工藤美代子・加藤康男夫妻の「関東大震災直後の朝鮮人・中国人などの虐殺を否定する偽本」公刊の狙い
※-1 工藤美代子・加藤康男夫妻が懸命になって「関東大震災直後の朝鮮人・中国人などの虐殺を否定したい著作を発行」したが,その中身はフェイク満載,「デタラメ」の極致であって,偽説と虚構で全身を扮装していた
#関東大震災 #朝鮮人虐殺 #フェイクで否定 #工藤美代子 #加藤康男
1) 工藤美代子・加藤康男夫妻は,そうした「ウソ=フェイクを地でいくトンデモ本」であっても,日本社会の内側からの需要があるかぎり,これからも応じていく。もっとも,現在,美代子は72歳,康男は82歳だから,どこまで活躍していくか,今後も注視してみたい。
この種のウソ=フェイクを一生懸命にかつ大々的に耕しつづける役割を担った欺瞞「本」は,「関東大震災直後に発生した朝鮮人大量虐殺事件」を「歴史の事実」とは認めず,封殺しておきたい人びとに歓迎されたのである。つまり,日本社会の側にそれなりに需要があった。
それにしても,彼らはいったい,当時,第1次大戦後の「大正後期の歴史」を,どのように回顧していたのか?
仮にでも,「関東大震災直後に発生した朝鮮人大量虐殺事件」といった歴史的な大事件を認めたくない人びとは,一方においてさらに,太平洋戦争末期における米軍B29による「本土爆撃」や「広島・長崎への原爆投下」をフェイクだと反論し排斥していなければ,とうてい均衡が取れない言説となるはずである。
だが,それほどにまで執心して, “徹底的に馬鹿げた〈否定じたい〉のためのだけのリクツ” をこねくりまわすことを止めない,その根幹に控えている精神構造の特質は,いったいなんであったのか。あらためて詮索してみる価値がある。
2) 2023年3月3日の時点で,以上の 1) のごとき人物たちがなにゆえ,過去において存在できていたのか,その事由を考えてみたい。少し議論が長めになる。
工藤美代子の配偶者(夫)である人物,加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(前掲にアマゾンの広告)はワックという出版社から,2014年8月に公刊されていた。安倍晋三政権下に展開されていた当時の政情をにらんで,同書は刊行されていた。
つまり,この2014年8月という時期は,安倍晋三が朝日新聞社の「従軍慰安婦問題誤報問題」--ただし「?」がきわめて強い決めつけにすぎなかったが--をとらえたつもりになって,必死に・しゃかりきに攻撃をくわえはじめていた。
安倍晋三の脳内思考回路によれば,その「歴史の事実」は「異次元的に抹消できる」と思いこんでいたゆえ,このボンボン政治屋はことのほかたいそうな自信をもって,「朝日新聞社従軍慰安婦問題の報道〈誤報〉」を攻撃材料に使って,この新聞社を潰したい意向を露骨に行動に反映しはじめていた。
第2次安倍政権が発足した2012年12月26日以後,実際に展開されてきたアベノミクスとアベノポリティックスは,世間に対しては鉦と太鼓を鳴らして喧伝されていた。
けれどもその実際をみるに,一方で,アベノミクスが経済政策の大失敗を犯しつづけるなかで,他方で,アベノポリティックスが「歴史問題にかかわる事実否定」「政治的な歪曲」を平然と重ねてもきた。
外交面でのアベノポリティックスには,まったくみるべき成果がないどころか,アメリカのトランプには子どもあつかいされ,プーチンからは赤子のようにあやされる外交で応対されていた。
2022年7月8日,奈良市に参議院選挙に立候補した人物の応援演説に出向いたところで,統一教会「宗教2世」山上徹也に銃撃され死亡していた。「悪徳政権の最高責任者であった人物の散華」のさいしてとなれば,かくのごとし顛末を招来せざるをえなかったのか。
3) ともかく,2013年以降における安倍晋三の政権運営は,小泉純一郎政権時代に竹中平蔵がすでに,この日本国の社会経済構造を破壊しつづけきた結果を受けての中身になっていた。
それゆえ,この政権がなにかを新しく創造する可能性は皆無であったのであり,ただ「いまだけ,自分だけ,カネだけ」の政治屋連中を国会とこの周辺に蝟集させうるだけの内政になりはてていた。
安倍晋三が「世襲3代目の政治屋」の無能ぶりを率先するかたちで発揮してきただけに,この国の政治・経済・社会は,ひたらす荒廃の度合を深めてきた。例の「失われた10年」の第3周期に同期化して存在した第2次安倍政権は,あたかも線路状態の悪い既定路線をただよたよたと走るかのようにしか,自分の為政をなしえなかった。
