
原発体制の安全保障問題は完全にガラ空き状態の日本が「原発と再生エネ活用を競争力の土台に」(日経2024年12月19日「社説」)などと脳天気以前のお花畑の発想(中編)
【断わり】 「本稿(中編)」はつぎの前編を受けている。前後する行論の関係上,この前編をぜひ,さきによんでほしく希望したい。
※-1「南海トラフ地震臨時情報(調査終了)について」『気象庁』地震火山部「報道発表」令和7〔2025〕7年1月14日00時15分,https://www.jma.go.jp/jma/press/2501/14a/NT_2501140015sv.pdf
この気象庁の「南海トラフ地震臨時情報」は,こう報告していた。「昨日(〔2025年1月〕13日)23時45分に南海トラフ地震臨時情報(調査終了)を発表しました。その内容について別添のとおりお知らせいたします。

その発生可能性がとくに高まった現象を認めないが
いつ地震が発生してもおかしくないと強調している
「本稿(中編)」は,つぎの前編を受けての記述となっているので,できればこちらをさきに読んでもらえると好都合である。
この九州の日向灘を震源としたマグニチュード 6.9の地震は,前段の気象庁発表のようにただちに南海トラフ地震(超巨大地震)につながる予兆そのものだという分析・解釈はなされていないものの,
たとえていうとしたら,『ゴジラ級の超大な〈海洋性ナマズ〉』が目の前の太平洋一帯で何匹も常駐しているかのようにして,「南海トラフ地震」を惹起させる可能性が徐々に高まっていくほかない現実の「自然環境の営み」は,人間の手によってどうにかなるような対象ではありえない「自然の長期的に必然の動き」であった。
南海トラフ地震という超巨大地震は,近い未来に必らず発生するという予測がなされており,すでに関東地方以南の太平洋沿岸を有する各地方では,なかには30メートル級の大津波襲来を,当然に,確実に予想した対策を立てている地域もある。
【参考記事】-『日本経済新聞』2025年1月16日朝刊から-

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災とこれに伴い発生した大津波の襲来は,14年前の出来事になっている。そのときの規模に匹敵するような大地震と大津波の来襲が,いったいいつになるかについて,その年月日を具体的に予想することはできない相談である。
しかし,人的犠牲者や物的損害を最小限に抑えこむための対策であれば,実際,各地方自治体次元でも講じられている。いずれにせよ,当該の太平洋沿岸に居住する人びとが大勢いるのであり,その発生がいつになるかは確実には予測しえないものの,いまからその覚悟だけはしつつ日常生活をするような態勢を構えている。
あらためて断っておくが,3・11の東電福島第1原発事故は,間一髪のところで東日本地域が放射性物質によって汚染まみれになる事態を回避できていたのであり,その事故直後,実際に受けたその被災状況などとは比較になりえないほど甚大な,いいかえると日本沈没に近い打撃・損害が発生しかねなかった事実を思い起こすべきである。
※-2 『日本経済新聞』2025年1月15日朝刊「社説」の「超巨大地震の発生」が確実に予測されているこの国の「経済新聞」の立場なりに,絶妙的に奇っ怪な呑気さ加減は,この社説が原発の事故発生には一言も触れない点に露呈していた
この日経社説は,「巨大地震の備え」として「絶えず点検を」要すると一般論として強調するが,いまもなお,この大規模地震発生の可能性に関して “一番恐ろしい予想” は,東電福島第1原発事故に似た原発の大事故が再び,日本の原発のなかから発生するのではないか,という心配・恐怖のほうである。
この予測・心配は絵空事などではなく,次回に起こる南海トラフ地震が予測されている時期は「2030年~2040年」であるという現実の事情をめぐり,つまり ,南海トラフ地震は「いま生きているほとんどの人びと」が「まだ生きている間」に必らず発生する地震だと,科学的に予見されている。

一言もないのは実に不思議である
本当に南海トラフを震源地とする超巨大地震が発生したときは,とくに太平洋沿岸に立地する中部電力の浜岡原発がとても心配である。つぎに,日本全国に立地する原発地図(2024年10月現在)を『nippon.com』から借りて紹介しておく。

次段の本文でこの原発の危うさに触れる
中部電力浜岡原発については『朝日新聞』からつぎの図解2面を借りて理解の助けにしたい。上の図解からは「浜岡原発はもう相当に危険だ」という印象しか抱けない。早めに取っ払ったほうが賢明かもしれない。


