ロシアと戦争状態にあるウクライナの駐日大使が「ロシアの批判」を招いた軽率な靖国参拝行為,かといって,ロシア正教の靖国同然であるオカルト精神を対置させて比較考量すれば,その種の批判を繰り出す資格などない「プーチン強権体制」,しかもそれらのあいだで確たる基本姿勢の確立すらできない日本の「靖国」問題をめぐる暗渠性
※-1「ロシア,ウクライナ大使の靖国参拝を批判 安保理緊急会合で』『毎日新聞』2024年9月11日,更新 10:34,https://mainichi.jp/articles/20240911/k00/00m/030/051000c 報道
先日(9月11日)『毎日新聞』が速報として伝えた記事は,こういう内容であった。
この共同通信にもとづく『毎日新聞』の記事であったが,ウクライナ駐日大使は,日本の靖国神社の由来・歴史,そして今日的な意味をよく認識したうえで,このニュースに報道されたごとき行動を採ったとは思えない。
もっとも「〔各種の〕軍国主義者やナチスとの戦いが侵攻の目的だとあらためて主張し」たロシア側のいい分は,天に唾した発言にほかならない。「プーチン,オマエもよくいうよ」とまぜっかえしておくべき「ロシア的に悪質な例の暴言たぐい」に終始していた。
他方における日本のウクライナ大使館は,宇露戦争がすでに2年と7ヶ月も継続中であり,当面ただちには停戦する気配の読みとりにくい状況のなかで,国際政治次元ではなるべく多くの国々が自国を支持してくれる基本姿勢を採ってくれることが,対外政治戦略として非常に重要な要因とみなしている。
※-2 ウクライナ側は世界からの同情・支援をえるために必死の外交展開
それゆえ,駐日ウクライナ大使自身やあるいは同大使館に属するウクライナの国家官僚・職員たちが,いかほど日本の天皇・天皇制をその歴史や本質,現状などについて理解・認識しえているかどうかという問題次元とは,ひとまず別次元に飛んでしまったかのような調子でもって,
ともかく日本国から支持やこの国民たちからの同情・支援をえるためには,あらゆる手段・手立てを駆使し,その目的が実現されうるように努力すべき立場になっていた。この点じたいは,国際政治のイロハであり,なんらむずかしいことがらではなかった。
しかし,ウクライナは宇露戦争が2022年2月24日,ロシアの侵略戦争を受けて始まってからしばらく経ったころ,つぎのような訴求を世界に向けて発信していたが,これが基本的にはなんら間違いはなかったものの,ただし日本向けの発信としては「ちとマズイ発言」になっていた。単なるウッカリミスとはいえない,そもそも「日本事情の認識」に関して勉強不足だった側面をさらけ出していた。
つまりそのSNSの発信は,「ヒトラー,ムッソリーニ,ヒロヒト」という雁首を並べたうえで,21世紀のロシアに向けて「特定の非難」を投じるウクライナ側の意向が,結果的には「うっかりミス」の範囲内だったといえなくはない手違いを,
しかも,日本の近現代史に関した基礎知識の不足・不備のせいで犯してしまった。当然のことその直後,日本からの抗議を受けてだが,「第2次大戦時の悪役3名」からはひとまずヒロヒトは除外・削除するという,珍妙な凡ミスを犯していた。
以上の記述に関して本ブログは,つぎの2つの記述をおこなっていた。できればこちらも併せて読んでもらえれば好都合である。2023年9月9日と9月10日の記述がそれらであったが,当時の日本国内において時事的な話題であった,ジャニー喜多川事務所が芸能界で犯してきた性犯罪行為とからめた記述になっていた。
--宇露戦争のこれまでの戦争過程を観察していると,ウクライナ政権側は戦争遂行の方法のみならず,これに不可避にまつわる戦争関連の対外向け情宣活動のやり方が,非常に賢明かつ効果的であった。
しかし,つぎの本ブログ記述(前掲の2編)で言及していたが,そのなかにもちだしていた諸画像にじかに反映された人物の構図,「第2次世界大戦時における3大悪役」のとりあつかいは,しごく自然なやり方であったものの,2020年代における国際政治の現実的な利害状況のなかで,より「賢明なる活用を計る」うえでは,基本的な過誤を犯していた。
そのときに話題になっていた画像を資料として再度,ここにかかげておきたい。前記のブログ文章からの再録となるが,以下の段落を説明のために転載することにした。
