COP28などと唱えて原発偏執病的なエネルギー・イデオロギーをいまどき宣布する原子力村番外地の住人たちの狂気の策謀
※-1「COP28」となにか
a)『原子力産業新聞』2023年12月3日の記事「COP28:世界の原子力発電設備容量を3倍に 22か国が宣言に署名」https://www.jaif.or.jp/journal/culture/cop28/20741.html は,冒頭でこう説明していた。
COP3日目の〔2023年〕12月2日,日本をはじめとする米英仏加など22か国が,「パリ協定」で示された 1.5℃ 目標の達成に向け,世界の原子力発電設備容量を3倍に増加させるという野心的な宣言文書に署名した。
付記)その署名した22か国の一覧は,後段,※-5にかかげる図表のなかに出てくる。
b)「〈COP28〉再エネ拡大「『30年に3倍』COP28で 118カ国誓約」『日本経済新聞』2023年12月2日 21:45,更新 2023年12月3日 1:15 は,「この記事のポイント」をつぎの3点にまとめていた。不思議なことにこちらでは再エネに関した記事であったためか,前記 a) で言及された原発については1字たりとて出ていない。
・COP28で再生エネルギーのさらなる導入策を協議
・118カ国が2030年までに3倍に拡大することを誓約
・アジアやアフリカの新興・途上国に参加を呼びかけ
アラブ首長国連邦(UAE)で開催中の第28回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)は〔2023年12月〕2日の首脳会合で,再生可能エネルギーのさらなる導入策を協議した。 118カ国が2030年までに世界の再生エネの容量を3倍に拡大することを誓約した。
少なくとも再生エネ容量を1万1000ギガワット(110億キロワット)に増やし,エネルギー効率の倍増をめざす。米国,欧州,UAEが共同提案した。日本もくわわっており,アジアやアフリカの新興・途上国にも参加を呼びかける。
実現すれば温暖化対策を進めるCOP28の大きな成果となる。約200カ国が参加するCOPの最終合意文書への明記をめざす。議長を務めるUAEのスルタン・ジャベル産業・先端技術相は2日「排出削減対策のない石炭利用から,世界を移行させるのに役立つ」と述べた。
国際エネルギー機関(IEA)は9月に公表した報告書で,世界の気温上昇を産業革命以前から 1.5度に抑える国際枠組み「パリ協定」の目標を達成するために「再生エネ3倍」が必要だと訴えていた。(引用終わり)
以上2つの記事は,原子力発電と再エネ発電をその「COP28」の立場にとって仲間同士になりうる電源だと位置づけていた。エネルギー関係の2つの報道であったが,できれば,ひとつの記事としてまとめて報道してくれたほうが,理解しやすいかった。もっとも,別の新聞のことなので,ここでは内容じたいに関して,そのようにいいたいことだけを書いておく。
再エネにしても原発にしても,利用法によっては温暖化にとって負的の方途に向かう負担を発生させる要因になる点は,理化学的にも工学原理的にも自明な認識であった。
ところが,ともかく闇雲に,再エネも原発も同類・同質に「CO2 」を出さない(出しにくい?)電源たりうるのだと,一括して同梱しておきたがるような,しかもとくに原発「感」のほうは問題含みであって,こちらにかぎてはみのがすわけにはいかない。
原発という電源が地球環境史,人類・人間史に与えてきた毒害について多少でも考えをめぐらすことができる人は,そのように,原子力発電と再エネ発電が「COP28」の仲間同士でありうる(あった?)かのように説明する,あるいは実は,その点についてはろくに説明をしないまま,あたかもゴマかして記事(前段の b) の場合)のように報道した,とくに『日本経済新聞』の記事は問題含みであった。
※-2「肝心な問題」の背景には触れないでおく『日本経済新聞』2023年12月28日朝刊21面「〈マーケット総合〉大機小機」の意見,題目は「グローバルサウスと脱炭素」であった
このコラム記事を以下に引用する。