次段に触れる
中部電力の説明によると,原子力発電所の運転状況(2024年4月1日現在)は,1号機と2号機は廃炉になっていた。3号機 ,4号機,5号機はいずれも「定期検査中・安全性向上対策実施中(地震・津波・重大事故対策等)」という断わりになっていた。
東電福島第1原発事故が発生した2ヵ月後,2011年5月のことであったが当時,民主党政権の首相菅 直人は,政府の立場から静岡県御前崎市にある浜岡原発全基に対する稼働停止を要請し,これに対して中部電力もしたがっていた。
この当時の首相菅による決断は,これなりに合理の立場から下されたものと受けとめられる。その後の14年間「まだ南海トラフ地震は発生していないじゃないか」という屁理屈は,いうに値しない妄論である。来るときは明日に来てもおかしくない。

※-3「〈十字路〉脱炭素時代の『不都合な真実』」『日本経済新聞』2025年1月15日夕刊7面「マーケット・投資」の中途半端なコラム的意見
この日経のコラム〈十字路〉に寄稿されたこの文章は,国際ビジネスコンサルタントの高井裕之の発言であったが,いわんとする核心がどこにあり,なにを訴えたいのか不明瞭だというか,学究の議論とは異次元的に隔靴掻痒的な要素を控えさせるなにものかを,含有していた。
ともかく,このコラムを以下に引用しつつ,寸評もいちいち挟みこんでの文章にしてみたい。
--次期エネルギー基本計画の原案が発表された。総論では現実的な政策に方向転換した印象だが,各論ではどうだろうか。15年後〔⇒2040年〕の発電量もデジタル化の進展に合わせて最大で現状よりも2割増加するとした。脱炭素電源の確保には特定の電源や燃料に依存せずあらゆる選択肢を追求するとした点は評価できる。
再生可能エネルギーについては「最優先」ではないが主力電源として位置付けるものの,原子力と合わせて最大限活用するとした。前回までは原発への依存度を可能な限り低減させるとしていたが今回は原発の価値を再評価している点は重要だ。
補注)以前は原子力(原発体制)は,全電源のなかでもその基礎をなす「ベースロード」だと大声で主張されていたものが,最近のそのように主力電源〔のひとつ?〕であるという「格下げ」がなされていた。
「原発の再評価」と指称しているけれども,そもそも原発は電源として第1義の位置づけをされてきたし,「3・11」後には再生可能エネルギーの導入・利用・普及という時代の趨勢を意識してか,原発の諸電源における位置づけはあいまいにしておく,つまり狡猾にも微調整的な意味のすりかえ操作がなされてきた。
例の「原発が稼働しているときは温暖化ガスを出さない」とかいった言説は,もう少し以前であれば原発はそれをいっさい出さないみたいな口調であった事実に照らして評価すると,きわめてズサンな「ともかく原発擁護・推進の立場」が露骨に披露した非科学的で流動的な立場として,よりいっそう明瞭になっていた。
〔記事に戻る→〕15年後〔2040年〕の電源構成は,再エネが4~5割,低炭素火力が3~4割,原発は2割とした。太陽光の稼働率を15%とすればいまの設備容量を3.6倍,風力は稼働率を30%とすれば9.1倍に増強する必要があると日本経済新聞は試算する。経済合理性と地理的制約からどこまで可能だろうか。
【参考資料】-経済産業省エネルギー庁のもくろみ-

