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「毒食わば皿まで」となった原発推進路線は「第3の敗戦」に向かうかのように好きこのんで突きすすむエネルギー政策「8・15 第1の敗戦」時に原爆を2発食らい「3・11 第2の敗戦」時は東電原発3基を溶融させた(国家崩壊寸前の事態発生)が,この国のみごとなまでの核保有国への推進志向を裏書きする本日2024年12月18日日経・朝刊の報道(1)

 ※-1 本日,2024年12月18日『日本経済新聞』朝刊1面の冒頭記事からそれも「最終版」ではその1面から外され別面に移されていたその記事,「原発・再エネ『最大限活用』 電力増・脱酸素で転換-次期エネ計画安,AI普及 念頭に」という見出しについて

 この1週間以内であったが,政府のエネルギー関連問題に関した経済産業省資源エネルギー庁の奇妙な動きが,すでに報道されていた。この事実は,本日 2024年12月18日朝刊に『次期エネルギー基本計画』に関する記事となって,よりまとまった体裁で報道されることになった。

 ところでだが,本ブログ筆者の自宅に配達される新聞紙「現物」は,どの新聞社でも(東京都に本社がある大手紙の場合のこと)同じになっているが,この自宅が位置する場所,この地理的な距離の関係で,同じ日の新聞現物でも(朝刊・夕刊ともに)「早版」が届けられる。

 ということだが,朝一番に,購読紙である『毎日新聞』と『日本経済新聞』の朝刊それぞれが,その『次期エネルギー計画』を,どのように報道しているか興味をもって読んでみた。

 それと同時に,電子版も併せて読んでいる関係で,この電子版では必らず「朝刊の『最終版』」として公開されている「こちらの紙面」ものぞいてみたところ,こちらにおける最終版の紙面と,自宅に配達される新聞「紙」として配達されたその早版の紙面に印刷されている記事とでは,まったくというか,基本的に異なった記事の構成:配置になっている。

 ただし,新聞社側の編集都合でいえば,そうした差し替えの要領はときおりあるあつかいであって,それじたいが問題だというのではない。だが,今回は,それなりにかなり驚くような,その差し替え模様になっていた。

 というのは,早版のほうで第1面に冒頭(トップ)記事として配置,報道されていた「原発・再エネ『最大限活用』 電力増・脱酸素で転換-次期エネ計画安,AI普及 念頭に」という見出しは,

 つづけてかかげる最終版のほうでは,以下のような紙面「ホンダ・日産統合へ」という冒頭記事にがらりと入れかえられていた。この事実,早版と最終版の当該記事を,以下に順に並べておくので,比較しつつみくらべてほしい。

『日本経済新聞』2024年12月18日朝刊「早版」の1面紙面構成

この記事そのものに疑義を抱かざるをえない奇妙な主張があるが
それは後段の記述を充てて議論・批判する
ここまで1面の記事を交換するのは異様かつ異例?

 さて,つぎのこの記事が,同日朝刊3面に掲載された関連の記事である。


「右側・上の段落・記事」が12版では1面冒頭記事として
掲載されていた部分である

ただしその全体ではなく3分の2ほどし出していない

ところでこの紙面(3面)ではコスト計算があれこれ詮索されているが

そもそも原発会計という会計理論・実践の見地から心みるべき
原価計算論の立場に即した議論がほとんどなされていないのは尋常ではない

「見込による期待」と「願望の投影」でのみする話題の取り上げになっている

とりわけ廃炉会計の「前途に待ちかまえている恐怖に近いほどの経費」
の爆発的な増大などケセラケセラの精神でいられる脳天気の典型見本
再生可能エネルギーと原子力(原発)を同じ仲間にくくるところからして
エネルギー基本問題を論じる資格なし

つぎには『日本経済新聞』朝刊「社説」も紹介しておくが
こちらは総論的に無難なく原発推進体制を擁護するいつもの弁説
「運転中は温暖化ガスを出さない原発」
という修辞はほぼ無意味であるが

このような主張が社説のなかで堂々ととなえられている

【参考記事】-ブログ『くろねこの短語』2024年12月18日から-



※-2『日本経済新聞』記事の虚偽-脱輪した原発擁護論-

 さて本日の『日本経済新聞』朝刊1面(ここでは※-1の最初に画像資料で紹介した刷版だと「早版の記事」)からとなるが,奇妙だと感じるほかない記述を抽出し,批判する。ここでは全文を引用しておき問題点を太字に表記する。

    ◆ 原発・再エネ「最大限活用」に転換 次期エネ計画原案 ◆
 =『日本経済新聞』2024年10月18日朝刊「早版」で1面冒頭で報道された記事であるが,ここでは web 版の報道,
 2024年12月17日 13:00,更新 12月17日 16:23,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA16ARV0W4A211C2000000/ = から引用する。

