安倍晋三の対米追随・従属外交にひそかに反対していた平成天皇,2015年に戻り集団的自衛権を決めた安倍政権を振りかえる議論
※-1 前論-2015年に「集団的自衛権」決定,2023年は「防衛予算倍増」に向けた初年度,岸田文雄政権の無節操と放埒の国家運営は,この国を凋落させ瓦解する
本稿は2015年9月3日,旧ブログの記述として公表していたものを,本日2023年7月9日に復活させることになった。
今日(今年)的な話題としてならば,すっかり軍拡路線を突きすすむことにした岸田文雄は,当時(2015年),安倍晋三が敷いたこの国の軍国志向,それも幼時的な振るまいの実績だから,宏池会の伝統を継承する自民党議員として些少でもみなおすかと思いきや,そうではなかった,ただ軍拡に向けて飛び出した。
岸田文雄は,安倍晋三でさえ自分では口に出せなかった「防衛費倍増(GDP比を2倍にする)」を,自分なりにだが,しかし,独自の判断「力」からしてなにもく下せないまま,おまけに国民生活の悪化などまったく理解せずに,軍拡路線として推し進めている。
第2次大戦末期に,米軍のB29が広島県(市)に原爆を投下したが,この選挙区から選ばれたこの「世襲3代目の政治屋」の頭のなかは,いったいどういう神経経路になっているのか,できればのぞいてみたいところである。
安倍晋三の第2次政権は2012年12月26日に発足していたが,3年目に進んだ2015年,自民党とコバンザメ政党・創価学会公明党との野合政権は,日本国防衛省の陸海空3軍を,在日米軍(広義にはアメリカ軍)に実質,完全にその隷下に配置させることを決めていた。
ところで,2022年における防衛大学校の本科卒業生のうち,任官辞退者数が2021年から44人増の72人に上った。この人数は,1990年の94人に次ぎ過去2番目に多かった。
防衛大学校は,安倍第2次政権になってからだが,任官拒否者を卒業式から排除するという「安倍政権の悪癖・陋習」を,身をもって実施していた。 しかし,防衛大学校は2023年3月26日におこなわれた卒業式においては,自衛官への任官辞退者の出席を認めていた。この決定は,岸田政権が過去の安倍,菅政権との決別を示すものと解釈されている。
しかし,開成高校の生徒として東大進学をめざすも3度不合格になり,不本意にも早稲田大学に進学した岸田文雄が指導し,変更させたその措置だとすれば,それなりになんらかが意図された,一定の含蓄がありそうな措置であったと受けとることも不可能ではない。
それにしても,防衛大学校の「卒業式の改革」といったごときひとつの話題であっても,防衛省そして自衛隊の意識改革に基本からつなげられないことには,自衛隊の存続じたいを危ぶむ声があることを忘れてはいけない。
註記)以上の話題について関連する防衛大学校の現状などについては,つぎの住所の記事を参照されたい。この記事からは,集団的自衛権などの問題以前の「日本における軍事関連問題の一例」がうかがえる。
宗主国:アメリカ幕府および日本総督府に隷属する半国家日本,その軍隊の「集団的自衛権行使容認」は,実質的には日本国憲法の埒外で昔から通用してきたといえなくもない。
ここで,本稿の要点は,つぎの2点に表現しておきたい。
※-2「離島想定 自衛隊,米軍の訓練に参加」『朝日新聞』2015年9月3日朝刊37面「社会」
★ 仲むつまじい米日両軍の一体化は,大昔からの事実 ★
〔記事からの引用→〕 自衛隊は米カリフォルニア州南部沖で〔2015年〕9月1日(日本時間2日),米軍とともに,敵軍に占拠された島を制圧するための実弾を使った砲撃訓練を実施し,報道陣に公開した。
海から陸地に兵力を送りこむ水陸両用作戦の訓練「ドーン・ブリッツ(夜明けの電撃)」の一環。敵が部隊を展開する島に潜入した陸自と米海兵隊の部隊の情報をもとに,沖合の海自イージス艦や米海軍艦が上陸作戦に備えた艦砲射撃をした。陸自隊員が英語を使い,無線で米海軍の砲撃を誘導する場面もあった。
離島防衛が専門の陸自西部方面普通科連隊など,陸海空の3自衛隊あわせて約1100人が訓練に参加している。自衛隊は,尖閣諸島をめぐる緊張の高まりを受けて2013年に初参加し,今回が2回目。離島防衛をめぐる日米の連携ぶりをアピールする。
【参考記事】-引用中の記事は,図解にしたイメージならば,このような訓練として描ける-