2010年代における日本は,凋落していく政治・経済過程そのものまでも「死物化(私物化)させていた政治手法〔縁故主義の運営〕」によって延命させられてきた。
要は,安倍晋三の迷指揮のもとで,まるで無能・無策であった国家の運行が試みられてきたわけだが,現実の事態はとみれば,よりいっそう劣化・退廃の度合を深める方途にしか向かえなかった。
4) 自民党は民主党政権時(2009年から2012年)を「悪夢のような時代」と蔑称したが,現在の自民党政権は統一教会との腐れ縁を足手まといにしたまま,すでに自国を「発展途上国並み」の経済水準と社会条件しか有しない国家にまで転落させてきた。つまり,多くのひとたちがひどく貧困の社会層に追いやられてきただけでなく,精神的にも余裕をもたないまま暮らすほかない「国民経済の環境」まで創りあげてきた。
いまの自民党政権は「幼稚だという意味でカルト的である」と同時に,数多く居る「世襲3代目の政治屋」たちが中心になって,しかも自覚症状もなしに「前近代的な政治体制」に腰までドップリ漬かっている。つまり,にっちもさっちもいかない体たらくの為政が蔓延するなかを,それでも自分たちはいっぱしに「政治家気取り」でいられのだから,この国の政治は末期的症状すらすでに通過していた。
国家存亡の危機に関する具体的な兆候はたとえば,2023年3月1日『東京新聞』朝刊に掲載された記事,「2022年の出生数,初の80万人割れ 想定より10年早く…『賃金が低いから無理』」『東京新聞』2023年3月1日 06時00分, https://www.tokyo-np.co.jp/article/233787 に如実に表現されている。この記事から図表のみ参照する。安倍晋三の第2次政権は実質,2013年1月から発進していた。
以前,本ブログの筆者は2022年の出生数は74万人くらいに減少すると,かなり悲観的にきびしい数値を予測したことがあるが,これは関連の統計の読解に偏りがあったとはいえ,その全体として理解すべきその減少傾向は,基本として不可避であった。
結局,2022年における出生数は80万人を若干切ると予測されているが,「国外で生まれていた日本国籍の新生児」および「国内で生まれていた外国籍の新生児」をさらに引くと,77万人くらいになると推測されている。
80万人を切るという出生数の数値でも,これは大変だ,このさき亡国につながりかねない事態だと驚かれている。しかし,安倍晋三は第2次政権の時期,つまり,2012年12月26日から2020年9月16日まで自分が首相に就いていた期間,人口対策問題をどのように国家的な課題としてとりあげてきたのか?
子どもの問題が「家の,家族・家庭の場での問題」である点は事実だとしても,その責任を貧困化した格差社会にのほうになすりつけることはできない。結婚しない・できない,だから子どもを儲けない・産まない若者層がどんどん増えてきた。以上は,自民党+「平和と福祉の党:公明党」(?)の野合政権が残してきた社会政策の実績であった。
5) しかし,安倍晋三は「美しい国」を追い求める政治屋家業として,まず最初に取り組んだ政治作業(課題?)が,従軍慰安婦問題の報道をめぐり若干の事実誤認があった点を手がかりに使い,朝日新聞社に対して最大限の攻撃をしかける仕事であった。
もっとも,ほかの大手紙も朝日新聞社と大同小異に,従軍慰安婦問題については同種の報道をしていた。だが,なぜか,朝日新聞社だけをかくべつに憎んできたのが,安倍晋三の立場であった。
そこでは,リクツより感情が先行していただけで,まともな議論など成立する余地などありえなかった。ひたすら権柄尽くで攻撃一方に走る「安倍晋三的な政治行動」になっていた。冒頭に挙げた加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック)が,2014年8月にあらためて公刊されている事実は,その意味でも注目しておかねばならない時期的な一致点であった。
問題は,内政から外交までが子ども政治屋:安倍晋三君に大混迷化させられてきたこの国になっていた事実にあった。ところが,この「世襲3代目の政治屋」のボンボンが総理大臣をやっているうちに,国家運営にとって基盤となる人口統計のうち,出生数や合計特殊出生率は,以上に記述してきたようにじりじし減少してきた。安倍晋三は首相としてこの人口問題に対して,なんら効果ありうる政策をほどこせなかった。
