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原発が「安価・安全・安心」だとか「3E+S」に一番かなっているとかいった「邪説的な謬論」をいまだに信じる原子力エネルギー支持者の哀れ

 ※-1 ドワイト・D・アイゼンハワー「平和のための原子力(1953年)」の本質的な理解

 アメリカの第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは1953年12月8日〔この月・日はなんの日だったか?〕,ニューヨークの国連本部で開催された原子力の平和利用に関する国連総会でおこなった演説を,「平和のための原子力」と題していたものの,実際には根源から矛盾に満ちた主張を開陳していた。

 補注)『AMERICAN CENTER JAPAN』のホームページに,アイゼンハワーの演説「日本語訳」が掲載されているので,こちら( ↓ )を,できれば目を通してほしい。


 要は,アイゼンハワーは,その演説のなかでこう力説していた。むろん「原子力の平和利用」についてであった。途中から一部分だけを抽出しての引用となる。

 米国は,軍事目的の核物質の単なる削減や廃絶以上のものを求めていく。

 核兵器を兵士たちの手から取り上げることだけでは十分とはいえない。そうした兵器は,核の軍事用の 包装を剥ぎ取り,平和のために利用する術をしる人びとに託さなければならない。

 米国は,核による軍備増強という恐るべき流れをまったく逆の方向に向かわせることができるならば,このもっとも破壊的な力が,すべての人類に恩恵をもたらす偉大な恵みとなりうることを認識している。

 米国は,核エネルギーの平和利用は,将来の夢ではないと考えている。その可能性はすでに立証され, 今日,現在,ここにある。世界中の科学者および技術者のすべてがそのアイデアを試し,開発するために必要となる十分な量の核分裂物質を手にすれば,その可能性が,世界的な,効率的な,そして経済的なも のへと急速に形を変えていくことを,誰ひとり疑うことはできない。

 原子力の脅威が,人びとの,そして東西の国々の政府の脳裏から消えはじめる日を早くもたらすために,現時点で講ずることのできる措置がいくつかある。そこで私は以下の提案をおこなう。(以下,後略)

「原子力の平和利用」

 しかし,原発は原爆の弟分であり,ある意味「瓜二つとみなすべき科学・技術」の間柄にあったから,つまりは「原爆⇒原発」という由来を有していたゆえ,いまの時代となってみれば,

 核兵器の生産・入手を狙う国々が,とりあえずは原発を民生用の電力生産をするという目的をかかげていながらも,すぐつぎの段階においては原爆(核兵器)の保有国になるために,

 その原発関連の諸技術を兵器生産(原発)のために応用・動員しようとすることは,現段階になってみれば,わざわざ断わるまでなく,核エネルギー利用に関した「ごくあたりまえの,普遍的な事実認識」である。

 核拡散防止条約という国際法がある。だが,これはそうした核エネルギーの軍事利用(本来の目的)拡散に歯止めをかけるための法律であっても,国際法である性格からして,この条約が適当に無視されてきた過去は,黙認状態。

 

 ※-2 広瀬 隆の強烈なる原発批判「論」

 以下,少しウィキペディアの説明に依って,広瀬 隆の人物像を記述する。

 --1986年4月26日,チェルノブイリ原子力発電所事故が発生した。広瀬 隆は,自分名義になる『東京に原発を!』の改訂版を,また『危険な話』(八月書館,1987年)で,原子力(発電や放射性廃棄物)の危険性を主張する立場を鮮明にした。

 これらの著作は反響を呼び,広瀬は月刊誌『DAYS JAPAN』(講談社)に原発関係の記事を繰り返し寄稿したり,「朝まで生テレビ!」で原発を扱った回に出演したりするなど,原子力撤廃運動の論客として広く注目されるようになった。

 『文藝春秋』(1988年8月刊)は前記の記事を改稿した「デタラメだらけの『危険な話』」を掲載したが,広瀬は,テレビ番組で反論を返した。また日本原子力文化振興財団は『つくられた恐怖 「危険な話」の誤り』を出版して,広瀬に対する反批判を試みた。