この訓練には,日米のほか,メキシコとニュージーランドの部隊も参加し,オーストラリア,コロンビア,チリも隊員を派遣する。主催する米軍には,多国籍軍を編成するような事態に備えて,多国間共同での水陸両用作戦能力を高める狙いもある。訓練は9日まで。
(サンディエゴ=福井悠介)(引用終わり)
--ところで,この米日両軍の共同訓練には,いかほどの国家予算が費消されるのか? まさか千万円の単位ではあるまい。1億円・10億円の単位でもって,その軍事費執行額の推測をしたほうが正答である。そして,日本の自衛隊とアメリカ軍は別にも,密接な連携のもとに日本国内でも日常的に軍事業務こなしていることも忘れてはいけない。
つまり,日米安保条約体制のもと「集団的自衛権行使容認いかん」の問題が,今年の国会開催中(衆議院から参議院に移っている最中だが)においてやかましく議論する・しないとにかかわらず,米日両軍は〔上掲の記事はその一例にしか過ぎないのだが〕,いつでも集団的に軍事行動が展開できるようふだんから訓練・準備している。
その事実は,在日米軍基地と日本国防衛省自衛隊3軍が「基地を共同にして設営・運用(指揮・作戦行動)する」といった実際的な展開を進めてきたなかで,すでにその整備状況として確認できる。
※-3 安保関連(戦争)法制の国会審議とは関係なく自衛隊最高幹部は,この法案を「既定方針」として政治的に行動
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長は〔2015年8月〕27日の記者会見で,安全保障関連法案の成立で追加される新たな任務について「法施行までに準備を完了する必要がある」と述べた。法案は施行河野克俊統合幕僚長を公布から6カ月以内と規定。成立後間を置かずに公布の見通しで,約半年で部隊の訓練や装備品の配備を終わらせる方針だ。
註記 )「(短信)『法施行までに準備完』安保の新任務巡り統幕長」『日本経済新聞』2015年8月28日 3:30,)http://www.nikkei.com/article/DGKKASFS27H3K_X20C15A8PP8000/?n_cid=SPTMG002
出所)つぎの画像が河野克俊統幕長である。河野が幕僚長を務めた最後の年の画像になる。河野は,2014年10月14日に統合幕僚長に就いてから2019年4月1日に退くまで,歴代幕僚長のなかでは2番目に長い任命期間を体験した。安倍晋三にはたいそう気に入られた自衛隊将官であった。
前段の報道は『日本経済新聞』8月28日朝刊のものであった。河野克俊統幕長は安保関連(戦争)法案の成立見通しについて,国会における審議とは別個に,あらかじめさきに,既定の事情であって「決められている」と「軍人(軍部)の立場」から言明していた。
この発言をめぐる事情に関しては,『日本経済新聞』から該当する記事を検索してみると,以下の報道がなされていた。
a) 河野統幕長はまず,2014年12月にアメリカにいったとき,アメリカ軍部高官と親密に軍人同士の立場から会談をしていた。
☆ 統合幕僚長,米軍制服組のトップと来週会談 ☆
=『日本経済新聞』2014/12/9 11:38=
河野克俊統合幕僚長が来週に米国を訪問し,米軍制服組トップのデンプシー統合参謀本部議長と会談することが12月9日,分かった。10月の就任後初めての訪米となる。
日米防衛協力のための指針(ガイドライン)改定をにらみ,自衛隊と米軍の統合運用や連携強化をめぐって協議する。東シナ海などへの進出を活発化する中国や,核・ミサイル開発を進める北朝鮮の情勢も意見交換する。
b) 河野統幕長はさらに,2015年7月にもアメリカにいっており,そのさいの行動はつぎのように報道されていた。
☆ 米,安保法案に期待示す 日米制服組トップが会談 ☆
=『日本経済新聞』2015/7/17 9:58=
【ワシントン=吉野直也】 米軍制服組トップのデンプシー統合参謀本部議長は7月16日,ワシントン市内で訪米中の河野克俊統合幕僚長と会談し,南シナ海での中国の岩礁埋め立ての即時停止を求める考えを重ねて表明した。日本の国会で審議中の集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案については期待を示した。
河野氏は日米の制服組による戦略対話のために訪米した。デンプシー氏と会談後,記者団に「中長期的な日米協力関係について話しあった」と説明。南シナ海での中国の岩礁埋め立てに関しては米側から「きびしい見方が示された」と語った。15日にはバイデン米副大統領と会ったことも明らかにした。
