国家神道・靖國神社,統一教会・自民党政権,安倍晋三・山上徹也
※-1 国家神道だけでなく旧統一教会にも引きまわされていた自民党政権の歴史的な本性,2022年7月8日「安倍晋三の死」を契機に一気に露呈させられたその本体の醜悪さ。
a) 21世紀のいまどきにまだ,19世紀的にカルト宗教的な性根を断ち切れない「統一教会味・自民党」+「創価学会・カルト的公明党」の「野合政権」は,時代錯誤の無力性を誇れる点にしか能がなく,日本の政治全般を停頓させ腐朽させつづけている。
#靖国神社 #A級戦犯 #合祀 #英霊 #賊軍 #真榊 #国家神道
神道という日本の風土的な宗教に関した基本的な理解に即していえば,靖國神社「参拝」とそこへの真榊「奉納」のあいだには,「宗教信心としての真意」の違いはなんらみいだせず,つまりまったく同じである。
ところが,そのありえない違いをもって,靖国神社への参拝と真榊の奉納とのあいだには,あたかも「顕著に質的な区別が宗教行為としてある」かのように振るまってきた自民党議員(たち)の無知=「神道に対する認識の欠如」は,このたび(安倍晋三銃殺事件以降),統一教会と自民党との腐れ縁が白日の下にさらされてきた経過のなかで,再度,よりいっそう〈鮮明〉になっていた。
b) 実は,この首相たちのあずかりしらぬ「靖国神社風になる国家神道式の秘事的なカラクリ」は,宮司たち側の立場ではよく周知する大前提なのである。
ところが,「知らぬが仏」になっていた者たち,代表的には安倍晋三⇒菅 義偉⇒岸田文雄らは,真榊を奉納するという宗教の行為が靖国の立場からは,徹底して都合のいいように利用されている事実関係に基本から無知であった。
というよりは,まさにもともと無頓着でありつづけていたといったらいいような,ずいぶんひどくいいかげんな対応ぶりが,そこには淀んでいたことになる。
昭和天皇は敗戦後から30年が経過した1975年11月21日の靖国参拝を最後に,靖国神社にはいかなくなった(より正確にいうと「いけなくなっていた」)。
それなのに,自民党を中心に国会議員たちは,これみよがしに九段下にかよい,国家神道主義的な宗教精神を反映させたこの神社に対する,自分たちの深い信仰心がいかほど深く「あるかのように」演技してきている。
靖国問題に関してまともな学識がある研究者にいわせれば,それら政治家たちによるみせかけの靖国信仰は,コッケイな田舎芝居の域を出ない。
c) ここで,つぎの表(一例となる2点)をさきに挙げておく。これは,2012年12月26日に成立・発足した第2次安倍政権において,当時の閣僚たちが神道系の諸団体とどのように関係をもっていたかを表わしている。
本記述全体にとって前提になる情報・知識である。統一教会とのつながりがまだ表面化していなかった時点ですでに判明していた諸資料の実例あるが,靖国問題を理解するうえで,基本的に「関連する知識」となる。
※-2「超党派議連,約90人が靖国参拝 秋季例大祭」『東京新聞』2022年10月18日 09時53分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/208772(共同通信)
超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーが〔2022年10月〕18日午前,東京・九段北の靖国神社を秋季例大祭に合わせて一斉参拝した。事務局によると,自民党,日本維新の会,国民民主党,NHK党や無所属の約90人が参加した。
参拝後に記者会見した議連の逢沢一郎副会長(自民)は「平和の大切さをあらためて心に刻ませていただいた」と説明。岸田文雄首相が「真榊」と呼ばれる供物を奉納したことに関し「二度と戦争を起こしてはならないとの深い思いを込めてのことだ」と述べた。
