日本の大学が抱えている病理(3)
※-1「本稿(3)」は以下の「本稿(1)」「本稿(2)」の承前であるので,できればそちらをさきに読んでほしく希望する。
「日本の大学が抱えている病理」の実情は,為政者たちが自国の高等教育の真価(効用なり,目的なり)を,まともに理解できない「知的な惨状」となって発露していた。つい最近,やかましく唱えられた,とりわけ「文系不要論」の錯誤と悪影響は,もはや覆い隠しようもなく教育社会のなかに浸潤した。
「安倍晋三」⇒成蹊大学の法学部政治学科で学んだが,結局なにも大学生らしい勉強はせず,テンプラの衣もその中身もいずれもないも同然の軽薄人間としてならば,りっぱに「世襲3代目の政治屋」として成長しえた。
「菅 義偉」⇒秋田県から法政大学法学部政治学科で学んだことに関して,週刊誌などの一部マスメディアが第二部(夜間)卒業と報じたことがあった。これに対して菅はその報道を否定,第一部(昼間)卒業であると反論したという。
だいぶ以前から夜間部(第2部)を設置している大学では,昼間部と夜間部の区別表記をしない場合がある。この点にも関係する菅 義偉関係の話題であった。
その話題はともかく,菅 義偉が以前,給付型奨学金に対して否定的な意見を述べた,それも感性的な彼の発想を聞かされ,この政治屋は教育問題を基本的になにも分かっていないで,へり理屈をこねていた人物だと,解釈せざるをえなかった。
「岸田文雄」⇒東大にはいりたかったがかなわず,「東大に3回落ちて早稲田(の法学部)へ」進学した事実が,倒錯的に売り文句になりえたかのようなこの文雄君であったせいか,やることなすこと,あらゆる試図が「丸出だめ夫」風の仕儀にあいなっていた。
つぎの『東京新聞』が伝えた「2024年1月1日に発生した能登半島地震」の被害・被災に対してこのように,「タスクフォース」を立ち上げて,これから本格的に対処する,といったニュースを耳にした本ブログ筆者は,聴いたとたん耳を疑った。
この日本国首相の岸田文雄はそもそも,そのタスクフォースという専門用語の意味を分かっていたのかという疑問を,いきなり突きつけられた気分になった。
軍事用語として,さらにはとくに経営学分野において盛んに使われてきた理論的な含意のあった,そして,実践問題の解決志向にかかわることばがこのタスクフォースであった。
その一般的な説明としては,こう説かれている。
タスクフォース(Task force)とは,緊急性のある問題の解決や短期的な開発などをおこなうために,一時的に構成される組織のことである。 特別な役割を担うこと,もしくはその役割を担うメンバーなどの組織全体を指して充てられる用語である。 もともとタスクフォースは軍事用語で「機動部隊」を意味した。
このタスクフォースということばを,能登半島地震(2024年1月1日発生)に関連づけるとしたら,本ブログ筆者の場合(もしくはこの概念を常識的に把握できている人であれば誰でもが同じに考えるはずだが),その地震が発生した直後に可及的速やかに組織して発足させ,ただちに活動に入るのが,このタスクフォース本来の目的・使命であった。
ところが,この半年間における能登半島地震の被災地は,まるで半ば放置されてきたかのように批判されても,なんらおかしくはないほど,復旧工事どころか当面の後片づけすら思うように進んでいなかった。
ネット上にはその遅延の状態がダラダラとつづいてきたいいわけとして,以下のような説明がなされていた。だが,これはあとづけでの理由を述べた弁解でしかなかった。本気でやる気があれば,倒壊したインフラ施設,さらにはとくに,その工事に着手すれば「1週間程度で解体・始末できる民家の除去」すらが,1割未満にしか手を着けられていなかった実績は,まるで北陸地域を意図的に軽視したかの様子にも映った。
2024年7月7日補注)後段において紹介するが,その遅滞ぶりに関しては『毎日新聞』から「関連する記事」を紹介してみた。
まあ,いわせる筋にいわせれば,現地における「ライフラインの復旧が遅れている要因の一つ」は,能登半島という交通アクセスが,もともとむずかしい場所であり,くわえてはとくに甚大な被害を受けたのが,輪島市・珠洲市など『奥能登』と呼ばれる地域だったからだ,と説明されている。
なかでも 奥能登の動脈の一つとなってきた国道249号線の寸断がいまだに続いているなど,復旧を終えていない道路も数多く残されているために,復旧工事が遅れている,というのであった。
だが,港湾施設が地震によって隆起したという事情もあるにせよ,それならば今回のような災害発生時にこそ,その組織力・機動力を大いに発揮させて,被災地の復旧に全力を投入して活躍できる自衛隊3軍「陸・海・空」の関与・出動の本気度が,いままで,われわれのほうにはほとんど伝わってこなかった。
年頭における自衛隊は,精鋭部隊である陸上自衛隊第1空挺団が同盟国やそれに近い各国部隊との共同演習を優先させ,能登半島地震の災害発生などそれこそ「どこ吹く風」という態度であった。昔の大日本帝国陸海軍は結局臣民の生命や財産など護るための戦争をけっしてしなかったが,その種の悪しき伝統がまたもや頭をもたげたのかもしれない。