 以後,広瀬 隆が公刊した原子力発電関係の著作には,『新版 眠れない話』(新潮社,1991年),『新版 最後の話』(新潮社,1994年),地震による原発事故を論じた『柩の列島』(光文社,1995年),『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社,2010年)などがある。

 いわゆる原子力ムラ側の立場・利害にとってみれば,天敵という以上に非常に手強い「反原発論者」広瀬 隆の存在は,目の上のタンコブだといったごとき形容だけでは,とても間に合わないほどの強敵であった。

 いずれにせよ,広瀬 隆が2010年8月27日に公刊した『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)は,その約半年後,2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災:東電福島第1原発事故によって,完全にといっていいくらい的中した。

 広瀬 隆は,『東京に原発を!』(集英社,1986年8月,初版は1981年)の書き出し部分で,すでにこう述べてもいた。

 私は2年前に放射性廃棄物の問題を調べ,土建業の醜い利権争いが原子力を暴走させている大きな原因であることをしった。その内容をまとめた『越山会へ恐怖のプレゼント』を書く時,原子力関係者の “予測” と “実績” が,ある時点で矛盾を生じることに気づいた。それは「1985年か86年に大事故が起こらなければならない」という数学的な予言であると書いたが,不幸に的中した(11頁)。

広瀬 隆『東京に原発を!』

 
 反原発論者として「3・11」後,とくに有名となった原子力工学の専攻者の1人に,小出裕章がいた。この小出の場合は,東電福島第1原発が事故を発生させたのを境に,それまで抑圧されてきた研究者としての立場から一気に解き放たれたがごとく,反原発に関する諸著作を意欲的に執筆してきた。

 それに比べて広瀬 隆は,それ以前から反原発に関する著作を多産していた。ところが,東電福島第1原発事故がこの広瀬の警告を的中(?)させてしまったのだから,原子力ムラ側は「二の句を継げない」ような苦境に追いこまれた。

 しかし,国策民営路線が強固に構築されてきた「原発政策:原子力エネルギー利用」の立場・利害が実在していたゆえ,原子力ムラ側の立場はそう簡単には揺るがなかった。むしろ国家の強力な支援があっただけに,それこそ権柄尽くでの反攻というか,終始一貫執拗に,原発推進の路線堅持を基本的には変化させることなく,今日まで来ている。

 なぜ,原子力ムラ側は原発路線をけっして止めようとはしないのか? それは,「原発⇒原爆」かつまた「原発⇔原爆」であるからであった。


 ※-3「〈原発・出口なき迷走〉『原発「安い」』はウソだった? 政府,既設原発も資金支援へ」『毎日新聞』2024年7月9日 06:00,https://mainichi.jp/articles/20240705/k00/00m/020/115000c

 a) 原発は「安い」。国が原子力を推進するうえでの根拠となっていた原発の経済性とは矛盾する資金支援策が動き出した。安全対策などで原発のコストが膨らんだためで,政府は「新設」の原発に限っていた支援の対象を「既設」にまで広げる方針だ。いつの間に原発は「高い」電源となったのか。その負担は誰が負うのか。

 付記)なお,この『毎日新聞』の記事は,7月10日朝刊の1面と3面を充てて掲載されている。

 今〔2024〕年4月,電力会社にとって「画期的」なオークションの結果が公表された。落札したのは,中国電力の島根原発3号機(島根県松江市)。中川賢剛社長は5月に東京都内で行った記者会見で「(オークション)制度を活用することにより収益の安定化,ひいては原子力の安定稼働,二酸化炭素(CO2)削減に寄与し,長い目で見れば企業価値向上に資する」と意義を語った。

