従軍慰安婦問題の本質(3)
※-1 従軍慰安婦問題を論じるということ
従軍慰安婦問題に関する歴史的理解のイロハすらよくしらずに語りまくる多くの人びとがいる。従軍というコトバを取りのぞき慰安婦だけにしたところで,従軍慰安婦問題の歴史が抹消できたことには,けっしてならない。
昔,戦争の時代には従軍看護婦といった,軍隊組織のなかで看護兵に近い役目を務めるが,しかし主に,戦線の後方に設営された野戦病院でその任務・仕事を担当し,従事・遂行する女性たちがいた。
付記)冒頭の画像については,後段で文献紹介あり,から借りた。
彼女たちのなかには,戦場の場において従軍慰安婦と同じ目に遭わされる者たちがいなかったのではない事実も考慮するとき,従軍看護婦から従軍というコトバを取りのぞいたら「その意味はなくなる」。
「本稿(3)」は2015年5月13日に初出,2021年9月20日に更新し,本日に再更新した。本日の記述の要点は,つぎの3点にまとめておく。
要点・1 旧大日本帝国陸海軍における従軍慰安婦問題は,世界の軍隊のなかでも特別に,この問題に具体的にとりくんできた記録を残した
要点・2 旧日本軍兵士にとっては常識,戦時中における朝鮮人慰安婦などの存在は,兵舎や戦場においては日常的な風景の一部であった
要点・3 2015年ごろに比較してみる2023年現在の日本政治社会は,安倍晋三元政権と菅 義偉前政権,岸田文雄現政権を通してつづく,相も変わらぬ「不誠実と虚偽を常道」とした,つまり「内政の悪循環・効果」ばかりを拡大再生産するしか能のない「腐敗・堕落した為政」に終始してきた
そのように指摘できる日本の政治・経済・社会の現状は,あまつさえ,前川喜平文部科学省元次官の文句「あったことをなかったことにはできない」という事実をひたすら糊塗することだけならば熱心であった。それゆえ,その間,海外から日本に向けられてきた目線のきびしさに対して,必死にあらがう気分を表示したいいかえであった。
「従軍慰安婦問題」はなく,「慰安婦問題」ならば「実際にあった」〔らしい〕のが従軍慰安婦であるたといったふうに,それこそ「詭弁にもなりえない〈歴史認識〉」を虚構したかたちで観念的に使ってきた。
「従軍慰安婦問題の入門的基礎」として記述する「本稿・全体」の議論は,つぎのごとき意図を踏まえている。
▲-1 従軍慰安婦問題に関した「全体的な無知感」(痴的次元からする絶対的な拒絶症)は,乱雑と粗野の未熟精神に支えられているゆえ,その錯乱した「問題理解」がまず冷静に認知される必要があった。
▲-2 「従軍慰安婦問題の歴史」は,強制性の有無だけで判断できない「問題の広がり」を背景にもつゆえ,軍事史としてこの歴史問題を学ぶに当たっては,大前提となる特徴である「戦争と平和」という大きな枠組からも接近する余地があった。
▲-3 「戦争と性の問題」を,もっとまともに考察するためにその基本的な論点を掘削した「宮台真司の主張」に耳を傾けることが必須である。
※-2 カレル・ヴァン・ウォルフレンの指摘
カレル・ヴァン・ウォルフレンと白井 聰との共著になる『偽りの戦後日本』KADOKAWA,2015年4月は,第3章「右傾化する日本人」の「世界は朝日『慰安婦誤報』に無関心」のなかで,慰安婦問題の一般的な普遍性という「戦争史的な性格とその意味」について,ウォルフレンがつぎのように語っていた。
このウォルフレンの指摘は,「戦争と性」の問題における大きな論点である慰安婦問題を捕捉するための視点を,どのように構えればよいのか教えている。
そもそも,2014年の夏以降,朝日新聞「従軍慰安婦誤報」を奇貨として発生させられた「安倍晋三主導・指揮」になる大騒ぎが起こされたさい,そのより確かな震源地はどこにあって,どのような特徴であったのか?
その発生源は,旧大日本帝国軍においては,慰安婦(あるいは売春婦)の史実じたいが存在しなかった,それもとくに強制性が伴わなかったのだから,慰安所の制度がありえなかったなどと,声高に強弁していた「朝日新聞を批判する右翼・保守・国粋・反動陣営の者たち」にあった。しかも,その音頭とりには一国の首相までが控えていた。
それにくわえて,政権にべったりの読売新聞や極右系の産経新聞が,まるで火に油をそそぐような報道姿勢で,それこそ必死になって世間を煽動しまくっていた。
『ゴミ売り新聞』のほうはとくに,慰安婦問題を販売競争のための具に悪用していた。だが,それがかえって災いするかたちを招いてしまい,新聞「紙」の販売部数は,すべての新聞社に共通してすでに減少していた傾向に,さらに拍車をかける顛末を惹起させるだけとなっていた。
それにしても,当時,安倍晋三の子どもっぽい執念を基因に巻きおこされたいたその動向は,「歴史において記録されてきた事実」からは離れた場所に飛び出て跳梁してした。いいかえれば,ありもしなかった・みえもしない幻想を指さしていた,つまりは「アベ的に炎上した狂気の騒動」であった。まさしく「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」に似た状況が展開されていた。
朝日新聞による従軍慰安婦「誤報問題」を非難したのであれば,同じたぐいの〈誤報〉を実質的に垂れ流してきた事実は,『読売新聞』も『産経新聞』も,以前の報道を精査するまでもなく,同時並行的に記録してきた事実は明確に記録されている。
その点はネット記事からではなく,『読売新聞』や『産経新聞』の「毎月の縮刷版」を手にとってめくって確認したほうが,より実感度が高まって理解できるかもしれない。
ところが,なぜか,朝日新聞だけが着目され非難・攻撃された。
その点は,「歴史の事実」を誤報「した・しない」という次元・見地などよりも,朝日新聞に対してともかく「批判する側の立場」からとなれば,その「従軍慰安婦問題」を「朝日新聞社が誤報した」とみなされた「記事」のみを,攻撃の材料として利用できればそれでよかった。
彼らは,自分たちが「幻想の世界」でみいだし,そして観念的に決めつけた『朝日新聞』攻撃の根拠・理由が,ともかく「その種の独特の非難・攻撃」を正当化し,実行するためのよりどころを提供してくれたのだと,勝手に決めことができれば,これでひとまず「必要かつ十分に朝日を攻撃する理由・根拠」はととのったと得心できていた。