--昨日(ここでは2022年4月24日のこと),本ブログ筆者が気付いたのは,いまロシアの侵略を受けて「むごい戦争状態」を余儀なくされているウクライナ政府が,SNS(ツイッター)を介してだが,つぎのような「画像-ムッソリーニ・ヒトラー・天皇裕仁」を映し出した「コマの場面」を含む動画を,発信していた点である。
その動画は,「ロシアのプーチン」を非難する意図のための制作・公表され,そのさい,第2次世界大戦中に成立していた日独伊三国同盟に触れる内容に構成・編集されていた。そのなかには,つぎのような画像が用意され組みこまれていた。なお上が修正後,下がその前(初め)の画像である。
さて,この話題(問題)について日本側ではたとえば,つぎのように受けとめられてもいた。
以上が2022年4月段階での話題であった。
ところが,2024年9月段階に至ってだが,ウクライナ側は駐日大使の個人的な判断かそれとも政府じたいの正式な決定に属した行為かは判別しにくかったが,大使が靖国神社に参拝した。これに目を付けたロシア側が早速イチャモンを表明した,という経緯が生まれていた。
※-3 敗戦後体制日本における国家神道な残滓の特質
つまり,アメリカベッタリとなった敗戦国日本の国家体制の特性は,第2次大戦終結後に形成されてきた日本の「対米服属国家」としての基本性格を,つまり,アメリカ側が敗戦させた旧大日本帝国のもとからの中核的な軸心である「天皇・天皇制」を,そのまま残続させた「戦後体制」を維持してきたがために,21世紀の現在になってもなお,
安倍晋三風に真似ていえばアメリカ様に「アンダーコントロール」されつづてきたこの国の現状は,ウクライナ側の視点から観て,いまひとつより正確に認識しきれなかった点が,ここでの議論として考慮したい問題となる。
本ブログ内では〈以上の記述〉に関連した記述を前記のように,1年前の同じ9月に2編,公表していた。これらの記述を参照してもらえれば分かるように,経度でみれば「東経24~40度に位置するウクライナ」と「東経120度から150度に位置する日本」という,地理的に遠く離れた関係(東京からキーウまでは8167 km)からして,どうしても仕方がない要素が含まれていたとはいえ,
ウクライナ側がロシアの侵略戦争を受けて立ってとなっていたが,この両国のあいだでは第2次大戦中においては,なにかと,それも入りくんだ相互の関係性のなかで,利用されあうことになった「相手国側におけるナチス性の残存要因」に関して,一方が他方に対して問答無用に攻撃材料に「応用しながら悪用する」試みをおこなってきた。むろん,この悪だくみはロシア側のほうが圧倒的に多く,それも理不尽ないいぶんばかりであった。
前段のごとき一括的な表現,「ヒトラーのナチス ⇔ ムッソリーニのファシスモ ⇔ ヒロヒトの皇国全体主義」は,第2次大戦中の三国同盟間のいわばトランアングル(三角関係)は,歴史認識の次元ではごく自然な当たりまえであった「当時の国際関係」になっていた。
だが,もっとも,とくに日本側では敗戦後まで生きのびた裕仁氏が東京裁判(極東国際軍事裁判)からは免罪された事実,そして,この人物を基点に据えたかたちにもなって,21世紀のいまにまでも「対米服属国家体制」を持続させられている実情があった。
ウクライナの立場のようにひとまず,「旧大日本帝国」の過去歴は,もともとほとんど無関係に棚上げできた立場(利害状況)を踏まえてとなれば,ともかく,現状においては「自国がロシアからの侵略を受けて戦争状態にある状態」を大前提にしたうえで,世界各国からの精神的な支援および軍事的な援助を期待しなければならない立場にある。
大まかな推計になるが,2024年9月時点でロシア軍側の死者数は7万人を,そしてウクライナ軍側の死者数は4万人を超えているものと把握できるという話をすると,負傷者も入れたその犠牲者数を3倍で算出しておき,それらを合計すると,ロシア28万人,ウクライナ16万人となる。
しかしながら,そのあたりに関した数値の把握は,相当に控えめの推算しかなりえていないためか,最近の報道によれば,つぎのように伝えられてもいた。
※-4 独裁者が共有する「人命を軽視・無視した人民観」-人びとの命などなんとも思わない非道冷酷人間プーチンだが,この手合いの独裁者はこの地球上にいくらでも存在してきた-