実際に自衛隊3軍が本気でやる気をだして災害救助・復興に注力していれば,その後半年も経った現地の状況は,災害後における風景が復旧に向かうかたちをとって,一変させえたはずである。ところが,そうはなっていなかった。大げさな表現になるかもしれないがせいぜい,災害発生後まだ2~3週間ぐらいあとの段階だったという程度にみまがうほど遅滞させたままである。
まさか,北朝鮮からのミサイル発射を警戒するためにだけに存在する軍隊が防衛省の存在価値ではあるまい。あるいは米軍のお尻に傭兵的に着いてまわるだけのその3軍でもあるまい。
どういうことか? 2024年1月1日に能登半島地震が発生してから数日中以内にできるだけ早い時期に,能登半島地震の被災地・被災者の救援向けにタスクフォースを組織することになっていて当然であった。
いまとなってみればその当然さは,半年も経ったいまだからこそ,よけいに感じられるのだが,日本国首相の岸田文雄君はいままで,いったいなにをやっていたのかと,あらためて訝るほかなかった。
2024年元日に発生した能登半島地震の場合,この「赤坂自民亭」騒ぎを想起させるごとき岸田文雄の脳天気な采配,しかも,半年も経ってからようやく被災地向けのタスクフォースを組織したという話題は,この「世襲3代目の政治屋」の無能・愚策ぶりを,なんというか「この事実」すらも遅れてだが,実証した。
自然災害に対して,いまごろまでさんざん遅れての対応となれば,タスクフォースを組んだところでこれは “task force” などとはいえなかった。本当にダメダメだらけの「世襲3代目の政治屋」の指揮ぶりは,はたが恥ずかしくなるほどのモタモタぶりというか,ぐずぶりであった。
つぎの記事(画像資料)は,7月1日の『毎日新聞』朝刊に出ていた能登半島地震の6月12日時点における,つまり,いままでの「被災地・被災者」に対する「復旧・支援」の『みごとなまでの遅滞ぶり』を,1面全体を充てて説明していた。
以上のごとくに,能登半島地震に対する自民党政権・首相岸田文雄の唐変木ぶりを批判する文章を書いてみた。さて,教育政策(文教問題)に対するこの政権の施策展開の話題にするが,これまた,いつも時宜を逸していたというか,要は見当外れが多かった。
つまり,一事が万事であって,やることなすことのいちいちが的外れでもあって,国民のためをいったい考えているのかすら,根源から疑うほかない「政治手腕」の満遍ない欠落(!)が目立っていた。
「本稿(3)」を更新的に復活させるにあたり,冒頭で以上のごとき「木偶の坊総理大臣」の迷采配ぶりを,それもタスクフォースという用語のとりちがい(勘違いではなく無理解になるその用法)を,一刀両断するつもりで根本から批判してみた。
おそらく,この用語タスクフォースの意味をしらないわけではない,首相周辺の国家官僚たちは,もしかしたらこの文雄をことを,腹の底では小馬鹿にしているのではないか?
といったような前口上を申し述べたところで,本稿全体にとって必要と思われる「要点3つ」を,今回のこの記述でおいても,重ねてつぎに添えておきたい。
要点:1 高等教育機関における研究や教育を「教育は百年の大計」という見地をもって観察できていなかった「実業人の浮薄な意見」を「真に受けて摂り入れた」失策
要点:2 「急がば回れ」が教育の原点であり,最良の方法であるが,その逆をいく実業人の経営コンサル的な目先だけの助言によって,大学の教育現場が混乱させられてきた「錯綜」
要点:3 さすがに,教育現場に直接「選択と集中」戦略をもちこむ愚かさに気づいたらしいが,その間において大学側の受けてきた負的打撃がひどく,その打撃(悪影響)が「多大」であった
※-2「〈論の芽〉文理分け,早すぎる?」『朝日新聞』2020年1月28日朝刊15面「オピニオン」
「学びたいことが学べない」。昨年8月,大学生の丹伊田杏花(にいだきょうか)さんが「論の芽」で提言した「文系と理系の壁」には多くの意見が寄せられました。多くの大学で文系と理系で試験科目が異なり,高校の早い段階でコース別に分かれます。はたしてそれでいいのでしょうか。
文系の学部に進んだあとに理系の分野に興味をもったが,大学のシステムにより理系の授業は原則,受けられない。高校2年の時点で文系か理系かを選んだが,生活に大きく影響する科学の知識は文系にも必要で,理系でも憲法や国際政治についてしる必要があるのではないか。専門性の高い人材育成のための早期教育は否定しないが,あとからでもさまざまな分野を学べる仕組を作るべきだ。(2019年8月6日掲載の「論の芽」から)
1) 受験後のつまずき避ける情報を-倉部史記さん(NPO法人 NEWVERY理事)
※ 人物紹介 ※ 「くらべ・しき」は1978年生まれ,私立大学職員,予備校研究員などを経て独立。著書に『ミスマッチをなくす進路指導』ほか。
--所属しているNPOで4年前,文理分けについてアンケートをしました。回答のあった普通科高校の9割近くに,文理選択の制度がありました。うち8割強が1年生のうちに文理の選択を求めており,1割強は1学期までに決めさせていました。生徒の可能性を狭めないためには,専門分化はできるだけ遅い方がいいはずです。なぜこんなに早い時期に,一律にどちらかを選ばせるのでしょうか。