河野氏は7月16日の講演では「安保法案は日米同盟を強化するために提出した」と強調。南シナ海での中国の岩礁埋め立てには「大きな懸念をもっている」と述べた。
米軍統合参謀本部は今〔2015年7〕月1日に国家軍事戦略を発表。米国の安全保障を脅かす国家として中国を挙げるなど警戒を強め,カーター米国防長官は南シナ海での中国の岩礁埋め立てを厳しく批判している。
--以上の河野克俊統合幕僚長の「軍人として政治行為」が,はたして,日本政府なりに「文民統制」をもって厳格に定められたはずの範囲内で,換言すれば政府がとりきめている制限内での言動であるのか,という根本的な疑問が抱かれた。
いずれにせよ,日本国とこの軍隊組織:自衛隊3軍は,東京の赤坂にある駐日アメリカ合衆国大使館の,実質的な別名でいえば「米国幕府が置く日本総督府」の指揮・統制下にあるごとき体裁・実態を現象させていた。
つぎの画像資料は,上空から観たアメリカ大使館と大使公邸(下方)である。
日本の自衛隊という軍隊組織がそのように存在している国際政治的な事実は,日本国がアメリカ幕府によっていまだに,占領・統治・支配・管理されつづけている「米日間の国際政治の《実態》」を正直に反映している。この今日的な両国関係の軍事面実相は,いまさらのように日本国民の前に常時,晒されている。
『文民統制』に相当する政治概念は,実質的に日本国に浸透しているとはいえない。なぜなら,アメリカ幕府のご意向に逆らえる日本政府ではないからである。
実際,自衛隊は在日米軍の下位に位置する〔=隷属したかのような〕日本の軍隊なのであり,アメリカのために軍隊組織として働くことを第1の任務とする,「傭兵的な日本国側の軍備・軍事力である」といわざるをえない。
※-4「『集団的自衛権行使は違憲』山口 繁元最高裁長官」『朝日新聞』2015年9月3日朝刊1面
この記事を引照するが,前段に言及した日米軍事同盟関係の実態・実相に照合しながら読むべき内容である。
事前に断わっておくが,日本国の国際政治においては「米日安保体制・米日地位協定」の効力が,日本国憲法の法制度体系に対して超越的に有効でありつづけている。
この敗戦後の日本史における「歴史の事実」を直視しないことには,「安保関連(戦争)法案」に関する議論・検討は理の必然として,画竜点睛を欠くことになる。
そこでここでは,2015年1月上旬に YouTube に投稿されていた当時のテレビ番組での「安保関連法案の解説番組内容」のなかに使用されていた,つぎの図解を借りておく。この図解は「憲法体系と安保法体系」とが生来抱えている基本的な矛盾を説明している。
なお,「憲法体系と安保法体系」の基本矛盾に関する究明は,長谷川正安『憲法現代史-安保と憲法-上・下』(日本評論社,1981年)が詳細にくわえている。
最近作としては,金子 勝『憲法の論理と安保の論理』(勁草書房,2013年)が,書名そのものからして,問題点の枠組をと直裁に教えている。金子の本書からはつぎの図解を借りておきたい。
明仁天皇(平成天皇)のために一言断わっておくと,このなかにある文字「天皇中心主義」に対しては,大いに一理あると考えていながら,同時にまた一定の違和感であっても,強く抱いているはずである。
〔『朝日新聞』記事・本文の引用開始→〕 安全保障関連法案について,山口 繁・元最高裁長官(82歳)が〔2015年〕9月1日,朝日新聞の取材に応じ,「少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は違憲だといわざるをえない」と述べた。
安倍内閣が従来の憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認した昨〔2014〕年7月の閣議決定について,「(解釈変更に)論理的整合性があるというのなら,(政府は)これまでの見解が間違いだったというべきだ」と語った(▼「3面=インタビュー一問一答」は次項※-5でとりあげる)。
補注)山口 繁のこの発言は,安保法制に関する過去から現在までをありのままに回顧していえば,まったく〈正しい指摘〉だと受けとめてよい。
次段でも早速言及がなされているが当時,自民党副総裁高村正彦が突如,『砂川判決』(最高裁,1959年12月16日)が集団的自衛権行使容認の法的根拠になるなどと,およそ弁護士資格をもつ人間がいうこととは想像すらしかねる〈突飛な解釈〉を示していた。
