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旧「満洲国」財政と阿片問題
※-1 まえがき
本稿は,初出が2008年8月27日であった記述を一度,2016年5月11日に更新して再公表していた。これをさらに,本日2023年11月30日にあらためて更新し,復活させている。
付記)冒頭画像は後段で登場させる里見 甫,東京裁判での姿。
問題として論じた課題は,旧大日本帝国時代に日本のカイライ国であった「満洲国」-中国では偽満州国と誇称する-において,その国家財政の基盤を支える材料となり,しかも公然の秘密として活用された阿片の政治問題と関連性をもっている。
つまり,本稿は標題を『旧「満洲国」財政と阿片問題」と題しているけれども,2008年当時,日本相撲協会の現役力士であった「若ノ鵬,大麻所持で逮捕」という事件を受けたかっこうで,「大東亜(太平洋)戦争」と国家組織によるアヘン密売 問題にまで議論を関連づける討究をおこなっている。
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※-2 若ノ鵬の大麻所持事件
『毎日新聞』2008年8月18日18時54分配信のニュースが,当時,こう報じていた。
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「乾燥大麻を含んだロシア製のたばこを隠しもっていたとして,警視庁組織犯罪対策5課と本所署は〔2008年〕8月18日,ロシア国籍で大相撲間垣部屋所属の幕内力士,若ノ鵬寿則(としのり,本名はガグロエフ・ソスラン)容疑者(20歳)=東京都墨田区錦糸1=を,大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕した。組対5課などは同日,間垣部屋とガグロエフ容疑者の自宅マンションを家宅捜索し,吸引道具の水パイプなどを押収した」。
本ブログ筆者は最近(ここでは2008年夏のこと),第2次大戦期というよりも大東亜戦争から日中戦争,満洲事変までさかのぼって,旧日本帝国が戦争用に調達・販売して莫大な収益を上げ,これを属国だった「満州国」や中国支配占領地の統治・経営のために充てて〈利用〉してきた歴史に関心を抱いており,関連する文献をひもとき,勉強している最中であった。
以下に関連する諸史料も併せてかかげるかたちで,当時の歴史的な事情・背景をしるうえで参考になる説明の一助としたい。
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侵出していきカイライ国をさらに置かせた
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それらの文献によれば,旧満洲国はむろんのこと,日中戦争開始後半年が経過したころ,華北に成立させた「中華民国臨時政府」(1937年12月14日,行政委員長:王 克敏),その3カ月後にさらに成立させた「中華民国維新政府」(1938年3月28日,行政院長:梁 鴻志)など,日本帝国のために置かれた傀儡政権の国家財政基盤の相当部分は,アヘンの調達・製造あるいはその密売によって支えていたという歴史的事実が解明されている。
※-2 里見 甫-アヘン王といわれた人物-
2008年8月16日の『朝日新聞』は,「アヘン王,巨利の足跡 新資料,旧日本軍の販売原案も」との見出しで報じたのは,日中戦争中,中国占領地でアヘン流通にかかわり「アヘン王」と呼ばれた里見 甫(1896~1965年)が,アヘンの取扱高などをみずから記した資料や,旧日本軍がアヘン販売の原案を作っていたことを示す資料が,日本と中国であいついでみつかったことである。
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☆-1 日本側の資料は,日中戦争後,日本が南京に成立させた「中華民国維新政府」内に部局が置かれ,民間の営業機関として宏済善堂が上海に設立された。昭和16〔1941年〕度の取扱高は3億元(当時の日本で約1億5500万円,現在の物価で約560億円に相当)だったという。里見 甫がこの宏済善堂の理事長になっている。
☆-2 中国側の資料は,倉橋正直(愛知県立大学,中国近現代史)が,南京の中国第2歴史档案館で発見した,極秘印がある「中支阿片麻薬制度ニ関スル参考資料」と題する文書などである。この文書は,1938年10月1日付で軍特務部が作成していた。
☆-2の文書によると,蒋 介石政権はアヘンの取扱を厳禁していたが,旧日本軍の特務部は中毒患者の救済を名目に許可制とする布告文案を作り,中華民国維新政府に示していた。台湾や旧満州国の実績から,維新政府の税収を3173万元(当時の日本で2322万円,現在の物価で約111億円に相当)とみこんでいた。当時,駆逐艦の建造予算が1隻676万円であった。戦艦大和の建造費が1億4287万円であったという。
里見 甫は戦後,極東国際軍事裁判法廷に提出した宣誓口述書で,自分は宏済善堂の副董事長(副理事長)で,董事長(理事長)は「空席」と供述。幹部の顔ぶれや経理の詳細には触れず,アヘン以外のヘロインやモルヒネは扱わなかったと主張していた。
つぎの写真は,1946年9月4日,極東国際軍事裁判の法廷にアヘン問題の証人として出廷した里見 甫である。