 電気事業連合会の林 欣吾会長(中部電力社長)も「非常に有意義で,画期的な制度だ」と高く評価する。

太陽光と風力に対して原発(原子力)を並置するのは誤導そのもの
そもそも原発は完全にお邪魔虫

太陽光と風力が原発(原子力)の山車として悪用された
オークションである

 補注)念のためなんどでも批判しておくが,原発は「原子力の安定稼働,二酸化炭素(CO2)削減に寄与し,長い目で見れば企業価値向上に資する」といってのけた,電力会社の幹部発言は大ウソである。

 二酸化炭素の排出削減に原発が貢献できるみたいな〈虚言〉は,いいかげん止めにしなければいけない。だが,なにせ大手紙はすべて,その完全なる誤説を平然と繰り返し,報道してきた。『読売新聞』『日本経済新聞』だけでなく,『朝日新聞』や『毎日新聞』もその問題点を的確に指摘しないまま,われわれに伝えていた。勉強不足だったのか,それとも承知での報道だったのか?

 b) 島根原発が落札したのは,今年1月に初の入札が実施された「長期脱炭素電源オークション」

 新規投資する事業者のなかから脱炭素に資する電源をオークションで選び,落札すると20年間にわたって固定費などの支援を受けとることができる。オークションを運営するのは電力会社が加盟する電力広域的運営推進機関(広域機関)。電気事業法にもとづいて設立された団体で,落札事業者に対する支援は加盟社の拠出金を原資にする。

 補注)この「長期脱炭素電源オークション」とは,原発問題関連のパロディ版の行事でなければ,いったいなんなのか? 

 長期にわたる炭酸ガスの排出に関していうとしたら,事実としてその「炭酸ガスを大いに排出している」「原発の基本機能(性能・特性)」をまともにとらえもしないで,おまけに,そのように誤謬の観念論を大々的に喧伝してきたなかで,原発に関しても「長期脱炭素電源オークション」をまさに実施し,利用するといっていた。

 こうなると,前段で登場させた広瀬 隆や小出裕章が,この種の話を耳にしたら「激怒する」に決まっている。

 だいたい,稼働状態にない原発は常時,つまり絶えずということだが,外部電源の供給を受けていなければ,核燃料の冷却すらできない(そうしていないと,原子炉の溶融事故が短時間にうちに発生する)といったごとき,この装置・機械の「尋常ならざる木偶の坊さ」かげん,いいかえれば,トンデモな電力生産方式の大欠陥を棚に上げたままで,よくも「長期脱炭素電源オークション」に原発もくわわるなどと,悠長なおとぎ話に興じていられるものである。

 c) 島根原発3号機は2011年〔3月〕の東京電力福島第1原発事故の前までに建設工事がほぼ完了したが,事故後に規制基準がきびしくなったことで規制委員会の審査が続く。2030年度までの運転開始をめざしており,新設の原発としては原発事故以降,全国初の稼働となる可能性が高い。

 補注)この新設された原発について「原発事故以降,全国初の稼働となる可能性が高い」といわれた話題については,次段の説明にくわえてさらに,たとえ方を変えた指摘をしてみたい。

 以下では,以上のごとき原発の話題に対してのものであったけれども,新幹線の新型車両が運用される手順に,わざといいかえた「比較」をしてみたい。

 --安全基準の関連では,いままで(前段の原発の場合に真似ていうと)「13年間,営業運転に使用されていなかった」が,このたび「2030年の運用開始をめざして,あらためて車両の点検・整備に励んでいる」と。

 ここでの比喩は前段の指摘のように,あえて,だいぶ性質の違う「原発と新幹線車両との比較」を意図的におこなっている。くわえて,根本では噛みあわない点も多々あるけれども,基本的な思考回路は同一だと仮定した話にして,いっしょに混ぜた議論をする。

 そもそも,新幹線の車両の場合,実際に営業運転を開始してからその耐用年数は,どのくらいに設定されているのか?