高校の先生は,大学のせいだといいます。「本来は学習指導要領の必修科目をすべてまじめに勉強した生徒が不利にならない入試が望ましい。しかし入試は文理で教科が分かれているので,コース分けせざるをえない」と。一方の大学側は「高校が文理分けを前提に教育をしているのだから仕方ない」といいます。誰がなんのためにやっているのかがよく分からないまま,議論だけが続いています。
教育関係者に話を聞くと,高校での文理分けが顕著になったのは1979年の共通1次試験導入以降です。大学の序列化が進み,世間が進学実績で高校を比べるようになりました。受験対策が先生たちの行動原理になり,「受験に不必要な数学は切る」といったカリキュラムが作られるようになりました。
いまや高校は,「卒業間際まで遊ばず勉強させるための装置」として大学入試に頼りきっています。受験で求められる科目以外も幅広く学ばせることもできるはずですが,そんな余裕があるのは一部の伝統校だけです。もし文理選択をしなくてはならないならば,情報をもっと生徒に与えてほしいと思います。
なかには「数学が苦手だから文系」「英語が苦手だから理系」という理由だけで選んだり,「女子は文系」といったまわりの大人の先入観に従ったりするだけの生徒も少なくありません。しかしこうした選択は経済学でも数学が必要で,技術者も英語が必要な社会の実情とはずれがちです。進路指導は進学情報会社のセミナーや冊子頼りという高校も多いですが,もう少し充実させて欲しいものです。
受験をゴールにしてその先を考えない進路選択の結果のミスマッチは,深刻です。数学が苦手で文系を選んだ学生が授業についていけず留年や中退をしたり,「やりたいことがないならとりあえず看護学部に」と指導されたものの仕事になじめず退職したり,といった具合です。
この状況を変えるには,簡単にカリキュラムを動かせない高校と比べ,自由度の高い大学の側が動くべきだと思います。生き残りのため受験生を増やすのに必死な大学側は,生徒を「消費者」「お客様」として扱っています。そのため,文系学部でも数学は必要といった情報や,高い中退率の情報などは伏せられがちです。
補注)大学における学生の中退率は,大学側からは分かりやすく情報公開されていない。在籍者総数の減少(変化そのものの)統計からは判読しにくいし,その関連情報を把握・理解するには困難をともなう。ここでは,『大学の実力 2019』中央公論新社が説明していた,つぎの関連する情報を引用しておく。
註記) 「大学中退率が10.6%(約1割)は間違い! 退学率の高い大学と中退理由をガチで検証」『ニートちゃん』2020年1月4日,https://neet-chan.com/?p=7433
この『大学の実力2019』は,2014年4月入学→2018年3月卒業の大学生(国立・公立・私立含む)を4年間追跡調査した結果,男女別の退学率では,男性が8%,女性が5%で,男女平均の退学率は7%になった結果を教えている。しかし,さらに国立・公立・私立別でみてみると,大学中退率には大きな差があった。
国公私別の退学率 【国立】 2.9%
【公立】 4.2%
【私立】 8.0%
なお,国立大学の学生数は89,481人,公立は27,330人,私立は421,337人なので,私立学生の数が圧倒的に多く,私立大学の退学率が高いことが原因で,退学率が引き上げられている。
ここで参照しているネット記事は,かなりの字数を費やしてこの退学率の問題を解説していた。より詳細については「前記 註記)」の住所から自分でのぞいてみてほしいが,要するに「4年間の退学率が高い大学は,専門教育の質が悪い可能性がある」。
この指摘についてはさらに,逆張り的な説明になる「段落」(の部分)を引用しておく。
以上の数値のなかでは東京理科大学のみ率が高く出ていた。しかし,これには前段に触れたように,特定できそうな原因があった。ここで数値そのものに関した説明となりえないけれども,同大のホームページには関連する記述がみつかる。前段の枠内に補注した事情と併せて聴いておくべき,つぎの2点の事情もあった。
a) まず,基礎工学部の1年生が全寮制で過ごさねばならない「長万部キャンパス」(北海道)に関する個所である。この「長万部キャンパス」は,「豊かな自然に囲まれた北海道長万部は学問の基礎を築くには理想的な環境です。寮生活でえられる友人たちは生涯の宝となるでしょう。ここでじっくりと大学生活のスタートを切ってください」と解説されていて,そのすぐ下にはこうも付記されている。
補注)ただしその後,「基礎工学部(1年次)」は2021年度より東京の葛飾キャンパスにおける4年間の一貫教育に移行」した。
もっとも東京理科大学は,長万部キャンパスじたいからは撤退したわけではなく,このキャンパスを別の方途・目的をもたせて大学教育に活かそうとしている。くわしくはつぎの同大ホームページを参照したい。この説明はなおすっきりしない内容であるが,ともかく紹介だけはしておく。
b) 東京理大には理学部第二部と工学部第二部があるが,後者は「2016年度より募集停止」が予定された。
--以下にはつづけて,さらに「主要私立大学における退学率」を紹介する。
