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憲法学者小林 節の「万世一系」観にもとづく日本国憲法「論」の問題性

 ※-0 最初の断わり

 本記述は最初,2018年12月6日にいったん公開されていた。だが,その後未公表の状態になっていた。これを,本日(2024年3月25日),再公開することになった。

 安倍晋三の第2次政権(2012年12月26日から2020年9月16日まで)が,この国の政治・経済・社会・文化・歴史・伝統などすべての領域で,国家を破壊する「亡国の悪政」を徹底させてきた。それがゆえにまた,とくに2020年代になってからの国際政治情勢の変遷にともない,日本国憲法のあり方が根幹から動揺させられてきた。

 付記)冒頭の画像は昭和天皇裕仁の実弟3名。

 そのような経過をたどってきたなかでは,2018年12月に書いてあった本記述を,実質5年以上の時間が過ぎた時点になってみれば,2022年2月24日に「ロシアのプーチン」が始めてからいまもなお,戦闘状態がつづいている「ウクライナ侵略戦争」が,すでに第3次世界大戦の前触れになっているかもしれないという〈歴史の解釈〉を,識者たちに語らせる情勢にまでなっている。

 「世襲3代目の政治屋:安倍晋三」が完全に失敗させた「国際政治の〈代表的な実例〉」のひとつが,「プーチンのロシア」に対峙した日本の外交として実際に発生していた。しかも安倍が,その交渉の過程で日本側に「北方領土」ということばを撤回させていた事実は,彼の外交センス(というか本当は交渉力)のなさを痛烈なまで実証した。

 われわれの目前において現在,「ロシアのプーチン」のウクライナ侵略戦争がすでに2年と2ヵ月近くも進行させられてきた国際政治の様相を踏まえていえば,最近は,NATOに対するなんらかの日本の関与が陰に陽に迫られるまでに至っている,国際政治情勢まで生まれている。

 いうまでもない事実であるが現状,日本国憲法の存在などすでに完全に骨抜き状態にされた段階にあるとみなすほかないくらいにまで,防衛省自衛隊3軍は「米日軍事同盟関係の枠組」のなかで以前からそのあり方を変貌させられてきた。

【参考記事】


 ということで,本日における本記述の更新・改訂版を再公開するに当たっては,当初,「憲法学者小林 節の『万世一系』観にもとづく日本国憲法観『論』の問題性」から議論を試みようとし,しかも,この憲法の内部における論点としてとくに,

 昭和天皇裕仁(など)が,可能な範囲内であっにせよ相当自由に,天皇(家)側の《欲望実現》を反映させるべく,それもむろん「舞台裏で蠢いていた事実」が,けっしてみすごされてよいような問題ではないことを,最初に断わったうえで,以下の本論に移りたい。


 ※-1 明治の時代に新しく創造された天皇観に,基本から囚われている憲法学者小林 節の「天皇説」

 1)「秋篠宮発言の評価は国民が下さなければいけない」『天木直人のブログ』2018年12月4日,http://kenpo9.com/archives/4512 (2024年3月25日現在で,このブログを検索したところ,削除されていた)

 a) 事前の断わり

 本ブログ〔とはいっても旧ブログ〕の記述においては,先日〔ここでは2018年11月30日〕,主題を「天皇を『玉(ギョク)』として『玉(たま)あつかい』る宮内庁の理屈と,これに抵抗する天皇家一族との軋轢は,明治以来創られてきた『天皇制の根本矛盾』」と題した記述を公開したことがある。

 ここにおいて,その記述をいきなり復活させ,じかにもちこむわけにはいかない。ということで,その「玉」とか呼んで,「天皇の存在」を形容してきた,とりわけ明治維新という時期前後における「その問題の存在」のみを指摘しておくだけに留めておき,以下,本論の記述をつづけたい。

 秋篠宮が(2018年)11月30日の53歳の誕生日を前に配偶者の紀子といっしょに記者会見し,天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭」について,「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べ,政府は公費を支出するべきではないと発言した事実をめぐり議論した。

