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いま日本の大学のなにが問題なのか

「少子化の流れは加速化,大学の大部分は不要化」という時代の兆候がある。もともと高等教育というには恥ずかしかった日本の大学「全体像」。いまごろにもなってから,「2040年以降,定員の2割満たせず」と報道される呑気さときた。
 

 ※-1「少子化加速,迫る大学淘汰 40年以降に定員2割過剰 文科省推計 入学者数,下振れの可能性も」『日本経済新聞』2023年7月15日朝刊38面「社会」

 a) この記事を引用する前に,その2040年になるころには少子化の影響をもろに反映させて,日本の大学はそれこそ,まだ生き残っている(?)Fランク大学もこみでの話題となるが,定員の2割は過剰というか「不要になる」という点は,実は(本当は),少子化の大波(荒波?)が襲来する以前から周知の事実であった。

 遅いか早いかの違いはあれ,予測するまでもなくそうした事態の到来は,昔から事前に分かりきっていた「18歳人口」に関する大学関連の社会情勢変動であったはずである。

 しかもその間に,専門職大学という通常の4年制大学と短期大学と専門学校の,単なる混ざりものでしかない「新しい高等教育機関」が制度として発足していた。この専門職大学は,2017年5月24日の学校教育法の改正によって設けられた日本の職業大学であり,修業年限は4年,卒業すれば「学士」の専門職学位をえられるというが,いったいなんのための新制度としての大学制度なのか,とうてい理解不能であった。

 その専門職大学とは,大学でもなく専門学校でもないが,同時にまた,高等専門学校(高専)や短期大学とは違い,「4年制の大学」である。日本の大学はすでに「エリート⇒マス⇒ユニバーサル」の段階はとうの昔に通過しており,このユニバーサル段階に適用して登場した大学:高等教育機関としての「専門職大学」という制度と受けとめられる。

高等教育制度の段階移行-クリックで拡大・可

 しかし,いまさらなにゆえ「屋上屋を架したところ」にさらに「屋根裏部屋」を密造するみたいな,つまり,専門学校でもその程度の教育内容ならば,十分に提供できているはずの教程を,中途半端に「専門職大学」と名づけて設置させたのか,きわめて不可解であった。

 高専(高等専門学校)の場合,その大部分が国立であるせいか,国立大学の編入学への迂回経路に活用されてもおり,かなり学力の高い学生がこの高専には進学している。しかし,専門職大学とはいっても専門学校との間では,学生の奪い合いが発生する。

ネット上には,「国が鳴り物入りで設置した『専門職大学』制度は結局のところ,専門学校の4年制化に過ぎないのでしょうか? 設置母体を見ているとそう思ってしまいます」という指摘があるが,もっともな意見である。

専門職大学の「?」

b) さて,以下からが『日本経済新聞』記事の引用となる。

 少子化で大学の生き残り競争が一段と激しくなる。文部科学省は〔2023年7月〕14日,大学入学者数が2040年に51万人,2050年に49万人になるとの推計を示した。総入学定員が現状のままなら2割分が過剰な状況が続くが,見積もりが甘いとの指摘も出ている。学生の質を高めるには定員の削減とともに,各校が教育改革で競う仕組みをつくることが求められる。

大学進学率と入学者数の関係

 推計入学者数は18歳人口に大学進学率をかけ,外国人留学生らを足して出す。文科省は2018年に初めて推計を公表し,2040年に51万人とみこんだ。2040~50年が対象の今回も2040年は51万人で変わらず,2041年以降は49万~50万人で推移するとした。

 2022年の63万人からは2割減るものの,下げ止まりの状態が続くのは進学率が上昇すると想定するからだ。低所得世帯向けの奨学金拡大などにより,現在の50%台半ばから60%まで伸びるとする。外国人留学生も新型コロナウイルス禍前の水準に戻るとみる。

 補注)この記事の説明・解説に疑問を感じる人が,おそらく少なからずいるのではないか?