すなわち,朝日新聞をこきおろし,やっつけるという目的のためであればその手段はどれでもよかった。従軍慰安婦問題を誤報したこの新聞社を,ふだんから気に入らない競争相手だったからといっては,できればこのさい潰してやるぞ,といったごとき邪悪な欲望を,なかでも『ゴミ売り新聞』(読売新聞社の新聞紙)がみずからすすんで,これみよがしに披露していた。その品位・品格はとみれば,2流週刊誌(以下?)並みの「わめきたて方」にまでなっていた。
※-3 「戦争と性」の問題
そもそも従軍慰安婦の問題は,無理やりに否定しても否定できるような歴史の問題ではない。だから,旧大日本帝国の従軍慰安婦問題を否定できないとなったら,外国にもその問題はあるといってまぎらしボカす論法が,苦しまぎれにもちだされる。そこに潜む「貧困の哲学」即「哲学の貧困」的な発想の脆弱さは,覆うべくもない。
従軍慰安婦問題といった「戦争史のなかでも近代史的な背景」のなかで意識された論点については,学問研究の対象になっている。
この問題が歴史のなかで常時,厳在してきたにもかかわらず,あくまでも日本の場合はまったくなかったかのように思いこみたい「自国:自分たちに固有の事情」があったにせよ,「従軍慰安婦の歴史」がなかったとまでいいきったら,この問題に反対する者たちはその時をもって発言する立場を奪われる。
以上の断定をめぐり文献面から説明できる材料を以下にかかげながら記述してみたい。
◆-1 マグヌス・ヒルシュフェルト,高山洋吉訳『戦争と性』明月堂,2014年。
◆-2 バーン&ボニー・ブーロー,香川 檀・家本清美・岩倉桂子訳『売春の社会史-古代オリエントから現代まで-上・下』筑摩書房,1996年。
◆-3 J・G・マンシニ,寿里 茂訳『売春の社会学』白水社,1964年。
上記の3冊のうち1冊でも落ちついて読んでみればよい。朝日新聞の従軍慰安婦の誤報問題として2014年にアベが騒ぎを起こしたさい,いっしょになって付和雷同的にうるさくあれこれ発言してきた人たちは,ずいぶんいい気になって非難・攻撃していた「自分たちの無知さかげん」に,わずかでも気づいて反省する余地が生まれるはずである。
この「本稿(3)」の記述を改訂して再述するころまでには,つぎのごとき非常に丹念に「戦争史として従軍慰安婦史問題」を解明した文献も公刊されていた。
◆-4 吉見義明『買春する帝国-日本軍「慰安婦」問題の基底』岩波書店,2019年。
◆-5 林 博史『帝国主義の軍隊と性-売春と軍用性的施設-』吉川弘文館,2021年。
◆-6 C・サラ・ソー,和田美樹解説・山岡由美訳『慰安婦問題論』みすず書房,2022年。
これらの文献は,「平時の売春婦問題」から「戦時の慰安婦(売春婦)問題」へと連続し,開けている視野を踏まえてこそ,この問題の対象:「戦争と性」をまっとうに観察し,解明するための姿勢が構築されうる点を明示している。
さらに,つぎの日本人慰安婦じたいを究明した著作は,「見過ごされてきた日本人『慰安婦』の被害を問う」と謳っていた。
◆-7「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター編,西野瑠美子・小野沢あかね責任編集『日本人「慰安婦」-愛国心と人身売買-』現代書館,2015年。
以上の7著を紹介したるだけでも,従軍慰安婦問題については,単純に安倍晋三君のように朝日新聞社を叩いて粉砕したつもりになれれば,それでこの問題が日本とは関係がなくなるかのように想像することが,いかにバカげた,それこそほ本当に無知・愚昧な人間にしかできない特別なわざであるかが理解できるはずである。
問題は「日本人慰安婦」の問題にもつながっていた事実をテコに,つぎのように説明できる。文献史的に語っておく。
◆-8 藤目ゆき『「慰安婦」問題の本質』白澤社,2015年。
この本は「公娼制度と日本人『慰安婦』の不可視化」という副題をつけていた書物であるが,従軍慰安婦問題のアベ的な否定の「顛末」は,自国内の公娼制度のみならず「日本人慰安婦」の実在そのものまで不可視にする必然を示唆していた。
◆-9 久保井規夫『教科書から消せない歴史-「慰安婦」削除は真実の隠蔽-」明石書店,1997年。
この本はアベが従軍慰安婦問題を否定するために朝日新聞社:『朝日新聞』叩きに執心・熱中するよりもだいぶ以前に公刊されていた。だいたいにおいてアベの為政そのものが「森羅万象」にわたって事実・真実を隠蔽するための努力ばかりであった点は,いまとなっては衆目の一致することがらになった。
もっとも,こちらの手合い(従軍慰安婦問題「完全否定派」)には,少しは落ちついて本を読めばすぐに理解できる「歴史のなかの,実は,単純に理解できる事実」であっても,いっさいしりたくもないのが,ともかくホンネであるから,なにをいっても無意味ではあるが……。
なんというか,バカは死ななきゃなおらないというけれども,本当のばか者に対してはこの種のセリフはもちだす余地すらなさそうである。
※-4 石田 雄『ふたたび〈戦前〉-軍隊体験者の反省とこれから-』青灯社,2015年3月
石田 雄(いしだ・たけし,1923年-2021年)は,その1923:大正12年生まれた社会科学者(専攻は政治学:政治思想史)である。旧大日本帝国陸軍での軍隊生活を体験した立場から,安倍晋三前政権の体たらくぶりを危惧するがために,2015年,当時92歳の老学者がこの本『ふたたび〈戦前〉-軍隊体験者の反省とこれから-』を執筆,公表していた。
本ブログの筆者がこの本に関して参照するのは,日本軍のなかの慰安婦問題に言及する箇所である。こう書いていた。
石田 雄自身は,慰安所の問題が当然のこととして,旧日本軍では受けいれられていたことをしっていた。それだけに,これまでなぜ,とりあげることを怠ってきたのかといいい,自身もとりわけ強い責任感をもって考えるようになった。
補注)本ブログ筆者は,大日本帝国陸海軍の兵士たちで慰安所の女性たちから性的な労働奉仕(軍票などでも対価ありだったが)を受けていない人は少数派であると記述したことがある。
石田 雄は,旧日本軍では慰安婦(慰安所)が制度的に存在していた事実に関して,それが〈当然の空気〉を形成していた点も語っていた。つぎは,石田 雄の体験談にもどづく記述である。