安倍晋三がまだ首相の座にいた2018年5月時点ですでに,つぎのような記事が書かれていたが,一事が万事であった。要は「安倍晋三はウソつきの始まりだ」として総括される問題が,このアベの政権に特有の基本性格になっていた。したがって,この政権は長期になればなるほど「日本の政治」を劣化・弱体化させた。
この記事の題字には出ていなかったが,国家統計の偽造・捏造までおこなわせた安倍晋三は,まさに国家破壊を地でいった「世襲3代目の政治屋」であって,国民の生活や権利を守るために存在するはずの政治家の姿とは,完全に異なっていた。
6)ここで,本日の話題(本論)に戻る。まず本稿の要点を挙げる文節となる。
ともかく,1923(大正13)年9月初旬,関東大震災発生直後に起こされた「朝鮮人(などに対する)大量虐殺」は,これが「歴史の事実」であったとしても, 「見ざる・言わざる・聞かざる」の要領に徹していたい否定「論」が,日本社会における特定の勢力群のなかに根強く存在してきた。
要点・1 観たいものだけを観るのはいいが,「歴史の事実」を歪曲・無視・隠蔽したら,歴史の元も子もすべてなくなる。
要点・2 当時,多くの日本人が多くの朝鮮人や中国人,そして日本人の社会主義者までもついでに殺戮していながら,いまとなって三猿の要領で「知らぬ顔の半兵衛」を決めこむのは「頭隠して尻隠さず」。
要点・3 関東大震災級をはるかにしのぐ,東日本大震災級の巨大地震「東海地震,東南海・南海地震」が,近いうちにいつ発生してもおかしくない時期になりつつある。2011年3月11日の東日本大震災は,「超大規模な地震と津波」を発生させたが,その時にも特定の流言蜚梧が飛ばされていなかったわけではない。
1年半ほど前の「2021年の9月1日」のことになる。購読している2紙朝刊が配達され,これに目を通してみたが,1923年の9月1日正午の直前に発生していた関東大震災について触れる紙面は,とくにみつからなかった。
もっとも,関東地方では地方紙だが準大手紙の『東京新聞』は2021年9月1日朝刊に,つぎの記事を掲載していた。時系列的に前後するが,こちらをさきに掲示しておく。
◆-1「関東大震災のデジタルアーカイブ開設 再来年の100年の節目に向け第1弾公開」『東京新聞』2021年9月1日 06時00分〔朝刊〕,https://www.tokyo-np.co.jp/article/128070
◆-2 さらにその前日の『東京新聞』2021年8月31日 12時00分, https://www.tokyo-np.co.jp/article/127963 は,「関東大震災の朝鮮人虐殺の記憶を継承 証言集『風よ鳳仙花の歌をはこべ』が30年ぶりに復刊」との見出しになる記事を,さきに掲載していた。
※-2「 東日本大震災直後 略奪,暴徒化…『外国人犯罪が横行』とデマ拡散 『信じた』人86%にも 東北学院大教授が調査」『産経新聞』2017/1/17 10:10,
https://www.sankei.com/article/20170117-J22HTROQ4VMPHIZRSOXDRHUEKQ/
この記事を紹介してしばらく議論したい。
1) 東日本大震災の直後に被災地で流れた「外国人による犯罪が横行している」とのデマを信じたとする人が8割以上に上ることが,東北学院大の郭 基煥(KWAK, Kihwan)教授の調査で分かった。
実際には当時,被災3県の外国人犯罪の発生率にはほとんど変化はなかったが,デマは否定されずに拡散していった。非常時の人びとの心理状態も影響したとみられ,郭氏は警鐘を鳴らしている。
調査は昨〔2016〕年9月から10月,仙台市内の3区と東京都新宿区で700人ずつ実施した(回答率33.7%)。
調査によると,仙台市のアンケート結果で,「被災地における外国人による犯罪の噂」を聞いた人は51.6%。うち,86.2%の人が噂を信じたという。
噂となった犯罪のうち,遺体損壊は「外国人によるもの」が28.0%で,「外国人以外によるもの」の10.8%に比べ大差がついた。
郭氏は「震災当時,被災地では『遺体の指を切断して指輪を盗む人がいる』などの噂があった。残虐性の高い犯罪は外国人と信じた人が多い」と指摘する。
さらに,「誰がしたと信じたか」という問いには,中国系が62.2%,朝鮮・韓国系が24.9%,東南アジア系が22.4%となった。
噂の情報源は「家族や地元住民」という口コミが68%。次いで「インターネット」が42.9%だった。
一方,刑法犯に占める外国人(来日・永住外国人)の割合は,宮城県が平成22〔2010〕年 1.3%,23〔2011〕年 1.5%,24〔2022〕年 1.3%とほぼ変わっていない。