法律的な解釈としての理屈の展示をそのようにおこなった高村正彦の意見は,お話にならないほど程度の悪いものでしかなかった。高村は関係づけられないモノ同士を,無理やり「牽強付会」させていた。
ただしそのさい,敗戦後日本史において関連する実情の推移をじかに観察してみると,「憲法体系」における議論の次元からは,ひたすら一方的に飛躍しきった「安保法体系」(日米地位協定も併せてのこれであるが)の治外法権的な本性が,思う存分に発揮されている日米軍事同盟関係の実相(深層?)が,よく感知できるはずである。
〔記事本文に戻る→〕 「憲法の番人」である最高裁の元トップが安保法案を「違憲」とする見解を示したのは初めて。歴代の元内閣法制局長官や憲法学者の多くが「違憲」と指摘するなか,法案の正当性に改めて疑問が突きつけられた。
山口氏は,安保法案を「違憲」と考える理由について「集団的自衛権の行使は憲法9条の下では許されないとする政府見解のもとで,予算編成や立法がなされ,国民の大多数がそれを支持してきた」と指摘。
「従来の解釈が憲法9条の規範として骨肉化しており,それを変えるのなら,憲法改正し国民にアピールするのが正攻法だ」とも述べた。
安倍晋三首相らは,米軍駐留の合憲性を争った1959年の砂川事件最高裁判決が,法案の合憲性の根拠になると主張する。これに対し山口氏は「当時の最高裁が集団的自衛権を意識していたとはとうていえられないし,(憲法で)集団的自衛権や個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった」と否定的な見方を示した。
補注)このような議論が交叉する事情は,安保法体系と憲法体系のゆき違いを原因とする。なにせ,安倍晋三政権になってからは,この「ゆき違う」2つの法体系の基本矛盾を,いままでなんとかそれなりに均衡を保持してこれた関係性を,問答無用にも一挙に破壊した。
前掲の文献,金子 勝『憲法の論理と安保の論理』(勁草書房,2013年)は,米日間の「安保軍事権」と称して,こう説明している。安倍晋三のいま国会で強行している安保関連(戦争)法案の実体として中身がどこにあるかは,この文章の最後に明示されている。
「安保軍事権」とは,「1960年日米安全保障条約」と『日米安全保障共同宣言』と「1997年ガイドライン」と「周辺事態措置法」にもとづいて行使される日米両国の軍事権のことをいう。
具体的には,
① 開戦権,
② 講和権,
③ 交戦国の有する国際法上の諸権利--戦闘権(攻撃権・占領地行政権・捕虜に対する権利・船舶の臨検と拿捕権など),
④ 集団的自衛権となる。
註記)金子 勝『憲法の論理と安保の論理』211頁。
要は,ここでいわれている最後の ④ 集団的自衛権の仕上げ作業が,当時開催中の参議院において審議されていた。
〔記事本文に戻る→〕 安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は昨〔2014〕年5月,安保環境の変化などを理由に憲法解釈の変更で「限定的な集団的自衛権行使」の容認を求める報告書をまとめた。
内閣はこれを踏まえ,同7月1日に解釈変更を閣議決定。山口氏は,こうした考え方について「法治主義とはなにか,立憲主義とはなにかをわきまえていない。憲法9条の抑制機能をどう考えているのか」と批判する。
最高裁大法廷は1959年12月,
(1) 憲法9条は自衛権を否定しておらず,他国に安全保障を求めることを禁じていない,
(2) 外国の軍隊は,憲法9条2項が禁じる戦力にあたらない,
(3) 安保条約は高度の政治性をもち,「一見極めて明白に違憲無効」とはいえず,司法審査になじまないと判断して一審判決を破棄し,東京地裁に差し戻した。
補注)この最高裁での判断は,当時の最高裁長官田中耕太郎がアメリカ側の意向を汲んで,つまり,日本側の態度としては完璧ともいってよい属国精神を大いに発揮して,あちらの希望どおりにその「最高裁の判決〈砂川判決〉」を下していたわけである。
田中耕太郎はまさに,日本国最高裁長官の立場をもって「売国的な政治行為」「以外のなにものでもない」行動を,みずから意図して実行した。
敗戦後の日本政治・法制史に一大汚点として残したのである。もっとも,こうした最高裁の法律的な判断はまた,当時における「昭和天皇」の個人的な欲望(気持:期待)にもピッタリ合致していたから,敗戦後史における意味深長な出来事として歴史を画したことになる。
