原発事故の悪夢は現実,その害悪は「永久に不滅」,原爆の鬼子が日本という国に常駐(2)
※-0「本稿(2)」のための前文
「本稿(2)」を読んでもらう前に,できれば(1)をさきに読んでもらえれば好都合である。つぎの住所となっている。
⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n30f92e2f897d
a) 最近における東電福島第1原発事故現場の「現実的にいって,もはやどうしようもないくらいに,実質,非常に荒れはてている原発大事故」の「13年後になっての現状は,《悪魔の火》を人間の知恵なりに活用したつもりであったはずの「原爆の応用技術としての原発」が,いったん事故を起こしたとなると,人類史に対して長期的でかつ決定的な「禍根=惨状」を与える。
考えてみよう。同じ発電でも火力発電所でもLNGを燃料に焚く大規模の発電装置が,あるとき,なんらかの原因で大爆発事故を起こし,周辺地域に対しては大災害を発生させたと仮定する。そのさい,とくに燃料を付近に貯蔵していたタンクが誘爆してしまい,周辺地域の半径1キロメートル範囲内では,たとえば家屋の半倒壊という被害をもたらすと考えてみよう。
補注)上の想定は,爆弾にたとえていうと1トン爆弾以上に破壊力がある場合を考えている。
その火力発電所がどこにどのように立地しているかによって,その被害状況には大きな差が出る。しかしながら,事後の後始末がどうなっていくかといえば,原発のように放射性物質の残存によって,人間によるその後始末作業そのものが,長期的かつ大々的に阻害(妨害)されるという事態は怒らない。爆発事故としては同じ大事故であっても,そこには絶対的にと表現すべき質的な相違が結果する。
それに比べて,原発事故に特有である「放射性物質に固有である悪影響」は,時間(歴史)的にも空間(環境)的にも甚大な,それも決定的に打撃となる損害を残しつづける事実は,とくに,チェルノブイリ原発事故と東電福島第1原発事故の痛い体験によって,われわれは思いしらされた。
だから,原発は止めようではないか,再生可能エネルギーの開発・利用に日本ももっと取組もう,とする基本姿勢が国家の方針としても要請されている。
ところが,この日本国は2011年の「3・11」によって,東電福島第1原発事故が原発の恐怖を教えられたにもかかわらず,その後には一時期だけ2年近くであったが,原発ゼロのエネルギー供給体制にあっても,最近までは10%の水準まで近づけようと,しゃかりきしゃかりになっている。
しかも原発による電力生産のその水準(%)は,再生可能エネルギーによる電力生産とその給配電に対して,いってみれば妨害する(しばしば大幅にも出力抑制させる)ためであるかのように維持されてきた。
b)「【2024年最新】日本における発電量の構成割合は? 再エネ発電普及のポイントを解説」『AUENE MEDIA』2024年2月2日,https://earthene.com/media/156 は,いまどきに「原発は炭酸ガスを排出しない」などと,不勉強なるがゆえか,2024年2月というこの時期に公表した記事のなかで,なおも奇妙な説明を披露していた。
この解説記事いわく,「温室効果ガスを排出しない発電方法では,原子力発電が5.6%(対前年 1.3%減),再生可能エネルギーが21.7%(同 1.4%増)となってい」る,と。
だが,いまどきになってもまだ,この指摘は「温室効果ガスを排出しない発電方法」が「原子力発電」だと(無意識的にか?)いいぬけており,この根本からの誤謬である理解であってもまだ,あたかも決まり文句のように平然と語った(結果的には「騙った」)ところが,完全に罪な言説だと形容するほかない。
原発が “化石燃料ではない” という理解に関しても,もとより疑念がある。化石ではなくとも自然のなからからその原料となるウラン鉱石〔を採取・精錬してウランを入手する〕の由来は,化石と同じ物質とはとらえられない点は事実であっても,化石の生成された地球環境的な素性とそれほど違いがあるとは思えない。つまり,双方は,基本の性格では一定の差異が確かにあるとはいえ,地球内の地質中で生成された物質としては,似たり寄ったりの由来を有する。
要するに,「原発が炭酸ガスを出さないという〈完全なるウソ〉」は,あたかも「20世紀風の都市伝説」であったにせよ,この発電方式じたいを全体像としてまともに,その本質的な特性までも認識しえた見解ではない。