2023年には,インドを代表として新興国・発展途上国の声が大きくなった。その総称として「グローバルサウス」という言葉も定着した。新興国・途上国の声は,エネルギーと環境をめぐる国際政治にも影響を及ぼす。
インドなどが議論に参加した〔2023年〕5月の主要7カ国(G7)広島サミット,9月の20カ国・地域(G20)首脳会議では「脱炭素化への道筋は一つではなく複数ある」という方向でまとまった。ドバイで開いた第28回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)も,その延長線上にあった。
COP28では化石燃料の「段階的廃止」を明記するのを見送り,化石燃料からの「脱却」を確認した。前向きだが妥協的な結論だ。「廃止」の明文化を拒んだのはサウジアラビアなどだが,産油国ではない多くの国々でも,現段階で化石燃料の廃止を明示するのは容易ではなかった。
2023年は「観測史上もっとも暑い年」になり,国連のグテレス事務総長は「すべての化石燃料の利用を最終的にやめないと,パリ協定の目標を達成できない」と危機感を示した。
国際エネルギー機関(IEA)は,今世紀半ばに温暖化ガスの排出を実質ゼロにする目標を前提に,「世界の化石燃料需要が2030年までに減少に転じる」シナリオを示す。
だが,足元では世界の石炭の消費量も2023年に過去最高を更新する。インドのモディ首相は「エネルギー転換は包摂的に推進される必要があり,グローバルサウスの人々が取り残されてはならない」と訴える。
多くの途上国にとって重要なのは,手頃な価格でのエネルギーの供給拡大だ。
アフリカ,中東,南アジアなどでは,これから人口がさらに増え,エネルギー消費量が増える。二酸化炭素(CO2 )排出量も増える恐れがある。現在の政策と需要動向が前提だと2050年時点の排出量が今より大きくなりかねない。
これらの地域で,化石燃料からの脱却と省エネを強力に進めるには多額の資金が要る。だが,途上国の脱炭素化推進のために先進国が2009年に約束した,官民合わせて年間1000億ドル規模の資金移転は,実現が遅れ気味だ。
米欧の金利上昇などで,2023年には資金調達の環境もきびしくなった。世界の脱炭素化に欠かせない資金面の途上国支援。その宿題は来年も続く。(花山裏)(引用終わり)
以上,『日本経済新聞』朝刊・コラム「大機小機」の意見は,原発そのものには触れていなかったけれども,この種の指摘や主張の裏側には,必らずといっていいほど「原発」(の必要論・推進論・新憎設論)が控えているというか,張りつけられていた。
ところで,原発推進派ではないはずの『毎日新聞』の記事のなかにであっても,原発の問題一例を紹介をするための記事であったとはいえ,たとえばつぎのように奇妙な原発関連の記事を書いていた。全文を引用できないので,批判の対象となる段落のみ抽出する。
※-3『毎日新聞』2023年12月9日朝刊1面に掲載されたその記事の見出しは「廃炉先進国の伊 原発回帰」であった。後段の3分の1ほどを引用する
a) (前略) いま,原発新設への議論が再燃している。メローニ首相率いる与党3党は2023年5月,原発の活用を検討する動議を下院に提出し,可決された。
2050年に温室効果ガス排出量を実質ゼロとする国家目標や,ロシアによるウクライナ侵攻がきっかけとなったエネルギー危機に対応するため,比較的安価で,発電時に二酸化炭素を排出しない原子力が必要との判断だ。
補注)だが,まず「温室効果ガス排出量を実質ゼロとする国家目標」に原発が役立つ,有用だという理解が誤謬の前提に立った完全なる間違いであった。そもそも,ここで原発(原子力)は「比較的安価で,発電時に二酸化炭素を排出しない」という言説じたいが誤説である事実からして,まったく無視する報道内容であった。
それに「発電時であってもなくても」「炭酸ガスの排出には大いに関係してきた原発」に関して,発電時にかぎって二酸化炭素を排出しないという説明の仕方じたい,錯綜した観念に漬かった迷説であった。
原発が発電時であればCO2 と完全に無縁であるなどといえるのか?