  これまでエネルギー計画に記載していた「可能なかぎり原発依存度を低減する」との文言は削った

 ⇒
(この文句は,この記事に添えられていた原発の画像に添えていた解説文)

註記

 --〔ここからが記事本文〕 経済産業省は〔2024年12月〕17日,新しいエネルギー基本計画の原案を示した。2040年度の発電量に占める原子力発電の割合は2割程度を維持し,再生可能エネルギーは4〜5割程度に上げる。生成AI(人工知能)の普及による電力需要への対応と脱炭素の両立を図るために,原発を再生エネとともに「最大限活用」する。

『日本経済新聞』2024年10月18日朝刊
『日本経済新聞』2024年10月18日朝刊

 以下ここからは,補注の記述としてしばらく,記事から離れる議論をおこなう。

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災の発生と,これに誘発された大津波の襲来によって,東電福島第1原発に世紀史に記録されるべき重大事故が起きてしまい,1986年4月26日の旧ソ連邦のチェルノブイリ原発事故事故に劣らぬ地球環境,人類・人間への大災害をもたらした。

 しかし,愚かな人間たち側はそれでも,原子力をエネルギーに利用して電力を入手することをけっして止めようとはしない。なぜなのか?

  ♥ 余 話 ♥

 先日,日本被団協がノーベル平和賞を受賞したというので,日本中が大喜びになっていたが,新聞などが報道する記事には「核廃絶」ということば踊っていた。

 そうであるならば,原発は核エネルギーを燃料に焚いて,ヤカンの要領よろしく蒸気を作っては発電機用のタービンをまわし,この原理で電気を作る仕組になっているわけで,

 蒸気機関車を走らせるためのその原理と同じだったにしても,原発の場合はその燃料に核物質を利用しているからには,たいそう危険な事態を事故を発生させた時には必らず,その非常に危険な状態がもたらされるという事実がみのがせない。

 要は,被団協の関係者が原発に対して,この核エネルギーを利用して電力を生産する装置・機械・施設を「まったく意識せず,取り上げもせず,批判すらしない」立場は,完全に摩訶不思議である以上に,理解すらとうていいかないそれであった。

 原発事故で拡散させられた「放射性:核物質」は,各種のきわめて有害な核種ではなかったか? 被団協流にとなえられたきた「核廃絶」という用語の意味が,まったくわからなくなった。

 先日,本屋店頭で岩波書店から出版されていたブックレットだが,日本原水爆被害者団体協議会『被爆者からあなたに:いま伝えたいこと』2021年を手にとってみる機会があった。

 この本は100頁ほどの書物だったということで,全頁をめくって「原発」のことに触れているかどうか「検閲」してみたところ,日本では「東電福島第1原発事故があった」というふうにだけ,単にその事実に触れていた。それも「1行内に収まる字数での記述」でみつかった。

余話:被団協の核認識について

 さて,「原発は核エネルギーで電力を生産する」し,「SLは石炭を燃やして走らせる」といったごとき,この2つのエネルギーの相違からは,それこそエネルギーの調達や使用方法,後始末に関する問題の理解となれば,それこそ隔絶した《本質の特性》が浮上する。この事実は,ごく自然ななりゆきである。

 その相違のありようは,東電福島第1原発事故によって,それこそ嫌というほど思いしらされた。だが,この日本はいまだに,原子力発電所の再稼働を積極的に進めているだけでなく,新増設まで画策している。

 そうした光景を造りだされている現状のなかで,人間というものが「同じ過ちを恐れない」どころか,平然と,しかもその覚悟もなしに「原発,原発,原発…… がAI事業などの展開のために必要なエネルギー確保のために不可欠だ」といった標語を,大声でいっせいに叫びはじめている。

 この機会にこそ「原発の再興」(21世紀当初には原発ルネッサンスという標語がはやったのだが,東電福島第1原発事故はその動きに冷や水を浴びせる顛末になっていた。

 ところが最近になると,電力を大量に需要する産業・事業・企業(以前かからの半導体の存在やAI事業の勃興)が急速に進捗してきたので,そのために原発をドンドン増やして電力を作らないいけないという意見が,この日本国のなかで,しかも「井の中の蛙」的な発想として頭をもたげだした。

 経済産業省資源エネルギー庁は,再生可能エネルギー体制をより充実・発展させるとはいっているものの,ともかく問答無用の態度でもって,原発体制の充実と拡大を狙っている。

