキンキラ:ビラビラの,まるで〈色鮮やかな蝶々〉か〈複雑・迷彩模様の蛾〉であるのような格好で,舞台によく登場してくる日本の女性歌手たちとは,まったく対照的に地味な服装であった。
いずれにせよ,アダモにとって日本のファンは,涙が溢れでて止まらないほど,まことにもってありがたい聴衆=まさしく「お客さまは神様です」である。ジュ・テーム!(ここで,かぎりないキスを送る ♥! ♥! ♥!……)
それはともかく,これほどヘタ:ダメになってしまっている老齢歌手であっても,ガマン強く・大人しく・やさしくして聴いてあげられるこの日本国の観客の思いやり精神は,ほかに比類もないくらい高尚・優雅である。
おまけに花束をたくさん上げたり,手拍子を一生懸命に合わせてあげたり,いたれりつくせりの熱烈な支援ぶりである。いうなれば,呆れるほどの過剰サービスであり,無条件に好意的なのである。
あれ? いったいどちらがカネを支払って,この人の歌を聴きに来た客だったか?
湾岸戦争(1990年8月~1991年2月)で日本の軍艦が各国の艦艇に無償で燃料を補給してあげていたが,これに勝るとも劣らぬような観客側からの奉仕ぶりである。もちろん勧進元(企画事務所側)の演出もあったにしても,かなり不自然に映るほどの歓待ぶり(?)であった。
2) それでは,おいくら程度の演奏会であったといえるか?
歌手の芸能であれば,これを聴くほうがどのような評価をし,これにいかなる対価を支払うかという問題は,いうまでもなく「顧客の満足の度合」に関することがらである。アダモの芸能:歌唱力に対してはさらに厳密に,これが「主観的ではあれ(好みの要素もある),より客観的な判断」が「質的・量的」にもくわえられ評価されることが,当然に必要である。
だが,今回聴いたアダモの〈芸と能〉については,この芸も能もともに落第点を付けねばならなかった。その程度の低い評価しか与えられなかった。正直な感想。
だから,もしも,聴いてから「いくら払えばいいのか」〔昨日聴いた〈アダモのコンサート〉のお代はいくら?〕を答えろといわれれば,今回〔2010年だった〕のアダモの公演についてはせいぜい 2500円くらいが関の山であった。それでも,外交辞令的な配慮を精一杯に加味したすえに〈最大限にお支払いできそうな〉金額であった。
なお,今回の「アダモ ジャパン・ツアー 2010」は,今日(2010年10月16日)再び,明日(17日)の午後6時からオーチャードホールで開催されるという日程を組んでいた(「明日」は定刻どおり演奏が開始するかどうかしらないが)。
このアダモの2010年の日本ツアーはさらに,10月19日に北海道厚生年金会館,10月22日に名古屋の中京大学文化市民会館(旧名古屋市民会館)でも開催されていた。
--アダモの立場からしたら,まあ,なんといっても「オオキニ,ジャポン」「メルシー・ブクー」!
ちなみに,オーチャードホールは総客席数2150席である。昨日〔2010年10月の〕16日の公演では座席の埋まり具合は,1階はほぼ満席,2階はなんとか6割程度が埋まっていた。3階はよくみえない席であったが,分かる範囲でいうとほとんど埋まっていなかったようである。層観客数はだから,1500名から1600名未満と観察してみた。
3) アダモのファンらしき人たちの鑑賞姿勢
本ブログ筆者が座った席の2・3列うしろの席にいた客数名は,たいして乗ってもいない曲が歌われているときでも,やたら手拍子を叩いていた。寝不足気味の筆者の頭に痛く響き,いささか神経にさわった。その人たちはもしかすると,元来「熱烈なアダモ・ファン」なのかもしれず,「あばたもえくぼ」の気分でいられるファンたちだったのか?