初年兵教育を終わって,重砲兵学校で将校教育を受け,元の隊に小隊長として戻ったあとのことである。かなり年配と思われる下士官が,ある日私に「隊長殿,わが隊も慰安所を作ろうではありませんか。
自分が慰安所係下士官をやります」という話をもちかけてきた。要塞というふつうの人が入れない鉄条網に囲われた場所であったので,そのようなところに慰安所ができるわけがないことは,彼もしっていたはずである。
だから彼は,若造で女性もしらない小隊長をからかうために,そんなことをいったのだと思った。そこで私は,彼に向かって「そのかわり,もう休暇は要らんな」と返した。すると相手は「いや,かあちゃんは別です」といって,その会話は終わりになった。
このとき私は,なんとかこの下士官のからかいをかわすことができたと安心しただけで,慰安所なるものの問題を考えることはしなかった。
当時は,植民地から女性を集めても,人の移動がきびしく制限されているなかで,軍の関与がなければ戦場まで連れていくことはできなかったと思うが,そうした事情は当時まったくしりえなかった。
それで,「軍隊に慰安所があるのは当然だ」という考えを疑おうとはしなかった。まして,あのきびしい戦争のなかで性を満足させるため,そのような生活を強いられたかは,軍隊生活をした者として当然理解できたはずである。
もし,敗戦当時にこの問題に気づいていたら,今日のように資料の発見に苦労することもなかった。こういう反省を契機に,私は『日本の社会科学』(東京大学出版会,1984年)という古い本で宿題として残されていた,戦後の社会科学の反省をすることにした。
そして,1995年に『社会科学再考-敗戦から半世紀の同時代史-』(東京大学出版会)という本を公刊した。
註記)石田 雄『ふたたび〈戦前〉-軍隊体験者の反省とこれから-』150-152頁。
石田 雄は21世紀に入っても何冊も自著を制作・刊行してきたが,石田 雄『一身にして二生,一人にして両身』岩波書店,2006年は,こういう事実に言及していた。
補注)ここでは,こういう事実も付言しておく。2020年3月末時点で女性自衛官に比率は,約1.7万人(全自衛官の約7.4%),10年前の2010年3月末時点では全自衛官の約5.2%であった比率に比較すると,2.2ポイント増である。
その比率は近年増加傾向にある。米軍あたりでは,筆者が聞けた範囲内の話題であるが,軍隊内でそのへんはよろしく〈処理される性問題〉であることを,沈黙裡に期待する向きがないわけではない。
【参考記事】 こうした記事に表現されている軍隊内の性問題が,日本の自衛隊3軍において無縁であるはずがない。つぎの新聞記事を挿入しておく。
以上のごとき石田 雄の指摘=感想は,軍隊関連の慰安婦・売春婦にかかわる「問題の全域」にまで,必らずしも目のゆきとどいたものではない。たしかに「重ね重ね,その驚くべき事態」が語られていた。実は,前段の話題は,歴史に普遍的に存在してきた「戦争と性」の問題全体に通じる入口を明快に提示していた。
前述には,本ブログ内で「戦争と性」に関する論及をした記述をとりあげていたが,つぎの※-5では,そのうちの宮台真司による議論:主張を聞いておきたい。
※-5 宮台真司「朝日慰安婦報道の検証にかかわるスピーチ」2014年10月23日 “マスコミ倫理懇” にて,『BLOGOS』2015年01月12日 21:27
☆ 題目『マスコミの劣化と,ヘイトスピーチ現象にみる
〈感情の劣化〉は,完全に連動する』☆
マスコミの劣化と〈感情の劣化〉は連動する。宮台真司がそう述べたのは,2014年10月23日本プレスセンタービル8Fで開催のマスコミ倫理懇談会で「朝日新聞慰安婦報道問題をどう検証すべきか」と題した講演でのことであった。
以下にそこで話した内容を紹介する。かなり長文である。なお内容の概略は,それに2週間ほど先立ってTBSラジオ&コミュケーションの番組で話したものだと,宮台は断わってもいる。
補注1)ちなみに〈感情の劣化〉とは,真理への到達よりも感情の発露が優先される態勢のことであり,最終目的が埒外になり,過程における感情浄化をえたがる傾向を意味する。
感情を制御できず,〈表現〉よりも〈表出〉に固着する。ちなみに〈表現〉の成否は相手を意図どおりに動かせたか否かで,〈表出〉の成否は気分がすっきりしたか否かで決まる。
補注2)どのブログへのコメントでも,同じ現象が頻繁に投じられているが,ここに宮台が定義する〈感情の劣化〉の流通が,いわば通り相場になっている。基本姿勢でいうに,とくに必要がなければ,それらは無視しておけばよい。いずれにせよ,失礼・欠礼・無礼の3拍子そろった「ネット上でのコメントの交流場」は,まさしく「おばか連の見本市」のための材料で溢れている。
1) 朝日新聞慰安婦報道を検証する第三者委員会が抱える問題
宮台真司は2014年10月10日金曜日,TBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」で「朝日新聞慰安婦報道を検証する第三者委員会はデタラメ」と題して話をしていた。
出所)http://rib-arch.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/40-204d.html この頁は現在・削除。
その前日の9日,第三者委員会が開催され,それに合わせて研究者や弁護士のグループが,その人選の見直しを求める要望書を朝日新聞に提出したことに触れた。要望書の提出メンバーには私(宮台)も含まれている。
人選は以下のとおり(敬称略,年齢は9年前の当時)であるが,この人選のどこが問題か指摘する。
中込 秀樹(73歳) 元名古屋高裁長官
岡本 行夫(68歳) 元外務省総理大臣補佐官
北岡 伸一(66歳) 国際大学学長
田原総一朗(80歳) ジャーナリスト
波多野澄雄(67歳) 内閣府アジア歴史資料センター長
林 香里(51歳) 東大大学院情報学環教授
保阪 正康(74歳) 作 家
宮台真司はまず「密約問題有識者委員会で悪名高い政府御用学者・北岡紳一氏が含まれる」との批判,つぎに「軍の強制を認めたアジア女性基金の呼掛人・岡本行夫が含まれる」との批判があると指摘しながら,だが,「これらはどうでもいいことである」と話はじめていた。