岩手県も平成22〔2010〕年 0.9%,23〔2011〕年 0.4%,24〔2012〕年 0.9%。
福島県(永住外国人を除く)も平成22〔2010〕年 0.55%,23〔2011〕年 0.33%,24〔2012〕年 0.52%,と大きな変化はみられなかった。
これとは別に,震災当時の被災地の印象について,「被災地の住民は秩序正しく行動している」と思っている人は仙台市,新宿区合わせて78.7%に上った。
郭氏は震災時の「日本人は秩序正しい」というイメージが犯罪行為とはかけ離れており,これが「外国人が犯罪をおこなっている」というデマに発展したと指摘。「災害時には,流言から暴力への発展を抑える必要がある」と警告する。
関東大震災(1923〔大正13〕年)では「朝鮮人が暴徒化した」などのデマがきっかけで,外国人に対する迫害も起きた。
こうした教訓もあり,震災当時,宮城県警や地元メディアは「被災地で性犯罪や外国人による略奪行為が多発している,といったデマが横行している」と注意喚起をしていた。
だが,昨〔2016〕年4月の熊本地震のさいにも「動物園からライオンが逃げた」というデマを短文投稿サイト「ツイッター」に投稿した男が偽計業務妨害の疑いで逮捕された。
郭氏は震災時,日本人と外国人が実際に接触していた避難所などでは大きなトラブルは起こらなかったとし,「災害時には流言が起りやすいということを認識し,噂は噂だったとしるべきだ」と指摘。
さらに,「『非常時には外国人に対するデマが広がりやすい』という認識を日ごろからもっておく必要がある」とも話している。
2) ところで,この記事を即日に転載しただけのブログ,『シエスタ速報』2017年01月17日「郭 基煥(カク・キカン)東北学院大教授『被災地の外国人犯罪デマ,可能性高まる。何かきっかけに悲劇が起きる』」[2014/01/16] http://siesoku.blog.jp/archives/16222632.html の末尾に設けられたコメント欄には,いまどき風に「フェイクだらけのデマ的な書きこみ」がたくさんぶら下がっていた。
このような「ネット空間での言動」は,実際のところ「一部の好き者たち」が,その「小さな窓口」から「大量に同じような記載」を盛んに繰り出す〈SNSの社会現象〉であるゆえ,それほど評価するまでもない内実である。
だが,ただし,このように連発されるその意図の薄暗さに関しては,用心深く接する余地があり,社会学的・社会心理学的・群衆心理学的な吟味と検討が必要である。
ということで,そのコメントについては,文章(発言の)部分のみ以下に抽出・列記しておく。これらは「流言蜚梧の今日的:21世紀的な現象形態」とでも形容できる。
罵詈雑言のかぎりがつくされ,しかもデタラメ三昧の珍説が,これでもかといわんばかり開陳されていた。なかには例外的に異質の発言もないわけではないが……。
当該のブロガー(『シエスタ速報』の主)がこのようなコメント:書きこみだけを残して,あえて紹介しているとは考えにくい。そうだとしたら,いわゆる「ネトウヨ的大衆諸君」の雄叫び具合は,ごく一部の人びとのきわだって突出した感情発露だっただとはいえ,醜悪・下劣だなどと形容する以前に,大日本民族の “帝国臣民風の今日的な痴態” を,いまさらのように。それも恥さらしに演じる「言上の一覧」になっていた。
しかも常例として,無責任と不埒を常套とするこの種の発言であるから,読む堪えない迷論,誤説の大安売りが,それこそ一山いくらで店先に置かれている。このゴミにも出せないごとき,つまりリサイクル不能のド・ヘリクツ集には,いいかげんアングリさせられる。
それでもとくに注意しておきた点があった。これらは,そのほとんどが2017年1月16日中に,つまりきわめて短期間のうちに集中的に発信されていた。いってみれば,「偏見と差別」の発言事例のオンパレード,その集中砲火が飽和攻撃的に実行されていた。
もっとも,これらの発言に対してまともに突っこみを入れるとしたら,その箇所はキリがないほど盛りだくさんにある。もともと,論理性も客観性も科学性も歴史性もなにもあったものではない駄弁・奇弁・珍弁ばかり……。
しかしそれでも,ここではひとまずじっと我慢をしながら聞くことにする。とにかく,以下に連々と,しかもグチャグチャした内容であるが,紹介するほうも,かなり我慢しつつ引用しているつもりである。。