〔ここで元の『朝日新聞』記事に戻る記述→〕 こうした情報を明らかにすれば,一時的に受験生が減るかもしれません。でも入学前のイメージとのギャップが縮まれば,「中退率が低い」ことが新たなアピール点になるのではないでしょうか。
補注)ちなみに私立大学のなかでも,低偏差値が顕著である諸大学における中途退学率は,こうなっている。関東地方にかぎり紹介しておく(あいうえお順で各大学名で「大学」という文字は割愛)。
【茨城県】 筑波学院 (18.3%),つくば国際 (14.2%)
【栃木県】 足利 (15.8%),宇都宮共和 (20.8%),文星芸術 (17.2%)
【群馬県】 桐生 (12.1%),上武 (13.2%),高崎商科 (19.2%),東京福祉 (14.4%)
【埼玉県】 浦和 (12.9%),共栄 (10.6%),埼玉工業 (15.1%),城西 (13.4%),駿河台 (18.1%),聖学院 (18.3%),日本医療
科学 (11.8%),人間総合科学 (11.9%),平成国際(13.8%), 武蔵野学院 (15.9%),ものつくり (23.6%)
【千葉県】 江戸川 (18.2%),国際武道 (12.0%),淑徳 (12.7%),城西 国際 (15.9%),聖徳 (11.0%),清和 (11.9%),千葉経済
(16.7%),千葉工業 (10.8%),千葉商科 (14.2%),中央 学院 (20.0%),東京基督教 (13.0%),東京情報 (18.9%), 明海 (21.3%),流通経済 (15.2%),了徳寺 (12.1%),麗沢 (14.1%)
【東京都】 上野学園 (12.3%),嘉悦 (19.4%),恵泉女学園 (15.4%),
こども教育宝仙 (10.2%),昭和薬科 (13.6%),女子美術
(10.5%),杉野服飾 (20.9%),高千穂 (18.5%),拓殖 (11.2%),多摩 (23.2%),玉川 (11.6%),帝京 (12.6%),
帝京科学 (15.1%),デジタルハリウッド (16.8%),東京有明
医療 (19.4%),東京医療学院 (17.4%),東京工科 (10.7%),
東京工芸 (18.5%), 東京純心 (18.5%),東京神学 (25.0%),
東京成徳 (13.5%),東京富士 (22.0%),東京未来 (10.4%),
東洋学園 (24.9%),文化学園 (16.9%),文京学院 (10.0%),
明星 (13.3%),目白 (14.7%),ヤマザキ動物看護 (10.4%),
ルーテル学院 (16.7%),和 光 (22.7%),神奈川工科
(17.2%),関東学院 (14.3%),相模女子 (10.5%),湘南工科
(14.5%),昭和音楽 (15.3%),洗足学園音楽 (14.2%),
鶴見 (22.9%),田園調布学園 (10.1%),桐蔭横浜 (11.8%),
日本映画 (33.1%)
【神奈川県】 神奈川工科 (17.2%),関東学院 (14.3%),相模女子
(10.5%),湘南工科 (14.5%),昭和音楽 (15.3%),洗足学園
音楽 (14.2%),鶴見 (22.9%),田園調布学園 (10.1%),桐蔭
横浜 (11.8%),日本映画 (33.1%),横浜商科 (21.7%),横浜
創英 (12.6%),横浜美術 (12.5%)
〔元の『朝日新聞』 の記事に戻る ↓ 〕 そして,この記事の解説は途中で,こうも断わっていた。
アメリカの大学等中退率(短大,専門,高専含む)をみてみると「47%」と書かれてあるが,この数字は見間違いでもなんでもなくて,アメリカでは約半分の学生が退学しているということが事実であった。
日本の退学率と比べると4. 7倍,かなり高い。実は,国際的にみて,日本の大学は入学するのがむずかしく卒業するのが簡単といわれていて,他の先進国では入学が簡単だけど卒業がむずかしいといわれている。(引用終わり)
なかんずく,日本の大学における退学率の統計は基本的に,特殊かつ固有である問題要因を含んでいる。その退学率をめぐって表示されている「指標(%)の多・寡」は,主に「入試偏差値の高・低」にほぼ〔逆さまに〕対応している。
アメリカの大学でのように勉学の不調・不成績による退学処分という問題の要因が,必らずしもその原因として前面に出てこないところに,日本の大学のその特徴が表出していた(これは学部・学科によって異なるが一般論ではそういえる)。
本ブログ筆者も形容することばとして使ったことがあるが,大学は若者にとってモラトリアムの場所だという昔からあった指摘は,そうした事情にもかかわっていた。
〔再度,『朝日新聞』の記事に戻る ↓ 〕
2) 経験や意欲見極める試験に転換-川岸令和さん(早稲田大学政治経済学部長)
※ 人物紹介 ※ 「かわぎし・のりかず」は1962年生まれ,専門は憲法学,著書に『憲法 第4版」(共著),『立憲主義の政治経済学』」(編著)など。
--早稲田大学政治経済学部は来年〔2021年度〕の入試から,数学を必須にします。また,日本語と英語の長文を正しく理解し,批判的視点をもってみずからの考えを論理的に記述できるかを問う独自試験も実施。
高校生活を通じた教室の内外での学びをふまえ,答えが一つではない問題に取り組んでもらいます。それによって,文理に分かれ,限られた科目の「入試対策」に終始するといった学び方への問題提起になればよいと考えています。