同議連の一斉参拝は,約100人が参加した4月の春季例大祭以来。(引用終わり)
a) 最初から,一言で切り捨てる要領で,以下の批判をくわえておく。
靖國神社は戦争神社であった。それゆえ,敗戦した出来事を契機に「賊軍神社」(国際政治の次元での話だが,この事実は日本国内では完全に放念されている状態)になっていた。
つまり,戦争は終わった,しかも敗戦してしまい,この関係でいえば不要となったというほかない「元帝国陸海軍の国営であったこの神社」であった。しかも,この神社の基本的な性格としては,天皇に親拝してもらえる点はこのうえなく重要な意味があって,どちらかというと「天皇家のための神廟」という基本性格が本来からの眼目であった。
その意味では,たとえば天皇裕仁にとってみれば敗戦以前は,靖国神社は「戦争督励」用達のための神廟であった。この基本性格は「隠すまでもない靖国神社」の「明治謹製になる歴史的な本質」であった。
しかし,敗戦を機に,合祀されていると靖国的に定義されている「無数の霊魂」の慰霊のほうが,圧倒的な重みをもたざるをえなくなっていた。つまり,靖国神社はその歴史に対する本質的な役割を急転換させざるをえなかったのである。
いわば,同じく明治謹製になった伊勢神宮が,表玄関に位置する「国家主義的な神道機関」に位置づけられた事実があれば,その「対」をなして置かれたのが,まさに靖国神社の大日本帝国主義の神廟的な性格であった。もちろん,りっぱな裏玄関を備えた神道式の「戦争督励神社」として創設されていた。
だから,日帝が敗戦した瞬間,この靖国神社が保持していたつもりである「本来的な役割・機能」は,一気に崩壊させられ雲散霧消した。それでも,靖国神社は敗戦をはさんで,幸運にもGDP当局の入り組んだ配慮があって,その後も存続できていた。
この靖国神社は現在においてみれば,本来「意図していたはずの霊魂の慰霊」などできるわけもなく,まさしく『敗戦神社そのものに変貌していた』。その事実を見逃しては,敗戦後から現時点まで背負ってきたこの神社の,歴史的な本質は理解できない。
要するに,敗戦以前まであれば,慰霊の行為を媒介にして日帝の侵略主義・路線を推進するためであった「創設時の根拠」が,敗戦を境に消滅していた。この点を否定できる者はいない。
靖国神社はしかも,一般に戦没者を慰霊するための施設に比較するに,その基本性格からしてあまりに異質であった。この靖国神社は,日本の古代史から育まれてきた神道風の宗教精神から完全に脱線していた。
それでも靖国神社は,その事実つまり明治謹製であったにもかかわらず,いかにも日本古来からの神社一般に通じる性格をもつと虚構していた。無理があったのである。この無理は敗戦によって一挙に破裂した。
それゆえ,現代的に宗教というものをまっとうに認識したい人びとの立場からすると,旧来からの伝統ある神道とは〈異形の度合〉が過ぎていた,それも靖国神社風にグロテスクだった「戦争督励神社」「勝利神社」の基本性格は,敗戦に遭遇したあととなれば,それはなんとも収まりの悪いものでありつづけてきた。
b) あの戦争において本当に英霊が無慮,260万余柱も「誕生(?)してきた」というのであれば,なぜ,旧大日本帝国は「大東亜戦争」に敗北したのか?
勝ってその数ならばまだ我慢できそうだが,負けてそれだけの犠牲者を出した戦争に,いったいなんの意義がありえたのか?
戦争の犠牲者を「英霊」と称しておけば,国家の責任が軽減ないしは皆無にできるとでも考えたかったのか?
英雄としての霊魂が,靖国神社は吹き寄せられるように集合しているというのであれば,まだ生ける者たちが,この神社にいって「戦争勝利」を祈願したら,一発で成就するのか?