 いくら進学率が増えていくといっても,日本の大学進学率が50%にまですでに到達し,超えている高等教育の実情(2023年度の進学率は54.5%)として,そもそもその名に値する教育水準,つまり「高等であって大学らしい教育が学術的にかつ専門的に可能・成立する学力層の学生を相手になされうる水準」を確保できているかといえば,

 その点は,20世紀の段階ですでに,一流大学以外の諸大学では実質的にかつ平均的には不可能・未成立になっていた。それゆえ,この現実問題の側面・要素を考慮外にしたまま,この記事のように報道するのは,問題意識のなさに愕然とさせられる。ともかく記事の引用をつづけよう。

〔記事に戻る→〕 少子化は予想以上の速さで進む。同省は今回,国立社会保障・人口問題研究所の推計値を使って2040年の18歳人口を82万人とみこんだ。しかし,ほぼ202040年の18歳人口となる22年の出生数は日本人だけで77万人,外国籍の子を入れても79万人だった。推計には早くも狂いが生じている。

【参考資料】-『東京新聞』から借りた-

出生数・合計特殊出生率の推移

 進学率上昇や外国人留学生の増加も,経済情勢が悪化すれば実現は不透明になる。同省が推計を提出した〔7月〕14日の中央教育審議会大学分科会では,委員から「多めに見積もっており,変える必要はないか」との指摘が出た。

 同省担当者も「2040年の数字は今回示した数字よりも少なくなる可能性はある」と説明し,中教審での議論でも下振れを視野に入れて対策を検討する必要があるとした。

 入学者の減少は授業料や入学金が減ることを意味する。とくに影響を受けるのが収入の7割を授業料などに依存する私立大だ。

 日本私立学校振興・共済事業団によると,2022年春の入学者が定員割れした私大は47.5%(284校)と調査開始以来,もっとも高くなった。私大の3割は赤字だ。

 すでに女子大では学生募集を停止する動きが広がりつつある。リクルート進学総研の小林 浩所長は「不採算の大学部門から撤退する学校法人は今後も増えるだろう」と語る。

 生き残りのため,学力不問の入試や極端な学費値下げといった安易な学生集めも広がりかねない。選抜機能の低下や資金不足による教育環境悪化は人材の質を劣化させ,国際的な競争力の衰退をもたらす恐れがある。

 筑波大の金子元久特命教授(高等教育論)は「質が保たれるなら,入学定員を減らして適切な大学規模をめざすのも選択肢となる」と語る。

 補注)この上の2段落の指摘をもっと考慮に入れた議論が必要であるが,すでに大昔から判りきっていたこの種の指摘がただ反復されているだけで,まことに呑気な「大学問題に関する議論の状況」が,いつまでも停頓しつつもなお持続中である。

 人口が急激にかつ絶対的に減少しだしているいまの時期に対面しているからには,そもそも大学の総定員を減少させないといけない現状認識じたいが,そもそも基本的におかしい。

 日本の大学もユニバーサル化してから久しい。人口の趨勢が減少しているといっても,しかも少子高齢化した時代のその現象だとなれば,なんらかの方向性を決めて大学の定員そのものを,時代を先取りしたかっこうにもする要領でもって,それこそいち早く絞りこむ必要があった。

 そうした点「問題意識と今後への展望」は「火を見るより明らか」な必要性があるなかで,その中身の詮議もさることながら,専門職大学を2017年から発足させていた事実は,まるで時代の流れに逆行していた。

 いったい,なにを考えてだが,既存である高等教育機関にその専門職大学をもちだし,「屋上屋を架した」のか,奇怪にさえ感じさせる。

〔記事に戻る→〕 政府の教育未来創造会議は2022年,私学助成の配分方法を見直して大学に定員削減のインセンティブを与えるよう求めた。文科省も今後,定員減を促す策などを検討していくとみられる。

 規模が縮小するなら,各大学の教育力を高めなければ国全体の力が衰える。大学は魅力ある教育プログラムを打ち出し,優秀な学生を引き付けることで生き残りを図る必要がある。

 補注)この大学全体の「規模が縮小する」ことと「大学の教育力」とは,本来,別々の問題であった。それぞれに,前者の問題は時代の流れのなかで少子化を受けて,これはどうしても不可避の時代の傾向だと理解する必要があった。また,後者はいつの時代であっても大学として,改善・向上が求められる課題であった。いまさら,あらためてどうのこうの議論される論題でもなかったはずである。

 しかし,「その種の問題」がいまごろにもなってだが,「少子化の現実と大学の余剰の対応問題」として,あらためて議論をしはじめるというのであれば,この国にはもともと「教育は百年の大計だ」といったもっともだいじな文教政策に関する基本理念が希薄であった,と批判せざるをえない。