 その議論の基本点は,だいたいつぎの3項目として,その概略を示しうると思う。

 「現代の民主制政治のなかに古代天皇史の大嘗祭を復活させてうれしいのか,宮内庁的な天皇体制を推進・高揚させたい旧い論理の時代錯誤性」

 「天皇・天皇制という明治帝政時代からの古い遺物が古代史の記憶にすがり復活させられたがための,『21世紀における旧・宮内省』的な天皇家の活用法には,無理・不合理が充満しているわけだが,このことは天皇一族もよく認識済み」

 「天皇家の人びとに(だいたい誕生日になると)政治的発言をさせていいかどうかについてからして大きな疑問がある。だが,その存在そのものが『政治的である彼ら』に,なにも発言を許していけないというわけにもいかず,かといって,発言させればさせるであれこれ問題を提起されるのでは……など,など」

秋篠宮発言の問題

 以上のごとき秋篠宮が皇族の1人の立場から発言した「問題性」を意識してうえで,以下の本論に進む。

 前段に出した『天木直人のブログ』の議論はいつも,内政・外交に対して積極的な批評・発言をしていた。

 ところが,元外交官としての立場に淵源する一定の制約があるせいか,天皇・天皇制の問題になると,どうしても不自由な言動になっていたと感じさせた。

 それはともかくまず,『天木直人のブログ』2018年12月4日に記述した意見を,以下に参照する。

 b)「秋篠宮発言の評価は国民が下さなければいけない」の引用

 秋篠宮発言の評価をめぐって議論が起こらない。まるで皆が避けているがごとくだ。そんななかで驚くべき発言をみつけた。

 小林 節教授が昨日〔2018年〕12月4日の『日刊ゲンダイ』誌(紙)上(〈小林 節が斬る,ここがおかしい〉欄)で,全国民統合の象徴である天皇(第1条)は,その本質上,政治的には無色透明であるべきだ,そして,天皇が世襲である以上,家族も同じ規範に縛られるべきである,といって天皇や秋篠宮のお言葉を政治介入といわんばかりに批判している。

 安倍政権を批判して来た小林 節教授が,天皇家のお言葉については見事に安倍政権を支える連中と一致しているのだ。その一方で今日の朝日が報じていた。共産党の小池 晃書記局長が昨日〔2018年12月〕3日の定例記者会見で,つぎのように秋篠宮発言を擁護したと。

 「政治的発言だという指摘もあるが,天皇家の行事のありかたについて,天皇家の一員である秋篠宮が発言することに,問題があるとは考えない」と。

 そして,大嘗祭への国費支出についてつぎのように述べた。「こうしたあり方は国民主権,政教分離にも明らかに反している」と。

 日ごろから小林 節教授の意見に賛成している私〔天木直人〕だが,この天皇家発言の評価については異なる。そして日ごろから賛同している共産党の意見だが,共産党だけがいっているかぎり国民の間に広がらない。

 野党も与党も天皇家の発言についてもっと活発に議論し,本音を発言すべきだ。そしてメディアは世論調査をおこなって国民の意見を聞くべきだ。最後は国民が判断を下すべきだ。それが憲法が求めていることであり,天皇家の訴えである。(引用終わり)

 「もっと活発に」「国民の意見を聞くべきだ」とはいわれても,国民じたいの側で天皇・天皇制問題を沈着冷静に,そして総合的・客観的に考えて判断してみなさいといわれても,この要求に必要かつ十分に応えることは,基本路線としては初めから無理難題である。

 日本の国民たち(市民たち?)の立場,それもごく平均的にふつうである人びとの側に立って考えてみたい。『天木直人のブログ』が期待する水準に応じて,その答えを出すための議論が,国民たちの意識次元においてだが,ふだんからおこなわれていたかといった問題があった。

 国民たちの「理解」に「聞くべき意見」として,「民主主義政治体制」に関した最終的な判断が,いいかえれば「天皇問題に対する理解」が,はたして一定の実体としてありうるのかと問うてみるとき,かなりあやしいといわざるをえない。