たとえば,統計的手法での分析は,経済学ではもちろん政治学でも必要となっています。こうした学問の進化にともない,先行していた学科にくわえて,今年度の入学者から政治学科の学生にも統計学を必修科目としました。
いわゆる「私立文系コース」で数学の素養がまったくないと授業の理解が困難となっていることも入試で数学を必須にした理由のひとつです。必須とするのは大学入学共通テストの数学1・Aだけですので,数学を得意としない受験生にとっても負担感は小さいと考えています。
地球温暖化や経済格差など,人類は,はっきりとした解決法があるかどうかわからない問題に直面しています。大学は本来,すぐに陳腐化してしまうような知識ではなく,課題に果敢に挑戦していくための知恵を身につけるところです。
ところがいまの大学入試ではその素養や意欲は測れず,文系と理系の科目に分かれて細切れの知識を問うています。こうした試験ならば,基礎的な問題にとどめてもいいのではないでしょうか。そうすれば受験対策に追われずにすみ,文系科目も理系科目も,幅広く学ぶ余裕もできるのではないかと思います。
受験生には,高校時代は,興味のある本を手に取ったり,教室の外に出てさまざまな人びととかかわったりしながら,自分の視野を広げてもらいたいのです。そのためには大学側が育成したい学生像を示し,大学で学ぶことへの関心や意欲などをみきわめる独自試験を課すことが必要だと考えました。
社会が直面するさまざまな課題を意識しながら送った高校時代の経験が入試で生きるようになれば,各科目でどれほど点数が取れるかで進学先を選ぶことで引き起こされる入学後のミスマッチも減らせるでしょう。
これまで必須でなかった数学や,総合的な学びを評価する独自試験をおこなえば,受験者数は減るでしょう。しかし大学は,社会課題の解決に貢献できる人材を育てるため,必要なカリキュラム改革,入試改革をためらってはいけません。受験生やその保護者はもちろん,社会全体に理解してもらえるよう努力するべきです。
政治経済学部の入試・カリキュラム改革が,日本の教育を変えるうえでどれほどの影響力があるのかはわかりません。ただ,この内容が,入試に合格するという短期的目標だけではなく,その先を見据えた高校教育のあり方を考えてもらうきっかけになればと願っています。
3) 専門外の学び提供,大学に限界
毎年,入試で数学を選択しなかった学生が,「いまからでも数学を勉強したい」と,私が教える数学系の科目を受講します。専門外の知識はよき市民となるために不可欠です。しかし,大学での提供には限界があります。
大学教員は専門の業績で採用や評価が決まります。専門外を真剣に学びたい気持に触れたり,教える意義を考えたりする余裕も機会もない教員が多数派ですから,様子がわからず,しかも評価されない一般教育への対処をあとにまわすのは,やむをえないことでしょう。
そういう先生が受験生を選抜し,それに従って多くの合格者を出そうとするのが高校ですから,根本からの改革が求められます。(大学講師・中根美知代さん)
4) 両方の知,評価する側こそ必要
京都大学学術出版会は昨〔2019〕年夏から,専門外の専門書を読む会を開催しています。「公正とは? 幸福とは?」といった,本質的な問いに向き合うリーダーが育たないと感じたからです。工学,薬学などを専攻する学生9人と月2回,古代ローマ時代の倫理論集を読んでいます。
「いい大学の合格」が評価になると,合格に必要な科目だけを学ぶ高校も現われます。大学生も,教育制度が縦割りで,自分の裁量で広く学べなくなっています。そんな評価軸を見直すためにも,政治家,役人,メディアなど,学びのあり方を評価する側にこそ,文理の壁を越えた知を身につける場が必要です。(京都大学学術出版会編集長・鈴木哲也さん)
5) 忙しい高校生,「幅広く」は困難
文理選択をなくして,幅広く学ぶのは理想的ですが,すべての高校で実現させることはむずかしいでしょう。高校生は,勉強,部活,おしゃべり,スマホ,睡眠に,とても忙しい毎日です。
限られた時間のなかで入試という関門を控える生徒に「理想的なカリキュラム」は組めません。ある程度学ぶ科目を特化したからこそ,より良い大学に入学できる,ということがあるからです。
大学入試改革は,「記述式問題」「外部試験による英語4技能」の導入をめぐって混乱に陥りました。これらの力が必要だという考えは,間違えていないと思います。ですが,実際の運営に落としこもうとしたときには,高いハードルがたくさんあるのです。(高校教員)
6) 途中の進路変更,できるように
私は大学で,奉仕活動や企業との連携活動で多くの人とかかわり,やりたいことに出会えましたが,続けられそうもありません。通う学部は,全員が資格取得をめざします。卒業条件が厳しく,授業を選ぶこともできません。高校で決めた職に就く人はどれほどいるのでしょうか。途中で考えが変わったら他の道へ進む選択ができる教育が必要だと考えます。(大学生)
※-3「〈Myニュースでまとめ読み〉複眼科学技術 世界と闘うには」『日本経済新聞』2020年1月30日朝刊6面「オピニオン」