〔記事に戻る→〕 参考になるのがデジタルや環境といった成長分野で企業や行政と連携し,教育・研究力を磨く大学の取り組みだ。

 滋賀大学はデータサイエンス学部を国内で先駆けて2017年に設置した。企業との連携に力を入れた結果,志願倍率が高くなった。関西学院大は脱炭素事業に取り組む企業を訪問する演習科目を設けるなどしている。

 補注)前述してあったが,その同じ2017年から専門職大学が制度として発足していた。もはや,大学とその定員総数そのものに関した話題であるよりも,「大学の質の問題」が緊急を要する検討課題になっていた。かつまたそれ以上に,これからの時代を飛び超えていくために跳躍台となりうる大学の登場が,国家の文教政策に突きつけられていた。

〔記事に戻る→〕 国には規制緩和でデジタルなどの分野にシフトするための学部改組をしやすくするといった後押しが求められる。

 筑波大の金子氏は「各大学が研究力や教育内容を積極的に情報公開するなどし,教育の質が高い大学に学生が集まるメカニズムを作ることが重要だ」と話している。(引用終わり)

 以上,『日本経済新聞』2023年7月15日朝刊が掲載した大学問題に関した報道は,政策提言そのものを議論する解説記事ではないから,あれこれとそこまでは要求できないものの,日本の大学事情をもっとまともに総合的に踏まえた議論にしてほしいところであった。
 

 ※-2 光文社新書から任意に大学関係の本を順に紹介し,そこにみえてくる「日本の大学事情」の低空飛行ぶり

 a) 石渡嶺司『最高学府はバカだらけ-全入時代の大学『崖っぷち』事情-』2007年9月

石渡・本書の宣伝文句から引用する。

 大学全入時代をほぼ迎えたいま,私大では定員割れが続出し,潰れる大学も出てきている。こうした,世間からそっぽを向かれた「崖っぷち大学」は生き残りに必至だが,それは,東大や早慶上智,関関同立といった難関大といえども他人事ではない。どの大学も受験生集めのためにあらゆる手を尽くしている。

 ところが,その内容は,青入試で辞退さえしなければ誰でも合格,就職率や大学基本情報の非公表・偽装,イメージをよくするために大学名を改名(秋田経済法科大学からノースアジア大学へ),新しいことを学べる新学部を設立(シティライフ学部や21世紀アジア学部を新設)などなど,世間の常識と大いにズレていて,どこかアホっぽいのだ。

 本書では,こうした大学業界の最新「裏」事情と各大学の生き残り戦略を,具体例をふんだんに交えながら紹介していく。

石渡嶺司『最高学府はバカだらけ』から

b) 河本敏浩『名ばかり大学生-日本型教育制度の終焉』2009年12月。

 この本を紹介する宣伝文句は,こう書かれていた。

  ◎ 21世紀の大学生は,70年代の暴走族レベル?
  ◎ 入試問題や教育関連の統計データの分析から,新たな視点で教育問題に対する処方箋を提示する。

  ●「ゆとり教育」が学力低下の原因なのか? 
  ● 小学校・中学校のカリキュラムをいじれば,学ぶ意欲が増し,学力は底上げされるのか?

  ● そもそも学力低下は本当か?
  ●『分数ができない大学生』の恐るべきあやまちとは?

  ● 暴走族,校内暴力,援助交際,学級崩壊の原因はすべて同じ?
  ● 突然,モンスターペアレントが大量に現れた理由は?

  ● 学力日本一の秋田の大学進学実績はなぜいまいちなのか?
  ● 大学入試の点数は,入学後の成績とまったく関係ない?

【本文より抜粋】 
 問題は学力論ではなく大学論なのである。まず議論の出発点を大学教育,あるいは選抜試験のありようから始めるべきなのではないか。小学校や中学校,高校を「改革」しても誰も踊らないが,大学入試が変われば,教育熱心な家庭は一斉に変化する。だから,小中高の小手先の改革はすべてやめた方がいい。

河本敏浩『名ばかり大学生』から

 c) 水月昭道『ホームレス博士-派遣村・ブラック企業化する大学院-』2010年9月。

 この本は,つぎのように説明事項が,販売用の売り文句として高唱されていた。

 「東大卒の博士でも就職率は40パーセント程度」
 「職なし・非正規博士は10万人」

 --悪化する「高学歴ワーキングプア」問題の解決策を,渦中の僧職系博士が考察する。(水月昭道・引用終わり)