だが,筆者のように,プロの歌手だからぜひとも上手な・味のある歌いっぷりを生で聴きたい,と思って劇場にいった〈つもり〉の立場でいえば,まさしく『贔屓の引き倒し』をじかにおこなうような,それも盲目的ファンたちが大勢観客としてまとわりついていたと感じた。それゆえ,ただただ「嫌な雰囲気のコンサートだな」と感じた。
初めからそうなると判っていたら,筆者は彼らとは離れた別席であるいは隔離された別室で聴きたかった。というよりは多分,最初からチケットなど買わなかった。アダモのコンサートだからといって,わざわざ高い切符を買い,遠くから出かけた甲斐が全然なかった。家でカセット・テープをかけて聴いていたほうが,よほどマシにアダモの歌が聴ける。
今回のごときにアダモが披露した程度にまで「歌唱力」=「歌手としての実力」に落ちていても,まだまだ温かく迎えてくれ,しかも存分に稼がせてくれるのが,日本の音楽市場である。
日本・日本人が提供してくれる「外タレ天国という世界のなかに用意されている存在空間=商圏」は,老齢歌手のアダモにとっても,いつも「ゴッチャンで~す」そのものであった。日本国内にはそういうに外国人芸能人を甘やかしてやまない〈音楽市場〉が,昔からたしかに実在する。
日本における「大衆芸能相手の外タレ市場」における〈ひとつの貧しき見本:フランス人老齢歌手〉が,いままさにその不味い演奏を披露しながらけっこう稼いでいる最中である。これもまた日本の秋,その一風景であった。しかし,前段に関説してあったように,アダモにとっては日本で稼げる機会は2019年で終わった。御年,76歳になる年であったが……。
4) 2014年8月22日追記-日本とのかかわり-
以上の記述をしてから約4年近くが経過しているが(ここでは上記 2014年8月22日時点になっての話であった),あらためて,ウィキペディアの解説をみたところ,つぎのような内容も書かれていた。
サルヴァトーレ・アダモは,1967年に初来日以来,30回以上の来日公演をおこなっている。海外アーティストのなかでもとくに親日家としてしられている。直近の来日は2010年である。
1978年には森 進一「甘ったれ」を作曲する。当然,日本にも数多くのファンが存在し,とくにタレント・演出家のテリー伊藤は来日公演は欠かさずいっていると公言している。
2010年10月の日本公演が,その時期まででは最後(直近)であると説明されていたが,本ブログの筆者はこの公演を聴きにいったことになる。ともかく,せっかく大枚はたいて「好きであった歌手の歌声」をじかに聴こうとしたけれども,とんだ失敗:不当たりに遭わされ,芸術鑑賞の機会としては不作に終わった。
引退がふさわしい時期を迎えていた歌手の歌唱力である。さすがに「もう金をとれる」技倆ではなくなっていた。人間,引きぎわが肝心である。せいぜい,他山の石とすべし……。
ところが,このサルバトーレ・アダモさん,2020年にこそ本当に最後になる「日本への出稼ぎに来ていた」というではないか? 冗談でなければ,この情報に接したほうこそが一驚して当たりまえだと思うが……。
※-6この記述に対してその後もらったコメントの紹介
旧ブログ(初めの2010年12月における記述のこと)から転載されたこの記述であった(そして2014年月8月における記述に移る)。これについてはいくつかのコメントをもらっていた。それをここに紹介しておく。ただし,全文ではなく一部分のみの紹介となる。時系列に並べてある。
a)「アダモ様はベルギー国籍のお方です」(投稿者情報?,2010.10.24 09:22:18)
b)「管理人です。ご指摘をありがとうございます」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/サルヴァトール・アダモ をみると,こう書かれています。
『サルヴァトール・アダモ(Salvatore Adamo,1943年11月1日- )は,イタリアのコーミゾ(シチリア)で生まれたベルギーの作曲家,歌手。レジオンドヌール5等受勲者(フランスの勲章)。イタリア語読みでサルヴァトーレ・アダモ。単に「アダモ」と呼ばれることもある』。
本ブログは,「フランスの歌手」あるいは「フランス人歌手」と書いております。フランス「国籍」とは書いておりません。前者の表現は間違いないでしょう。
後者のそれは,フランスという国,この国のシャンソンを歌って活躍する歌手であるアダモ,とくにヨーロッパという地域のなかで,このフランスを足場に「シャンソン」の歌い手として働くこのアダモだとすれば,必らずしも不適切な表現になるとは思いません。
われわれがフランス人と思っているたとえば俳優のなかには,フランス以外のヨーロッパ各国の出身者が大勢おります。フランスを中心舞台に活躍する彼らは「フランスの人:俳優」とみなされているようです。アダモはその歌手の事例かと考えます。
アダモの持ち歌 “雪が降る Tombe la neige ” はフランスのシャンソンを代表する1曲とされています(ついでいえば,日本人と思われている歌手・俳優のなかには多くの在日韓国・朝鮮人がいますが,「知らぬが仏」のような〈存在集団〉かもしれません)。