まず委員会のタスクは,
a) 朝日新聞誤報が果たした国内外への機能の測定,
b) その誤報を除去しての慰安婦の実態探索,
c) さらには,そのための妥当な評価軸の設定であるべきである。
となれば,批判のポイントは要望書が指摘するとおり,以下の3点となる。
a) 慰安婦問題に専門能力がある研究者が含まれない。
b) 国際人権機関に関係する法律家や人権NGOメンバーが含まれない。
c) 女性人権侵害問題を扱うのに7名中1人のみ女性。
なお,a) の専門能力とは,1993年談話(河野談話)以降に発見された〔従軍慰安婦問題に関する〕529点の関連公文書を分析する能力のことである。
こうした要件が満たされない現状で危惧されるのは,朝日新聞経営幹部の過剰反応への同調や,それを背景にした官邸との手打ちである。危惧には2014年9月26日に弁護士200名が報道取消しに関する申入れをした。要は,朝日側の過剰反応を危惧していたのである。
〔ここで,つぎの記述は〕東電福島第1原発事故の事故調査委員会に,突如飛んでいるが,やはり『朝日新聞』の報道に関して批判が生じ,問題となっていた論点に関する記述となる。
こちらは,同原発の「3・11事故」時における吉田昌郎所長の対応に関して取り沙汰されることになった,『朝日新聞』が報道した記事をめぐる問題の発生に関連する記述である。だいぶこみいった事情もあるので途中につぎの朝日新聞社が2014年9月12日,公告した文書を挿入しておく。
いわく,報道は「待機命令違反で撤退」で,その後明らかになった事実は「待機命令を聞き間違え撤退」だが,「待機命令が存在したこと」と「命令が結果として従われなかったこと」とは事実であり,報道取消しでこれら事実を否定する印象が拡がることに配慮すれば,報道訂正で充分で,報道取消しは過剰反応である。
私〔宮台〕もそう思う。
2) 朝日新聞慰安婦報道問題への頓珍漢な反応
朝日新聞慰安婦報道問題に関する典型的な勘違いは,自民党国際情報検討委員会の2014年9月19日決議にみいだされる。いわく,
a) 虚偽記事により,国際社会が日本の歴史を歪曲して認識したために日本の国益が損壊された。
b) 朝日の謝罪で強制連行も性的虐待も否定され,日本批判の論拠は崩壊した。
c) 名誉回復のため国連など外交の場で,国として主張を発信せねばならない。
こうした勘違いをさらに説明しておきたい。そもそも従軍慰安婦が問題化した経緯をみよう。
イ) 1983年に吉田清治『私の戦争犯罪』が上梓されたが話題にならなかった。
ロ) 1991年8月に韓国で元慰安婦を名乗る女性らが現われ,日韓で問題化し,12月に彼女たちが東京地裁に提訴した。
ハ) 1992年にこれに応答して,吉見義明氏が一連の軍公文書群を発表し,以降,慰安婦研究が本格化した。
吉見〔義明〕氏も後続する研究も〔以上のように〕,吉田清治証言をいっさい資料としていない。なぜか。
提訴に対応するかたちで朝日〔新聞社〕は,提訴の翌月(1992年1月)に吉田清治証言記事を掲載したものの,秦 郁彦氏による綿密な現地取材を経た反証の文章が『正論』1992年6月号,『諸君!』1992年9月号に掲載されたことで,すでに勝負がついていた。
だから,1993年8月の河野談話も吉田証言(軍の強制連行)には触れていない。
この河野談話では2点,「慰安婦が軍の要請で慰安所が設置されたこと」,「軍の直接・間接の関与で慰安婦の管理と移送がおこなわれたこと」が語られている。これらは,公文書を通じて確認できるから(後述),妥当である。
つまり,この1993年談話は,吉田証言記事を引き金にしたものでもなければ,吉田証言記事の内容的影響を受けてもいない。他方,国際問題化の契機は,1996年の国連人権委・女性への暴力に関する特別報告最終報告書「クマラスワミ報告」である。
その報告書は,G・ヒックス『慰安婦』を介して吉田証言を引用するが,構成は吉田証言と無関係で,元慰安婦16人の聴取に依拠する。吉田証言への言及が2箇所あるが,一箇所は吉田証言を反証した秦 郁彦氏の発言を紹介したものである。
その1箇所目には,《吉田清治は……国民勤労報国会のもとで他の朝鮮人とともに千人の女を慰安婦として連行した奴隷狩りにくわわったと告白》とあるが,これとバランスをとるかたちで,その2箇所目には《秦 郁彦博士は,慰安婦に関する歴史研究とりわけ吉田清治の著書に異議を唱える》とある。
意外にもクマラスワミ報告書は,吉田証言に関しては中立的なのである。
クマラスワミ女史は,日本をメンバーに含む人権委決議で任命された特別報告者であった。政府の招待で来日,政府情報の提供を受けて報告書を作成したので,ミクロネシア虐殺事件の記述など間違いも多いが,政府情報と矛盾する記述はない。そして,1996年の第53回人権委ではクマラスワミを盛大な拍手で迎え,日本を含めた全会一致で報告書を採択した。
報告書は,政府の法的責任回避をハーグ陸戦条約やジュネーブ条約などにもとづき批判する。オーソドクスな手法といえる。政府は,採択妨害すべくクマラスワミを中傷する文書を配布したが,各国から激しい批判を受け撤回・回収した。政府は説明資料だと弁解したが,訂正でなく回収した理由が説明できないうえ,文書バラ撒きのすえに全会一致に賛同するという恥を晒した。
一連の経緯に吉田証言は影響していない。それより大事なのは「名誉回復のため政府としていうべきことをいった」結果の恥晒しだった事実である。一般には,なにを批判されているのか分からない鈍感な者には〈表出〉はできても〈表現〉ができない。自分の気分をすっきりさせる営みが〈表出〉で,相手が受けとる印象を操縦する営みが〈表現〉だった。
補注)つまり,安倍晋三を首相としていただく日本国の基本的な感性がその程度に稚拙・未熟・不勉強であったと指摘されている。安倍の国会内におけるヤジ飛ばしの言動を観察していれば,この指摘が的を射ていることは,よりたやすく諒解できるはずである。要は彼も〈表出〉はできても〈表現〉ができない人間の1人。