 d) つまり,新幹線は何年で廃車になるか? 在来線の車両が一般に30年から40年程度使われるのに対して,新幹線車両は13年から20年ほどで廃車となっている。一方で,機器構成が比較的シンプルで速度も遅い路面電車は,50年以上も使いつづけられている車両が珍しくない。

 新幹線の耐用年数と比較し考量する「原発の特性」は,必ずしも適当な相手ではないかもしれない。原発は原子力をつねに浴びる原子炉の耐性に鑑みて,登場した当初はせいぜい30年の寿命だとされていたのものが,いつの間にか40年とされ,いまでは60年にまで延長されただけでなく,

 実業界の経済人が,いったいどの口でいったのかと思えば,原発は稼働そのものをしていない時間(の合計)を,その耐用年数から引いて足し算しろなどと,途方もない非常識まで叫ぶようになっていた。

 この種の非常識以前の子供じみた発想は,まさに「おまいう」であった。それでも,以上のような批判を理解できない(しようとしない)当該の会社経営者は,今日かぎりその職を退かねばなるまい。

 まったく冗談にもなりえないような,おまけに途方もない発言(デタラメな要求)をしていた,とくに大企業経営者は,さっさと実業界から消えるべきである。

〔記事に戻る( ↓ )〕 

 e) オークションの狙いは,長期的に安定した収入をみこめるようにして,投資のハードルを下げることにある。今回,支援の対象となったのは,太陽光などの再生可能エネルギーや原発の新設・リプレース(建て替え)のほか,既設の火力発電からCO2 を排出させないための改修費用。島根原発以外の落札案件の多くは蓄電池だった。

 しかし,政府は次回2回目のオークションから既設の原発も対象にくわえる方針だ。だが,専門家からはこんな声が上がる。「資金支援をするなら,まず『原発は安い』という旗を降ろすべきでは」

  ♠ 岸田政権の焦り ♠

 f) 既設の原発をオークションの支援対象にくわえる議論が飛びこんできたのは,GX(グリーントランスフォーメーション)をかかげる岸田文雄首相が原発回帰の姿勢を鮮明にしたあとだ。

 原発支援は賛否が分かれるため,安倍晋三政権以降の原発支援策の検討は手詰まり状態が続いた。だが,岸田政権ではGX基本方針で原発を「最大限活用する」としたうえで,昨〔2023〕年5月には原子力基本法を改正。国が「事業環境を整備する」ことを明確にした。

 「国が前面に立つ」「あらゆる対応をとっていく」。こうした首相の強い発言も渡りに船となり,オークションに既設原発をくわえる検討が政府内で加速した。

 岸田首相は2022年8月,それまでに再稼働していた10基にくわえ,新たに7基の原発を2023年夏以降に再稼働させ,全国で17基の原発が稼働する環境をめざす方針を表明。しかし,〔2024年〕6月1日現在で稼働している原発は12基にとどまる。

 「なんとしても再稼働を進めないといけないという焦りがあった」

 政府関係者はこう語り,電力各社の悩みの種である新規制基準に合格させるための投資もオークションの対象にくわえる方向で検討を進めている。(引用終わり)

 以上,『毎日新聞』の原発関連の記事を引用しつつ,批判的な寸評も添えてみたが,なんのオークションかと思えばこのオークションの狙いはまず,電力会社が長期的に安定した収入をみこめるように「投資のハードル」を下げることにあった。

 つぎに今回,支援の対象となったのは,太陽光などの再生可能エネルギーや原発の新設・リプレース(建て替え)のほか,既設の火力発電からCO2 を排出させないための改修費用だったと説明されていた。

 だが,とくに「島根原発以外の落札案件の多くは蓄電池だった」ということだったとなれば,原発を対象としたオークションはまだ人気が出ていないということか?

 しかしそれでも政府は,次回2回目のオークションからは,既設の原発も対象にくわえる方針だと報道されていた。

 という具合であってともかく,原発の再稼働・新増設を円滑により早く実現させるための便法としての,実は「オークションうんぬん」であったといえなくはない。

 もっとも「原発の稼働問題がオークションの対象になる」という話題は,エネルギー問題に対するブラックジョーク以外のなにものでもない。はたして,次回のオークションで原発を対象にしたそれに応じる「側」が登場するか?