だから,最近は「稼働しているときの原発」からは「炭酸ガスが出ないのだ!」という限定を,必らず付けるようになっていた。これがいまでは通常の表現になっているのに,前段において参照した記事は「またもや先祖還り」したかのごとく,あるいは勉強不足なのか,性懲りもなくこのように,しごく単純に「原発はCO2 を出さない」などと,完全に事実無根に「非科学的な発言」を,まだ唱えつづけている。
そもそも,原発そのものが装置・機械として発生させる「熱量の異様な水準での高さ」は,最初から思考回路から脱落させていた事実そのものにすら気づかないで,つまりそっちのけにして語っていたのが “この種の言説” であった。
だからその言説は,当初からあたかも「誤導を狙っていた」かのようであって,しかも,まるで悪巧み的(!)に「原発を擁護する」ために,それでいて「これが常識である」といいたげな「口吻」でもって,いまもなおときたま提示される話法であった。
参照した記事の題名のなかには「ポイントを解説」という文句が入っていたが,しかし,それでは完全に「ポイントを外した〈解説にはなりえない解説〉」になっていた。そう批判されて当たりまえである。
とりわけ,大事故を起こした日本の原発,あの東電福島第1原発事故現場の現在は,「13年も時間が経過してきた〈その後〉のいま」にまでなっている。
この「事故現場の後始末(廃炉以前・以外の)」のために,それこそ,どのくらいの炭酸ガス(温室効果ガス)を発散・放出させつづけてきたか,この事実ひとつだけを考えてみても,原発の発電方式としての根源的な不利性はすでに,自明に過ぎた工学原理上の認識にならざるをえない。
c) ところで,原発の時代に入りはじめたころの日本は,たとえば,東海大学のホームページにはこういった解説がみつかる。
また,原子力工学科が当初,多数設置されていた国立大学については,つぎの図表を紹介しておく。しかし,1990年代の後半になると原子力工学という文字は全面的に消えていた。これは明らかに,1986年4月26日に発生した「チェルノブイリ原発事故」の後遺症(?)であったと推測されていい。
すでに本ブログ内では一度紹介したことのある記事(『毎日新聞』)と,さらに,デブリ取り出しに関したもうひとつの記事(『日本経済新聞』)を以下に紹介しておきたい。
★-1 東電福島第1原発事故現場の「その後=現状」は,残念なことであるが,「シシフォスの岩」でありつづけてきた。
シシフォスとは,ギリシャ神話に出てくる人物の名前である。彼は,ゼウスの怒りを買い,大きな岩を山頂まで押し上げる業を強いられた。その岩を山頂の近くにまで押し上げたところで,なんらの力が働いてしまい,岩は下まで転げ落ちるのであった。
そこでシシフォスはまた,その岩を山頂まで押し上げるが,またもや山頂直前で岩は落下してしまうのだから,この繰り返しが無限につづくことになった。
★-2 東電福島第1原発事故におけるその「その後=現状」は,日本のたとえ話でいえば「賽の河原の石積み」となる。その「賽の河原和讃」の意味を,分かりやすく意訳してくれた以下の文章を引用し,説明する。
東電福島第1原発事故「現場」のその後も,まさに本当に「そうなっていた」し,これからさきも,ほぼ無限に現状が持続させられていくほかない宿命に置かれている。
東電福島第1原発事故「現場」とは,指摘するまでもないと思うが,「親よりも子供が先に死んでしまうと」という「くだりの意味」に相当する,と解釈しておけばいい。
この「賽の河原の石積み」という苦行は,「死ぬまでではなくて,すでに死んだ者」が強いられつづけるという苦行であったのに対して,生きている人間たち,換言すると原子力村の成員たちに向けては,なかでも東電ホールディングスが「未来永劫に強いられていくはずの予定」が,すでにがっちり組まれている。
という具合に,日本における原発事故としての東電福島第1原発事故を認識してみる問題意識は,けっして大げさでも誇張もない。おそらくこの原発事故の現場は,21世紀以降もそのまま維持(?)されていくほかない。
チェルノブイリ原発事故現場は,石棺方式で爆発事故を起こした原発を封印したかたちで,ひとまず開かずの「悪魔の箱(パンドラ風の箱)」と処置された状態で,これから21世紀のみならず,22世紀からの以降も「過ごしていく」ことになる。