a) なお「ロシアのプーチン」は,ウクライナ侵略戦争の進行にともないさらに,「自国の兵士が死ぬこと」を「なんとも(屁とも)思っていない人間である」事実が,明確に伝わってきた。
靖国神社は「死霊」を上手に使いまわしているつもりであっても,肝心の狙い目は,まだ生のある者たちを勇躍戦場に送りこみ,さらにいうと,結局は,その死霊を拡大再生産するための装置にほかならなかった,つまり,明治維新以後になって意図的に設営された巧妙な「戦争を督戦するための神社」であった。
21世紀のいまになっての話題になるが,ロシアのプーチンは,大の仲良しであるロシア正教の大主教キリルとは,つぎのような親密な関係にあると解説されている。
ウクライナ侵攻開始後の2022年4月,ロシア正教会はこのロシアのウクライナ侵攻において,兵士たちに向けていわく
「あなたはロシアの戦士です。あなたの義務は,ウクライナの民族主義者から祖国を守ることです。あなたの仕事はウクライナ国民を地球上から一掃することです。あなたの敵は人間の魂に罪深いダメージを与えるイデオロギーです」
という免罪符を発行した。
さらに同年10月,『ニューズウィーク日本版』が,キリル大主教によりプーチンが「主席エクソシスト」に任命された,というニュースが報道された。
註記)ウィキペディア「ロシア正教会」,https://ja.wikipedia.org/wiki/ロシア正教会 から。
そして,ロシア正教会の主教たちが,ロシア兵に対して宗教的に「聖水を振りまく儀式」に関してであったが,あなたたちは「戦争でいって死んでも生きて蘇る」などという言辞を,本気で吐いていた。
そのたぐいの言辞は,靖国神社に合祀されている〔という〕246万6千余柱もの「死霊」が,まだ「生ける者たち」をあらためて戦場に送るためにこそ,「国家的な次元で神道宗教的に再利用(リサイクル)され,大いに役立たせしめられると決めてみた事実」に通じる効果を発揮させるためのものであった。
b) ただひとつ,完璧にといっていいくらい確実にいえる,以上のごとき「ロシア大主教のお説教」と「靖国神社の基本精神」との「相互の共約性」は,ロシア正教会の大主教やそしてプーチンたち,靖国神社の宮司や旧帝国陸海軍の将官級でも最高位の一部参謀軍人の場合,戦場に常在しているわけではなかったから,自分の命をそう簡単に危険にさらすことはない。
日本の場合でいえば,ときおり日本の首相たちが靖国神社に参拝にいき,なんとも不思議なセリフであったが,「督戦神社かつ敗戦神社」であったこの神社に参拝したさいに,「平和だとか不戦だかと」というお題目を,あるいは「尊い命を国家のために捧げた」「(主に)将兵たちを慰霊するのだ」という文句をかかげてきた」。
しかしながら,靖国神社に合祀されて英霊になった将兵ちが,まだ生きていて現役の兵隊だったころ,いったい派遣された戦地でなにをして(させられて)きたのかといった「歴史の事実」とは完全に無関係に,
つまり,たとえば「満州事変」以来の中国の地で,日本軍がどのような「侵略のための戦争」(三光作戦がその象徴であったが)をおこなってきたのかという記録など,とことん無頓着あるいは完全に無視した「靖国そのものの無理解」という実体が,その基本の観念となって把持されていた。
2022年2月24日,「プーチンのロシア」が開始したウクライナ侵略戦争は,この元KGB出身の強権独裁者にいわせれば,前段でロシア正教会・大主教キリルの吐いた言辞のとおり,兵士たちに対して,まさに「あなたの仕事はウクライナ国民を地球上から一掃すること」だということを最終目的にしていた。
さきに触れたごとき,旧日本軍が中国の地で実際におこなっていた「三光作戦」,つまり「やきつくし(焼光),殺しつくし(殺光),奪いつくす(搶光)」作戦の展開と,21世紀のロシア軍兵士に命じられたその任務「ウクライナ国民を地球上から一掃すること」とからは,戦争問題に関してならば完全に同じ「宗教的な本質」がみいだせる。
だから,ウクラナナの駐日大使が靖国神社に参拝に出向いた行為は,つぎのような理解になると断言してよい。
すなわち,かつての大日本帝国陸海軍が東アジアの各地で犯していた侵略戦争の意味にまで当然に通じる,いまの「プーチンのロシア」がウクライナ侵略戦争で犯しつづけているその罪業のありようは,