欧州連合(EU)という地理的・政治的な地域のなかで,〈彼の経歴・活動〉を,さらに具体的に調べ,これをどうみるかという研究課題も残っています。本ブログはイタリア語読みで〈サルバ〔ヴァ〕トーレ・アダモ〉と表記しておりました。ベルギーでも使用されているフランス語〔圏〕の発音にしたがい読めば,サルバトールになります。なぜ,このように『大事な氏名』が各言語によって別々に呼称されるのか興味がもてます。
【参 考】 なお「サルヴァトーレ・アダモ略歴」http://www.pastelnet.or.jp/users/kyoya-u/adamo/ADAMOProfile.htm から,任意に,つぎの項目だけを引用しておきます。
なおここで,「 」内の挿入は本ブログ筆者である(2010.10.25 06:39:52)。
1943年11月1日 シシリー島,コミゾに生まれる(国籍は「イタリア」)。
1987年(43歳) フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章勲「三等」授与。
1991年(47歳) ベルギーの王冠勲章授与。
c)「管理人です。追伸させていただきます。
『Adamo(アダモ:Salvatore Adamo)』 http://www.japan-post.com/music/zartist/06700/6698.php には,こう記述されております。これが,アダモに関する正しい履歴の一部であるならば,アダモはイタリア人であると同時にベルギー人でもあって,しかも「フランス人にもなっている」といっても,構わないと思います。
[1943-11-01] イタリア・シシリー島コーミゾ生まれ,ベルギー・マルシネル育ちのイタリア移民系ベルギー人。--どこの国でも,歌手であれなんであれ「有名人」であれば,誰でも〈自国人〉にしたがるもののようです(管理人です:続き,2010.10.25 06:52:25)。
d)「大変参考になりました。今時,外タレという死語を使う人がいまだに存在している事におどろきました。多分70歳前後の男性の方だとおもわれますが,あまりにも棘のあるコメントに呆然としています」
「あなたが40年前の自分と比較してずいぶん精神的にも肉体的にも変化があるようにアダモ氏も同じように年を重ねてきているわけです。歌手として否定されていますが,一度フランスやベルギーのニュースでも見たらいかがですか? サラリーマン風の衣装とゆうことですが,お気にめさないご様子」
「今時風の衣装がお気に入りならそういうコンサートに行く事をお勧めします。衣装を取替えひっかえの歌い手を見に行って下さい。派手といえば小林幸子さんなんかオススメだと思います。 石のように硬い頭が少しでも柔らかくなるような人生の生き方をしてみてはいかがでしょうか?」 shinbei(2010.12.07 06:05:27)
補注)ここで本ブログ筆者から一言。小林幸子風に衣装をとっかえひっかえするアダモの舞台を聴きたいといったふうにまで,筆者はいっていないが,このようにも解釈できるのか? アダモも時には派手めの衣装は,たくさん着て歌っていた。この事実はネット上にみることのできる「アドモの画像」あれこれに接したら,ただちに諒解がいく。もともと,歌手もそういう商売でしょう。
e)「管理人様 お返事有難うございます。外タレのことについては外タレ天国,日本,が死語になっているのではないかと現在思えるという意味で使いました。昔のように日本で荒稼ぎす〔る〕ような歌手は昔ほどいないような気がします。サン・トワ・マミーのあと聞くに堪えられず,お帰りになられたそうですが残念でなりません。
次の雪が降る,では,出だしから,歌詞を間違えて “雪が降る,重い心に” で始まってしまいました。間違いに気が付いてもう一度歌い直しました。もし管理人様が聞いていたら,ボケたか,アダモ,のみだしでさんざん書かれただろうと思います。残念でしたね」。shinbei(2010.12.07 10:51:45)
f)「はじめまして,アダモの検索をして以来,時々来て勉強させて頂いてます。 右翼の事は全くその通り,更に言うなら東京でも神奈川でも街宣車を持つ不良組織は沢山有りますね」
「別のカテの在日の件でも差別意識とかは全然無いですが,元ツッパリとしてはカッコイイって対抗意識を持って最近流行りのリスペクトした人が在日って事が分かり,仕事で知り合った人が尊敬出来る人の多い事も有り,もっと仲良く出来ないものかって考えてます」。寿朗(2012.03.08 11:08:44)
g)「アダモの検索をして偶然にこのサイトを見つけ,書いてる事柄で色々と勉強させて戴いてます。ありがとう。寿朗」(2012.04.04 05:26:27)。
※-7 その後みつけた関連の記述
以上※-6まで書いたところで切りあげようと思っていたが,最後につぎのブログの記述に出会ったので,これを紹介しておく。
最近のアダモさんの状況は,どうなのか気になっておりましたが・・・,年齢的にも極力活動を控えているのでしょうか?