さて,東電福島第1原発事故の今後はどうなっていくのか? 事故った現場からその原子炉からは “デブリのひとかたまり” すら取り出せない現状は,多分,これからも「現地におけるその現状」として,半永久的につづいていくと予測される。
「シシフォス」や「賽の河原で苦行する死児」に訊ねるまでもなく,そうした未来「観」は,ごく自然に読みとれる時間の観念となって,われわれにも押しつけられている。
【参考記事・紙面】-この記事の紙面全体を観てどのように感じるか?-
※-1「〈もっと知りたい〉福島第1原発:2 危険な燃料デブリ,全部取り除ける?」『朝日新聞』2020年3月17日夕刊7面「解説」
この記事を引用する前に断わっておく。1979年3月28日に発生したアメリカのスリーマイル島原発事故の後始末についていうと,この事故の場合,核燃料の溶融は原子炉の圧力容器内に留まっていた。
スリーマイル島原発には2基の原発があり,その2号機が事故を起こしていた。この2号機は,1979年8月から1993年12月にかけて約10億ドルの費用をかけて除染が実施され,溶融した燃料もほとんどが除去された。
しかし,汚染水によって放射能汚染された建屋のコンクリートを除染するには実用的ではなかったことから,時間経過による放射能レベルの減少を待つこととなり,建屋と冷却塔は残されている(ここの2段落はウィキペディア参照)。
なお,スリーマイル島原発では,事故を起こさなかった1号機が 2019年9月20日に運転を停止していた。今後,核燃料を取り出し,約60年かけて廃炉をおこなう計画となっていた。
ところが,東電福島第1原発事故現場について政府や東電が騙ってきた公式見解では,事故発生後「30~40年」でデブリなどの除去をすると予定であると,以前から申し立てていた。
しかし,これほど非現実的な話題はない。スリーマイル島原発1号機は事故を起こさなかった原発であるが,「これから60年かける廃炉工程を設定した」といっている。つまり,2090年ころまでにその工事を完了させる予定だという。
それなのに,東電福島第1原発事故「現場」について日本側は,2051年ころまでには〔2011年からプラスして最長40年で計算〕,「事故そのものの後始末と廃炉工程」を完了させると,それもかなり奇妙なことなのだが,いままでずっといいつづけてきた。
だが,この計画は実現可能性に照らして判断すれば,ほとんどウソそのものであった。安倍晋三がまだ首相を務めていた2013年9月に,現場のことをアンダーコントロールといったのと同様に,完全なる虚偽であった。
ともかく,この※-1の標題にかかげた記事からの引用を始めたい。添えられていた図解資料をさきにかかげておく。
--東京電力福島第1原発でもっとも扱いがむずかしいのが,1~3号機の溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)だ。きわめて強い放射線を出すためロボットすら容易に近づけず,どこにどれだけあるかも,硬さや組成も,詳しくはわかっていない。廃炉工程表では2021年内に2号機から試験的な取り出しを始める目標だが,順調に進むかどうかは未知数だ。
補注)よくいわれるように「予定は未定にして確定にあらず」である。この新聞の記事のひとつの段落読んだだけでも,東電福島第1原発事故現場においては,実質的に「廃炉工程表」そのものすらまともに描きえない実状が理解できるはずである。
それでいて「事故発生後30~40年でデブリなどの除去ができそうだ」みたいな,完全にいっていいほどに “ウソでしかありえない空想” が,政府見解として公表しつづけられてきた。はたして,そういう態度が現状に関してまで許されていいのか? その見解はあらためねばなるまい。
〔記事に戻る→〕 事故で原子炉を冷やせなくなると,炉心の核燃料がどんどん熱くなり,周りの金属も巻きこんでドロドロに溶ける炉心溶融に至る。そうしてできた溶岩のような物体が,冷えて固まったものが燃料デブリだ。津波で全電源を失い,空だき状態が長く続いた福島第1原発の場合,溶けた炉心の一部は圧力容器の底を通り抜け,格納容器の下部まで落ちたとみられる。
補注)「圧力容器」を突き抜けて落ちているはずのデブリが「格納容器の下部」においてどのような形状でになっているのか,実はなどというまでもなく,なにも分かっていないといったほうが「正解」である。