--イノベーションの源泉となる日本の科学技術力が弱っている。国の予算は毎年4兆円規模が確保されているが,研究者の育成や革新の芽を伸ばす方向でうまく使われていないとの指摘が目立つ。世界の研究をリードし,人類の進歩やビジネスの発展にどう結びつけるか。第一線の研究者に課題と解決策を聞いた。
1)「基礎軽視,将来に禍根 東大宇宙線研究所長 梶田隆章氏」
※ 人物紹介 ※ 「かじた・たかあき」は,2015年にニュートリノ振動の発見でノーベル物理学賞を受賞,2008年から東京大学宇宙線研究所長。60歳。
--基礎研究が軽んじられている。昔と比べ,お金が最低限しかかからない研究も,いまはすべて競争的資金で始める。教員が自分たちの判断でやる研究ができなくなっている。
基礎研究の予算は科学研究費補助金(科研費)のなかで一番,金額が小さく,採択率も約30%しかない。このレベルだと,だれもしらないような研究を自前の発想で提案したときになかなか採択されない。はやりの研究のほうが有利だ。採択を狙って通りやすい研究に研究者がなびいてしまうことが問題だと思う。
運営費交付金の削減は,研究者が余裕をもって研究に取り組む土壌を急激に痩せ細らせた。日本として基礎的,学術的研究を重要視するのであれば,運営費交付金は増やさなければならない。現実的でないとしても,運営費交付金を削った分,芽を出す研究を広くできるように科研費で補填することが最低限必要だ。
国は「大学が外部資金をとってこい」というのだろうが,基礎的な研究はいくら頑張ってもうまくいかない。日本は国内総生産(GDP)世界3位。そういう国の責任としてはやがてイノベーションに結びつくと予想される研究だけでなく,もう少し広い,人類の知的財産を大きく拡大する研究にも一定量の研究資金を投じなければならない。
補注)2023年中に日本のGDPは世界4位に下がった。抜いたのはドイツであったが,円安の計算面から生じた影響がないわけではない。
〔記事に戻る→〕 大きなくくりでの科学技術予算が減っているわけではないとしても,日本の研究力は急激に落ちている。お金の使い方が間違った方向にいっている証しだ。
運営費交付金の削減でなにが一番問題になったかというと,各大学が生き残るために助教のポストをどんどん減らしたことだ。若い研究者がポストにつけず,任期制の特任助教のようなその場しのぎのかたちでやっている。若い人材育成への負の影響がものすごく大きい。
大学は人を育てる組織だ。競争で不必要に弱めていっていいのかどうか。そこは,国家的に考えなければならないところだ。大学4年生で卒業研究をやらせるお金すらない。私がノーベル賞を受賞した2015年から基礎研究の危機を訴えてきた。悔しいが何もかわっていない。
2)「トップクラスに任せよ 東京大学卓越教授 藤田 誠氏」
※ 人物紹介 ※ 「ふじた・まこと」は,分子の自己組織化などの研究で有名な化学者,2018年にノーベル賞の登竜門とされるウルフ賞受賞。62歳。
--海外では大学の基礎研究にベンチャーキャピタルが目をつけ,そこにお金を投じてベンチャーがつぎつぎと生まれる。「0から1」の価値を生む,きちんとした分業体制ができている。日本にはない仕組だ。
この20年,基礎研究がうまく社会的な価値に結びつかなかったのはこの「社会構造の欠陥」があったからだ。いつの日か基礎研究が無駄ということに問題がすげ替えられた。研究者の自由な発想に任せていてはだめということで,国の研究のやり方がボトムアップからトップダウンになった。
どこの大学にも発想力の乏しい研究者はたくさんいる。この人たちに任せても無理がある。しかし,1割ほどのトップクラスの研究者,科学者は違う。未来を見抜く力をもつ。彼らの洞察力に任せた方が絶対にいい成果が出てくる。
予算の「選択と集中」は理念として正しい。いい研究,重要な研究に手厚くするのは間違っていない。だが,トップレベルの研究者が直撃を食らっている。運営の仕組に問題がある。
補注)この「選択と集中」戦略(戦術?)が大学の研究体制にじかにもちこまれて発生させた弊害については,「本稿(2)」がとりあげ批判した。
目先の利益のことしか念頭にない実業人の「経営センス(感性,慣性?)」からいわれたことを真に受けて,大学における研究体制を動かそうとしても,うまくいかなかった事実だけは,再確認できた。
「企業における研究管理の問題(ただ商売のため)」と「大学における研究促進の問題(まず学問のため)」を同一視した実業人に,大学の研究(教育)に口出しさせたら,正直いってろくなことはなかった。実際にそういう結末になっていた。
〔記事に戻る→〕 億単位のプロジェクトをやって気がついた。国からの研究費はファンディング・エージェンシーと呼ぶ配分機関を通すが,こうした組織が肥大化し,研究費を侵食する。頻繁に開く成果発表のためのシンポジウムは氷山の一角だ。
トップダウン式だと,官僚らは多くの人が納得するテーマを選びがち。人工知能(AI)も量子コンピューターも日本の実力は米中の周回遅れ。にもかかわらず5年ほどのサイクルで,はしごを登らせては外すという繰り返しだ。