〔宮台真司に戻る→〕 さて,前述どおり1993年から本格化した研究を主導したのが,研究者と市民のネットワーク,戦争責任資料センターである。1993年4月に発足,同年11月発刊の『季刊戦争責任研究』に資料や論文が続々と掲載された。吉田証言を資料とした論文はない。1993年談話から2014年6月までに,新発見の公文書は529点に及び,戦争責任資料センターが政府に提出した。
公文書529点のリストは「衆議院ホームページ」( http://goo.gl/ch1l0C ) で,また一部公文書については内容を「Fight for Justiceホームページ」( http://goo.gl/DZsEoF ) で閲覧できる。これらを読めば,1993年談話のいう「軍の要請で慰安所が設置されたこと」,「軍の直接・間接の関与で慰安婦の管理と移送がおこなわれたこと」は確認できる。
公文書と符合する証言も複数ある。松浦敬紀編『終りなき海軍』(文化放送,1978年。→ http://goo.gl/AXk44g )では,海軍設営班矢部班主計長だった中曽根康弘氏が,《原住民を襲う》部下のために《苦心して,慰安所を作ってやった》と発言している。これは,資料リストの海軍航空基地第二設営班資料の《主計長の取計で土人女を集め慰安所開設》という記述と合う。
補注1)第2次大戦でヨーロッパ戦線,ノルマンディー作戦が実行された直後,フランスに上陸したアメリ軍兵士たちが現地のフランス人女性を襲い強姦する事件が多発したのに苦慮した地元の市長が,アメリカ軍司令官になんとかしてくれと泣きこんだという話もある。
第2次世界大戦(World War II)中の仏ノルマンディー(Normandy)上陸作戦に参加した米軍兵士たちは,フランスをナチスドイツ(Nazi)から解放した勇敢な英雄として描かれてきた。そうした「若いハンサムな米兵さん」のイメージに隠された負の側面を明らかにした研究書が来月〔2013年6月〕,米国で出版されている。
刊行予定の「What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France(兵士らは何をしたのか:第2次世界大戦中のフランスにおける性と米兵)」は,米ウィスコンシン大学(University of Wisconsin)のメアリー・ルイーズ・ロバーツ(Mary Louise Roberts)教授(歴史学)が,米仏で膨大な量の第2次大戦中の資料を研究してまとめた著作だ。
補注2)前掲書の日本語訳は,ロバーツ,メアリー・ルイーズ,佐藤文香 監訳・西川美樹訳『兵士とセックス-第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか?』明石書店,2015年。
同書の研究の趣旨についてロバーツ教授は,「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で,つねに正義にもとづいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴きだすことだった」と,AFPに語った。教授によると,米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲,買春,レイプがとり入れられていたという。
米兵たちは,ノルマンディーの人びとから「性のアバンチュール」を求めてやってきた,セックスに飢えた荒くれ者とみられていた。これは地元ノルマンディーではよくしられていることだが,一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
★「女性を隠せ」,街中いたるところで性行為 ★
米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について,キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていたあいだ,地元の人びとは「問題」に直面していた。地元には,「ドイツ人をみて隠れるのは男たちだったが,米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。
米兵たちの放蕩ぶり,不法行為,さらには組織的な人種差別などもあった。「GIはどこでもところかまわずセックスしていた」とロバーツ教授。 とくに,ルアーブル(Le Havre)やシェルブール(Cherbourg)では米兵たちのマナーの悪さが目立ったという。
米兵たちは,女性をみれば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い,公園,爆撃を受けて廃墟と化した建物,墓地,線路の上など,街中いたるところが性行為の場となった。しかし,すべてが両者の合意のもとでおこなわれたわけではなく,米兵によるレイプの報告も数百件残されている。
ロバーツ教授が調べた資料によれば「セックスをしている男女をみかけずに街を歩くことは不可能」なほどで,当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めたと記されていた。米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが,改善の努力はしなかったという。
註記)「『解放者』米兵,ノルマンディー住民にとっては『女性に飢えた荒くれ者』」 『AFP BB NEWS』2013年05月27日 14:38(発信地:ワシントン D.C. / 米国),http://www.afpbb.com/articles/-/2946474
大戦末期,ソ連軍は東ドイツ地域に侵攻しながらドイツ人女性を100万人規模でレイプしていた。いまだにドイツはこの歴史の事実について,ソ連に抗議したことがない。ナチス・ドイツが第2次大戦を開始させてソ連方面に進軍するさい,スラブ民族系の人びとを平然と大量虐殺していた。女性に乱暴するなどその前座でしかない位置づけにならざるをえない。
日本の場合もあらためて説明しておく。産経新聞社の社長・会長を歴任した鹿内信隆氏は,桜田 武氏との共著『いま明かす戦後秘史 上 巻』サンケイ出版,1983年 → http://goo.gl/KftsSL )で
《調弁する女の耐久度とか消耗度……どこの女がいいとか⋯将校は何分⋯といったことまで決め⋯料金も等級をつける。それを規定するのがP屋設置要綱で……》