 電源としてならば間違いなく,この地球上で一番のやっかい者であり,かつまた,有毒な科学物質であるのが,原子力という放射性物質である。それも,いままでは存在しなかった核種まで作りあげては,われわれのこの地球環境を各種の放射性物質で汚染まみれにしてきた。「核兵器の実験」がこの地球をだいぶ汚染してきた。原発も本当は同罪である。

 オークションを開催して,原発の新増設にくわえて再稼働もついでに促進させようではないかという企図は,まさに原発依存症患者のたわごとであった。

 冗談にもなりえないし,そもそも経済性の次元でももともと採算などとれない宿命をもって生まれていた電源「原子力」による発電装置・機械の再稼働や新増設を,オークション方式で助けようではないかとか,新設した原発を早く動かしたいとか,さらにはついでに既存の原発の再稼働のためにも生かしたいなどとかいった発想じたい,これは「原発信仰病」の最たる悪い見本そのものである。


 ※-4 最近の『日本経済新聞』記事から2点

 1)『日本経済新聞』2024年6月2日朝刊2面「真相」。

 これは読んでのとおりの記事であったが,原発に投資する予算・経費は,そのすべてを再生可能エネルギーに転じるべき理由が説明されている記事である。原発は早めに止めたほうが得策である。それでも廃炉会計的には莫大な予算が食われる。

『日本経済新聞』2024年6月2日「真相」

 2)『日本経済新聞』2024年6月24日朝刊16面「経済教室」に登場した橘川武郎は,不思議な経営学者であった。

 原発に原因する環境政策面の不利は長いあいだ,とくに放射性物質の害毒性には深く触れないで,原子力エネルギーの問題としてのみ論じられてきた。その立場は,本ブログ筆者にとっては,相当に不可解だというよりも,理解がまったくできない(通じるものが完全になしだった)学究である。

原発理解に基本的疑念あり
「カーボンフリー=原子力電源」という着想がそもそも「×」
原発:原子力の害悪に触れないこの学者の発言に説得力なし

 橘川武郎は1951年生まれということであり,経営学でも経営史専攻の立場からエネルギー問題に長年取り組んできた人物である。ところが,本記述の冒頭で触れたアイゼンハワーの「原子力の平和利用」というマヤカシの詐術的な提唱からして,勉強しなおす必要があったはずであるが,完全に飛ばしてきた。

 橘川武郎はまた現在,国際大学学長職を経営学者伊丹敬之のあとを継いでその職に就いていたが,一方の伊丹は2012年6月から東芝の社外取締役に就任していた。

 補注)2012年,東芝取締役・指名委員会委員・報酬委員会委員
    2015年,東芝経営刷新委員会委員長(7月29日就任) 

いまの東芝が昔日の面影をなくし
一回りも二回りも小さい会社になったのは
原発事業部門に色気を出したがためであった
悪い「原子力の火遊び」だったのか?

 ところが,伊丹敬之はこの東芝の経営遂行に関して大失策を犯していたのだが(自身の▲の節穴ぶりをさらけ出した),事後のいまは,どこでなにをしているか分からぬが,国際大学の前学長の立場になってからも何冊か,経営学書を執筆,公刊していた。

 だいぶ昔になる。経営学者坂本藤良は,自家の会社経営の立て直しのため戻り努力したものの,結局は失敗した。けれどもその後も,その体験を反転させ飛躍台として生かすための学問上の諸努力を怠らなかった。

 だが,伊丹敬之においては,自分の大失策が東芝の現在にどのような因果をもたらしたかについて,まさかその結果をしらないわけではあるまい。いいかえれば,最近になってもけっして消えさる記憶ではないものが,まるで他人事であったかのように済まして(流して)いられる表情すらうかがえるとしたら,これには一驚である。