 日本国民たちはふだんから,そのように「あやしい」「水準・中身」の理解・認識をもてる程度にしか,天皇・天皇制の存在を考えたことしかない。ところが,その一方で皇室:天皇家側の人びとは,彼らなりによく準備して練り上げた「主張・意見」を,かなり慎重な構えをもって,しかも要領よくテイネイに発信している。

 さて,日本国憲法は第1章から第8条まで天皇条項である。だが,天皇の家族たちの立場に関しては,抽象的にであっても,なにひとつ具体的に定めていない。

 それでもしばしば,たとえば,その一族の1人ひとりが誕生日の記者会見の場を借りた体裁でもってだが,日本の社会に対する「自分の個人的な見解」を,マスコミが大々的に報道してくれるを承知のうえで,けっこう自由にあれこれ語りかけている。

 そうした皇族たちの発言から感得できる特長は,彼らの「特権階級としての立場・待遇」の実在であった。

 日本国憲法が天皇の立場を規定しているものの,その一族(直系親族)についてはなにも,具体的な規定がない。ここではとりあえず,天皇の「公務や公的行為」などいった行動類型そのものに関した議論は必要ない。

 その種の事実,つまり「特権階級としての立場・待遇」を有した「彼らの立場」からの,それもかなり「慎重な作法」を介してとなるが,公的に放たれる「意見・主張」そのものは,そもそもなにを意味するのか?

 ここでは当然,関連してこういう事実も挙げておく余地がある。

 宮内庁という国家組織が実際にあり,高級官僚たちを指揮陣に配置させたかたちで仕事をさせる態勢にあり,天皇夫婦以下,皇族たちの「生きざま」に仕えるために働いている。同庁の職員数は1500名。

 補注)なお,2023年4月1日の行政機関職員定員令が定めている宮内庁の職員数は,定員 1,045名であり,そのうち63名が特別職,982名が一般職である。

 この宮内庁が介在するかたちを採りながら,天皇夫婦はもちろんのこと,皇族たちの「いいたいこと」は,基本的に国民たちに伝えられてきた。この「皇室と国民たちとの間柄」においては,その「前者」がこの「後者」に対して “絶対的に優越した政治・社会関係にある事実” を意味してきた。この事実は誰にも否定できない。


 ※-2「〈ここがおかしい 小林 節が斬る!〉大嘗祭と憲法の政教分離原則 天皇制に不可欠な憲法儀式」『日刊ゲンダイ』2018/12/04 06:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242934

 憲法の20条1項は「いかなる宗教団体も,国から特権を受けてはならない」と規定し,89条は「公金は宗教上の事業に支出してはならない」と明記している。これが「政教分離」の原則である。

 これは英国による宗教弾圧から逃れた人びとが建国した米国で確立された憲法原則で,日本国憲法にも導入された。

 その趣旨は,各人の信教の自由に国が介入しないように,国は宗教活動から距離を置け……ということで,公が宗教と関わる目的か効果が信教の自由に対する介入でなければ許容される……という原則である。

 くわえて,ひとつ例外がある。それは,憲法制定前からの公的慣習で憲法制定者が受容した宗教儀式は許される……というものである。米国議会付牧師の制度である。

 日本国憲法は,法の下の平等(14条)を定めながら,歴史的な制度としての天皇制を継続していくことも認めた(第1章)。そのために,14条(階級制度の禁止)と明らかに矛盾する「皇族」という貴族以上の階級を認めている。これが違憲だといわれないのは,14条に対する明文による例外だからである。

 補注)小林 節はまさか,この日本国憲法における例外規定が天皇家に対して適用された手順は,アメリカ(連合軍)が日本国を支配・統治・管理するためのものであった事実をしらないわけではあるまい。

 だが,それでもこのように無理な解釈を,苦しまぎれ的に繰り出したところは,理解に苦しむ。さらに小林 節は,つぎのようにも独自の解釈を下していたが,こちらは米日間の憲法比較論をまつまでもなく,牽強付会の解釈である。