 かつて日本は,30%台まで原発の利用率が上がっていた時期があったけれども,東電福島第1原発事故によって,その後においては約2年近く原発の稼働基数ゼロの時期が生じる経験もしてきた。東電の事故が起きなければ,50%台にまで原発の電源としての比率を増やしていくつもりであった。

 だが,時代は再生可能エネルギーによって電力を生産する方途に大転換した。しかし日本の場合,再生可能エネルギーはとくに,太陽光発電に比重がかかったまま,なかでも九州電力や四国電力では夏季に近づくと,再エネ業者に電力生産の出力制御を要請(実質強制)するといったごとき,ムダな電力生産体制を本格的に改善・改革する意向などみせないまま,ともかく原発,原発,原発だ……という,電力会社としての企業体制をあらためるつもりがない。

 たとえ,なかでもAI関連の産業・事業が活発に稼働・営業を始めているとしても,この方面からエネルギー需要に答えるために「原発の電源としての比率」を2割程度にまで高める,そのさい再生可能エネルギーも4割から5割にまで高めるといったところで,どこまでも「2040年ころまでの目標値にかかげている」のだから,これはいかにも呑気というか,意識的に脳天気の精神状態を平然と演じているしかみようがない。

 ところで,『自然エネルギー財団』がつぎのような図表を作成し,公表していた。2023年の統計であるが,日本の経済産業省資源エネルギー庁は2040年というこれから15年もかけて,自国の電源構成のうち「再生可能エネルギー(自然エネルギー)の比率」を4割から5割にまで上げていくという目標を設定していた。

原発が電源比率として一番多いフランスでも
自然エネルギーの比率は
まだ日本より多め

つぎの図表をみると日本の自然エネルギー(再生可能エネルギー)
の開発・活用状態は遅々としていて

お世辞にもその先進国とはいえない
これら諸国のなかで日本がどのような位置を占めており
いかに評価すべきか?

 なんとも呑気というか,もしかしたフザケテいるのではないか? 原発のことになると妙に力が入るが,再生可能エネルギーのことになると,まあそのうちなんとか半分くらいまでは電源の比率に上げていきたい(な)と,受けとられる程度での「熱のなさ」。

〔ここで記事に戻る→〕 東日本大震災を受けた原発活用のあり方が大きく変わる。原案では「可能な限り原発依存度を低減する」との文言を削除し,再生エネについては「最優先で取り組む」との表現を削った。

 背景にあるのは生成AI(人工知能)の普及に伴うデータセンターや半導体工場の新設による電力需要の大幅な増加だ。政府は2040年度の電源構成で,足元の発電電力量よりも1〜2割程度多い1.1兆〜1.2兆キロワット時を想定する。

 古くなった原発は建て替えを進めて長期活用する。地域の理解がえられるものに限って,次世代革新炉への建て替えを容認すると明記した。

 補注)恐ろしいことを企画している。原発体制をこれから長期をめざして維持していく,建て替え(次世代核心炉というまだ技術的には不確かな原子炉)もめざすという方途である。

 どだい,原子力発電は,ほかの火力発電(石炭・石油・LNGを燃料に焚く方式)とは異なっており,「核燃料を焚く」点に注視すれば,けっして同じに分類できない発電方式でしかありえない,そう位置づけることが妥当であるにもかかわらず,それでいて〔後段の記事にも言及があるのだが〕

 再生可能エネルギー群の発電方式の仲間に原発(原子力)をくわえることができるのように,すなわち偽ってあつかおうとする姿勢が,無謀というかそれ以前の「意識的な無知」による「原発の不当で奇怪なその位置づけ」を強いてきた。

 要は,原子力発電を実質,再生可能エネルギーと同じ範疇にくくるといった,トンデモナイ発想であつかっている。これは,まともな神経の持主というか,原子力「核」工学の見地から少しでも,その理化学的な危険性をしる者にとってみれば,無謀(無理解)そのものになる観方を教示する。

〔記事に戻る→〕 廃炉した原発は同じ電力会社の別の原発敷地内で造れるようになる。具体的には九州電力が玄海原発(佐賀県玄海町)を廃炉した分を,川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の建て替えに充てることなどを想定する。

 現状は2023年に閣議決定したグリーントランスフォーメーション(GX)実現に向けた基本方針にもとづき,廃炉原発の建て替え先を同じ原発敷地内に限定していた。

 原発は発電時に温暖化ガスを排出しない脱炭素電源でもある。2050年の温暖化ガス排出実質ゼロの達成に向け,原発と再生エネを最大限活用する。

 補注)「ほら,出た・・・」という感じになったが,太字に変えた文句,この「原発は発電時に温暖化ガスを排出しない脱炭素電源でもある」というセリフは,大ウソ中の大ウソであった。