 1991年ごろから始まった大学院重点化政策,すなわち, 文部省令の改正による「大学設置基準の大綱化・簡素化」が契機となって一気に大きくなった大学院の設置ブームが,大学界側の推進によって大いに実現されていたけれども,結果はこの水月昭道の書いた本のごとき事情が,それこそ社会問題になって頭をもたげていた。

 この水木の本が出版されたのは2009年であるが,大学教員の労働市場はあいかわらず,いまも逼迫状態のままである。

 いまも,プアー・ドクターが日本社会に排出されつづけているのが,日本の高等教育でも大学院分野の実情である。当然,大学院への進学率は低迷するという事実が,最近の大学事情としてあらわになっていた。その最新の事情については,つぎの記事を参照されたい。

 この田中圭太郎 : ジャーナリスト・ライター「『大学院進学』の減少が止まらないこれだけの理由 進学希望は多い一方アカハラや学費等の悩みも」『東洋経済 ONLINE』2023/06/29 5:40 を一読した人は,きっと驚かされるはずである。

 d) 石渡嶺司・山内太地『アホ大学のバカ学生-グローバル人災と就活迷子のあいだ-』2012年12月

 本書の「バイ」の口舌は,こう表現していた。

 出版社からのコメント ◎TOEICで100点台を取ってしまう学生,ツイッターでカンニング自慢をしてしまう学生から,内定取りまくりのすごい学生,グローバル人材まで,今日もキャンパスは大騒ぎ。

 『最高学府はバカだらけ』『就活のバカヤロー』の石渡と,日本の全大学を踏破した大学研究家の山内が,日本の大学・大学生・就活の最新事情を掘り下げる。

 難関大なのに面倒見のいい大学,偏差値は高くなくても在学中に鍛えあげて就職させてくれる大学,少数精鋭,極限の「特進クラス」をもつ大学,グローバル人材といえばあの大学,などなど,お役立ち最新情報も満載。 廃校・募集停止時代の大学「阿鼻叫喚」事情。

 阿鼻叫喚? 専門職大学もまた,その舞台を新しく提供する教育機関になっていないか?

 e) 光文社の新書版ではないが,最後に三浦 展『下流大学が日本を滅ぼす! -ひよわな “お客様” 世代の増殖-』KKベストセラーズ,2008年8月という本もあった。

 この三浦の本に対して寄稿されたアマゾンの書評のうち,つぎの2008年9月17日付きの感想文を紹介してみたい。

 題名は「提言には納得ですが…」

 前半は大学の教員が読んで溜飲を下げる内容に終始。偏見に満ちた文章が多いことが気になったが,象徴的に書こうとした結果とできるだけ好意的に受けとり,最後まで読み終えた。

 驚いたのは,大学の入学式にビデオカメラをもった親が武道館にあふれるそうだ。そして人数制限をしない大学では祖父母や,乳幼児を連れた親類もついて来るし,ビデオ撮りに便利な場所を目がけて走る親も多いという。

 ちょっとその感覚が信じられないし,幼稚園や小学校の出来事ではないのかと思ってしまう。自分のころに入学式に親と出席したなんて聞いたこともない。この現象がすべてを象徴しているように思われる。

 終盤で著者は非常に良い「教育制度改革」の提言をしている。私もまったく同感である。

  1,大学は定員を絞り進学率は20%程度にし,大学生となった者には専門知識と幅広い教養を身につけさせる。

  2,社会に出て役立つ職業大学を作る。

  3,いつでも学び直せ,コース変更を容易にする。

  4,インターネットを活用しどこでも学べるオンライン大学を普及させる。

 可能性がある子供たちを大人たちがしっかり導いてやらなければならないし,まずお手本となる大人が凛と背筋を伸ばした姿をみせるべきではないかと,個人的な感想をもった。 (引用終わり)

 2022年に日本で生まれた79万人の新生児が18歳の年(度)になるとき,もしも大学への進学率の枠が20%に限定されていたら,実際に大学に進学する18歳人口としては,およそ16万人に絞られた新入生の誕生になる。

 はたして,その人数で大学という高等教育のための要員でもって,2040年になったこの日本において必要かつ十分であるかといえば,なかなかそうは簡単に判断できな。しかし,この16万人以外は専門学校へいって,それなりに実業方面の教育を受ければよいことに,いちおうはなる。

 そこで,いきなり要言してみる。

 いまの政権党は大学学部と大学院を中心とする高等教育に関した長期計画が,実質的にはもちあわせていない。それが決定的に不在であることの意味は,もともと,1世紀先をみすえた文教政策の観点を有する政治家がいなかったということになる。

