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1980年代における日本原発妄想史の解明(その3)

 ※-0 前編の「本稿(2)」について

 本日の,この「1980年代における日本原発妄想史の解明(3)」の前編であった「本稿(その2)」は,実は,1980年代における原発の話題はとりあげるに至らず,もっぱら1990年以降における関連の話題のほうに寄り道していた。というしだいで,本日のこの「本稿(3)」では,本筋の原発史問題に戻る記述となって再度,当時の新聞切り抜きなどを利用した議論に戻ることにしたい。

 ※-1 永井清彦「脱原発で西独に遅れるな 「唯一の被爆国」として政治的決断を」『朝日新聞』1986年7月14日朝刊「論壇」

 永井清彦の『朝日新聞』「論壇」へのこの投稿は,「本稿(1)(2)」を読んでもらった人には,なぜ,こうした文章をするのかその意図は理解してもらえると考えている。

 つまり,「原爆の問題」は「原発の問題」と共通する「核問題の基本論点」を有しており,この共通項が本稿全体に対して「議論の出発点」であった基本を忘れてはいけなかった。そうした意味あいを,この永井の寄稿は的確に指摘していた。

ドイツ(東ドイツ地域も当然に含む)はこのように早い時期から
原発の廃絶を企図していた

 ドイツは結局,2023年4月15日をもってすべての原発を廃炉にした。だがこの後における原発関連の施設・装置・部品などの後始末は,単にくず鉄や再生品としてうまく活用できるという経緯になるわけでなかった事実は,すでに,ドイツにおける廃炉事情の実例を介しても,現時点においては十分に既知となっている。廃炉した原発の後始末は,たいそうな「困難を伴った廃炉工程」となって,われわれ人類・人間に大きな負担を課すことになる。

 以下に紹介する記述2編(連続ものの)は,2012年6月9日〔1〕と7月6日〔2〕に公表されていたが,いまから12年前の報告であった。チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に,東電福島第1原発事故は2011年3月11日にそれぞれ発生していた。

 だが,日本はいまだに「原発マンセー」体制を,けっして止めようとしていない。それどころか「核兵器保有国」をひそかにめざしている。しかし,それでは「唯一の被爆国」という文句が泣かないか? それとも,すでに「泣きつづけてきていた」のか?

 要は,2023年4月15日,ドイツは最後まで稼働させてきた原子炉3基の稼働を停止させ,それまで60年以上も続いてきた「原発の歴史」に幕を降ろした。ドイツは事後,2035年までには,再生可能エネルギーのみによる電力供給をめざしているという。

 本ブログが昨日(2024年10月28日)の「本稿(2)」では,つぎの統計図表を引照していたが,ここでも再び参考にしておこう。この図表によると,2011年のドイツにおける太陽光発電の伸びが,気のせいではなく,はっきりと多めに記録されていた。

ドイツはそれこそ不言実行ではなく
有言実行する方途で原発から脱却してきた

今後は再生可能エネルギー体制への全面的な移行をめざしている

 前段に紹介した永井清彦の『朝日新聞』「論壇」への寄稿は,チェルノブイリ原発事故が1986年4月26日に起きていたその3ヵ月後ほどあとになされていたが,それから40年近くの歳月が経っても依然,原発依存症になりたがっている日本(かといっても現在,原子力による発電量は総需要の1割未満)と,すでに原発は廃炉工程に入った現物しかもたないドイツとでは,それこそ雲泥の差が生じていた。

 本ブログ筆者はそれゆえ,日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に対しては「原爆=原発」である理解が,いままでほとんどえられない時代認識のまま核兵器の廃絶だけを叫んだところで,

 「原発を保有するこの国:日本」にも固有である核災害(⇒原発災害)の「可能性:廃絶」までには,なにもつながっていなかった「反核のための運動史」の「あらゆる意味での空しさ」が,まったく自覚できていなかった事実に関しては,深刻な問題性を指摘せざるをえない。

 だが,冒頭に紹介した寄稿,永井清彦「脱原発で西独に遅れるな 「唯一の被爆国」として政治的決断を」『朝日新聞』1986年7月14日朝刊「論壇」は,その問題性を明確に指摘していた。しかし,日本被団協はこうした永井の指摘を正面から捕捉できる感性をもちあわせていなかったらしく,21世紀の現時点までもその基本姿勢を継続させてきた。