以上,2014年中のある書きこみ,コメントの羅列から一部を紹介したものであった。まだだいぶ残っているが,切りがないので,途中で引用を終わりにしておいた。
こうしたコメントの,ともかく支離滅裂で徹底的にハチャメチャな意見は,風船玉を膨らませる要領で針小棒大に解釈した〈誤意見〉が,99.99%以上を占める。
程度の悪い無知・幼稚・暗愚を,みずから平然と公表できるネット空間が与えられている。というわけで,その意味での「この国に生きている幸甚なる自由度」だけならば,あらためて存分に享受されるかたちで,このようにその無教養ぶりを思う存分に御開陳,とあいなっている。
それれもまた,ある種の「言論の自由」だといえようか。
さて,以上のごとき発言に火種を提供しただけでなく,さらに油を注ぎ,扇ぎたててきた,いわばエセ「ノンフィクション作家」がいた。それが工藤美代子と加藤康男の夫婦・組であった。この夫妻のデタラメ絵図でしかありえなかった関東大震災における朝鮮人虐殺否定論が,つぎの※-3 でとりあげられ,議論される。
【参考画像】
※-3 加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』2019年6月が,あらためて解明する「関東大震災」時の朝鮮人惨殺行為
この加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』ころから(これは出版社名である),2019年6月は,つぎのような中身と編成とし,案内されている。
「内容説明」
工藤美代子,産経新聞,日本会議,自民党文教族,小池都知事,百田尚樹,彼らがかかげた「虐殺否定」は幼稚な “フェイク” だった! 虐殺否定論とは認識の誤りではなく,人をだます目的でしかけられたトリックなのだ。
「目 次」
第1章 虐殺否定論はネット上のフェイクである
はじめに 関東大震災時の朝鮮人虐殺とは,どのような事件だったのか
1 「朝鮮人虐殺はなかった」という「説」は存在しない
2 虐殺の史実を伝えているのは「証言」だけではない
3 「朝鮮人暴動はデマではなく事実」というデマ
4 ネットに出回る「朝鮮人暴動」記事は震災直後の誤報にすぎない
5 「悪いことをした朝鮮人もいた」のか
6 そもそも「朝鮮人暴動」がどれほど荒唐無稽な話が考えてみる
コラム「約6000人」をめぐって-虐殺犠牲者の人数を考える
第2章 虐殺否定論はトリックである-虐殺否定論を「発明」した工藤夫妻 / “トンデモ本” ではなく “トリック本”
【第1のトリック】 震災直後の流言記事を「証拠」扱い-「暴動」を否定する10月以降の記事は黙殺 / 虐殺研究書から流言記事を抜き出して否定論に悪用
【第2のトリック】 政府隠蔽説の根拠は「お父さんの一言」-膨大な記録が残る虐殺の史実
【第3のトリック】 朝鮮人犠牲者の数を極少化する数字の詐術-あいまいな数字を重ねる「推計」/ 教科書どおりの古典的な詭弁
【第4のトリック】 史料を都合に合わせて切り貼りする-虐殺の記録を「朝鮮人暴動」の記録にねじ曲げる
【第5のトリック】 都合の悪い部分をこっそり “省略”
【第6のトリック】 原典が書いてもいないことを “参照”
【第7のトリック】 独学者の労作を「かなり公の刊行物」と偽る-この詩は “ノンフィクション” ではない? / トリックになしには成り立たない「虐殺否定」本
コラム 穀粒回・内田良平の「虐殺否定論」を検証する
第3章 虐殺否定論は社会を壊す
『日本国紀』にも登場する虐殺否定論 拡散する虐殺否定論
横浜市副読本回収事件 内閣府HP災害報告「削除」事件
小池都知事の追悼文送付取りやめ事件 虐殺否定論の狙い
災害時のデマは声明を奪う 虐殺否定論に抗する声のひろがり コラム「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」の歴史的な “重み”
付録1 工藤夫妻の示す「証拠」史料を検証する
工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例1-朝鮮人が出てこないのに「朝鮮人の襲来からようやく逃れた」経験と強弁
工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例2-市民が恐怖におののいていた以上朝鮮人襲来は真実?
工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例3-拷問による「自白」が暴動の証拠?