と発言していた。P屋とは慰安所業者の隠語だ。
ことほどさように,朝日の誤報や誤報訂正は海外の政府やメディアにとって重要性をもたない。朝日の誤報(ないし捏造)が国際社会で日本の名誉が傷つく原因になったという説も勘違いである。だが,私〔宮台真司〕にとってその勘違いは,比較的,どうでもいい。それより日本政府を批判する側も弁護する側も陥っている巨大な勘違いの方が問題である。
あえて付けくわえれば,経緯も調べず報告書も読まずに〈朝日の記事が諸悪の根源だ〉とする語りが絶えないのは,社会心理学でいう「帰属処理」現象だとみられる。ヘイトスピーチと同じで「諸悪の根源」を皆で名指してカタルシスをえているだけなのである。「だけ」と記したが,デマによる虐殺の背景にも同じ機制が働くから,軽視するべきではない。
補注)ここで宮台真司がいう〈虐殺〉とは日本国内の事件のことだから,間違いなく関東大震災時の朝鮮人殺しを意味する。日本政府側はその人数を極力少なめにしか認めないが,当時,朝鮮人自身が消息訊ねて調査した結果は6661人であった 註記)。こちらの数値を捏造だといいきるのは,速断が過ぎた偏見的な拒絶反応である。
註記)姜 徳相『新版 関東大震災・虐殺の記憶』青丘文化社,2003年,288頁。
もうひとつくわえれば,吉田〔清治〕証言記事で,国内の議論が「軍の強制があったか否か」に縮小したことで利益をえたのは,むしろ,問題を縮小するチャンスをえたリビジョニスト(歴史修正主義者)である。
以下に述べるが,国際社会ではというより理論的には,従軍慰安婦問題を「軍の強制かあったか否か」に縮小することは不可能である。
註記)以上,宮台は,http://blogos.com/article/103338/?p=1
3) 軍の関与でなく軍の関与不十分こそが問題
1993年以降,今日までに発見された一連の公文書に照らせば,1993年談話のいう「軍の要請で慰安所が設置されたこと」,「軍の直接・間接の関与で慰安婦の管理と移送がおこなわれたこと」は動かない。クマラスマミ報告後の国際世論も,おおむね談話どおりの事実を踏まえて日本政府を批判する。それらは3つの焦点をもつ。
a) 業者による騙しや強制連行を放置する不作為, しろうとしない不作為。
b) 親による売り飛ばしなどを含めて, 本人自由意志の確認を怠る不作為。
c) 慰安婦労働からの離脱を認めない自由意志侵害ケースの存在。
政府は従来,「政府はやってない,業者がやった」と責任逃れをするが,問題は,業者の不埒をしって放置した不作為,しろうとしない不作為である。
吉田清治証言(軍の強制連行)を前提にしないこれらの批判に対し,軍の強制連行はなかった,軍はしらなかったといいわけすることは,「それがたとえ真実であっても」救いようのない頓珍漢である。結論からいえば妥当な扱いは,軍の関与を問題にするのでなく,軍の関与不十分を問題にすることである。これを説明したい。
まず,従軍慰安婦や慰安所設置に関する国際的批判の一部は,強制の有無ではなく,慰安所の存在じたいに向けられる。これは歴史を踏まえない暴論である。
19世紀初頭のナポレオン戦争に対する反省から,公設慰安所(米国では私設慰安所への公的介入)が第1次大戦まで一般的であった。第2次大戦でも独仏は公設をし,英国は植民地でのみ公設をした。
英国の施策は,売春禁止条約を1921年に批准したというアングロサクソン的文脈--19世紀であればビクトリア朝的という--に関連する。同じく,ピューリタンの宗教的新天地に発する米国でも,それゆえに,19世紀末のフィリピン占領以降,国際標準だった公設慰安所図式ではなく,私設慰安所公的介入図式を採用してきた。
要は,軍による公設慰安所の設置や,私設慰安所の利用奨励(公認慰安所)は,20世紀の半ばまで全列強が採用してきた基本方針なのである。なお,軍による慰安所設置や利用が公的に不可欠だと論証したのが,前掲にあったM・ヒルシュフェルト『戦争と性』(原著1930年,訳書1956年)である。私の働きかけで,本〔2014〕年5月に訳書が明月堂書店から復刻されている。
本の冒頭に私が長大な解説を載せた( http://goo.gl/yVR5XW で読める)。本書の内容は一言でいえば,こうである。
ナポレオン戦争では性の現地調達(強姦)で,性病を軍内外に蔓延させ,かつ戦後処理が困難となった。くわえて,第1次大戦の長期塹壕戦では,性病にくわえ,深刻な暴力が蔓延した。だから,性を兵站として提供する必要がある。
武器弾薬や水食料と同じく性も兵站でもって提供せよ。公設慰安所や公認慰安所(私設慰安所公的介入)を作れということ,である。ヒルシュフェルト『戦争と性』に従えば,女性の自由意志を担保するには公設が一番である。
さもないと業者に責任をなすりつける怠慢が生じる。むろん,この本は,提案の道徳的抵抗感を弁えたうえで,《文句をいうなら戦争するな! 戦争するなら文句をいうな!》と有名な言葉を残す。
売春が合法な国は,現在66(国連加盟国19)。リストは以下に一覧してある。
米国を除く主要先進国が合法化し,「斡旋合法化」というかたちで多くが管理売春を合法化する(2000年以降もオランダ・デンマーク・フランス・スイス・ドイツ・オーストリー・ニュージーランドが斡旋合法化)。
こうした平時の売買春行政の法理も,ヒルシュフェルトの理念にもとづいている。
そこで,ヒルシュフェルトを踏まえてまとめると,売買春行政は3つの方法しかない。
a) 管理売春合法化(公設ないし私設公的介入)。
b) 管理売春非合法化と同時併行する業者の目こぼし。
c) 管理売春ガチ禁止。
非管理売春は御手当付愛人(妾)を含め,どのみち取締まれない。『管理売春と自由意志の組みあわせ』だけが女性を暴力&性病から有効に守る。世論に感情的成熟がある場合は a) となり,未成熟なら b) となる。
以上〔の議論〕を前提として結論を提示する。1993年談話以降に発見された公文書529点が示す事実は以下4点である。
a) 慰安所は軍の要請で設置。
b) 軍の直接・間接の関与で管理・移送。
c) 軍の強制連行は例外(後で補足)。
d) 業者が騙し・拉致・人身売買(親による売り飛ばし)に関与。