〔記事:小林に戻る→〕 そして,大嘗祭という紛れもない「宗教儀式」を抜きに継承がおこなわれえない天皇制の存続を憲法じたいが明文で認めている以上,天皇制に不可欠な憲法儀式を公的におこなうことは,憲法じたいが認めている例外なのである。

 補注)小林 節の,この論理の「系列づけ(理屈づけ⇒例外化を許す理屈づけ)」は,奇妙なまでに無理な説明であった。

 大嘗祭は宗教儀式だが憲法が明文ウンヌンの関係,政教分離に反しないという見解(解釈)になっている。しかし「政教一致である事実」そのものをつかまえていながらも,その「政教分離に反しない」といったごときに理屈を通そうとした点は,短絡以前に,ただちにかつのっけから論理破綻を意味した。

 つぎの※-3における議論でくわしく説明していくが,憲法学者が「政教分離」の問題を,このように軽々しく,それも天皇・天皇制の問題と関連づけてとりあげるとなれば,いきなり天皇家の場合における問題だけは「例外的に可だ」という判定を下すほかなくなったものと推察するほかない。

 なかんずく,例外として認めるという点は,大嘗祭が「政教分離に反する神道」の,それも「皇室⇒国家:日本」における天皇代替わり行事である事実を,ひとまず認定せざるえなかったのちの発言であった。つまり,その発言は,かなり苦しくてもあえておこなってみた「小林 節なりに独自の解釈」であった。

〔記事:小林に戻る→〕 だから,大嘗祭は,憲法7条10号が規定する「儀式〔を行ふこと〕」として,堂々と,公費を用いて国の機関がおこなっていいはずである。ただし,このような憲法解釈上の重要事項(これは高度の政治問題である)について,皇族が公に議論を発することは,天皇制の本旨に反するだろう。

 補注)つまり小林 節は皇族たちに対して,問題が憲法にもかかわる皇室神道(敗戦前であれば完全に国家神道の中核であり,日本のファシズムを支えるための「神道の思想」を代表的・尖鋭的に提供していた)であるゆえ,みずから発言しないほうが好ましい,その代わりに国民(政府)の側が彼らの意を汲んであげる必要があると主張した。

 いわば「高度に政治問題である」「皇室内の伝統(?)行事」に関する発言は,皇族たちにさせるな,その前にきちんとわれわれ(国家・政権)の側から配慮してあげておくべきだ,という主張になるはずである。

 全国民統合の象徴であるべき天皇(憲法1条)は,その本質上,政治的には無色透明であるべきで,だからこそ4条で「国政に関する権能を有しない」と戒められている。

 そして,天皇が世襲である以上,そのために不可欠な存在である家族も同じ規範に縛られるべきである。だからこそ,皇族は,一般国民が登録される住民基本台帳とは別に皇統譜に登録されて参政権が与えられていない。皇族はこの意味を深く自覚すべきである。(引用終わり)

 「全国民統合の象徴であるべき天皇」が「無色透明であるべき」だといっておき,日本国憲法を守れというのは,もちろん基本的な論理のかざし方そじたいとしては,いちおうは正論でありうる余地がないわけではない。

 だが,天皇・皇后以下の皇族たちはいままで,逐一が政治的とならざるをえない言動をいくらでもしてきたし,これからもしていく。

 そういう慣習がすでにできあがってきたのだから,憲法の規定は,ないがしろにされているというよりは,以前から完全に形骸化されていた。という意味で,皇族たちが実際に発言してきたその諸内容は,いうなれば万華鏡のようににぎやかであった。この事実を否定する者はいない。

 本来であれば,「象徴だという人物:天皇」が「国・民を統合するその象徴の立場」からあれこれ発言していたら,そもそも「国民」が彼によって象徴されている意味が不分明になる。

 いいかえれば,憲法そのものが換骨奪胎状態になっていた。ところが,現状はそのようになってがいるゆえに,その反面においては相当に奇怪な様子を呈してもいる。

「天皇制最大級の変革」という見出しはおおげさ
明治以来という限定づけが必要

 2016年8月8日の出来事であったが,明仁天皇が退位の希望を放送して,自分の意思を国民たちに直接伝えたのは,その最たる現象であった。

 皇室神道の形式と中身でもって,なによりも「国民たちに寄り添うための宗教生活」を,天皇夫婦は365日祈念しつづけているといわれる。しかし,天皇夫婦によるこの「皇室神道にもとづいて一貫する生活態度」は,