つぎに「ロシアによるウクライナ侵攻がきっかけとなったエネルギー危機に対応するため」という理屈をもちだすさい,ロシアがウクライナのザポリージャ原発を占拠したうえで,これを原爆的に
いいかえれば核兵器的に,それこそ,世界全体に対して恫喝するための「国際政治次元における兵器:武器」として,この原発を軍事的にすでに悪用してきた現実を無視している。
さらには,「ロシアによるウクライナ侵攻がきっかけとなったエネルギー危機に対応するため,比較的安価で,発電時に二酸化炭素を排出しない原子力が必要との判断」といった「いつものお決まり」の文句に対しては,あらためてこう批判しておく。
「原発はCO2 を〔ほとんど?〕出さない」という「その部分に関連する特定の理解」を前面に押し出したかたちで,しかも原発のコストは「比較的安価だというセリフ」もついでに披露した話法は,「原子力村的な冗舌」としてすでに聞き飽きたせりふであった。
厳正な意味としてそれも事実としてだが,「原発という装置・機械」が固定設備として炭酸ガスを出さないわけではなく,また,とりわけ安価でもなくなっていた事実に目をつむったごとき発言は,たいがいにしておかねばなるまい。
ここまででもすでに,いくつか明白な誤謬を平然とすっ飛ばした記事を書いていた。だからか,この記事は最後でやはり,つぎのように断わることだけは,回避せずにくわえて記述してあった。
〔記事に戻る→〕 イタリア政府は〔2023年〕9月,原発再開に向けた政府の計画案を6カ月以内に策定する方針を示した。政府は世界的に開発が進む小型原子炉「小型モジュール炉(SMR)」の新設を検討している。
補注)この「小型モジュール炉」とは採算と安全性の面で,通常型の原子炉(最近は1基,120~140万kw時の出力)を克服できるどころか,小型にしたその分,採算も安全性も「悪くも低くもなる」
〔記事に戻る→〕 だが一方で,イタリアでは核のごみを収容する国立中間貯蔵施設の建設はめどがたたず,廃炉作業で出る放射性廃棄物は行き場を失っている。その先の最終処分場の建設に向けた議論は始まってもいない。【カオルソ(イタリア北部)で宮川裕章】
b) イタリアの国土面積は主に半島状の地域で30万2100km² であり,南北に長い地理的な特徴は日本(面積37万8000 km²)に似ているところもあった。
もしもの話,イタリアがまだ原発を稼働させている国として,大事故を起こしたりしたとする。たとえば,ローマ市のはるか東方の海岸線に立地する原発があったとして,仮にこれが大事故を起こしたとする。
さてそのさい,たまたま秒速7~8mの東風が吹いていたとする。そうなると,ローマ市とこの周辺の地域にまで,濃度の高い放射性物質が流れてくる。
さらに不幸にもその後,風向きが急に南東の風に変わったと仮定してみる場合,イタリアのローマ市以北の各地域・各都市は,西北から南東に地理的に長く位置するのが「イタリアの国土の形状」である関係上,その直後から放射性物質によって高度に汚染されたイタリア北部は,完全に壊滅状況になる。
イタリアは前世紀中に原発を廃絶することにしてから,「現在,〔その〕作業の約5割が終わった段階だ。イタリア国内では4カ所の原発を含む9カ所の原子力関連施設の解体が進む」と,前段で引用した『毎日新聞』の記事は解説していた。
補注)イタリアはエネルギー資源に乏しい関係上,前世紀の最後の10年間を残した時期に原発を廃炉にしていた。1986年のチェルノブイリ原発事故を目の当たりにして国民投票を実施し,1988年に一定期間の建設凍結を決定。1990年に全基を閉鎖して現在に至っていたのである。
つまり前段に書いてあったが,イタリアでは現在もまだその廃炉工程は進行中であり,そのためにさらに必要な工事が5割残っているというのだから,いったい,あと何年経ったらその廃炉工程が完了するのかと聞きたくもなる。
「全基を閉鎖したのが1990年」だから,2024年までほぼ四半世紀が経過した。そして,廃炉のために「必要な工事が5割残っている」と説明されているので,その2倍の時間,つまり半世紀の長期間をかければ廃炉は完全に終了できるということか?