しかし,いまどきそのような馬鹿げた靖国信仰を唱えられる人びとは,まったくいないわけではないものの,ほとんど狂気に近い思念である。
負け戦でも英霊になったといわれて喜ぶ旧帝国臣民がいたのか? 勝つために準備された,しかも神道式を模した国家機関としての靖国神社であった。
けれども大日本帝国は敗戦した。実は「元も子もなかった」どころか,そもそもなにゆえ,このような神社が敗戦後になっても存在しているのかというべき,もっとも根本的な疑問が残されたまま,21世紀のいまに至っている。
いまの靖国神社は,敗戦直後にGHQ:マッカーサーの顔色をうかがいつつ,とくに折口信夫や柳田国男の宗教思想的な示唆に助けられて,国営用の戦争督励神社から民間の一宗教法人へのさまがわりする推移に合わせて,その基本的な性質を上手にずらし,生きのびてきた。
7月中旬,13日から16日まで4日間にわたり開催される「みたままつり」は,反戦した靖国神社の戦後生き残り戦略を実践している行事である。靖国の宮司のなかには,男女間のナンパの場所になりはてた,この「みたままつり」期間内の出来事にひどく憤った者がいなかったのではない。
それはさておき,天皇家とこの家長であった天皇裕仁にとってみれば,宗教法人に変質させられた靖国神社であっても,自分自身の立場・利害からみた靖国神社は,どこまでも「自家用の自社であった本来の由来」が消せるわけがなかった。天皇家側の気分は,そうであるものとしか「靖国神社の歴史」をみなすほかなかった。
それゆえ,1978年10月17日に当時の宮司松平永芳が,A級戦犯をひそかに合祀した事実をのちにしった裕仁は,それこそ「腰をぬかす」ほど驚愕した。いわば,彼ら永久戦犯は,自分の身代わりになって13階段をのぼり処刑されていたのに,いまは靖国の祭壇に「昭和の殉難者」として合祀されている。
要するに,昭和天皇の気持ちとしたら,「なんと,その連中が靖国に祀られていたら,もう自分は靖国に参拝(親拝!)に絶対いけるはずがない。いったい,なんということをしてくれた」と,非常に悲しんで嘆き,そして怒ったのである。
c) 靖国神社は戦争神社であり,同時に実は,勝利神社でもある。前者の性格は消せないし,消せるわけもない。後者の性格:関係も実際に起きてしまた出来事として,かつまた同様である。
だが「触らぬ神に祟りなし」の要領で,つまりその都合の悪い靖国の歴史的な特徴にはなるべく視線を向けずに,靖国とは付きあってきたはずのところに,突如,つぎの画像に記載されたごときに,昭和天皇が憤激させられる出来事が起きていた。
なおこの「富田メモ」については,かなり浅薄な解釈をくわえた素人談義の断定もあるが,素人でも専門家と同等に発言できる世界が与えられているからといって,このように「素人以前の粗雑な私見」( ↓ )を披露するのは禁物である。
さて,靖国神社に合祀されている「英霊」とは,ウィキペディアの説明でも,こう書いてある。
英霊(えいれい,英靈)とは,死者,とくに戦死者の霊を敬っていう語(この意味では日本語としてのみ用いられる)。また,英華秀霊の気の集まっている人の意で,才能のある人,英才を指す。
明治維新で賊藩となった会津若松藩の武士集団は,明治政府によって賊軍の旧藩とみなされてきた。それから77年ほど時が経ったころ,その日本:全国版が,旧大日本帝国の敗北そのものによって発生・到来した。
となれば,そもそもそこに英霊などが存在しうる余地はいっさいなくなっていた。たとい,九段下のあの境内にかぎった話としても,とうてい成立しえない物語と化したのである。
中外によって英霊の観念は異なるなどというリクツは,最初から通用しえない。第2次大戦後,国際政治の枠組のなかでGHQは靖国神社の「戦後処理(敗戦問題)を措置していた。お取り潰しにならなかっただけでも,もっけの幸いであった。ソ連が日本を占領していたら,一気に破壊・除去されたはずである。
ついでにいえば,敗戦になると直後に旧日帝が植民地や支配していた海外の国家や地域に置いていた神社は,そのほとんど一挙に消滅した。それほど根付いていなかったのが神道式の神社であって,あくまで日本人・民族のためにそれで終わっていた。
以上のごとき日本の神社にまつわる過去の歴史とは無関係・無頓着に,九段下にある元国営の神社に参拝にいく国会議員たちは,「自分の選挙区」からの「票集め目的」の本心があってこそ,参拝にいく者が大部分であった。
とりわけ,神道信仰の本義とは縁遠く,この信仰心にまつわり教理・信条が不鮮明である特質ともからんでいるが,靖国神社に参拝にいく国会議員たちが,本当に神社信仰をもっているならば,自身が生活する地元の神社に参拝にいけばよい。わざわざ九段下までいくこともあるまい。
※-3 さてここであらためて提示する疑念がある
a) どうして,1975年11月(の秋季例大祭)以降,天皇たち--敗戦後の昭和天皇,そしてその息子と孫の天皇たち--は,A級戦犯が合祀された事実を理由にしていたことになるが,靖国神社に参拝(というか親拝)にいかなく(いけなく)なったのか?