4割から5割の範囲に採ってその比率を増やしている
低炭素火力については再エネの出力・周波数変動を補い,かつ系統の安定性を保つための調整電源と位置付けている。今回,脱炭素技術の不確実性から燃料種別はあえて明示は避けたが,現状7割を占める火力を3割にまで縮小する方向性は燃料調達とどう整合性を保つのであろうか。
補注)原発は火力ではないのか? なぜ特別に区別したまま触れずに,というよりも,ともかく電源に占める比率においては特別枠あつかいするかのようにして,その比率を増やそうとしてきたのか?
この理由を納得できる説明として聞いたことがない。特別視? 別枠? あまりにも特異で危険な発想である。
なぜか? 南海トラフを震源地とする超巨大地震の発生可能性は,2030年以降とくに,確率的により高まっていくわけだが,いまから原発の建設を予定に立ててみたところで,この超巨大地震が襲来してきたときに原発が事故など起こした分には,きっと原発不要を〔いまさらのようにだが〕あらためて覚醒させられるのではないか?
なにゆえ,いまから分かりきっている危険に向かうかのようにして,それこそ「渦中の栗を拾う」ごとき「原発の再稼働・新増設」にとりかかるとまで,いっているのか?
断っておくが,原発の大事故が起きたときだと,その「渦中の栗」には誰も手出しができなくなる事実は,現に東電福島第1原発事故現場が,これみよがしに「3・11」以降ずっと,実物教育でもって,われわれの眼前に突きつけてきたのではなかったか?
本ブログ筆者は『失敗学』なる,表見上は興味を惹く発想を理論化したと語った畑中洋太郎の構想をとらえる見解とならば,原発問題をその対象に含めた「大失敗」の核心をきびしく批判した。
原発の失敗を,旅客機の墜落事故(多分全員死亡)や鉄道車輌の脱線・衝突事故と同じに並べて分析対象にとりあげようとするさい,放射性物質という非常にやっかいで危険きわまりない問題を含む原発事故となるにもかかわらず,それでも(!?)「その失敗学の研究が進展するための契機がえられる」みたいな,そもそもが概念枠組の基本設定からしてたいそうズレていたというか,おおよそ出発点からして想定に無理がありすぎたごとき,つまり「あってはならない発想」が,畑村洋太郎流「失敗学の試み」のその当初における設計図のなかに書きこまれてしまっていた。
ここで,畑村洋太郎が用意していた「失敗学の必要性」を説明するための図解(図表)を紹介しておく。本日のこの記述をするためのこの図解を再度観て,初めて新しく気づいたことが出てきた。それは「十分な失敗経験を積むには200年かかる」と,この図表の標題の文句として記されていた点である。

今回あらためて驚愕させられた
ということは,畑村洋太郎はチェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故並み,あるいはそれ以上に「ヒドイ(過酷な,重大で深刻な)」,その評価尺度でいうと最高次元の「レベル7」級の大事故であっても,原発の事故として(さらに何度かは)発生する事態を,今後においてしっかり覚悟しておけ,しかし,その体験によって原発の事故(失敗)は減らすことができる,という理屈にでもなるのか?