イタリアの各原発のなかで40年稼働させえたものは,1基もない。要は,「実際に稼働できた期間」よりも「建設と廃炉のために必要とした期間」のほうが,ずっと長い年月になっている。その建設と廃炉の工程における工事の進捗過程では,炭酸ガスを「出しつづける」ことはむろんである。
なにせ,もう発電どころではなく,ただスクラップにするために残された原発だけが残された。しかも,高度か低度かの差はあれ,各様に放射性物質で汚染されたスクラップがたくさん残った。その後の片づけのためにも,なにかと「炭酸ガス」を出す工事が必要となる。
だからこそ,「原発は稼働しているときは炭酸ガスを出さない」などと特筆大書的に宣伝しておく必要があったのかなどと,チャチのひとつも入れてみたくなる。
前段の記事から再び引用すると,「日本と同様,エネルギー資源に乏しいイタリアの原子力政策は揺れてきた。脱原発を決めた国民投票以降,原発再開への動きが出たのは2008年」であったと説明されていた。
c) ここで思い出すのは,21世紀に入ってから起きた,つぎのような関連する事情である。
すなわち,かつて「原子力ルネサンス」と名のった「2000年代に米欧を中心に巻き起こった原子力発電」を再評価しようとする動向があった。当時は1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故などを受けて停滞気味となっていた原子力開発を,エネルギー需要の拡大や環境問題などを背景に,建設計画が相次いでいた。
現在の原発回帰の動きは,そんな原子力ルネサンスが再来したかのように演出されていたかのようにも映っていたが,その後,2011年の東電福島第1原発事故が発生したのを受けて,ドイツでは原発を完全に廃絶させる決断を下ことになった。
それでも『産経新聞』のある記事は,原発の立場・利害を擁護するためにつぎのように吠えていた。
※-4 原発は「絶対悪」だという評価は,原爆の双生児であったこの発電方法に由来する「元来からの一大特性」であった
本ブログ内では『毎日新聞』2023年12月20日朝刊に論説として掲載された元村有希子(論説委員)の「〈水説〉原子力の持続不可能性」を,2014年1月2日に公開した記述で引用していたが,その最後の段落はこういう「原発(原子力)批判」を語っていた。
原発じたいに固有である危険性は,のちにとりあげて紹介する。ここでは,最近作の烏賀陽弘道『ALPS・海洋排水の12のウソ』三和書籍,2023年11月は,
21世紀の歴史に記録される大事故を起こした東電福島第1原発事故のその深刻な後遺症となっている「汚染水(処理水)」の排出問題が,この地球環境に与えつづけている大打撃を判りやすく啓蒙しようとする立場から,解説をおこなっている。
原発じたいもそうであるが,大事故を起こしていまだに原子炉と格納容器内に溶融したデブリを実質100%(全部で880トンあるという)取り出せていない実情は,「3・11」当時以来,この日に発令された『原子力緊急事態宣言』を解除させえないでいる理由であった。
加藤 寛の本,『日本再生 最終勧告-原発即時ゼロで未来を拓く-』ビジネス社,2013年3月は,日本の原発体制をこう批判していた。
加藤 寛が「正しい会計」と指称したその「特定の対象」に挙げられるべきものは,実は加藤自身,具体的にはまだよく把握しえていない会計研究上の特定領域を意味していた。
ここで,原発に関する「正しい会計」とは,これまで原発を所有する大手電力会社が
① これまで社会的責任として他に押しつけてきた原発のコスト
② これまで外部経済に負担させてきた原発のコスト
③ これまで国家財政にツケ回ししてきた原発のコスト
④ 電力使用者にいつまでも不当に支払わせている原発のコスト
などのすべてを,一括に対象化しうる「原発会計」となるべきであった。
だが,いまだに,原発会計の関心・立場が包摂し,負担し,計上しておくべきコストは,国家政策的に排除されている。最近は廃炉工程にはいりつつある原発が増えてきた事情をも反映もさせてか,原発会計はそのじたい研究が手がけるべき領域として,廃炉会計の研究分野を設定しておくべき時代になっている。
しかし,にもかかわらず,以前は国策民営の路線で経営ができていた電力会社の会計理念から勝手に外されていた「諸コスト」の問題は,今後に向けてますます重要な研究対象として,回避のしようもない事実となって浮上してくる。
そうなれば,ともかく原発の利用をより積極的に推進していけば,これが「温暖化対策になる」し,「炭酸ガス削減に貢献する」とかいったごとき,まさしく幻想以前の誤論が,それも力尽くで世間に向けて喧伝されながら流布されてきたけれでも,
事態の本質は,従来の「電力企業原価計算」に特有であった異様な会計方法が,原発コストを多種多様なかたちで排斥していた実態,基本的には,外部経済化され無責任にも放逐してきた原価の諸問題を,あらためて反転させて企業内部計算問題として収容しなければならない。
※-5「【原発耕論 No21】COP28 での原子力発電」『デモクラシータイムス』2023年12月13日,https://www.youtube.com/watch?v=FXLCWSq4BAI から図表を連続して紹介する
以下,上記『デモクラシータイムス』2023年12月13日「【原発耕論 No21】 COP28 での原子力発電」のなかに〈かかげられていた図表〉だけをすべて紹介してみる。
これらは「目を口ほどにモノをいう」の好例となるはずである。放送時間1時間6分54秒の中身:含蓄のすべてを残らずすべて,これら図表でのみ理解できるとは思わないが,そのかなりの含意は読みとれると判断している。
以上,紹介してみた図表(図解)を眺めてみたあと,本日,『日本経済新聞』朝刊1面のコラム〈春秋〉がこれまた,日経的な中途半端さをにじませてだが,「原発推進派の本性」をほのめかしたい発言をしていた。嫌らしさだけがじっくり,ジメジメと伝わってきた。これなりに迷文であった。
------------------------------