以上の疑念については,すでに言及していた段落がなかったのではないが,ここでは意識してとりあげ究明しておきたい。まず,つぎのように問題提起をしておく。
そもそも,「官軍と賊軍」といった国内の比喩は,「英米軍と旧日本軍」といった国外のそれにはなりえないとでも,いいはれるつもりか? しかし,内外をとわず勝てば官軍,負ければ賊軍。この一般論を超越できる特殊・具体論はない。
明治維新に至る歴史過程のなかでは,自国民同士で「官軍と賊軍」の区別が厳然となされていた。第2次大戦に敗けた瞬間から,まさかその区別がなくせるわけでもあったのか?
もしも,その種の〈内外の使い分け〉がなされるとしたら,それはご都合主義という以前に,「国家神道」に関して国家単位でおこなってきた「宗教理念の自家撞着」にしかならない。
それにしても,いまどきにまでもまだ,靖国神社に参拝したがる国会議員は,本来,ただ単に「票目当ての行為」であるにもかかわらず,それと同時に,「敗戦神社」になっていた「靖国神社の歴史的な本性」を,完全に無視した〔⇒しかし本当は理解できない〕ままの思考回路しかもちあわせないにもかかわらず,いかにも自分は信心深い国会議員であると気どっている。この姿は滑稽ではないか。
要は,自分たちのためになる,トクになるものは,なんでも利用しようするという満遍なる欲得・利用主義が,そこには,恥ずかしげもなくみえかくれする。いわば宗教以前の政治利害が,正直に告白されての靖国参拝問題になっていた。
b) その種の事実は,最近における問題「発生」となって露呈してきた,「自民党(など)と統一教会」との親密な関係性のなかにも,みごとなまで発現されていた。
なによりも「落選したらただの人」になるほかない「国会議員」の立場・利害を考慮すれば,非常に重要でかつ問題となるほかない政治要因が,そうした事象となって発現していたことは否めない。
これまで自民党議員がなかでは神道系の宗教団体との親密さがめだっていたなかで,ここに来て別途,統一教会との「ズブズブの関係」が,実際には以前から潜伏していた事実として,あらためて明るみに出た。
「自民党(など)の議員たち」が靖国神社に参拝するといった宗教的な行為それじたいについては,よくよく考えてみたい点があった。
国会議員にとって自分たちが当選していくために必須である「票の獲得源」としてならば,神道系であれ統一教会(本体・実質はキリスト教まがいの国際的な邪教)であれ,それなりに近しい付きあいを欠かかせなかったという実態があった。これが,より注目を向けるべき関連の事情であった。
さらに,統一教会の場合は,議員の仕事を全般的に支援する「秘書陣の態勢」のなかに,以前から相当数の統一教会員がもぐりこんでいた。それもすでに10年単位にまでなっているその実態だとすれば,
「自民党内部に精通する情報通が,自民党幹部で元首相の元私設秘書からの話を伝えてきた。開口一番『統一教会は,どうもならない』というのだから,もはや処置なしといった,いわば「骨がらみ」の「ズブズブの関係」にはまっている自民党の議員たちが少なからずいる。この点については,つぎの記述も参照したい。
c) 要するに「統一教会」と深い関係を実施的に持続してきた自民党議員たちは,その付きあいにおいて「病膏肓(やまいこうこう)に入る」段階にまで到達していた。
「いまさらどうにもならない」といった指摘が自民党内から出ていた事実に接すれば,この統一教会との付きあいのほうが,神道系との付きあいよりもよほど重大な意味をもっていたことは,たやすく理解できる。
しかも,神道系の思想関係よりも統一教会のその関係のほうが,実践的には自民党の政策展開に対して現実的な多大な影響を与えてきた。その点は,家・家族制度の問題に対して決定的な要因となっていた事実を意味する。
おまけに,神道系の発想のなかにはもともとなかった「韓国関連事情」からであったが,なんと「北朝鮮に有利に関連する含意」までもあったとなれば,あの「ブルーリボンバッジ」の着用をつねとする自民党(など)の議員たちは,ある意味「いい面の皮」的に無頓着だったという観察までなされうる。
d)「国会議員約90人が靖国神社参拝 岸田総理は『真榊』奉納 参拝を見送る見込み」『TBS NEWS DIG Powered by JNN』2022/10/21 10:01配信,https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/181100 という報道によると,