工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例4-省略を悪用して原文の趣旨をねじまげる
工藤夫妻の史料引用におけるトリック事例5-省略の悪用で噂への言及を事実の描写のように見せかける
付録2 中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会災害教訓の継承に関する専門調査会報告書平成20年3月(2008年),1923関東大震災 “第2編” )
あとがき
以上,加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』を実際に読んでいない人にも,だいたいの要旨が判る程度にまで,くわしく目次の項目を紹介したつもりである。
この本はとくに前半部分は非常に分かりやすく構成され,当時の新聞の記事を切り抜いて引用したりもして,分析・解説している。
著者の加藤直樹が本書を制作する材料(前提)として,いままで蓄積されてきた関連のサイトやブログにおける論及・内容があった。加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』の内容をさらにくわしくしりたい人は, 「工藤美代子/加藤康男『虐殺否定本』を検証する」という題名の記述( ↓ )をじかにのぞいてほしい。
このブログ「関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する本」を公開した意図は,つぎのように説明されている。
さらに,加藤直樹は同書を制作・公刊した意図を,こう説明している。
加藤直樹は,元文科相次官の前川喜平がいった「あったことをなかったことにはできない」などではなく,「なかったことをあったことにできている」かのように歴史の改ざんや偽作を,しかも意図的に犯してきた「工藤美代子・加藤康男夫妻による『関東大震災朝鮮人虐殺否定論』」の宣伝工作に対抗する言論活動として,今回の著書『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』を制作・公刊したというのである。
加藤直樹は,巻末の「主な参考文献」には出していないものの,工藤美代子『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実-』産經新聞出版,2009年という,この「真っ赤っ赤な嘘を書いた」本については,ずいぶん奇妙な関係であった “ある出版の事情” をとりあげていた。
「工藤美代子の配偶者」である「加藤康男が著者にすり替わった」かっこうで,加藤康男著のこの『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』ワック〔Wac bunko〕,2014年が,工藤美代子『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実-』2009年の再版として,新たに刊行されていたのである。
注記) 本稿は最初の段落で,アマゾンの通販広告のかたちですでに,この加藤康男の本を紹介してあった。
その点(やり方)については「出版倫理に関する問題」があるとかないとかいった問題以前に,まったくもってひどい操作(小細工)がそのさい,おこなわれていたことになる。
すなわち,加藤直樹にいわせれば,「同一の本でありながら再版に当たって著者名が変更されるという奇怪なことになっている」わけで(加藤『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』79頁),いまとなっては,この夫妻がいかにもやりそうなトリック的な再版の形式であったと受けとるほかない。
それでも,あえて最大限に好意的な解釈ができるとしたら,夫婦一体の間柄だからそのような「出版倫理」を犯すルール違反が平然とおこなわれていたといえなくはない。しかし,ずいぶんと非常識な操作をこの夫婦はしたものである。著書の立場が立場だから,あるいは内容が内容だから,さもありなんということなのか?
『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実-』2009年の執筆者は妻:美代子であったが,どういうわけがあったというのか,これが夫:加藤康男が執筆した本に変身しており,『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』2014年として再発行されていた。
そのさい,こちらの再版(復刻版? 新版?)全378頁のうち,夫が加筆したのは,たった8頁分だけであった。そもそも「論旨に大きくかかわる変更もない」まま,「著者そのものが別人になってしまうなど聞いたことがない」(加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』79頁)。
そういった,まさに “非常識に相当する「自分たち(?)の著書」イジリ” ができた,いいかえれば,夫婦の間柄においてトリック的に表象された人間の感性じたいが,常人には理解しがたいものであった。