 反原発論者として有名な,しかも2011年3月11日に発生した東日本大震災を起因とした東電福島第1原発事故を予測することになった著作をもつ広瀬隆は,それ以前に,数多い著書のなかにはつぎの本があった。

 この本に対しては,アマゾン通販を介してブックレビューがたくさん書かれているが,最初に読めるその書評は,こういう感想を書いていた。

 ハリウッドを代表する西部劇の大スター,J・ウェインは,ガンによって天に召された。亡くなる前に,アカデミー賞の授賞式に現れたJ・ウェインのやせ細った姿は記憶に残っている。

 本書はネバダ砂漠での度重なる核実験と,西部劇のロケ地が近く,とくにJ・ウェイン主演の「征服者」の出演者や関係者の多くが,偶然にも(?)ガンか白血病にかかり命を落とした事を主に取り上げて書かれている。

アマゾンの通販欄「書評」から

 この広瀬の本を紹介したのは,核災害は「戦争と平和」を通じてその双方の事態において,区別なく貫いて発生する必然的な理由・事情・背景があった事実を気づいてほしかった点を,いまさらではあっても,注意を喚起したかったからである。

 1953年,アメリカ大統領であったドワイト・D・アイゼンハワーは「平和のための原子力」を唱えて,いわば電力生産のための発電所に原子力を利用させる方途を,核保有国ではない国々向けに示した。

 けれども「原爆と原発」の双生児的な出自をしっている立場からみれば,関連させては,つぎのごとき事実にすぐに気づくべきであった。

 つまり,核災害が発生するさいの原因が戦争事態であれ平和利用であれ,そのどちらであったにせよ,さらにこれを換言するとしたら,その発生原因の「必然性あるいは偶発性」に相違は残るにせよ,結果として「核災害を発生させる事実そのものの同一性」は,誰にも否定できない〈確然のなりゆき〉であった。

 それゆえ,前段での指摘・批判のように日本被団協の原爆被害だけに限定されてきた核災害「意識」は,放置することができなかったはずの「原発災害」をめぐる問題「意識」について,「われら関せず」の基本姿勢を貫いてきた。しかも,この理不尽じたいに少しも気づくことなかった。それでもともかく,現在までその非核平和運動を継続させてきた。


 ※-2「使用済み核燃料 増加に新たな悩み 貯蔵対策今後深刻に 難問は用地確保」『朝日新聞』1986年11月27日夕刊

 つぎに紹介する『朝日新聞』のこの記事は,※-1につづけて時系列の順版にしたがって拾いならが紹介するものである。

 この解説記事の見出し文句は,呆れるほどにみっともなくも情けなかった「当時なりの原発事情」を教えていた。すなわち,「トイレのないマンション状態」を端的に表現する日本の原発事情を,正直に説明していた。

 当時から現在まですでに38年もの歳月が経ったけれども,原発事情にかかわっての「使用済み核燃料の後始末問題」は,あいもかわらず「ポッチャントイレ方式」も同然というか,実際面において観るに,そのトイレさえ準備できていないような,いわばまったくに「野グ▲状態」に等しい実情にあった。

1998年に原発プール満杯
40年後といったら2028年だが
その間においてこの種の対策に顕著な進展はなかった

 この解説記事が報告した「原発の後工程(バックヤード)」の問題とは,原発が電力生産のために使用した核燃料の,その後における後始末の「工程全般」を指している。

 ところが,いわばこの「原発のトイレ問題」は,当時の時点(1986年)からすでに,すったもんだの議論を惹起させていた。

 しかも,その「核燃料サイクル」における「放射性廃棄物の処理」や「使用済燃料の再処理」,「原子力施設の廃止措置」などの,いわば廃炉工程と称すべき原発問題,いわば静脈的な工程(バックヤードの問題)は,そもそもの話をいうならば,そのように「成立するとか・しないとか」いった以前の段階で,ただモタモタしつづけるばかりに経過してきた。

 ところが,原発の問題じたいは「建設段階⇒稼働段階⇒廃炉段階」の各工程全体にまで,その対象が広がって実在している。にもかかわらず,電力を生産するといった,いわば「動脈的な経路=電力生産工程」にのみ関心がいき,その「静脈的な経路」である「その後に必然して連続する廃炉工程(行程)」は,前段の汚い表現でいえば「野グ▲状態」に放置しておき,十全な関心を向けられることもなしで,ゴマカシつづけようとする原発政策でやり過ごしてきた。