日本の国・民の統合のための象徴であるはずの天皇が,昭和20年代史においていかにアメリカ側にこびを売り,皇室一族の利害得失を最優先するだけの「我利私欲の欲求行為」に一貫してきたかは,最新作の豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』(岩波書店,2015年7月)が,総括的に充分に検討・吟味・解説している。
結局『砂川判決』は,国民・市民・住民とかの名称で呼ばれる日本〔国籍〕人などの「政治の存在・意識」とは,完全に別世界での出来事となって〔より正確にいえば百%無視した体裁で〕,そのような米日軍事同盟関係をなによりも最優先する「日本国最高裁の現実的な法判断」を,しかも「天皇の地位・立場」を安泰化させるためも兼ねて下されていた。
※-5「『60余年,支持された9条解釈。変更するなら改憲が筋』山口 繁・元最高裁長官」『朝日新聞』2015年9月3日朝刊3面
イ) 〈1972年の政府見解〉 田中角栄内閣が当時,国会で示した政府見解は,こうであった。
(1) 憲法は必要な自衛の措置を禁じていない,
(2) 外国の武力攻撃によって急迫,不正の事態に対処し,国民の権利を守るためのやむをえない措置は必要最小限度にとどまる。
この基本的論理を示したうえで,「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と結論づけた。
ところが,安倍内閣は,(1) と (2) の論理は維持するとしたうえで,安保環境の変化を理由に「自衛の措置としての集団的自衛権の行使は認められる」と結論を変えた。
ロ) 〈日米安保条約5条〉 米国の対日防衛義務を定めた条項。
「日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め,自国の憲法上の規定及び手続(き)に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」などと規定。武力攻撃が発生した場合に,日米両国が共同で日本の防衛にあたることを定めている。
さて,「憲法の番人」のトップを務めた山口 繁・元最高裁長官が朝日新聞のインタビューに応じ,集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案を「違憲」と指摘し,安倍政権による憲法解釈の変更や立法の正当性に疑問を投げかけた。
その主な一問(◆)一答(◇)はつぎのとおり(1面参照)。
◆ 安全保障関連法案についてどう考えますか。
◇ 少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は,違憲といわねばならない。わが国は集団的自衛権を有しているが行使はせず,専守防衛に徹する。これが憲法9条の解釈です。その解釈にもとづき,1960余年間,さまざまな立法や予算編成がなされてきたし,その解釈をとる政権与党が選挙の洗礼を受け,国民の支持をえてきた。この事実は非常に重い。
長年の慣習が人々の行動規範になり,それに反したら制裁を受けるという法的確信をもつようになると,これは慣習法になる。それと同じように,憲法9条についての従来の政府解釈は単なる解釈ではなく,規範へと昇格しているのではないか。9条の骨肉と化している解釈を変えて,集団的自衛権を行使したいのなら,9条を改正するのが筋であり,正攻法でしょう。
補注)だが安倍晋三政権は,こうした「既定の解釈」→「慣習法」的な定座→憲法的な規範化(骨肉化)を,自分が権力の座に居るうちに,全部を一挙に変えてしまおうとした。アメリカ側も自国の軍事的・国際政治的な観点から都合のよいかぎり,そうした安倍の独裁的な日本国運営であっても,これに目をつむっていく対応をしていた。
◆「法案は違憲」との指摘に対して,政府は1972年の政府見解と論理的整合性が保たれていると反論しています。
◇ なにをいっているのか理解できない。「憲法上許されない」と「許される」。こんなプラスとマイナスが両方なりたてば,憲法解釈とはいえない。論理的整合性があるというのなら,1972年の政府見解は間違いであったというべきです。
◆「限定的な集団的自衛権の行使」は容認されるという政府の主張についてはどう考えますか。