まだ記入されていなかった
まあなんというか,トンデモない工学者の発言になっていた。学者先生の熱心な学究心は買えるけれども,ここまで単純明快に「それはイケマセン」というべき〈発想の理論的な具体化〉になっていた。
だから本ブログ筆者は,その「失敗学」の発想は,もとからして「失敗であった」と論断するほかなかった。だがそれでも,畑村洋太郎の失敗学はそれなりに世間に流布されている様子がうかがえる。
前段に挙げた図解などをみてだが,はたして「原発技術の発展のために原発の大事故」は,これからも覚悟せざるえず,いってみれば「必要悪」であるかのような位置までも示唆しかねない学問構想「失敗学」の,なんというかみごとなまでの「失敗ぶり」は,科学者の立場からはけっして認めらないはずもない思惟の跳躍であった。
〔記事に戻る→〕 一方で15年後の電源別の発電コストも試算値が公表されている。再エネは調整電源などの系統安定化費,原発は安全対策費,火力は脱炭素費などが考慮されている。一見安全で安価な再エネだが,導入比率が上がるほど統合発電コストは加速的に増え,電源構成の5割ともなれば電気料金を相当押し上げる。振れ幅は小さいが,その傾向は火力でも原発でも同じだ。
脱炭素時代には安価で安全で安定した電気はない。「不都合な真実」だが我々消費者が知恵を働かせるしかない。(国際ビジネスコンサルタント 高井裕之)(引用終わり)
この高井裕之の指摘で「安価な再エネだが,導入比率が上がるほど統合発電コストは加速的に増え,電源構成の5割ともなれば電気料金を相当押し上げる」というのは,いったいなにを根拠に発言した中身なのか?
そのコスト高を高進させるほかないという事由そのものを,具体的に示せるようなコラムの記事(中身)にはなっていなかったので,ただちにはその真意は図りかねるが,とくに「統合発電コスト」という用語に,なにかその事由(他意)がこめられているかのように感じさせもする。
再生可能エネルギーについては,各種のその電源を総合技術的にまとめあげるスマート・グリッド方式は,日本においてはまだまだの,これからの電力の「発電-送電-配電・給電・蓄電」方式である。だが,すでに社会の一部であっても実現されていないのではないのに,前段のようにただ「電気料金を相当押し上げる」とだけ,強調するかのように説くのは「コンサルタント」流の発言だとしても,不可解かつ奇妙であった。
東京電力ホールディングスが関連してこういう解説を与えているが,そのような意味あいの事項にはとりあえず言及はなかった。これが絶対に通用する現状認識ではまだありえないものの,コンサルタントの立場からそのように再生可能エネルギーの今後における活用はコスト高だというだけの説法は,はっきりいって能がない(舌足らずというか説明不十分ということ)。
1960年前後の時代にまで遡って考えてみたい。そもそもアイゼンハワー大統領がいいだした「atoms for peace」という〈決め台詞〉は,原発による電力生産が初めから採算上なにも問題なかったことにはなりえず,むしろ問題だらけであった。実際,アメリカでは事後,採算の問題があって原発の操業を停止した事例がある。
日本の場合だと,そもそも原発の導入にさいしては,国家主体による「地域独占企業形態」の確保,「国策民営方式」の方途,「総括原価(計算)」の保証などがあってこそ,つまりその分高い電気料金を消費者に強いての原発利用になっていた。
それにまた彼が「一見安全で安価な再エネだが,導入比率が上がるほど統合発電コストは加速的に増え,電源構成の5割ともなれば電気料金を相当押し上げる。振れ幅は小さいが,その傾向は火力でも原発でも同じだ」と,わざわざ断わっていた点も,奇妙というかヘンテコな理屈になっていた。
東電福島第1原発事故に関してならば以前から現在まで,そしてこれからの長い未来にかけて,さらに事後の対策費用が必要でありつづけていくわけだが,そのように故意に,どっちもどっちでありうるかのように誘導するがごとき,いいかえると〈糞味噌的な議論〉を,それも捨て鉢的にも語る口調は問題がありすぎた。
ちなみに,再生可能エネルギーの利用を高度化させてきたドイツの場合,電力事情として電力価格の高騰が問題になっているが,これは現状において中継ぎ的に利用せざるをえない天然ガスの値段が,「プーチンのロシア」によるウクライナ侵略戦争を原因にして,その高騰化も生じてきたという要因が無視できない。
原発の普及が徐々に進んではいるけれども,現在,世界中において稼働可能な原発は430基ほどであり,これが再生可能エネルギーを押しのけて全面的に電力発電におけるその比率を高める動向がみられるのではない。
それよりもなによりも「畑村洋太郎の『失敗学の構想』」を,まさに失敗させている「原発体制そのもの」に潜む《悪魔の火》の,つまり人間の手には負いきれない本質的な特性を,すでにさんざんに教えられてきた「日本のわれわれの立場」にとってみれば,
「一見安全で安価な再エネだが」「その傾向は火力でも原発でも同じだ」
などと,再生可能エネルギーによる電力生産体制を,ズサンかつ不用意にけなすかのように語るのは,当該人士の「コンサルタントの立場」に関して,学識以前に基礎的な科学理解に関した素養じたいに疑いの目を向けるほかない。
本日のこの「本稿(中編)」では,最後の※-4を設け,この内容としてはつぎの引用をしておき,いったん締めておくことにする。
※-4「ドイツが再生可能エネルギー導入に成功した要因を解説」『脱炭素経営の教科書-資金調達(融資・補助金) 株式会社タンソーマンGXの脱炭素情報メディア』2023年8月13日,https://tanso-man.com/media/renewable-energy-german/