 ※-3「『原発神話』崩れる エネ庁試算の発電コスト 石炭などより割高 今年度 円高が大きく影響」『朝日新聞』1987年1月21日朝刊が伝えるところでは,原発は廃炉工程会計思考に則して分析するとしたら「コスト高」だと判定された

 ここで以下に紹介する記事は,この※-3の標題に書かれていたとおり,従来(以前)であれば「原発の原価(発電単位当たりコスト)」が一番安価だと,それも平然と嘘をついたかのように騙られてきた論点が,2011年3月11日に発生した東日本大震災とこれに惹起された大津波襲来によって東電福島第1原発が超大事故を起こした事件をきっかにして,その種の「俗説的な神話」に由来する言説は,基本的に詐説であった点が指摘されだした。

 そこで紹介するのがつぎの新聞記事である。「原発神話」という表現・用語」が必要とされてきたその裏事情じたいというか,そもそもその怪しさに注意しておくべきなにかがあった点に留意し,読んでみたい報道である。

 すなわち,いくらなんでもこの国が,八百万の神々が全国津々浦々に存在するような「神話が豊富なお国柄」だったとしても,原子力・発電の世界にまで「その神さま的な信心問題をもちこんだすえ,原発は『安全・安価・安心』だとの大虚言=願かけを,つい最近まで通用させてきた事実が問題となる。

 それはまさに,「国策民営」で「包括原価方式」を保障されていた,しかも地域経済社会内では独占企業体制を確保できていた大手電力会社が,まるで「原発教のための宗教法人」と化したがごとき世の中を,つまり原子力村を形成させる中心勢力となっていた。その企業城下町的な電力会社の勢力圏の存在は,この国をあり方を原発体制中心に造りあげていく基盤であった。

 とりわけ「3・11」発生以前の東京電力が擁していた権勢ぶりは,監督官庁の経済産業省さえ睥睨するかがのごとき〈傲岸無双の基本姿勢〉を誇っていた。

1980年代は原発推進花盛りの時期

 だが,2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災とこれに連続して起きた東電福島第1原発事故は,本来よりけっして「安価」とはいえなかった「原発会計政策論」の暗点を暴露させる一大契機を提供した。

 「3・11」という21世紀の歴史に大きく記録されざるをえない原発事故を境にして,とくに経済学者・経営学者・会計学者たちのなかからは,つまり御用学者ではない学究たちが「原発コストは安価だ」という虚偽規定を,真っ向から批判する意見が的確に表明されだした。

 その代表格の学究の1人が大島堅一であった。大島は啓蒙的な書物としてならば,つぎの2著を公刊していた。アマゾン通販を借りて紹介するが,順に2011年と2013年の発行である(アマゾンの紹介では後著の発行年を2012年と記入してあるが,これは2013年1月3日発行であった)。

 きっぱりといいきってしまえば,原発という電力生産方式はもともとコスト計算(原価計算)上は,割が合わない方法であった。だから「国策民営」方式で事業経営をやらせ,しかも「総括原価方式」(きわめて単純なるマークアップ方式)で利潤・利益が保障される商売だとなれば,これで失敗する愚かな大手電力会社の最高経営陣が登場させられるわけなどなかった。

 要は,原発による電力の生産と販売(発電・送電・給電・配電)の事業全般そのものが,いうなれば左うちわの経営管理体制として最初から安易に確保できてもいたゆえ,よほど無能な経営者でなければ失敗などするわけはありえなかった。

 さて,2010年代になると東芝が,アメリカ企業から原発事業部門を買収し,この事業展開で金儲けを始めようとした。だが,東電福島第1原発事故の影響があってからは,安全対策にかかる製造原価がそれこそその年代のうちに倍増するといった事情が生じてしまった事情もあって,

 それまでは,1基4千億円から5千億円であった原発1基の販売価格が,一気にその倍の1兆円(以上)にまで跳ね上がっていった。最近になるとその価格(1基はほぼ100万から120万㎾時の発電性能)が,さらに跳ね上がる価格上昇が出ている。