 国民たちの側における「信教の自由」のみならず,「思想及び良心の自由」までも蚕食しかけている。日本人でもイスラム教徒はいるし,キリスト教徒の存在についてはいうまでもない。仏教との関係も問題がある。

 大嘗祭の執行じたいを皇室内行事としておこなうべきかどうかに関する議論がなされるさい,「政教分離の原則」が必らず問題になるのは当たりまえである。いまごろ,敗戦前における大日本帝国式の大嘗祭と同一の執行をするわけにはいかない。

 だが,それでも憲法内で大嘗祭は認められるし・できるのだという論法は,無理じいが過ぎている。それどころか,憲法を論議する以前の稚拙なイデオロギーの開陳である。
 
 

 ※-3「アメリカの政教分離:キリスト教は宗教ではなくて伝統や文化?」『ゆかしき世界』2016.09.01,更新 2018.11.12,http://yukashikisekai.com/?p=7177

 実はアメリカではそれほど厳格ではないかたちで,証言とか大統領就任の宣誓では聖書に手をおいて「So help me God(神に誓って)」というし,軍隊や議会には聖職者がいる。硬貨には「我らが神を信ず」と彫ってあるし,クリスマスは国の休日だし,皆でメリー・クリスマスといいあう。

 国家とキリスト教は一体となっている。アメリカでの政教分離とは,特定の教派を優遇したり迫害しないということである。信教の自由を保障するためだ。イギリスも同様だ。日本も政教分離をその程度にゆるめたほうがよい。

 註記)以上の段落の引用元は,藤原正彦「痛ましげ光景」『週刊新潮』コラム「管見妄語」,2016年10月27日号。

 前項までにおける言及(小林 節の主張の)は,米英における政教分離の実情に合わせて「日本も政教分離をその程度にゆるめた方がよい」と発言していた。しかしながら,この発言はかなり軽率であった。

 政教分離に関する歴史の体験が,米英に匹敵するか,それ以上におこなってきた日本の立場ならばさておき,いままで登場してきた政教分離に関するきびしい論争が中断された様相のなかで,前段のごときに主張した手順は不可解という以前に,軽率であった。

 関連して言及すると,藤原正彦の『国家の品格』新潮社,2005年は,こう語る本だと宣伝されていた。

 「日本は世界で唯一の『情緒と形の文明』である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は,この誇るべき『国柄』を長らく忘れてきた。『論理』と『合理性』のみの『改革』では,社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは,論理よりも情緒,英語よりも国語,民主主義よりも武士道精神であり,『国家の品格』をとり戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言」

 今年は2018年〔この記述が最初になされた年〕になっていたが,この藤原正彦の本が唱える対象が,わずかでも出現しつつあるようにはみえなかった。

 そして現在は,その後の2024年になっている。ところが,藤原正彦『国家の品格』2005年が講じた内実であったはずの要点,『国柄』内における「社会の荒廃を食い止めることはできない」ことは,現在においても代わっていないどころ,さらに悪化してきた。

 しかも,その間において安倍晋三の第1次政権と第2次政権が,彼の首相在任期間をして歴代首相のなかで最長記録を達成させていたものの,あたかも,その期間の長さに反比例したごとくにこの国家はハチャメチャに破壊されてきたのだから,2024年の現段階では,なにをかいわんやの国情になってしまった。

 いまの日本が「国家の品格」をとり戻すには,この日本の「国柄」だとか「武士道精神」が,論理や民主主義よりも大事にされるような気概がもたれねばならないという “画期的な理屈”は,まさに論理よりも気分を,さらには理性よりも感性をひたすら強調する主張であって,からっきし説得力がなかった。ましてや,それが「国家の品格」が高まる道筋を示唆しているとも思えなかった。