ともかく,この夫婦によって創作されていた「朝鮮人虐殺否定論」は,正真正銘の「虚構そのもの(砂上の楼閣)」でしかありえなかった。この点は,文句なしにいえる。
※-4 【補 説】「 この悲劇 繰り返しはせぬ-朝鮮人犠牲者追悼式典にご参加を」『澤藤統一郎の憲法日記』2019年8月21日,http://article9.jp/wordpress/?p=13204
ジャーナリスト・加藤直樹氏の講演を聞いた。語り口が明快で分かりやすく説得力に富む内容だった。その彼が,講演の最後に,なぜ当時の日本人が朝鮮人を殺せたかについて,「3つの論理」を述べた。これが印象に深い。
その3つの論理とは,「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」だという。
1) 「差別の論理」とは,当時の日本人が抱いていた朝鮮人に対する差別観である。日本人の根拠のない優越意識,謂われのない蔑視の感情が,容易に朝鮮人の人格の否定にまでつながる社会心理を醸成していた。
2) 次いで「治安の論理」である。このとき,朝鮮現地での3・1独立運動〔1920年3月1日〕の大きな盛り上がりから4年後のこと。日本人は,蔑視だけでなく,朝鮮人に対する「反抗者」としての恐怖の感情もあわせもっていたであろう。朝鮮人に対する,過剰な警戒心をもっていたであろう。
3) さらに「軍隊の論理」である。市井の人が殺人を犯すには,あまりに高いハードルを越えなければならない。しかし,軍隊の経験を経ている者は,人を殺すハードルを乗り越えている。
自警団の中心にいたのは,実は在郷軍人会など元軍人であった。しかも,彼らは,シベリア出兵(1918年~),3・1独立運動弾圧(1919年~),間島出兵(1920年)など,ゲリラ掃討の名目で住民虐殺を経験してきたのだという。
※-5 加藤直樹『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』に対するアマゾンの書評(カスタマー・レビュー)から,満点をつけた3件を取りだし,紹介してみたい
そのレビューの件数そのものは,2021年9月1日に45件であったものが,2022年8月30日の55件に,そして,本日の2023年3月3日の61件まで増えていた。
以下に紹介するのは2019年中に寄せられた3件のみとなるが,これで十分である。
1) ミスター・ディグ,「『朝鮮人虐殺』否定派,完全論破」(2019年7月10日)
本書の主眼は,歴史的にすでに明らかとなっているはずの「関東大震災後の朝鮮人虐殺」,その事実を否定する人達(以下,否定派)の主張,およびそこに混ぜられたトリックを,ひとつひとつ丹念に解き明かしていくことである。
本書を読み進めるごとに明らかになる,否定派の荒唐無稽さ,論理破綻ぶりは必見である。ここではすべてを書けないが,否定派の特徴としては,
▼-1 基礎的な歴史的知識の欠如
▼-2 自説に都合の良い史料しか読まない,それ以外の史料はほぼ無視。場合によっては史料の歪曲もおこなう
▼-3 みずからの勝手な空想で歴史を説明しようとする。時代小説じゃないんだから
▼-4 歴史的事実など本当はどうでも良く,ただそれらを否定してみせることが目的
こうしてみると南京事件否定派とソックリだな。しょせんは,詭弁やトリックでしか対抗できないということか。あえて名前は出さないが,こんなくだらない主張を続けるノンフィクション作家,小説家,政治家らには心の底から反省し,日本人としての良識を取り戻していただきたい。
2) 不真面目な仏教徒,「エセ歴史学への良質な批判」(2019年7月21日)
関東大震災のとき,デマによって多くの朝鮮人が虐殺された。現時点でこれを否定するトンデモ本を出しているのは,この本で批判されている夫妻だけである。ただ,この否定論は日本の歴史修正主義者達のあいだですら,あまり人気がない。
おそらく理由としては,虐殺の記録を書き残しているのは日本人がほとんどであること。虐殺から朝鮮人を守った日本人の英雄談を否定したくないからだろう。しかしネットでは論理や辻褄に関心のない人びとのあいだでは,大きな需要がある。
この本で批判されるトンデモ説は,過去の膨大な歴史研究の集積を無視し,史料の読み解きも文献史学の基本を,破りまくりのお話しにならない代物である。当然,学会ではまったく相手にされていない。
しかし学会は,トンデモ批判に対しても消極的である。貴重な研究の時間を,このような面倒な作業に費やしたくないのであろう。しかし放置も問題だと素朴に思うのだ。
幸いなことにこのトンデモ説は,リアルの論争では保守右派ですら,大っぴらには支持する人は少ない。しかしこの間の都知事〔小池百合子のこと〕の騒動をみても,これも時間の問題かもしれない。
そんななか,これは誰かがやらなければならないことをおこなった貴重な本であろう。
3) haruka(2019年8月18日)
読了。荒唐無稽と笑っているあいだに,なかったことにしたい人たちがこぞって引用しはじめる。事実であるかどうかは彼らには問題ではない。不快な歴史はないものとしたいのだ。