 日本の産業経営の現状は,いまではだいぶ「衰退途上国」になりはてているけれども(そうでないのは観光業のインバンド需要だけか),オメデタイ経営学者たちが本当のところ,実際の舞台では箸にも棒にもかからない高邁な御説,おかゆを割り箸で引っかきまわしたごとき説法を振りまいてきたがゆえ,現状のような「この国の後進国的な惨状」は,これからさきにもさらに昂進させられ,その深刻度を増していくだけか,という見通ししかもてない。

 先日,地元の書店内に配架・販売されていた伊丹敬之の最近作を手にとりこれをパラパラめくっては,しばらく時間をかけて卒読してみた。が,あいもかわらず「100年一日のごとし」に,ただ「従業員主権が一番大事みたいな御説」を「読経(南無阿弥陀仏!)する本」に仕上がっていた。

 そのとき,当方はしばらくの時間であったが,まるで『不思議の国のアリス』1951年の気分に浸されたかのような精神状態になった。

 経営学者の風上にも置けない学究モドキの諸人物たちが,それでも,盛んに乱舞狂喜しつつ活躍できていたらしい「日本の経営学界(学会)」には,もはや未来はないも等しいかのように感じさせられた。その事実は,本ブログ筆者1人だけの所感ではないと思う。

 付記)本記述はもっと書き足したい材料が多く残しているが,またまた長い構成になるので,今日のところは禁欲してこれにておしまいにした。

 付記)「3E+S」という概念がある。これは,エネルギーの安定供給(Energy Security),経済効率性(Economic Efficiency),環境への適合(Environment),安全性(Safety)から成り,日本のエネルギー政策の基本となる概念だと説明されているが,

原発(原子力)とは無縁の概念説明

 いまの時代にかぎった話ではなく,原発(原子力エネルギー)はもともとそのすべてに関して「落第」であった。この点を十分に示唆する記事が,この※-4の 1) にかかげたものであった。これは,一時にのみ妥当する判断ではなく,これからさらにより明白になっていく原発の難点であった。

 事実,もともと「アイゼンハワーの演説」に淵源していた「原発の不利性・不当性」は,初めから覆いようもなかった。原子力という《悪魔の火》を大きなヤカン上の原子炉で焚いて電気を作るという方式は,人類・人間史上においては,つまり邪道であった。原発の超巨大事故がその邪道「性」を余すところなく実証した。

 ところで,小山 堅は日本エネルギー経済研究所専務理事の肩書きで,つまり,原発擁護の立場からいつものようにだったが,「安全前提に原発再稼働の議論を」せよと推奨していた(『日本経済新聞』2022年5月20日朝刊7面「オピニオン)。

 しかし,その安全じたいがまともに担保できていなかった「原子力エネルギー」に関する議論であっても,無理くりにその安全というものを,ともかく前提しておくべきである(できるはずだ)という具合の「きわだった話法」は,原発問題をめぐって足元に広がっている軟弱基盤の危険性を完全に無視していた。

 小山 堅は日本経済新聞「紙面」においてはエネルギー問題に関してとなるといつも,それも原発に関して「完全に推進論者」の立場からのみ,一方的に賛同するだけの見地に立っていた。

 エネルギー安全保障の観点を強調するのもいいが,再度,超大規模な原発事故を起こしたぶんには(近い未来にこれが絶対に起きないとは誰に「保障できない」),その安全の保障もへったくれもなくなる。

 小山 堅の論調に関していうと,「地球次元における人類・人間史」そのものに「存亡の危機」が,突如,到来するかもしれない可能性(その深刻な憂慮)までも考えたうえで,発言しているようには感じられなかった。

 仮にだが,広瀬 隆に小山 堅の見解に関してなにかをいわせたら,おそらく,あの調子で「罵倒あるのみ」になるのかな,などと想像する……。

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