周回遅れで入って追いつけるほど研究は甘くない。世界が着目していないオリジナルな研究をやらなければならない。なにもないところから立ち上げ,リードし続けていかなければならない。トップ研究者の研究こそ国を代表する研究だ。
競争的資金の競争の意味が誤解されている。研究者は研究でもって世界の人たちと競争している。ところが,世界で活躍しようが,どんないい論文を書こうが関係ない。実績は評価されず,一番いい申請書を書いた人にお金が払われる。
3)「長期視点で人材結集を 理化学研究所理事長 松本 紘氏」
※ 人物紹介 ※ 「まつもと・ひろし」は宇宙電波工学の専門家,2008年京都大学総長に就任,2015年から現職,国際高等研究所長も務める。77歳。
--最先端の研究で海外勢と競っていくには,時に巨額の資金を投じて人を集める覚悟がいる。京都大学の山中伸弥教授が切り開いた iPS 細胞研究はその一例だ。だが,日本の大学は硬直化しすぎており,巨額プロジェクトを担える状態ではないと感じている。
私が京大副学長だった2007年当時,山中氏らの体制は一研究室にすぎなかった。世界で競り負けないことを考えると,研究所の規模が必要だった。だが,新しいことを始めるのに2年はかかる。良い人材を呼びこみたくても既存の学部は譲ろうとしない。できる限り手を打ったが,なかなかむずかしいと思った。
国内では大型予算で支える計画も増えたが,イノベーションにつながるほどのものになっていない。なぜか。国は短期集中で一定の到達点を示してほしいと考えるところがあるからだ。
iPS 研究もそうだが,現場の感覚でいえば10年で研究が済むわけがない。研究すればするほど新しい課題が出てくる。医療応用などもっと先の目標だ。政府は予算の打ち切りも検討したようだが,社会的な意義を考えると,むしろ延長すべきだろう。
補注)大学の研究はそもそも,「10年で研究が済むわけがない」と指摘された点は「本稿(2)」でも触れてみた。
たとえば,山中伸弥の iPS 研究に対して政府は,つぎのような変更を迫っていた。 「 iPS備蓄事業,予算減額案 山中伸弥氏『非常に厳しい』」『日本経済新聞』2019年11月17日 2:00,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52219680V11C19A1TJM000/ は,こう報じていた。
この記事全文は引用できないので興味ある人は,この記事を直接読んでほしいが,ここでは簡単につぎの文章と図解のみ紹介しておく。
政府が再生医療向けに iPS 細胞を備蓄する「ストック事業」への支援を減額する可能性が高まり,混乱が広がっている。事業を手がけてきた京都大学 iPS 細胞研究所が多額の寄付金を集められることがあてにされた格好だ。京大側は困惑しており,山中伸弥所長は支援の継続や明確な説明を求めている。
政府はこれまでストック事業に年約10億円を支援してきた。10年間の予算が切れる2023年度以降の予算確保が注目されていたが,いきなりはしごを外された格好だ。こうした方針変換のきっかけは,ストック事業の公益財団法人への移行だ。8月に文部科学省の専門部会で了承され,〔2019〕9月に新設した財団法人が2020年度から京大に代わって運営する。
ここから逆風が吹き出す。「2020年度から支援をゼロにする」。専門部会直後,内閣官房の官僚が山中所長に直接伝えに来た。寝耳に水だった。iPS 研からみて,政府側にあてにされたと感じるのが寄付金だ。
山中所長がマラソンなどで訴えて集めた寄付金は143億円に達する。山中所長は「寄付金があるから国の予算を減らせるという人がいるようだ。そんなことでは誰も寄付を集めなくなる」と訴える。
山中所長は自民党の議員に相談。自民党の科学技術イノベーション・戦略調査会は2020年度からゼロではなく,段階的に減らす案を〔2019年11月〕12日に決議した。寄付や受託事業などの収入を自己資金として自立を促すものの「新法人は民間という位置づけだが,作り上げたものが崩れないように支えるべきだ」と同調査会の古川俊治事務局長は話す。
補注)関連しては「山中教授に予算削減迫った? “渦中の女性官僚” が国会に」『TBS NEWS』2020年1月29日17時21分,https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3891990.html を参照されたい。この女性官僚とはもちろん大坪寛子のこと。
日本の科学力を高めるには優秀な若手を育む仕組みが欠かせない。博士号をもちながら,40代になっても任期制のまま研究を続けている状況は人格無視といってもいい。競争を通して選んだ人材にはお金をつけ,優遇すべきだ。教授に就く前,早い段階から試行錯誤して成果を出す。そこに国が支援すればいい。
補注)『日本経済新聞』2020年1月29日朝刊に,「北大『最短5年で教授』新制度」という見出しのベタ記事が出ていた。前後して述べているごとき問題に対するまともな施策が,いつまでも,個別の大学ごとにおこなう範囲内で留まっているようでは,国家的次元での効果は期待できない。
〔記事に戻る→〕 理研にいると,研究の生産性を高めるには事務方の強化も重要だと感じる。理研は500人と一般の大学よりは少ないが,事務的な支援のほか研究の後押しもしている。研究でいえば,分野を超えて協力する環境も必要。