 というよりは,その「国家の品格」を端的に表現すると受けとっていい日本の「天皇・天皇制」をともかく無条件に善しとする思考方式が,こうした藤原正彦流の「ヤマト国万歳,皇室弥栄」論となって,独断的な思考回路を横行させていた。

 日本はなんといっても世界のなかで一番特別だ,一君万民(!),八紘一宇(!),万邦無比(?)だと無邪気に唱えていた戦前・戦中(敗戦前)となんら変わりない提唱を,藤原雅彦は唱えていた。

 藤原正彦流のそうした説法は,日本人・民族に対する気付け薬的な効用があったとしても,この国がいま置かれている全体の概況と基本の特性を,みずから冷静になって客観的に認識するためには逆効果であった。

 たとえば「日本は世界で唯一の『情緒と形の文明』である」といった場合,それでは「日本は世界で唯一の『論理なしで無形の非文明』である」という具合に反論的に,単刀直入に〈逆転の発想〉を突きつけられたとき,なんと応えたらよいのか? いまどき,明治維新流の「東洋道徳,西洋芸術」でもあるまいに……。

 要は「世界で〔日本は〕唯一」だと断言しているが,そういえるための尺度・物差しはなんであったのか,さらにどのように計って,つまり,世界中には百何十数国もある他国・地域などのすべてと,くまなく徹底的に比較しつくしたうえで,そのように “ヴィヴァ ジャポネ!!!” と叫んでいられたのか?

 要するに,絶対最上級「観念」に依ったナルシス的な自慰行為による国自慢であった。

 

 ※-4 梅山香代子「日本及び米国における政教分離法理の社会的背景」『東洋学園大学紀要』第11号,2003年3月,https://togaku.repo.nii.ac.jp/records/368(参照)

 a) 日本において戦後,政教分離の原則が神経質なまでに問題とされるのは,国家主義と結びついた神道が日本の惨敗という悲劇を招いたことへの反省からきている。明治憲法のもとでも信教の自由は認められていた。

 だが,明治憲法第28条に「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限リニ於テ」という限定はあるものの,「法律の留保」がないかぎりにおいて「言論の自由」,「学問の自由」などよりは大きな自由が認められていた。しかし,この点については,逆に法律によらずにこの権利を制限することができるという解釈も可能であることが指摘されている。

 実際に戦前には,神社に参拝するのは「臣民タルノ義務」とされていた。現実に「神社は宗教にあらず」とされ,国家神道は国教的な地位を占めた。国粋主義の高まりとともに信教の自由は神社の国教的地位と両立する限度で認められるに過ぎなかった(梅山香代子,前掲稿,18頁)。

 b) 日本においては,国家とある特定の宗教が結びついてほかの宗教を迫害する,というかたちで政教分離が問題とされるのはむしろ稀であろう。前述のように戦前においては,むしろ「神道は宗教にあらず」としていたから,他の宗教を迫害するためというよりは国家を権威づけるために,神道の儀式を利用していたといえる。

 天皇主権の明治憲法のもとでは,一般国民の宗教と天皇の神格の基盤である神道を区別するのは「当然であった」ともいうことができる。戦後,国民主権の憲法のもとでは神道を含め,すべての宗教を平等にあつかうことが当然のこととされ,国家と宗教の分離,すなわち政教分離が実現した。

 c) このような経緯から,日本において政教分離が問題とされるのは,神道に特別の地位を与えて,それが戦前のように政治的に利用される場合である。日本においては,神道式におこなわれる習俗的な行事が少なくない。それらがことごとく憲法上問題とされているわけではなく,国家や公共団体が関係するときに問題とされていることは当然のことである。

 宗教が国民の内面生活に欠くことができないうえに,信教の自由を認めるところから出発したアメリカ合衆国は,理念としての信教の自由を保持しており,国家がある信仰を迫害するということは原理的に不可能なのである。現実の闘争のなかで宗教的対立に折りあいをつけてきた歴史をもつヨーロッパなどとは異なり,米国ではあくまでもこの自由は絶対的に保障されている。