 専門職大学などは無用の用だという以前に,わざわざムダな高等教育制度を整備・追加したというほかなく,雑然とした日本の大学教育の問題整理をさらに不要にも混乱させる制度になった。

 ところで,専門職大学以前に大学院でも専門職大学院が数多く設立されていたが,法科大学院はその半数(以上)が壊滅してきたし,そのほかのとくに会計大学院でも閉校されたところもある。

 2015年の報告であったが,日本公認会計士協会・会計大学院協会『会計専門職人材調査に関する報告書』(平成27年6年25日)は,「(4)総括分析」という段落でこうまとめていた。

 本調査で収集・分析した情報から判断するかぎり,「会計離れ」が起きている可能性は高い。また,公認会計士試験の不人気がその原因の一部であることは否定できないものの,公認会計士試験の受験者が年間1万人程度であることを考慮すると,それ以外の原因も大きな影響を及ぼしていると考えるのが妥当であろう。

 今後データの収集を進め実態を解明するとともに,アンケート調査等で「会計離れ」の原因分析を進めることが重要である。また,単に会計学専攻者の数ではなく,その質,例えば「トップクラスの学生が会計を専攻することが少なくなった。」といった声も聞かれる。

 本調査においては,このような「質」を検証することが困難であることから,「質」の側面に立ち入った調査は行っていない。なんらかの調査アプローチを立案し,質の面での調査をおこなうことも有用であろう。
註記)以上の文書の住所は,https://jicpa.or.jp/news/information/files/5-99-0-2-20150625.pdf

『会計専門職人材調査に関する報告書』

 学生募集停止した会計大学院は,一覧するとこうなっていた。

 愛知淑徳大学(大学院ビジネス研究科会計専門職専攻)--2007年(平成19年)に開設,2010年(平成22年)より学生の募集を停止。

 愛知大学(大学院会計研究科会計専攻)--2006年(平成18年)に開設,2014年度(平成26年度)より学生の募集を停止。

 法政大学(専門職大学院イノベーション・マネジメント研究科アカウンティング専攻)--2005年(平成17年)に開設,2015年度(平成27年度)より学生の募集を停止]。

 甲南大学(大学院社会科学研究科会計専門職専攻)--2006年(平成18年)に開設,2015年度(平成27年度)より学生の募集を停止し。

 立命館大学(大学大学院経営管理研究科アカウンティング・プログラム)--2006年(平成18年)に開設,2015年度(平成27年度)より学生の募集を停止。

 中央大学(専門職大学院国際会計研究科)--2002年(平成14年)に開設,2017年度(平成29年度)より学生の募集を停止。

 以上の有名校まで含んだ会計大学院の没落・消滅を目の当たりして,われわれはどう感じる?

 補注)なお現在においてこの会計大学院は,12校で開設されている。

  北海道大学(大学院経済学研究科会計情報専攻)
  東北大学(大学院経済学研究科会計専門職専攻)
  早稲田大学(大学院会計研究科会計専攻)

  明治大学(専門職大学院会計専門職研究科会計専門職専攻)
  青山学院大学(大学院会計プロフェッション研究科会計プロフェッション専攻)
  千葉商科大学(大学院会計ファイナンス研究科)

  LEC東京リーガルマインド大学院大学(高度専門職研究科会計専門職専攻)
  大原大学院大学(大学院会計ファイナンス研究科)
  関西学院大学(専門職大学院経営戦略研究科会計専門職専攻)

  関西大学(大学院会計研究科会計人養成専攻)
  兵庫県立大学(大学院会計研究科会計専門職専攻)
  熊本学園大学(大学院会計専門職研究科アカウンティング専攻)

 関連して断わっておくと,2004年度に制度が創設され発足した法科大学院の場合,最多時には74校まで設置されていたものが,またたくまにといってもいいが39校が廃学した。その比率は,39校 ÷ 74校 = 約53%。
 

 ※-3 以上の議論に関連した記事2点を紹介する

 1)『日本経済新聞』2023年7月14日夕刊から。

『日本経済新聞』記事

 2) 本日のこの記述の結論そのものではないが,このドイツの関係識者の意見を日本が参考にするのが有益と判断し,全文を紹介してみたい。

     ★ エコノミスト360°視点 教育改革はドイツにならえ ★
 = イェスパー・コール マネックスグループ グローバル・アンバサダー =
   =『日本経済新聞』2023年7月14日朝刊9面「オピニオン」=

 a) 1980年代半ばに東京大学に留学していたとき,ある教授が印象深い助言をしてくれた。「日本で教育について議論するのはカラオケを歌うようなものだ。真の改革は不可能だから,台本に従ってばか騒ぎするのをみて楽しむのが一番だ」と。