『九月,東京の路上で』に引きつづく良書。加藤直樹氏がもしいなかったら,もっと悲惨な未来が来るところだった。とても読みやすい。ぜひ手にとってごらんいただきたい。そしてデマ扇動の本ではなく,この本を図書館に置いてもらいたい。
--以上 の記述は,適菜 収「流」にいえば「それでもバカとは戦え」的に言及すべき〈好対象〉であった,といっておくほかなかった。ちなみにその適菜 収の同名の著作『それでもバカとは戦え』日刊現代,2021年9月は,以下のごときに目次を構成していた。
この本の最終章で「バカ,バカ」と「形容されていた」総理は菅 義偉であった。現在〔2022年8月〕は選手交代しており,安倍晋三の国葬をやるといってしまったが,国民たちの過半が反発している事態を惹起させた「幽霊みたいに」(といったらホンモノの幽霊が怒るか?)「バカ」だった総理が岸田文雄であった。2023年3月3日現在もこの岸田文雄がこの国の最高指導者。
ユーチューブ動画サイトのなかには,この現職首相のことを,正真正銘のばか者だと「罵倒するのではなく」て,しごく「自然体でそう形容するほかない」くらいにまで,日本の政治中枢に居る政治屋たちの資質に問題ありすぎる点を指摘するものまでいた。
4) 岸田文雄は「本バカ」だとまで蔑称されている。しかし,そんなやはり「世襲3代目の政治屋」のボンボンが,この国の為政を担当している。これではこの国の運営がうまく進展するわけがない。
岸田文雄はまたもや例によって,子ども対策に関してだが「異次元の少子化対策」などと形容していたが,この男は「口先だけでイジゲン,イジゲン……」と叫ぶばかりで,なにをいってもいつも「花も実もない」話に終始しているだけでなく,どだい政治課題のひとつひとつに関して,いったいいかほどに理解ができているのか疑問を抱かせてきた。
とりわけ「世襲3代目の政治屋」(最近でいえば安倍晋三とその岸田文雄)たちの,政治家として世襲的に不可避であった劣化現象が,いまでは来るところまで来たという印象があり,まったくみるも無残な国会の風景となっている。
21世紀になってから日本の首相になった人物は,自民党の場合,菅 義偉をのぞき全員が世襲政治屋であった。以下の,それら首相歴任者のうち,世襲でないのは,菅 直人と野田佳彦の2名だけであり,いずれも民主党の頭首であった。
⇒「森 喜朗,小泉純一郎,安倍晋三,福田康夫,麻生太郎,鳩山由紀夫,菅 直人,野田佳彦,安倍晋三,菅 義偉,岸田文雄」。
冗談ではなく,「菅 義偉という首相」の場合,この国の民主主義に派遣された『死神様』だったのかもしれない」といった声が聞こえなくもないわけではなかった。
5) ところが,いまの首相岸田文雄君とみたら,その存在観の薄いことこのうえなく,「幽霊」と指称されてもなんら不自然さを感じさせない。いうまでもなく,21世紀の日本政府:自民党政権はすでにゾンビ化していた。
だが,2020年当初からコロナ禍に翻弄されてきた現状の日本は,いま「パロディなど描いているヒマもないくらいにヒドイ惨状」に追いこまれている。
安倍晋三も菅 義偉も岸田文雄も,この新型コロナウイルス感染拡大がもたらしつづけている惨禍に対しては,実質,手も足も出ないくらいの実力しかもちあわせていなかった。
ましてや,内政を超えた外交になるとからっきしダメであった。安倍晋三君などは「プーチンのロシア」に対しては完敗しており,経済協力金3千億円を「ロシアのプーチン」にむしりとられただけであった。しかも,北方領土返還交渉は絶望的にさせたとなれば,もうほとんど国賊的な総理大臣。
本当にどうしようもない総理大臣であった。しかも,それが「外交が得意だといっていたはずのアベ」の外交成果だという。結局,冗談にもならないが,冗談だと思いたくなるほどのダメさ加減が,アベ君の場合は発揚されていた。
要は政治家失格で,かろうじて「政治屋」のまねごとをやっている程度の「連中」しか,いまの自民党には存在しない。「世襲3代目の政治屋」たちが主に首相になってきた21世紀のこの国:ニッポンであった。
さきが思いやられるなどと嘆いている最中にも,この国はどんどん劣化し,墜ちていくばかりであった。もうすぐ「世襲4代目の政治屋」どもが,よちよちなのだが,国会あたりを大きな面(つら)を下げて闊歩しだすに決まっている。
6) 2022年7月8日の山上徹也が安倍晋三を狙撃した事件をきかっけに,日本社会を大騒ぎさせている「自民党と旧統一教会とが昵懇である仲」は,その「日本の右翼・保守党」としてかかげている看板の〈面汚し〉にしかなっていなかった。
自民党内の統一教会汚染は,みっともない,恥ずかしいなどという以前に,この政党は解体すべき時期を迎えていた,といったほうが正解である。政治理念をどうかかげるかという問題よりも,自分たちの議席だけをともかく守りつづけようとする意識しかもちあわせないのが,彼らの立ち位置であった。
それでも自民党支持者の皆さんは,この正真正銘のおバカ党と本気で「戦わないまま,〈選挙での投票〉」を,与えつづけるのか?
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