 つい最近までは「原発は発電時に温暖化ガスを排出しない」とはいってておらず,ただ「原発は発電時に温暖化ガスを少し(少な目に)しか排出しない脱炭素電源である」といいかえていたはずなのに,いつの間にか,このようにまったくしらふで前段のセリフのように,平気に書きかえ,後戻りする始末。

 そもそも「2050年の温暖化ガス排出実質ゼロの達成に向け,原発と再生エネを最大限活用する」というのが,「騙り」の調子がよいだけの滑舌であった。そのように批判する理由は,これから説明する。

 「原発のライフサイクル(製品寿命)」については,建設期間⇒稼働期間⇒廃炉期間というこの3区分される期間が,それぞれどれほどに長い期間ずつになるかを前提すれば,

 そのように「原発は発電時に温暖化ガスを排出しない脱炭素電源でもある」などと,虚言を吐くにしても実に悠長に語った点は,科学的な知見以前の,さらに非常識そのものの,そして反科学的の立場からの放言に属するものだったとしか表現できない。

 ここでは,本ブログ内ではすでにおなじみである槌田 敦が作成していた「批判となる図解」を,あらためて紹介しておく。

 だいたい,原発は発電中でも,よその発電所が作ってくれた「外部電力」を給電されていないと稼働不可であった(もっとも電力会社側はこれに反論しているが,説得力はない)。

この点の批判に対して反批判を返せる原発推進論者はいない

〔記事に戻る→〕 再生エネは足元の実績から倍増に相当する4〜5割程度を2040年度に向けた新たな目標にかかげる。2040年度の再生エネ目標の内訳は,太陽光は22〜29%,風力は4〜8%,水力は8〜10%,地熱は1〜2%,バイオマスは5〜6%とした。

 とくに,洋上風力については,海に浮かべて発電する「浮体式」も含めて2040年度までに3000万〜4500万キロワット,曲がるほど薄い新型太陽電池「ペロブスカイト」は2000万キロワットを具体的な導入目標としてかかげて推進する。

 現在において電源の7割程度を占める火力は,2040年度に水素や二酸化炭素(CO2 )貯留といった新技術の活用も含めて,3〜4割程度の割合まで減らすことを目標にする。

 新たな電源構成の最大の特徴は,どの電源をどれだけ導入するかの裏付けをセットで示す積み上げ方式をやめたことだ。比率目標も「割程度」と大きな幅をもたせる。石炭や天然ガスなど火力の内訳も示さない。

 補注)この「積み上げ方式をやめ」「比率目標も『割程度』と大きな幅をもたせ」,ついでに「石炭や天然ガスなど火力の内訳も示さない」という理屈は,これらすべて原発の電源としての比率を,アイマイ的に,つまりファジー的に20%(台)にまでもちあげていくための隙間を用意しておく魂胆が控えていたからである。

〔記事に戻る→〕 水素やCO2 貯留といった火力発電の排出削減にかかわる新技術や,再生エネの普及スピードなど将来の不確実性が高まっていることを踏まえた。

 補注)原発の変わらぬ危険性としては,まさに核問題としての特性があった。

 原発そのものの技術経済的な特性をいえば,これほど基本的に進歩のなかった発電方式は珍しい。絶滅危惧種的な本来の技術でありながら,いまだに幅を利かせている。熱交換比率はあいもかわらず33%である。なぜか? 

 前段で次世代革新炉という原子炉の新技術に言及があったが,この実現可能性,つまり実用化から商用化まで現実に,なんら問題なく実現しているわけではない。期待するその技術だという程度のあつかいでしかなかった。それ以外の改良型の原子炉じたいも同工異曲の改善をほどこそうとしているに過ぎなかった。

 以上のごとに指摘される諸問題,これらに対して数々投じられてきた難問に,真正面からまとも答えようとする(答えられる)原子力核工学の専門家や電力会社関係者はいない。なぜか?

〔記事に戻る→〕 〔2024年12月〕17日に提示した原案では,2050年までに温暖化ガス排出を実質ゼロに減らす目標の達成に向けた2040年度時点のガス削減幅として,2013年度比で73%削減を暫定値として置いた。2030年度時点では2013年度比で46%減を目標としている。

 政府は年内に次期計画の原案をとりまとめ,パブリックコメントを経て年度内の閣議決定をめざす。

 補注)なかでも原発問題になると,そのパブリックコメントを発言させる場は,単なるやらせの舞台,あるいはガス抜きの手段に終わる可能性が高かった事実は,過去歴として明瞭に経験済み。

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【断わり】 「本稿の続編(2)」のリンク先住所は以下である。

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