デブリが「格納容器の下部」まで溶融・落下したという点は,特別の方法で科学的に,間接的な調査として確かめられている。だが,デブリがその格納容器の基部も突き抜ける(メルトスルー)かたちで,建屋の底部(基礎)にまでは到達していないかどうかについては,科学的に間違いなく確認できているのではない。
東電福島第1原発事故現場はいまでも,つぎのように描写される状況にあった。現状はひとまず事故後のそれなりに定常化はしているものの,汚染水の問題に照らしてみるに,こうした状況は基本的になにも変化はない。これは,2011年4月13日時点に語られた話である。
〔記事に戻る→〕 2号機の調査では,デブリの放射線量は1時間あたり約8グレイ。人が近づけば1時間ほどで死に至るレベルだった。こうした危険な物質が,3基あわせて800~900トンあると推定されている。このすべてを2041~2051年とする廃炉完了までに原子炉建屋から取り除くのが国と東電の目標だ。
既述の点だが,スリーマイル島原発のことは,つぎのようにも解説されていた。
1979年に炉心溶融事故を起こした米スリーマイル島原発でも燃料デブリができた。ただ,事故炉は1基だけで,炉心が空だきになった時間も限られた。デブリは圧力容器のなかにとどまり,建屋の爆発やひどい汚染もなかった。それでも,取り出しをほぼ終えるのに事故から約11年かかった。デブリの取り出しはそれほどむずかしい。
東電福島第1原発事故現場の場合なると,その期間がどのくらいかかり,いかほどむずかしい作業になるのかについてさえ,まだなにもよく把握できていない。ただ,むずかしいことだけは分かっているが,その点を強調する以外になにも確言できていない。その程度の事情理解であった。
〔記事に戻る→〕 国と東電は当初,作業時の被曝(ひばく)リスクを下げるため,格納容器全体を水で満たして取り出す方法を検討していた。だが,技術的にむずかしいと判断。いまは水を抜いて取り出す方法に転換し,格納容器の小さな開口部などを利用して横からアクセスする方針だ。
補注)格納容器そのものがダダ漏れ状態になっているゆえ,このように解説されるほかなくなっている。前段で引用した小出裕章が2011年4月の時点で語った(予測した)以上に,東電福島第1原発事故現場はグチャグチャに破壊されている。このことだけは,しかと理解できる。
ここまで話を聞いただけでも,この現場の後始末や廃炉にを完遂するために要する作業工程は,22世紀まで視野に入れるべき難問である点を,それこど問答無用的に,否応なしに理解するほかない。
〔記事に戻る→〕 2号機が取り出し開始の先頭に立ったのは,このルートを確保しやすかったためだ。2019年,格納容器の横から釣りざお状の装置を入れ,デブリとみられる小石状の塊を遠隔操作でもちち上げることに初めて成功。えられた知見を踏まえ,電力会社や原子炉メーカーなどで作る国際廃炉研究開発機構(IRID)が,新たな装置の開発を進めている。
IRID開発計画部の奥住直明部長は「高線量や未知の環境下でも信頼できる装置が求められる」と話す。まずはアーム型の装置でデブリをつまんだり,吸引したりする計画。デブリがどんな性質でも対応できるように,先端の形状を変えられるようにする。ただ,試験的に取り出す量は数グラム程度にとどまり,その後の本格的な取り出しの道筋はまだみえない。
補注)あえて断わっておくが,この手になる話法,つまり「いくらかは分かったこともあるが,これからまだまだ未知ばかりの後始末の問題である」という事情であるからには,いったいいつごろになったら,事故を起こした原発内部の後始末が終えられ,つづいて廃炉工程そのものにまで工事が進められうるのかという点そのものが,結局分からずじまいであった。
この種の話題は,いままで繰り返してなんでも,新聞の報道を介して読まされてきた。その繰り返しばかりであった。
〔記事に戻る→〕 2号機以外の先行きも厳しい。3号機では,2017年に圧力容器からつららのように垂れるデブリとみられる物質が水中ロボットで確認されたが,取り出すには格納容器内の水位を下げる必要がある。1号機では,格納容器内に調査の装置を入れるルートの確保が難航。デブリの存在じたいを確認できていない。(引用終わり)