電子工学者と文学者が自由に議論し,行き来できる仕組が足りない。異分野で相互作用を起こせないと組織は弱っていく。教員は競争原理にさらされたほうがいい。優れた成果を出しつづける研究室でないと学生は来ず,教員ポストも維持できないといった境遇におくことが重要ではないか。
補注)この段落はおそらく,「文系不要論」をとなえた自民党極右の単細胞議員たちには,全然理解できなかった主張と思われる。
4)「大学の激変が不可欠 総合科学技術・イノベーション会議議員 上山隆大氏」
※ 人物紹介 ※ 「うえやま・たかひろ」は,政府の総合科学技術・イノベーション会議で唯一の常勤議員,科学技術史や大学の科学研究に精通。61歳。
--2004年に国立大学が法人化して以降,運営費交付金は少しずつ削られていったが,全体として学術・科学技術に投下される政府資金は変わっていない。むしろ若干増えている。運営費交付金として大学に渡し切りにするのでなく,毎年1%ずつを国として集約し競争的資金として配分しようとした。
大学改革が世界中で起き,1980年代には米国を中心として科学技術や大学を取り巻く環境が大きく変わっていった。研究の特許化や大学発ベンチャーを通して,先端技術が大きな経済的波及効果を生むことが明らかになってきた。学術のみならずイノベーションの核として大学を強くしなければならない。官僚組織の一部だった国立大学を政府から切り離し法人化しようと考えたのは当然の判断だった。
不幸だったのは多くの大学人が真意を理解しなかったことだ。文部科学省は大学人に「なにも変わらなくていい」と説明した。ドラスチックな変化を避け,運営費交付金をゆっくり減らす。徐々に変化を体感してもらい,マインドセットが変わることを狙った。
本来は各大学に研究と教育,地域での役割を体現した,個性あるとがった大学に変貌させる政策を打つべきだ。文科省の高等教育局は86の国立大学を一つの大学のように動かすという既得権益を放棄しなかった。
競争的資金は一部の大型研究大学に集中し,地方の大学は疲弊するばかりだ。ポスドクと呼ぶ定職のない若手研究者だけが増え,アカデミアでの職と希望が失われた。能力のある若い人たちへの資金的サポートは細くなりつづけた。
国立大学は自由裁量権が増えた。規制を大胆に緩和し民間資金を取りこむ仕組を導入していれば,財務は楽になったはずだ。
産業界にも問題はある。460兆円の内部留保を抱える民間企業が研究開発投資を怠るのは,日本の将来の成長と次世代への投資を控えているのと同じ。大企業もかつては中央研究所をもち基礎研究に投資してきた。日本の研究力が落ちているのは企業からの論文が減っていることも原因だ。
補注)この人物の意見は顕著に政府寄りである。たとえば「毎年1%ずつを国として集約し競争的資金として配分しようとし〔てきた」けれども,国立大学の教員の俸給も1%ずつ減らしていた事実をしっての発言だと思うが,まったく触れていない。
この意見は,国家側の意図だとか狙いを強調したがる気分を濃厚に醸し出しているが,結果を期待しようとする以前の問題として, “大学側を困難:窮地に追いつめる施策” が実行されてきた事実が,適切に考慮されていない。
当人は,断定的に「不幸だったのは多くの大学人が真意を理解しなかったことだ」と語っているけれども,おそらく,この人物自身が「多くの大学人の真意を理解」すらしていなかったと観るほかない。その語り口はまるで “部外者のもの” に聞こえる。
5)「〈アンカー〉若手の研究離れ 得意磨き挽回を」(編集委員矢野寿彦)
科学技術にはお金がかかる。世界をリードする成果を生むには最先端の実験装置が必要だし,巨大なデータベースもいる。アイデアを出しサポートする優秀な研究スタッフもたくさんいるに越したことはない。
資金力で日本が米国や中国と肩を並べるのはむずかしい。身の丈にあった研究戦略こそ求められている。あれもこれもでなく,得意とする分野をいかに磨いていくかだ。
国の限られた財源を生かすため「選択と集中」「競争的資金」といったアプローチは間違っていない。ただ,基礎研究の担い手となる大学の変革がこうした制度改革に順応できていない。
迷走する科学技術政策のツケが明日を拓(ひら)く若手人材に回っている。優れた頭脳の研究者離れが深刻だ。一刻も早くこの流れを断ち切らなければならない。(引用終わり)
この編集員矢野寿彦による「総まとめ」は,「まとめとしては不合格点」しか与えられない。当たりさわりのない文言を充てて,いまさらどうでもいいことを,それも政府側の立場に寄りそうかっこうだけで,つまり単に偏ったまとめをおこなっていた。それを,ただ反芻的に繰り返していた。
この程度にしかまとめる力がない日経の編集委員に用はない。なかんずく,この 5) に紹介した “記事の段落” は完全に蛇足であった。中身として,実質的に「前向き・建設的だとみなせるまとめ」としての理解や示唆は,なんら披露できていなかった。それでも「紹介に値する中身」である点は認めて,以上のように引用し,批評した。
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