 そのような国においては,権利の保持のための監視が細かくおこなわれる必要が感じられない。実際に,日本からみていると,たとえば大統領の就任式において聖書の上に手を置いて誓うことなどは,政教分離の観点から問題とならないかと疑問に思われる。しかし,米国においては,そのようなことで信教の自由の保障が影響を受けることはないと考えられている,という解釈が可能である( b) と c),28頁)

 d) 日本の政教分離の問題と比較してみると,米国独自の問題が浮かび上がる。日本における政教分離に関する問題のほとんどは,戦前の国家神道の概念の復活を阻止するという観点から提示されていた。

 米国においては,建国のときから信仰の自由が,絶対的価値として憲法に規定され,国民の間で信仰が重要な地位を占めている。自己および他者の信仰を守るために,自律的な規制が働いてきた社会であった。しかし,2001年のテロ事件以来,特定の宗教を圧迫するような風潮が現われてきたために,国家と宗教の関係をあらためて考えてみる必要が生じている(17頁)。

 以上は,学術論文を参照した文章であった。この程度の知識は小林 節も先刻よく承知の範囲内である。だが,問題は別にあって,日本の天皇家・皇族をめぐる「政教分離の原則」問題について語る小林が,実は,学問以前である自分のイデオロギーを丸出しにする「立論」を披露していた。

 つぎの※-5に引用する文章は,小林 節の学問が展開する議論というよりは,彼自身の抱くイデオロギー的な前提・価値観を先出し的に優先するた論法を,諫める説明になっていた。

 

 ※-5「政教分離の原則」問題

 宗教の私的領域と公的領域の区分をめぐる問いは,日本に対しても向けられるべきだろう。日本人一般の宗教性をキリスト教のような一神教的宗教概念を基準にして測ることができないことは繰り返しいわれてきた。

 しかし,少なくとも戦前の日本の政教関係は国教制度にきわめて近いものであった。また,欧米的統治システムを模するために,本来多神教的な伝統的神道のなかに,至高の現人神を中核に据えた強力な一神教的システムを導入した。

 そこでは,天皇と天皇制によって象徴される権威と聖性のパラダイム,万世一系の神話,また国家に忠義を尽くして亡くなった者の死後生などが「現人神」のもと「見える国教」のなかで儀礼的表現をみいだしていた。

 GHQによる戦後処理は,そうした体系のすべてを解体したのであろうか。あるいは,その価値体系は「見えざる国教」に姿を変えて,現在の日本社会に受けつがれているのであろうか。

 こうした疑問に明確な解答を与える材料が十分提供されていない点に,靖国問題をめぐる議論がいっこうに深まらない原因の一端をみることができる。

 註記)以上,「日本人の知らない〈政教分離〉の多様性-宗教との向き合い方は永遠の課題-」『論座』朝日新聞社,2001年10月号,引用は『小原克博 On-Line』2001年9月15日,http://www.kohara.ac/essays/2001/09/ronza200110.html から。

 以上のなかから問題となる要点を抽出してみると,日本国憲法のなかにはいまだに,

  ▲-1「見えざる国教制度」 ⇒ 国・民の統合である象徴天皇が「家」として信心する皇室神道は,この「見えざる国教制度」を意味している。

この図解は▲-1の骨子を適切に描いている

「大枠の三角形」内の小さい「三角形」は
それぞれ個々の家・家族単位を示す

  ▲-2「万世一系の神話」 ⇒ この神話にもとづいて,天皇・天皇家の話題はいつも語られてきた。いまの日本では,明治末期のときのように「南北朝の問題」がとりざたされることはないものの,天皇「明仁は日本の第125代天皇である」といわれるときは,この神話の基準にしたがった話法であることは,いうまでもない。

 神話はふつう「昔話」になるが,いまの日本における神話は「今話」となっているのだから,奇妙キテレツだといえば,まったくそのとおりだと形容するほかない。

 すなわち,どの国にでも神話という物語があるとはいえ,このように「神話そのものの後裔である人物」が,この日本国ではいまもなお,「国・民の統合である象徴天皇」として在位しつづけている。