ここで,関連する記事をひとつ紹介。「汚染水処分,福島で意見聴取」『朝日新聞』2020年3月17日夕刊8面「社会」
※-2「〈もっと知りたい〉福島第1原発:1 漏れた放射性物質,敷地内の状況は?」『朝日新聞』2020年3月16日夕刊9面「解説」
この記事は,※-1の前日に出ていた連続ものの解説記事であった。こちらも図解をさきにかかげておく。
東京電力福島第1原発で3基が炉心溶融した未曽有の事故から9年が過ぎた。がれきの撤去や地面の舗装などが進み,東京ドーム約75個分(約350万平方メートル)ある敷地の96%は全面マスクや防護服などの装備が不要になった。だが,まだあちこちに放射性物質が不安定なかたちで残されており,全体としては油断できない状態が続いている。
原発では本来,放射性物質が厳重に管理されている。核燃料は被覆管や原子炉圧力容器,格納容器で何重にも閉じこめられ,汚染されたものは管理区域内からもち出せない。9年前の事故でその「壁」が破れ,放射性物質が大量にまき散らされた。
原子力規制委員会は,敷地内のどこにどれほど放射性物質があるか,安定した状態かどうかを重みづけしたマップを作製。全体のリスクを効果的に下げ,廃炉を安全に進めるのに役立てている。
敷地内で放射性物質が多く残る代表格は,1~3号機の原子炉建屋だ。とりわけやっかいなのが,圧力容器や格納容器のなかに存在する溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)。人が近づけないほどの放射線を出し,いまだ全容がつかめていない。
建屋内の上層階にある使用済み燃料プールには,計約1500体の核燃料が残る。燃料じたいはほとんど壊れていないが,事故で建屋が爆発したり,プールの設備が使えなくなったりしたため,保管場所としての安定度は高くない。事故で大きな損傷を受けなかった共用プールや,空気で冷やす専用容器の保管エリアなど,地上のより安全な場所に早く移す必要がある。
1,2号機の建屋のそばにある高さ約120メートルの排気筒も,リスクが高い。事故時に放射性物質を含む蒸気を放出するベント(排気)に使われた。付近の線量が高く,一部が損傷して倒壊の恐れもある。昨〔2019年〕夏からようやく遠隔操作での解体が始まったが,トラブル続きで難航している。
補注)なにゆえ「トラブル続き」になっていたのか? 放射性物質の汚染が高度であるせいであった。この点が通常の解体工事とは根本的に,質的にも異なる原因となって,工事じたいの円滑(まとも)な進行を妨げている。
〔記事に戻る→〕 建屋の地下には,燃料デブリの冷却で生じる高濃度汚染水がたまる。液体は漏れやすいため,固体より管理に神経を使う。建屋地下から外に漏れないように周りの地下水位を建屋内部の水位より高く保ったり,津波で海にさらわれないように海抜11メートルの防潮堤を建設したり,リスクを抑えるさまざまな対策がとられている。
高濃度汚染水は,4号機の南側にある2つの建屋の地下にも貯留されている。汚染水を処理する多核種除去設備(ALPS)などから出る廃棄物の保管施設も,リスクが高い。廃棄物は固体状だが,汚染水から放射性物質をたっぷり吸着するため線量が高く,増えつづけている。
処理済み汚染水をためる約1千基のタンクは,ほかの施設と比べると放射性物質の量は相対的に少ない。いまはタンクの性能があがり,漏れるおそれも小さくなった。保管しつづけることを求める声もあるが,増設スペースの余裕がなく,タンクが廃炉作業の妨げになりかねないとして,海洋放出などの処分方法が検討されている。(引用終わり)
朝日新聞社などはこの「処理済み汚染水」という用語関係では,そのまま「汚染水」と呼んで報道している。ところが,日本経済新聞社などは「処理済み汚染水」のことを「処理水」と報道している。
しかし,この処理されたという汚染水が「まだ汚染された水でしかない」ことは確かな事実である。それゆえ,問題のトリチウムという放射性物質の汚染まで除去できていない事実を,どのように認識するかについて,まだ議論の余地が残されている。
とはいえ,この「処理済み汚染水」のことを「処理水」と呼ぼうと呼ぶまいが,ともかく「汚染水」である事実に変わりはない。
国際原子力機関(International Atomic Energy Agency,略称:IAEA)は,国連の保護下にある自治機関である(国際連合の専門機関ではない)が,このトリチウムを残している汚染水を海に放出することを,正式に認めている。