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※-3 真相は闇のなかへ
問題は里見 甫の戦後における処遇であった。A級戦犯に相当する戦争犯罪を民間人として犯したはずのこの里見が,東京裁判で証人に呼ばれただけで無罪放免になったのには,それだけ〈深い訳〉=国際政治的な背景事情があったのである。
話は多少ずれるが,1992年に日本共産党を除名処分にされた野坂参三は,過去におけるそうした国際政治の深い闇のなかで活躍した1人である。野坂に関しては「ソ連と米国との二重スパイ説」があるが,真相はそれどころではなく「ソ連・米国・中国の三重スパイ説」が唱えられてもよいのである。しかし基本的には,日本人としての主体性・民族性をもちながらも「アメリカの手先だった」と判断するのが妥当である。
歴史をさかのぼれば英中のアヘン戦争から始まっていた「各国による舞台裏での麻薬の製造・販売行為」であるから,アヘンの問題はなにも日本帝国だけが手を染めていたものではない。それだけではなく,第2次大戦中の米・英・ソ・中など,連合国における政治・外交的な「内部の駆け引き」をめぐっての暗闘にもかかわる問題であった。
里見自身はけっしてアヘン問題の核心を語らなかった。したがって,彼は消されもせず生きのびることができたが,もしもこの里見が戦争中におけるアヘンに関する事実をすべて語ってしまえば,第2次大戦後における東西対立の世界政治構造にも一定の影響を与えうるほどの重大な問題を露呈させたにちがいないのである。
しかも里見は,戦後の経過のなかで「もし自分が消されるようなことが起きれば,アヘンにかかわる未知の多くの事実をばらす」文書を某所に預けており,こうした対抗手段を講じておくことで自身を護ることを忘れていなかった。
--以上の記述についてさらにくわしくは,つぎの諸文献を参照してほしい。きっと興味深く読めるものばかりだと思う。とくに最近刊行されたもの,あるいは入手しやすいものを主に,以下の7冊に限定した。
なお,旧ブログを記述してから8年ほど-2023年11月だと15年-が経過しているので,入手の事情については変化があるかもしれない。なかでも山田豪一の本(定価)は高価である。
二反長半『戦争と日本アヘン史-アヘン王 二反長半の生涯-』すばる書房,1977年。
江口圭一編著『資料 日中戦争期アヘン政策-蒙疆政権資料を中心に-』岩波書店,1985年。
江口圭一『日中アヘン戦争』岩波書店,1988年。
西木正明『其の逝く処を知らず-阿片王・里見甫の生涯-』集英社,2004年。
山田豪一『満洲国の阿片専売-「わが満蒙の特殊権益」の研究-』汲古書院,2004年。
佐野眞一『阿片王-満州の夜と霧-』新潮社,2005年。
千賀基史『阿片王一代-中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯-』光人社,2007年。
倉橋正直『日本の阿片戦略-隠された国家犯罪-』共栄書房,2005年。
倉橋正直『阿片帝国・日本』共栄書房,2008年。
【参考記事】-この記事の「後編」は検索しても出てこない-
※-4 若ノ鵬と里見 甫を比較するとどうなる
よくいわれるが,「人をひとり殺したら大きな犯罪だけれども,戦争や悪政などで政治家が多数の人びとを殺しても,たいした犯罪にならない」。中国では1958~1962年に,毛 沢東の政治指導がたいそう不調で,一説によれば3千万人もの人民が餓死したという。文化革命時には2千万人も殺したという説もある。いずれも真相は闇……。
ソ連のスターリンも,ものすごい数の人民を,反革命行為の疑いをかけて殺したり,食糧不足で飢え死にさせたりしてきた。その被害者,2千万人を下らないという計算もある。第2次大戦時,ソ連はそれと同じくらいの「自国の人口」を,戦禍のせいで死なせた。
「ナチス:国家社会主義国」のヒトラーによるユダヤ人などの虐殺6百万人という数字もすごいが,「社会主義国であったソ連邦」のほうが,もっとすごかった,一桁上まわっていた。
偉大な政治家といわれた人間が為政に失敗してもろくに責任をとらない事例は,歴史上いくらでもある。若ノ鵬と里見 甫の,いったいどちらが,どのくらい悪いのか,比較のしようがないかのようで,けれども一考の価値があるかもしれない。
里見に比べてみれば,若ノ鵬など〈芥子の1粒〉ほどの存在にもならないか? 芥子(ケシ)の種は食材として,あんパンの上に振りかけられて〔トッピングされて〕いる,あのきわめて小さい粒状の種=穀物である。
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ただし,あんパンに使われるケシつぶは,焙煎などの加工がおこなわれ,発芽能力を除いて(殺して)ある。これを蒔いて栽培することはできない。この点は,その「あんパンのケシつぶ」をみて,変な気持を起こしそうになるかもしれない人たちへの説明=お断わりである。
なお,芥子(罌粟)の栽培は法律で禁止されている。
【追 記】 岡田芳政・多田井喜生・高橋正衛編:解説『続現代史資料 12 阿片問題』みすず書房,2004年。本書は現在,オンデマンド版で版元が販売している。こちらの税込価格は 14,300円。
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