◇ 腑(ふ)に落ちないのは,肝心かなめの日米安全保障条約についての議論がこの間,ほとんどされていないことだ。条約5条では,日本の領土・領海において,攻撃があった場合には日米共同の行動をとるとうたわれている。
米国だけが集団的自衛権を行使して日本を防衛する義務を負う,実質的な片務条約です。日本が米国との関係で集団的自衛権を行使するためには,条約改定が必要で,それをしないで日本が米国を助けにいくことはできない。
しかし,条約改定というフタを開けてしまえば,さまざまな問題が噴き出して大変なことになる。政府はどう収拾を図るつもりなのでしょうか。
ハ) 砂川判決,集団的自衛権想定せず
◆ 安倍晋三首相ら政権側は砂川事件の最高裁判決を根拠に,安保法案は「合憲」と主張しています。
◇ 非常におかしな話だ。砂川判決で扱った旧日米安保条約は,武装を解除された日本は固有の自衛権を行使する有効な手段をもっていない,だから日本は米軍の駐留を希望するという屈辱的な内容です。
日本には自衛権を行使する手段がそもそもないのだから,集団的自衛権の行使なんてまったく問題になってない。〔1959年当時の〕砂川事件の判決が集団的自衛権の行使を意識して書かれたとはとうてい考えられません。
補注)ここでは2点指摘する。
第1の問題は,先述に指摘してあったが,『砂川判決』が集団的自衛権行使容認を意味するなどいった,高村正彦の倒錯した説明である。
第2の問題は,昭和天皇が昭和20年代史から強く意識しつづけてきた点である。天皇・天皇制の問題を検討することに腰が引けるようでは,敗戦後史の解明はどだい無理が生じる。
「日本国が社会主義国家(とくにソ連邦を意味)に侵略され,そのために皇室が滅亡されるのではないかという個人的な恐怖心」を駆動力にして,アメリカ側に対して昭和天皇は「日本占領(米軍基地の長期的な存続)を継続する」旨を,それもみずから必死になって,日本国憲法を蹂躙する違法行為を犯すかたちで伝達していた。
◆ 与党からは砂川事件で最高裁が示した,高度に政治的な問題に司法判断を下さないとする「統治行為論」を論拠に,ときの政権が憲法に合っているかを判断できるとの声も出ています。
◇ 砂川事件判決は,憲法9条の制定趣旨や同2項の戦力の範囲については判断を示している。「統治行為論」についても,旧日米安保条約の内容に限ったものです。それなのに9条に関してはすべて「統治行為論」で対応するとの議論に結びつけようとする,なにか意図的なものを感じます。
補注)ここで「なにか意図的なもの」とは,憲法を改定したかったが,できていなかった安倍晋三〔政権〕がこんどは,憲法解釈の手法を使ってでも,できるかぎり最大限に現行憲法の骨抜きを図っているような,その〈意図的なもの〉を指すと受けとめておけばいい。安倍は事後,この欲望を成就させた。
◆ 内閣法制局の現状をどうみていますか。
◇ 非常に遺憾な事態です。法制局はかつて「内閣の良心」といわれていた。「米国やドイツでは最高裁が違憲審査や判断を積極的にするのに,日本は全然やらない」とよく批判されるが,それは内閣法制局が事前に法案の内容を徹底的に検討し,すぐに違憲と分かるような立法はされてこなかったからです。
内閣法制局は,ときの政権の意見や目先の利害にとらわれた憲法解釈をしてはいけない。日本の将来のために,法律はいかにあるべきかを考えてもらわなければなりません。
ニ) 政府,「法案は合憲」の根拠に砂川判決-自民幹部「解釈の最高権威は最高裁-」
国会で審議中の安全保障関連法案をめぐっては,2015年6月4日,衆院憲法審査会に参考人として招かれた憲法学者3人全員が「憲法違反」と指摘。自民党推薦の長谷部恭男・早大教授は,「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で,なぜ集団的自衛権が許されるのか」と批判した。
出所)以下の画像資料は,『しんぶん赤旗』2015年6月6日の報道にまとめられた長谷部恭男たち3名の見解。
これに対し政府は同〔6月〕9日,法案は違憲ではないとする見解を野党に提示。自民党幹部は「憲法解釈の最高権威は最高裁。憲法学者でも内閣法制局でもない」(稲田朋美政調会長)などと反論を始めた。
政府や自民党は,砂川事件の最高裁判決を法案の合憲性の「根拠」に挙げている。この主張は,公明党から「集団的自衛権を視野に入れた判決ではない」などと反発を受け,一時は「封印」されていたが,「最高裁こそ権威」との訴えを支えるものとして再び使われるようになった。