 要するに,原発の「安全・安価・安心」を確保するためには,現状においてその製造原価のなかに構成されていく手間ヒマ,作業工程として造りこまねばならない諸条件が,その販売価格を異様なまでに高騰させてきた事実をしっておく余地がある。


 ※-4 発電装置としては木偶の坊である原発-再生可能エネルギーによる発電方式とは好対照にもならぬ,ただの悪対象であった『原発のあつかいにくさ』の問題-

 つぎに取り上げる記事は,「フル稼働 前提の原子力発電 出力調整の時代 “人” 人の操作危ぶむ声 割安戦略も揺らぐ」『朝日新聞』1987年11月4日夕刊,である。

原発の木偶の坊たるゆえんが解説されていた記事

 本ブログ筆者の家でもこれはだいぶ昔の話題になるが,IH(Induction Heating,電磁誘導加熱)に,台所用の調理器具を全面的に交換するかどうかを検討してみる機会があった。

 当時は,日本がたいそう豊かになった証左として,電気ぐらい豊富に使用できる時代になったのだから,ともかく電気をたくさん,じゃんじゃん使えばよいのだといったごとき,当時の雰囲気が濃厚に感じられたころにおける話題であった。

 だが,いまから考えて観れば原発の場合,常時「100%の最大出力」で基本的には電力を生産する会社側の電力販売政策としては,その電力を家庭で大いに消費させようとすることが,経営原則であることを要求する発電体制を採っていた。

 それゆえ,電力会社側や,そのために必要となるIH関連の電化製品を製造・販売しようとする電器産業経営側の営利戦略に,当時,無知であったために,なんとはなしに乗せられていたわが家は,台所関係を「オール電化」にしようかなどと,最初のちょっぴりだけであったが検討してみるかという気になっていた。(結果はそれだけの話題で終わっていたが)

 要は,前段に紹介した『朝日新聞』の記事は,同じ火力発電でもほかの方式とは違い非常に操業(稼働)管理そのものがしにくい,ある意味では危険性を絶えずかかえている原発(原子炉操業)の問題(それが木偶の坊だという意味では逆には非常な厄介モノでもあるという含意もあったが)を伝えていた。

 ということで,原発の場合だと夜間にも生産(発電)しつづけなければならない電力は,その使い道(消費先)がその稼働能力水準に合わせて確保しておかべならず,ともかくその電力をどこで・どのように消費させるかというやりくり算段が問題となっていた。

 そのひとつが夜間電力を一般家庭で大いに消費してもらえるようにと,それもとくに,深夜の時間帯における電気料金を格安に設定する方法が採用された。本ブログ筆者もだいぶ昔になるが,札幌市で一軒家を借りて住んでいたころは,その方式で,風呂のための温水を夜間電力の利用によって確保していた。

 もうひとつとして有名な電力会社内でのやりくりが,揚水発電方式であった。ここでは九州電力が解説するこの揚水発電方式を紹介しておくが,非常に興味深いことにこの解説は『原発だからこそ揚水発電が必要になる』といった基本事情については,一言もない。つまり「原発の不利性」については極力どころか完全に無言。

 しかし,「一言もない」といったら嘘になるかもしれないけれども,その実質では,その程度での説明の仕方に収めておくやり方でもって,誤魔化していることは確かであった。

 そこで,「揚水発電の特徴と仕組み」『九州電力』の説明 https://www.kyuden.co.jp/effort_water_omarugawa_omaru04.html から,以下のように引用・参照をしながら,さらに突っこんだ批判も与えておきたい。

原発の利用には中毒症状が残るようだ(!)

 そもそも「原発と揚水発電」は表裏一体の間柄,つまり「切っても切れない電力技術的な関係性」が,もとから固有の特徴としてあった。にもかかわらず,このように「頭隠して尻隠さず」にもなりえない話法で騙っていたところは,基本からして非常に不誠実で不完全な説明に終始している。

    ★ 揚水発電の特徴と仕組み-揚水発電所は大きな蓄電池 ★

 揚水発電所は,ふつうの水力発電所と同じように “水の力で水車を回して電気を作る” のですが,異なることは “発電のために使う水を汲み上げる(揚水する)” ことです。電気は貯めることができ来ないので水の形で電気を貯える「蓄電池」のような役割を担っています。