ヒルシュフェルトに従えば,c) および d) は,日本政府を免罪しない。むしろ,軍の関与不十分が問題になる。
ちなみに,軍人が女性を暴力的に慰安所に強制連行した事案にかかわるオランダ政府公文書が複数ある。(→ その内容の紹介は,山本まゆみ&W・B・ホートン「日本占領下インドネシアにおける慰安婦-オランダ公文書館調査報告-」『慰安婦問題調査報告・1999』女性のためのアジア平和国民基金( http://www.awf.or.jp/ ) が日本語ではもっとも詳しい)。
とくに重要なのは,国際的に広くしられたスマラン慰安所事件死刑判決にかかわる公文書である。日本政府の見解がどうあれ(衆議院ホームページ,http://goo.gl/P3ft1m ),国際世論はこれらの公文書を前提としており,そのことを踏まえない「国連での見解表明」は,クマラスワミ報告書のさいと類似の国際的な恥晒しを招く。
4) 問題の構図を理解するための素材-「男女混成軍化」-
ヒルシュフェルト『戦争と性』のいうとおり,かつて戦争における性の兵站提供(公設慰安所ないし私設慰安所公的介入)が不可欠とされた。だが,ベトナム戦争のあとになると,社会的に許容されなくなった。そこで慰安所の機能的代替物になったのが男女混成軍化である。表向きの目的は「男女平等」であるが,裏は「公認慰安所にかわる代替選択肢の提供」である。
米国大統領諮問機関「女性の軍務委員会」による,湾岸戦争に参戦した男女混成部隊4442人を対象とした調査では,64%が前線で異性兵士と性関係があったと答えた。ある駆逐艦では女性兵士の5%が妊娠した。同時期に米軍関係の病院で中絶が事実上解禁された。この間の事情については,秦 郁彦氏『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年が詳しい。
2015年5月,橋下 徹大阪市長が《当時従軍慰安婦は必要だった》と発言,米軍将校に《米軍に風俗の活用を勧めた》ことを紹介し,世論が沸騰した。当時において必要うんぬんは間違いでないが,米軍将校に語るにしては,米国の慰安所行政の歴史に無知すぎる。一般には許容可能な無知だが,沖縄米軍将校を相手にする政治家なら,沖縄米軍の戦後史を踏まえる責務がある。
2000年6月1日付『ニューヨークタイムス』の記事によれば,米軍の沖縄駐留後に米兵が強姦した女性の数は1万人。1945年の駐留当初から沖縄女性が強姦されて死者が出る事態に,沖縄民政府(1952年から琉球政府)が米軍に慰安所開設を要求したが,拒絶された。米国のピューリタン的伝統ゆえに,慰安所の公設と管理に税金を使えないからであった。
米国は,19世末のフィリピン植民地化以降,沖縄駐留を経てベトナム戦争に至るまで,同じやり方を続けてきた。基地周辺に現地民間業者の売春宿を終結させ,将校が現地行政や宿経営者と内通し,非公式に条件や要求を伝達する。だが,性病管理は予算と手間がかかるので,民間業者はスルーしがちで,性病が蔓延する。
沖縄米軍も同じ図式を採用した。将校が行政や経営者と内通し,女性サービス付の特殊飲食店(特飲店),通称「Aサインバー」を設置させた。かかる店が集結したのが特飲街であった。
まず,古座の八重島にできたのち,やがてBCストリート(現パークアベニュー)に移り,那覇市内の各所にも特飲街ができた。だが米軍は,行政コストを負担しない。
a) 米軍は,特飲店での性交は自由恋愛だとの建前で,
公認売春批判を回避する。
b) 一方,民政府(琉球政府)が保健婦に特飲街を回らせ,業者や女性を相手に性病対策を啓蒙,スキン配布もした。ベトナムでも同じだったが,事実上の公認慰安所にかかわる道徳的・行政的な責任と経費は沖縄が担った。「だから」米軍将校にいってもダメである。
だが,問題は橋下市長の瑕疵より,米軍によるフリーライディングの反倫理性だ。「慰安所を公設していないから性奴隷化に加担していない」は詭弁というほかない。
抑鬱状態に置かれて性的に暴走する兵士への道徳的説教が無効な以上,公設慰安所か公認慰安所(私設慰安所公的介入)の設置が,むしろ倫理的である(ヒルシュフェルト『戦争と性』)。それが通らなくなったから混成軍化した。
時代が変われば規準も変わる。問題は当時の規準に照らして妥当だったか。その点,繰りかえすと,軍の関与不徹底こそが問題になる。
右からの「軍は手を下していないから悪くない」との擁護と同様,左からの「慰安所設置じたいが奴隷化だ」という批判も愚劣である。沖縄米軍の「慰安所を公設していないから性奴隷化は存在しない」のいいぐさの愚劣さと同列である。
最後に1993年談話〔日本政府〕の評価を確認する。前段の「軍の要請で慰安所設置」および「軍の直接・間接の関与による慰安婦の管理・移送」との事実認識は,公文書で裏づけられており,妥当である。
だが,後段の《甘言・強圧》がなぜ生じたのか説明がなく,なにを謝っているのか不明である。軍関与の謝罪か,軍関与不徹底の謝罪か。なんとなく謝るのでは,「やっぱ謝らない!」のなかに病に道を開く。
5) みたいものしかみえない〈感情の劣化〉がマスコミを覆う
冒頭で,メディアの劣化と〈感情の劣化〉が連動していると述べた。私はしりあいの新聞記者を何人かつかまえ,ここに述べた認識を語り,右からの政府擁護も,左からの政府批判も,愚劣きわまりないことを述べたうえで,なぜ「軍の関与不徹底こそが問題」という国際標準の枠組(米国は特殊!)に乗れないのか質した。社を問わず答えは同じだった。
いわく,インターネットを調べれば,国際標準の枠組に関わる記述が多数みつかる。しかし,認知的整合性理論が説明するとおり,社論が与える予断に事実的・価値的に整合しないものは,頭に入っていかない,と。つまり「みたいものしかみえず,みたくないものがみえないのだ」と。
そう,これは,ヘイトスピーチの周辺にみられる〈感情の劣化〉と同じである。
マスコミ各社がヘイトスピーチを,上から目線で批判する資格はない。右も左も,上も下も「みたいものしかみえず,みたくないものがみえない」のは,同じだからである。その結果,社会に一定の帰結を呼びこむことより,実存上の感情浄化を達成することが優先される。従軍慰安婦問題はその事実に中二病を突きつける。それでよいのか。