安倍晋三首相は同26日の衆院特別委員会で,「平和安全法制の考え方は砂川判決の考え方に沿ったもので,判決は自衛権の限定容認が合憲である根拠たりうる」と答弁。同判決が集団的自衛権の行使を容認する根拠になると明言した。
また,砂川判決が「統治行為論」を示した点も,与党側は政権による解釈変更の正当性を主張する論拠に使っている。
--以上,安倍晋三政権が集団的自衛権行使容認のために駆り出してきたヘリクツは,最高裁判決が『砂川判決』として下した判断が,実はもともと日本国のためでは全然なく,当初よりアメリカ側の都合のために提供されたそれであった。
つまり,最高裁がどうだ・こうだといっても,法哲学的な思考に即して考えれば,もともと屁理屈の域を出るものではなかった。駐日アメリカ大使にその最高裁の判決を事前に教えていた日本側の立場は,属国精神を充満させていた司法の判断になっていた。
安倍は元来,集団的自衛権の論点に関していえば,日本国憲法などそれこそ「クソ食らえ」の基本姿勢を露骨に表面に出していた。それで,平然というか当たりまえの感覚でいられるのであった。2015年よりだいぶあとになってからだが,「嘘つきは安倍晋三の始まり」とまでいわれた。この人,当時,日本国の首相であった。
※-6 まとめ的な寸評
既述にもあったように,安保法法制が憲法体系をけちらす関係が構築されていた「米日服属の上下関係」,歴代の内閣にあってはこれまで,表面的にはひどく慎重にかつ敬遠的にも接していたがゆえ,すなわち,極力回避する姿勢で対応してきたように外見上は映っていた。
ところが,安倍晋三政権はアメリカ側に迎合する態度を極端にしつつも,憲法体系を全面的に破壊する行為に,みずから励んでいた。当然である。この憲法を本来は改定したかったのが,ほかならぬ安倍晋三であった。しかも祖父の岸 信介から口伝えで教わったつもりで,これを実行した。
しかし,その結果,日本国とアメリカ合衆国の国際政治関係は,軍事同盟関係を中心・基盤とする暴力装置:戦力面の突出ばかりが,いまでは奇妙にめだっている。これは,安倍晋三のまさに政治的に《負の属性》そのものを端的に表現し,つまり,日本国のアメリカに対する属国性をより露骨にさらけだした。
安倍晋三政権になってからは,日本国民・市民・住民・庶民の側でも,在日米軍基地の存在を介して,さらに日米安保条約体制・日米地位協定のせいで,この日本国がいかに「アメリカ合衆国の家来」の下属的な地位に追いこまれているか,いいかげん,認識させられはじめている。この点は,安倍晋三政権の「けがの功名」ともいえようか。
平成天皇明仁が2015年8月15日,この「戦後70年」目の「全国戦没者追悼式」で述べた〈お言葉〉は,昭和天皇裕仁の遺志を継いでいることを忘れてはいけない。しかし,この2人の天皇の口から出てくる〈お言葉〉の意味は,けっして帝国臣民〔国民〕の「命と財産」を第1に考慮したものではなかった点も,また否定のしようがない事実であった。
そうではなく『皇室・皇族にとって大局的に一番大事な利害』,いいかえれば,それは彼ら側における「御身大切・御家大事」なのであり,こちら:彼らの関心事においてこそ,汲みとられるべき最重要であるはずの「〈お言葉〉の基本的な含蓄」がある。
以上を受けてより簡単にいってのければ,「戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民とともに,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し」ているという段落は,日本の軍隊=自衛隊3軍にあっては「再び」「戦陣に散り」ゆくことを願わないといっているに等しい。
このことに関しては,その1線を守ろうと,間違いなく真摯に願っているのが天皇・天皇家側の意向である。安倍晋三とは真逆の明仁の発言であった。
つまり,またいえば,集団的自衛権行使容認をする日本国の自衛隊になったときには,天皇・天皇制の存立基盤である憲法第1条から第8条が崩壊させられる結果が招来させられる。
「それゆえ “私=天皇明仁の考え:立場:利害(損得計算)” で判断すれば,第9条を完全に骨抜き状態にまで貶める〈安保関連(戦争)〉には大反対です」というのが,彼の本心だと推察する。
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