超党派の国会議員で組織する「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の逢沢一郎副会長は,「戦争を起こしてはいけない,平和の大切さをあらためてみずから心に刻ませていただく」といったおなじみのご託宣であった。
そもそも「靖国神社」は「督戦神社」であり,だから「勝利神社」であった。しかも,この歴史的な神社の特性を反省していうのではけっしてない「前段の文句」,「戦争反対と平和希求」を吐露したかに聞こえる欺瞞的な発言には,それこそ,のけぞるほどびっくりさせられる。
この d) に紹介した記事は,「また,岸田総理はきのう,『真榊』と呼ばれる供え物を奉納したうえで,靖国神社への参拝を見送るみこみです」と語ったとも報じていた。
その「まさかき(真榊)」という,神道という宗教において信心の発揮に関してだが,その道具立てに使用されている「植物の意味」を吟味しておくが必要であるが,ここではあえて触れないでおく。
※-4 安倍晋三の死を契機に国家神道だけでなく統一教会の関係まで判明した自民党の宗教的体質
1) 「岸田内閣 大半が『靖国』派 改憲右翼議連に17人」『しんぶん赤旗』2021年10月13日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-10-13/2021101301_02_0.html
なお,上表で※1とは「日本会議国会議員懇談会」のこと,※2とは「神道政治連盟国会議員懇談会」のことである。また,加盟状況や役職は,『しんぶん赤旗』が入手した両議連の名簿や日本会議の機関誌から抽出。さらに,名簿登載後の入退会などは反映していない。
以下が『しんぶん赤旗』からの引用である。途中に「補注)」と入れて解説を挟んである。
--〔2021年10月〕4日発足した岸田新内閣のうち,岸田文雄首相ら自民党籍の閣僚計20人中17人が「靖国」派改憲・右翼団体と一体の2つの議員連盟のうちのいずれかに加盟してきたことが,本紙調査で明らかになりました。
岸田内閣は,歴史修正主義にもとづく改憲・右翼政治推進の役割でも,「安倍・菅直系」です。
閣僚らが加盟する「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟(神政連)国会議員懇談会」は,それぞれ改憲右翼団体の「日本会議」,「神道政治連盟」と一体の議連。両団体とも,日本の過去の侵略戦争を「自存自衛」「アジア解放」の “正義の戦争” として肯定・美化してきた靖国神社と同じ立場から,
「憲法改正」や,天皇・首相の靖国公式参拝を求めるなど,戦前への回帰を志向。ジェンダー平等や選択的夫婦別姓制度の導入には断固反対の立場です。
岸田首相も両議連に加盟し,同党総裁選でも同党の改憲4項目を実現すると表明。
日本外国特派員協会での記者会見(〔2021年〕9月13日)では,靖国神社参拝について,「国のため尊い命をささげた方々に尊崇の念を示すことが政治家にとって大切な姿勢だ」と発言。同月24日の討論会でも「時期,状況を考えたうえで,参拝を考えたい」と表明しています。
主要閣僚では,萩生田光一経済産業相が日本会議国会議員懇談会の政策審議副会長を,岸田氏は副幹事長を務めています。また,初入閣の末松信介文科相と古川禎久法相は,副幹事長と幹事をそれぞれ務めています。(引用終わり)
現時点(2022年10月21日)となっては,ここに統一教会(現世界平和統一家庭連合)との関係を「維持してきた自民党議員」は,とくに鈴木エイト『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』小学館,2022年9月26日によって判明している。
統一教会(世界平和統一家庭連合)との付きあい方深浅の度合は,たとえば,こういう中身を列挙して判断し,分類する基準:条項があった。
これまでの調査で統一強化との関係が判明している自民党議員 179人のうち,項目ごとの人数はつぎのとおり(複数項目に重複する議員あり)であった。
註記)「自民議員 179人が旧統一教会と関係 調査結果を発表」『毎日新聞』2022年9月8日 17:17,更新 同日 19:34,https://mainichi.jp/articles/20220908/k00/00m/010/232000c
関連団体会合で議員本人があいさつ 96人
関連団体会合で議員本人が講演 20人
教団主催の会合に出席 10人