この記述からはとくに,以下の「原子力発電」段落だけを紹介し,ここまでの記述への補足としておきたい。
a) 原子力発電
原子力は再生可能エネルギーではありませんが,2023年にドイツは原子力発電に関して大きな動きをおこなったのでここで紹介します。2023年4月15日,最後の原子炉が発電のための運転を停止し,60年以上にわたるドイツの原子力発電の歴史に幕を下ろしました。
この脱原発の決断は,ロシアのウクライナ侵攻後にエネルギーの供給不安を抱えるなかでおこなわれたものであり,電力不足や価格の高騰などさまざまな影響を市民は受け止めています。
脱原発に踏み切った背景には,2000年6月に中道左派の社会民主党と反原発をかかげる緑の党の連立政権が,すべての原発を運転開始から32年以内に廃止することを合意したことがあります。
ドイツは〔当時〕世界第4位の経済大国であり,原子力エネルギーが総発電量の3割を占める重要なエネルギー源でしたが,この連立政権は野心的な決断を下し,原発全廃を目指すこととなりました。
補注)日本も2011年「3・11」直前までは同じく,「原子力エネルギーが総発電量の3割を占める重要なエネルギー源で」あったが,その後に取った進路はドイツとは真逆であった。
結局,その真義の評価はあと10年もすれば,いい加減明らかになるはずである。いまの日本は「核兵器を保有するための潜在要因としての原発体制」を維持させているつもりもあるゆえ,これを無にすることなど,絶対にしたくないのである。
〔記事に戻る→〕 政権交代後の中道右派のメルケル政権は,2010年に産業界の意向を受けて一度は原発の運転期間を延長することを決定しました。しかし,翌年には日本の福島第1原発の事故が発生し,
メルケル氏は「日本ほど技術水準の高い国も原子力のリスクを完全に制御することはできない」と述べ,国内の17基の原子炉の運転を2022年末までにすべて停止することを決定しました。こうして,ドイツの原発は順次廃止されることとなりました。
補注)はたして日本の原発技術がメルケルが表現したように「技術水準が高い国」であったかどうかは,われわれでも少しは勉強すれば分かるように,いまとなってみれば,買いかぶりのすぎた「その高すぎた評価」であった事実は明白。
メルケル氏は物理学を専攻した人物であったが,かえって関連する事情が分かりそうな人にかぎって,単純な理解での錯誤を起こしやすかったということか。
〔記事に戻る→〕 原発全廃の進捗は,ロシアのウクライナ侵攻後にエネルギー供給不安が生じたことで一時的に先送りされましたが,最終的に2023年4月15日に3基の原子炉が送電網から切り離され,ドイツの原子力発電の歴史に終止符が打たれました。
ドイツは自動車産業が盛んな日本と共通点をもつ国でありながら,独自のエネルギー政策をかかげ,脱原発に踏み切ったことは国内外で驚きをもって伝えられました。今後,脱原発の影響やエネルギー政策の展望について,多くの議論がおこなわれるといわれています。
b) ま と め
この記事では,再生可能エネルギーの概要,再生可能エネルギーの種類,そして,ドイツが再生可能エネルギー導入に成功した要因をFITの導入,産業界と政府の連携,研究開発への投資,地域社会との協力に分けて解説しました。
また,ドイツの再生可能エネルギーの現状,原子力発電の歴史についても触れました。再生可能エネルギー導入においては,ドイツから学ぶべきことは数多くあるとされています。
日本においても,ドイツの事例を活用することが2030年目標や2050年目標を達成する近道になる可能性が高いといえます。
--以上のように書かれた結論部分をめぐっては,いまの日本のエネルギー事情を観察するに,本当にまったく「学ばない(その気のない)日本のエネルギー事情」だけが,妙に浮上する。
先述した畑村洋太郎風にいえば,それでも「失敗(原発の!)を重ねて学習していけば,原発の事故はなくせる」とでも考えていたのか? だが,この種の発想・感覚は,かなり珍妙である以上に恐ろしいものだった,と観るほかない。
現状における世界エネルギー情勢は,宇露戦争の強い影響があって,なかなかエネルギー情勢に落ち着きがえられないでもいる。だが,そのうち宇露戦争が止まる時期が来れば,いったい独と日のどちらがより賢い「エネルギー国家戦略」を採ったかは,歴然となる。
なお,最後に付説しておくが,「原発体制の後始末」問題は,原発を止めたドイツであっても,これから長期間にわたり手間ひまかけて片付けていかねばならない課題となって残されている。関連するつぎの記述に注意しておきたい。
◆ ストレッチ運転の決定 ◆
本当は,ドイツの原子力発電は2022年の大晦日に歴史に幕を下ろすはずだった。しかし,最後の3つの原子炉は,2023年4月15日まで,いわゆるストレッチ運転を続けることとなった。
bundは,他の市民団体とともに,原子炉の運転延長に反対し,完全な脱原発を求めるキャンペーンを展開した。原発が停止しても,核の時代はまだ終わらない。
核廃棄物は安全でない中間貯蔵施設に保管され,「最終処分場」探しは遅れつづけている。さらに,グローナウとリンゲンのウラン加工工場,ガルヒングの研究炉は兵器にも用いられるウランで稼働している。
註記)「脱原発を完了したドイツと反原発運動の歴史-福島支援と脱原発-」『FoE Japan』2023年5月2日,https://foejapan.org/issue/20230502/12690/
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【付 記】 本稿の続きのリンク先住所はこれである。
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