註記)以上,本文は,http://blogos.com/article/103338/?p=2 参照。ネット記事の『BLOGOS』は現在,廃刊。
補注)「中二病」とは,思春期の格好つけたい年ごろの少年少女にありがちな,「空想や自己愛や全能感」が生み出す奇矯で珍妙な言動や嗜好のこと。 揶揄したりまたは自虐の意味をこめて用いられるスラング:俗語である。
※-6 まとめ的の議論
以上,宮台真司の文章は,語り口が口語的である調子が強く感じられたので,なるべく読みやすくしようと,多少手を入れてある。文意に変わりはない。引用としての文責は本ブログ筆者である。
要は,昨〔2014〕年〔とくに夏以降〕後半における『朝日新聞』の従軍慰安婦誤報問題をめぐる大騒ぎは,「軍隊の本性というもの」と「慰安婦の存在というもの」とを有機的に関連させて論じなければならなかった。
にもかかわらず,それらを歴史の展開における具体的な論点に整理したうえで理解しようとする努力が皆無のまま,ただ『朝日新聞』の誤報問題にのみ矮小されていた。当然のこと,それらをまた慎重に回顧し,評価づける立場とも無縁であった。
それどころではなく逆に,自分の目の前の視野に入るかぎりで,それも自身の抱く独断と偏見に合って都合のよい要素・側面のみを必死になってとりあげていた。さらには,この断片的な諸現象を,しかも針小棒大的に振りまわしたあげく,ひたすらタメにする非難・攻撃用に利用するだけであった。これでは,子供のケンカに似た《朝日新聞社・叩き》にしかなっていなかった。
安倍晋三は日本の首相の立場にあった時,その《朝日新聞社・叩き》にみずから精励するだけでなく,まわりに対しても督励した人物である。その「初老の小学生・ペテン総理」の立場から誇示できていた「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」さに関した「卓抜に高い水準」については,感嘆するほかなかった。
それにしても,あまりにも情けなかったのが,まさしくこの前首相が満身からみなぎらせていたその《子供っぽさ》であった。今〔2015〕年の5月になっても,その症状はいっそう進行・悪化しつつあったが,その後,2022年7月8日,「統一教会・2世」山上徹也の銃弾を受けて死んだ。
補注)この安倍晋三の世襲3代目政治屋としての資性が,日本の政治・経済・社会全体に与えた悪影響は,これ以上ないと表現しても大げさではないくらい甚大であった。
その後,2020年9月16日まで7年と9カ月ほど日本国の最高指揮官を務めてきたが,その間にこの国は凋落一路を確実に突き進んできた。いま〔2023年の8月段階〕となってみれば,自国のことを「後進国になった」と語った指摘・意見が,なんら違和感なく耳に入る。
あまつさえ安倍晋三はこのたび,日本国防衛省自衛隊3軍を,アメリカ軍の下請け部隊に位置づける仕事をした。2015年4月26日から5月3日に訪米した安倍は,自分から喜んで進んでそこまで,オバマ大統領に申しでていた。
彼はいいかえれば,「反国民的(非人民的)なこの国の亡国の宰相」であった。この事実は,21世紀の記録に特筆大書されるべき大失政であった。あとでというかすでに間違いなく,そのつけまわしを受けとらされている国民・市民・住民だけが,ただただ “いい面の皮” になっていた。
それはともかく,宮台真司の論旨を忠実に敷衍するならば,日本の自衛隊もいずれ「男女混成軍化」を余儀なくされるかもしれない 補注1・2)。イラク戦争の派遣では帰国後,この任務が原因らしい28名の自殺者が出ていた。
こんど,アメリカの命によって遠いどこかに自衛隊を派遣するさいには,「男女混成軍化」にする編成で動員させない(?)ことには,事後においてさらに自殺者が増えるのかという心配もしてみたくなる。
補註1)防衛大学校の話題を紹介しておく。最近〔2013年〕における防衛大学校における「女子の待遇」についての,つぎの記述である。
補注2)ついでに,こういう記述も紹介しておく。参考になる内容があるはずである。
--米軍では任務の制限はないものの,女性を実戦行動には配置しないルール(最前線派遣はするが補助的任務とする)があった。が,2013年,これは撤廃される。合同参謀本部が全会一致で決めた。
ここではさらに,つぎのような論及も紹介しておく。
米軍の女性兵士でイラクやアフガニスタンの最前線に派遣され,爆弾などで死傷した人たちがすでにいる。女性も前線で戦闘任務に参加できる決定は急な話ではなく,女性側から希望があったともいう。実戦経験の有無が昇進を左右するからのようだ。結果として米軍における女性の地位向上につながる,ということだろうか。
米軍では,在任中にレイプされた(敵にではなく),もしくは望まない妊娠をした女性の率が,一般社会におけるそれより高いという。米軍の男女比は女性が15パーセントくらいだから,女性が身を置く環境としては最悪といっていい。
にもかかわらず,軍隊に志願し男とならんで銃をとり殺人の現場に立とうとする女性がいる,ということの背景はなんだろう。アメリカには愛国心が強く行動力もある女性がたくさんいるから,とは考えにくい。
註記)「戦争と女子力-風俗発言と女性自衛官について-」『趣味的偏屈アート雑誌風同人誌』2013年05月22日,http://winterdream.seesaa.net/article/362973238.html
それよりも今後においては,死者の出る可能性の高い「戦争(テロとの戦争も含めて)の現場」に駆りだされる「自衛隊員の恐怖」が,より重大・深刻な問題になりそうである。
日本国の軍隊にとっては今後,「戦争・戦闘状態」状況のなかに派遣されないとはかぎらない軍隊組織となっているゆえ,自衛隊の軍人たちは,まず精神心理面の病理問題とともに,とくに派遣先における男女隊員間の性的問題を回避できない。
前者の病理問題はすでに現実の解決すべき課題として自衛隊3軍には降りかかっているけれども,正式にとりあげられる様子は,現在の時点では感じられない。そこまで至るだけの現実的な有事の事態が,いまのところまだ具体的には発生していない。
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