2010年のジャパン公演時には,(行かれたお客の批評コメントでは),劣った歌唱力と衣装さえもサラリーマンよりダサい等と評されておりますし,プロとしては認めたくない歌声だったとか・・・もしチケット代金に値段を付けるなら精々¥2500位だとか・・・!
このコメントをみると,やはり・・・・と言うか,ソロソロ引退? 分かりませんがね。曲作りやプロデュースの方に専念されるのが良いのかも・・・ですよね。(残念ではあるけれど)
註記)http://ameblo.jp/tabiwa-utazure/entry-11746802806.html 『会津の平ちゃんのブログ』2014-01-10 02:16:00)。
つぎは【2019年12月25日 補遺】となる。
最後に「さようなら,アダモ。10年ぶり,最後の来日公演決定!」『アダモ フェアウェル・ジャパン・ツアー2020』2019-10-05,https://www.jiji.com/jc/article?k=000000245.000013555&g=prt と題した関連する文章を紹介しておく。この2020年の公演は前段で紹介してあったが,別途つぎのように言及しておく。
なお本ブログ筆者は,アダモの歌を公演にいって聴いて感じたその「出来具合」を問題にしてきた。この点に関心を向けて話しをしてきただけである。つぎのように説明された「アダモの社会的活動」の評価はさておき,その歌唱力のうまさ・よさを聴きたいだけであった。
したがって,その力が落ちていわば「聴くに堪えない舞台」を披露するようになったときは,さっさと止めねばなるまい,と感じているに過ぎない。本当のファンでなくとも,ただアダモの歌いがよいといって聴いてきた人間の立場からすれば,その「現物」が歌う力を失ってきて,同情心をもって聴いてあげねばならないようになる前に,当人はさっさと退くのが,常識的に考えるまでもなく自然である。プロに関した話題である。
〔ここからが補遺の引用「本文」となる〕 1967年には,初のアメリカ公演と日本公演がおこなわれ,日本では,岩谷時子の日本語訳詞による『サン・トワ・マミー』を越路吹雪が歌い大ヒットとなる。1984年,アダモは心臓病を患い,バイパス手術を受けざるをえなかったが,病後初仕事として,同年11月には来日公演をおこなっている。アダモの日本でのコンサートはのべ50回を超えている。
アダモは社会貢献にも積極的で,1993年からベルギーのユニセフの親善大使としてブリュッセルより,アフガニスタン,ボスニア,ベトナム他の国々を訪れた。彼の各国での功績により,フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章三等授与,ベルギーの王冠勲章授与,日本の旭日小綬章を授与されている。
プロの歌手は,プロとしての歌唱力を維持・保証できなければ話にならず,落第である。われわれ素人ののど自慢が,親友たちの下手な歌を,カラオケに付きあいでいって聴かされるのとは別次元の〈なにか:プラスアルファ〉が,プロの世界では要求されて当然である。
たとえばフランク・シナトラも,晩年はひどい声(タバコと酒で荒れてしまった喉)によるその歌唱力になっていた。だから,もう聴くに堪えない歌手になりはてていた。シナトラも自分の止めどきを認知できなかった。アダモの場合みたく,とりあえず「勲章をもらった,どうのこうのという次元の話題ではなかった」が。
歌唱力をプロとして維持できなくなった歌手が,いつまでも「昔取った杵柄」ではないが,まだまだ歌えるつもりでいても,実際には「下手クソになった」自分の喉をありのままに認知できないようでは,はたが迷惑するだけである。
「カネをとって」「歌を聴かせる」ならば,それなりの「上手な歌唱力」と「綺麗な発声」を維持していなければならない。その当たりまえの注意事項が判らないようでは,いまは故人だが,あの淡谷のり子先生にこっぴどく叱られるゾ。
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