教団や関連団体への会費支出(政治資金規正法で公開対象) 24人
教団や関連団体から寄付やパーティー収入(同) 4人
選挙におけるボランティア支援 17人
教団や関連団体に選挙支援依頼 2人
会合に祝電などを送付 97人
広報紙誌にインタビューなど掲載 24人
本ブログ筆者の判断では,「上から順に7番目の項目まで」と残りの「8・9番目の2つの項目」とのあいだにだが,「有意に区別しうる一線」が引けるのではないかと考えている。
したがって,前者の項目の水準で統一教会との付きあいがある自民党議員は,最初にあげてあった一覧表にさらに,この統一教会の欄を追加して表記されるべき一群だとみなせる。
つぎの 2)は,自民党(など)と統一教会との付きあいが,安倍晋三の死を契機に『パンドラの箱』を空けたかのような様子となって以来,すでに1ヶ月以上が経過したころでの「政治の話題」になる。
【参考資料】-『毎日新聞』から-
2) 「第2次岸田改造内閣 自民閣僚全員が靖国派 7人が統一協会系と接点」『しんぶん赤旗』2022年8月14日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-08-14/2022081401_01_0.html
--第2次岸田改造内閣(〔7月〕10日発足)のうち,岸田文雄首相以下自民党籍の19人全員が,日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)と神道政治連盟(神政連)国会議員懇談会の二つの靖国派議連のいずれかに加盟してきたことが本紙の調査で分かりました。
公明党籍の閣僚以外全員が靖国派議連に加盟していたのは,2018年10月発足の第4次安倍改造内閣以来です。しかも,靖国派閣僚のうち7人が霊感商法などの反社会的活動が指弾されている統一協会(世界平和統一家庭連合)やその関連団体と接点があります。
問題の靖国派議連は,過去の日本の侵略戦争を “アジア解放の正義の戦争” と正当化する,靖国神社への首相の公式参拝を主張する改憲右翼団体「日本会議」と一体で活動。
同会議は,憲法改定を主張するとともに,ジェンダー平等に反対し,個人の自由よりも家父長制にもとづく「家庭秩序」を唱えるなど,統一協会との共通点があります。安倍晋三元首相は,日本会議議連の特別顧問と神政連の議連会長をそれぞれ務めていました。
自民党籍の閣僚のうち小倉将信少子化担当相を除く18人が神政連の議連に加盟。再入閣した高市早苗経済安全保障担当相は日本会議議連の副会長を,加藤勝信厚生労働相と西村康稔経済産業相は同議連の副幹事長をそれぞれ務める重鎮で,高市,西村両氏は神政連の議連幹事も務めています。
米軍新基地建設強行などの対米従属政策とともに,海外発祥のカルト集団・統一協会と接点のある議員と靖国派議員とが「同居する異常な自民党の遺産」は,安倍・菅政権からそのまま引きついでいるのが岸田政権の実態です。(引用終わり)
いまとなっては,「統一教会が海外(つまり韓国の)発祥だった」といって済まされるごとき,単純な問題ではなくなっている。
つぎの図解でその点が理解できる。「安倍晋三が敬愛するオジイチャンの岸 信介」はどこに,どのように描かれているか? 下の真ん中,マスクをしているのは,安倍晋三を銃殺したといわれる山上徹也。
統一教会の問題は宗教社会学的な論点として,現在の日本において非常に重要な政治問題として再度,急浮上してきた。自民党はそれこそ骨髄にまで食いこまれた関係性を,統一教会(現・世界平和統一家庭連合)とのあいだで維持させられている。
したがって,とくに自民党と統一教会の間柄は,いまさら絶縁など不可能なくらい,ひどくただれた相互依存関係ができあがっているだけに,あとはともかく必死になってその事実の隠蔽と現実の無化を謀ることしか,できないでいる。
3)最後にここでは,本日の記述そのものについて冒頭で話題にした点,つまり,日本の国会議員たちが靖国神社に参拝にいくといった宗教行為そのものに関しては,つぎの注意点をして議論をする必要があった。この点を再言しておきたい。
なかでも,靖国神社に参拝する場合に関連して,「本殿に参拝はしないで,その代わりに真榊を奉納する」という宗教行為も,実は本殿参拝と同等の意味を発揮しうる宗教的な行為である点が,重要な注意事項であった。
かつては自民党の改憲論議に学究の立場から協力していた小林 節(慶應義塾大学名誉教授)が,つぎのように,岸田文雄が首相の立場から靖国神社に真榊奉納をしていた事実を批判していた。これは重要な指摘ゆえ,以下に全文を紹介しておく。