 教授の助言は真実だったかもしれないが,当時もいまも腹が立つ。教育はどんな手段よりも人びとを幸せにする可能性を秘めているからだ。

 日本の将来について考えるときも,税制や「新しい資本主義」より教育改革が喫緊であるのは明らかだろう。教育は一国の経済を左右する人的資本にかかわる問題である。

 では日本の教育改革をどこから進めるべきなのか。私の母国であるドイツから学ぶ点は多いように思う。

 b) ドイツの教育は学問的な達成だけでなく,実用的な「マイスター制度」によって多くをなしとげた。まずは制度のおかげで,ドイツ人の半数近くがなんらかの職業資格を持っていることを挙げておこう。

 この資格は平日に「マイスター(師匠)」のもとで実地に働きながら2~3年かけて取得できる。月3~4回は専門学校に通い,理論教育などを受けるのも取得条件だ。

 専門学校の主目的は,技術の基礎となる科学的原理や最新の知見,ビジネスの基礎となるマーケティングなどを職人に植えつけることにある。

 ドイツの職人たちは実地訓練によりその道のスペシャリストとなるだけでなく,自身がマイスターになっても全方位的な好奇心や永続的な学習マインドを身につけられる。

 マイスター制度は進化し,専門学校で履修した授業の単位をもって本格的な大学に編入することが可能になった。これにより配管工や電気技師のマイスターが,大学で物理学や電気工学を容易に深められるようになった。

 c) 日本にマイスター制度を導入すれば,移民受け入れにも好影響をもたらすだろう。ドイツでマイスター資格を得た外国人労働者は国際的に高く評価される証明書を受けとることになる。資格を取得して帰国した人のなかには銀行の融資を受けて新しい事業を始めた人も多くいた。

 日本版のマイスター制度でもこうした好影響が期待できる。ドイツがそうだったように,マイスター制度を経て帰国した外国人労働者が,日本に良い印象を抱く効果もあるだろう。

 大学改革でもドイツは参考になる。もっとも重要だったのは学士号の取得にかかる期間を4年から3年に,博士号は同6~7年から4~5年に縮められるようにした。技術革新により情報収集や分析に必要な時間が短縮され,こうした改革は可能になった。 

 学位取得期間を4年から3年に縮めることは,学習の質に影響を与えず実現可能なはずだ。ドイツの教員たちはこの変更をカリキュラムの刷新機会として受け入れたし,財政当局もコスト削減策として歓迎した。

 私は学位取得期間を縮めることが,日本の大学改革にとってプラスに働くと信じて疑わない。カラオケを歌う時間が少し短くなるにしても,学生たちは早く就業できることを喜ぶだろう。(引用終わり)

 このドイツ人,日本の高等教育事情にいくらかは通じている人士の立場からの助言となっており,傾聴に値する見解を提示してくれた。しかし,問題は,現状の日本における高等教育制度をその根柢・抜本からいじるとなったら,それこそ〈大革命的に急激な変動〉を覚悟しなければならない付近にあった。

 そもそも,そのような変革のための事業取り組みに対して,「教育百年の大計」だからといって真剣に議論し,実際に手がけようとする政治家が,いまの自民党政権のなかには1人としていない。

 「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の国会議員・連中ならば,それこそ雲霞のごとくウヨウヨいるが……。その意味ではお先真っ暗……。

 そういえば,いまから27年も前に発行されていた本に,大礒正美『「大学」は,ご臨終。』徳間書店,1996年9月という書名を付したものがあった。

 日本では「失われた30年」という表現(概念?)が共通認識として存在するが,日本の高等教育はすでにその根幹を「失ってから」だと,この大礒の本が出される以前において,早くから「そうした現実が既往症として存在していた」はずだから,いまとなったところで,そう簡単には「日本の大学を本格的に生き返らせる」ことはできないと,覚悟しておかねばなるまい。

 最後に一言,職業大学は必要だが,途中で話題にあがった「2017年から発足した専門職大学」は,どだいムダな高等教育制度であった。ガラガラポンしなければならない日本の大学制度のなかに,レンガのカケラを放りこんだごとき愚策であった。

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