要するに,現在まで「ロシアの侵略を受けている自国:ウクライナの立場」は,最初に「ロシアのプーチン」という政治家から否定されただけでなく,さらにくわえては,この国の「ロシア正教」が当然のように,ウクライナという国家を「根柢から完全否定する宗教的な意味あい」を,大正教の立場から堂々と託宣していた。
駐日ウクライナ大使が靖国神社に参拝するという行為を通して結果させた事態は,なんとみっともないことに,
イ)「一方でロシアがウクライナを否定する立場」と
ロ)「他方で旧日帝が中国を否定した立場」〔そのものは,靖国神社参拝によって肯定される立場に変質する〕
とが共通・融合させられてしまう事実を,つまり,イコールでむすびつけられたかたちで,それぞれが是認させられる帰結を誘引させることになった。
要は,この双方ともに否定しておくべき立場(現実の問題)であったにもかかわらず,駐日ウクライナ大使は靖国神社に参拝することで, 旧日本軍の「ロ) の過去の中国における歴史の事実」を認容する行為になった。
つづいては,ロシア軍の「イ) の現在における歴史事実」を是認するほかなくなる行為を記録した。
駐日ウクライナ大使がそのようななりゆきが発生しうる必然的な条件を,事前に計慮しておき排除できなかったことは,たいそうな失態であった。
しかも寄りによって,この論理的な因果の関連がロシア側からの抗議(非難)によって指摘されることで,本末転倒の経緯ともなって,肝心の論点が浮上させられることになった。このことの意味は,非常に重大である。
要すれば,「絶対的に相いれないふたつの結論同士」を,相互超越的に吸いこんでしまったかようにして,だから,見境もなく両立させうるかのごとくに,それぞれの「宗教的な行動」を認容しうるかのような事態が現出されていた。
しかし,これほどの皮肉はない。これほどの大失敗はない。
イ)「一方でロシアがウクライナを否定する立場」を,ウクライナ側が拒絶したいのであれば, ロ)「他方で旧日帝が中国を否定した立場」を認めることになる靖国神社参拝をした点は,完全に大失策であった。
いいかえよう。駐日ウクライナ大使は,靖国神社参拝という行為が ロ)「他方で旧日帝が中国を否定する立場」そのものを,不可避に肯定する立場に変質していくほかなかった「東アジア史」をめぐる事情を,事前に理解できていなかったものと推察する。
※-5 直近の関連する新聞報道から
1)「ロシア軍哨戒機が領空侵犯 空自戦闘機,フレアで警告 礼文島北方」『毎日新聞』2024年9月23日 19:48,更新 9/23 21:03,https://mainichi.jp/articles/20240923/k00/00m/010/210000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailsokuho
ロシアは日本の国境ぎりぎりにを空軍機に侵犯させるかたちで,ちょっかいを出してきたが,ウクライナ侵略戦争で手一杯のはずのプーチンが,このような事件を故意に起こす意味を,われわれはどのように解釈したらよいか。
中国との関係に関連があるとする解説が一番分かりやすいが,ロシアじたいが最近はウクライナに押され気味,つまり第2次大戦後初めて,自国領内に外国の軍隊が侵入してきている現状,占有されている状態にあるという事実も考慮に入れておく余地もあった。
2) ロシアは先日核弾道ミサイルの基地で各弾道なしの大型大陸間ロケットの打ち上げに失敗し,その打ち上げ基地まで大破壊させる顛末になっていた。
3)「自民・小林鷹之氏,小泉進次郎氏が靖国参拝 党内に総裁選『待望論』」『毎日新聞』2024年8月15日 09:45,更新11:42,https://mainichi.jp/articles/20240815/k00/00m/010/027000c
「終戦(敗戦)の日」にわざわざ,靖国神社を参拝に訪れる自民党系の政治家は多くいるものの,この小林に限らぬが,もともと靖国神社本来の国家神道的な真義などについて,実は,もとよりほとんど知識がなく,無知なの政治屋たちがほとんどであった。要は簡潔にいえば,「票になるか・ならないか」が「靖国にいくか・いかないか」の判断において基準になっていたに過ぎない。