※-5「〈ここがおかしい 小林 節が斬る!〉岸田首相が靖国神社に“真榊奉納”… 憲法原則である『政教分離』を理解していない」『日刊ゲンダイ』2022/10/20 06:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/313103
--靖国神社が明治維新以来,第2次大戦に至るまで,国に殉じた者を祀る神社であることは,歴史的事実である。各国でそれぞれ国に殉じた者を追悼する方法は異なり,それを他国が批判することは要らぬ話である。
しかし,敗戦の反省のもとに制定された日本国憲法のもとで暮らす現代の私たちは,憲法が改正されないかぎり,現憲法に従う義務がある。
「政教分離」とは,要するに諸宗派のなかで特定のものを公権力が優遇 or 弾圧してはならない…… という憲法原則である。アメリカの憲政史のなかで磨きあげられて,1947年に日本にも導入された。
それは,すべての宗教が「人格の向上と世界平和」を説きながら,結局,少数派の人権弾圧と戦争の原因になってきた歴史的事実を直視して,特定宗派と国家権力の癒着を禁止する……という結論に至ったものである。それが,思想・良心の自由,表現の自由ひいては民主政治を支えている。
もちろん,国に殉じた先人に感謝して平和を誓うことは正しい。
しかし,だからといって,そのために現に権力を預かる者が,「内閣総理大臣」という肩書を付けて特定宗派の儀式である「真榊奉納」をしてしまっては,特定の神社を「日本国公認」の殉難者追悼施設だと認めた証しになり,露骨な政教分離違反である。まして,その人物が首相でない時にはおこなわなかったその宗教儀礼を首相になった時にだけおこなうのでは,なおさらである。
この点について,かつて,小泉純一郎首相(当時)が良いことをいった。「私にも信教の自由がある」。つまり,首相(公人)の地位にある者にも個人(私人)としての信教の自由が憲法で保障されている。だから,8月15日の終戦記念日や春秋の例大祭の折に,堂々と個人として参拝することで「追悼の誠」を捧げることはできるし,すべきだろう。
そのさいに注意することは,ただひとつ。「内閣総理大臣」という「公人」としての肩書を記帳せずに,玉串料,真榊代を公費から支出しない,それだけのことである。
こうして,たったひとつの節度を守れば憲法問題は解消するはずである。(引用終わり)
国会議員たちが靖国神社に参拝にいくのは個人の自由であるが,この記述の冒頭段落にかかげた画像資料のように「内閣総理大臣」の職名・肩書きで靖国神社に真榊奉納をおこなう行為は,「政教分離の原則」に抵触している。小林 節はそういって断定した。
本日のこの記述全体の関係でいえば,安倍晋三の死(2022年7月8日)をきっかけに,とくに政教分離にかかわる問題として再浮上した事実があった。
それは,自民党の多くの国会議員(地方議員たちにも浸透している問題)が,統一教会(世界平和統一家庭連合)との長い付きあいをもっていて,しかもすでに「膏肓病に入る」ほどまでに深い「ズブズブでベタベタの関係」になっていた。
その実情は,神道系の諸団体との付きあいとはひと味もふた味も異なっているし,また一種独特の様相を披露していた。2022年夏以降,その様相の展開ぶりに関した日本のマスコミ・メディアの報道ぶりは,長期間,国民・市民・庶民たちにも大量の情報を流しこむかたちでなされてきた。
もっとも,自民党と統一教会との濃厚かつ親密な利害関係は,国会議員や地方議員たちの立場からすれば,あくまで宗教的な次元を利用しての「票集め」という相互関係が,露骨に顕現されていた。その特徴からは,日本の政治社会のあり方に対して,社会病理面から観過できない深刻な状況が生まれていた。
その具体的な影響は,2022年7月8日,奈良市に参議院選挙運動のために応援演説に出向いた安倍晋三が,統一教会「宗教2世:山上徹也」に銃殺されるという事件となって発生した。
その結果,日本の政治社会にとって非常に有害であったアベノフタが,山上徹也の犯行によって,ともかく外される結末が生じた。
日本国が秘蔵する『パンドラの箱』の蓋の上に座りこみ抑えていた安倍晋三が,居なくなったのだから,これからのこの国はいよいよ,ごまかしの効かない「苦難の道」を進行せざるをえなくなった。
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