そのやり方は,トリチウムという「放射性物質の汚染」がもたらす危険性に目をつむったうえでのあつかいである。日本の原子力規制委員会も同じ立場であるけれども,福島県などの被災地,とくに漁業関係者筋からの猛烈な反対のために「動きがとれない」立場に置かれている。
補注)現在(2023年8月から2024年3月)まで新しく記録してきた経過でいえば,前述にも触れてあったように,東電福島第1原発事故現場からはすでに,汚染水の海洋放出は開始されていた。2023年度におけるその計画は,合計約3万1200トンを放出する計画になっていた。
しかも,地元の漁業者に対する態度を180度豹変(逆転)させたうえで,太平洋に向けてその汚染水を放出しはじめていた。今日の時点でその第1回目の放出期間がそろそろ,ひとまず終了する時期を迎えていた。
※-3「原発事故処理に再エネ財源 目的外使用,可能に 政府法案」『朝日新聞』2020年3月18日朝刊3面「総合」
この※-3の記事は,原発がとうとう厄介者でしかなくなっている本質・本性を現わしはじめた経緯・事情を説明していた。
「安価・安全・安心」といった「原発神話の3本柱」が,本当のところでは「初めにウソありき」の創話:寓話であった事実は,いよいよ隠しようもない,いまの時期になっている。
というしだいであってこんどは,原発事故関連において発生させられるコスト,それも社会的費用としてのその外部費用を,政府の予算のなかに関連づけて埋めこみ,負担させるべく,原子力村側の「魂胆」が登場している。
この記事を引用する。
--政府は,再生可能エネルギーの普及などに使い道が限られているお金を,東京電力福島第1原発事故の処理費用にも使えるようにする。処理費用が想定よりさらに膨らむ恐れがあり,財源が逼迫することに備えるという。使ったお金は将来,返すとしているが,一時的でも原発政策の失敗を別の目的で集めたお金で穴埋めすることになる。原発のお金をいまの仕組では賄えなくなってきている。(▼経済面=「原発は安い」疑問符,← つぎの ⑤ でとりあげる)
政府は一般会計予算とは別に,エネルギーの関連予算を「エネルギー対策特別会計」(エネ特)で管理している。さらにエネ特のなかで目的別に財布を分けていて,原発の立地対策など主に原子力政策に使う「電源開発促進勘定」(電促勘定,年3千億円ほど),再生エネや省エネの普及,燃料の安定供給などに使う「エネルギー需給勘定」(エネ需勘定,年8千億円ほど)などがある。
電促勘定の財源は,電気利用者の電力料金に上乗せされている電源開発促進税で,エネ需勘定は石油や石炭を輸入する事業者などから集める石油石炭税となっている。両税はいずれも,それぞれの勘定の目的にしか使えない特定財源だ。
ところが,政府は今月〔2020年3月〕3日,エネ需勘定から「原子力災害からの福島の復興及び再生に関する施策」に使う資金を,電促勘定に繰り入れられるようにするための改正特別会計法案を閣議決定し,国会に提出した。エネ特で勘定間の繰り入れを可能にする変更は初めてという。
背景には,電促勘定の苦しい台所事情がある。同勘定の収入は例年大きく変わらない。ただ,東電が負担するはずの原発事故の処理費用について,2013年12月の閣議決定で一部を政府が負担することになり,2014年度から汚染土などの廃棄物を保管する中間貯蔵の費用を電促勘定から毎年約350億円計上してきた。
その処理費用は当初想定より膨らんでいる。経済産業省が2016年末に公表した試算で,中間貯蔵事業は 1.1兆円から1.6兆円になり,電促勘定からの支出は2017年度から年約470億円に増えた。政府関係者によると,今後さらに増える可能性があり,財源が足りなくなりかねないという。
政府は改正法案をいまの国会で成立させ,来〔2021〕年4月の施行をめざす。法案では繰り入れた資金は将来,エネ需勘定に戻すことも定めているので問題ないとする。ただ,再エネ普及などのために集めたお金を一時的にでも,国民の間で賛否が割れる原発のために使えるようにする変更には反発も予想される。
青山学院大学の三木義一・前学長(税法)は「特別会計は一般会計に比べ,国会で審議される機会が少なくチェックが利きにくい。今回の変更の内容は原発にかかわるだけに重大で,異論を唱える国民もいるのではないか。適切な改正なのかどうか,政府は国民にわかりやすく説明する必要がある」と話す。(引用終わり)