靖国神社の本義,その歴史的な役割などまともに理解すらしていそうにもない自民党の国会議員たちが,いかにも靖国信仰があるかのような姿勢を装いながら九段下のこの元国営神社(戦争神社・督戦神社・死霊神社)に,しかも,なによりも「自分の立場・権益・利害」を第1にしての行動であったが,参拝にいく姿は,まさに宗教の政治利用そのもの。靖国神社側もその相互の利害関係性は既知・周知・承知に属した事情・事柄。
4) 鈴木英生「自虐史観を批判する若者 元将兵は喜ぶどころか『私が…』」『毎日新聞』2024年8月15日 05:30,更新 05:30,https://mainichi.jp/articles/20240812/k00/00m/040/106000c から適宜に抜粋。
元国際線客室乗務員 遠藤美幸(えんどう・みゆき)が,なぜか旧日本軍「戦友会」の「お世話係」に。
a) 戦友会の「お世話係」に
私は,2000年代前半,戦時中にビルマ(現ミャンマー)中国国境地帯などで戦った元日本陸軍将兵の聞き取りを始めました。そのうち,陸軍第2師団の戦友会「勇(いさむ)会」と後継の「勇会有志会」で,雑用から会計まで任される「お世話係」にいつのまにかなっていました。
一見,私は「戦場の記憶」という「バトン」を次世代へ正確に手渡そうとしているみたいですよね。
しかし,いくら厳密に聞き書きを重ねても,戦場体験を「そのまま」は継承できません。できるのは,自分が当事者の話をどう聞き,どう感じたかを書き残すこと。手元にある資料などを残すこと。それだけです。
◆-1 客室乗務員が偶然元将校の乗客と……
かつて,私は日本航空の客室乗務員でした。1985年の日航ジャンボ機墜落事故後,会社の体質に嫌気がさして退職し,結婚後に大学院へ。
子育てでいったん学問から遠ざかっていた2001年,とある元陸軍将校から資料の山が送られてきました。元陸軍将校は,墜落事故の2カ月前に偶然,機内で私に話しかけた乗客でした。以後,親交が続いていたのです。この資料をきっかけに,元将兵らの聞き取りなどを始めていまに至ります。
◆-2 「戦場体験を私の子どもに伝えられます」
そんな彼らの集っていた「有志会」が解散したのは,当事者ではない「若者」の参加者が増えたのがきっかけです。2010年ごろは真剣に当事者の話を聞きたくて来る人が多かったのですが,とくに第2次安倍晋三政権下の2013年以降,「正しい歴史認識」を声高に叫ぶ「若者」が増えました。
◆-3 当事者に「自虐史観」批判を披露する「若者」
「若者」は,元将兵の前で「自虐史観」を批判し,「自分たちを卑下しないでください」などといいつのりました。そういえば高齢者が喜ぶと思っていたのです……。
彼らが「従軍慰安婦はいなかった」と主張すると,ある元将校が「私が中隊の慰安所を作ったんだが……」とつぶやいたのを覚えています。会場の隅で「いまの若い人は考えが浅いね」とため息をつく人もいました。
「若者」たちは,元将兵に「戦争を美化しちゃいかん」と諭されても一向に動じません。確かに,彼らも何事かを「継承」はしたかったのでしょう。ただし,目の前の当事者の方をまったくみずに。彼らに嫌気がさして,本来の会員である元将兵の参加は減っていきました。
b) 当事者がいなくとも歴史は消えない
逆にいえば,戦場体験者がいなくなっても歴史が消えることはありません。遺族の話を聞いたり,書き残された証言を読みこんだり現地を調査したりして,事実を掘り起こし解釈を積み重ねることはまだまだできるのです。
当事者の声を聞いた私は,「獣道」を残したい。私は,「バトン」の継承なんて大それたことはしていません。ただ,「戦争の話を聞いてなにがしたいのか」という問いへの答えを探りつづけ,自らの生き方を問うてきました。
そして最近,気づきました。私は「獣道」のようなものを未来に残したいのだと。先人たちの残した道を私が歩いた。その足跡さえ残しておけば,いつか必らず,誰かまた歩いてくれる人がいる。そう信じているのです。【聞き手・鈴木英生】
c) なお,ここまで書いてきたところで,つぎの演歌を思い出した。
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