 日本はたしかに,藤原正彦がいうように「世界で唯一の『情緒と形の文明』である」と概念づけることも可能かもしれない。だが,この話法はあまりにも情緒的・心情的であり過ぎて,たとえば政治学からする概念・説明には全然似つかわしくない。


 ※-6「靖国問題をめぐる議論」

 明治帝政時代から大日本帝国は,国家神道式になる一大祭祀場「靖国神社」を造営していた。この靖国神社は戦没者用の墓地ではない。だから遺骨はいっさい納めておらず,ただに戦争礼賛ないし督戦奨励のための「戦争神社」である(正確には「であった」)。

 しかも,この靖国神社は,皇居内のほうに建造されていた宮中三殿,つまり皇室神道のための「賢所・皇霊殿・神殿」という実在を踏まえての,戦争を原因に生まれた死霊を合祀するための神社であった。

 つまり,合わせ鏡のごときの「補完の関係性」が,宮中三殿と靖国神社の間柄はもたされている。もっとも,宮中三殿を国民信仰次元において吸引しようとするのが伊勢神宮であった。

 伊勢神宮の祭主は「この伊勢神宮にのみ置かれている神職」の名称であるが,この神宮において敗戦後,登場した『女性祭主』は,次表の人物のとおりであった。いずれも天皇の子女である。

 明治維新以降,皇室にとりこまれた伊勢神宮における人事問題とでも形容できそうだが,黒田清子につづくこの祭主に誰がなるかと予想するのは,興味深い関心事となりそうである。

愛子が清子の後任者候補?
昭和・平成の作り話

 しかも,神社としての靖国は異例中の異例の宗教的な施設であって,いまや246万余柱ものものすごい数の英霊を合祀しているというのだから,いうならば,異常と形容するにはあまりにも異様が過ぎた神道神社である。

 従来の正統というか大昔からある伝統的な神道の基本精神からは,完全に外れており,規格外だとみなすほかない神社であった。

 くわえて,靖国神社は「官軍しか合祀しない」立場でありながら,「敗」戦したのちも自国の戦争犠牲者の『敗戦者たちの死霊』を集めては,合祀しつづけてきた。

 つまり,1945年8月(9月)を歴史の境とみるさい,この神社の基本方針に関する “逆転の発想” でもほどこさしておかないかぎり,とうてい「一貫した合理的な説明」などできるはずもない〈アクロバット的な変身〉をとげていたのが,靖国の容貌であった。

 「戦争神社」であるから「勝利のために祈る」さいに祭壇に動員される「英霊」という「戦死者たちの霊」は,その勝利に資するように活かされる以外「生かされる道はない」にもかかわらず,それでも,敗戦後になってからもつづけて「〈英霊〉を収容する宗教機関」として存続してきた。

 その経過じたいが矛盾を意味する点は,分かりやすい道理である。靖国神社のそうした《転向ぶり》は,自社の宗教に関する基本的な立場を,きわめて簡単かつ無節操に変更しえたことを意味する。

 もっとも,この種の指摘を靖国神社側は激怒して反応するにちがいあるまい。とはいっても,事実を事実として指摘するに過ぎない点に対して返されるその種の反発は,基本からして没論理にはまっていた。

 要は,「事実(=戦争の惨禍)は小説(=靖国信仰)よりも奇なり」

 昭和天皇は,靖国神社にA級戦犯が合祀されて(1978年10月17日)以来,靖国神社へ親拝に出向けなくなった。

 その最大の理由は,戦争責任の問題に関連させて問うのであれば,ほかならぬその最大・最高の責任者:人物であった,「昭和天皇自身の身代わり」になって東京裁判の法廷に引き出され,その判決で絞首刑にされていたA級戦犯の死霊そのものが,この靖国神社に合祀され「英霊」にまで高められていたからである。

 小林 節は(多分)尊王論者の立場に立つにせよ,同じ意見・主張であっても,もっと論理的につめた説明を具体的に提供していなければ,説得力ある議論は確保できない。なにゆえ,天皇・天皇制問題になると,いきなり “ユル褌” 的な論理の展開になるのか不思議に感じた点である。

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