この記事は,けっして道理ではありえない非理の問題を指摘していた。東電福島第1原発事故のために,これからも発生していく膨大な費用(実質的には社会的な費用になっていく経費:負担)は,結局,国家財政⇒国民経済のなかにごまかす要領でまぎれこませて負担させる企みが,それも堂々と告白されていた。
原発はいまでは事故を起こさなくても,その維持・稼働のためには莫大な原価を要する機械・装置になりつつある。
前述の記事に出ていた九電の原発関連の報道(運転停止)は,その事実の一環を正直に物語っていた。この原発の利用に関する情勢は,「今後,九電の川内2号機のほか,関西電力や四国電力の原発も停止を余儀なくされる見通しだ」とも指摘されていた。
いわば,東電福島第1原発事故現場は日本だけにかぎられた話ではないが,世界における原発利用の趨勢に対して,オセロゲームのような展開をうながすような,もっとも基本的な要因を提供した。
2011年「3・11」以前であっても,再生エネの動勢は盛んな実際になっていたが,そのなかで完全に遅れをとっていた「日本でこそ原発事故が発生していた事実」は,再生エネの動勢に向かうほかない時代の流れを決定づけたといっていい。
それにしても再生エネ関連の諸事業展開が,いまや最大の問題児:厄介者となってしまった東電福島第1原発事故の尻拭いにまで悪用されはじめようとしている現状は,原発政策がそもそも最初から大きな間違いを犯していた事実を,いまさらにように露呈させた。
※-4「『原発=安い』論に疑問符 福島の事故処理に再エネ財源 中間貯蔵費,膨張続く恐れ」『朝日新聞』2020年3月18日朝刊7面「経済」
この記事はまだ遠慮がちに「『原発=安い』論に疑問符」などと見出しを付けているが,すでに確定版である「原発,それダメ論」のことを,このように控えめな文句の見出しを用意するのは,へっぴり腰の報道姿勢である。どこかへ忖度でもまだしているのかとみまごう記事である。
東京電力福島第1原発の事故処理費用について,政府が原発以外の目的で集めたお金を使えるように法改正をめざす背景には,原発にかかるお金がいまの仕組ではまかなえないほど膨らんできていることがある。安く電気をつくれることを理由とする政府の原発推進の立場に,疑問符がついている。(▼3面参照)
補注)ここでは,すでに時代錯誤である原発の利用について,政府側がまだ「推進の立場」にこだわっていると書いている。いまとなっては,非常に物入りで最大の厄介者になっている原発(事故も起こした)に,〔旧〕安倍政権・経産省エネルギー資源庁は,まだなにかこだわっていた。そこに残る理由があるとしたら,「原発の兄貴で双生児」であった「原爆(核兵器)」の問題しかない。
〔記事に戻る→〕 今回の対応のきっかけとされるのが,原発事故で生じた汚染土や放射性廃棄物を処理して一時保管する中間貯蔵の費用だ。政府が2014年度から年約350億円を出してきたが,事故処理費用が当初想定より2倍になる見通しとなり,中間貯蔵への支出も2017年度から約470億円になった。
複数の政府関係者によると,この費用が今後もさらに膨らむおそれが出てきているという。そしてここ数年,財布となる「エネルギー対策特別会計」(エネ特)の「電源開発促進勘定」(電促勘定)の収入を増やす対応策を,水面下で検討してきた。
そのひとつが,電促勘定に繰り入れられる特定財源の「電源開発促進税」の引き上げだ。だが,電気料金に上乗せされている税金のため,増税となると国民の反発も予想される。「国民負担の増加を避ける」という理由で見送られた。
残ったのが,エネ特の中で再生可能エネルギーや省エネの普及などに使う「エネルギー需給勘定」(エネ需勘定)からの「借金」だ。エネ需勘定からのお金を回した場合,再生エネや省エネの普及に支障は出ないのか。政府関係者は,そもそもエネ需勘定は「無駄が多い」との批判があると指摘する。支出を見直すことで支障は出ない,とみているようだ。
だが,別の政府関係者は電促勘定については今後,中間貯蔵の費用だけでなく,「(高速増殖原型炉の)もんじゅなどの廃止措置費用もかさむ」と話す。再生エネや省エネ分野にしわ寄せがいく可能性は残る。