 補注)この段落からして原発のことに触れようともしていない。

 揚水式発電とは,発電所をはさんで上部と下部のダムを築き,水を貯えるための調整池を作り,上部調整池から下部調整池に水を流下させて発電します。電力の使用量が少ない時間に水車を逆回転させて上部調整池に水を汲み上げ,必要な時に水を流下させて電気を作ります。

 補注)こういった揚水発電の仕組は,原発あってこそのそれである事実を,最初から説明に出すつもりがなかったらしい。このことじたい,面妖な説明だという印象を抱く。

 最近では,昼間の太陽光で発電した電気を利用して,揚水をおこない,夜(点灯帯)に発電する機会が増えており,「再エネの導入拡大」にも貢献しています。

 補注)この段落の説明は他家の軒先を借りている人間が,この家は私の家ですといったような迷言。原発のことに関してとなると,その「裏のことではなく表のこと」には全然触れないで,このように揚水発電に関連する説明じたいを,なんと「『再エネの導入拡大』にも貢献してい」るといった具合に,まさしく我田引水もはなはだしい,つまり,すりかえ的な論理の脱線になった論法まで披露していた。

 なお,揚水発電は起動停止(発電機の最大出力に至るまでの時間,および出力を0(ゼロ)に落とすまでの時間)が短い時間でできるため,他の発電所や送電線などの事故が発生し,電気が不足したときに,緊急に発電することも重要な役目となっています。

 補注)さて,そうだとなれば,つぎのようにもいいかえが可能となっているはずだと,あえて決めつけた類推,敷衍をおこなってみたい。

 「原発は起動停止(発電機の最大出力に至るまでの時間,および出力を0(ゼロ)に落とすまでの時間)が長い時間かかる」

 その「ために,他の発電所や送電線などの事故が発生し,電気が不足したときに,緊急に発電すること」はできず,その点でもまったく柔軟性を欠いた「電力の生産方式」であった,と。

 したがって,いざという緊急時には電力生産方式としては「重要な役目となっています」ということは,ほぼ不可能事であったというのが,ひとまずの結論的な説明になりうる。

ためにする説明

 以上のように補注を入れていちいち反論を入れてみたが,最後の段落『発電(放電)時』の個所は,さらにこう述べていた。

 「あらかじめ上部調整池に汲み上げられていた水を,発電所に向けて落とすことにより,発電機につながれたポンプ水車を回転させ発電します。発電に使われたあとの水は,下部調整池に貯えられます」

 それはそうであるが(そういうなりゆきになっていたが),翌日の夜間になると再び原発の電力は余剰状態になるので,また揚水発電のために,ある意味では「賽の河原の石積み」のごときその揚水発電を繰り返すことになる。

 揚水発電ははっきり指摘するとしたら,本来の電力生産のためにではなく,のちに水力発電で流して電力を生産するためにその水を,夜間時にはつか道のないそれも「原発が生産した電力」を使っておかねばならないがために,その揚水用の電力として消費することになっている。エネルギー効率の次元に乗せていえば,ムリ・ムダが大幅に出るほかない「本来以外の電力利用」の方法である。

 ともかく不思議なのは,原発そのものがまずあっての説明となるが,つまりその「表裏の関係」というものは

  表側の「原子力による昼間時の電力生産」に対して
  裏側の「夜間時における揚水発電による電力消費」

が組みこまれてこその『原子力による電力生産「方法」であった』。

 そこでは,そもそもいったい,なにが先でなにが後であったのか(?)というこの順番が,いつの間にか混沌とした前後関係になりがちとなり,なにやら錯覚まで起こしそうにもなる。

 昼間の電力生産が本筋のはずだが,夜間の揚水発電のために生産された同じ電力の消費も実際に,毎日反復されている。

 そうなると,いわば因果関係を無色化(ないもの化)したがごとき「原発関連の揚水発電」に対した説明がなされねばならなくなる。

 なんとも奇妙というか奇怪というか,だから面妖な説明がなされていて,原子力発電を夜間時に成立・維持させるため揚水発電が,いいかえれば,ある意味ではムダ遣いをも意味するごとき発電が毎日反復されている。

 そうだったとなれば,その揚水発電という仕組は,なんといっても原発を維持するための電力消費の工夫であり,ともかく対策なのだといったところで,それはそれで,いっそう不可解だという印象が回避できない。

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【断わり】「本稿(4)」のリンク先住所は以下となる。


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