一方,エネ需勘定の目的にしか使えない特定財源の「石油石炭税」を原発に使う是非は,政府の会議や審議会で表だって議論されなかった。今回の改正法案は,復興庁の設置期間の10年延長など5つの法案をひとくくりにして国会に提出されており,国会で十分審議されるかも不透明だ。
経済産業省の担当者は「自民党に報告し,審議をいただいた。国会でも審議してもらう。必要なプロセスは踏んでいる」と話す。
◆ テロ対策も,みえぬ総費用 ◆
政府は原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ,事故後に止まった原発の再稼働を推し進めている。2018年のエネルギー基本計画では,2030年度に電力の20~22%をまかなうとした。達成には30基ほどの再稼働が必要とされる。
理由のひとつとして挙げるのが「安さ」だ。政府は2015年の試算で,原発の発電コストは1キロワット時あたり「10.3円以上」で,水力(11.0円)や石炭火力(12.9円)と比べてもっとも安い電源だとしている。
補注)この段落の内容は説明ではなく,単にただ「間違えた主張」でしかない。いまの段階で,このような「原発による発電単価の理解」が妥当だというみなせる理由は,完全になくなっている。そうでなければ,架空に想定された「原価計算」にもとづくいいぶんでしかありえない。
〔記事に戻る→〕 だが,原発のコストは膨らむ一方だ。事故処理費用では,汚染土などの最終処分費がどれくらいになるかもまだ分かっていない。政府は法律上,2045年までに汚染土を福島県外に運び出し,最終処分を完了しなければいけないことになっている。
原発そのもののコストもかさんでいる。新規制基準で義務づけられたテロ対策施設の設置費用は,当初想定の2~5倍となり,電力11社の安全対策費は昨〔2019〕年7月には計5兆円となった。
こうした原発政策のトータルの費用が,いったいいくらになる見通しなのかはわかっていない。政府には原発政策をめぐる議論の土台となる,このデータを示すことが求められている。(引用終わり)
原発のあつかいに関する問題は,まるで戦争みたいな筋書きに近い話になってきた。アメリカが原発の双生児である原発を開発し実戦用として使えるまで,その費用をどのくらいかけたか?
ともかく,原爆は兵器である。ただし,その民生用に応用されて開発されたという原発は「平和目的に利用される」のだと当初は強調されていた。
しかし,「スリーマイル島原発事故」(1979年)⇒「チェルノブイリ原発事故」(1986年)⇒「東電福島第1原発事故」(2011年)という三段跳びを余儀なくされた「原発の始末」は,
この原発からえられた電力利用による「経済的な効用」など,まったく及びでないほど大規模に,国家経済社会を破壊してきた。
そしてもちろん,地球環境の破壊をもたらしている。
まさに『恐怖の電源』が「原子力を応用した発電方式」である「原発」といえる。
通常いわれる「費用対効果」(cost and Benefit)の計算枠組とは,完全に無縁であり,埒外というほかない電力生産方式が原発である。日本の国民たちにかぎっていっても,あの「3・11」を契機に,トンデモな厄介者=鬼子を体内(国土の上)にかかえさせられている。
東電福島第1原発事故の後始末作業が,廃炉工程に入るまえの仕事として,きちんと片づけられないまま,いまでもなお「汚染水問題」などを代表に,ぐずぐず継続させられている。
ましてや,デブリそのものを除去するための「廃炉工程に入る以前に位置づけられる作業手順」(これは廃炉工程そのものと区別しにくい要素があり,いっしょくたになっている局面もある)が,いったいいつになったら片づいたといえる時期になりうるのかからして,まったく見通しすらついていない。
以上のごとき「21世紀の日本原発」をめぐる時代状況は,『原子力という《悪魔の火》』がこの国に贈ってくれた鬼子が跳梁跋扈するごとき状況を,全然,制圧できていない事実を教えている。
〔いまは故人となっているが〕安倍晋三君自身も,生きていたころの状況のなかでは,その火に存分にもてあそばれていた。彼はだから,無理やりにも「ボクが東電福島第1原発事故をアンダーコントロールしています」という大ウソまで吐くしかない立場にあった。
いずれにしても,それはたいそうデタラメな発言であった。
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